ある人に向けた話
『生きる』という意味を考えたことはありますか?
私は以前、身内を亡くしました。それはとても悲しい事で、私は約一か月の間、執筆活動が出来ないほどに悲惨な状態にありました。
何をするにも頭に浮かぶのは「後悔」です。
実は、その方とは最近交流がありませんでした。昔はとても可愛がってもらい、一緒に遊んでもらい、家に泊めてもらい……。私が保育園児だった時などは、忙しい両親に変わってその方がお迎えに来てくれました。
そんな大切な方でした。しかし、私はその方を避け始めました。
理由は「認知症」です。
その方は認知症が進んでいました。名前を忘れるまでは至っていませんでしたが、自分が言ったことを忘れ、何度も同じ話をし続けます。そして、理不尽なことで急に怒り出し、どんどん頑固になっていきました。
私は徐々にその方と会う事が怖くなっていったのです。変わっていくその方を見ると、いつか自分を忘れてしまうのではないか、と。
その方の容態が急変したのはお亡くなりになる 2、3か月前でした。
その方はいつも元気で、もっと長く生きていくのだと私は勝手に思い込んでいました。だから、私はその方の容態を詳しく聞くことはなく「まだまだ大丈夫だよ」と疑うことなく思っていました。
私がその方に会ったのは亡くなる前日でした。
両親から「長くない。会えるのは最後かもしれない」と言われ、私は病院に向かいました。それでも、心の中では全く信じようとは思いませんでした。あんなに元気だったのだから、亡くなるなんて有り得ない。そう思っていたのです。
コロナ禍という事もあり、会うために厳重なウイルスの防護服を着ました。頭にはネットを被り、顔を覆うようなフェイスシールド、足元まで隠れるほどの防護服に手袋。それはもう厳重に。
しかし、私はその方を見て言葉を失いました。
やせ細った腕には点滴の針が刺さり、痩せこけた頬には酸素を吸引するマスクが取り付けられていました。私が入ってきた事にも気が付かず、苦しそうな表情で、ただただ荒く呼吸をしていました。
私は始めて「死」というものを想像しました。
その方が亡くなったのは、その翌日、正確に言うと会った日の深夜帯で未だ日も昇らない時間でした。
私はドタドタという足音で目を覚ましました。そして、深夜にも関わらず誰かが家を出ていき、車が動き出す音を聞いたのです。
私は飛び起きて自分の部屋を出ました。すると、両親は既に家にはいませんでした。
朝早く、5時くらいだったでしょうか。両親は帰ってきました。そして、私に言ったのです。その方が亡くなった、と。
お葬式は家族葬で行われました。
皆泣いていました。でも、私は涙が出てきませんでした。心のどこかで、その方が亡くなったことを受け入れられず、どこか現実離れした感覚になっていたからです。
後悔はしました。
兄はその方と撮った写真がスマホに在りました。弟はその方とのビデオが残っていました。しかし、私とその方が一緒に映った写真だけは一つもありませんでした。
どうして頻繁に顔を出さなかったのだろう。どうして写真を取らなかったのだろう。どうして……。
ずっと、そんなことが頭から離れませんでした。
『生きる』って何でしょう。
その方は亡くなりました。お葬式も済ませ、納骨も終わりました。今、お骨はお墓に埋葬されています。
でも、私の中ではまだそれを受け入れられていない気持ちが、確かにあります。
私はそれから、まだ泣けないのです。どんなに辛くて悲しくても、自分の中にある「後悔」がそれを許してくれないのです。
その方は、私の中では未だ『生きている』のです。
私は、私の中でその方が本当の意味で御見送りできるように、その方を思い続けるしかないのです。
「人はその人の記憶に生き続ける。」
間違いではありません。しかし、本当にその人をお見送りするためには、涙と共にその方を忘れなければなりません。そうでないと、生きているという根本を見失ってしまうから。
人は必ず亡くなります。
その時に、その人を心からお見送りできるように、その場で相手をお見送りできるように、私達は悔いのないように共に生きているのです。
「死」という現象に、初めて立ち会った花咲き荘の体験談です。
本当に好きな人が亡くなって、茫然としている誰かに、届いてほしい。そう思っています。