エージェント・イレブン ~アンブレラは四度咲く~
修行を終えたイレブンが局に戻るや否や、MI7局長であるN女史から容赦のないラブコールが入ってきた。
心身の疲れを癒す間もなく、局長室で秘密情報局諜報部員・イレブンに新たな任務が言い渡される。
「次の任務はこれよ、イレブン」
「やれやれ。相変わらずMI7とNは男使いが激しいね」
イレブンはいつも通りの歯切れの良い皮肉をこぼしながら、Nから渡されたファイルに目を通していく。
「ターゲットはケン・タケザキ。ジャパニーズよ。今回の任務は、企業スパイである彼の手から機密文書を奪還してほしいの」
「段取りは?」
「彼は今、情報の買い手を探している。既に接触を試みているから、あとは紹介されたバイヤーの一人として接近すればいいわ」
「ふん。鉄仮面のNと寝るよりは簡単そうな任務だ」
イレブンはNに嫌味なウインクを放ち、局長室をあとにした。
「頼むわね、イレブン」
Nが呟く。イレブンの後ろ姿を見送りながら――
廊下では、イレブンの仕事仲間であるエージェント・テン――ピリッとしたスーツを着こなした男――が、すれ違い様にイレブンへ声を投げかけてきた。
「戻ってきて早々に任務かい?」
「まあね」
「さすがNのお気に入り、ナンバーワンのイレブンだ」
「誉め言葉と受け取っておこう」
「まあ、この仕事は何があるか分からない。身体には充分気をつけることだね」
まるで馬糞みたいなやつだ。表面は乾いているようで、中身はねちっこい嫌味さがある。きっと心根では俺のことが気に入らないんだろう。
イレブンはそう思いながら、背を向けたまま手を振った。
イレブンはそのままラスベガスへ飛んだ。
そしてカジノで遊び、マダム・リンと密通を交わしたあと、タケザキと会うために無事イギリスへと戻ってくる。
――タケザキがよく通う馴染みの高級バー。さもセレブ御用達といった場所である。そこにスーツを着た控えめな雰囲気の男が現れた。
男は、誰あろうイレブンである。彼のスーツ姿は、どこかの真面目そうな証券マンと見紛えても不思議ではない。そういった印象は、彼が意図して仕向けているからでもあった。
店内に入ったイレブンは、カウンター席でスコッチを注文すると、周りをぐるっと見渡した。上品な音楽が流れる店内は割と広く、テーブル席には如何にもセレブのカップルという面子が多い。
二階にはガラス張りのVIPルームがある。タケザキはそこにいるはずだ。
グラスの中身を空にしてから、イレブンは悠々と階段へ向かった。
VIPルーム入り口では、ボディガードからの入念なチェックを受けた。チェックをパスしたイレブンは無事にVIPルームへと入室する。
部屋には一見して高価そうなテーブルと黒革のソファーがあり、何人かの取り巻きを脇にしてソファーにふんぞり返っている男が目に入った。
「Mrタケザキ? ジョーンズ・ボイトです」
細ぶちのメガネをかけた、痩せ身でビジネスマン風の日本人。七三分けのその男は、神経質そうな笑みを浮かべてイレブンを眺めていた。傍らには、日本刀――ひと目見て業物――が置いてある。
彼が今回のターゲットであるケン・タケザキ本人だった。
「お待ちしてましたよ、エージェント・イレブン」
なんだと――
そう発しかけたイレブンの周りを、ムキムキの男達が既に壁の如く取り囲んでいた。
普通ならタケザキがイレブンのコードネームを知っているはずがない。この状況が非常に危険な事態だと、イレブンは瞬時に悟った。
「あなたが欲しいのはこれですね」
タケザキは懐から機密文書である巻物を出すと、親指と人差し指で摘んでイレブンに見せびらかした。
「金は偉大だ。ねぇ、エージェント・テン」
「テンだと?」
イレブンが聞き返した矢先。ムキムキで暑苦しい男達の間をかき分けて、サスペンダーの下が半裸の男・テンが現れる。
「お前ら、邪魔ぁ。――やぁ、イレブン。今日が君の命日だよ」
「きっさまぁっ!」
まんまと罠にハメられた形のイレブン。テンが金と私怨から情報を流し、果てはタケザキに使われているのは、火を見るよりも明らかだった。
しかもこんな時に限って不運は続く。イレブンの得物であり常に携帯しているR爺さん謹製のカラクリ傘は、入店時、店員に渡してしまっていた!
イレブン危機一髪である。
「やーっておしまい」
タケザキの声を合図にして、ムキムキの男達が次々と動き出した。まるで狂犬のように、よだれをそこら中に飛ばしながら襲いかかってくる。
だがその瞬間――
「ファーーーー」
イレブンが奇声をあげると(それは鬨の声である)、無数の銃声が響き渡った。背中から引っ張り出された傘が彼の前で開き、先端の石突から薄煙が吹き上がっている。
弾幕として周囲にバラ撒かれた容赦ない死の雨。いくらムキムキといえど、立っていられる男は一人としていない。
VIPルームのガラス張りも辺り一面粉々に吹き飛んでいた。銃声を聞いた階下では、悲鳴混じりの騒ぎが起きている。
「バカなッ!」
叫ぶテン。
テンは電光石火の早業で自身の背後からイレブンの傘を取り出して、それを彼に向ける。
そして傘を開いた。
すると傘の先から、マジックのように刃が二十センチほど飛び出す。
「残念。それは仕込み刀だよ。こちらも弾切れだが」
言い終わると同時に、イレブンが閉じた傘をテンに向けて投擲した。傘の石突がテンの額に突き刺さる。
額から血が流れるよりも早く、絶命したテンがドーンと豪快に仰向けで倒れた。
「おのれぇ。ならば、私が直々にやってやろう」
タケザキは脇に置いてあった名刀を掴み、一気に引き抜いた。匠によって磨き込まれた刀身は、殺気を帯びた光を見事に反射している。
そして鞘を投げ捨てると、流れるようにして上段の構えを取った。
「葉幻流皆伝者である私の一刀、その身で食らうがいい!」
それは刹那――
二人の男のシルエットが交錯した。
「まさか……。葉幻流秘術の……尾手の隠し腕だと?」
苦しそうに呻いたのは、タケザキの方だった。
――葉幻流秘術・尾手の隠し腕とは。
自身の大便を任意に固形化、且つ氣と呼ばれる力を神経のように通して間接部を操ることで、第三の手とする幻の秘術である。尾手のパワーは使用者の五倍以上と言われている。
忍術と剣術を融合させた葉幻流の中でも秘術中の秘術とされており、皆伝者であっても会得した者は一握りよりも少ないほどだった。
その用途は多様。文字通り第三の手として活用する技もあれば、サソリの尾を模して毒を仕込む暗殺術や、飛び道具を組み込む技もあった。
但し、往々にしてその強みは、第三の手が隠されていることと言えよう。
そして――
隠し腕を見た者は、死を見る者でもあった。敵の隠し腕を見て生き残っている者は、誰一人としていないのだ。
ちなみに実は、イレブンのズボンには尻にチャックも付いている――
筋骨隆々たる、かいなの形を模したその隠し腕には、また別の傘が握られていた。
「葉幻流なら、三日間の修行でマスターしたよ」
傘は、いつの間にかイレブンの手にあった。噂の隠し腕も、今やその姿はどこにもなかった。
背中で全てを語る男、イレブン。名実共に手の早い男、イレブン。
肩にかけた傘をイレブンが開く。
それと同時にタケザキは倒れ込み、爆散した。死者の血肉が周囲に降り注ぐ。
傘させば
血の雨が降り
受け流す
「……汚い雨だ」
*
「巻物を回収したあと、イレブンはまた行方をくらましたのね」
局長室にて、N女史がもう何度目かもわからない溜息をついた。毎度とは言え、上司も大変である。
「マダム・リンと休暇を取ると言っとりました。心は女王陛下のものだが、自分の傘は全ての女性のもの、というのがやつの信条ですからな」
老齢のRは報告を終えると、皺だらけの顔で毎度のにこやかな笑顔を見せたのだった。
一方その頃――
*
魔の三角地帯と呼ばれているバミューダトライアングル沖。
停泊中の、一隻のヨットの中では。
「いやぁん、ジョーンズの傘すごぉい」
「よかろうもん。よかろうもん」
著者 鈴本 案氏談
「ああ、ふむ。ん? もう録音してるって? では。えーコホン。今回私がこの本を書こうと思ったのは、友人である彼の存在を少しでも世の中の皆さんに知って欲しかったからである。この物語は、彼へのインタビューと独自の取材により出来上がったものだ。本来ならば、某機関且つ諜報員の機密保持という点からも、著作とするには非常に難しい題材だったのだが、友人の多大なる好意と関係各所の理解により、完成の日の目を見た次第なのだ。ああ、勿論多少の脚色はしているよ。そりゃそうさ、そうでなければ危なっかしいからね。ははは。しかし彼の功績は本物なんだ。彼の表には出ない数々の活躍により、母国イギリスのみならず、世界のミリタリーバランスが安定を保っていると言っても過言ではないのだからね。だからこそ敬愛の念を込めて、彼の砕身奮闘と忠義の行為を本にして、形にしたかったのだ。読者諸兄に彼を知って欲しかったのだ。それ程に私は彼に心酔している。彼と友人であって良かったと思っているんだ。これからも私が出来る得る限り、この事実を世に知らしめたいと思っているのだよ。無論、本の収入の一部は還元するつもりさ。ははは」