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E.O.1018 ラファ家の令嬢エミマ

不足のタグがあれば、教えていただけると幸いです。

 皆々様、お初にお目にかかります。わたくしはラファ家の一女、エミマ・ラファと申す者です。間もなく十八を迎える年頃でございます。

 さて、我が家について語る前に、まずわたくしどもが暮らします、エルフリーデ皇国のご説明を致しましょう。


 我が国の興りは遥か昔、国と呼ぶにも足らない部族の集まりでした。様々な部族が集合し、大きな集落が形成されると、統率者が現れました。そこから治世が始まり、およそ六百年もの歳月をかけて大国へと成長していくのです。

 やがてエルフリーデ皇国の転換点が訪れます。権力が西と東に分かれたのを契機に、大きな戦争が勃発するのです。後に『統合大戦』と呼ばれるこの戦争の期間は、なんと百年にも及びました。数え切れない犠牲者を出したほか、衝突により貴重な文化財も破壊され、戦争以前の歴史は解明が困難になってしまったのです。悲惨な被害をもたらした戦争でしたが、結果として東西に分かたれていた国は再び一つに纏り、現在に至るまで穏やかな平和が続いているのは、皮肉なお話かもしれません。

 ではここでわたくしの生家、ラファ家についてのお話に参りましょう。ラファ家は先述した『統合大戦』において終始、中立を保ったと伝わっております。先の戦争はエルフリーデ皇国が二つの国に分かれてしまうか否かを決定付けるものでした。長きに渡る争いの末、一つの大国へと戻りましたが、当然ながら反対者も生き残っていました。新たな門出に際し、当時の皇帝は側近として信の置ける人間を重用したいと考えたに違いありません。そこで選ばれたのが、最後までどちらの側にも加担しなかったラファ家なのです。昨日までの味方が今日は敵になる、というのが横行していた時代に、少なくとも反旗を翻すことはないと分かっていた家は、皇帝の信頼に足るものだったのでしょう。ラファという姓名を賜った時より、貴族の末席としての責務を地道に果たしていた小さな家は、大戦の終結を経て名家と称されるまでになりました。現在では貴族階級の第一位、つまり皇族の方々に次ぐ地位となっています。

 …と申しますと何だか自慢語りのようになってしまいますが、我が家の家訓は『欲にではなく、慎みに深みを持て』でして、わたくしが何をした訳でもありませんのに威張るのは可笑しな話でしょう。名家と呼ばれるようになったのも、先代の当主達による働きがあってこそです。

 元来この家系の人間は物静かで、平和を好む傾向にあります。激しい戦禍においても中立を貫いた名残でしょうか。自ら権力を欲した事は無く、また、立場に固執する事も無く、エルフリーデ皇国の泰平を願って懇々と働く、そんな一族です。何度も権力争いに巻き込まれようが意に介さず、課された役割に集中していたとか。おかげで政敵に嵌められ、没落しかけた時期もあったそうですが、今現在は平穏そのものです。

 しかしながらある事をきっかけに、わたくしの生活は平穏とは縁遠いものとなってしまいました。


 その"ある事"とは…わたくしがこの国の皇子であらせられるニカノル・シデロ・エルフリーデ殿下の婚約者に選ばれた事です。


 これは一大事でございます。何故ならばニカノル殿下は第一皇子、要するに殿下と結婚する女性が、未来の皇妃となるからです。報せを受けた時、わたくしだけでなく両親までもが、天地のひっくり返る思いをしました。青天の霹靂とは正にこの事だったのです。

 確かに家柄だけを見れば、ラファ家は申し分ないのかもしれません。ですが候補に挙がる事は予想できても、その先は有り得ないはずだったのです。何せニカノル殿下には、幼少の頃より親交を持っておられたアイリーン様がいらっしゃるので、付け入る隙など無いと考えるのが自然でした。加えて、政界で最も発言力のある大臣のご息女チウダ様、他にも筆頭貴族の中から選りすぐりのご令嬢が四名、婚約者候補として挙がっていたのです。単に頭数を整えるために書かれていただけのわたくしが選ばれるなど、誰が予想したでしょうか。

 先程も申しました通り、我が家は血縁ではなく己の信念で地位を確立したのです。お父様は娘を嫁がせて権力を得ようと画策することはありません。わたくしだってそのような事は願っていません。ですから、お父様が両陛下に娘を推薦した事も、わたくしが個人的にニカノル殿下にお会いした事も無いのです。社交界ではアイリーン様かチウダ様のどちらかだと持ちきりだったそうですし、わたくし達だけでなく皆が皆、ニカノル殿下の決定に仰天したのでした。

 これは後に聞いた噂ですが、殿下は候補者の名簿をちらりと一瞥し、特に逡巡する様子も見受けられないまま、わたくしの名を指差したといいます。ともすれば適当に手を伸ばしたら当たった、そんな風にも見える程あっさり決まったらしいのです。しかし、どのような選び方だったにせよ、婚約者は婚約者。ひいては未来の皇妃です。その日からわたくしの生活は一変しました。

 幸いにも、幼い時分より礼儀作法はきちんと教え込まれてきましたから、その点だけはあまり不安を抱かずに済みました。勉学も怠ったつもりはありませんが、皇妃という立場にはやはり怯んでしまいます。一令嬢として平々凡々な日々を送ってきましたから、君主となり民の命を預かる覚悟など、持ち合わせていなかったのです。今さら帝王学を学んで間に合うのか、訓練したところでわたくしに皇妃としての特質が備わるのか、数々の不安が浮かびました。とはいえ選ばれたからには、その期待に応え、責任を負わなければなりません。全く思い掛けない出来事ではありましたが、わたくしなりに精一杯、務めを果たそうと決心したのです。


 そんな矢先、とても困ったことになりました。いえ、既に困惑していたのですが、上乗せされたと言いましょうか。

 ニカノル殿下の態度がおかしいのです。

 殿下の名誉のために断っておきますが、奇行に走るといった類のおかしさではございません。何と説明して良いのやら…わたくしに対して、すこぶる甘いのです。優しい、と表現するには全く足らないくらいに。

 ニカノル殿下は闇の中でも輝くような琥珀色の髪をお持ちで、眉目秀麗な殿方です。初めて殿下にお目通りが叶った折、わたくしは束の間、言葉も忘れて見惚れてしまいました。だってわたくしが挨拶の口上を述べるより前に、ニカノル殿下は大股で近付いて来られたのですから。ですが本当に吃驚したのは、その後でした。殿下はこちらの目が潰れるような素敵な笑顔を浮かべて「逢いたかった。私の愛しいひと」と仰ったのです。殿下を除く、その場に居合わせた全員が目を丸くしたと思います。

 漏れ聞く話では、ニカノル殿下は言葉少なでやや無愛想なお方だと聞いておりましたし、事前に送られてきた肖像画からも淡々とした印象を受けたので、よもや初対面でこのような甘い表情とお言葉をいただくとは思ってもみませんでした。幼馴染みのアイリーン様にさえ、碌に微笑みかける事がなかったという殿下はどちらにおられるのかと、わたくし達に動揺が走ったのも納得していただけるでしょうか。

 それからも、殿下は事あるごとに甘言を囁かれました。

 例えば何気ない会話の中で「私は君を成す、深い青色が一番好きだ」と率直に好意を伝えられたり。はたまた「極上の藍方石も、君の瞳には敵わないな」と褒めてくださったり等々。思い出すだけでも顔が火照るような台詞を、凛々しいお顔を破顔させて仰るものですから、わたくしはたじたじになってしまいます。

 褒めてくださるのは勿論、嬉しいのですが大袈裟すぎる気がします。わたくしの髪や瞳は地味な紺碧色です。アイリーン様の煌めく銀の髪や、チウダ様の燃えるような赤髪の方が目を惹きますし、美しいという表現も相応しいと思うのですが…褒め言葉はまだしも、殿下は少々過保護のきらいもあるようでして、わたくしが庭園に咲く薔薇に指先を引っ掛けてしまった際など大変でした。ほんの些細な擦り傷でしたのに、殿下が慌てて侍医をお呼びになるので、わたくしこそ大慌てで引き止めたものです。そうしたら「君が傷付くのは、何であっても我慢ならない」と少し怖い面持ちで言われてしまいました。殿下の真剣な雰囲気に呑まれ、わたくしはそれ以上なにも言葉を返せませんでした。


 ところで、挨拶代わりの褒め言葉よりも困っていたのが贈り物の山です。これは誇張表現ではありません。わたくしの私室だけには収まらず、客室にまでニカノル殿下の贈り物が積まれるほどなのです。

 婚約者だからといって、わたくし達はそうそう顔を合わせられる訳でもなく、会えない時間を埋めるかのように、殿下からの贈り物が届きます。お菓子一つ小物一つ程度でしたら、わたくしもまだ許容できたかもしれません。ですが殿下の場合、装飾品だろうがドレスだろうが、一揃い、もしくは一式を送ってくるのです。決して一品で終わることがありません。それが毎回です。豪華な装飾品や衣類は、すぐにわたくしの衣装箱をいっぱいにしてしまいました。宝石箱も溢れかえり、わたくしには過ぎた品々に慄くばかりです。殿下は私財から出していると仰いますが、問題はそこではありません。

 わたくしは一度、贈り物を丁重にお断りしました。するとどうでしょう。殿下はひどく落ち込んでしまわれたのです。失礼ながら、独りぼっちの仔犬みたいな垂れた耳と尻尾が見えるようでした。力無く項垂れてしまわれたのを見て、わたくしはとても焦りました。悲しませるつもりではなかったのです。これ以上、物が増えては部屋の床が抜けてしまうと説明し、殿下にお会いできるのが何よりの贈り物だとお伝えしました。


「…そうか。君はそれだけで、良かったんだな」


 わたくしの言い分に納得してくださったのか、殿下はそう仰って微笑んだのです。でも何だか…そのお顔が切ないような、兎に角いつもの甘い笑顔ではない気がして、わたくしは不思議に感じました。

 しかしながら、この日を境に床が抜ける心配はなくなりました。代わりに殿下から一輪挿しが手渡され、お会いするたびにいただくお花を、そこに活けるようになったのです。ただ、わたくしの十八歳の誕生日の贈り物は、相も変わらず盛大でしたが、一日くらいは目を瞑ることにしました。


 というように、ニカノル殿下はこの上なくお優しいです。無論、優しく接していただけるのは幸せなことですし、安心感にも包まれます。しかしわたくしは、こんなにも大切にしてもらえる理由が一向にわからないのです。言葉を交わすどころか面識すら無かったのに、溢れんばかりの好意を寄せられるのは解せないと言いますか。アイリーン様のように殿下と長いお付き合いがあれば納得もいくのですけど…そもそもわたくしは社交的でもありませんし、重要な式典以外で公の場に出る事は稀なので、何処かで一目惚れされたという線は限りなく薄いと思いますし。

 そうやってわたくし一人で考えても堂々巡りなだけでしょう。わたくしは思い切って、殿下にお尋ねしました。「何故わたくしを選んでくださったのですか?」と。殿下のお答えはこうでした。


「君が微笑みかけてくれるのを、ずっと見ていたかったから…かな」


 それはいつもの甘言にも聞こえました。ですが、ほんの少しだけ眉尻を下げて、微かな笑みを口元にたたえるニカノル殿下は、笑っていらっしゃるはずなのに寂しそうな、泣いているようなお顔に見えたのです。視線はわたくしに注がれているのに、殿下の瞳はかなた遠くを見つめているようにも感じられて、胸の奥が疼いた気がしました。それ以来ずっとわたくしは胸のあたりがもやもやするのです。霧がかかってしまったような不透明感が常に付き纏い、新たな悩みの種ができてしまいました。


 わたくしを覆う見えない霧は消えぬまま、雪が舞う季節となりました。殿下とわたくしの婚約の儀は、満開の花が木々を彩る頃にと決まっています。つまりこの雪が溶けたら、わたくしは皇子殿下の妻となるのです。この婚約について物議は醸したものの、表立った反対も無く、順調に事は進んでいました。わたくしの中で燻る気持ち、その一点を除いて。

 ニカノル殿下のひたむきな愛情を受けているうちに、最初に感じた微かな胸の疼きは、次第に明確な痛みとなって主張を始めました。どうしてこうも胸が痛むのか、わたくしにはわかりません。何不自由なく満たされているはずなのに、どうして苦しさを覚えるのでしょう。幸せだからこそ?であればこの、表現し難い複雑な胸の内ないったい何だというのですか。自分の心なのに何もわからない、それが不安で…いえ、もどかしくてたまらないのです。

 単純な恋慕とは違う、曖昧で奇妙な感情に思い悩んでいた寒い日のこと、わたくしはアイリーン様から内密のお招きを受けました。元より大した交流はなく、婚約を機に更に疎遠となっていた相手からの招待です。何事かと身構えてしまいましたが、わたくしはアイリーン様のご招待を受けることにしました。

 アイリーン様は艶やかで、また才女としても知られているお方です。わたくしに良い感情は抱いておられないに違いありませんが、物心つく前から未来の皇妃を見据えて育てられたのであれば、この国を想う気持ちはわたくしよりもずっと強いはずです。わたくしの存在がエルフリーデ皇国の害となるならいざ知らず、ご自身の感情に任せて暴挙に出るとは思えませんでした。ですから、わたくしはアイリーン様が寄越してくださった馬車に乗り、お屋敷へと向かったのです。

 馬車は立派な門の前で停まり、わたくしは柔らかな雪の上に降り立ちました。


 その直後です。

 背中に強い衝撃を受けたのは。


 わたくしは勢いに押され、立ったばかりの地面に伏しました。すぐに起き上がろうとしたのですが、奇妙なことに体から力が抜けていくばかりで上手くいきません。衝撃を受けた箇所がいやに熱く感じます。ですが反対に指先はどんどん温度を失くしていくのです。何やら悲鳴のような、ただならぬ叫び声みたいな音が、遠くの方で聞こえました。生憎とこの耳が拾う音はどれも不明瞭で、何を言われているのかよくわかりません。しかしいつの間に目蓋を閉じたのでしょう。目の前が真っ暗です。それにしても寒い、です。とても…寒くて……




 この身を凍て刺す冷たさを…わたくしは、知っている───?

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