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俗物水滸伝  作者: 孔明
62/64

第62話  武松、魔人となる

 雲一つない青空でお天道様が光っていた。

 まるで悪を見逃すまいと、悪の逃げる影を許すまいと、きんきんと下界を照らしている。

 悪を成敗するには、良い日だろう。

 昼の街には大勢の人々が行き交っていたが、誰もが地を踏みしめるように歩いてくる武松を見ると道を退ける。

 金持ちも、貧乏人も。

 老人も、子供も。

 男も、女も。

 全ての人間が、武松に道を譲る。

 武松の迫力がそうさせていた。

 割れた人の海を、武松は見向きもせず真っすぐ進んでいく。

 双眸が映す光景はただ一つ。西門慶の屋敷であった。

 西門慶の屋敷からは、ご満悦の主人とその取り巻きの笑い声が響く。

 会ったこともない怨敵の声に、武松の手がきつく握りしめられた。


「止まれ!」


 武松の行く手を最初に遮ったのは、西門慶の屋敷を守る二人の門番だった。


「都頭の武松だな。ここは西門慶様の御屋敷だ」


「虎殺しの英雄だかなんだか知らねえが、お前も所詮はお役人だろう」


「大人しく帰りな。西門慶様に逆らっちゃこの街じゃ生きていけねぇぜ」


 主人の財力の前には知事ですら逆らえないことを知っていた門番たちは、下品に武松を嘲笑う。

 しかし門番たちは見誤っていた。武松は役人としてここにきたのではない。

 男として来たのだ。ただの一人の男として、ただの一人の女のために来たのだ。

 図体ばかりがデカい門番二人に阻めるものではない。


「――――退け」


 静かに最後通牒する。


「退けだと? あんまり舐めた口を」


 最後通牒が無視された瞬間、武松が門番の一人の顎を殴り上げる。

 衝撃で空中高く吹き飛んだ男の体は、木の葉のように舞いながら地面へと落下する。

 男は白目を剥いて、舌をべろんと出しながらピクリとも動かない。即死であった。


「あ、あ……」


 相方の突然の死に嗚咽する門番の首を、武松の手が捕まえる。

 そのまま屋敷の門を蹴りで破壊すると、西門慶の声がした方向目掛けて門番を投げつけた。流石に屋敷の中にいる西門慶に届くことはなかったが、壁に思いっきり激突した門番はそのまま死亡した。


「西門慶ぇぇぇえええええええッ!」


 天雷のような雄たけびが、西門慶の屋敷の声の一切を止めた。

 西門慶の悪事とは殆ど関係なく、ただ働いているだけの下男や下女は、全ての仕事を放り出して散り散りになっていく。大虎が襲ってきてもこれほど恐怖はしないだろうという逃げっぷりであった。

 だが当の西門慶は落ち着いたまま逃げ出そうとはしない。自分の子飼いでもある警備兵が側にいたためである。


「西門慶様! 武松が乗り込んできました!」


「言わんでも分かっている。あっちが馬鹿みたいに私の名を叫んでくれたからな。で、武松が率いてきた手勢はどれほどだ?」


「ひ、一人です!」


「ふ、ははははははははは! 馬鹿もここに極まれりだな」


 西門慶は武松が潘金蓮を救出するために、乗り込んでくることくらいは想定していた。だから普段は百人のところを、二百人の警備兵を常駐させていたのである。

 しかし友人の楊志も連れず、手勢もなく、単身でくるならその必要もなかったと西門慶は後悔した。

 商人は無駄な出費を嫌うものなのである。


「まあ丁度いい。正当防衛の名目であいつを合法的に始末する良い機会だ。だが、ただ殺すのもつまらんな。おい、警備をここに全員集めろ。そうすれば武松も自然とここに来るであろう」


「例のことを話すんですか? まったく悪い趣味をしてられる。しかし危険じゃないですかね」


 李欣がそう言ったが、本気ではないようだった。一人が二百人に勝てるわけがない。子供でも分かる計算だった。


「このくらいの危ない橋は娯楽だよ。ふふふ、潘金蓮が永遠に私のものになったと教えられた時、武松はどういう顔をするのだろうなぁ」


 西門慶の命令で屋敷に常駐していた二百人の警備兵が一か所に集まっていく。

 屋敷を進んでいた武松も警備兵が集まっていく所に西門慶がいると踏み、果たして西門慶の予想通りになった。

 武松と西門慶。

 好漢と悪党は、宿痾のように対峙する。


「こうして直接顔を突き合わせるのは初めてだね。どうだい、酒でも一献」


「西門慶!」


「人の家で大声を出すな、野蛮人め」


 西門慶は人を小馬鹿にする笑みのまま、酒の注がれた碗を叩き割ると足で踏みつけ始めた。これがお前の末路だ、と西門慶の目が告げている。

 西門慶がくいっと首をあげて合図すると、二百人の警備兵たちは剣を抜刀し、槍を向けた。

 そんな脅しの通じる武松ではない。西門慶とそれを守護する二百人の兵隊の視線を浴びながら、武松は口を開いた。


「これからテメエを殺す。だが殺す前に金蓮を出しな。そうすりゃ二度とお天道様の下を歩けねえ体にする程度で勘弁してやるよ」


「妙なことを言うな。お前の目は飾りか?」


「あ? ん、だと?」


「金蓮ならここにいるぞ。お前の目の前にいる」


「意味の分からねぇことを。どこに金蓮がいるってんだよ」


「ここだ」


 西門慶は自分の腹を人差し指で示した。

 意味が分からないでいる武松に、西門慶ははっきりと口にする。


「分からないかね? 金蓮は肉の一片、血の一滴、髪一本に至るまで私と一つになったのだよ」


「っ!?」


 瞬間、武松は気づいてしまった。西門慶が全身から放つ死臭と、肉食獣めいた気配。更には自分の腹を指さしたことの意味することを。

 力なく膝をつく。

 助けにきた、つもりだった。自分は決して兄を裏切れないので、一人の男として金蓮と一生を寄り添うことはできない。

 だからせめて今日この時ばかりは、彼女の望んだ英雄になろうと思った。

 けれどその決意は余りにも遅かったのだ。


「あ……ああ、」


 膝から崩れ落ちる。無力感が武松の心を支配した。

 ふと床に拭いきれなかった血の跡を見つける。それが潘金蓮が遺したものだと武松は直感した。


「あああ、ああああああああああ……」


 潘金蓮はここで死んだ。いや、ここで食われたのだ。


「なぁ武松」


 膝をついて絶望する武松がよっぽど面白いのか、西門慶が満面の笑みで言う。

 二百人の男たちも主人に媚び諂うように一緒に笑い声をあげた。

 武松はゆっくりと顔を上げる。

 殺さねばならぬ男がいた。


「潘 金 蓮 は 美 味 し か っ た ぞ ぉ」


 西門慶の一言が留めとなって、武松の理性の全てを決壊させる。

 心を支配していた無力感が、真っ赤な感情の濁流によって押し流された。


「■■ッ■■■■■■■■■■ッ!」


 人のものではない、魔の雄叫びが反響する。

 昼でありながら、天星の一つが目視できるほどに輝きを増す。

 其の星の名は天傷星。

 天晃星三十六星の十四番目。誰よりも傷つく運命を背負いし悲劇の星。

 食人の鬼など雑魚に等しい。伏魔殿に封じられし魔王がここに目覚めた。


「なん、だこれは……っ!?」


 人のものではない鬼気を放ち、黒い瘴気を漂わせる武松に、二百人の兵達はもう西門慶への愛想で笑う余裕すら失われた。

 喋れば殺されるという根源的恐怖が彼らの口を閉ざさせたいたのである。

 武松が近づいてくる。

 二百人は同時に後退った。武松が一歩進むごとに一歩、二歩進めば二歩後退する。

 二百人が一人の醸し出す気に呑まれていた。


「なにをしているか! たかが一人に恐れおののいてどうする! 誰が貴様らに金を出していると思っているのだ!」


「し、しかし……」


 兵士たちどころか、長く西門慶に仕えその恐ろしさを知っている李欣ですら躊躇する。それだけ武松の放つ気は異様であったのだ。


「しかしもかかしもあるか! もういいからさっさと殺せ! さもなければ私が貴様らを叩き斬るぞ!」


 そう怒鳴りつけて漸く兵士たちは武器を構えなおす。しかしそれは覚悟を決めたからではない。そんな本物の兵隊は西門慶の部下には一人だっていない。彼らはただ命令に従うことで、思考することから逃げただけなのだ。


「くっ……かかれぇ!」


 李欣が命じる。恐怖からの逃避するために、恐怖そのものへ、二百人の兵士たちが一斉にかかっていった。

 金で雇われただけの警備兵であろうと二百は二百。二百人が武器を構え、叫びながら一斉にかかる様は壮絶なものであった。野生の虎も形勢不利を本能で悟り逃げ出すことだろう。

 ましてや幾ら豪傑といえど所詮は一人の人間。

 二百人が一斉に仕掛ければ一息のうちに殺されるだけである。それが自然というものだ。

 だがその自然は捻じ曲がる。

 今の武松は人を超えた魔人であった。

 英雄でもなければ豪傑でもない、ただの人間の百人は二百など物の数ではない。魔に踏み入った武松を倒せるのは、同じ魔か英雄だけだ。


「■■■■ッ!」


 武松が腕を一薙ぎすると五人の兵隊が宙を舞った。押し寄せた二百の波が、一つの力によって弾き返される。

 剣で切りかかった兵士は、その剣を奪われて逆に斬り殺された。

 槍で突いた兵士は、槍ごと蹴り殺された。

 等しく殺される。

 例外はない。

 武松の間合いに入った者は、死に呑まれるように死んでいった。


「ひぃ! やめてくれやめてくれ! 俺は降参するから命だけは!」


「お……俺は今日雇われたばっかなんだ! アンタの兄貴のことも全然知らねえんだ! だから許して!」


 関係なく蹂躙し、皆殺す。

 命乞いの言葉など、今の武松には届かない。

 西門慶は武松を魔人にしたのだ。魔人に人の言葉が通じるはずがない。言葉が通じないことこそ魔が魔たる所以なのだ。

 武松にとって西門慶に属する全てが殺すものにすぎない。


「う、うわああああああああああああ!」


 兵士たちは自分たちが対峙しているのが一人の人間などではなく、抗えない災厄の具現であると遅まきに理解する。

 しかし背中を向けて逃げ出せば、その瞬間に殺されるであろうことも同時に悟った。

 逃げることもできない兵士たちは、恐慌状態になりながら死へ突撃していく。その様は自ら火に飛び込む羽虫のようであった。

 そして当然の如く、その全てが死ぬ。

 なんら傷を与えることもできずに、一方的に殺される。

 数の優位など、存在しなかった。

 西門慶の腹心であった李欣も死に呑まれた一人である。彼は頭を掴まれた後で、壁に叩きつけられて頭蓋骨を割られて死んだ。

 死んだ兵達の流した血が降り注ぎ、床が朱色に染まる。

 やがて血の海で息をしている生命が二つだけになったところで、漸く武松は手を止めた。


「あ、わわ……に、二百人の兵士がこんな一方的に……あ、りえない……!」


 金を増やす術に長け、人を食らい絶頂してきた食人鬼・西門慶。

 自分を特別な存在であると自認していた男は、本物の人を超越する存在に圧倒される。

 こうなると脆いものだ。西門慶は真実化け物ではない。所詮は人より多少優れた才で世の中を弄び、化け物を気取っていただけの悪党である。

 本物を前にすれば、化けの皮が剥がれるものだ。

 無様に尻もちをついて、必死になって武松から逃げようとする。しかし直ぐに壁に背中がついてしまい、もう後ろへ逃げることができなくなった。

 武松はゆっくり最後に残った殺すべき者へ近づく。


「ば、化け物め! 貴様は化け物だ!」 


「……そうかもな」


 魔人と化した武松が初めて人の言葉を発する。


「だがテメエだって同類だろうが。好きな女を奪って食っちまう野郎が、今更人間ぶってんじゃねぇよ」


「違う! 私はお前とは違う! 違うのだ!」


 その時、西門慶は潘金蓮を食う時に使った肉切り包丁が落ちていることに気づいた。乱戦の拍子に床へ落ちたのだろう。

 溺れる西門慶は藁を掴んだ。

 武松が肉切り包丁の間合いに入るまで十歩。

 九歩。

 八歩。

 七歩。

 六歩。

 五歩。

 四歩。

 三歩。

 二歩。

 一歩――――西門慶は肉切り包丁のあるところまで跳んだ。

 肉切り包丁を掴むと同時に、西門慶は武松の首目掛けて振り抜こうとする。

 しかし掴んだところで藁は藁。肉切り包丁が振りぬかれるよりも早く、武松の手が西門慶の手首を掴んでいた。


「が、ああ……」


 万力で絞められているような力に、耐え切れずに肉切り包丁を落とす西門慶。


「や、やめ……て……」


 やめる筈がない。

 そのまま武松は西門慶の右腕を力任せに引きちぎった。

 もがれた腕の付け根から噴き出した血が弧を描く。腕を失って、打ち上げられた魚のようにのたうち回る西門慶を、目前まで迫った武松が見下ろす。


「ま、待て! 私を殺せばお前も罪人になるぞ! そうだ……私を殺しても潘金蓮が戻ってくるわけでもないし、なんの利益にもならんはずだ!」


 最初の余裕な態度など雲散霧消していた。西門慶は無様な命乞いを始める。


「わ、私を見逃せ武松! 金だ、金をやるぞ! 好きなだけの金をやる! 十万貫でも百万貫でも……なんなら一億貫だっていい!

 金さえあれば金蓮よりもっと美しい美女だって買える! 官位も豪邸も、なんだって手に入る!

 そうだ……私と組まないか、武松。お前の腕力と私の財力、二つが合わさればきっとこの国だって手中にできるぞ。そうしよう! その暁には私が皇帝……あ、いやいやお前が皇帝で、私は臣下として仕えようじゃないか! ど、どうだ?」


「いらねぇよ」


 女は幾らでもいる。潘金蓮は美しかったが、それより美しい女だって探せば見つかるだろう。

 けれど武松という男の愛した潘金蓮は、この世界にたった一人しかいなかったのだ。

 たかが国だの皇帝の地位だのでつり合いがとれるものではない。


「や、やめ……うぅううううううううう……ああああああああああああ!」


「俺がテメエに言う言葉は一つだ」


「おのれ、おのれぇぇぇぇええええええええええええええ!」


「死ね」


 天の魔星の怒りを買って生き残れる道理なし。

 荒ぶる怒りとともに振り下ろされた拳は稲妻だった。

 西門慶は自らの悪行の報いを受け、肉体を四散させ死んだ。


「……」


 仇討を果たした武松はふらふらと誘われるように、最初に見つけた血痕のところへ行き、そこに跪く。

 とめどなく涙が溢れる。どれほどの苦痛を受けても泣かない男が、女の死に泣いていた。


「金蓮」


 名前を呼ぶ。応えはない。


「金蓮」


 もう一度名前を呼んだ。やはり応えはない。


「金蓮!」


 三度、強く名前を呼んだ。

 応えはなかった。


「くぅ、おおおおおおお、ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 力任せに近くのものを殴りつけ破壊する。


「すまねぇ! すまねぇ金蓮! 俺は、お前の『英雄おとこ』になれなかった! お前を、助けて、やれなかった」


 武松の懺悔に金蓮はなにも応えはしない。

 悪戯っぽく笑いもしなければ、悲しんでいる顔も見せてくれない。

 金蓮は死んでしまったのだ。いなくなってしまったのだ。


「ああ……」


 もし自分が故郷に帰りたいなどと思わなければ。

 もし自分が虎退治などして英雄になどならなければ。

 もし自分が金蓮に惚れてなどいなければ。

 もし自分が金蓮に誘われるがままに彼女を攫ってしまっていれば。

 そんな『もし』があれば、こんなことにはならなかったかもしれない。

 そんな仮定に意味はない。だというのに永遠と自問自答が渦巻く。

 時間が逆さまになればいいと武松は思った。


「……武松」


 後悔に苛まれる武松に、友の声が聞こえた。

 泣いたまま顔を上げる。唯一武松の全ての事情を知る友がそこにいた。


「楊志、か」


「西門慶は死んだか。少し遅かったでござるな」


「殺人犯の俺を、斬りにきたのか? なら殺してくれ。お前の手柄になるなら、死んでも悔いはねえ」


 潘金蓮と同じ場所で死ねるなら悪くない。

 もしも本当にあの世なんてものがあるなら、死んで一緒になることもできるだろう。金蓮が不甲斐ない男なんて願い下げだと罵ってきたならば、首を差し出して謝ることもできよう。


「お断りでござる。拙者は死んでも友を斬るつもりはござらん。拙者はお主を止めに来たのだ」


「なら遅かったな。西門慶は死んだ、俺がこの手で殺した。なにより潘金蓮も、とうに死んでしまっていた……」


「遅くなどない。武松はまだ生きていたではないか」


「俺……?」


「拙者はそんな善人じゃないでござる。西門慶の命などはどうでもいい。拙者からすれば道端の石ころより価値がないでござるよ。拙者が止めにきたのは、武松が自分で自分を殺めてしまうと思ったからでござる」


 否定はしなかった。西門慶から全てを聞かされた時、武松の脳裏を過ったのは自死であった。そうしなかったのは西門慶を殺さねばならなかったからにすぎない。


「その口ぶりじゃ奴の正体を掴んだのか?」


「ついさっきに。西門慶の子分の都頭から聞き出したでござる」


「行動が早ぇな」


「都頭の王から聞き出したところによると、口説いたり無理やり手籠めにして妾にした女を、遠方に売り払ったことにしては食っていたそうでござるよ。理解できぬ趣味が世の中にはあったものでござる」


 犠牲者が潘金蓮だけではなかった事実に、武松は驚きはしない。ただ西門慶のような下種ならそういうことをしていただろうと納得した。


「これからどうするでござるか?」


「大人しく出頭するさ」


「そんなことをせずとも、逃げようと思えば逃げられるでござるよ。

 拙者とお主なら街の城門を無理やり突破するのも訳はないでござろうし、その後はまた柴進殿の屋敷にでも転がり込めばいい。

 山東までいけば梁山泊に入山することもできる。梁山泊は広く好漢を集めているという話でござるし、きっと頭領待遇で受け入れてくれよう」


「気を遣ってくれてありがとよ。でもいいんだ」


 この国の法では武松は罪を犯した罪人であろう。西門慶とその子飼いの兵隊たちを合わせて201人。これだけの人間を皆殺しにしたのだから。

 だが武松はこれを恥ずべき行為をしたとは欠片も思っていなかった。百度生まれ変わったって、武松は迷わず同じことをするだろう。

 恥じるべきことがあるとすれば、それは潘金蓮を失う前に西門慶を殺せなかったことだ。

 だから堂々と出頭して、西門慶の非道を話すつもりだった。


「まあ武松のことだから、そういうふうに言うと思ってたでござるよ。仕方ない」


「俺の為に骨を折ってくれたってのにすまねぇ」


「いいんでござる。かわりに拙者が危うい時は遠慮なく助けを求めるでござるから」


「……だが楊志。最後に頼みを聞いてくれるなら、火を貸してくれ」


「なにをするでござるか?」


「西門慶の死体を焼く。潘金蓮をあの下種と一緒にしていたくねえ」


 西門慶は肉の一片、血の一滴、髪一本に至るまで自分のものにしたと言った。

 だったら西門慶の肉の一片、血の一滴、髪一本まで焼いてしまえば、潘金蓮の魂は解放される。そうなると信じたかった。

 潘金蓮を救うことのできなかった武松に、してやれるのはそれだけだった。


「分かったでござるよ」


 火を焚いて、西門慶の体をそこへ放り投げる。

 煙が雲一つない天へ昇っていく。

 ふと煙の中に潘金蓮の面影を見たような気がした。


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― 新着の感想 ―
[一言] 天(ダイス)よ、宿星の理に殉じさせるのは酷いと思います
[一言] 高球より小物のはずだが、ちがう方向でこえてる。
[一言] ままならねぇなぁ…
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