第58話 無題
莫大な財産を築き上げただけあって、西門慶の屋敷は巨大だった。
四方を高い塀に囲まれ、来訪者を威圧するような巨大な門には、天を衝く大男が門番をしている。
更に屋敷の中にも訓練された警護の兵が、どんな時でも100人は常駐しているという。
庭園も見事なもので、池は日差しを反射して輝き、花々は季節の香しさを運んでいた。
陽穀県の役人の頂点にいる知事だってこんな立派な屋敷は持っていまい。
開封府で国政を思うが儘にする大臣がなにかの間違いで、陽穀県にやってきてこの屋敷に滞在しても、文句をつけることはないだろう。
ただ金蓮には不思議に思うことがあった。
(どういうこと? 女性が……いない)
正確にはいるにはいる。
だが明らかに雑用をするためだけの下女ばかりで、男がそういう目的で雇っているような、着飾った女が一人もいないのだ。
別に世の男が全員、女にかまけているわけではない。
女に然程興味のない男の屋敷ならこういうこともあるだろう。
だが西門慶は違う。西門慶が女に興味がないはずがないのだ。
自分をあれだけ熱心に口説いたのがその証拠であるし、そもそも西門慶が好色であることは有名な話だ。伝え聞いた話だけでも、囲った女の名前を三人は知っていた。
西門慶に興味がない金蓮でも三人知っていたなら、実際には最低でもその十倍はいることだろう。
だというのに現実として屋敷の中に、そういう女はいないのだ。
屋敷の奥へ引っ込んでいるような気配もなかった。一体、女達はどこへいってしまったというのか。
「……」
「どうしました、金蓮さん?」
「なんでもないわ」
言い表しようのない悪寒がするが、今更になって帰るわけにもいかないし、そもそもそんなこと許されない。
金蓮は緊張から口に溜まった唾液を呑み込みながら、西門慶の待つ部屋へと連れられて行った。
「おお、漸くきたか金蓮」
西門慶が手を広げて上機嫌で出迎えるが、潘金蓮は何も応えない。挨拶という最低限の礼儀すら、この男には払いたくなかった。
これには李欣も口を出す。
「おい、潘金蓮さん。これから宜しくお願いします、くらい言えないのかい?」
「いいのだ、李欣。こういう女だからこそ……逆にそそるじゃないか」
「そうですか」
馬鹿な女だ、と李欣が視線を向けてくる。
「李欣、下がっていいぞ。これは今回の報酬だ。子分と分けろ」
「はっ」
西門慶は機嫌よく李欣に金がどっさり入った袋を渡す。
五人分とはいえ女一人を連れてきたにしては多すぎる額だった。庶民ならあれだけで一年は仕事せずに暮らせるだろう。
「さて金蓮。私は待っていたぞ。お前がこうして私の下へくるのを、腹を空かせてな」
(腹? まさか歓迎の宴会でも開くつもり?)
そんなことで機嫌をとれると思っているなら、西門慶という男は想像以上に安い男だ。
しかし金蓮は西門慶という悪党の、闇の深さを余りにも過小評価していた。
西門慶は装飾品としてのものではなく、屠殺業が牛や豚を解体する時に使う肉包丁を取り出す。
「待っている間、ずぅっと考えていたんだ。お前をどのように愛してやるべきか、どのようにして交わるべきか。そして思いついた。
お前のような極上の美女は――――生で食べるに限る、と」
ペロリと西門慶が長い舌で、自らの唇を舐め上げる。
「――――っ!」
恐怖と本能で潘金蓮は逃げようとした。この場にいたら死ぬよりもっと酷いことになってしまう。
体当たりするように扉を開けようとする。けれど無情に扉は開かず、びくともしない。全身の体重を何度も叩きつけても同じだった。
「いやっ……ここを開けて! 聞いているんでしょう! 開けなさい!」
扉の反対側からは人の気配がした。だが金蓮の声に応える者はいなかった。
「あぁ。生きたまま、股肉を食い破られたらお前はどんな声で悲鳴をあげるんだろうなぁ。お前の目玉を彫りだして舌で転がせれば、飴玉よりずっと甘いんだろう。想像しただけで、もうたまらない」
ぼたぼたと涎を流し、舌なめずりをする様は人間ではない。人間を喰らう妖怪そのものだった。
「我ながら下品だな。料理して食べるのが、肉の上品な食べ方なのだろう。だが私も男だ。男として生まれたからには、下品に、生肉にむしゃぶりつきたいのだよ。
料理するのは動かなくなった後でもできる」
「さ……さっきから何を言ってるのよ! 食べるだとか料理だとか、その言い方じゃまるで私のことを――――」
どうか性質の悪い冗談であって欲しい。神にも仏にも天にも、信じる全てに祈りながら金蓮は言った。
失禁するほど怯えてすくみ上る金蓮に、西門慶は逆に情欲を高める。そして、
「いただきます♪」
暴れる金蓮を抑えつけると、まずは一番美味しそうに思った股肉にむしゃぶりついた。
金蓮の悲鳴が閉ざされた室内に響き渡る。食い破った際の出血が西門慶の顔を汚したが、構いはしなかった。愛した女の生暖かい血は、西門慶には玉露である。
「美味い、美味い美味い美味い美味い美味い! 美味いぞ金蓮! こんなに美味しい肉を食べたのは本当に久しぶりだ!」
脳天を突き抜ける刺激的な味に西門慶は絶頂する。
金蓮は狂ったように両手両足を滅茶苦茶に動かして抜け出そうとしていた。しかし西門慶の力は細腕とは思えないほど強く振りほどくことができない。
「くーっ、ふーっ! はー、はーっ!」
西門慶は興奮で鼻息を荒くさせる。
肉包丁を頭に叩きつけてからやれば楽に食べれるのだが、それをしては楽しみが減ってしまう。なので代わりに動けなくなるよう、金連の足の指を五本纏めて食い切った。
「いやぁ……いやぁ……こんなの幸せじゃない……っ! 不幸になっただけ幸せにならないといけないのに……こんなの嫌ぁ! こんなの人間じゃない!」
「何を言う。君は人間だとも。ちゃんと人間の味だ」
足の指を食べたら今度は手の指を食べたくなったので、上品に包丁で斬り落としてから、刺身を味わうように咀嚼する。
「助けて……武松……お願い……私の……」
奇跡は起こらず、英雄は間に合わない。
潘金蓮の苦しみはそれから一刻ほど続き、それからはただ西門慶が肉を食らう音だけが続いた。




