第39話 宋江、馬を買う
梁山泊の首領になった晁蓋は、まず宋江への筋を通すことにした。
阮小二の妻を救出するのに公孫勝へ話を通してくれたことや、自分の梁山泊首領就任に頷いてくれたことの感謝に、手紙と100金を送ることにしたのである。当たり前だがこの100金は晁蓋の自腹だ。
そうと決まれば善は急げである。だが悩ましいのが宋江へ手紙を届ける者の人選だった。
この重要な仕事をまさか一兵卒にやらせるわけにはいかない。頭領級の人物に任せなければならないだろう。更に言えば自分の名代であるので宋万や史進などではなく、生辰綱からの付き合いである天道地進の一党の面子から選ぶべきだ。
一番名代と相応しい呉用は駄目だ。晁蓋による梁山泊新体制を構築するのに、呉用の知恵は欠かせない。梁山泊から離れてもらっては困る。公孫勝も同じ理由で却下だ。それに公孫勝は自分よりも宋江に近しいので、名代としてはやや不適当である。
阮小二には当面の間の水軍都督を任せたばかりだ。湖に囲まれた梁山泊の守りの要は水軍である。阮小二を外へ出すということは、守りの要がいなくなるも同じだった。
阮小七は梁山泊まで追いかけてきた例の幼馴染と祝言をあげたばかり。新婚をいきなり引き離すのは流石に可哀相である。
劉唐は旅の途中で金を使い込みかねないし、白勝は腕っぷしも知力も足りない。
「それなら阮小五に任せましょう。阮小五の腕っぷしなら万が一のことがあっても切り抜けられるはずです」
悩む晁蓋に呉用が提案した。
「……大丈夫か、阮小五で」
「懸念は分かります。しかしこの際、言動には目をつむりましょう。言動さえ抜きにすれば、阮小五は頼もしい男です」
「そうだな」
悩んだ晁蓋だったが、最終的には呉用の意見を容れることにした。
阮小五を聚義庁へ呼び出すと手紙と100金を渡す。
「これを開封府にいる宋江へ届けてくれ。任せるぞ」
「星々の主たる男との邂逅か。俺にしかなしえぬ仕事だな。フハハハハハハハハ! 大船に乗ったつもりでいるがいい! 例え悪鬼羅刹の魔軍が我が前に立ち塞がろうとも、俺の右腕に封じられし『竜の顎』が悉くを討ち滅ぼすだろう!」
「ま、まあなるべく平和裏にな」
晁蓋は一抹の不安を抱きつつも、阮小五を送り出した。
梁中書率いる討伐軍が梁山泊軍に敗北したことは、戦争があった事実をなかったことにしたことで、公的には消滅した。
だが人の口に戸は立てられぬもの。この事件は人の噂に乗って東京開封府にまで伝わっていた。
「この都の上は大臣、下は乞食まで梁山泊とかいう賊の噂ばかりだな」
都の街をねり歩きながら王倫が溜息をこぼす。
公孫勝、徐寧と違い宋江は王倫に梁山泊のことを話していなかったので、当然宋江が梁山泊の支援者であることも知らない。
宋江も公孫勝と違って、真っ当に官僚として栄達しようと励んでいる王倫に話すつもりはなかった。
「10万貫の強奪だけでも大事件なのに、それに続いて討伐軍7000の撃退までやりましたからね。
梁山泊に一万以上がいることも明らかになりましたし、それに……」
「公孫勝、か。まさか俺達の同期が山賊になるなんてなぁ」
「ええ。私も驚きましたよ」
逃げ帰った聞煥章の証言で、公孫勝が梁山泊に参加していたことも明らかになった。今では懸賞金1万貫の賞金首である。
公孫勝は科挙を第一位で及第した状元進士だ。
状元は将来の宰相候補であり、現宰相の蔡京もまた状元で科挙を及第した官僚だ。中央も公孫勝にそのようになることを期待していたことだろう。
それが山賊になったのだ。宋王朝始まって以来の大スキャンダルであった。
「しかし帝のお膝元である都で、山賊が義賊として 喝采されるなんて、複雑だな」
王倫の視線の先にあるのは、観客から喝采されながら、釈台で扇を叩く講談師だった。
摘発されないよう名前や物語の筋書きなどを巧妙に変えているが、梁山泊軍が梁中書の討伐軍を撃退する内容なのは明らかである。
宋江と王倫がこのように梁山泊の講談を語る講談師を見たのは、今回で十度目だった。
「汚ない政治家や官僚が侠客に退治されるなんていうのは、いつの時代のどこの国でも一定の人気があるものですからね。
古い話では司馬遷の記した『史記』にも遊侠列伝なんてものがのってますし」
「そういえば漢の高祖も侠客出身だったか」
「高祖は侠客を好んではいましたが、侠客ではありませんよ」
「そうなのか? 故郷で侠を気取る知り合いが、劉邦は侠出身だと語っていたが」
「侠客とは己の身を投げ打って自らの信念を通す人物のことを言います。
劉邦は侠客のような度量を示す時は、常に自分の命がかかってない場合においてで、自分の命を投げ打って義理を通したことは一度もありません。侠客というより侠客に憧れるオッサンが精々でしょう」
「随分と辛口だな、高祖が嫌いなのか?」
「別に好きでも嫌いでもありませんよ。それにしても……はぁ」
万が一にも国を追われる羽目になった時の、駆け込み寺として用意していたのが梁山泊だ。
それがいつの間にか国の腐敗に抗う義賊集団のように民間に伝わってしまっている。これでは自分は宋に対して反逆を企てる影の首魁みたいではないか。
王倫もそうだが宋江も溜息をつくことが多くなった。能天気に遊びまわっている徽宗が羨ましい。
「そうだ宋江! お前、俺の新しい渾名を考えてくれないか?」
どんよりとした空気を入れ替えるように、王倫が言った。
「渾名ですか。いきなりどうしました?」
「これまでの俺の渾名って白衣秀士っていっただろ。これは科挙に落第した書生って意味なんだが、念願叶って合格したのにいつまでも落第生って名乗ってたら格好がつかん」
「むむむ、そうですね」
宋江はしげしげと王倫を眺める。
引き締まった肉体にすらりと長い体躯、獅子の鬣を思わせる髪。男性的な雄々しさと女性的な色気を兼ね備えた姿は麗人と呼ぶに相応しいだろう。
そして容貌だけではなく、王倫には世を変えうる実力と行動力がある。
「衰えた世を盛り返す才をもった、女性のように麗しい美貌の持ち主ということで『回天麗人』というのはどうでしょう」
「おおっ! なんかかなり格好いいぞ! よし。これから俺は回天麗人・王倫だ!」
王倫は無邪気に喜んでいた。そこまで喜ばれると宋江としても渾名を考えた甲斐があったというものである。
「回天麗人か。この魔王の生まれ変わりたる俺の前で、大きく出たものだな」
振り返ると鋭い眼光に、胸に豹の入れ墨のある男だった。
阮小五である。
「あの、どちら様です?」
「及時雨・宋江とお見受けする。我らが星の主よ。貴方に塔を背負う天の王よりの言霊を届けにきた」
塔を背負う天の王は托塔天王ということだろう。晁蓋からの使者だ、と宋江は直ぐにピンときた。
「王倫さん、すみませんが旧友からの手紙が届いたようなので今日はこのへんで」
「分かった。今日はいい渾名を考えてくれて助かったぞ!」
王倫と別れると宋江は阮小五と人気のない路地裏に入る。
そして念のため周囲の気配を探り、誰もいないことを確認してから、阮小五から話を聞いた。
「なるほど。晁蓋さんがお礼のお金と手紙を。まったく律儀ですね」
「これが新首領となった晁蓋からの手紙と100金だ。既に一財産を築いた宋江殿には無用のものだろうが、ほんの気持ちということだ」
欲望薄い聖人であれば『自分はお金のために晁蓋殿を助けたんじゃない』と毅然と断ったことだろう。
だが宋江は俗物だった。渡された金を無邪気に受け取った。
「はは、これはどうも。これまで乗ってた馬が老いさらばえてしまったので、丁度新しく馬を買おうと思ってたんですよねぇ」
あぶく銭はぱっと使い切ってしまうに限る。宋江は貰った100金で上等な馬を買うことを決めた。
兄弟や頭領たちへの土産を買いたいという阮小五と別れると、宋江は早速その足で馬商人のところへ向かう。
宋江が目を付けたのは、目玉として売り出されていた150金の馬だった。
全身は夜の月に照らされたように真っ白で美しい。なによりも体つきも筋肉がよく引き締まっていて、持久力と瞬発力を兼ね備えている。素人にも一目で分かる名馬だ。
「馬商人! この馬を! この馬を是非とも私に下さい!!」
「すまんがお客さん。こいつはとんでもなく気位が高くて、自分が認めた相手じゃなければ、例え皇族様だろうと決して背に乗せることは……」
馬商人がそう言いかけた時だった。美しい白馬が宋江へ近づくと、ぺろりと頬を舐め上げた。
「ちょ、くすぐったいですよ……あははは」
馬は宋江の顔を舐め回し、じゃれつく。馬商人は唖然としていた。
だが我に返ると、笑った。やっと探し物を見つけた子供のような笑みだった。
「それで、えーとなんでしたっけ?」
「いや、なんでもありませんよ。世の中に凄い早いって意味で一日千里を駆けるっていわれる馬は数あれど、こいつは本当に一日に千里をかける速さと体力がある名馬中の名馬さ。高い買い物になりますぜ?」
「それはまた私に相応しい名馬ですねぇ。分かりました、値切りなんてせこい真似はしません。言い値で買いましょう!」
こうして宋江は予定より高い150金で馬を一頭購入した。50金は宋江の自腹であったが、後悔はない。
照夜玉獅子。それが宋江が愛馬につけた名前であった。




