第36話 晁蓋、梁山泊に入る
縮地の術で東渓村の晁蓋邸まで走ってきた公孫勝は、梁中書が7000の討伐軍を梁山泊へ送ろうとしていることを告げた。
事情を聞いた晁蓋によって集められた天道地進の面々の反応は微妙である。
「討伐軍7000は確かに普通の山賊討伐するにゃ過分だけどよ。それっぽっちであの梁山泊を落とすのは厳しいんじゃねえか?」
阮小二の意見は天道地進の一党全員に共通するものだった。この中で最も知恵のある呉用も頷く。
だが公孫勝は首を横に振った。
「阮小二の言う通り。梁中書と7000の兵だけでは梁山泊を落とすことはできないだろう。だが梁中書は軍師として聞煥章という男を雇った」
「聞煥章? 確か撤退戦に秀でた軍師と聞いているが」
情報通の呉用は流石に聞煥章のことを知っているようだった。けれど聞煥章がそれだけの男でないことを公孫勝は知っている。
「聞煥章は俺の弟弟子だ」
「――――な、に?」
勘のいい者たちが絶句した。
聞煥章が公孫勝の弟弟子ということは、聞煥章もまた公孫勝と同じように道術を扱えるということに他ならないからである。
「道士としてではなく、軍学を修めて身を立てたいと望む変わり者でな。俺よりずっと前に二仙山を下山した。まさか流れ者の軍師をやっているとは思わなかったよ」
「仲は良かったのか?」
「年齢も近く、俺もこういう人間だ。二仙山の弟子たちの中でもよく話したし、師の代わりに俺が指導することもあった。本当の弟のようなものさ」
「そうか。それで腕前のほうは?」
「下山した時点で俺と互角。俺はその後も修行を続けていたから」
「その分、ややお前が勝るか」
晁蓋の問いかけに公孫勝はこくりと頷いた。
俗世でも術を磨くことはできるが、山で修業するのに比べたら遥かに効率は悪い。勝つ自信はあった。
「公孫勝よりはやや下とはいえ、それほどの術者が梁中書の味方として戦うとなると、梁山泊軍もきついかもしれませんね」
「なら簡単だ!」
深刻そうに額を抑える呉用に、阮小七が立ち上がって言う。
「聞煥章は公孫勝がなんとかすればいい! 俺たちは梁山泊と協力して、梁中書の奴をぶっ殺してやろう!
安全な北京大名府を出たのが奴の運の突きだ! 活閻羅と言われた俺の力を見せてやる!」
「小七の言う通りだ。奴には俺達兄弟の怒りと、それ以上に母の味わった無念を思い知らせてやらねばならん! 智多星よ、作戦を頼む!」
「落ち着け二人とも」
腕を組んだままの阮小二が、いきり立つ二人の兄弟を座らせる。
「宋江様の手紙によればあの時、隊を率いていた索超って人が自分が死んだと偽装工作するために兵隊を皆殺しにして、挙句には梁山泊の仕業だっていう犯行声明まで残していったんですよね」
「失敗の責任を一人とらされる隊長がどういう行動に出るか、そこまで予想できなかった。私の失態だ」
白勝の確認に呉用が肯定した。もう後の祭りだが、こんなことなら眠らせた輸送隊を皆殺しにしておけば良かったと思っているのだろう。
深刻そうに悩む他の面子に、足を投げ出し顎髭を撫でながら劉唐が言う。
「悩んでるところに水差すようで悪いが、こりゃ幸いなんじゃねえか? 討伐軍を派遣するってことは梁中書はおいらたちが真犯人ってことにまったく気づいてねえってことだろ。なら梁山泊と梁中書がやり合うのを高みの見物すりゃいいんじゃねえか?」
「俺達のせいで梁山泊が襲われるのを黙って見てろというのか!?」
「小七。そういう方法もあるってことだ」
「見損なったぞ兄者! なら兄者は母の仇を討つ絶好の機会を見逃すのか!?」
「俺だって本心じゃ梁山泊と一緒に梁中書と戦いてえ。だが俺の命は晁蓋殿と呉先生のために使うって決めたんだ。勝手にはできねえよ」
白熱する議論に答えは出ない。
やがて全員の視線が黙り込む晁蓋へ集まる。天道地進の頭は晁蓋だ。なら最終決定権は晁蓋にある。
「呉用、お前はどうするべきだと思う?」
晁蓋が最も頼りとする男に声をかけた。
「もしも梁山泊が負ければ、梁中書は真犯人が別にいることに気付くでしょう。逆に勝てば我々は梁山泊に大きな借りをつくることになりますな」
「呉用。俺は金を貸すのは好きだが、金を借りるのは嫌いだ。そういう俺の性格を汲んだ上で作戦をとるならばどうなる?」
「――――梁山泊との合流を。そして我等天道地進と梁山泊の力を結集して討伐軍を撃退する。これが上策かと」
晁蓋がかっと目を見開いて立ち上がる。
抑え込んでいた覇気が全身から漲り、目はらんらんと輝いていた。
「俺の腹は決まった! 俺は隠してある8万貫とともに梁山泊入りしよう!
だがお前達にはお前達の人生がある。着いてくるか来ないかは各々で決めるがいい」
「勿論私はお供しますよ。梁山泊でどのような野心を持つにしても軍師は必要でしょう」
いの一番に呉用が賛同を示す。呉用は寧ろこうなることを望んでいたような節があった。晁蓋並みに乗り気の様子であった。
「俺達兄弟も勿論いくぞ。魔王の生まれ代わりである俺達が、彼の地に集うは宿命だからな!」
「晁蓋の旦那の心と俺の心が一致してるんなら、道を決めるまでもねえ」
「説教する時は恐い小二兄上だが、喧嘩で仲間の時は一番頼もしいからな! これで百人力だ!」
阮小五、阮小二、阮小七。阮氏三雄も賛同する。
「晁蓋の旦那に阮三兄弟は行く気満々だが、お宅はどうする? 白勝?」
「僕も晁蓋様についていきます! 晁蓋殿にいなくなられちゃ、僕みたいな小悪党は長生きできませんからね!」
「お前ぇまで行くっていうとはな。だが……たしかに晁蓋殿についてくほうが、面白くなるかんじはするんだよなぁ。よっしゃ! 俺もこの賭け乗ったぜ!」
白勝と劉唐の小悪党組も、自分の利害も踏まえて梁山泊入りを決断した。
特に白勝は最近羽振りがよくなったことを怪しく思われていたので、保身の意図もあった。
これで残るのは公孫勝一人である。
生辰綱強奪とは訳が違う。ここで梁山泊入りすれば何食わぬ顔で官僚に戻るというのは、流石に不可能だろう。
そのことを踏まえた上で公孫勝は決断した。
「俺が官僚として見定めるべきものは全て見た。ならば俺も宿業に従い、還るべき時だ! 彼の地――――梁山泊へ!」
こうして天道地進の一党全員が梁山泊入りを決めた。
晁蓋は酒蔵にある一番上等な酒を出すと、全員の椀に注ぎ、飲んだ。
そして最後に晁蓋は自分の屋敷に火をかける。
帰る場所は、要らなかった。
東渓村を出発した晁蓋たちが、まずやってきたのは梁山泊の対岸にある居酒屋であった。
いきなり有名人が押し掛けてきたのに、少しだけ驚きながら店主の朱貴が姿を出す。
背が高く、ワニのような恐ろしい雰囲気の男だった。
「これはこれは東渓村の晁蓋様ではございませんか。隣にいるのは智多星・呉用先生に、あの阮氏三雄まで。
お歴々がどうして当店のような居酒屋に?」
「時間がないので単刀直入に用件を言おう。早地忽律」
「!」
早地忽律というのは朱貴の渾名で、陸のワニという意味だ。
これを知っているのは朱貴の仲間だけである。
「君が表向きは居酒屋の店主をしているが、裏では梁山泊の案内人と面接官のようなことをしていることは調べがついている。
私たちの要件は、我々を梁山泊に入れて欲しいということだ」
「それとも役人のように賄賂が必要か?」
晁蓋が悪戯っぽく言うと、朱貴が心外そうな顔をする。山賊らしいふてぶてしい表情だった。これが本当の朱貴なのだろう。
「そんな食材にもならないものは要らん。それに貴方達についてはこの山塞の真の首領より、来たら通せというお達しがきている。直ぐに宋万首領や幹部と会えるよう手配しよう」
「その真の首領のことはどのくらいの人数が知ってるんだ?」
「今のところは頭領級だけだな。それ以下は全員知らん。私などはいつの日かあの方が名実ともに梁山泊の首領になっていただける日を待ち望んでいるがね」
劉唐の問いに朱貴はあっさりと答える。言外に自分も頭領級であるともアピールしていた。
朱貴が手配すると、すぐに梁山泊から向かいの小舟がきた。その小舟に乗って晁蓋たちは梁山泊へ入る。
梁山泊へ入山した晁蓋たちが通されたのは、梁山泊の一切を取り仕切る聚義庁という場所だった。
そこには梁山泊の中核をなす人物が勢ぞろいしていた。
まず目につくのは元禁軍師範の王進。次にその王進の弟子で最近成長著しいと評判の史進。
王進と史進の師弟の迫力が凄まじい分、一応首領である宋万は小さく見えた。
「よくぞお越し下さった晁蓋殿。事情はあの方の手紙などで伺っております。私が仮にこの山塞を預かっている宋万です」
「初めてお目にかかる、宋万殿。東渓村の晁蓋だ。
さて梁中書率いる7000が梁山泊の討伐に動いているのは知っていよう。
これは元をただせば俺たちの招いたことであるし、ケジメをつけるためにも梁山泊で一人の兵士として戦いたいと思ってきた。入山を認めてはくれぬか?」
「一兵卒などとんでもない! それよりも晁蓋殿には新しい――――いえ、この緊急時にそんな話をしている場合ではないでしょう。いきなりで申し訳ないのですが晁蓋殿には迎撃の総指揮をとってもらいたいのです」
「おいおい、俺は新参者であるぞ。総指揮官であれば宋万首領や王進殿がとればよいではないか?」
「これはもうあの方とも話して決めたことなのです。どうかお願いします」
あの方というのは宋江のことだろう。
梁山泊の真の首領である宋江が望んで、王進たちにも不満がないのであれば反論はなかった。
元々晁蓋は人の下で戦うよりも、人を率いて戦うほうが性に合っていたのだ。




