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俗物水滸伝  作者: 孔明
33/64

第33話  楊志、刎頸の誓いをする

 意識を失った洪教頭を見下ろしながら武松は呆れたように吐き捨てる。


「んだよ一発で気絶か情けねえ! なにが滄州でも1、2を争う槍の達人だよ法螺吹きやがって! こりゃ何発もぶん殴ってたら死んでやがったな」


「そうでござるなぁ。洪教頭も決して弱くはないんでござるが、なんというか技術はあっても体力と精神が全然足らないでござるよ。逆にそれさえ足りてくれば、そこそこの豪傑にはなれるかもしれんでござるが」


 楊志がのんびりとそう評すると、武松は不信感を抱いたようだった。


「後ろからいけしゃあしゃあと解説しやがって。なんだテメエは見たことねえぞ、何様だ?」


「拙者は楊志。今日から新しくこの屋敷で世話になることになった者でござるよ。渾名は青面獣でござる。柴進殿に頼まれ、暴れ者のお主に灸をすえにきた。神妙にせよと言っても無駄でござろうから、ちょっぴり痛い目を覚悟するでござるよ」


「楊志だぁ?」


 どうやら武松も楊志の名前は知っていたらしく、表情が変わった。

 自分の名前はかなり好意的に世に広まっているらしいし、武松が好漢の端くれなら、虚構の義人・楊志の名にかしこまって平伏するかもしれない。そうなれば楽でいい、などと楊志は楽観を始める。

 しかし武松の表情が明らかな敵意に歪むのを見て、楊志は考えが甘かったことを悟った。


「ちっと昔話をしようか」


「なにを突然」


「まぁ聞けや。俺の親父は元役人で花石綱運搬の任務についてたんだよ。花石綱がなんなのかは、お前なら言わねえでも分かるよなぁ?」


「そりゃまあ。拙者も名門出身でござるし、ちと縁もあるでござるからな」


 花石綱とは皇帝・徽宗が自身の庭園作りのため、全国から集めさせている珍花・名木・奇石のことである。

 一度クビになる前、楊志は輸送責任者としてそれに関わったことがあった。


「俺の親父は運搬責任者の副官を務めるくらいの人物だったんだが、運が悪いことに嵐に巻き込まれちまってな。花石綱を積んでいた船が沈んで任務が失敗しちまった。しかも一番の責任者が、罰せられるのを恐れて逃亡しちまったもんで、副官だった親父が責任をとってクビになる羽目になったんだよ」


「そりゃご愁傷様でござる。まったく無責任な男がいたもんでござるなぁ」


「――――テメエのことだよ糞野郎!」


 怒りが頂点に達したのか武松が拳を壁に叩きつける。

 壁は武松の怒りを受け止めることができずに砕け散った。大の大人が槌で殴りつけてもああはならない。凄まじい腕力である。

 楊志がかつて自分の副官だった男が『武』という姓であったことを思い出したのはその時であった。


「マジでござるか! いやぁ、そりゃすまんでござる! 洪教頭のように一発は殴られるから勘弁してくれでござる!」


「一発で許すはずねえだろうが。千発は殴られろや、この責任逃れ野郎!」


 武松の怒りは極めて正当なものであったが、正当な裁きにおめおめと従う楊志ではない。

 すらりと腰の吹毛剣を抜くと、人格とは正反対の隙のない構えをとった。


「千発もお主の拳を喰らったら死ぬので、それはできんでござるなぁ。反撃させてもらうでござるよ」


「しゃらくせぇんだよ!」


 宝剣をもつ楊志と丸腰の武松。いくら武松が、柴進が認めるほどの豪傑であろうと、無手では勝負は見えている。楊志が負けるはずがない。ここに観客がいたとして、武術の素人ならばそう判断したことだろう。


「どらぁぁあああああああ!」


 地を揺るすほどの気迫で振り落とされた拳が、吹毛剣の腹を殴り飛ばした。


「……っ!」


 流石にかつては宋国軍で十本の指に数えられた達人・楊志。衝撃で剣を手放す無様は晒さなかったが、生まれた隙を武松は見逃さない。

 武松の腕力なら人間の頭蓋をトマトのように握りつぶすことだってできるが、彼もまた柴進の屋敷で世話になっている身。ぎりぎりの理性が『殺すのはやめといたほうがいいだろ』と止めたため、武松は急所ではなく足を狙うことにした。


「拙者はあの豹子頭とも戦った男。そう簡単にやられるわけにはいかんでござるな!」


 武松の理性的判断は結果的に無駄であった。剣が弾かれた瞬間、楊志は思いっきり地面を蹴って後ろに飛んだのだ。足を狙った武松の攻撃は当然のように空を切る。心臓や頭を狙っていても同じことだっただろう。


「さぁて。じゃあ今度はこっちのお返しでござるよ」


 武松が楊志の隙を見逃さなかったように、楊志も武松の隙を見逃さなかった。

 吹毛剣の刃が武松に迫る。ちなみに楊志のほうは思いっきり殺す気だった。


「こいつ……すっとぼけてる癖に強ぇ!」


 だが楊志の殺意満々の斬撃に、武松の内で眠れる星が目覚めかけた。

 武松は自らの運命を知らない。自分が前世は封印された百八の魔人の一人で『天傷星』の宿命をもつことなど。

 天傷星。誰よりも傷つけ、傷つけられる星。

 誰よりも傷つくからこそ、傷ついて死なぬよう強靭だ。


「だがよぉ、テメエが強くても俺ぁもっと強ぇ!」


 どんな猛獣よりも力強く、そして鋭く動く武松。対する楊志は剣士として、泰然とそれを迎え撃つ。

 二人の戦いは人と人の決闘から、神獣と英雄の決戦の領域に到達していた。

 獣と人。人を逸脱した超人と人の技を極めた達人。

 剣撃と拳撃がぶつかり合う。

 対極の強さを持つ者同士の戦いは永遠に続くと思われた。

 しかしどのようなものにも終わりは訪れる。

 二人の実力は互角であったが、武松は楊志と戦う前に酒を飲んでいた。

 武松ほどの酒豪であれば30碗程度のアルコールで動きを鈍らせるなんてことはないが、素面の時よりほんの僅かな差が出る。

 互いに互角だからこそ、その紙一重の差が大きく出た。

 楊志の疾さが、武松の力強さを一寸凌駕する。


「せいっ!」


「ぐっおお!」


 吹毛剣の鞘で胴体を殴りつけられ、柴進の屋敷で無敵を誇った武松は遂に沈んだ。

 常人であれば今の一撃で意識を奪われていたことだろうが、楊志と渡り合うだけあって武松はタフだ。

 殴りつけられた部位を抑えながら、武松はよろよろと立ち上がる。だが体が上手く動かないのか、足取りは少しフラフラとしていた。

 対して楊志のほうは体力の消耗こそあるが無傷。勝敗は明らかであった。


「畜生……っ! この俺が一発も喰らわせることもできねえで負けるだと? んなの生まれて初めてだぞ」


「武松。お主は強かった。だが今回は武運が拙者に味方した。勝敗は兵家の常、その日の運でころりと勝敗の出目が変わる。それだけのことでござるよ」


 この言葉は本心であった。

 武松が戦い前に酒を飲んでいたことで楊志が勝ちを拾ったが、それが逆なら勝敗も引っ繰り返ったことは疑いようがない。互いに酒を飲まずに万全であれば、その時の運次第で勝敗は分れることだろう。


「言ってくれるぜ、まったくよう。あ~、でもこんなに思いっきり暴れたのは本当に久しぶりだぜ。なんかどうでもよくなっちまったわ」


 敵意に歪んでいた表情を解くと、ドカッと武松は腰を下ろす。

 楊志はてっきり食い下がられると思っていたので、意外な展開だった。


「よくよく考えりゃ、お前が逃げてクビになった後、うちの親父、民間で就職してそこそこ幸せに生きてたから、特に恨みがあるわけじゃねえんだわ。ムカついてはいたが、こうして戦ったら、つまらねえ苛立ちなんか全部蒸発しちまったよ。

 しかし本当に強ぇなアンタ! 俺と正面から一対一で喧嘩できる奴なんて、まだ体の出来上がってねえ餓鬼の頃以来だぜ。卑屈にならねえ態度も気に入った!」


「武松こそ独学でそれほどの武を身に着けたのは、武人として本当に凄いと思うでござるよ。拙者も才能があるとは言われてきたでござるが、この域に達するまでどれほどの修練を強いられたことか」


 一度本気で戦い合ったことで、すっかり二人は打ち解けていた。

 元々楊志は武松に恨み辛みがあったわけでもなく、武松のほうもさっぱりした男。なにより元々の相性が良かったのだろう。

 それに本人達は露知らぬことであるが、楊志も武松も魔星の転生体の一人である。

 謂わば別たれた兄弟だ。感じるものがあるのかもしれない。


「天下に名を轟かせた『青面獣』に褒められるとは光栄だね。名門出身のエリートっていうと鼻もちならねえ野郎な印象があったが、アンタのことは好きになれそうだぜ」


「エリート出身でも色々タイプがあるでござるよ。武松が言ったとおりの鼻持ちならない坊ちゃんもいれば、お堅い軍人みたいなのもいるでござる。っていうかうちの一族は拙者以外はそういうお堅いタイプばっかだったでござるよ。お陰で苦労したでござる」


「違ぇねぇ。お前ってそれと正反対な性格っぽいしな」


 武松の言う通りである。才能こそ正に楊家の血筋と称えられた一方で、性格についてはどうしてこんなのが楊家の血筋から出てしまったのかと、よく父母に嘆かれたものである。

 楊志が繊細な人間ならば軽いトラウマになっていたかもしれない。


「そうだ! これもなにかの所縁だし『刎頸の誓い』でもしねえか?」


 芽生えた友情を確かめ合っていると、武松がそう提案した。

 刎頸の誓い、或いは刎頸の交わり。

 春秋戦国時代の趙に仕えた藺相如と廉頗の逸話である。

 二人は互いのためなら首を斬られても悔いはないという鋼の友情を結び、国家を守ったという。始皇帝の代に中華を初めて統一することになる強国・秦も、二人が現役でいる間は迂闊に手出しができなかったと伝えられている。

 武松がここで『刎頸の交わり』を持ち出してきたのは、単純に以前に兄より聞いて知っていた逸話であったからだ。

 暴れ物の無頼漢で学問に興味を示さなかった武松とは違って、兄は少しだけ学問ができて、弟によく昔の出来事を語って聞かせていたのだ。

 学ぶ機会がなかっただけで地頭のほうは悪くない武松は、教わったことはよく覚えていた。


「それはいいでござるな! 拙者も武松のような豪傑が親友だと心強いでござるよ!」


 楊志も否はなかった。楊志は俗でわりと屑な男だが、友情を求めることはあるのだ。

 なので珍しく楊志に打算はない。ただ純粋に武松という男の友になりたいという思いがあった。


「今日はめでたい日だ。俺の残った肉親は兄貴だけ。父も母も両方死んだ。だが血の繋がりこそねえが、それに勝るとも劣らねえ親友を得られたんだからな」


「こういうめでたい日は飲むに限るでござるよ! 早速柴進殿のとこから良い酒を何本かかっぱらってくるでござる!」


 戦えば疲労するから酒が欲しい、疲労すれば汗が流れるから酒が欲しい、汗が流れると酒が欲しくなる、めでたい日なのだから酒が欲しくなる。とにかく何においてもまず酒である。楊志と武松はついさっきの遺恨など忘れて二人で酒を飲みに行った。

 それを遠くから眺めていた人影が二つ。

 正に自分の酒をくすねられようとしている柴進と、柴進に仕える侍女である。

 侍女は恐る恐る主人に尋ねた。


「良いのですか? お灸をすえるどころか酔っ払いが二人になっただけのような気がするのですけれど。あと勝手に柴進殿の酒を飲もうとしておりますが……止めてきましょうか?」


「いいんですよ。暴れ癖さえなくなってくれるのなら、いくら酔っぱらっても問題ありません。それにどんな大金を払ってもそうそう見られない見事な戦いも見せてもらいましたしね。あんな勝負はそうそう見れるものじゃないですよ。その見物料に、酒くらいは幾らでも差し上げましょう」


 侍女の心配などを他所に、最高の勝負を観戦できた柴進はご機嫌であった。


「それにしても流石は楊無敵と畏怖された楊業将軍の末裔。あの武松相手に勝利したばかりか、刎頸の誓いまでかわしてしまうとはね。私はもしかしたら毛遂、馮驩の如き者を得たのかもしれません」


 毛遂は戦国時代の平原君に仕え、弁舌をもって同盟を成功させた。

 馮驩は同時代の孟嘗君に仕え、罷免させられた主人を宰相に復職させた。

 両名ともに春秋戦国時代を代表する『食客』である。

 しかし二人が自分の食客として活躍する未来を想像した柴進は、これは違うと振り払った。

 上手く説明できないが違和感があったのである。器より大きなものを、無理やりに詰め込んでいるような気分だった。

 小旋風とは台風の目。だが世の中を動かし、新たな秩序を生み出すような英雄は、台風の流れを読み、それを統べることのできる者だろう。


「……訂正します」


「はい?」


「二人は毛遂、馮驩ではありません。翼を休めているだけの大鳳です。暫く繋ぎとめることはできても、永遠に縛ることはできない。あの二人にとってこの屋敷は狭すぎるのです。いずれ出て行ってしまうでしょうね」


「柴進殿はそれでいいのですか?」


「構いません。無理に閉じ込めたってなにになるのです。何にもなりませんし、なれませんよ。だからもしもその時がきたならば、劉備の下へ帰ろうとする関羽を見送った曹操のように、後腐れなく送り出してあげたいものです」


「二人が関雲長? そんな大げさな……。いえ、楊業様の末裔の楊志殿はまだ分かりませんが、武松は腕っぷしはともかく出身は庶民ですよ」


「王侯将相寧有種也」


「は?」


「生まれた時から英雄な者なんていませんよ。人は英雄として生まれるのではなく、人として生まれ、英雄となるのです」


 困惑している侍女を残し、柴進は自室へと戻った。

 久しぶりに美味い酒が飲めそうである。いっそ楊志と武松の酒の席に混ぜてもらうのも悪くはない。柴進はそう思った。


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― 新着の感想 ―
[一言] ファンブルが元で直言の士という名声を得、ファンブルが元で刎頚の友を得る。 楊志はダイス運が強いだけでなく、ダイス運に恵まれなかった時からの逆転劇が凄いですね。
[一言] 刎頸の誓い(某家庭版案件から目を逸らしながら) 王侯将相寧有種也のフレーズに思わずニヤリ
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