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俗物水滸伝  作者: 孔明
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第3話   宋江、万年落第生と出会う

 宋国首都の開封府へきた宋江は都の繁栄ぶりを見て驚嘆した。

 大きな商家が立ち並び、道はしっかり舗装され、歩く人々の衣服も華やかである。これほどの富が集まる場所は中華どころか、世界中を探したってきっとあるまい。

 宋江によって宋家村も発展したが、都と比べれば月とスッポンである。

 しかし宋江の慧眼はこの繁栄の影を見過ごさなかった。


(役人や一部の大商人を除いた中間層の民衆の表情が、どことなく暗い。中間層といえど都に住んでいるなら、別に明日の食事も困る有様というわけでもないでしょうに。きっと先の見えない閉塞感が彼らにそういう顔をさせているのでしょうね)


 人間、どれだけきつい状況であろうと希望があれば、生きる努力を続けられるものだ。

 しかし努力をしても何をやろうと無駄という閉塞感に包まれた時、人は死ぬ。体は生きていても心が死ぬのだ。

 地方では餓死者が出る有様で、都は都でこの空気。


(まったく面倒な時代に生まれてしまったものですね)


 宋江という男は俗物である。

 皇帝を助けようという忠誠心はない。腐敗した国を打倒しようという反骨心もない。天下万民を救済しようという理想もなかった。

 だが自分の手の届く範囲の不幸に手を差し伸べるほどの英雄性は持っていた。

 もしも自分が科挙に及第して官僚になったなら、この閉塞感をどうにかするようほどほどに頑張ろう。

 宋江はそう決意した。

 とはいえ決意を新たにしても合格しなければ始まらない。

 初めてきた都。土地勘はなし。となれば必要なのは道案内だ。

 宋江が誰に道を尋ねたものかと周囲を見回していると、その様子を不審がった男が声をかけてきた。


「そこの者。さっきから所在なさげにしているが、もしかして道に迷ったか?」


 役人だ、と宋江は直感した。

 非番の日なので着ているのは平服であるが、雰囲気が宮使いをしている者のそれだった。

 腰にある剣はちらりと見ただけで分かる立派なもので、立ち振る舞いも隙がなく凛としている。きっと武官だろう。

 都の武官は訓練嫌いの怠け者ばかりと噂であったが、こんな人物もいるのかと宋江は感心した。


「ええ、これは地獄に仏ですね。私は宋家村から科挙を受けにきた宋江というものです。恥ずかしながら初めての都だったので迷ってしまいまして」


「宋家村の宋江というと、あの及時雨の宋江殿か! これは失礼をした、私は徐寧。禁軍で金鑓法の教頭をしているから、仲間内では金鑓手などと呼ばれている」


 金とは優れたものを現すので、金鑓手というのは優れた槍の使い手という意味だ。

 更に補足すると禁軍というのは宋の国軍のことである。


「禁軍の教頭といえば王進、林沖の名前が有名ですが、平時でも緩みのない立ち姿といい貴方もかなりの使い手とみました」


「ふふ。まあそれは仕方ない。一対一で槍をもって戦えば、私はあの二人に勝てないだろうからな。もっとも戦じゃ槍と槍とばかりが戦うわけではないがね」


 そう言って徐寧は含みをもたせて笑った。


「宋は文治主義の国だ。軍でもなんでも必ず文官が武官の上にたつようになっている。もし貴方が科挙に及第して官僚となれば、貴方が私を率いて戦うようなことがあるかもしれん。その時は宜しく頼むぞ。精々贔屓してくれ」


「はははは、あったとしても随分とまあ先の話になるでしょうけど、その時はこちらこそお願いしますよ」


 徐寧の案内で宋江は無事に科挙の試験会場に着くことができた。

 既に多くの受験生が集まっている。年齢も様々で下は十代、上は七十過ぎの爺までいた。


「国の官僚を決める試験だけあって、カンニング対策もばっちりとみました。これは正攻法で普通に合格する以外の突破は難しいでしょうね。ま、元からそんなことするつもりもないですが」


「気に入らんな。まるで正攻法でも簡単に突破できるというような口ぶりだ」


 宋江の独り言につっかかってきたのは獅子だった。獅子の鬣のような髪に、引き締まった肉体をもつ男だった。

 年齢は刻まれた皺をみるに宋江よりずっと上であろう。三十代の後半から四十代の後半、もしかすれば五十代かもしれない。


「そういう貴方は、どちら様です?」


「自己紹介が遅れたな。俺は王倫。お前と同じ受験生だ」


「……ここは科挙の試験会場ですよ。武官任官のための武挙の会場はあっちです」


「俺は科挙受験生だ!」



「あ、それは失礼。こうして話しているだけで圧倒的な武官の威風を感じていたのでつい」


「まあお前の言いたいことも分かる。俺には官僚になるより、武官として将軍にでもなるほうがお似合いというのだろう?」


「そこまでは……いや、そこまであるかもしれません」


 将軍として甲冑を装備して兵を統率する王倫を想像すると、余りにもピッタリだったので思わず追従してしまう。


「ふん。癪だが否定はせん。実際、故郷じゃ荒くれ者共を率いて、略奪しにきた山賊相手に戦ったこともあるからな。しかし知ってのとおり宋は文治主義の国。どうせ軍人になって出世したところで、威張り散らした文官に顎で使われるだけだ」


「戦を知らない文官が、最高責任者として戦を指導しなければならない。この国が抱えた問題の一つですね。私の悪友もよく似たような悩みをぼやいていますよ」


「そこで俺は発想を変えたのさ。武官になって将軍を目指すのではなく、文官となって軍人を顎で使えるようになれば、軍人になる以上に軍人として自由にあれるのではないかと」


 ぐっと拳を握る王倫の目は真剣そのものだった。

 宋江は外見で人を判断した己を恥じ入る。


「まあ偉そうなことを言っておいて、万年不合格だからな。お陰で仲間に白衣秀士(落第生)なんて屈辱的な渾名をつけられてしまった」


「偉そうなんかじゃありませんよ。私は正直記念受験かなにかだと貴方という人間を侮っていました。私は宋家村の宋江、科挙は難関ですがお互い合格しましょう」


「宋江! お前があの宋江か! ふん……地元の名士で神童と持て囃されてきたそうだが、上から見下ろした気になっていられるのも今のうちだ! 必ずお前以上の成績を出して、今度こそ及第してみせるからな!」


「ええ。一緒に合格しましょう」


「一緒じゃない! 俺一人だ!」


 変なものである。王倫は宋江を嫌ったが、宋江は王倫という男を好きになってしまった。

 どうか一緒に合格して酒の席をかこえますように。信じてもいない天に珍しく宋江は祈った。



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