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俗物水滸伝  作者: 孔明
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第25話  公孫勝、殺戮する

 東京開封府。

 北京へ異動した公孫勝と違って、宋江は都で働いていた。ミスなく迅速な仕事ぶりから、皇帝の側近の宿元景などからは高い評価を受けている。

 もっとも上に四奸を始めとした佞臣がいて、下にも腐敗した者ばかりの現状では、宋江にできるのは応急処置程度のものである。宋江がその才能をなんの制限もなく振るうことができれば、宋を建て直すこともできたが、今の立場ではなにをしようと焼け石に水であった。

 なお宋江は農業の担当で、これは宋家村の保正の代行をしていた宋江にあてがう職としては妥当なものであっただろう。公孫勝の能力に期待して北京は転勤させたり、宋江へ適職に着かせたりと、宋も完全に腐り切ってはいないのだ。


「そのごく一部の真っ当に働く官僚の成果を、腐った官僚が食いつぶしているのが今なわけなんですがね。

 今は先帝までの蓄えた貯金があるからどうにかなっていますが、その貯金まで食い尽くしたら、一体今度はなにを食う気なんでしょうねえ」


 酒をぐいっと飲み干しながら、宋江がぼやいた。

 対面には徐寧。今日は休暇で二人で飲みに来ていた。ご政道批判はご法度だが、ここは行きつけの店の個室。聞き耳はない。


「貯金を食い尽くした後か。そうだな……自分の手足でも食うのではないか?」


「手足の後は、自分の胴体ですかね。頭だけ残してどうするんだか」


「頭も残らんかもしれんぞ。手足のない肥え太った肉など、狼のいい餌だからな」


 徐寧の発言に宋江はどきりとする。

 北には燕雲十六州を支配する遼、西には西夏。今は宋が莫大な歳幣を贈ることで仮初の和議が結ばれているが、両国とも豊かな中原を虎視眈々と狙っている。

 文治主義のために歴代王朝でも戦争には弱いのが宋王朝の特徴だ。手足のない宋が、この両国に同時に攻められれば恐らく三日も保つまい。この開封府には異民族の旗がはためくことだろう。


「……徐寧さん」


「すまんな。軍人が言っていい発言ではなかったな。忘れてくれ」


「いえ、徐寧さんの懸念は正しいですよ。それだけ宋の政治は硬直してますからね。

 上司も部下も賄賂とることしか考えてない腐れ役人ばかりで、私一人でなんでもやらないと正常に仕事を機能させることもできません。

 せめて下の人間だけでもどうにかしようと風紀を取り締まろうにも、部下が私の上司に賄賂送って台無しにしますし……もうどないせいと」


「それでも業績を出しているだけ立派だ。例え高尚な理想をもった官僚でも周囲の腐敗ぶりにやる気を失い、理想など消え、腐り始める。それがこの国の現在だからな。

 人間、最初から腐っている人間など多くはない。殆どは周りが腐っているから腐るのだ。私のようにな」


「なにを仰います。徐寧さんは立派に仕事をされているじゃないですか。林冲さんがいなくなった後も、禁軍の気が緩んでいないのは徐寧さんの働きによるものでしょう」


「四奸のような下種共と同じところまで堕ちるまいと律していたからな。だが……腐ってはいなくても、正直白けている。最初はやる気のない禁軍の連中に苛立っていたが、近頃はもはや苛立ちすら湧かなくなってきた」


「辛くはないのですか?」


「もう割り切ったよ。今はただ金を稼ぐために仕事に行っている。…………なぁ宋江殿。私は腐っていないつもりだったのだが、案外もう私は腐っているのかもしれん」


 徐寧は疲れ切ってた。体力ではなく気力がである。

 腐敗の中でも腐りきらない高潔さを持っていても、摩耗はするものだ。そうやって摩耗した人間と腐った人間ばかりが宋の上層部の全てとなった時が宋の滅亡だろう。


「そうやって鬱々としていると寿命が縮みますよ。辛い時こそ人間は酒という最大の隣人を頼るべきです。ほらもう一杯」


「嬉しい誘いだが、明日は仕事でな。飲み過ぎたくない。腐る寸前で踏み止まるためにも、仕事はこなさねばならん」


「では今日はこのあたりでお開きにしましょうか」


 勘定を済ませて居酒屋を出る。

 するとなにか白いものが宋江の目の前に降ってきた。

 こんな季節に雪か、と思って手を伸ばすと、それは雪のように真っ白な羽だった。

 上を見上げる。羽と同じ体毛の鳩が一羽いた。足には手紙を括り付けている。伝書鳩だろう。


(あれは……智多星・呉用の)


 宋江は隠棲した知恵者である呉用と知り合う機会があり、頻繁に手紙のやり取りをした仲であった。そのためお互いのための伝書鳩を用意していたのである。

 だがいきなり伝書鳩を飛ばしてくるなど只事ではない。なにか緊急の要件であると直感した。


「徐寧さん、ちょっと急用ができました。では失礼……」


 伝書鳩から手紙を受け取ると、宋江は自分の家に早足で帰ろうとする。けれどその肩を徐寧が掴んだ。


「宋江殿。はぐらかすのはよしてくれ。宋江殿はまた危ない橋を渡ろうとしているのだろう」


「徐寧さん……まさかこれまでのことを?」


「王師範や林冲の件に宋江殿や公孫勝が関わっているのは、なんとなく気付いていた。

 国にも仕事にも白けた私だが、まだ友情にだけは燃やす血が残っている。協力させてはくれないか? もちろん宋江殿が私を信用できないというのであれば大人しく去ろう。他言もせん」


「私は信用できない人間と、個人的に酒を酌み交わすほどできた人間じゃありませんよ」


 徐寧はにやりと笑う。宋江も微笑んだ。

 腐った世の中だが、美しいものもあった。




 徐寧を屋敷に招いた宋江は早速徐寧を奥の部屋に通す。

 妾の閻婆惜が盆にお茶を乗せてきたが、お茶だけ貰って下がらせる。手紙の内容がどのようなものであれ、妾に聞かせる内容ではないのは確実だった。

 そして呉用からの手紙を開いた宋江は、思わずお茶を吹き出すほど驚愕した。


「だ、大丈夫か宋江殿? そんなに凄い内容だったのか?」


「とんでもないことが大量に書かれてましたよ! 生辰網の強奪計画だとか阮三兄弟が厨二病すぎるだの私に協力して欲しいだのと!」


「例の梁中書の10万貫か? たしかにあの不義の金が奪われれば胸がすっとするだろうな。それに協力しろと言ってきたのか?」


「いいえ。私にして欲しいのは強奪計画の仲間に引き入れた阮小二の妻の救出です」


 宋江は阮小二の妻が、梁中書の手下に攫われたことを説明する。

 明らかに北京長官の職から逸脱した、道理も何もない蛮行に徐寧の顔は怒りに染まっていった。


「……北京の梁世傑といえば将として優秀な手腕をもち、人を見る目もある人物と聞いたが」


「目についた男は部下として大いに取り立て、目についた女は人妻だろうと妾として奪う。まったくとんでもない男でしたね。こんな男だと知っていれば楊志さんに紹介したりしなかったのですが後の祭りです」


「それでどうやって阮小二という男の妻を助けるのだ?」


「簡単なことです」


 そう言って宋江は一度席を外すと、先ほど手紙を持ってきたのとは別の伝書鳩を持ってくる。

 これは公孫勝との連絡用の伝書鳩であった。


「公孫勝さんが北京へ転勤していたのは幸いでした。協力を仰ぎましょう」


 手紙によれば阮小二の妻が攫われたのは、呉用と阮兄弟が会話していた少し前。そして拉致した女を連れている梁中書の手下は移動速度は遅い。

 今から北京にいる公孫勝に伝書鳩を送れば、手下が北京に着く前に阮小二の妻を奪還することができるだろう。




 道を歩く二人の男達。荷車には猿轡をして縛った阮小二の妻が転がされていた。

 男達は有頂天であった。

 梁中書は無類の女好きで、いつも新しい美女を求めている。そして美女を得るため梁中書は全国に自分の手下を散らばせていて、美女探しをさせていた。

 女好きもここまでくると呆れるが、手下たちにとってはどうでもいい。手下にとって大事なのは、梁中書が好む女を送れば大金を貰えるということだけだ。


「――――待て」


 山賊かと思った手下は一斉に剣を抜き、安堵した。

 自分たちの行く手を塞いでいたのは、山賊とは思えない道士風の優男だったからである。


「い、いきなり声をかけるんじゃねえよ! 驚かせやがって」


「俺たちはこれから北京へ行く用があるんだ。道に迷ったなら他所を当たりな」


 通り過ぎようとする手下たち。大金のことしか頭にない手下たちに、道士に構っている時間はない。


「道に迷ったのではない。俺の目的地はここだからな」


「え?」


 何処からともなく吹いてきた鎌鼬が手下の一人の首を跳ね飛ばした。

 首の断面から血が噴出して、なにがなんだか分からないもう一人の手下の顔を汚す。


「う、うう、うわああああああああああああああああ!」


 何が何だか分からないが、本能的に手下のもう一人は目の前の道士が仲間を殺したのであると直感した。

 なにもかも放り出して小便を垂れ流しながら脱兎のごとく逃げる。

 道士風の男――――公孫勝が術を唱えると、周囲に無数の剣や槍が浮かび上がった。そして剣と槍は独りでに狙いを澄ませると、逃げる手下の背中に突き刺さった。


「あっ、ぐぁ……」


 断末魔の嗚咽を漏らし倒れる手下。

 剣と槍にめった刺しにされた死体の一丁上がりだ。ついでに公孫勝はもう一つの首を刎ねた死体にも槍の雨を降らせる。


「これでよし。これで傍からは盗賊に襲われて皆殺しにされたように見えるだろう。盗賊に襲われたなら女は生きたまま連れ帰られるから、死体がない理由にもなる」


 眠らされていた阮小二の妻を荷車から救出する。

 入雲竜・公孫勝。残念なところは多いが術もその智謀も紛れもない『本物』であった。


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