第24話 晁蓋、手紙を送る
阮小七とその幼馴染の仲が無事纏まった後、呉用は阮小五と阮小七を伴い阮家にやって来た。
呉用は阮小二の名を呼ぶが反応はない。家の中はがらんとしていた。
「どうやら小二は深淵に潜みし者達との聖戦に臨んでいるようだな。喜べ智多星! 今宵の汝に捧げられし供物は極上のものとなるであろう!!」
「フッ。日々を思索に耽ったり闇の娯楽に興じて、時をいたずらに過ごす俺たちと違い、小二兄上は真面目すぎるほど真面目な男。漁師としての腕前は、俺たちとは比べるまでもない。期待していてくれ、先生」
「……要するに阮小二は漁に出ていて留守ということでいいのだな」
阮小二が留守ならば仕方ない。
呉用は阮小五と阮小七の誘いで、家の中で酒でも飲んで待つことにした。石碣村の酒はピリッとした独特の辛味があって、苦手とする者も多いが、呉用はこの味が好きだった。これから阮小二を説得しなければならないことも暫し忘れて、阮兄弟と下らない話をしながら酒の味を楽しむ。
「まったく小七。古よりの付き合いある女だか知らぬが、俺と同じ魔星の生まれ変わりでありながら、呪われた女一人御しえぬとは嘆かわしい」
「そうは言うがね、小五兄上。彼女は俺にとって日常の象徴、闇の世界に生きる俺にとっては、仮初の友に過ぎなかったのだ。それがよもや俺の宿業を超えるほどのエモーションを秘めていたとは。この俺にも見抜けまいよ」
「闇は所詮は闇。光に照らされ、払われるが運命か。しかし光とは常に聖なるものであるとは限らぬ。世の中には地を焼き、凡人どもを消し炭にする悪しき極光があることを忘れるな!」
「分かっているさ。覚悟はできている。前世からな。いざとなれば俺の右腕の封印を解いてでも、あいつを守ってみせる」
「やめろ! あれは寿命を縮めるぞ!」
「覚悟の上だ」
「くっ。短命二郎としての呪いだというのか。おのれ悪鬼が!」
「……………………」
阮兄弟と付き合いのある呉用も、流石に解読が困難になってきた。
二人がいったい何を話していて、何と戦っているのかさっぱり分からない。どうしたものかと困っていると、救いの手は差し伸べられた。家の扉がバンッと勢いよく開いたのである。
「おいコラ、馬鹿弟共が!!」
日々の漁仕事で日焼けした肌に分厚い胸板。腕は片手で大の大人を持ち上げられそうなほどに強靭だ。
阮小二。曲者の阮小五と阮小七を纏めるしっかり者の長男坊であった。
「呉先生が困ってんだろうが。身内にゃともかく、余所の……それも目上の相手にはちっとは自重しろや」
「げぇ! 小二兄上!? す、すまん。呉用先生が俺たちに合わせてくれるからつい」
阮小二の剣幕に阮小七はあっさり白旗をあげた。けれどもう片方はそうはいかない。
「ふ、ふははははははははは! 笑止千万だな兄者! 他者の寿命を縮める魔王と畏れられし俺の意思は例え天帝であろうと変えられん! 俺様の心を折るのであれば、言葉ではなく力でねじ伏せるがいい!」
「おう、ねじ伏せてやる。歯ぁ食いしばれ!」
「ぐほぉ!?」
兄相手にも相変わらずの傍若無人さを発揮した阮小五の顔面に、阮小二の拳が炸裂した。どうやら我の強さはともかく、腕っぷしは阮小二が一番らしい。阮小五も弱くはないのだが一発で吹っ飛ばされた。
「小七は馬鹿だが素直なのに、小五の奴は言っても聞かねえのがなぁ。すまねえ先生。うちの兄弟が迷惑かけちまって」
「私のことなら気にしなくて構わない。私も未知の言語との接触は楽しいからね」
「ありがとうございます。詫びがわりに飯でも食べてって下さい。活きのいい魚が獲れましたから」
そう言って阮小二が網の中にいる魚を見せる。
つい少し前まで湖で泳いでいたであろう魚は、身がよく肥えていて食いごたえがありそうだった。焼いて塩をまぶして食べても、刺身にタレをつけて食べるのもきっと極上だろう。
普段なら呉用も狂喜して食事をご馳走になるところなのだが、今日はそういうわけにもいかない。
「阮小二。実は今日は君達兄弟に話があってきたんだ。魚の前に話をしても大丈夫だろうか?」
付き合いの長い阮小二は、呉用の声音から持ってきた話の重大さを察した。
「分かりました。少々お待ちを」
阮小二は魚を台所へ片づけると、服を着替えて戻ってくる。そして呉用と阮三兄弟の三人で庵を囲んだ。
そこで呉用は気付いた。家にいないのは阮小二だけではなかった。いつも家にいるはずの阮兄弟の母がいない。
「阮小二。ご母堂はどうしたのだね?」
「………………」
「阮小二?」
「母さんは、死んだ」
阮小二が絞り出した言葉に、呉用は絶句した。
呉用が前に阮家に来たのは一年以上も前のことである。その時に見かけた阮兄弟の母は建康そうで、とても死ぬようには思えなかった。
病気ではない。もし病気であれば阮小二がここまで悔しさを滲ませるはずがなかった。だとすれば、
「……まさか殺されたのか?」
「似たようなものさ」
阮小七が吐き捨てる。目が少し目が潤んでいた。
「呉用先生は梁中書って知ってるか? 北京大名府の長官だ」
「あ、ああ」
自分たちがこれから生辰綱を強奪しようという相手の名前だ。知らないはずがない。
「では彼奴が性質の悪い性欲の権化で、自分の手下に美女を探させては、無理やりに己の妾にしていることは既知か?」
「……それは知らなかった」
阮小五の眉間には青筋が浮かび上がっていた。おふざけなどではない。本物の怒りと殺気とが滲んでいた。
母の簪を質屋に売り払う不良息子だが、例え悪ぶっていても肉親への情愛は兄と弟に劣るものではないのだろう。
「母さんはこのあたりじゃ一番の美人だって評判だったから、目をつけられたんだろう。
強引に妾として連れてって……俺達兄弟のところに帰ってきたのは母さんの遺骨だけだ。それ以外はなにも……着ていた服すら返ってこなかったよ。訴えても相手が北京の長官じゃ勝ち目なんて最初からない」
「小二兄者は『奴が母の葬式に来て涙を流したなら』それは愛情があったということだから命だけは見逃すと言った。だが奴は涙を流すどころか葬式にすら現れなかった! その瞬間、奴はこの俺達三兄弟が命を賭けても殺す仇敵となったのだ!」
梁中書への憎悪を露わにする阮小七と阮小五。それに無言で頷く阮小二。
彼らの梁中書への憎しみは本物で、疑うべきところはなにもない。ここはへんに試すようなことはせず、単刀直入に本題を切り出すべきだろう。
「阮小二、阮小五、阮小七。実は私の持ってきた話も梁中書絡みのことなんだ」
「詳しく聞かせてくれ」
「奴は義父である蔡京に10万貫の生辰網を贈ろうとしている。劉唐という男が、それを強奪してやろうと晁蓋殿に話を持ち掛けてきてね。
私もこの義挙に加わろうと思うのだが、私の考える策を成すには人手が足りなくてね。君たちを誘いにきたのだ。やるか?」
「願ってもない! ようやく退屈な微睡から覚める時がきたか! なぁ小五兄上 小二兄上!」
「奴を殺す計画ではないのは残念だが、奴に一泡吹かせるためであれば無論協力しよう! 智慧多き星の使いよ。やはり貴様は俺達に眠る魔を呼び起こす角笛だったか!」
阮小七と阮小五はあっさりと了承した。残るは阮小二である。
腕を組み考え込む阮小二。阮小二は阮小五や阮小七と違い既婚者で子持ちだ。この家から少し歩いたところに、自分の家を別に持っている。それが阮小二を縛っていたのだ。
長い沈黙を破ったのは、蹴破られた扉の破壊音だった。
「呉先生! 大変だ、一大事だぜ!」
飛び入ってきたのは赤髪の野党風の男、劉唐であった。
阮小二が反射的に立ち上がって劉唐を威嚇する。
「なっ! いきなり入ってきて誰だテメエは!?」
「落ち着け。彼がさっき話した劉唐で、そして――――」
「俺が晁蓋だ」
劉唐の次に堂々と姿を見せたのは晁蓋。
とても田舎の保正とは思えない、まるで何千人もの兵隊を統率する将の風格に阮兄弟は息を呑む。
「本来であればゆっくり酒でも飲みかわしながら友好を温めたいと思っていたが、そういうわけにもいかなくなった。
つい先ほど俺のところに白勝というチンピラが駆け込んできてな。なんでも梁中書の子分が、阮小二なる者の妻を連れ去るところを目撃したそうだ」
「なに!? 妻は無事なのか! どうなんだ、答えろ!!」
よっぽど妻を愛しているのだろう。取り乱した阮小二が晁蓋に詰め寄ろうとする。
それを制したのは意外にも末っ子の阮小七だった。
「気持ちは分かるが落ち着け! いつも冷静な小二兄上が取り乱してどうするんだ! 晁蓋殿に詰め寄ったってなんの解決にもならないだろう!」
「っ!」
末っ子の阮小七に諭されたことで頭が冷えた阮小二がへなへなと座り込む。
そんな阮小二には悪いと思ったが、呉用は淡々と自分の推理を話し始めた。
「晁蓋殿。目的が目的なだけに直ぐに殺すようなことはまず有り得ないでしょうが、梁中書には前科があるそうです。なるべく早く救出しなければならないでしょう」
「助けるのに協力してくれるっていうのか? まだ俺は呉先生の計画に参加を了承したわけでもなかったのに」
「10万貫など奪おうと思えばまた機会もあろう。しかしお前の妻はここを逃せばもう一生取り戻せないかもしれないのだ。どちらを優先させるべきかはわかり切っておろうが」
晁蓋は迷いなく言い切る。阮小二はこの時、どんなことがあろうとも一生晁蓋と呉用の二人についていこうと決めた。
「呉用。仮に生辰綱の強奪は中止にして、俺達全員で救出に動けば、救い出せると思うか?」
「難しいですね。北京にある梁中書の屋敷から救出するとなると、北京に精通し顔が利く人間も必要になるでしょうし、万全を期すためならもっと情報を集めたい」
「それでは時間がかかりすぎる! 先生、他に義姉上を救う策はないのか?」
日頃の傲慢さはどこへやら。阮小五は冷や汗を流しながら、縋るように言った。
呉用は顎に手を当てて考え込む。そして天啓のように閃く名前があった。
「策ではないが、協力してくれそうな人間には心当たりがある」
「その人間とは一体誰なんだい?」
「及時雨・宋江」
宋江の名前を出した途端、場が静まり返った。
托塔天王・晁蓋、玉麒麟・盧俊義、小旋風・柴進。この三人と肩を並べる宋国の大人物の名前が出てきたのだ。当然であろう。
「宋江っていや今じゃ絶滅危惧種の良い官僚らしいが、所詮は官僚だろ。俺みてえな漁師の妻を助けるために骨を折ってくれるとは思えねえが」
「いや。これは証拠などない私の推理にすぎないが、宋江は王進の梁山泊入りを誘導していたような節がある。林冲の起こした一件にもなんらかの接触をした気配があった。もしかしたら……」
「宋江というのは義人であるという評判だ。どのみち我等だけでは無理なのだ。ここは賭ける他あるまい」
呉用と晁蓋が言うと阮小二も納得した。
二つの巨星の運命が、交わろうとしていた。




