第22話 阮小七、愛に目覚める
首尾よく阮小五を仲間に引き入れた呉用は、その足で阮家に向かった。次に口説き落とすべきは阮家の長男坊である阮小二である。
末っ子の阮小七はお調子ものだ。説得しないでも向こうから参加を希望するだろう。だが阮小二は癖の強い阮家を纏めているだけあって、しっかりもので唯一妻帯者でもある。彼を引き入れることが出来れば一番頼もしいが、仲間に入れるのに一番苦労すると呉用は睨んでいた。
だが物事とは予定通りに進まないものである。
「やや! そこにいるのは呉用殿! 我が師・呉用殿ではないか! それに魂の兄弟たる小五兄も! 丁度いいところにいてくれた! 助けてくれ!!」
阮小二に会いに行くはずが、途中で顔を真っ青にした阮小七に助けを求められてしまった。
呉用は嘆息する。こうなっては仕方ない。阮小七を助けて、そのまま仲間に誘うのが吉である。阮小二は最後に回せばいい。
「やあ阮小七。助けるのは構わないが、なにから助ければいいのか教えてもらわねば分からんよ。なにがどうしたというのだね?」
「『奴』だ」
「いや『奴』と言われても」
「……! 小七! 閻魔の如き狂気をもつお前を、追い詰める者……まさか『奴』なのか!?」
どうやら阮小五のほうには心当たりがあったらしい。流石は兄弟だ。
「そうだ。俺が周囲の人間を巻き込まないため裏社会の闇軍師という身分を隠して、一般的な漁師に成りすまし潜伏しているのは知っての通り」
(いや知らないがね)
「しかしその潜伏任務中に『奴』……女との間で問題が発生してしまったのだ。フッ。高祖劉邦、覇者曹操など英雄たる者は女で痛い目を見る運命。俺もまたその宿命からは逃れられなかった、か。まったく、やれやれだ。たまに俺の宿命を呪いたくなるよ」
「要するに女性関係で問題を起こしたのだな。なにをした? 凡俗の私に分かりやすく簡潔に教えて欲しい。さもないと帰るぞ」
「い、いやぁ。あはははは。昨日娼婦を抱いたことを幼馴染の女友達に話したら、突然怒り出してしまって」
「狂気ではなく色香に囚われたか。我が弟ながら未熟」
思ったよりもくだらない内容で良かった。阮小五も自分も問題の常習犯であることを棚に上げて呆れていた。
阮小七は今にも土下座しそうな勢いで呉用に頭を下げる。
「頼む! 小二兄上にばれたら説教されるし、小五兄上と呉先生だけが頼りなんだ。なんとかしてくれ!」
阮小七は三兄弟で一番お調子者で世渡りが上手い。責任感が強い阮小二や傍若無人な阮小五なら、よっぽどの事がない限り他人に助力を求めず、自分で解決しようとしただろう。
だが阮小七は自分で解決できなさそうと分かるや否や、すぐに他人に助けを求める。これはこれで一つの長所だった。
「分かった分かった。私が説得してみよう」
「恩に着ます先生!」
呉用は阮小七を追っかけてきた幼馴染の女性に立ち塞がると、まず彼女のほうからも事情を聞いて事の次第を把握する。
どうやら彼女は本当にただの幼馴染で、阮小七とは男女としての交際はないらしい。阮小七にそれとなく思いを寄せる幼馴染と、鈍感でその思いに気づいていない阮小七。そういう人間関係が呉用の中に浮かび上がった。
「私はあいつのことが好きなのに、あいつったら私に昨日抱いた娼婦は美人だっただの体の相性が良かっただの。それでつい頭がカッとなって」
「君の気持ちは分かる。たしかに密かに思いを寄せる相手が、別の女を抱いたことを語るのは気分がよくないだろう。異性相手にそんなことを言う阮小七の無神経さも悪い」
「で、ですよね!」
「だがそれで暴れだして追い掛け回すというのは、明らかに君が悪い。君自身の内心はどうあれ、阮小七と君は『今のところは』夫婦でもなんでもないただの友人同士なのだからな」
「……はい」
幼馴染の女性は呉用がこんこんと道理を説くと借りてきた猫のように大人しくなった。第三者からの説得を受けて、怒りで茹っていた頭が冷えたのだろう。
彼女は阮小七のところへ歩いていくと、
「今日はごめんなさい阮小七。私が悪かったわ」
「あ、ああ。分かってくれたらそれで……」
「でも私ってそんな良い人間じゃないの。好きな人が娼婦を抱いたなんて話聞いたら、嫉妬しちゃうわよ」
「え!?」
「じゃあね。……こんなこと嫌だから、せめて私にはそういう話をしないで」
「ま、待ってくれ! おい!!」
走り去っていく幼馴染の女性。手を伸ばす阮小七。だが伸ばした手は空を切り、彼女は走り去ってしまう。
呆然とする阮小七の肩に、呉用は手を置いた。
「君が選びたまえ。追うか、追わないか」
阮小七は今度は縋るように兄の阮小五を見る。阮小五はなにも言わなかったが視線が『後悔だけはするな』と告げていた。
悩んでいたのは時間にすればほんの数秒であっただろう。しかし阮小七という男にとっては永遠のように長い数秒だった。
「先生、小五兄上。俺、追うよ。本当に大事なものってやつが、分かったような気がする」
そう言って阮小七は走り出す。
この日、世界に新しい愛が芽生えた。




