第2話 宋江、都へ向かう
宋江が食客集めを始めてから早数年。噂が噂を呼び、いつの間にかその数は4000人にまで達していた。
宋家村の発展とともに持て余すほど大きくなった屋敷であったが、食客のために住む場所を用意したがために、随分と狭くなってしまっている。
屋敷の大部分と莫大な財産を費やしはしたが、得たものも多い。それは安道全や皇甫端という人物でもあるし、名声でもある。
滄州の気前のいい成金程度の評判だった宋江の名は、この数年間であの柴進にすら迫るほど大きくなっていた。
「四千人もの人間が一か所にいると、毎日がお祭り騒ぎみたいに賑やかですね。食客の中にはガラの悪い人間も多いですから、揉め事も絶えませんし」
食客たちの仲裁役もこなしている宋清の目の下には隈ができていた。
「おや。清は私のしていることに反対ですか?」
「あ、いえすみません。別に兄上に逆らおうだとかそういう気持ちはまったく……」
慌てふためく宋清に、宋江は嘆息した。宋清は自分のことを逆らってはならぬ超人かなにかのように見ている節があるが、そんなことはない。兄弟としてもっと気安い関係でいたいと宋江は常々思っていた。
「別にいいのですよ反対しても。この世には盲目的忠誠が必要とされる関係というものもあります。けどそれは兄弟に適用するべきものではないでしょう。血を分けた二人っきりの兄弟なんですから。不満があれば遠慮なく言っていいのですよ」
「いえ、本当に反対しているのではないのです。食客の仲裁は大変ではありますが、遣り甲斐も感じていますし。安道全や皇甫端は発想が独特で、話すのを楽しいとも思っています。ただ兄上の意図がどのあたりにあるのか、それを掴みかねているのです」
宋江はまず父の宋太公に助言することで、莫大な富を築き上げた。次に4000人近い食客を集め、安道全などの一芸に秀でた士を抜擢した。
また韓滔将軍は敢えて取り込まず恩を売ることで、官軍にもコネを作った。
「教えてください兄上。これだけのことをして兄上は何をなさろうというのです?」
「分かりました。貴方には私の目的を言っておきましょう」
ごくり、と宋清は生唾を飲み込む。気分は天下三分の計を聞かされる劉備玄徳である。
曹操とその息子のように王朝を簒奪するのか。はたまた劉備のように王朝の守護者たらんとするのか。
果たして宋江の答えとは。
「地元での名声が高かったほうが、就職とか出世で有利と思いません?」
「……は?」
想像していたのとまったく正反対の解答に、宋清は唖然とする。
冗談か? そう思って兄を見るが、宋江は至極真面目な顔であった。
「あの。もしかしてそれだけですか?」
「寧ろそれ以外のなにがあるんですか?」
「え、えーと忠義双善の旗を掲げて汚職官吏や異民族と戦って宋王朝に安寧を齎すとか、替天行道の書を執筆して同志を集めて腐敗した宋王朝を打倒するとか。
兄上はそういう大きなことをやろうとしているのではと思っていたのですけど」
「はははははははっ。私を笑い殺す気ですか、清。ですが中々ユニークなお話でしたよ。特に後者なんて900年後の異国でベストセラーになりそうですね。
清。貴方もしかしたら講談師の才能があるかもしれませんよ?」
「乱れた国を救いたいとかいう義侠心や、陛下の心を安んじたい忠誠心とかは?」
「腐敗しきった役人や大臣に苛立つことはありますが、自ら挙兵して云々とまでは思いませんねぇ。私は人より豊かにそれなりの贅沢をしつつ、平和にすごせればそれで十分です」
「兄上……」
宋江は偽りのない本心を語ったつもりだったのだが、あんまりといえばあんまりな内容に宋清の思考回路は盛大な勘違いを始めていた。
(そうか! いくら我が家といえど人の目と耳はどこに潜んでいるか分からぬもの。今は雌伏の時! それまで大志は胸に秘めておく……そういうことなのですね、兄上!)
勿論そういうことではない。
宋清の中で今や気宇壮大な野心をもちながら、それを秘める慎重さを併せ持った大器の持ち主となっていた。
(面接で食客4000人集めたっていったら加点されますかね。官僚になってそこそこ出世した後は、適当なところで引退して故郷で名士としてのんびり過ごす。子供は四人くらいで男の子と女の子が半分ずつ。そういう未来も悪くないかもしれませんね)
そして弟の中の自分が途轍もない大人物になっていることなど気づかず、宋江はどこまでも俗な未来図を描いていた。
「というわけですので清。私は科挙のため都の開封府へ行こうかと思います」
科挙というのは宋王朝が採用している官僚採用試験である。
高級官僚への登竜門にして最難関。倍率は軽く千倍を超えるほどで、これに及第(合格)すればその代での栄華は約束されたも同然だ。
逆にいえば後継者が科挙に及第することができなければ、どんな名門も権力を維持できないということでもある。これは貴族階級の権力の独占を防ぎ、皇帝の独裁的権力を高める効果があった。
「科挙ですか。これに及第するには書物を何冊も丸暗記するくらいの知識が必要ですが、兄上の才をもってすれば及第も容易いでしょう」
「ええ。けどただ合格するだけでは面白味がありません。やるからには成績一位の状元を狙いますよ!」
「状元……ハッ! そういうことですか兄上!」
科挙の最終試験である殿試の試験官は皇帝である。これは成績優秀者を皇帝が選ぶことで、将来の宰相候補に忠誠心を植え付けるためだ。
春秋戦国の頃ならいざ知れず。宋王朝の時代に皇帝に『会う』だけでも庶民には大変なことだ。だが科挙に及第し殿試まで進めば、確実に皇帝と会うことができる。
(兄上は科挙を通じて、この国の皇帝を見極めようとしておられるのだ! なんたる深慮! 私の想像の及ぶところではない!)
間違いである。宋江の考えは浅慮であったし、想像の範囲内だ。
なまじ能力がずば抜けて高く実績が凄まじいことが、完全に宋清の目を曇らせていた。
「承知いたしました兄上! この清、兄上の志を成就するため粉骨砕身で尽くさせて頂きます!」
「そんなにまで私の合格を祈ってくれるとは、私は兄思いのいい弟を持ちましたねえ。 では清は老いた父上にかわって保正としての仕事や食客の皆さんのお世話を頼みますよ。
既に私以外が一番上じゃなくても回る仕組みはつくってますが、貴方がやってくれるなら、毛ほどの心配もありませんからねえ」
「はっ! 命に代えましても!」
「いやいや。代えなくていいですから。普通に頑張ってくれれば十分ですからね?」
勘違いしきった宋清と四千人の食客に見送られて、宋江は宋家村を起った。
目的地は東京開封府。大宋帝国の首都である。