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俗物水滸伝  作者: 孔明
16/64

第16話  張青、命乞いをする

「宋家村? 都市並みに発展している村というのは知っているが、場所は知らないな。一度行ってみたいとは思っていたんだが」


 残念ながら李忠は宋家村の場所を知らなかった。あれだけ時間をかけて得たものは弟子一人、振り出しに戻ってしまった。

 どうしたものかと悩む林冲に、弟子入りしたばかりの李忠が口を開く。


「案ずるな師匠。俺に良い案がある。あれを見ろ」


 そう言って李忠が指さした場所を見ると、だいたい1㎞ほど先にポツリと一軒家があった。

 ただの民家のようにもみえない。恐らくは居酒屋だろう。


「居酒屋、か」


「そうだ。居酒屋なら材料の仕入れなどのため、宋家村のようなでかい村への行き方くらい知っている筈だ」


「なるほどな」


 李忠の言葉には納得できるものもあるし、他に当てもない。意を決して林冲は居酒屋へ行ってみることにした。

 歩いて十分ほど。遠目からだったのでぼんやりとしていた居酒屋の全体像がはっきりと映ってきた。

 恐らくは普通の民家だったものを改築したものなのだろう。家の素材に古いものと比較的新しいものが混ざっていた。

 これだけなら別に不審なところは何もないのだが、気になることが一つ。

 美味そうな料理の臭いに混ざって、血の臭いがするのだ。

 鶏でも捌いたばかりなのか、それとも。


「どうしたんだ師匠? 早く入ろう!」


「…………ああ」


 李忠に促されるまま暖簾をくぐる。だが林冲はいつでも剣を抜けるよう神経を研ぎ澄ませていた。

 店内に入ると厚い化粧をした女がやってくる。背が高く美人であるが、危うい色をもった女だった。


「はいはい、おまちどーさま! 二名様ご案内ー! お腹いっぱい食べていってね!」


「お前が女将か。俺達は料理を食いに来たんじゃない。宋家村への道を教えてくれ」


 看板娘らしく愛嬌を振りまく女に李忠が言う。すると女の顔が険しくなり、声から愛嬌が消えドスがこもり始めた。


「おいおい、そりゃないぜ二人さん。ここは居酒屋。道を尋ねるにしてもそれなりの作法ってもんがあるだろうよ」


 要するに道を尋ねる前になにか食ってけと言いたいのだろう。

 それ自体は別におかしいことではない。腹が減っていないわけでもないし、休憩ついでに腹ごしらえもいいだろう。ここが普通の店であるなら、だが。


「そ、それもそうだな。師匠、ここは俺が払いますんで饅頭の一つでも食っていき……」


「李忠、下がってな」


「え?」


 李忠を押しのけると剣を抜く。屋内では蛇矛のような長柄は邪魔だ。剣のほうが良かった。


「喧しいんだ女。さっさと道を教えな! さもねぇと叩き切るぞ」


「へぇ。不躾に道を尋ねて、いざ断られたら剣を突き付けて脅迫? 野蛮な男ねぇ」


「そうだぞ師匠! いくらなんでもやり過ぎじゃ……」


「ハッ! 俺が野蛮だって? ああ確かに上品な生き方はしちゃいねぇから否定しねえさ。だがな、女。そういうテメエは野蛮じゃあねえのかよ」


 女将の表情が更に険しくなる。それが指摘が図星であることを示していた。


「一つ答えな。お前がさっき入荷したって肉。そいつはなんの肉だ? 豚か、鳥か、牛か?」


「――――羊の肉よ」


 ただし二本足の、と但し書きがつくけどね。

 女将の発言に李忠が絶句した。


「双脚羊……つまり人肉か!? なんてこった! こいつ俺達に人肉を食わせようとしてたのか!?」


「やはりな。戦場で嗅いだことのある肉の臭いがしたから怪しいと思ったが正解だったか」


「へぇ。良い勘してるじゃない。アタシは母夜叉の孫二娘。渾名の由来は言わなくっても分かるかしら?」


 母とは母親ではなく女の意味。夜叉とはそのまま鬼。合わせれば女鬼。

 客に平然と人肉を出そうとする女将にはピッタリな渾名だろう。


「女を殺すのは趣味じゃねえが、鬼退治と思えばそうでもねえ。俺はテメエほど悪食じゃねえから虫の餌にでもなってろ」


「いい啖呵ねぇ。けど食われるのはアタシじゃなくてアンタたちだよ。そっちの長髪はあんまり美味しくなさそうだから業務用、美味しそうなアンタは今晩のアタシたちのおかずにしてやるわ」


 孫二娘が色々な肉を解体してきた包丁を構える。

 そして今にも林冲と孫二娘の二人が刃を交えようとした丁度その時。


「やめろ孫二娘!」


 慌てて一人の男が割って入ってきた。


「今いいところなんだから邪魔するんじゃないよ! アンタは奥で包丁でも研いでな!」


「相手を見てから物を言え。お前が今戦おうとしているのは、天下の好漢にして豪傑。あの豹子頭・林冲だぞ」


「林冲って一人で高球に喧嘩売って大立ち回りをしたっていうあの林冲!?」


 男の言葉に驚いた孫二娘は包丁を下げた。こちらへの殺意が雲散霧消したのを感じる。

 それは林冲も同じだった。男の介入のせいで完全にやる気が白けてしまった。


「ったく。頭に血が上って暴走してただけなのが、やけに美化されて伝わってるらしいな。で、アンタはなんなんだ?」


「俺は孫二娘の旦那の張青ってもんだ。非礼は詫びるし、なんなら俺の首もやるから孫二娘は許してやってくれないか」


「ちょっとアンタ! 何言ってるんだよ! アンタの命で助かってもうれしくないよ!」


「静かにしてろ孫二娘。俺は林冲に話している」


「…………妻のために命を差し出す、か」


 林冲がその気になれば張青と孫二娘が二人がかりでも、目をつむったまま返り討ちにできる。

 それを張青も分かっているだろう。全て分かって林冲と孫二娘の間に割って入ってきたのだ。奥に引きこもったまま身を潜めることも、一人で裏口から逃げることもできただろうに。

 その張青の態度は図らずも林冲という男の、最も弱い部分を的確に突いていた。


「分かったよ、許してやる。よくよく考えりゃ喧嘩を先に売ったのはこっちだしな。そのかわり宋家村までの道を教えてもらうぞ」


「それならお安い御用だ。あと少しだが水と食料を持っていくといい。せめてもの詫びだ。あ、これは普通の肉だから安心してくれ」


「やけに親切だな」


「俺は好漢を名乗れるほど立派な人物じゃないが、好漢たちに憧れている者の一人ではある。豹子頭・林冲のためなら全財産差し出したって惜しくはないね」


「全財産差し出したらどうやって生活するの? アタシも家計を支えるために、追いはぎして殺した役人や悪党を処理ついでに食材にするとかで、必死のやり繰りしてるんだからもっと考えて行動してよ。好漢助けて心は膨れても腹は膨れないのよ」


「追いはぎとか人肉とかの要素がなければ共感できるんだがなぁ」


 李忠は意外とみみっちい孫二娘に複雑な視線を送っていた。

 林冲は嘆息しながら張青に話しかける。


「人の色恋に口出しすんのは野暮だが、お前等なんで結婚したんだよ」


「気が合うんだよ。つまらない世の中もこいつといると少し面白いと思えるんだ」


 にやりと笑う張青に李忠は「まともに見えたけどこいつも結構イカれてるな」と思った。

 一方で林冲は納得する。倫理観は破綻しているが、真っ当な感性をした孫二娘。倫理観はあるが、感性が破綻している張青。結ばれるべくして結ばれた夫婦といえるだろう。


 こうして張青から道を教えてもらった林冲は、宋家村へと向かった。

 そして同時刻、宋家村近くにて。


「豹子頭・林冲……懸賞金7000貫か」


 顔に青痣のある剣士が、手配書を見ながら目を細めた。


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― 新着の感想 ―
[一言] R15指定という事で残虐描写は幾分マイルドになるかと思っていましたが、ここでの人肉料理御馳走シーンはそのままでしたか。
[一言] 青痣の剣士 いったいどこの青面獣なんだろうか
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