表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俗物水滸伝  作者: 孔明
12/64

第12話  陸謙、悔恨する

 陸謙は武挙を及第したエリート武官だ。現在は殿帥府副官にまで出世し、このままいけば将来は安泰だろう。

 そして陸謙は林冲とは子供の頃からの友人でもあった。林冲が結婚する前までは、何度も家に招いたり招かれたりしたほどの付き合いである。

 だが獅子の友が獅子とは限らない。陸謙は林冲と比べれば、能力はともかく心が凡庸だった。

 高球という巨悪が目の前に現れた時、陸謙は――――おもねった。媚び諂いご機嫌を伺い、賄賂を贈って将来の安泰を得たのである。

 高球に諂う度に心が汚れていっているのが陸謙には分かった。かといって高球に歯向かう勇気もなかったので、


『世の中が腐っているんだから、自分が腐るのはしょうがないことだ』


『自分は悪くない、悪いのは高球だ』


 そうやって自分に自分を弁護させていた。

 遂には高球の命令に従い、林冲の妻である張貞娘を攫うほど落ちぶれてしまった時、陸謙は己が何者か分からなくなってしまった。


「高球様。逃亡中の林冲より奥方様を拉致したという手紙が届きました。林冲は互いの人質交換を求めています」


 陸謙は高球の屋敷に届いた手紙の内容を、上司である汚染の発生源に報告した。


「一時は俺の思い通りに暴れてたのにいきなり知恵働かせやがって。面倒くせぇことしやがる」


 美々しい顔と肉体をもつ、見た目だけは芸術品のような青年が吐き捨てる。

 だが中身は肥大化した自己愛と利己の化身だ。


(私といい中身が薄汚いほど、外面を飾るのが得意になるのだな)


 陸謙は心の内で自嘲した。


「どうされますか、高太尉。林冲はやると言ったことは必ず実行する男です。このままでは奥方の命はありますまい。ここは張貞娘を返すのが得策と考えますが?」


「……妻の命が人質にとられたんじゃしょうがねえ。あんな女、他にいくらでも漁りゃいいんだ。返してやるよ。どのみち林冲はもう犯罪者、この宋国に生きる場所なんざねぇことだしなぁ」


(これで無事に張貞娘は戻れる。良かった)


 ほっとしている自分に陸謙は驚く。自分にも雀の涙ほどの良心が残っていたのだと。

 しかし陸謙は自分の上司の邪悪さというものを過小評価していた。

 安心する陸謙をあざ笑うように高球が口元を三日月にする。


「ただまあ無料で返してやるのは、勿体ねえよなぁ」


「――――え?」


 この時、張貞娘が軟禁されている部屋に向かっていった高球を斬ってでも止めなかったことを、陸謙は生涯後悔し続けることになる。




 張貞娘を監禁している部屋に入るや否や、高球は縛っていた張貞娘を押し倒した。

 手始めに剣を抜いて着物を切り裂き、そこで悲鳴がないと物足りないと思ったので猿轡をとる。瞬間、ぴちゃりと高球の頬に唾液が飛んだ。心の底から見下す目で、張貞娘が唾を飛ばしてきたのである。


「浅ましい男、権力を傘に着ないと女一人を押し倒す勇気もない卑怯者!」


「いいねぇ」


 張貞娘に侮辱された高球は笑みを深める。もちろん貶されて喜んでいるわけではない。こういう気の強い女が強引に組み伏せられ、泣きわめく様を見るのが高球はたまらなく好きなのだ。


「その面、犯し甲斐があるってもんだぜ」


 張貞娘に覆いかぶさった高球は張貞娘を欲望のままに蹂躙する。しかし張貞娘は気丈にも、叫び声一つあげずに高球を睨みつけるだけだった。

 その反抗的な目が余計に高球の情欲を刺激する。この女をもっと汚し尽くし壊し尽くして、台無しにしてやりたいと思った。

 一瞬高球の脳裏に林冲に囚われた自分の妻の顔が浮かんだ。人質交換を成立させるためには、張貞娘を壊しきるわけにはいかない。一度犯して遊び、それで陸謙に持っていかせるつもりだった。だが高球の欲望は膨れ上がり、もう抑えがきかなくなっていた。

 張貞娘を壊しきれば、林冲は報復に自分の妻を殺すだろう。それがどうした。


「まあ……妻なんざ……いくらでも……新しく娶れば……いいよなぁ」


 高球は引き出しの奥にしまった袋から丸薬を取り出す。

 一粒でも飲めば人智を絶する快楽で人格を吹っ飛ばす麻薬だ。それを五粒、高球は張貞娘の口に強引にねじ込んだ。


「あっ……あぁ……!」


 反応はすぐに表れた。張貞娘の体がびくんっと魚のように跳ねる。

 そして本当の地獄が始まった。




 翌日。陸謙が見たものは、林冲の妻だったものの残骸だった。


「なんだ、なんだこれは……」


 言葉にすることすら憚れる凌辱と暴力でぐちゃぐちゃになった張貞娘。陸謙は自分の立っていた大地が消失したような感覚を覚えた。

 顔面が蒼白になり、開いた口が塞がらない。無事か、という言葉も出なかった。


「よう陸謙! いやぁ。非合法の薬物を使いながらヤるのは別格だなぁ。三日分はやったのに顔のにやけが止まらねえぜ」


 全裸の高球が水をがぶ飲みしながら笑顔で陸謙を出迎える。


「あ、そうだ。それまだ生きてるか?」


「……それというのが張貞娘のことであるならば、息はあります。あるだけですが」


「人質交換の間まで生きてればいいんだよ。それじゃ陸謙、煩わしいことはお前がやっておけ。

 あともし林冲がとち狂って俺の妻に危害を加えられていたらお前の責任だからな。処分が嫌ならまた新しいオモチャを確保しときな」


(責任……そうだ。これは全て私の責任だ。林冲の友でありながら、彼を裏切り、高球などという愚物に媚びを売った。小人とは私のような男を言うのだろうな)


 自分の命より大切な妻を、破壊され尽くして林冲は高球の妻を報復に殺すだろう。陸謙のことも殺すはずだ。

 それでいい、と陸謙は思った。自殺する度胸すら、陸謙にはなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 「俺の妻や養子に危害を加えてたら…」 >この話の中では養子の方は拉致されていなかった筈ですが。 [一言] 徽宗(女)の寵愛を得ているという事からしても、高球が相当な美男子というのは納得…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ