第10話 さぁ……如何しますか? と言われても……
雪が降りしきる中、九十九里は見知らぬ雑居ビルの屋上にいた。
テニスコート二つ分程の広さを、頼りない鉄柵が囲んでいる。
その中央に巨大な室外機が忙しなくファンを回していた。
遠くに目をやると、有名な観光スポットのタワーが見える。
その位置から大凡推察するに、九十九里がいる場所は自宅アパートから然程離れてはいないようだ。
だが状況は芳しく無い。
彼の目の前には悪魔がおり、味方であるハチワレ猫と引き離されてしまう。
「どうですか? 九十九里さん。彼女を救う手立てはお分かりになりましたか?」
訊かれて九十九里は、風間を睨む。
「春野小雪は……ハルなんだろ? 昔、俺が飼っていた猫のハルなんだろ? 風間……お前は知っていたんだな?」
風間はニヤリと笑い、それを見た九十九里は確信する。
だが猫又少女の正体が分かった所で、当の本人を救う手立てはおろか、自身の魂を救済する術が分からない。
このままでは二人とも風間に命を奪われてしまう。
「ハルは……小雪はどこだ?」
「彼女は今、逃亡中です。どうやら人間に化けていた事が、地区の管理人にバレた様ですね……」
「管理人? ……バレた?」
「我々、人ならざる者を管理する怪物……それが管理人です。的井巌十郎もその一人……いえ一匹ですよ」
九十九里は話をうまく飲み込めない。
戸惑いをみせる彼に、風間は説明する。
「詰まる所、お役所ですよ。区役所のように、区内に住まう人外を管理し、警察のように法を犯す者を拘束するのです。場合によっては刑を執行する事もある……。ユキさんは管理人に内緒で人間に化けていたのです。それがバレて、現在逃走を……。」
途端に九十九里の表情が変わる。
刑を執行する権限を持つ者が、ユキを追跡している……
人外世界の役所とやらがどのようなものか、その詳細は分からない。
しかし、どうやらユキは非常に不味い立場にいるようだ。
「ハチは!?」
「的井さんもユキさんを追っています。……もっとも、彼はユキさんを助ける為に追跡してます。心配せずとも間に合いますよ……彼女は無事でしょう……」
*◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*
ユキは繁華街の路地裏を走っていた。
愛らしい猫耳を伏せ、毛羽立った太い尾を弓形にカーブさせながら、女子高生姿で逃げ惑う。
隣接するビル同士の壁を、左右の足で交互に蹴り上げながら、華麗な跳躍で上昇する。
ビルの間を抜けた瞬間、宙返りをして、片側屋上に着地を決めた。
しかし見事な逃走も、管理人である男の前では無意味だった。
ユキが屋上に着いた途端に、無数の触手が彼女の体に巻きつく。
蛭に似た触手は、ユキの自由を奪い、彼女はその場に倒れてしまう。
「観念するんだ! ユキ!」
青い繋ぎの作業着姿の男はそう言った。
対してユキは無言で首を振る。
ユキが言葉を発しないのを男は訝しむ。
「何故、何も喋らない……何故、説明してくれないんだ? たった一言でも……何か言ってくれたら……こんな……」
男は悔しそうに口を噤む。
彼はユキの味方でありたいと思っていた。
しかし、ルールを逸脱したユキは処罰の対象だ。
管理人として……ユキを罰する必要に迫られ、彼は身を裂かれる思いで触手でユキを締め上げる。
(このまま、気絶させて……連行するか)
男がそう思っていると、何かが視界の端を横切った。
一瞬それに気を取られた所で、今度は別の何かが、男の足に飛び掛かる。
「!?」
見るとそれはぶち柄の野良猫だ。
そいつが男の足首に爪と牙を立てて、毛を逆立てながら怒っている。
「……おい。これはどう言う事だ? 的井……お前の仕業だろ?」
屋上に出現した猫は一匹ではなかった。
地上からビルの登れそうな箇所を伝って、続々と野良猫達が集まって来る。
猫達は男を取り囲み、巨大な蛭に拘束されているユキの周りにも集った。
猫達はうなり声をあげ、男からユキを庇うようにして威嚇する。
「俺だって……何も好きでこんな真似してんじゃねぇよ!!」
苛立ちながら叫ぶ男。
するとそこへ……
人の背丈程の影が、ユキと同様にビルとビルの間を駆け上がってくる。
影は屋上に到達すると、男の前に立ちはだかり、ユキを背に隠す。
それは巨大なハチワレ猫だった。
体つきは人に酷似しているが、顔は猫そのものだ。
「邪魔するな的井!」
男に呼ばれてハチワレ猫は言う。
「待って下さい! ユキ君を連れて行かないで下さい!」
「……お前……知ってたんだろ? 力を封じられてる筈のユキが、人間に化けている事を……」
「……」
指摘され的井は言葉を飲み込んだ。
言い訳など不要だ。
男は的井の裏切り行為に気づいている。
「……通報があったんだ。人間にちょっかいをかけている猫又の娘がいるってな……確認しに来てみれば……なんてこったい……ユキじゃねぇか……。的井、お前なんで教えてくれなかったんだ?」
怒りと悲しみの色を滲ませ、男は的井を見つめる。
だが的井はそれよりも、男が発言した【通報】の二文字が気になった。
「通報? 誰から?」
男は、的井の口から謝罪の言葉が無い事に失望しつつも、答える。
「……風間とか言う、流れの悪魔からだ」
「風間!?」
「知り合いか?」
「ユキ君を人間にしたのはソイツだ!」
「なんだと!? どう言う事だ!! 説明しろ!!」
2人のやり取りを聞きながら、ユキは風間に嵌められた事実に驚愕する。
彼女の脳裏に真っ先に浮かんだのは、他でもない九十九里だ。
九十九里に危険が迫っている……直感的にそう思った。
*◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*◇*
一方、九十九里は決断を迫られていた。
ユキが交わしたと言う契約の期限が刻々と近づいている。
このままではユキは死に、次いで、九十九里自身にも何らかの影響があるかも知れない。
迷えば迷った分、後手にまわるのは必至だ。
それでなくても、この状況は圧倒的に九十九里にとって不利だった。
(やるしかないのか……でも……)
決断するには懸念材料が多すぎる。
風間によれば、頼りのハチはユキの救出に向かったらしい。
(しかし……この状況下でのタイミング……)
九十九里は指摘する。
「風間さん……管理人とやらにユキの事を密告したのは貴方ですね?」
風間はにっこりと微笑む。
九十九里は「やはり」と思った。
ハチがいれば、九十九里が千里眼を使うのを止めた筈だ。
おそらく、九十九里に千里眼を使わせる為に、ハチを引き離したのだろう。
そうまでして使わせたい理由は何か?
使えば、契約内容が明らかになる……
使えば、九十九里は人の領域から遠ざかる……
そのメリットとは?
(契約内容を知る事で、俺に何か影響があるのか? 風間にとって都合の良い影響が……)
九十九里は以前請け負った依頼を思い出す。
それは、ある故人の遺言書の開示した時の事だ。
その故人には2人の娘がおり、1人は後妻の連れ子だった。
義理の姉妹の仲は悪く、連れ子だった娘はずっと、自分は義理の父親から愛されていなかったと思い込んでいた。
対して実の娘は「そんな事はない。父親は平等に愛情を注いでくれていた」と主張する。
始終がそんな調子で、遺言書を開示する時も、義理の娘は「きっと私の取り分は少ない筈よ」の一点張りだった。
生前の故人がどのように娘達と接していたか、知るよしもない九十九里は、否定も肯定も出来ず、かなり気まずい雰囲気の中で仕事をしたのだった。
せめて遺言書の中身を知っていれば、何かが違っていただろう。
しかし、遺言書作成に関わったのは九十九里ではない。
作成に携わった弁護士は、不運にも身体を壊し、現在は長期入院中だ。
仕方無しに、遺族は九十九里に依頼をしたのが経緯だった。
そんなこんなの、ぎすぎすした空気に気圧されながら、九十九里は遺言書を開示する。
すると……遺言書には意外な事実が記されていたのだ。
なんと、実の娘だと思っていた娘は、故人と何の血の繋がりも無い特別養子だったのだ。
そして遺産も、2人の娘に分け隔てなく残す旨が記されていた。
それを知った瞬間の連れ子の間抜けな顔を、九十九里は今でも鮮明に覚えている。
後日談として、姉妹は和解に至り、今では2人でよく出かけるようになったと言う。
一つの真実が、人の心を変えたのだ。
この話はある種の教訓である。
風間は、九十九里が千里眼を使い、真実を知る事で何かが変わる事を期待している……
九十九里にはそう思えた。
仮にそうでれば、九十九里の心情が変わらざる得ない真実があると言う事だろう。
それは……
(……ユキを救う手立てか?)
風間は何度もソレを仄めかしていた。
つまり、ユキを救う手立ては確実にあるのだ。
そしてソレを知る事で、九十九里に何らかの変化……或いは行動をさせたいのだと予想出来る。
「……さぁ……如何しますか? 九十九里さん」
悪魔が九十九里に問いかける。