スターフルーツの種
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやは、一日にどれくらいの量、ものを食べているか把握してるかい?
俺なんかてんでダメだね。休みの日なんか、昼近くまで眠ってがっつり食べて、夜までっだらだらしてがっつり食べて、日付を回るまでぐずぐずしてもりもり食べる。
うーん、この間の昼はぺペロン食べて、夜は唐揚げ弁当と野菜ジュース。夜中はアイスとブランなんちゃらとコーンフレーク……だったかなあ。
体重計? いや、怖くて乗ってねーぞ。だって雨がち、かつ外出自粛モードっしょ? 自宅で筋トレしたところで、どれだけの脂肪が燃やせることやら。
かといって食事まで自粛しちゃったら、何を楽しみに生きればいいんだろう。俺、料理の心得がないし、でき合いのものにも飽きてきたしで、悩みが尽きないっす。昔みたいに、インパクトのある味を楽しみたいなあ。
――ん? その昔に食べた料理のことかい?
いや、言うのもなんだが、ちょっとこっぱずかしい気持ちもあって……。
聞きたい? む、まあつぶらや相手だったら、せいぜいネタ扱いで済むかな。
俺がコンビニ飯に飽き飽きしているのは、小さいころの環境も大きい。
親の仕事の関係で、家族が食卓を囲める機会が少なくってさ。お金を渡されて、それで食事をすませることがザラだった。
ウチの学校、昼がお弁当でさ。レンジでチンした冷凍食品で済ませることが多かったんだけど、定期的に手作りしたものを持ってきて、さらすことを強要される。
こいつがもう、吐き気を覚えるほど嫌いだった。包丁でちょっと指を切ったりした経験もデカかったんだと思う。それによって潰される自分の時間とかを考えると、たちまちうっとうしいもののトップに躍り出た。
そんな日は湯せんのご飯。台所の棚やテーブルに置かれている、のりと梅干を少し拝借。おかかのふりかけも使って、豪快なのり弁で対処していた。もちろん、色合いの評価などは最悪だったよ。
日々ストレスを抱える俺は、新発売の菓子やアイスを頬張ることが、唯一の楽しみになっていた。
塩気が強くなりがちな三食のコンビニ飯。その間食にはさまれる甘味は、文字通りの心の清涼剤だったな。
その日はよく晴れていて、夏が数ヶ月早くやってきたかのような、蒸し暑い日だった。
クーラーより自然の風の方が好きな俺は、近くの公園でアイスをかじっている。溶けてこぼしてしまう心配の少ない、チューブ型の氷菓子だ。
数本連結されていてお得感があり、とても気に入っている。今日はそれの新発売、カスタードプリン味を楽しんでいたんだ。
チューブの上と下にプリン味のアイスを設置。あえて中にカラメル味のアイスを挟み込み、飽きが来る前に味を入れ替える作りといったところだろう。
純粋にそれを楽しめる年頃だったんだけど、最後の一本に差し掛かると、やはり寂しさがある。買いたてのときに比べたら、すっかりやわくなってしまったアイスを、なかなか口へ運べない。チューブ越しにぐにぐにと、丹念に揉むばかりだった。
「なーに、やってるの?」
ひょいと、アイスの下から顔をのぞき込まれた。
近所に住んでいる、お姉さんだ。俺より10くらい年上だって自称していたっけな。
小学校に上がる前まではよく遊んでもらったが、男友達が増えてからはちょっとずつ距離を取るようになっていたよ。それでも、顔を合わせたら少しは話をする。
お姉さんも、今日は夏っぽい薄着だ。
白が強めの銀色のワンピース一枚。肩から斜めにかけたショルダーバック。腕とか肩とかを惜しげもなくさらせるあたり、何ともまぶしい女だった。
後はその、銀色好きな服のセンスが少しましになればと思う。冬場でも灰色にビーズを散りばめて、疑似銀色にしたセーターばっかり着ていたからな。言っちゃ悪いが、ダサい。
「それ、食べないの? もーらい!」
さっと手を伸ばしてきた。
口調は軽いが動作は早い。すぐに胸へ引き寄せなければ、かすめ取られていただろう。
「やらねーよ」と舌を出してやると、お姉さんはひょっとこみたいに口をすぼませてくる。思い通りにいかないと、すぐにこのタコ口モードだ。
放っておくと絡まれ続けそうで、さっさとアイスの先を切り取り、くわえこんでしまう。半ば液体と化した中身は、傾けるとどんどんのどの奥へ注がれていく。
そこからは少し互いの近況報告。
お姉さんは近々、外国への留学が決まったらしい。場合によっては、長くそちらへ住むことになって、こちらへ戻って来られない可能性もあるとか。
寂しくない、といえばウソじゃなかったが、素直にいうのはこっぱずかしい。「気をつけてくれ」と返すくらいしかできなかった。
対する俺はというと、相当ストレスが溜まっていたんだろうな。学校の手弁当をはじめ、もっと美味いものを食いたいって、ストレートにぶつけていった。
暗に「何か食べ物くれないかなあ」ととられかねない言い方だったし、実際に俺も期待していた。コンビニには行けども、レストランにはほとんど足を運んだことがない俺。
あわよくば、いまからどっかのお店に連れて行ってもらって、なにかおごってもらえないかとも考えていたよ。いやはや、たいした自己中野郎だ。
俺の熱弁を、お姉さんはこくんこくんとうなずきつつ、黙って聞いてくれる。
ひとしきり話を終えると、「じゃあ、これ、試してみる?」とバックの中に手を入れる気配。もくろみ通りの展開に「やった!」とガッツポーズをしかけるが、ここは我慢だ。
相手にがっつく姿勢は見せない。あくまで幸運、謙虚な身構えだ。ここで心証を悪くすると取り上げられかねないのは、すでに承知。
お姉さんが取り出したのは、手のひらに乗せられる大きさで、上で口を縛った巾着型の紙袋だった。
一部の旅行鞄で見かけるような、雑多な言語のステッカーが貼り付けられている……ように見える、袋の柄だ。
「これスターフルーツの種。本当は仲のいい子にしか渡してないんだけど、今回は特別よ?」
当時の俺はスターフルーツなるものを知らない。まさか毒じゃないだろ、程度の認識でうやうやしく受け取っった。アイスの残りもすっかり食べ切ってしまう。
お姉さんの目の前で袋を開けるのは、どこかはしたなさを感じたからな。それから二、三言葉を交わして別れたよ。
家に帰った俺は、さっそくスターフルーツの種なるものを開封してみる。
名前からして、お星さまの形をした種かと思ったが、残念ながら。どちらかというと、ヒマワリの種をひと回り大きくしたような形で、しまもようも入っている。白と銀色が成すコントラストで、ちょっとお姉さんのセンスをうかがえた。
――ん、まあ……毒はないよな。毒は。
本日、二度目の自問。うまけりゃ後はどうでもいいと、一粒の半分だけかじってみる。
まず口の中を突き抜けたのは、ミントの清涼感。鼻の奥、喉の壁、胃の底さえも、一気に冷え切った。
その後を追い、冷涼の原を下ってくるのはチョコレートの風味。かすかなとろみが、通り過ぎる場所のところどころで立ち止まり、冷気たちとたわむれ、踊り始める。
チョコミント系は、俺の好物とするところ。見た目によらず、たいしたお菓子だと感心していたけど、攻勢はまだ終わらない。
涼しげながらも、やや粘りを見せてとどまろうとするミントとチョコたちの間に割り込み、あまつさえスポンジのように吸い込んでいく。すべてを包み、許してくれるかのような寛容さと、やわらかい歯ざわり。
マシュマロのエントリーだ。口の中へ残る甘みをまんべんなく取り去り、その内へと取り込みながら、舌の上に絶妙なタイミングでにじませていく。
スターフルーツの種は、確かにおおいに楽しませてくれた。満点をあげたいパフォーマンスだった。でも、これが本当にたった半欠けの種にできるものなんだろうか?
俺は、自分の手の中に残る片割れをじっと見る。食べる前と同じ、白と銀色のストライプを持つ姿。お腹も一気に膨れてしまい、すぐに残りを食べる気にはなれなかった。
食べかけにもかかわらず、俺は種を袋の中へ戻す。そのまま口を縛り直すと、親にばれないようランドセルの中へしまい込んで、その日はもう取り出さなかったんだ。
夜。布団の中で俺は夢を見た。
寒い空気の中を、ひとりでにぐんぐんと前へ進んでいく夢だ。
風は感じない。冬場、存分に湿らせた毛布たちに、身体中を包まれて押しつぶされているかのように思えた。心なしか、身体中が湿り気を帯び始めている気さえする。
水関連の夢を見ると、おねしょの前兆。そう聞いていた俺は、どうにか目覚めようと身体じゅうに力を入れる。
前進がぴたりと止んだ。そして立ち止まったとたん、自分を取り囲む大小の光の粒があるのに気がついた。赤、青、黄色……それぞれがヘッドライトのように輝いているかと思うと、優しい声が響いてくる。
「種はまけた?」
「食べてくれた?」
「仲間が増えるね」
「さみしくないね」
「ずっとずっと、さみしくないね」
俺はがばっと飛び起きた。
部屋に掛けてある時計は午前2時を指し、いまも音を立てながら秒針を動かし続けている。俺はその下、閉め切ったカーテンを全開にしてみる。
雲一つなく、周りの家々の明かりも消えた夜空には、無数の星々が横たわっていた。
夢の中の光の配置は覚えている。俺はベランダに出て、屋根にも下りて、360度に空を見渡した。
そして見つけた。赤、青、黄色の三つの並び。その中心でひと際強く輝く、銀色の星があることを。
翌日から、お姉さんの行方は分からなくなった。
もともと一人暮らしだったらしく、親や知人に聞いても行方は分からない。そしてそのどこからも、海外留学のかの字も出てくることはなかったんだ。
一粒の半分とはいえ、俺はお姉さんのくれた種を食べちまった。ひょっとすると俺は、いつかあそこへ招かれるかもしれない。
あの寒い寒い空の果てで、ひとつのお星さまになって、永遠に。