第2話 その2
翌朝、悦司が目を覚ますと、スマホにショートメッセージが届いていた。
「……しまった。事務所に解散したこと伝えるの忘れてた」
所属している芸能事務所から送られてきたメッセージは、お笑いライブのオーディションへの参加依頼だった。
――お笑いライブには、主催者から依頼されて出演するパターンと、オーディションを通過して出演するパターンがある。
小学生の時に悦司が組んでいたコンビ「しいな&ポケッツ」の全盛期は、お笑いライブへの出演依頼が相次いでいたため、オーディションを受けたことなど無かった。
ところが中学生になり、落ち目になってからは、オーディションを通過してお笑いライブに出演してきた。
悦司は解散したことを黙っておくわけにもいかないので、事務所からタイミングよく届いたこのメッセージに返信することにした。
(文面は『オレたち解散しました』でいいのかな?それともこういうのって電話の方がいいのかな?)
返信のメッセージを送るか電話で伝えるか迷っていたところで、悦司はあることに気がついた。
「ん?ちょっと待って。このライブ、かなりでかいぞ」
メッセージの内容によると、会場は幕張メッセ。このオーディションを通過すれば、お笑い芸人だけを集めた大規模ライブフェスのステージに出られるらしい。
広大な会場での大規模ライブには、業界関係者が多く集まるので、テレビや有名劇場への出演の道が近くなる。
これほどのチャンスは一年に一回あるかないかのレベルのものだった。
「……これは逃したくないな」
一刻も早く表舞台に戻りたい悦司は、このチャンスを逃したくなかった。
「オーディションの日時は今週末……って四日後じゃないか!」
開催日が近いことを知り、心がざわつき始めた悦司は、急いでメールで参加希望を伝え、身支度を整え、学校へと向かった。
――この時の悦司には、このメッセージが様々な人間関係を変えていくことになるとは知る由もなかった。
悦司が通学路を急いでいると、美穂が前を歩いているのが見えた。
「美穂、おはよう。先に行くぞ」
早足で追い抜こうとしたタイミングで、悦司は美穂に腕を掴まれた。
「ん、どした?」
「ねぇ一緒に行こうよ」
「ごめん!急いでるんだ」
「……なんで?」
「えっと……ん?なんで急いでるんだっけ?」
「ヘンなの。理由がないなら一緒に行こうよ」
悦司は美穂にそう言われ、冷静になってみると、急いで学校に行く理由が無いことに気付いた。
何か得体の知れない衝動が、悦司の体を動かしていたようだった。
すっかり葉桜になった並木の下を、二人は肩を並べて歩き始めた。
美穂は二人の上に広がる緑の葉を、ぼんやり眺めながらつぶやいた。
「桜ってさ、どうしてピンクの後に緑なんだろうね」
「ん?」
「葉っぱが茂った後に花が咲いた方が、綺麗な流れのような気がするけど」
悦司はその言葉に、少し考えてから答えた。
「それはきっと、スタートとゴールをどこに設定するかによるんじゃないか?」
「なるほど、そうかもね。私はピンクの花がスタートな気がしてた。それで冬の枯れ枝がゴールかな」
「……オレはちょっと違うかな」
悦司はそのまま黙ってしまった。
美穂は何か言いたげだったが、それ以上何も言わず再び歩き続けた。
学校の近くになったところで、美穂が意を決したように口を開いた。
「ねぇ悦司、昨日さ……」
そこまで言いかけて、美穂は慌てて口ごもった。
「……なんでもない」
「えっなに?言ってみなよ」
「えっと……昨日、鮎川さんと話ししてたでしょ。いつから仲良くなったの?」
「仲良くはなってないけど……」
「楽しそうに話してたよ」
「まぁ楽しいと言えば楽しかったかな」
「なにそれ」
「いじりがいがあるってこと」
「悦司……女子にそれ、あまり良くないと思うよ」
「でもオレは男女問わず、いじれるやつはいじりたいんだけど」
「……傷つけないでね」
「そこはプロだから安心してくれ」
「もちろん悦司の実力は、私がいちばんわかってるよ」
「そうだよな。デビュー前からずっと応援してくれてるもんな」
「うん。悦司の力を最初に見抜いて、いちばん知ってるのが私。それが私が誰かに誇れる唯一の自慢」
美穂は誇らしげな顔をしたが、すぐに下を向いてしまった。そして悦司に気付かれないくらい小さな声でつぶやいた。
「そのうちいちばんじゃなくなるかもしれないけど」
車道を通り過ぎた車の音で、その声はかき消されていた。