第4話 その1
翌朝、ついに迎えたオーディション当日。
明け方までネタ合わせをしていた二人は、スマホのアラームの音で目が覚めた。
「わたし、この木琴みたいな音、嫌いになりそう」
まだ眠そうな目をこすりながら、真幌が身支度を始めた。
――彼らが住む街から、事務所のある中目黒までは、ドアツードアで1時間以上かかる。
そこからさらにオーディション会場がある渋谷へ向かうとなると、オーディション開催時間の3時間前には出ておきたかった。
「13時開始ってことは、10時には出た方がいいかもな」
現在の時間は8時。あと2時間足らずでは、まさに焼け石に水ではあったが、二人はギリギリまでネタ合わせを続けた。
今回のオーディションでネタを披露できる時間は、1組あたり2分と短いが、2分あればしっかり構成を組み立てたネタを見せることができる。
いわゆる一発芸的なものではなく、しっかりとしたネタを見てもらうことができるということで、悦司は俄然やる気になっていた。
「えっと……あの……わたし……なんか、吐きそう……」
立ち稽古に身が入らず、緊張のあまり青ざめた顔をしている真幌が心配だったが、キャリーバッグに無理矢理衣装を詰め込ませて駅へと向かった。
中目黒に到着し、悦司の所属事務所の中に入ると、若い女性のマネージャーが駆け寄ってきた。
マネージャーと言っても悦司の専属ではなく、事務所の若手コンビ10組ほどを担当している。
かつて悦司が人気だった頃は専属のマネージャーがいたが、今その人は出世して別の部署にいる。
「よかった。オーディションに参加してくれることになって」
マネージャーはホッとした顔をしてそう言った。マネージャーは最近オーディションを受けていなかった悦司のことを心配していた。
「なんか、前のコンビだとネタが上手く書けなくなってしまって……」
「えっ!ちょっと待って!?『前のコンビ』って何?あれ?高雄くんは?どうしちゃったの?」
驚きのあまり、マネージャーが怒涛の質問攻めをしてきた。
「あ、すみません。今日は解散したことを伝えたくて、事務所に寄ったんです」
「えー!ホームページのアー写を更新しないとだから、もっと早く伝えてほしかったな」
悦司は(そこかよ!)と思ったが、口には出さなかった。
「えっと、忘れていたことはごめんなさい。ちょっとバタバタしててそれどころじゃなくて……って、あれ?高雄からも連絡なかったんですか?」
「あの子がそんな気が利くと思う?」
「……思いません」
マネージャーは視線を真幌の方に向けた。真幌は緊張しているのかキョロキョロと落ち着きがない。
「で、その子が?」
「そうです。オレの新しい相方です」
真幌は悦司の陰に隠れ、怯えた子犬のようにプルプル震えている。
「ほら、真幌、ちゃんと挨拶しなさい。この人マネージャーさんだか……」
その言葉を言い終える前に、真幌が逃亡した。
「こら!真幌!」
慌てて悦司が手を掴んで引き寄せた。
「と、まぁ、こんな感じで、面白い子なので」
「……えっと、大丈夫なの?この子」
マネージャーはものすごく不安な顔をして二人を見た。
「だ、大丈夫です。とりあえず、エントリーはこの子でお願いします」
悦司はここ数日の状況を手短かに説明した。
マネージャーは納得したようで、オーディションの主催者に、エントリー変更の連絡を入れてくれた。
「変更は問題ないって。逆にちょっと楽しみにしてるみたいだったよ」
「それは……ハードル上がっちゃいましたね」
「ま、なんとかなるよ。頑張ってね」
マネージャーは他の芸人の打ち合わせに立ち会わないといけないので、悦司たちにはついていけないということだった。
(――ここからは誰にも頼れない)
悦司は怯えきっている真幌の手を握って事務所を出た。
渋谷にあるオーディション会場に着き、エントリーの確認を済ませたところで、控室で待つように言われた。
事務所からここまで、真幌はひと言もしゃべっていない。
大きなビルのフロアで、忙しく働く大人たちに会ったことで、急に現実感が増してきたのだろう。
悦司は控室でネタ合わせをしたかったが、失敗して真幌の緊張がさらに高まることを恐れ「急いで準備しよう」とだけ言った。
20分後、ようやくオレたちの番になった。悦司は待ち時間が思ったより短くて安心した。
これ以上真幌にプレッシャーを掛け続けるのは、今後のためにも良くないと思ったからだ。
悦司たちは案内の人について行き、控室から少し離れたところにあるオーディション会場へ入っていった。
今回オーディションを見るのは5人。
(えっと……真ん中がたぶん主催者で、その隣が舞台演出かな。上手にいるのはベテラン芸人コンビで、下手はバラエティ番組でたまに見かける大御所放送作家か。かなり気合いが入ったメンバーだな)
悦司の見立て以外にも、ビデオカメラが2台回っていて、それぞれにアシスタントらしき人が付いていた。
部屋に入って挨拶をした悦司たちは、5人が座っているテーブルと向かい合わせに、離れた位置に並んで立った。
まず最初に主催者らしき人物が発言した。
「よろしくおねがいします。まずはコンビ名を教えていただけますか?」
「コンビ結成4日目の『ゆーめいドリーム』です」
「えっと……あなたは、あの小学生コンビの方ですよね」
主催者らしき人が手元にある悦司のプロフィール資料を見ながら言った。
「はい、6日前まで『しいな&ポケッツ』というコンビを組んでいました」
「6日とか4日とか、慌ただしいな!」
ベテラン芸人のツッコミで、部屋の中にドッと笑い声が起きた。
「本当に目まぐるしい一週間でして……」
「それを歌にしてきたとか言わないでくださいよ」
「しまった!その手がありましたね!」
悦司がそう受けると、再び笑いが起きた。
傍から見ると、つかみは良さそうに見えた。
「それで、4日前に見つけたのが、こちらの女性なんですね」
「はい、そうなんです。ほら真幌、挨拶して」
「ままま、真幌……じゃなくて、あああ鮎川です」
「あああ鮎川さんですか?」
「そんな名前のわけないだろ!」
ベテラン芸人たちが、真幌のキャラを面白がっていじった。
「えっと……真幌はこう見えても人気者なんですよ」
「ば、バカですね!『こう見えても』ってどういう意味!……ですか!」
「あはは、オーディションだからって敬語になる必要ないよ」
舞台演出らしき人がツッコんでくれた。
「これでみなさんにも、この子が人気者なのがわかっていただけたと思います」
悦司のそのフォローで、会場がホワッとした空気に包まれた。
ここが攻め時だと思った悦司は一気に畳み掛けることにした。
「それでは、見てください。オレたちの初めての共同作業、「漫才」です!」