3
目が覚めた。
僕は床に転がっていた。
隣に何冊かスケッチブックが転がっていたから思い出せた、僕は寝落ちするまで、“今まで描いてきた絵”を見ていたんだ。
どんなふうに絵を描いていたのか、それを、時間も忘れて眺めていた。
タッチや影の使い方、細部の描き込みまで、細かく眺めていた。
──上手くいかなくなったら、今までを思い出すの。文綾なら、“1番上手く描けていた時期”だね。その時のことを、細かく思い出す。すると、少しずつ感覚が戻ってくるから……あとは分かるでしょ? 自分が描きたいと、そう思ったものを描けばいいの──
姉さんらしいアドバイスだった。
確かに、姉さんも何年か前に演奏したり、作曲したりしたものをもう一度練習していたことがある。
当時は、ただ曲のバリエーションを増やす為にやってるのだと思っていたが、それだけじゃなかったことを教えられた。
「文綾〜、朝食できてるわ〜。早く食べちゃって」
「わかった、すぐ行くよ」
起き上がり、本棚にスケッチブックを直す。
その時に、1冊のスケッチブックから何かが書かれた紙が落ちてきた。
『私の弟へ』
『たぶん、これを読んでる時は、文綾が絵を描くことに行き詰まってる時だと思う。そして、私のアドバイスを聞いたあとだと思う。そこで、姉からの最後のアドバイスだと思って読んでほしい』
僕は、次の文章を読む気になれなかった。
何を言われるか、心の奥底では理解していたから。
姉さんは、どこまで見えているのだろう。
僕がこの時期に、この学年で、ちょうどこの季節、花火大会がある夏に、アドバイスを必要としてるということを、3年ほど前から察していたらしい。
「……これを読むのが明日だったらどうするつもりだったんだよ……。それを見越しての電話だったとしたら、まぁ納得だけどさ……」
僕はその手紙を制服のポケットへ仕舞って、朝食を食べに行った。
「……昨日、姉さんから電話があったよ。……昨日じゃないな、今日だな」
「夜中にあったの? そして出たのね……? てことは……文綾寝れてないでしょ」
「なんでわかるの……」
会話とか聞いてないはずなのに、何故か僕が起きていたことがバレていた。
そして、それが分かる理由が、母親だからという、大雑把な理由だった。
「その様子だと、あれね。あの子の手紙も読んだっぽいわね」
「なんでわかるの……? まだ最後までは読んでないよ……」
なんで手紙があること知ってんの? というか、姉さんの“勘”って、母さんに似たんじゃないの……?
とにかく、朝食早く食べてしまおう。
そうだ、がしみゃんに悪いし、せっかくだから結夏を誘って花火大会、行ってみようかな……? まぁ、1人でも行こうと思えば行けるんだが……。
「あぁ、花火大会行くなら、そこに掛けてある装備セット着ていきなさいな」
そこには、母さんチョイスの装備セット(服装)が、ご丁寧にアクセサリーまで掛けられていた。
「……なんでさ、選ぼうとしてた服わかるの? そしてなんで僕が花火大会行くってわかるの!?」
「勘よ。母親の勘、女の勘、気分的な勘……」
「いいから、説明しなくていいから。それより、もう時間だから」
朝食を食べ終え、顔を洗い歯を磨き、身支度を済ませた僕の行先は決まっている。
午前中は学校だ。
「ん、行ってらっしゃい。結夏ちゃん、しっかり誘うのよ?」
「ねぇなんでわかるのさ!?」
玄関で、謎の激励を受けて、僕は学校へと行くことになった。
自転車の鍵を開け、学校へと続く坂道まで飛ばす。
集合時間はまだ過ぎていないし、こんなに焦る必要はないが、まぁいいだろう。
がしみゃん起こさないといけないし。
あいつはゲームかなにかで徹夜ばっかりしていて、最高は5徹らしい。
人間そんなに徹夜したら死ぬって……。
「今日は素直に起きてくれがしみゃん……」
呟いて、あと数秒で目の前に現れるであろうがしみゃんの家を目指した。
「おー、今日は起こされるまでもなかったぜにっしー!」
「んなっ、がしみゃん! さり気に僕の仕事を無くさないでよ悲しいじゃん」
「いやー、どうせ起こされんのなら、と思ってゲームで夜を明かしたんだよ」
また徹夜かよがしみゃん。
これで何日目? え、まだ2徹? じゃあまだ許せる……わけないだろうがしみゃん。
ちゃんと寝ないと、今日の花火大会どうすんだよ。
「やー、久々の2徹は響くねぇ。もう、倒れそう……」
「学校着いたら寝てろ。今日のノルマは僕がやっとくからさ」
「悪いな、2徹したばっかりに……」
いやそもそも徹夜すんなよ。
今日はなんのゲームやってたの? 某配管工のゲームと? 某ブロックを並べたりするゲームと、あとはネトゲ……。
「また随分とやりこんだな……。で、そのネトゲは何をやってんの?」
「いわゆるFPSとか、MMORPGだな。今度やってみなよにっしー。おもしろいぞ」
また機会があればやってみよう。
話の幅が広がるだろうし、なんかおもしろそうだし。
「なぁにっしー。結夏ちゃん、誘ったのか?」
「まだだよ。まぁ、このあと誘うつもりだが。がしみゃんこそ、まさかちなっちゃんが好みだとはね」
驚きだった。
割とチャラい感じを醸し出している茶髪のがしみゃんが、まさか大人しめのちなっちゃんが好みだったなんて、一体誰が想像しただろう。
「全部お見通しってか?」
「お互いにね」
「……付き合いが長いと、いろいろ分かってくるもんだなぁ……」
そうだな、と返して、自転車を進めた。
がしみゃんと僕の付き合いの長さは、親すら関係ないくらいのものだ。
がしみゃんの家で夕飯を頂くこともしばしば、その逆もある。
「もはや隠し事は通用しない世界まで来てるかもな。俺が今何考えてるか当ててみ?」
「眠い、暑い、早く花火大会行きたい、ちなっちゃんとイチャつきたい。こんな感じ?」
答えると、がしみゃんが悔しそうに舌打ちした。
本気で悔しがる時に首を傾げる癖、まだ治ってないみたいだった。
「最後なんか当てられたくないのが入ってた気がするけど……本当に悔しいが当たりだ。ジュース奢ってやるよ」
「その金はちなっちゃんの為にとっておいたら?」
「おまえほんとさ、俺がちなっちゃんの為に金を使いたいって、なんでわかったの?」
うーん、僕にも母さんに似たところがあるのか、がしみゃんに対する勘はなかなかのものらしい。
がしみゃんキラーとでも名付けよう。
さて、今日も校舎からやたらと遠い校門を通過して、そのとてつもなく遠い校舎へと向かった。
自転車置き場は校舎の下に隣接する形であるから、やっぱり門から遠い。
「うちの学校ってなんでこんなに敷地広いんだろう……。僕らの小学校3つくらい入るよね……」
「広いよな……すげぇ。なんかさ、土地が有り余ってた感あるくね?」
「そのせいで僕らは、遅刻寸前に門に来てもその先が辛いっていう謎の状態が出来上がってるけどね」
遅刻なんてしたことないけど。
そしてこれからもするつもりないけど。
「俺がその野望を打ち砕いてやろうか?」
「そうなりそうになったら、迷わず道端に捨ててくよ」
「最適解を選ばれた気がしてなんか癪だな……」
いや、皮肉のつもりで言ったんだが……。
あー、皮肉だって分かった? 分かったのね。
それなら納得だ。
だって、隠し事は通用しない仲だもんな、たぶん。
まぁー、そうは言ってもこれだけは、右ポケットに入ってる手紙だけは隠し通せるだろう。
「にっしーさ、その、どっちかわかんないけどポケットに入ってる手紙は読まなくていいのか? 俺の予想だと、夏澄ねーちゃんからの手紙のはずだ」
「サラリと、隠し事を“読む”のやめてくんないかなぁ!? てかなんでわかったのさ……、今まで手紙がある素振り見せたっけ?」
さて、ここからとてもとても癪だが、迷探偵がしみゃんの迷推理タイムだ。
これを得意気に語り、僕の場合に限り当たっているとなれば、本当に癪だ。
が、まぁ、隠し事は通用せんからな……。
「にっしー、喋ってる時も、ポケットのことずっと気にしてたろ。俺への対応が若干ソフトだったのは、辛辣な言葉を選ぶ余裕がなかったからだ。だとすると、そのポケットに何かある線が1番濃厚に──」
なんか癖から読まれたんだが。
こいつも僕に対する勘は素晴らしいものらしい。
たぶん、にっしーキラーとでも名付けてるんじゃないだろうか、心の中で。
「さて、推理タイムも終わったことだし、すぐそこ教室だから、そろそろ睡眠モードに入ったらどうかながしみゃん?」
「おっとぉ!? 推理タイムを3分の2のところで強制的に終了させられたぞ!? ……ま、いいや。俺は寝るあとよろ」
随分と適当だな、いつもの事ながら。
さて、がしみゃんのノルマも含めてひと頑張りするか……。
気がついた時にはがしみゃんがふらっと起きてきて、ちなっちゃんと結夏が到着した頃だった。
時計の針は10時を指す。
後で知ったがこの時計、1時間ごとに1秒ずつ早くなってるらしい。
毎朝先生が来て直してくれるそうだ。
「がしみゃん……今日のノルマ終わったぞ……疲れた……」
「すまんな俺が2徹したばっかりに……。明日のノルマは俺がやっとくからさ、それでチャラな」
「そうしてくれると助かる」
是非ともそうしてくれ。
そして僕の苦労を存分に味わうがいい。
そして今日の徹夜は許さないからながしみゃん、ちゃんと寝るんだぞ?
「さてと。俺夜の準備あるから先帰っていい? ってか、普通に帰らね?」
「……明日のがしみゃんの負担をほんの少し……ミリ単位だけ減らしてやるよ。先帰っとけ」
よしこれでがしみゃんを教室から追いやったぞ? ついでに、何か知らんがちなっちゃんも引き連れて出てくれたぞ? ……これは、とてもとても、チャンスなのではないだろうか。
「……結夏。やっぱさ、僕花火大会行こうと思うんだ。それで、その……」
自然と口が動いた。
まるで、何を言えばいいかもう分かっているかのように。
言葉を紡ぐ。
いろいろ考えもしたが、考えた言葉なんて一言も発しなかった。
「……僕と一緒に、来て欲しいんだ」