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「なんで俺がにっしーにオムそば奢ることになったんだ?」
「だってがしみゃん、じゃんけん負けたからな」
「理・不・尽っ!」
いやしかし、まさかコンビニにこんなに美味しいオムそばが売ってるとは思わなかった。
だしマヨと玉子の組み合わせが最高だ。
温めてもらってよかった……。
「なぁにっしー。明日、本当に行かないのか?」
「……なに? 寂しいの?」
「いや俺とじゃなくて。結夏ちゃんとかと行かないのかってさ」
……なんかムカつくからあとでジュースも奢ってもらおう。
僕だって行きたくないわけじゃない。
でも、それに行くことでスランプが消えるとは思えない。
だから、ずっと行かなかった。
僕のスランプは、3年くらい前から続いている。
それまでずっと描けていた人物画が、ある日ぱったりと描けなくなった。
その時も姉に花火大会に誘ってくれたが、僕は応じなかった。
その翌年、姉はイギリスへ旅立った。
「……そんなに難しく考えんなよ文綾。ちょっとした息抜きに、行ってみたらどうだ?」
「……考えとくよ。それより、食後のジュースが欲しいんだけどさ」
「しゃーねーから奢ってやるよ。文綾のスランプが治んなきゃ、おまえの絵が見れないしな」
「さんきゅー」
そう答えたっきり、僕らは深く言葉を交えることをしなかった。
結夏たちが学校についた時には、作業がほとんど終わっていたが、昼過ぎまで教室に居座った。
「なぁちなっちゃん、俺と花火大会行かね?」
がしみゃん意外と手が早いな。
千夏は、一瞬考える素振りをした。
そして、気になる結果は……。
「うちなんかでええんやったら……」
との事だった。
おめでとうがしみゃん、がしみゃんはこれで、ちなっちゃんにも奢ることになるだろう。
あとで入れ知恵しとこう、がしみゃんは、結構気前がいいって。
「なぁがしみゃん。おまえ今日用事あるんじゃなかった?」
「あっ、やべぇ忘れてた! ナイスにっしー、今からなら間に合うからちょっと行ってくらぁ」
と、がしみゃんは勢いよく飛び出してった。
たぶんそのまま学校には戻ってこれないだろがしみゃん。
まぁちょうど良かった。
ちなっちゃんに入れ知恵しようと思ってたから、ここで居なくなってくれると助かる。
「ちなっちゃんちなっちゃん。がしみゃん結構気前いいから、割と奢ってくれたりするぞ?」
「え、お金大丈夫なん? がしみゃん」
「あいつ、バイトでたんまり稼いでるからな。たしか、税金取られるギリギリでシフト入れてるはず……」
えーっと、所得税っていくらから取られたっけ? あとで調べておこう。
僕もバイトはしたいが、時間がないから出来ない。
それに、親からの小遣いが結構入るから、する必要があまり無い。
「がしみゃん、なんか不憫……」
「……言うな、結夏。悲しくなる」
「……そうだね。がしみゃんも行っちゃったし、私達もそろそろお開きかな?」
そんな予感はしていた。
……まだ、僕は迷っている。
花火大会に行くべきか否か、未だに迷っている。
多分、そんな時アニメや漫画なら友人のセリフで迷いが吹き飛ぶのだろうが、生憎と僕はそんな思考は持ち合わせていない。
……明日、か。
随分と早かったな、結夏を直接誘うことは出来なさそうだ。
今年も、また行かないかもしれない。
ごめんな、がしみゃん。
がしみゃんの気遣いも無駄になりそうだ。
「さて、帰るか結夏」
「あ、途中でなんか食べてかない? お昼まだだし」
「……そうだな、そうしよう」
僕らは帰り道にラーメンを食べ、そのままお互い、ほとんど口もきかずに帰路へとついた。
仕方ないさ、何を話せばいいのか分からないのだから。
「じゃあ、また明日ね」
「……また明日」
それが、結夏と交わした今日最後の言葉だった。
さぁ、絵を。
未完成の、人物画を描こう。
どこがダメなのか自分でも分からない、完成されないままの人物画。
どこか、なにか物足りないその絵を、夏休み中に完成させてしまいたい。
それは、ほかの街の風景を描きたいからだ。
「……どうしろってんだ……。……姉さんなら、こんな時どうするのかな……」
届かぬ疑問は、母が淹れてくれたコーヒーと共に飲み干した。
今日のコーヒーは、少し苦味が強かったのに、何故かいつもよりも暖かく感じた。
僕のそばにあるスマホが煩く鳴り響く。
その音に僕の意識は暗闇から引き戻された。
どうやら絵を描きながら眠ってしまっていたらしい。
何度も何度も鳴り響くスマホを手に、時間を確認すると、なんと深夜の2時だった。
「誰だぁ? こんな時間に……もしもし?」
しぶしぶ電話に出た僕が間違っていた。
数分前の僕に言いたい、この電話出るんじゃないぞって。
「もっしも〜し! お姉ちゃんでした! 最近どぉ? 絵の調子は」
「っのバカ姉さん今何時だと思ってんだ? 2時だぞ深夜の! 時差考えろ!」
「ごめん忘れてた!」
今が2時なら、向こうは……たしか、時差が8時間くらいあったはずだから……午後6時ぐらいか?
「……にしても姉さん。なにやってんの?」
「え? 夕食なうだから電話してみたんだけど? それより……。また、行き詰まってるみたいだね」
「……なんでわかるんだよ……?」
電話越しに……たとえ声だけのやり取りだとしても、姉さんには全てが筒抜けだ。
何故かは分からないが、今回も絵に行き詰まってることがバレてしまったようだ。
「気づかなかった? 絵に行き詰まると我が弟たる文綾は声の音程がミリ単位で変わるのよ?」
「いや、どんだけ耳いいんだよ……やっぱロンドンじゃなくてウィーンの方が……」
「いいの! だって、音楽だけのために行ったんじゃないからね? 観光も兼ねてるからね?」
はいはい、聖地巡りお疲れ様。
とある漫画の影響で、姉はずっとロンドンに行きたがっていた。
なんの漫画かは、あえて伏せておこう。
うんでも、有名だからわかると思う、某探偵漫画だ。
「それで? お土産は何買うの?」
「えー、まだ帰らないよ?」
いつ帰って来るんだよ。
でもきっと、姉さん自身が満足するまでは帰ってこないんだろう。
「文綾。何かに行き詰まったら、私はいつも、こうしてきたーって、言うのを今から言うね」
「私の方法だから、あくまで参考だけど……。それはね────────」
その、姉さんの言葉はとても遠く聞こえた。
気づいた時には電話は切れていて、遠く聞こえたその言葉だけが心に突き刺さっていた。