第5話
「晃、久しぶりー!」
「久しぶり、陽向。旅行はどうだった?」
「もうね、すっごく楽しかったよ! 海行ったでしょ、ご飯美味しかったでしょ、温泉気持ちよかったでしょ、それとそれとね……」
「海に温泉?」
「あー、海行ってから、少し早く上がって温泉宿に止まったの」
「それなら納得。伊豆だっけ」
「うん、白浜海岸。真っ白で綺麗だったよー!」
「だからそんな日焼けなのか」
「えっち。どこ見てんのよ」
「大丈夫。もっと魅力的な人を堪能してきたから」
「ふんっ!」
「痛いって、蹴らないでよ」
「どうせ、アオちゃんよりは貧相な体ですよ!」
「それは当然だろう」
「少しはフォローしなさいよ!」
「背中に足跡つくだろう!」
「晃が悪いのよ!」
商店街終わりの十字路で遭遇して舟の家に向かう二人。商店街の人々にはもう見慣れた光景な為、特に何も言わず、普段の日常として捉えていた。
舟の家までは、商店街の終わりにすぐある、大きな神社、1200年の歴史のある神社の前を通り、一本目の十字路を左折し、5件目。神社の敷地の最奥と同じ位置にある。ゆっくり歩いても10分程度の距離だ。
晃の家は、商店街を背に見て右折し、少しした所にある大きなマンションだ。父の明夫が実はこのマンションのオーナーである。3人の小さい時は近所の別の場所に住んでいたが、今はこのマンションだ。10階建ての最上階に住んでいるのだが、10部屋あるうちの半分を一つの家にして使っている。どこぞのホテルのスイートルームを連想させるが、その中に住んでいる人は、そこら辺の人と何ら変わりない。
陽向の家は、商店街の反対側の入り口、そこを背に見て右に数件。普通の家だが、その後ろに大きな敷地を持っており、そこで農業を早期退社した父が行っていた。母は農家の次女だった為に、専業主婦のはずが、一番仕事できる人になっている。
大学は、舟の家に向かう十字路を真っ直ぐ10分行くだけで辿り着くため、その日の初限が一緒の場合は、大抵、舟の家に集合してから出発していた。
陽向も20分しないで着くし、晃は10分程度で着く。休憩場所としてもとても良い場所だった為と、祖父の哲夫が大らかな人だったために、入り浸っていた。
小さい頃3人がよく遊び場にしていたのは、この舟の家の目の前にある神社だった。神社の神主と哲夫が仲良かった為に、家の神社側に門を作り、そこから出入りしていたのだ。
もちろん、参拝する時や、お祭りの時はここから行かず、しっかりと正門から歩いて参拝する。
ちょっとした思い出話や、旅行の話を二人がしていると、あっという間に舟の家に辿り着く。勝手知ったる他人の家とはこの事と、いちいち鍵を開けたりするのが面倒なので、立華、神坂両家には合鍵が渡され、晃と陽向には各1つ持っていた。
それが衝撃のシーンを目撃する結果になってしまったのだが。
「舟!? 何やってんの!?」
二人の幼馴染で、195cmある格闘家と言うか、アメリカンフットボールの選手と言うか、ともかく恐ろしい体格の持ち主が、銀色の髪をした細い美人の裸をタオルで優しく叩いていたのだ。
こんな光景は、小麦粉の粒程も想像したことも無い。
舟がいずれ女性とその様な関係になるのだろうなと思っていたとしても、ここ数日あっていない合間に起きるとは思っていなかったし、口下手な彼が連れてこれるとも思っていなかった。誘拐という線も考えられるが、彼の性格上、それはありえないと二人は断言できる。しかし、現実に目の前に裸の女性が居る。思考が停止し、どうするべきなのかわからず、固まってしまった。
舟も同じく固まってしまっていたが、すぐに拭くことを再開する。
「ごめん、ちょっとまってて……」
舟は裸の女性の体を吹くことを優先し、しかも優しく丹念に拭いていた。
陽向には、そのタオルが一瞬自分のかと思ってしまったが、自分のはもう少し使い込んであり、そろそろ買い換えようと考えていた物だったはずなので、新しいものだと理解できた。
舟は甲斐甲斐しく拭き終え、そして薄い毛布を彼女の体にかけ、急いで自分の部屋に向かっていく。
戻ってきた時に理解できたが、舟のTシャツに、男物のパジャマだった。やたらと綺麗だったので、多分未使用だと思う。多分と言うのは舟の家では、新品は一度選択してから使うという事が普段なのと、舟はパジャマを使わずにTシャツとハーフパンツで寝るので、哲夫さんの使わなかった物だろうと推測出来た。
そして、そのパジャマを彼女に着させていく。
人形の様に。
舟にされるがまま何も動かない彼女を見て、二人は驚く。なぜ?と。
一般の妙齢の女性であれば、異性の目の前であれば、恥ずかしがって着替えることは出来ないだろう。更に、男の友人、片方は女性だったとしても、その目の前で着替えることは普通あり得ないだろう。そして、まだまだおかしい点は見つかるが、下着をはかせないままパジャマを着ていた。舟が準備しているとは想像出来ないが、彼女もそれをそのまま受け入れてしまっているのが謎だった。
彼女を優しく横たえ、毛布と布団をかける。彼女の表情は穏やかであり、酷いことをされて居たようには見えなかった。
「ごめん、もう少し待って」
舟がそう言いながら慌てて風呂場の方に向かう。しばらくして、何か白い服のような物を持ってきて、縁側に干していく。
彼の洗濯をしている光景は日常的であり、気にする所はないのだが、その白い服一枚だけというのが疑問になった。
干し終わり、舟は二人が待っているリビングにて座る。
「さて、話を聞かせてもらおうか」
「陽向、それ悪役っぽいよ」
晃のツッコミを無視するくらい、陽向は戸惑っていた。しかし、それ以上の好奇心が全てを塗りつぶし、残念ながら目はキラキラしていた。
「どこから来たの? 名前は? 何時から? どうやって知り合ったの? なんで裸だったの? キスはもうした? それとももっと先? 両親とはあった? と言うか、なんでパンツはいてないの? それと、あれ私の布団じゃない! どういうことよ!」
好奇心で聞きたい物を全て吐き出したと思ったら、他に気づいていた事を次に吐き出すトコロテンの様な感じでついでに怒られる。理不尽を感じていたが、陽向なので、諦めろと言う目を晃がしていた。舟もそれについては何度も体験している為、またこれか。と言うように受けていた。
正直、何も考えてなかった舟。この二人に嘘を言うのも気が引けるが、信じてもらえるか自信が無い。だが、自分でも信じられない事を二人に信じてもらおうとしなくてはならないので、頭を悩ませる。
「舟ー、どーなのよー」
わがままモード発動。好奇心は猫を殺すという言葉があるが、彼女ももう少し抑えて欲しいと思わなくもない。
だが、気持ちがわからないわけでもない為、事の始めから答えることにした。
「4日前の朝、そこに現れた」
「舟、短すぎ。意味わかんない!」
「舟、流石にそれだけじゃ僕も擁護できないよ……」
口下手な自分が呪わしいと感じた一瞬である。しかし、ゆっくりと説明していけば納得してくれるだろうと、じっくりと、言葉は少ないが説明していく。
「つまり、まとめると、4日前の朝、光る球体の中から彼女が出てきたと。でも、筋力が全くないから、動くことも出来ない。そして、食事も満足に食べることが出来てないと。裸だったのは、動けない彼女の体を洗ってあげたと。ほー。ふーん……」
30分近くかけて説明した事が、物の数秒で終わってしまう理不尽。
確かに、歯磨きしたエピソードとかはいらなかったのかもしれないけど。
「それで名前は?」
今更になって気づく。そう言えば彼女の名前は知らない。今日まで呻くことさえ出来なかったのだから、意思疎通なんて出来るわけ無かったが、大きな衝撃を受けてしまった。
しかし、ふと思い出す。そう言えば、先程のスーツの裏地に、文字が書いてあったなと。
「舟?!」
突然立ち上がり、家の中を走り始める舟に驚き、陽向は声を上げる。そして、直ぐに二人は追いかけて、行き先を理解する。
「これ……、名前……かも……」
少し前に干していた彼女の服は、既に乾いていた。内側にはサラサラとした手触りの良い微毛が生えており、そして舟の指の指す首元に英語の筆記体と思われる物が書かれていた。
「なんて読むんだろう?」
「ラメール=ヴァルゴ……かな?」
「どこかのブランド品? でも、私は知らないなぁ」
「ひょっとしたら彼女の名前とか?」
「いや、ないでしょー。今更自分の服に名前を書くなんて、小学生じゃあるまいし」
「あのね‥…、スーツとかには裏地に名前入れるよ……」
「え? 嘘っ!?」
「ホントだよ。大地さんのスーツの裏にも、名前縫ってあるよ。知らなかったの?」
「全く知らなかった!」
晃が陽向のことで頭を抱え始めたが、舟にとって、とても嬉しい事だった。彼女の名前かも知れない事が分かったからだ。慌てて彼女の元に行き、スーツの首元を見せ、指を指して名前を読む。
「ラメール?」
カタカナ英語読みだった。だが、彼女はほんの少しだけ首を動かして頷く。
間違っていなかった。彼女の名前だ。それがわかり飛び上がらんほどに喜ぶ。
後ろから見ていた晃と陽向は、舟のここまで感情を表した事は殆ど見たことがなく、驚いてしまっていたが、そのまま微笑みながら眺め続ける。
「舟。しゅう。ラメール」
自分の事を指差して、名前を言う。そして、彼女に対しても指を指して名前を呼ぶ。もうそれだけで理解した様で、彼女は薄く口を開いて発音する。
「しぅう……」
これだけ全身の筋肉が無いのだ。まだうまく発音する事が出来ないのだろう。しかし、それでも、舟にとっては本当に飛び上がるほど、嬉しいことだった。
「私は陽向! ひーなーたー!」
「僕は晃! あーきーらー!」
飛び上がって喜んでいる舟に倒して二人して体当たりをし、押しのける。二人一斉にかからないと動かないのだが、完全に二人はタイミングを合わせることが無意識にでき、おかげで舟は派手に突っ込まれたお笑い芸人の様にラメールの視界から退場していく。
「いーあーあー、あーいーあ」
まだ小さな声。とても無理して出しているだろう声だったが、それでも二人には満足だった。
「やったー! わかってもらえた!」
「僕も名前呼ばれてましたね!」
二人が飛び跳ねて喜んでいるのを、彼女はとても嬉しそうに見つめていた。
舟はその様子を見て、ふてくされていた。だが、自分だけは子音が付いていたと、それだけ無理して発声したと、小さく喜んでいた。
「あ!」
体力の限界が来た彼女を寝かせ、リビングでゆっくりとお土産話を聞いていた時、ふと陽向から声が上がった。
「どうした、陽向」
「えへへ……忘れてた……」
「何を?」
「今日ね、晃のトコと、うちのが、来るの」
「何処に?」
「ここにー!」
「え?!」
何故か晃も知らなかった様だが、一番驚くのは舟だった。今この状態の彼女を見せる事は、色々な意味で問題になる。陽向の父や母である大地さんや伊万里さんならまだしも、後見人になってもらっている晃の父、明夫さんにこの様子を見られるのは少々気まずい。
大らかな性格をしているため、ひょっとしたら問題ないかもしれないが、どこから来た人なのか、さっぱりわからない上に、女性、そして、体が虚弱、いや衰弱している。本来であれば、これだけ揃っていれば、警察に届け出を出すべきだろう。だが、どこから来たという所だけを重点的に考えてみれば、まずあり得ない事だった。突然光る球体の中から現れた。誰が信じるだろうか。いや、晃と陽向は信じてくれたが、完全に作り話としか思えない事だ。しかし、それを打ち明けなければ、以下に他の事が問題で保護していると言っても、説得力が持てない。パスポートも無いし、お金も持っていない。もっと単純に言えば、旅行かばんやハンドバッグ、旅行でなら確実に何か入れるバッグを持っているはずだ。それらも持っていない。
この場に来た理由を説明できなければ、全てを作り話にせざるを得ない為、そして、全てに納得できる説得力を持たなければならない。これらを作り上げ、明夫さんを説得しなくては、警察の介入、そして、舟の誘拐疑惑、更には、多くのマスコミの注目の的になってしまう。
そこまで行かなくても、舟は明夫さんの知らない所で女性を連れ込み、好き放題していると見られてしまうだろう。後見人に対して、この事は非常によろしくないと考えている。
こちらを信頼して、後見人になってくれているのだから、それに答えない訳にはいかない。
PM17時。明夫さんの仕事終わりは早くてPM18時だ。それまでに、彼女を隠して、全てを無かったことにするか、全ての嘘を作り上げるか、それとも全てを打ち明けるかを選ばなければならなかった。
それがわかった3人はどうするべきか悩み、黙ってしまった。
だが、3人もその存在を忘れていた。
「舟君ー、来たぞー」
「舟君、開けてー」
農家で時間が比較的融通出来る、陽向の両親、大地さんと伊万里さんだった。