第10話
時は少し経って12月。
舟は今年の大学の抗議が終わり、部活連の先輩方に捕まりたく無い為に、急いで教室から出る。この教授はその舟のモテっぷりを知っているために、以前教授室に呼ばれ、最後の授業の日は5分ほど早く出てもかまわないと言われていたが、流石にその様な不義理はすることが出来ず、授業終わりの宣言と共に片付け始め、そしてやや小走りで教室を出ていく。
次々と出ていく生徒たちに少し遅れるため、出入り口は若干の渋滞が出てしまう。少々焦るが、仕方がないと渋滞に関しては諦める。少しずつ前進し、ようやく扉をくぐる事が出来、寒い空気が襲ってくる。本来、毎朝修練着一枚で修練している舟にとって、さほど厳しいものではないが、教室内温度と、外気温との落差が激しいため、一瞬怯みそうになってしまう。だが、この体でいきなり縮みこむと、お尻が突き出され、後ろの人に迷惑が掛かるため、我慢して歩く。
外気温にすぐに慣れ、教室外の様子を確認するが、現状、部活連の部長さん達はここには居ないようだ。晃や陽向も今日は合流せず、各自帰宅となっている。
今日は12月22日。まあ、想像通りの事だ。
その当日ぴったりに祝いたいという人達も居るが、そのイベント前後で二人だけで語らいたいという人達も多いということだ。
晃は仕事を終えた蒼衣さんと大人のデートを。どこかの店を予約したと言っていた。ロマンチックな彼は、その後、綺麗なホテル等に泊まりに行くつもりなのだろう。だが、蒼衣さんは意外と現実的で、家でゆっくりしたがる人だ。そんな事にお金を使うのが勿体無いと。夜景がみたいだけなら、スカイツリーや、東京タワー、サンシャインでも良いだろう。とにかく高い建物の展望台で見ればいいというのだ。晃としてはそんな所では愛が語れないと言いたいのだろうが、蒼衣さんは、それはそれ、これはこれと、なし崩しにすることが無く、晃はいつも予想通りにいかず、やきもきしていた。
陽向は、同じタイミングで冬休みに入る雄樹君を誘ってのデートだろう。ぐへへと妙な擬音をたてながらプラン考査をしていたのを記憶している。その様子をラメールが恐る恐る見ていたのも覚えている。****予約OKと書かれたメモが見えてしまい、その****の名前を頭のなかで検索するが、晃の青少年保護条例という言葉を完全に無視した方向でのプランを考えている事がわかり、呆れて何も言うことができなかった。
日に日に可愛い顔から若干凛々しい顔になっていく雄樹君を見て、成長したなと喜ぶ一方、男としては嬉しい事とわかりつつ、ご愁傷様と思う一面も出てきてしまう。
陽向自体は魅力的な女性であることは間違いない。ナンパも月に数回は数えられる。そのナンパ達から守る為に凛々しくなった。そう思いたかったが、多分違うだろう。暴力的行動で実は晃は陽向に勝ったことがない。お互いに全力でやれば別かも知れないが、フットワークの機敏さで、虚を突いた奇襲が得意なのだ。それに、勝てないとわかっていながらよく舟に絡んでくる為に、大男だからと言って怯むこともない。ナンパする様な男相手なら一人で2~3人はなんとか相手できるだろう。そのくらいのポテンシャルは持っていた。
だが、様々な理由を加味して、いや、大人な対応と言うか、希望と言うか、凛々しくなった理由は、彼女をナンパから守るためになっていった。と無理矢理思い込む事にした。
ともかく、その様な理由で今日は一人で帰らなくてはならない。
9月末、夏休みが終わり、学校が再開される。もちろん授業には出席しなくてはならないのだが、ラメールの事がある。ラメールは始め、凄く不安で、一人になることが怖がっていた。この世界に、いや、現状には舟しか頼れる者が居ないのだ。それらを考えると、離れたくないと考えるのも当然だろう。舟も心配で離れたくないと考えてしまっていたが、このままずっと一緒にいられるかはわからない。万が一自分が不慮の事故でこの世から去ってしまった時、彼女はどうなってしまうのだろう。立華家や神坂家が助けてくれるかも知れないが、それは希望的観測でしか無い。その為、できるだけ自立出来るようにしていかなければならないのだ。心を鬼にして彼女を説得する。ゆっくりと、わかりやすい言葉で学校に行かなければならないことを伝えるが、彼女は短く「いや!」と答えるだけだった。
もっと色々と言葉を知っていれば、何故嫌なのか、どれくらいまで我慢できるのか等、色々と意思疎通が簡単だっただろう。だが、舟は根気よく、少しずつ伝え、最終的には頷いてもらう事に成功する。
『ずっと一緒に居たのに、なんで急にどっか言っちゃうのよ!』
しかし、元々大学まで10分少々、その上9時から始まる為、いつもの起床時間であれば、全てを終え、そして昼食の準備まで終えてから出発しても余裕がある状態だ。そして、昼食も戻ってきて彼女と一緒に食べる。いや、まだ腕が不自由なので食べさせるのだが、それにも余裕があり、終わりも16時、遅くて17半時だ。1年であるため、みっちりと履修しているが、どうしても埋められなかった所や、臨時休講になった時等は、頻繁に帰ることが出来る。臨時休講の話をした時は、「いつ!?」と直ぐに質問が来たが、臨時の意味がまだわかっていないが、休講の「きゅう」だけでどういうものか判断したらしく、何度も質問された。
いきなり、おしえてくれるせんせいがこれなくなったから、べんきょうできなくなるとき。
ゆっくりとこの様な説明をして、ようやく納得してもらえ、何時休みになるのか分からないとなると、ふてくされてしまった。
『そんないつあるかもわからないことを期待して待ってろって酷いでしょ?!』
しかし、晩御飯の時には機嫌も戻してくれて、ありがたかった。ずっと説明してこなかったこちらも悪いのだから。それに、異性とのケンカは、陽向くらいしかしたことがない。陽向は喧嘩しても、10分後には忘れる様な性格をしているので、まともなケンカになったことが無かった。舟がケンカを回避していくような性格というのもあるのだが、そのようなことで、過去に女性とのケンカはしたことがなく、人生初のケンカの様な形であったため、舟自信、どうやって接すれば良いのか解らず、ずっと不安になりながら食事を作っていた。だが、ご飯があれば機嫌が良くなるとは思っていない為、今後も気をつけて行かなければならないだろうとは思った。
しかし、彼女が怒った点は後日違う形で理解できた。
学校再開後しばらくは、問題なく過ごせていたと思う。初日は1限からあり、昼に一回戻り、5限まで授業を受けてから帰るという一番長い時だった。だが、5限終わりですぐ飛んで帰るように戻ったら、もう帰ってきたの? と言うような表情をしてくれていたので、安心できたのだ。
しかし、それは安心しすぎていた為に、気づけなかった。
学校再開辺りまででは、かなりおむつを使う頻度、正しくは、粗相頻度だが、減ってきていた。彼女のトイレと言う単語を覚えた為、舟が連れて行くことが頻繁に出来たのだ。
だが、ある時から、粗相回数が増えたのだ。それは単純に学校に行き始めてから。
舟の居ない9時から12時、13時から16~17時半まで。この間に出てしまう事が増え、そう言えば、ここの所、ウェットティッシュの消費量が多いなと、考えた所でようやく気づけた。
彼女にとっても、出してしまったおむつで居るのは、苦痛でしか無い。尿ならまだ吸収してくれる為に、少し待てば違和感はかなり減る。しかし、便が出てしまった場合、それは苦痛にしかならないのだ。
学校が再開するまでは、ちょっと待っててと言えば、少し我慢できていた。だが、今は我慢する期間が不明瞭なのだ。その為、希望がない場合で我慢する事は維持しづらい。更には、舟が居ない不安の為、気力も少ないからだ。
それに暫く舟は気づくことが出来ず、何故彼女があれだけ頑なに嫌と言っていたのか、今更にして理解した。
「ラメール、ごめん。ごめんね……」
徐々にだが、ようやく慣れつつあったラメールに対し、そう泣き出してしまうかのように謝る舟。ラメールはとても驚き、どうして良いのか戸惑ってしまった。だが、この状況、おむつを新しくはかせているで手を止め、泣き出してしまうのは、流石に恥ずかしく、やめて欲しかった為、慌てて舟に伝える。
「しゅう、さむい」
皮下脂肪と筋肉の少ない彼女は、まだ体温調節が上手ではない。その為、もう10月に入ろうかという時期、残暑と呼ばれる時期でも少し寒いのだ。その為、寒いという言葉を覚えたラメールは、事あるごとに、舟に抱きしめて温めてもらう為に、その言葉を使っていた。
今回はとても恥ずかしい状況だったが、なんとか我に返った舟は直ぐにおむつを閉め、終わらせてくれた。
『いくら舟でも、恥ずかしいのよ?! まあ、かなり慣れたけど』
舟が彼女のおむつ事情にようやく気づいてから、朝、昼と、ラメールをトイレに連れていく事にした。そのタイミングで出すことができれば、おむつの中は快適なままになるからだ。おかげで、粗相回数は、彼女の行きたいタイミングで行っていた時に比べ、少しずつだが減っていった。
お互い居ない時間に慣れ始め、そして、右腕だけが持ち上げられないが、横にスライドさせることが出来始めた10月中頃。このあたりで、ラメールの暇つぶしは専らTVになっていた。まだニュースやバラエティ、ドラマを見ても、分からない単語が多いため、スポーツを見るためだけに入っていた多チャンネル放送のある番組を教える。機器の使い方は直ぐに覚え、カタカナも半分以上わかっているため、とあるチャンネルは直ぐにわかるようになった。子供向けアニメチャンネルだ。
大抵の映像作品が、わかりやすい言葉、わかりやすい映像、わかりやすい展開で作られているため、わからない言葉が多い彼女でも、理解しやすい為、食い入る様に見ていた。
だが、1日に1回の彼女を抱きかかえた状態での童話の朗読は無くなる事はなかった。いや、やめさせて貰えなかった。
食事は、季節柄、色々な旬のフルーツを食べさせ、感動させて居る反対で、新しい食材にもチャレンジして貰っていた。
実際は既に経験済みではあるのだが、小さい物に関しては初体験になるもの。そう、魚である。アジやサバ、サンマ等の苦味が少なく一番食べやすい背中を少量取り、全ての小さな骨を取り除き、食べてもらう。
庭で七輪を使い、焼いている時は、変な顔して見ていたが、食べると目を見開いておかわりを再即した。
『これってあの変な小さな生き物で、変な匂いするやつだよね?! 美味しい!』
しかし、ちょっと血合いの部分と、若干腹のキモに近いものが残っていたらしく、次食べた時、すごい顔して抗議してきた。
『違うもの食べさせたでしょ! さっきの頂戴!』
まだ、苦味や酸味には敏感であり、それらが旨味として感じる事はさほど出来ない為、仕方が無いのかもしれない。そのため、舟は謝りながらもう一度丁寧にとりわけて口に運ぶ。
『そうそう、これこれ!』
ご満悦だった。やはり、作り手としては、美味しいと言ってもらえる、少々大げさでも、毎回反応があるのはとても嬉しいことだ。出来るなら、美味しいだけでなく、美味しくない、こっちのほうが好き、その様な反応の方がより嬉しい。なぜなら、作ってあげたい人の喜ぶ顔が見たいのだから。
徐々に食べられる食材も増え、食事のレパートリーもどんどん増えていっている。ご飯も少量だが、そのままを食べさせても問題無い様になってきている。顎の力も舌の力も強くなってきている。まだ噛み切る事が難しい物は多いが、ホットケーキくらいは食べられるようになってきた。
ホットケーキを食べさせた時は、毎日でも食べたい様な仕草をする上、その日で直ぐに言葉をマスターしてしまった。
『黄色くて、丸い? こんなの今まで作ったこと無かったねぇ。なんだろう? 甘い匂いがするけど、ここ最近の舟は変なのばかり食べさせるからなぁ……。美味しいのが多いけど』
ホットプレートを用意して、目の前でホットケーキを焼いていく。調理風景も見せておいたほうが良いかなと、思った為だ。最初は単純に待っている間暇だろうなと思ってやっていただけだが、意外と喰い付きがよく、そう言えば、七輪で焼いていた時もしっかりと見てたなと思い出す。
ホットケーキを溶かしバターで味付けし、たっぷりのはちみつをかけ、ナイフで一口、いや、半口くらいに切り、彼女の口に運ぶ。ヨーグルトの時を思い出してか、甘いのに酸っぱいというのが少々恐怖があったのだろう。口に入る前の表情は、完全にこちらを疑っていた。
『あっまーい! 美味しい、美味しい! もっともっと! 早く!』
口の中でまだ咀嚼中なのに、目は次を訴えていた。飲み込んでからというと、咀嚼の速度が早くなり、そして慌てて飲み込み、あーんと口を開ける。
こんなに喜んでもらえるのなら、もっと早くしてあげればよかったかなと思ったが、直ぐに早くやらないで良かったと思うようになった。
彼女の許容量限界を越えた、2枚半を食べてしまった。パン類は食べ終えた後水分を取ると、意外とお腹が膨れる。それを計算しないで食べてしまった彼女は、苦しそうにして寝転んでいた。念のために洗面器やその他タオル等を準備したが、戻すことは今回は無かった。
それだけ苦しい思いをしたから、暫く食べたくないのだろうと思ったが、そんなことは無かった。
「しゅう、ホットケーキ!」
次の日、直ぐに再即してきた。そして、未だに自分の名前が少し幼い感じが抜けきっていないのに、ホットケーキだけは妙にしっかりと発音できてしまっている。人生で初めて食べ物に嫉妬した。
他にも、野菜類を多く食べさせる。基本はみじん切りにしてコンソメスープでしっかりと煮込み、柔らかくした物。玉ねぎ、人参、じゃがいも、かぼちゃ、とうもろこし、トマト、
茄子、パプリカ、ピーマン等。たまに残ったソーセージや、ベーコンを入れる。本来、普段の調理食材の残りを勿体無いから切り刻んで適当に煮込んで食べるインチキ料理だが、多くの野菜が取れ、意外と美味しいので、たまにやる。いつもは残り野菜が主体な為、味のバランス等は適当で、たまに外れと思うときもある。だが、彼女には、まだまだ足らない栄養素が多いはずなので、これはバランスよく取れていくだろうと考えてのことだ。
彼女も意外とこれは気に入ってくれたらしく、食が進んだ。
本来、夏野菜の茄子等は食べさせないほうが良いのかもしれない。体温調節の苦手な彼女が、水分の多い野菜を取ると、冷えてしまうだろうということだ。だが、そこまで多く入れていない為、そして、味を覚えてもらいたいがために、入れた。
纏めて口に入る為、苦手な野菜等は判断できないが、調理方法によっては、苦手な物も美味しく感じる事がある。それに期待してということだ。
そして、フルーツでは、桃、スイカ、ブドウの他に、旬のナシ、あとは、奮発してマンゴーを食べさせた。
桃に関しては、朝とれたての桃を取ってきてくれたので、新鮮な味を堪能できたと思う。まだ、取ったその日しか堪能できない、桃を皮ごと食べるという事は、顎の力の関係で食べさせることができなかったが、木で完熟になり、既に柔らかくなっている桃を選び、彼女に食べさせた。多分、今まで食べさせた中で、メロンと1位2位を争うお気に入りになった様だ。
まだ肉類は、ひき肉を利用した料理以外食べさせたことがない。多くの動物精油を摂取して大丈夫なのかわからなかったからだ。その為、肉団子のスープにしたり、ハンバーグでも、煮込みハンバーグにし、柔らかく、食べやすくしていた。
『ふわふわ? 美味しいけど、ささみ? の方が好きかなー』
食べさせた後も、特に体調を崩すことがなかったので、今後も種類を増やしていこうと思う。ステーキを食べさせることが出来るようになるには相当先かも知れないが、まずは普通のハンバーグ辺りを目標にと考える。
11月中旬。いよいよ寒さが本格的になってくる。
10月頭で、うっすら汗をかけるようになった彼女。筋肉や贅肉が付き、体温調節も出来るようになってきたということだ。しかし、暑さに対してようやく調節出来るようになったが、本格的な寒さは初体験の為、動きづらい自分の体がより動かなくなっていった事に恐れ、舟を何度も呼ぶ事があった。
寒いという事を教え、ゆっくりと指先を両手で温めてあげると、ようやくその意味がわかってきたらしく、安心した表情になっていった。
ただ、その日から、縁側で抱きかかえる事は減る。しかし、無くなったというわけではなく、今度は部屋のTVの前で抱える事になった。単純に場所が変わっただけである。
しかし、その数日後の夜、寝ている時に彼女から何度も呼ぶ声があった。
「しゅう、しゅう……、さむい、さむい」
普通の毛布に陽向から譲ってもらった羽布団、そして念のためにエアコンを付けたままだったのだが、それでもまだ寒かったようだ。
まだ2重の毛布は干してないし、柔らかい毛で覆われている敷布も、彼女のためにはもう一度洗いたい。石油ストーブもあるのだが、灯油を遠くに買いに行かざるをえないため、まだ買ってきてなかった事に後悔した。
暖かいお茶を入れても、まだ彼女はゆっくりとすすることが出来ない。どうするべきかと考えていた所、雪山登山の遭難を思い出す。
いやいやいやいや……。
頭を振り、それを振り払うが、彼女は切実な目をしており、まだ寒い、寒いと続けていた。
今日だけ、今日だけと思い、横になっている彼女の背中から抱きしめるようにして布団に入った。流石に肌を付ける事ははばかられた。風呂で合わせているのに、この時は緊張するとはなんてチキンだと思うが。
彼女を抱きしめると、体が冷たかった。冷え切っている訳ではなさそうだが、このままでは眠れないだろう。しかし、彼女の体温は自分の体温がゆっくりと伝わっていき、温まってきた辺りで彼女から寝息が聞こえ始めた。
一安心した為、布団から出るべきか悩んだが、考えている内に眠ってしまった。
翌日、灯油と、2重毛布を準備し、暖かい敷布も洗って干す。冬本番はこれからの為、不安がある。寒さに耐えるために、脂肪を増やすべきなのか、自然と彼女が慣れるのを待つべきなのか。こんなことは初めてなので、結論が出せない。
一緒に寝るのも安心出来たりするから、本当は嫌ではないのだが、彼女に依存してしまう事が怖く、何度もやる気になれなかった。
結局その日から暫くは2重毛布と石油ストーブ、それに弱めで加湿器を付けるだけで問題無かった。
しかし、ふと祖父が使っていた物を思い出し、手渡すと、日常的に使いたがった。
それは、古米を1kgほど布に入れ、完全に封をする。それを電子レンジで温めると、カイロの代わりになる。カイロより、熱く出来るが、彼女の肌の為に、そこまで熱くしないで手渡す。始めは米の香りが強いが、使っていくうちに弱まるので、少々我慢してもらう。
温め過ぎたりした場合は、一枚タオルを巻いて渡すと、ちょうどよく、その日から夜寝るのに寒くて眠れない事はなくなっていった。
そんな事を教室の外でぼんやりと思い出してると、ジリジリと近寄ってくる者達が視界に入った。前に5人。後ろに5人といったところだろうか。例の部活連の部長さん達だと思われる。期の最後や、月の末、何かの節目しか来ない所を考えると、本気で勧誘に来ているのかわからなくなってくる。しかし、毎回、ラグビー部の部長さんと、何故か美術部の部長さんだけはがっしりと捕まえてくる。ラグビー部の部長さんは、彼女も居る好青年な為、その傾向の趣味は無いだろうと陽向は言っていた。その時のよだれは見なかったことに。
美術部の部長さんは、正直わからないと言っていた。が、その目は何か隠している様な、実は全てを知っている様な目だったので、とりあえず、この二人だけは要注意人物として自分の中にインプットしてある。
今回も、前にラグビー部の部長さん、後ろに美術部の部長さんが構えている。しかし、授業が終わったタイミングが悪かった。いや、終わった授業の場所が悪かった。
ここは2階にある廊下。階段を降りるには、前か後ろの包囲網を突破しなくてはならない。
ムリに突破し、怪我をさせてしまうのは申し訳ないし、させたくもない。どうするかと悩んでいる所でふと目に入る物があった。
衆人環視がある中、部長さん達が息を合わせて突撃してくる。横一列に並んで。
よく別の部活なのに、ここまで統一した動きが出来るなと感心しつつ、その場を逃げ出すことにした。
手すりに向かって走り出し、手すりを掴んだまま外側にぶら下がる。体全体が伸び、一瞬停止したことを確認してから手を離し、着地する。そして、他の部長さん達に目もくれず、走り逃げ出す。
今回はうまく逃げ出すことが出来たが、次からは1階にも人を配置してきそうだなと悩みながら帰宅した。
ちなみに、一部始終を渡り通路から録画していた者がおり、動画投稿サイトで月末の日常という題材で、ほんの少し湧き上がったのは別の話。
家に帰ると、ラメールが冬場の日本人を一番堕落させる最終兵器を使用することを要請する。舟もその魔力には抗えないため、手を洗い、うがいをし、お茶をいれるためにお湯を沸かしてから移動する。彼女は背もたれがあればもうひとりで座れるようになっているのだが、今はその背もたれが無いので、舟がその役目をしている。
「こーたーつー」
この暖かい最終兵器こたつは、幾人もの日本人を堕落させていった恐るべき商品である。どこの生まれかわからない彼女だが、例外なくその魔力に取り込まれてしまった。
「あったかーい」
冬用の少し厚めのパジャマに暖かい靴下、そして可愛い色調のドテラを着込んだ彼女が舟の前でぬくぬくしている。そして、こたつの上にあるみかんをむいて食べようとしている。
ここまで日本人に染まらなくてもと思わなくもないが、舟が食べていた物を真似したがるようになり、一口食べさせたら意外とハマってしまったようだ。外皮のきっかけは舟が作るが、手の訓練ということで、それ以降は彼女が自分の手で行う。もう何も持たない状態であれば、10秒くらい両腕を胸からまっすぐ伸ばすことが出来る様になってきた。足も、自分で膝を立てられるようになり、徐々にだが筋肉がついていることを実感する。
声も、ほそぼそとしていた辺りから、かなり聞こえるようになり、舌、口、のど、肺等の筋肉がしっかりと付いて来た事を知らせてくれた。
他に、今ではおむつに粗相をすることが無くなった。便は問題ないが、稀に尿が少しだけ漏れてしまう事はあった。その為、花さんに相談した所、もう女性用ナプキンでも良いのではないかと言われ、購入する事に。だが、とても高いハードルをもう一度超える勇気を持てなかった為、花さんに勝ってきてもらうことにした。
腰から股にかけてのゴワゴワ感が無くなった彼女は、かなり快適になったみたいで、それだけで嬉しそうだった。
購入から約5ヶ月。ようやく初期に買ったショーツの出番となり、舟は改めてこんなに伸びるものなのかと驚いていた。
あれから幾度か自分の物と、タオルを買いにあの店に行くが、その都度あの女性店員に捕まり、色々な意味で悩む。自分の買い物だけであれば、問題ないのだが、彼女のための買い物が多いため、解説があると非常に楽なのだ。しかし、毎回来てくれるのは、口下手な自分としてはなかなかに苦しい時がある。だが、とてもありがたい事が多いため、やめてくれとも言えず、更には、ラメールの事も買っていく商品だけである程度特定、想像出来てしまっているらしく、こちらの消費状況や、冬用の肌着等を的確に勧めてきてくれる所が非常に侮れなく、ずっとその関係が続いている。
ショーツも暖かいものも準備してあるので、今でも寒ければそれに変えようと思っていた。
お湯がわき、みかんと格闘している彼女の後ろから離れ、お茶を入れに行く。
自分用の熱いお茶の他に、彼女用の人肌より少し熱い、熱いお風呂程度のお茶を準備する。
自分のお茶を入れる前に、彼女のお茶を少し冷ましたお湯で作り、一旦他の大きめのポットに入れ、また別のポットに移し、回数を重ねて温度を下げていく。何回か行うと、今の気温だと簡単に温度が下がる。冷ましたお茶をそれ以上下がらないように二重底の湯呑みにいれ、彼女の準備が終わる。自分のはそのまま熱いお湯で少し苦目に出し、台所から持っていく。
彼女はその時どうしているかというと、こたつの天板に胸を当て、体を支えている。両腕も天板の上なので、そこでも体を支えることが出来ている。実際はみかんと格闘しているので、殆ど胸で支えているだけになってしまうのだが。
ちょうど戻ってくると、ハズレの一房を引いてしまったらしく、酸っぱい顔をして苦しんでいた。だが、その酸っぱいのが過ぎ去った後、再度チャレンジしてもう一房口に入れる。今度は甘かったらしく、幸せそうな表情になる。暫くその光景を見ていたい所だが、舟が入り口で立っていると、隙間風が入ってくるため、寒いのか、早く早くと指示が来る。お茶を早くということと、早くふすまを閉めてということと、背中を暖めてということだろう。お茶を天板に起き、彼女の背中を暖める。腿の付け根やお尻はこたつに入らないのだが、暖まった彼女の背中、ドテラが自分を暖めてくれるのであまり大きく気にならない。
お茶をすすりつつ暫くその状態でTVを見て過ごすが、そろそろ晩御飯の準備ということで、彼女を動かす。こたつに入ったままだが、今度はうつ伏せで胸の下にクッションを幾つか置いて。一つ目のみかんとまだ格闘しているため、そのみかんも手が届く位置に置いておく。そして、TVのリモコンも。
今日は暖かいものということで、味噌煮込みうどんを下ごしらえしてあり、麺も既に茹でてあり、後は煮込むだけになっている。麺を先に茹でておくとクタクタになってしまうが、この手間は彼女のためだ。彼女にはかなり熱い物になるし、うどんをすする事が出来ないので、麺は小さめに切っておく。両方仕上げ、彼女のだけは土鍋ではなく、薄めの放熱性の良い皿に入れ、持っていく。
それでも冷めきっていなく、はふはふ言いながら彼女は食べる。
もう、女性の一人前を少し残す程度くらいは食べられるようになってきた。
しかし、今は一人前は持ってきていない。最近だが、舟の食べている方をチャレンジしたいらしく、舟から少しずつ貰っているからだ。今回はうどん一本。すする事をチャレンジしたいようだ。だが、流石にそうめんの時にチャレンジすれば良いのに、よりにもよってうどんかと思わなくも無いが、好奇心旺盛な彼女だ。チャレンジ精神も旺盛なのだろう。
『うー! 舟みたいに食べてみたい! よくあんなにするする口に入るね!』
顔が真っ赤になりながらすするが、結局断念し、歯で噛み、唇で送る。また悔しそうな顔をするが、それもまた舟にとっては楽しみだった。
今月に入ってから、チャレンジしていること、それは歯磨きだ。
腕を長い間持ち上げ続ける事が出来ないが、なんとか少しは磨けるようになってきた。それも舟に取っては嬉しいことであり、彼女も舟が嬉しそうにするので、頑張って毎日、いや、毎食後、歯を磨くのだった。
12月24日(日)クリスマスイブ。
一般的にはパートナーの居る人達、もしくは、家族のいる者達は楽しみな日だろう。明日が月曜日という事を踏まえると、本番の明日より今日の方が社会人のパートナーが居る場合はメインになるだろう。残念ながらこの日本でその本来の意味で捉えている者達は全体数で考えれば多くはない。一般的にはイベントとして捉えている。パートナーの居ない者達にとっては、血涙が流れるほど来てほしくない日かもしれない。
その様なイベントの日。舟は彼女にちょっとしたサプライズを考えていた。今日までの言動で彼女がクリスマスをよく知らないという事がわかっていた。その為、驚いて楽しんで貰おうと企んでだ。しかし、彼のプランは結局は皆で楽しもうという、いつもの立華家、神坂家との合同飲み会でしかないのだが、今日までに10回は数えて行ってきている。
かなり彼女も慣れ、そして、楽しんでくれているようなので、それと、プレゼントをすれば良いだろうと考えてだ。決して自分ひとりだけ彼女にプレゼントするのが恥ずかしいからと言う訳ではない。はず。
先日、夕飯の為のローストチキンを作るために、人数分x2の鶏ももを買い、下ごしらえをしてある。夕方に向けて軽く焼き上げておく。
その他にも、オーブンはローストチキンで使うが、魚焼き用のロースターは空いているため、後はパンとかも焼けるオーブントースターも使ってピザを焼こうと思い、生地を作り寝かせておく。サイズは市販のSサイズくらいだが、種類を作れるため、それに余り時間をかけずに焼き上げられる為、ラメールが来る前は意外とピザパーティーをやっていた。その下準備として、ハムや玉ねぎ、ピーマン、マッシュルーム、コーン、サラミ、ソーセージ、チョリソー等。本当はパイナップルも用意したいのだが、ハワイアンピザを食べられるのが舟と明夫さんの二人だけのため、残りの全員から却下される。
他の料理は神坂家と立華家が準備してくれる事になっているので、こちらは持ち寄るのが大変なメインをと。
すべての食材を切り終えた辺りでローストチキンを本格的に焼いていく。時間的にもう17時半になる。そろそろ、一般的なサラリーマンの鬱になる時間と言われるが、本来であれば楽しい食事の時間。ローストチキンの焼き上がりを眺めつつ、ピザ生地を伸ばしていく。
全部で16枚。ピザソースは既に作ってあるので、それを利用して生地に塗り、野菜、肉類、チーズを載せ、焼いていく。
手があいた時に、こまめに彼女の様子を覗くが、こたつにうつ伏せで寝転んでみかんを食べつつTVを見ている。何処のダメ主婦だと思わなくもないが、それも可愛いと思ってしまっている。
台所から良い匂いが漂ってくるので、彼女の観察は終え、新しいピザを準備に掛かる。
2枚目が焼きあがる辺りで玄関の方から声がかかる。
「舟、来たよー」
神坂家の陽向、大地さん、伊万里さん、そして、郡山 雄樹君が一緒に来ていた。もう既に一緒にいることに違和感を感じなくなってきている辺り、凄いことだと思う。話に聴けば、雄樹君の両親にも理解があり、既にあちらの家でも寝泊まりしているそうだ。
4人をラメールの居るリビングに案内する。クッションを幾つも重ね、ラメールを座らせ、皆と挨拶をする。
「ラメちゃん来たよー」
「ラメールさん、元気してたか?」
「ラメールちゃん、来たよ。美味しい料理いっぱい持ってきたからね!」
「ラメールさん、お久しぶりです。寒くないでしょうか?」
「ひなた、だいち、いまり、ゆうき、いらっしゃい」
たどたどしいが、はっきりとしてきた言葉。徐々に舌や口が慣れ、聞きやすい言葉になってきている。回数着ていない雄樹君だが、それでも驚くほどの進歩だった。
「舟ちゃん、手伝うわ」
伊万里さんがピザの手伝いを買って出てくれる。殆ど下準備は終わらせてあるので、後は切って出すだけ、ローストチキンはよそって出すだけ。だが、それだけでも一人でやるよりやかなり楽になる為、とても助かる。舟は他のピザも焼くだけにする為に準備を始め、伊万里さんは出来たピザを放射状に切っていく。そして、ローストチキンを取り出し、お皿に盛り付けていく。
次々とピザが焼きあがり、残り6枚という所で立華家の4人が来る。
「舟、来たよ」
晃、明夫さん、花さん、そして、蒼衣さんだ。蒼衣さんの両親にも、挨拶が済んでおり、もう、大学卒業後には結婚するのではないかと思われるほど、馴染んでいた。
4人をリビングに通すと、既に飲んでいた大地さんが出迎える。
「明夫ちゃんきたか!」
「大ちゃん、きたよー! それと、ラメールちゃんも久しぶりー!」
「お久しぶりです。ラメールさん、お加減はいかがですか?」
「ラメールさん、来たよ。またいっぱいお話しようね」
各々に放し始める所を舟は嬉しそうに眺めていた。
花さんの料理を並べ、ピザもまだ焼き途中だが、出来上がった分を並べる。伊万里さんの作ってきた料理は、再度暖める物は暖め終わっており、こたつを3個つなげた会場に皆が各々好きな所に座っていく。既に始めている大地さんを除き、全員が新たにコップに各々の飲みたいものを入れ、明夫さんの音頭で会が始まる。
「今年も皆で集まることが出来たな。去年もこの様な騒ぎをし、哲夫さんも俺達に負けずに飲んでた。あんなに急に逝くとは思っても見なかった。しかし、残された舟は、しっかりと地を踏みならし歩いている。舟の事を気になり、今まで通りこの様な会をあえて幾度も開いてきたが、もう心配ないだろう。伴侶も出来たしな。その彼女、ラメールさんも、初めてあったときに比べて、体つきが良くなり、美しい女性そのものになってきた。舟の徹底した介護のおかげだろう。勉学に励み、そして家事を行い、介護もする。彼女がさほど手がかからないとしても、普通では考えられないことだろう。そんな立派になった舟に、回復してきたラメールさんに乾杯!」
「乾杯!」
とても嬉しく、そして恥ずかしい褒められ方をする。彼女のためにと動いてきただけなので、特に苦しい等と思ったことは無かった。だが、一般常識で考えてみたら、肉体を酷使する介護。そして、いつまで続くのかわからない道。舟にとって良かったのは、それが改善していく道標がはっきりとしていたからかもしれない。希望という、良くなる未来を描けたから、耐えられた、いや、続けられたのかもしれない。しかし、その様な事を、尊敬する明夫さんから褒められる。他の家族達もそう考えてくれているだろう事を考えると、胸が熱くなり、何かがこみ上げてきた。
「だけど、ちょくちょく来るから、また美味しい料理よろしく!」
お酒を一杯直ぐに飲み干した後、余計な一言を付け加える明夫さん。全ての感動が台無しになり、花さんや陽向から小言を言われてしまっていた。
しかし、それはそれで、いつもの日常。無理にこちらに付き合っているわけではない事がわかり、嬉しくなる。言われたからではないが、せめて美味しいものを食べてもらおうと思い、舟は台所に向かい、ピザを全て焼き上げることにした。
その間のラメールのご飯は、以外にも蒼衣さんが良く食べさせてくれる。姉御と言うか、困った人を見捨てられないというか、そんな優しい所に晃は惚れたのだろうと思えた。
ラメールも、嫌がっている様子も無く、食べさせる事にも慣れてきた為、テンポよく欲しい物をほしいだけ食べさせる。凄く大変なことを行ってくれていた。
舟が戻ってからは、いつもの様に抱きながら食事を食べさせる。そうなると蒼衣さんは、自分の役割は終えたとして、今度は晃の面倒を見る。こういうのが良い女なのだろうなと思わせる所だった。
クッションをどけ、ラメールの後ろに座り、彼女を抱える。もう、皆の前では当たり前の光景になっているので、流石に茶化す人も居なくなった。もう、両手が少し使えるようになっている所は、本来突っ込むべきところなのかもしれないが。
ピザを一口サイズに切り分け、口に入れていく。彼女も咀嚼する力が強くなって居るので、ピザくらいなら具の内容によるが、問題なく食べられるようになっている。ゆっくりと食べながら咀嚼し、舟もその間に自分のものを食べる。彼女はこのピザが結構お気に入りらしく、好んで食べる。作っている所を見てみたいと言うので、台所の隅で見てもらっていたら、毎回せがんでいたピザを、一週間に1度程せがむくらいになった。生地を作り、伸ばし、そしてピザソースを作るのが大変なだけで、焼くのはさほど手間のかかることでは無いので、もっと言っても良いのだが、食事のバランス等を考え得ると、これでいいのかもしれないと思った。
ローストチキンも、小さく切り分け、口に入れる。あまり硬くなりすぎず、ちょうどいいくらいだと思う。彼女も喜んで食べてくれている。皮も好んで食べるが、まだしっかりと噛み切れていない状態で飲み込んでいるようだ。
「舟、おいしっ」
少し顔を上げてニッコリ微笑みながら伝えてくれる。舟はこの一言で全ての疲れが吹っ飛んでいくのを感じた。
「さて、本番はこれからだな」
そう言うと、話をしていた面々は半数が立ち上がり、別の部屋に向かう。そして、各々袋に入った物や、包装された物を持ち、部屋に戻ってくる。
「ラメールさん、メリークリスマス。これは私と明夫さんからのプレゼントよ」
そう言うと、明夫さんは大きな包装されるものを舟に抱きかかえられたラメールに向かい手渡す。いや、実際は隣に置くだが。困惑気味のラメールが舟に顔を向ける。
「なんで……?」
「今日は、クリスマスイブ。良い子にはプレゼントが貰える日なんだよ」
「クリスマス! でも、私いいこ? 舟、もっといいこ」
英語敵発音でクリスマスを彼女に出来る精一杯の大きさの声で叫び、ただ、貰っても良い物なのか、舟には無いのか不安になって聞いてきた。
「僕はちゃんと貰ってるし、皆にもあげるよ」
各々全員分、そこまで高くない物を毎年渡している。女性陣には美容石鹸の詰め合わせ、大地さんや明夫さんには酒屋さんに頼んで日本酒一升。晃には件の動物アニメの設定資料集。雄樹君には安い万年筆と、色鮮やかな紫陽花色のインク、そして、万年筆専用のインク入れを渡す準備をしてある。今は、皆が優先的にラメールに渡そうと考えていたのだ。
「ありがとう! 舟、あけて」
ラメールに言われ、丁寧に包装をはがしていく。海外だと、どれだけ乱雑に開けてもらえるかが興奮の度合いを図れるみたいな事を言っているようだが、舟の性格上、どんなに興奮していても、丁寧に剥がしていっただろう。
今回も、一部も切らずに包装をはがし終え、商品が露わになる。
大きめの体がすっぽり収まるような、包み込まれる座椅子だった。
「座ってみて」
花さんが、ラメールに伝え、ラメールが舟にお願いする。
座ってみると、バケットシートまでは行かないが、しっかりと体が包み込まれ、そして、舟の背中により掛かるかのようにして起き上がれており、しかも、無理をしてるようには見えなかった。
「ちょうどよかったな! 前からこれを見ててラメールさんに良いなと思ってたんだよ!」
「そうね、あなた。ちょうど良いくらいだわ!」
花さんと明夫さんがとても嬉しそうに座ったらメールを眺めていた。
「ありがとう!」
満面の笑みで返事をするラメール。そして、次は神坂家の二人、大地さんと伊万里さんだ。
「結構似ちゃってるけど、多分使えると思うわ」
同じように舟に手渡し、大きな包みの包装をはがすと、それは座れる毛布だった。
「女の子が腰冷やしちゃ駄目だからね。ちなみに、見つけたのは旦那よ」
オチャメな表情をしながらそれを付け加えてくれる。そして、大地さんは我関せずと言うか、恥ずかしがってか、こちらを見ないでお酒を煽っている。
座ってみると、腰辺りの薄寒さが無くなったみたいで、嬉しそうにしていた。
「ラメちゃん! 私と雄樹からね!」
陽向から舟が受け取り、包装をはがしてからラメールに見せる。
「春になったらこれ着て一緒にお散歩しよ!」
白のレギンスパンツだった。足の長さ調節はしてないようで、これから測ってやるようになるだろう。しかし、ラメールは目を見開いて嬉しそうに笑っていた。
「ラメールさん、これは私と晃からね」
蒼衣さんが陽向達と同じくらいの包装で渡してくる。開けてみると、淡いピンクのワンピースだった。
「髪の毛の色と合うかちょっと自信なかったけど、大丈夫そうね。友達のショップに無理言って取り寄せた物なの。似合いそうで良かったわ! さっきの散歩、これも着て行ってね?」
ラメールは、またまた驚き、興奮しきっていた。嬉しそうに蒼衣さんと晃は眺め続け、そして、舟の事を呼ぶ。
「最後は僕からだよ」
袋をラメールの膝の上に置き、そして開けてと促される。
舟が広げてみると、それは春用の薄いベージュのコートだった。
「同じく蒼衣さんの友人にお願いして、準備してもらった。春の散歩一緒にいこう」
それを見て、そして聞いてラメールは、満面の笑みのまま涙を流す。
しかし、直ぐに本当に泣き出してしまい、オロオロしながら舟は彼女を優しく抱きしめる。
「舟、どうしよう。わたしから、なにもない……」
泣きながら断片的に続けて聞こえる言葉。彼女は、皆に渡せる物が無い為、悲しくて泣いてしまっていたのだ。彼女の思いやる心が見え、舟はそれでも大丈夫、大丈夫となだめながら頭をなで、泣き止ませていった。
「お返しなんて気にすんな。ラメールさんが元気になってくれれば、一番だ!」
「そうよ、ラメちゃん。ここ以外にも一杯面白いところあるんだから、一緒に行こうね!」
「陽向ちゃんが連れて行く所って、また危なそうね」
「アオちゃん! それ酷い!」
良い所でオチが付き、しんみりとしていた空気が暖かくなる。陽向は決してそう言うつもりじゃないのだろうが、良いタイミングでオチを誘う言葉を出してくれる。それも、皆が上手く拾うからなのかもしれないが。
「舟、みんなにありがとうしたい」
そう言うと、舟はラメールから離れる。そして、続けてラメールが伝える。
「あおい」
両手を広げ、蒼衣さんを呼ぶ。ラメールがしてもらって今一番嬉しいこと、それで返そうというのだ。
「あおい、ありがとう」
弱い力だが、ぎゅっと蒼衣を抱きしめる。蒼衣さんも嬉しそうに抱きしめる。
10秒くらいか、そのくらいでどちらからとも無くはなれ、ラメールは次を呼ぶ。
「あきら」
「え? 僕?」
「あきら、ありがとう」
戸惑いながら晃も抱きしめられる。良いのかなという表情と、蒼衣さんに怒られないか等の戸惑いが見てわかってしまった。恥ずかしさからか、3秒程で抱きしめ終わるが、満足出来てないラメールは少しムスッとしていた。そして、改めて呼ぶ。
「ひなた」
「ありがとー、ラメちゃん!」
「ひなた、ありがとう」
陽向はちょっと暴走気味で抱きついてしまったが、力加減は間違えていなかったらしく、ラメールの表情は苦しそうではなかった。
この二人は意外と長く、20秒程かかって離れる。そして、次を呼ぶ。
「ゆうき」
「ちょっと恥ずかしいです」
「ゆうき、ありがとう」
そう言いつつも、もう逃げられない事を悟っているのと、美人と抱きしめる行為がちょっと嬉しいのか、顔がニヤつきながら抱きしめる。10秒も立たない内に限界と思い、離れるが、その表情は満足そうだった。離れた後に陽向から蹴りを喰らってたのは仕方がないのかもしれない。
「はな」
「私もいいのね? ありがとう」
「はな、ありがとう」
花さんも、ゆっくりとお互いに優しく抱きしめ合う。優しく、そして少し長かった。ゆっくりと笑顔で離れ、次を呼ぶ。
「あきお」
「おおおお、俺も良いのかい? 恥ずかしいなぁ……、花、浮気じゃないぞ?」
「わかってるわよ!」
明夫さんは、背中を花さんに叩かれながらラメールの元に向かい、抱きしめ合う。
「あきお、ありがとう」
意外とこの様なことに慣れてない様で、ラメールの背中に完全に手を回しきっていない明夫さん。花さんに遠慮してなのか、花さんが怖いからなのかも知れないが。こちらも短めで離れ、ラメールはやっぱり少しだけ不満顔だった。
「いまり」
「はいよ。ラメちゃんありがとうね」
「いまり、ありがとう」
普段農業で力を使っているためか、もしくは、流石に陽向の母親というところか、ちょっと強めに抱きしめてしまう。だが、それもラメールは嬉しそうでぎゅっと抱きしめかえす。
そして陽向より長く25秒くらい抱きしめてから離れる。
「だいち」
「お、俺も!?」
「そうよ、あなた。ちゃんと来なさい!」
恥ずかしくてずっとお酒を飲んでそっぽ向いていた大地さんも呼ばれ、伊万里さんに無理矢理連れてこられた。
「だいち、ありがとう」
「お……おう……」
恥ずかしさの限界がすぐ達してしまったらしく、晃にも負けないくらい短い時間で離れてしまう。やはり、それが不満だったみたいで、ちょっとムスッとしていた。
さて、終わりだと思った辺りで、ラメールから声がかかる。
「舟、舟も!」
流石に一人だけこの中でやらないわけにも行かず、舟もラメールの下に向かう。周りにとっては今更だろうという表情が浮かび上がっているが、改めて抱き合うと言うのは恥ずかしい事だった。
「舟、いつも、いつも、いっぱい、いっぱい、ありがとう」
ラメールの抱きしめる力は舟にとっては微々たるものだった。しかし、今まで彼女から感じた力の中で、一番強い力で舟の事を抱きしめていた。
「春、一緒に散歩行こうな」
「うん」
満面の笑みでラメールはその返事を返した。