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 関東多摩スラムと中央(都内)の境界は、多摩川に架かる〝稲城大橋″とされている。

 中央自動車道を東西に伸びる線とした場合、ちょうど稲城大橋から西側が関東多摩スラム、東側が中央となっている。

 そして冬子と銀子が住むマンションは、稲城大橋からすぐ東――調布市内の私鉄駅近くに建てられた高層マンションだ。

 パラ研の福利厚生はとても手厚く、潤沢な住宅手当てが支給されている。

 そこに冬子の『無駄な贅沢をしたい』という不純な動機も加味されたことで、4LDKという二人暮らしには広すぎる部屋を賃貸していた。


 その高層マンションに向かう道すがら、冬子は長老衆から預かった短剣を調べていた。

 ちなみに近藤は、赤色灯をつけて爆走できるのがご機嫌なのか、鼻歌を奏でながら運転している。


「どうしたんすか。そんな怖い顔でずっと短剣を眺めて」

「……とんでもない短剣を預かったかもしれない」

「やばいもんなんすか? 刀身は真っ黒だし、妙に細くて長いし、なんか不気味ですね」

「ボーンナイフだ」

「ボーンナイフ?」

「ああ。骨を加工してつくるナイフだ」

「え? じゃあその黒い刀身って、まさか骨を削ったものっすか?」

「恐らくな。一般的には鹿の骨などを加工してつくられるが……」

「なんの骨なんすか?」

「人外の骨だ、悪性変異体の」

「――は?」


「おいバカ! 前を見ろ! いま何キロだして運転してると思ってる!」

「す、すんません! あまりにビックリして。でも、だって人外って、死んだら骨も残さず灰になるじゃないですか? なんで骨だけで残ってるんすか! それ生きてるってことじゃないんすか!?」

「詳しいことは私にも分からない。だが『人外の骨でつくられたボーンナイフが、この世に四本だけ存在する』という話は聞いたことがあるし、実際にその一本をパラ研欧州本部で見せてもらったこともある」

「四本――両腕・両足の骨ですかね?」

「さあな。とりあえずパラケルススがいた時代の遺物らしい。作成者は不明だ。どうやって人外の骨を灰にせずに留めたのか、現在でも解明できていない。これまで二本の所在が判明していて、それらはパラ研欧州本部の宝物庫で厳重に保管されている」

「じゃあ、それって行方不明の三本目……?」

「たぶん」

「どうしてそんなものを、日本のスラムの爺さんが持ってたんすか……。というか冬子さんってどうしてそういう変なものばかり抱え込むんすか!」

「うるさい。黙れ」

「……はあ。欧州本部まで絡んでくる貴重な遺物となると、また余計な報告書類をたくさん書かされて、一課や二課の連中には無駄に妬まれて、事務仕事を増やされた恵美ちゃんの機嫌が悪くなって、良いことなんて一つもないってオチがつくんすよね……」

「……近藤、いいかよく聞け。私はこの短剣を抜いていない。革鞘かわざやにしまったままにしていた。だからこの短剣がボーンナイフだったことも知らないし、ましてや人外の骨で作られた特別な短剣だなんて気付いていない。だから余計な書類仕事なんて発生しない。いいな。分かったな?」

「オレ、冬子さんのそういうとこ尊敬してます!」

「うるさい。黙れ。いいから早く私のマンションに向かえ。あと何分だ?」

「あと2、3分で着くっす!」


   ◇◇◇


 マンションに到着すると、冬子は車のトランクから、A装備のはいった黒色の大きなボストンバッグを取り出し、自分の部屋へと向かった。近藤はエンジンをかけたままの車で待機させた。

 A装備とは、特殊ラバー製のパワードスーツだ。ちなみに運搬に装甲車が必要となるB装備は、特殊装甲製のアーマードスーツとなっている。


 三○階でエレベーターを降りて、自分の部屋へ。

 鍵を開けて入室すると、玄関もリビングも真っ暗だった。


(普段なら銀子がすでに帰宅しているはずの時間だ。帰宅前に電子トークメッセージも送っておいた。なぜ明かりが一つもついていない……?)


「ただいま、銀子」

 いつもなら笑顔で出迎える銀子の姿どころか、答える声一つなかった。

(……まさか!)

 冬子はボストンバッグを玄関に放りだし、急いでリビングへ向かった。

 リビングの暗闇の中、ソファで膝をかかえてうずくまっている銀子の姿があった。

 中学校から帰宅して以降、ずっとそうしていたようで制服姿のままだ。


「銀子!」

「――はあ。はあ。冬子……さん。ごめんなさい」

 息切れが激しい。

 熱にうなされたような惚けた顔をしている。

 銀子は吸血衝動を抑えきれなくなっていた。


「すぐに準備する」

 冬子はそう言うと、上着を脱ぎ捨てた。

 そしてブラウスのボタンを外し、ブラ紐をずらす。左肩を露出させたままオープンキッチンに向かった。テーブルに置いてある消毒液で、丹念に首筋から鎖骨まで消毒する。

 銀子のところへ戻り、ソファで向かい合うような姿勢をつくる。

 目に涙をためた銀子の顔を抱き寄せ、白く美しい左肩を差し出した。

「――ほら。銀子。飲むんだ」

「ごめんなさい。冬子さん。ごめんなさい」

 その肩口へ、銀子ががぶりと噛みついた。


 銀子は血を吸う行為が大嫌いだ。

 常に生理的な嫌悪を感じながら、吸血という欲望を抱えている。

 かぎりなく悪性に近い良性変異体であることもそうだ。

 母親を憎み、それと同時にどこかで母親を求めていることもそうだ。

 この美しい少女は、二律背反アンビバレンツな問題をいくつも抱えていた。

 その中でも、銀子にとって、もっとも過酷な二律背反は――


「――っ。んん……」

 涙を流しながら生き血を吸う銀子の声音が、だんだんと色づいてくる。吸血行為で満たされることで、性的興奮が湧き上がってきているためだ。

 冬子の体に、銀子が体を密着させてきた。ぎゅっと抱きつき、対面座位のような姿勢になる。

 ほんのわずかだが、もどかしそうに腰が動いていた。

 うめき声なのか、あえぎ声なのか、どちらか判別に迷うような甘い声を上げながら血を吸いつづける。

 それに対して冬子は、『何も問題ない』と語りかけるように、銀子の背中をやさしくさすり続けた。

(近藤を下で待たせておいて正解だった……)

 もし冬子以外の誰かにこんな姿を見られたら、銀子はとても耐えられないだろう。


 銀子は性的なことに対して酷く潔癖だ。

 無理もない。母親に裏切られ、二十人以上の男に犯されかけたのだから……

 しかし吸血をすると、どうしても性的興奮が湧き上がってしまう。

 潔癖と性的興奮――この二律背反が、銀子にとって、もっとも過酷な問題だった。

 だから銀子は、吸血衝動をぎりぎりまで我慢するし、吸血中は涙を流しつづける。決して自分から『血を吸いたい』と言わない。心の底から嫌悪していた。

 二律背反アンビバレンツの少女――それが銀子だ。


(いまはこれで良い。泣いて。甘えて。嫌悪して。この子が抱える問題と少しずつ向き合っていければいい。いつかこの現実を受け入れて、前に進める日がきっとくるはず……)

 銀子が泣き止むまで、冬子はやさしく抱きしめつづけた。


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