5
冬子が長老衆と会談するにあたって、店主から、いくつかの条件をつきつけられた。
――長老衆と会えるのは冬子一人。
――近藤はラーメン屋に残していく。
――長老衆のいる場所に着くまで冬子は拘束される。
身の安全など保障されない一方的な条件だったが、冬子はそれらに同意した。
同意後、店主は再びどこかへ電話をした。
するとラーメン屋の店前に、黒塗りのワゴン車がとまり、ガタイの良い男が三人降りてきた。
男達は何一つ語らず、冬子に黒頭巾を被せた。さらに手首も縛る。
「冬子さん!」
近藤が、不安と焦りを含んだ叫び声をあげた。
「大丈夫だ。近藤。もしも二時間経っても私が戻ってこなかったら、緊急回線で東堂課長に報告をしろ」
「……はい、分かりました」
冬子は近藤にそれだけ告げると、男達に連れられて、ワゴン車の後部座席へ乗せられた。
三人がけの座席の真ん中に座らされ、その両脇には男が二人座った。
そして残りの男一人が運転席に座り、すぐにワゴン車が動き出す。
ラーメン屋の店主は残ったようだ。
結局、三人の男達は一言も発しなかった。
(――よく訓練されている)
冬子はそう思ったが、特に脅威は感じなかった。
この程度の男三人なら余裕で勝てるという自信があった。
◇◇◇
しばらくして、冬子を乗せたワゴン車がとまった。
両脇に座っていた男達が、冬子の腕を掴み、車から強引に降ろす。
まだ黒頭巾は被せられたままだ。
そして背中を小突かれ、真っ直ぐ歩くよう促された。
冬子は地面を確かめるように、一歩ずつ確実に進んだ。
『一、二、三、四……』
逃げ出す必要がでてきた場合にそなえて歩数も数える。距離感を掴むためだ。
そうして百歩ほど歩いたところで――
「止まれ。そのまま動くな」
背後から声をかけられた。
男の声だ。おそらく冬子を拘束した三人の中の一人だろう。
冬子は歩みをとめて静かにまった。
少しして、ふわっとした感触が頭を撫でた。
被せられていた黒頭巾が取り払われたのだ。
冬子の視界に〝ぼんやりとした光″がはいってくる。暗闇に慣れた目を細め、あたりの様子をうかがった。
どうやら大きな屋敷の土間にいるようだ。
土間はとても広く、その中心に囲炉裏がある。
〝ぼんやりとした光″はその囲炉裏の火だった。そこには鉄瓶がかけられており、湯気があがっている。
そして、その鉄瓶で暖をとるような形で、三人の老人がぐるりと囲炉裏を囲っていた。
老人達以外に人の姿は見えない。
左右・背後と見渡してみたが、土間が広すぎるせいで、囲炉裏の火だけでは隅々まで照らせておらず、囲炉裏の周囲以外は暗闇に包まれていた。
ただし暗闇の中に、人の気配は感じた。
どうも土間の壁際あたりに、かなりの人数が配置されているようだ。
おそらくは正面にいる三人の老人が〝長老衆〟で、暗闇に隠れているのは警護の者達だろう。
もしも冬子が長老衆を襲おうとすれば、暗闇に隠れていた者達が姿を現し、冬子を排除するはずだ。
そんなつもりは一切ない冬子は、ひとまず目の前の老人達に声をかけた。
「この集落の長老衆だな」
「ごめんなさいね。こんな呼び方をして」
「手荒なマネをして、すまんの」
冬子の呼びかけに、老婆と老爺の二人が答えた。残り一人は黙ったままだ。
気にせずそのまま会話をつづける。
「そちらの領域に踏み込んだのは私だ。気にしないでほしい。それよりも時間がない。手短に頼む」
「ふむ。用件はRTCのことじゃったかの。あれのリーダーは誰じゃったか?」
「雪人よ。とても賢い子だった。あの子には期待していたのだけれど……まだ若すぎたのかしら、残念だったわ」
すでに死んだものとして扱おうとする態度に、冬子は怒りをおぼえた。
思わず語尾が強くなる。
「まだ生きている可能性がある!」
「じゃが死んでいるかもしれん」
「見捨てるのか?」
「ワシらはスラムの子らを、決して見捨てなどせんよ」
「ならば何故動かない」
「あの子はね。ここのルールを破ったの。だからもう、この集落の子ではないのよ」
「じゃからワシらにはもう関係のないことなんじゃ」
長老衆の二人は、まるで他人事のように語った。
冬子は怒りを抑えこみ、粘り強く語りかける。
「関東多摩スラムはクスリを許さない。それがルールのはずだ。そしてRTCはそのルールを守り、クスリ屋を襲撃して逆襲された。そうではないのか?」
「……クスリは、許さぬよ」
「そうだ。ここのスラムはクスリを許さない。では何故だ? 何故あのクスリ屋を放置していた? RTCを助けない?」
「…………」
「何故そこで沈黙する。答えろ!」
もはや怒りを抑えきれなかった。
長老衆はすべてを知った上で、少年達を見捨てたのだ。
◇◇◇
「……あなたたちには分からないでしょうね。私達には私達の生きる術があるのよ」
「そんなことを聞いているわけではない!」
――と、そこで。
それまで沈黙していた長老衆の三人目が口を開いた。
「わしらはクスリを許さぬ。……じゃがな。アレは別じゃ。アレには関わらんと決めておるのじゃ」
三人目の言葉に、冬子は驚いた。
「――ファンタジーを、知っているのか?」
「……ああ、よう知っとるよ。アレは化物を生む」
「何があった?」
「なに昔の話よ。おまえさんがまだ産まれてもいない頃の話じゃ。まだ研究所がこの日本にない頃のな……」
三人目は悲しそうに語り、ふたたび沈黙した。
そして、また二人の長老衆だけが話しはじめた。
「何十年も昔にね。あなたたちのような研究所が存在していない頃、この集落でファンタジーが流行ったことがあったのよ。……そして、たくさん死んだわ。本当にたくさん死んだ……」
「その時はどうした? 戦ったのではないのか? だからいまでも、この集落が残っているのだろう」
「確かに、戦いはあった」
「私達以外のね」
「どういうことだ?」
「さての。詳しいことはワシらもよう知らん。知っておることといえば、大きな化け蜘蛛があらわれ、巣をつくり、集落の住民を食い散らかしたことじゃ。それと――」
「それとね。ある時、一人の若い女性がやってきたのよ。日本人ではなかったわ。まるでお人形のような、とても綺麗な女性だった。年頃は……そうね、ちょうどあなたと同じぐらいだったかしら」
「その西洋の娘が倒してくれたんじゃ、化け蜘蛛を」
「……そして、彼女も死んだわ」
その死を慈しむように、三人目が、ふたたび重い口を開いた。
「――彼女の最期を看取ったのはワシじゃ。毎日看病したが助からんかった。深い傷と、猛毒に犯されておった。最期まで気高く綺麗な人じゃったよ」
「ほお。看取ったのはおまえさんじゃったか。そりゃ初耳じゃ」
「まあ。もしかして初恋の人? 詳しく聞かせてほしいわ」
緊張感のない会話に、冬子はイラだった。
今は時間がない。人命がかかっている。
「悪いが、爺さん婆さんの思い出話に付き合うつもりはない。後で好きなだけ話してくれ。それよりも、いまはRTCのことだ。ここの集落は、その化け蜘蛛がいまだに怖くて、売人の存在を許していたのか? スラムの信念をまげたのか? RTCよりも売人のほうが大事だと?」
「言葉がすぎるぞ!」
馬鹿にしたような冬子の物言いに、土間の暗闇から怒声があがった。長老衆の警護の者の声だ。
それを長老衆の一人が黙らせる。
「よい。黙っておれ」
「私達の代では、もうどうすることもできなかったのよ。ファンタジーの売人はこの集落に深く入りこんでいたの」
「……いつからかは知らん。長老衆の立場を、先代から引き継いだときには、すでに密約があったんじゃ」
「密約? 教団とか?」
「教団など知らぬ。何度か代替わりをしているが、ワシらの相手は売人だけじゃ。そして昔も今も、売人の要求は一つじゃ。――『この集落の片隅でファンタジーを売買させろ。見逃せ。見逃せば、スラムにファンタジーは流さない。スラムの住民も殺さない』ただそれだけじゃ」
「そんな約束が、いつまでも守られると思っているのか?」
「……仕方がないんじゃよ。ワシらにはどうすることもできん」
「どうして戦おうとしない? いまなら私たちパラ研もいる」
「戦ってどうなるというのじゃ! 戦ってもスラムの日常は何も変わらぬ! ここは関西や九州のスラムとは違い、平穏を望んでおるんじゃ!」
「もしもの話よ。もしもあなたたち研究所と協力して、あの売人と戦ったとして、その後はどうするの? この集落はきっと恨みを買うわ。売人の組織は許さないでしょう。その時、あなたたちはこの集落を守ってくれるの? 永遠に、ずっと?」
「それは……」
「無理なはずじゃ。おまえたち中央はいつもそうじゃ。おまえたちには永遠に分からぬよ。スラムのことは……。泥水をすすり、寒さにうち震え、飢え、怯え、簡単に幼子が捨てられていくスラムのことなどわかりゃせん」
「もし私達が戦うときがくるとするならば、それはこの国と戦うときよ。あなたが言っているのはそういうことでもあるのよ? 生活を守るために戦えというのは、私達にとっては、そういうことなの」
「じゃが、そんなことをしても意味がない。勝てぬ敵と戦って何になる」
「だから私達は、弱きままでいるの。目立たぬようにひっそりと、潜むように暮らし。見逃されて生きていくの。それが私達の生きる術。もしも武器をとって強大な敵に立ち向かえというのなら、いずれ私達はこの国とも戦わなくてはいけなくなる。そんなことは、誰も望まないでしょ?」
義憤にかられて長老衆を責めたことを、冬子は恥じた。
長老衆とて、RTCの少年達を見捨てたくて見捨てたわけではないのだ。
『千を守るために、一を切る』
長としての決断だ。
部外者の冬子にそれを責める権利はない。
「……あなたがた長老衆が、大局を見据えているのは分かりました。個人のためではなく、この集落を守るための決断をしていることも。そしてあなたがたに〝戦え〟と促すのは、私の失言でした。申し訳ありません」
冬子は深く頭を下げた。