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 野良猫をネタに、野々宮と雑談を興じた冬子は、空模様が怪しくなってきたところで、研究所内へと戻ってきた。

 ちなみに野良猫のデイジーは餌をもらうだけもらうと、もう用済みとばかりにどこかへ行ってしまった。

 猫なんてそんなものだ。なかなか懐かないところが逆にいいのだ。

 結局、野々宮と野良猫のせいで、冬子は煙草を吸えなかったが、凄惨な事件現場のせいで荒んだ心は和ますことができた。


(――やはり動物はいい。あの三毛猫は三課の経費で面倒を見ることにしよう。東堂課長には秘密だ。万が一バレた時は、始末書で勘弁してもらおう……)


 冬子は野良猫の余韻に浸りながら、正面玄関から研究所に入った。

 エントランスホールから、まっすぐ奥へとつづく細長い通路を歩く。


 この通路には、監視カメラや赤外線サーモグラフィなど、各種モニタリング機器が設置されており、地下四階の管制室にて二十四時間、常に監視されている。

 よって冬子も野々宮も、この通路では絶対に無駄口を叩かない。

 音声も拾われているからだ。

 もしも『三課の経費で野良猫の面倒をみよう』などと会話を交わせば、一発でバレる。

 だからいらぬ誤解を生まぬように、まっすぐ前を見据え、整然と歩いた。

 そうして通路の奥にたどり着くと、そこには分厚い鉄扉が一枚。

 ドアノブはついていない。

 認証コードを入力して開閉するシステムだ。

 鉄扉のすぐ手前に設置された番号パネルの台座に、認証コードを入力する。

 第一ゲートが開いた。

 その向こうには新たな鉄扉が――


 つづけて第二ゲートでは指紋認証を。第三ゲートでは虹彩認証を。それぞれ一人ずつ行い通過していった。

 そして、第三ゲートの向こうにはエレベーターが四機ならんでいた。

 冬子は野々宮と共に、そのうちの一機に乗り込んだ。

 エレベーター内の右手側には、階数表示のない白いボタンがいくつも並んでいる。

 冬子は首から下げていた社員証を、ブラウスの中から引っ張り出し、白いボタン付近に取り付けられたタッチパネルにあてた。

 すると真っ白だったボタンに、数字が浮かびあがった。

 その中から『B2』と表示されたボタンを押す。静かにエレベーターが動き出した。


   ◇◇◇


 パラケルスス研究所内のセキュリティは非常に厳しい。

 機密情報を取り扱う公安警察のデータベースと繋がっているだけでなく、実態そのものが機密となるパラケルスス研究所欧州本部との情報共有も行っているからだ。

 それゆえ、パラ研日本支部の建物は要塞化しており、さらに特殊な地下構造をとっている。

 ぱっと見た感じ、外観は地上三階建てだ。


 だが実際のところ、重要施設はすべて地下にあった。

 だから地上フロアはすべてダミーだ。

 一階はただの出入り口で、二階、三階にいたっては、パラ研とはまったく関係のないバイオ燃料に関する資料しか置かれていない。

 したがって、パラケルスス研究所日本支部は〝地下にある″と言ってよい。

 しかしながら、その地下構造の全貌を知る者はごく一部の者だけだ。詳細な地下構造を秘密にするため、研究所に勤務する者にはICカード型の社員証が発行されている。

 その社員証ごとに、エレベーターで行けるフロアを分けているのだ。


 たとえば冬子の社員証を使えば、地下一階から四階までエレベーターで移動できるが、野々宮の社員証だと地下一階と二階にしかいけない。

 ちなみに東堂課長の社員証であれば地下五階以下にもいけるらしいが、冬子にとって、それはどうでもよいことだった。

 まったく興味がわかなかった。

 知らなくていい情報など、知らないほうがいいのだ。

 情報を知りすぎた者にプライバシーなど存在しない。

 研究所を退職した者は、公安警察の監視下に置かれる。

 機密情報を外部に漏らさぬよう、また他国工作員やテロリストなどとの接触がないよう、死ぬまで監視されつづけるのだ。

 昨年、三課を退職した者も例外ではない。


(――嫌な気分だ。この研究所は息がつまる。煙草が吸いたい)

 そんな冬子の思いと共に、エレベーターは下っていった。


   ◇◇◇

 

 エレベーターが地下二階につくと、冬子はそこで野々宮だけを降ろし、自身はそのまま地下三階へと向かった。

 地下二階には、機捜一課から三課までのオフィスがある。

 本来なら、冬子も三課のオフィスへ帰るつもりだったが、喫煙スペースから研究所内に戻ってくる際、表の駐車場に鑑識班のワゴン車が止まっているのが見えたのだ。

 どうやら現場の鑑識作業は、雨が降る前に終えられたようだ。

 よって冬子は地下二階のオフィスへは戻らず、地下三階にある鑑識課に顔を出すことにした。

 何か目新しい発見はなかったか、少しでも早く確認しておきたかった。


 エレベーターを地下三階で降りると、まず観葉植物に囲まれた大きなエントランスホールがある。

 そのエントランスを囲むように大部屋が三つ。

 ――右手に鑑識課。

 ――正面に生体研究所。

 ――左手に休憩所。

 どの部屋に入るにしても、扉の脇にあるタッチパネルに、入室権限のある社員証をあてなければならない。

 しかし冬子の社員証には、地下三階に来る権限はあっても、その先――鑑識課や生体研究所への入室権限まではなかった。

 なのでエントランスホールに設置されたインターホンを使い、目的の人物を呼び出す。

 オートロックマンションなどに設置されているような台座型インターホンだ。

 それで鑑識課と通話する。

『機捜三課の山吹と申します。前田課長を』

 それだけ伝え、待つこと数分――鑑識課の扉が開いた。


「――よう。おまえさんが来るとは思ってたが、ちと早えわ。いまさっき部下どもが戻ったばっかよ」

 苦笑いしながら、初老にさしかかろうとしている男が出てきた。

 小汚い白衣を着ており、白髪が目立つ頭はボサボサだ。顔には分厚い縁なしメガネと、歳相応のシワが目立つ。

 しかし。その中で目だけは生気に満ちていた。まるで子供のようだ。

 ただやりたい事だけをやってきた男――それが鑑識課の課長、前田吾郎まえだごろうだった。

「っま、とりあえず上いくか?」

 白衣のポケットから、煙草の箱をちらりと見せて、冬子を喫煙へと誘った。


   ◇◇◇


 再び地上へ戻ってくると、研究所の外では、ぱらぱらと雨粒が落ちてきていた。

 鑑識課を出る際、前田課長が置き傘を二本もってきていたので、冬子はそれを借りた。

 傘を差し、再び研究所の裏手へと回る。

 非常階段の下に、今度は灰皿があった。

 野良猫のデイジーは、野々宮のいいつけを守ったようだ。


 ひとまず二人で、地べたに置かれた灰皿を囲む。

 無言のまま煙草を取り出す。

 そのまま火をつけ、互いに一服。

 ゆっくりと紫煙を吐き出す。

 そして一本を吸い終え、二本目を取り出したところで、前田課長の口が開いた。


「――ありゃあ、人外の仕業だな。間違いねえ」

「タイプは何でしょうか?」

「生体研からの報告待ちだが、十中八九、悪性変異体のタイプBだろう。骨まで噛み砕いてやがる。ただの獣じゃねえのは明らかだ。おかげで遺体らしい遺体が何も残っちゃいねえ。あれだけ派手に食い散らかしたとこみると、タイプBに指示を出したブリーダーもいるだろうな。クスリで突発的に発生した人外なら、あういう現場にはならねえ。

 作為的に人外を発生させるべくして発生させたやつがいるはずだ。そんでそいつが『喰らいつくせ』とでも指示を出さなきゃ、まずあういう現場にはならねえな」

「人外の数は分かりますか?」

「特徴的な足跡が二種類残っていた。でけえ犬が血で足を濡らしたような足跡だ。だから最低でも二頭」

「ブリーダーに、タイプBが二頭……」

「ああ。フランチャイズにしちゃ様子がおかしい。現場は『白の教団』直営のクスリ屋だったかもしれん。スラムに直営の営業所を置いていることが稀にあると、一課の連中から聞いたことがある。そこで何かが起きたんだろう」

「在庫や顧客名簿らしきものはありましたか?」

「いや、そういったもんは何も見つかっちゃいねえな。壊れたPCでもありゃ、こっちで復元してみんだがなあ」

「分かりました。あとはこちらで現場周辺をあたります」

「ああ、そうしてくれ。しょうじき被害者の正確な人数すら分かりそうもない。ぐちゃぐちゃに混ざりあっちまってるからな。三課で聞き込みやったほうが、そのへんは早いだろう」

「わざわざすみません。助かりました。それでは先に戻ります。前田さんは?」

「調べるのが仕事だ。気にすんな。俺は……もう一本吸ってから帰るわ。あー……その傘な。それは持ってっていいぞ。三課の置き傘にでもしてくれ」


 その言葉に、冬子は軽い会釈を返すと、研究所へと足早に戻っていった。

 あまり期待はできないが、近藤の聞き込み結果を知りたかった。早急に確かめる必要がある。


(――人外は、まだスラムで狩りをしている)

 前田課長の話から、そんな確信が芽生えていた。


(在庫と顧客名簿が消えているにも関わらず、やつらは現場の洗浄をしなかった。いやできなかったのだ。それをしている時間的余裕がなかったのだろう)

 なかなか尻尾を出さない『白の教団』の連中が、こんな失態を犯したからには、何か事情があるはずだった。

 証拠の隠滅を完全に行わないまま、現場をあのままにして離れなければならない理由とは?

 簡単なロジックだ。

(やつらはまだ誰かを追っている。おそらく被害者に生き残りがいる。狩りは、まだ終わっていない)


   ◇◇◇


 廃ビルの一室で、雪人が目を覚ますと、濡れたコンクリートのすえた匂いが鼻についた。

 外では雨が降りつづいており、ゴロゴロと雷雲が鳴り響いている。

 ガラスのない窓から差し込む雷光のおかげで、暗闇に包まれた廃ビルの中でも自分の位置を見失わずにすんでいた。

(――まだ生きている)

 目覚めた直後に真っ先に思い浮かんだのが、それだった。


 いまの時刻は二十二時。

 雪人が廃ビルに逃げ込んだのは日暮れ時。

(あの時は、焦りと疲れで腕時計すら確認できなかった。すぐに眠りに落ちてしまったけど、どうやら四、五時間は眠っていたのか?)

 泥のように眠れたおかげで、頭がクリアだった。


(――ふう)

 あたりの気配を気にしながら、深呼吸を一つ。

 どうやら大丈夫なようだ。

 獰猛な獣の息づかいも聞こえてこないし、嘲笑う男の声もなかった。

(やつらは完全にこちらを見失っている。雨が臭いを消してくれた。……何か飲みたい)

 喉がカラカラに渇いていた。腹もぐうと鳴る。

 パーカーのポケットを探る。確か飴玉があったはずだ。

 左のポケット。

 右のポケット。

 見つからない。

 体育座りのように、膝を抱えて座りこんでいた体を起こした。

 バキバキと関節が鳴った。

 窮屈な姿勢で眠ったせいか体が凝り固まっていた。雪人は首をぐりぐりと回した。続けて腰、腕、膝とのばしていく。

 そうしてひとしきり体をほぐしてから、今度はジーンズのポケットを探った。


(――USBメモリが一本と、それ以外に……あった。飴玉だ)

 袋を破り、飴玉を口に入れる。

 ゴミはポケットへ。

 ここに捨てるわけにはいかない。

 雨が臭いを消してくれてるとはいえ、何か痕跡を残すのが恐ろしかった。

(やつらは臭いをかぎ分ける。捨てられた飴玉の袋一つで、こちらを簡単に発見してしまうかもしれない……)

 逃げたかった。

 むざむざと殺されていった仲間のためにも、まずは生き残りたかった。

 そのためにできることは、何でもしておきたい。

 とにかくいまは体力の回復が最優先だった。


 再びその場に座り込む。

 黙々と飴玉を口の中で転がしつづける。唾液が口の中に充満し、喉を潤す。わずかながら腹も満たされていった。


(これからどうする?)

 いま雪人がいるのは、関東多摩スラムにある集落の一つで、その南側あたりにいる。

 このあたりは工業団地地帯だったおかげで、身を隠す廃ビルには困らない。

 また雪人の集落の住民は北側を拠点にしている。

 南側にはよりつかないため、潜むかぎり、しばらくは雪人以外の犠牲者はでないだろう。

 しかし、このままではジリ貧だった。


(集落の長老衆に助力を求めるか? いやダメだ。ルールを破ったのは自分だ。長老衆は二度と許してくれないだろう。それが集落の掟だ。もう自分はここの集落には認めてもらえない)

 もはや帰る場所すらない。

 絶望的な気分になった。

 なによりも雪人の心を蝕むのは、信頼と命を預けてくれた仲間をすべて失ったことだった。

 愚かな決断が、仲間を殺したのだ。


(――せめて、ケジメをつけねば…… そうだ。逃げるだけではダメだ)

 ただ逃げるだけなら、土地勘のある雪人が有利だろう。

 この雨に隠れて、中央(都心)に向かえば、いずれ人ごみに紛れて逃げ切ることができる。

 けれども、それではダメだった。

(このままやつらを放置すれば、北側にいる集落の住民まで、虐殺するかもしれない)

 それだけは絶対に防がねばならなかった。

 捨てられていた雪人を拾ってくれた長老の一人も。

 育ててくれた教会のシスターも。

 殺されてしまった仲間たちの家族も。

 これ以上、誰かを殺されるのは、雪人にはとても耐えられなかった。


(だが、どうやってやつらを止める?)

 いまの戦力では、あの化物を倒すのは不可能だ。

 年季の入った中華製マカロフでは話にならない。あの硬い毛皮は貫通できない。

 もう少し貫通力のある武器が必要だった。

(トカレフにするか? 隠れ家に一丁だけ残っていたはずだ。……いや、無理だな)

 硬い毛皮を貫通できても、トカレフではそこまでだ。

 根本的に破壊力が足りない。

(――なら〝AK″はどうだ? 北側にいる漢方屋の婆さんを頼るか? 確か中華ルート以外にも、ロシアルートを持っていたはずだ。AKの在庫があるかもしれない。全財産をすべてかき集めれば……)


「……売ってくれるわけないか」

 思わず自虐的な言葉が漏れた。

 もう雪人は集落の住民として扱われない。部外者だ。

 たとえ銃の在庫があったとしても、漢方屋の婆さんは売ってくれないだろう。まともに口をきいてくれるかすら怪しい。


(それでも。ケジメをつけねば……。考えろ。何かあるはずだ。諦めるな。殺されてもいい。自分の命は計算に入れるな。この命を投げ捨てて、守りたいものを守れるならば、安いものだ。だから考えろ。雨が止むまでに、必ず答えを見つけてみせる)


 ガリガリと飴玉が砕ける音が響いた。

 暗闇に包まれた廃ビルの一室で、目をギラつかせた少年が一人。

 絶望の淵で、その炎を滾らせていた。



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