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プロローグ

読み切り作品となります。

習作と気分転換もかねて少しずつ書いていた単発作品です。

完結済みです。

もしよければ読んでやってください。よろしくお願いします。

   プロローグ


 ディスプレイの淡い光が浮かぶ薄暗い部屋――そこに、目をギラつかせた男が一人、ただじっと佇んでいた。

 何をするわけでもないが、その血走った目は、壁掛け時計の秒針を追いつづけている。

 カチカチと音を刻みながら進む秒針を、男は静かに見つめていた。


 それが男の日課だった。

 もはや昼夜は逆転し、一日が二十四時間であることすら忘れてしまった引き篭もり生活の中での、唯一の日課だった。

「……もうすぐ、いつもの時間だ」

 時計が午前八時五分にさしかかった頃、男はつぶやいた。

 灰色のスウェットに包まれた肥満体がゆらりと動く。

 カーテンが閉めきられた窓へ、太った体を張りつかせた。

 そしてキーボードを打つときだけは軽快に動くブヨブヨの指で、カーテンにそっと隙間をつくった。

 そこからじっと目を凝らす。

 男の眼下には、通勤・通学のため、駅へと急ぐ人々の姿があった。

「……ちがう。あれもちがう。ちがう、ちがう、ちがう。いない……」

 ブツブツと声を漏らしながら、男は人々を確かめていく。目的の人物が見つかるまで、その作業はつづいた……


 男の部屋はマンションの六階だ。

 駅前スーパーの裏手に建てられた分譲マンションの一室だ。父親はいない、数年前に死別した。交通事故だった。

 ――それは幸運だったのか? それとも不運だったのか?

 もしも男の母に問いかけたならば、男の母は『幸運だった』と答えるであろう。

 なぜなら多額の保険金と慰謝料が支払われたからだ。残された母一人、子一人ならば、一生働かずとも生活していける大金だった。

 想定外の大金を得られたのは、飲酒運転による事故を起こした加害者側が、情状酌量を求めてきたからだ。

 もしも遺族側が厳刑を望んでいたなら、加害者は実刑になっていただろう。

 しかしそうはならなかった。加害者の弁護士が『相場以上の慰謝料を支払うから、加害者への減刑を求める嘆願書を書いてほしい』と、交渉してきたからだ。

 男の母はそれに応じた。

 結果、被害者遺族からの嘆願書の提出により、加害者は情状酌量を得られ、実刑にならずにすんだ。

 そうして遺族である男と母は大金を手にした。

『宝くじが当たったみたいね!』

 らんらんと目を輝かせて狂喜する母の姿を、男は一生忘れないだろう。


 父と母の夫婦関係は冷めきっていた。

 きっかけは男の不登校だった。

 それが父と母の仲を引き裂いた。

 別にいじめられたわけでもない。何となくはじめたネットゲームに何となくハマり、気付いたら不登校になっていた。ただそれだけだった。

 最初の一年はいろいろと言われたが、途中から干渉されなくなった。たまに父と母が怒鳴りあう声が聞こえてきたが、ゲームに夢中になる男にはどうでもよかった。

 しかし、そんな生活も数年で飽きてしまう。

 男は激しく後悔した。

(何故あんなネットゲームに夢中になってしまったのか、取り返しのつかない人生を歩んでしまったのか……)


 ちょうどそんな時だった、父が男を誘ったのは――

『海釣りにでもいかないか? 春先はサビキ釣りで小アジがたくさん釣れるんだ。小アジをつみれにして食うとなかなか美味いぞ。どうだ?』

 男が引き篭もる部屋に突然やってきた父は、少しきょどっていた。そのせいで、逆に男のほうは落ち着いていられた。

 だからだろうか? 普段ならばヒステリックに拒絶していただろうに、男はあっさりと了承してしまった。

『いいよ』と、素っ気なく答えた男に対し、父はほんのりと目に涙を浮かべ、『明日……明日、釣り具を揃えてくるから、今週の日曜日に行こう!』と、うれしそうに声をしぼりだした。

 それが、男が覚えている父の最後の姿だった。

 翌日、父は事故にあった。

 そして狂喜する母の姿を見て、男はどうでもよくなった。

 あれからもう何年もたった。

 男の年齢ももうすぐ三十をむかえる。

 人生の目的など無かった。

 ただ無意味に時間を浪費し、新しくできては消えていくネットゲームやソーシャルゲームをプレイしてはやめる。そんな生活を繰り返すだけだった。そう、あの時までは――


 一ヶ月前のことだ。

 男がプレイするソーシャルゲームでキャンペーンがあった。

 コンビニで購入した電子マネーで課金すると、あるレアカードが当たるというゲーム会社とコンビニのタイアップキャンペーンだった。

 何年も外に出ていなかった男は悩みに悩んだ。

(どうしてもそのレアカードがほしい。金はある。父が遺してくれた金だ。あんな母に浪費させるぐらいなら、自分が浪費したほうがマシだ。でも外にはでたくない。今の自分がどういう外見なのか、どういう存在なのか、それぐらいは分かる)


 男は外が恐ろしかった。外にでることを考えただけで汗が流れ、腹が痛くなった。

 だが、それでも、男はそのレアカードをどうしても手に入れたかった。

 なぜあれほど欲しがったのか? 一ヶ月たった今では不思議に思う。だがとにかくあの時、男はそのレアカードがどうしても欲しかったのだ。外にでる決意をさせるほどに……


 男にとって、十数年ぶりの外は未知の世界だった。

 目的のコンビニにたどり着くまで、男はずっとうつむいて歩いた。怖かった。他人とすれ違うのが、他人に見られるのが、とにかく怖かった。

 マンションからコンビニまでは一○分もあれば着く距離だったが、男には果てしない道程に思えた。足はぶるぶると震え、腹は痛み、耳鳴りがして頭が痛くなった。


(ふらふらになって歩く自分の姿は、さぞや滑稽だろう)

 男は自虐した。

 その時だった、あの少女と出会ったのは。

『……あの、大丈夫ですか?』

 最初、男は自分にかけられた声だとは思わなかった。

 だからそのままふらふらと歩いた。

『待ってください! 具合が悪いんですか? 救急車を呼びましょうか?』

 だがさすがの男も、もう一度聞こえてきた声が、自分を呼びとめる声だと気付いた。

 そして気付いたその瞬間、男の体は落雷をうけたかのようにびくりと震え、汗が滝のように流れ落ち、その場から一歩も動けなくなった。


 まさか誰かに話しかけられるとは、思ってもいなかったのだ。

 男にとって、それは想定外の出来事だった。

 家を出る前に、男はコンビニでどういう行動をとるのか、頭の中で何度もシミュレーションしていた。

(店員が若い女性なら入店せずに帰ろう。男性でもチャラそうな若者なら同じく帰る。だから深夜はダメだ。チャラいバイトしかいないかもしれない。それにコンビニ前で誰かがたむろっていたら……。だから平日の昼間にしよう。目立つが人通りは少ないはずだ……)

 そんなことばかり考えていた。


 だからコンビニまでの道中で、誰かに見られることはあっても、まさか話しかけられるなど想定もしていなかったのだ。

 とにかく男は焦った。

 体は固まり、動けなくなった。

 耳鳴りが酷い。汗がとまらない。

『すごい汗ですよ? 大丈夫ですか?』

 何度も心配そうな声をかけてくる少女に対して、男はどもりながら、必死に声をしぼりだした。

『大丈夫だ』

『ほっといてくれ』

『コンビニに行くだけだ』

 そんな言葉を発したはずだ。うまく言葉になったかは分からないが……

『でも、顔色もすごく悪いし……そうだ、これを飲んでそこのベンチで休んでください。あそこのスーパーで買ったばかりのミネラルウォーターで、まだ開けてませんから』


 すぐそばに、古こけたバス亭のベンチがあった。

 言われるがまま、男はそこに誘導され、ペットボトルを一本だけ手渡された。

 そのペットボトルを受け取るとき、男ははじめて顔をあげた。

 そこには制服姿の少女がいた。

 地味だが綺麗な少女だった。学校指定のカバンを重たそうに左肩にかけて、必死に担いでいる姿が印象的な、短い黒髪の似合う小柄な少女だった。

 男は呆然とした。

(こんな綺麗な少女が、なぜ自分のような見知らぬ男を心配して声をかけてきたのだろう?)

 よく分からなかった。そういう都合の良い存在は架空の存在で、実際にはいないはずだというのが、男の考えだったからだ。


 ベンチに座りこみ黙りこんだ男に、少女はもう一度『大丈夫ですか?』と声をかけた。

 男は無意識のうちに、ゆっくりとうなずいていた。

『よかった。それじゃあ私、帰らなきゃ。弟が熱を出して早退したらしいので、私も早退してきたんです。ごめんなさい』

 はっきりとうなずいた男の姿に、少しだけ安心したのだろう。少女はそれだけを言い残して去っていった。


 少女が見えなくなるまで、男は目を離すことができなかった。

 少女の後ろ姿をずっと見つめていた。

 制服のスカートは膝下まである。ソックスも白だ。特徴のない地味な黒の革靴も、カバンも、すべて学校指定のものだろう。

 見るからに真面目そうで、小柄だが綺麗な少女だった。

 結局、男はコンビニには行かなかった。

 少女からもらったペットボトルを大事そうに抱え、帰宅した。


 帰宅してすぐにネットで調べた。

 男は少女のことを知りたくて、自分の記憶を頼りにネット検索をした。その結果、少女の制服と似た画像を見つけだし、どこの学校に通っているのかを特定した。

 二駅となりの中学校に通っているようだ。

 さらに男は気付く、駅までの通学路は、自分のマンションのすぐ近くだという事実に……


 そうして、少女と出会った翌日から、男の生活は変わった。

 平日の毎朝、通学のために駅へと向かう少女を、マンションの六階から眺めるようになった。


 ――それが男の日課だ。乾ききった生活の中でひっそりと生まれた、人生の目的であった。


 少女はいつも午前八時五分頃にやってくる。

 駅までつづく緩やかな上り坂を、重たそうなカバンを左肩にかけ、必死に歩きながらやってくる。見るからに真面目そうな少女だ。きっと教科書を教室に置いておくようなことはせず、毎日わざわざ持ち帰っているのだろう。

 また火曜日と金曜日は体操着が入った手提げ袋を片手にもっていた。夏になれば、それは水着に変わるはずだ……

 少女のことを想像するだけで興奮した。

 そして何度も自慰行為にふけった。

 少女を毎日見つめるだけで、その存在が自分の中で大きくなっていくのを感じていた。

 最初は肉眼をこらして遠目から眺めていただけだったが、今ではネット通販で手にいれた双眼鏡を使わなければ満足できなくなっていた。


「――来た。あの子だ」

 今日もカーテンの隙間から、双眼鏡をつかって少女をじっと眺める男がいる。

 少女は重そうなカバンを左肩にかけ、必死に歩いている。制服のサイズが少し大きいようで、歩くたび、重いカバンに引きずられたブレザーがはだけていく。白のブラウスが覗く。

(まだ胸はあまり無いようだけど、でも――)

 男の観察と妄想は続く。毎日、毎日、毎日ずっと……


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