第三十二話:託される禁術
ユウとネプチューンの二人が別行動をとると言って別れてから一夜明けた。
現在の時刻は午前四時。小鳥達でさえ、まだ鳴き始めていない時間だ。
それは、人間も同じだが、この時間にたった一人、シルクだけは目を覚まして部屋を出ていた。
彼女はまだ眠い目を擦りながら廊下を歩き、真っ直ぐにロビーへと向かっていた。
そして、外に通じるドアを開くと、やっぱり居た、っと声に出して言った。
彼女の視線の先には、大きく口を開けて欠伸を出しているティファの姿があった。
「やっぱりいたって……貴女を呼んだのは私よ? ホント、聞こえるのが貴女だけでよかったわ」
「呼んでくれてすっごく嬉しいよ! これでやっと、皆の役に立てるからねっ」
元気よく言ったシルクを見て、ティファは微笑んだ。
そして、身体を翻して顔だけをシルクに向ける。
「さ、始めるわよ」
シルクは、その動作で靡いた金色に輝く長髪に見とれながらも、大きく頷き、前回と同じ場所に向かうティファの後を追った。
今日の早朝は意外と涼しく、薄手のランニングTシャツで来てしまったシルクは小刻みに身体を震わせながらも、ティファの説明を食い入るように聞いていた。
「――っていう事の為に、昨日は魔具を作ったっていうところまではちゃんと覚えているわよね? ……それで今回は、実際に魔具を通して魔術を使ってもらうわ」
人差し指を一本立ててウインクし、にこやかな笑みを浮かべているティファにシルクは、はい!っと大きな声で返事をした。
「いい返事ね。でもその前に、魔術を使う際は注意点があるの。それは、魔術の詠唱時と発動時は集中力を乱さない事。何故かというと、魔術の構成は術者の創造によって生まれるのよ。特に、トゥルなどの治療術は、乱れると治療する相手を傷つける事になる。そこは、気をつけてね」
「……もしかして、相手が死ぬって事もある?」
「もちろんあるわ。でも、貴女は大丈夫だと思うの。私に似ていて、どこか似ていないような感じがするから………――さて、そろそろ始めようかしら?」
何かを懐かしむような表情を一瞬だけ見せたティファはされどすぐに笑顔となり、誤魔化しのように人差し指を宙に円を描くようにして回した。
だがシルクは、始めようと言われても何をすればいいのかわからず、首を傾げる。
「………まずはどうやるの?」
「とりあえずは、魔具に魔力を送るようにイメージするの。身体の奥底にある何かを流し込むような、そんな感じ」
その説明で、何となく分かったのか、早速シルクは目を瞑ってイメージを始めた。
ゆっくりと、身体の奥に溜まっているものを、体内を伝って腕輪に流し込むように……
「大分流し込んだと思ったら、次は詠唱よ。私の言う事をしっかりと聞いて、間違えないようにね。………"世界を覆う生命の源は流れを変え、我思う者に注ぎ込み、死せる部位に生ける創造を与えよ"ね。そう言った後に、トゥルと言えばいいの」
言いながらティファは、腰に付けてある小さめの鞘から短剣を抜き、刃の部分を自分の手首に押し付けた。
「んっ! ……これで、術の対象は出来たわね。さぁ、言った通りに詠唱してみて?」
「え!? で、でも!」
驚くシルクの視線の先、ティファの手首からは、鮮血が流れ始めていた。
だが彼女は、それを止めようともせず、ただただ微笑みながらシルクを見ていた。
「………早くしないと私、死んじゃうわよ?」
「あ、うんっ! ……えと、世界を覆う生命の――………あれ? えーっと、えーっと……!」
どうやらシルクは、ティファの命が自分の成功に掛かっているというプレッシャーによって、明らかに焦っていた。
だが、ティファの目と視線が合うと、自然と冷静になり、彼女の手首に手を近付けて再度詠唱を始めた。
「……"世界を覆う生命の源は流れを変え、我思う者に注ぎ込み、死せる部位に生ける創造を与えよ"」
言い続けている途中、シルクの腕につけられている腕輪が青白く輝き出し、それを覆うようにして、星の形をした青い魔方陣が浮かび上がる。
「"トゥル"!!」
その声と共に、青い魔方陣がティファの手首にある傷口を包み、そして流れ出していた鮮血が止まり、傷口が完全に消えた。
それは、成功したという事だ。
「……うん、完璧ね。これで安心できるわ」
「よかったぁ……――って、え? 安心?」
「そ、安心よ、安心。別に深く考える必要はないけど……まぁ、ユウの代わりに言っておくわ。その魔術で皆をよろしくね」
言ってウインクをし、シルクの額を人差し指で軽く突いた。
「……それと、私からのお告げ。あの子、カイの心得みたいなものは少し変える必要があるわ、必ず。その時は、私の代わりに自分の思った事を言っておいてね。………あの力は、止められる時に止めないといけないから………」
「え? それってどういう――イタッ」
ティファの最後の言葉が気になり、問おうとしたシルクの額に、彼女はデコピンを一発当てて微笑んだ。
「人に聞くんじゃなく、自分で考えないとだめよ? ……それじゃあ、また会いましょっ」
そう言い残し、ティファは身体を翻して、リラックス・リゾートとは別の方向に歩き出した。
対するシルクは一瞬、呼び止めようとしたが、ティファが最後に言った言葉と、見せた表情が微笑みだった為、シルクは彼女の後ろ姿に微笑みを返した。
町の南東にある出口近くに位置している、旅人や商人が馬車を停めるために利用する馬小屋に入ったティファは身体を光で包み、姿と精神をユウと交換した。
そして、小屋の奥にある柱へと歩み寄る。
その柱には、右手だけ紐で縛り付けられた獣人族のクレアが彼を睨みつけながら座り込んでおり、その近くには、大皿に盛られたピザが置いてあった。
それを見たユウは、苦笑しながら口を開く。
「……なんだ、食ってないのか? せっかく助かった命だ。無駄にするな」
言いながらピザを一切れ手に取り、口に入れる。
「……何を企んでいるの?」
口に入れた部分を噛み切って残った部分を話した時、とろけたチーズが少し伸びて糸を引いた。
ユウはそれを目で追いながら、クレアの問いに答える。
「企み、とも言えるかもな。実は、お前に頼みがある」
「私に頼み?」
クレアはオウム返しに問い、より強くユウを睨む。
「あぁ、頼みだ。……俺は、お前がいう神の力を持つカイ達とは別行動をとり、ネプチューンってやつと二人で、南東にあるカルディエールに向かう。だが、二人だけじゃあ心許無い。そのために、お前には俺の傭兵として同行してほしい」
その提案を聞いたクレアは、苦虫を噛み潰したような表情になった。
「……私は死ぬべきはずだったのよ。だけど、まだ生きている。残ったのは、ズタズタにされたプライドだけよ……! それに、獣人族の任務には失敗が許されていない。どの道、私は獣人族として故郷に帰る事が出来ないの。……居場所がないのに……生きている意味なんてないでしょ……?」
目を伏せて俯いたクレアとは対照的に、ユウは微笑する。
それがどうしたと言わんばかりの表情で。
「その掟についてはネプチューンから聞いた。それに、失敗した上に生きているとバレたら、暗部が殺しに来るともな。……だから、だ。頭に触れてみろ」
「え? 頭がどうし――っ!?」
クレアが問いと同時に手で頭に触れた瞬間、彼女は唖然とした。
森で会った時と同様、本来なら長いウサギの耳があるはずなのだが、その耳は無く、代わりに短く白い猫耳が生えていた。
「な……なんで……耳が………」
猫耳を何度も触りながらクレアは、ハトが豆鉄砲を食らったような表情でユウを見た。
「あぁ、何でも、魔術による一時的魔力分離によって細胞を粒子化し、構成を書き換えたとか何とか言ってた。まぁ、俺にはよくわからんが……ネプチューンが言うには、獣人族には色んな耳があるらしいからな。一番目立つようなウサギの耳よりも、短めで目立ちにくく、隠す事が出来る猫の耳がいいと思ったらしい。後は服装と髪型、そして名前だな」
「ちょ、ちょっとまって! どうしてそこまでしてくれるの!? 私は貴方を殺そうと――」
「殺そうとしたのはお前自身じゃねぇだろ? それに、俺はお前を雇うって言ってるんだ。それによって得る物、そして報酬として与えられる物はお前の居場所だ」
最後の言葉に、クレアは再度、唖然とした。
この人は、私が欲している物を与えようとしているのか? と自問自答をしながら。
「………やっぱり俺、カイの考えに少し甘えてるなぁ………」
ユウは誰にも聞こえないように呟き、クレアの手を縛っている紐を解いた。
「あ、ありがとう……」
この時、クレアは縛られていた部分を摩りながら考えていた。
………この男に、協力するしか道はないのかもしれない、と。
そう決断し、その場で右膝を立てるようにしてしゃがみ込み、右腕を前に、左腕を後ろに回して、頭を下げた。
「私、獣人族の戦士クレア・マルギスは、貴方を主君とし、この命尽きるまで貴方の武器となり、片腕となります」
それは、獣人族独特の忠誠を表す誓いの儀だ。
それを知ってか知らずか、ユウは小さく頷いておき、その場に座り込む。
するとクレアは、何か思い出したのか、体勢を崩して座ってから彼に問い掛けた。
「そういえば、私は何で生きていたの? 額に衝撃を感じた瞬間、意識が飛んで……気がついたらここにいて、生きていた」
「あぁ、あれは空砲だ。撃つ直前にマガジンを抜いて、魔力供給を遮断したから石で殴られたような衝撃しか出ない。だが、頭に直撃だったから、脳震盪を起こして意識が飛んだってわけだ」
その説明を聞いても、クレアは銃を知らない為、頭上にクエスチョンマークが浮かび上がるほど理解出来ていなかったが、とりあえずわかった事にし、数回頷く。
するとその時、小屋の入口が古い木材の擦れ合うギィッという音を立て、開いた。
二人はその音に反応して入口の方を向くと、そこには両腕に荷物を抱えて二人の元に歩いて来る、ネプチューンの姿があった。
「お? クレアは目が覚めたってんか? おはよーさん」
言いながらネプチューンは、右腕に抱えていた荷物、プラスチックで出来た四角いケースをクレアの前に置く。
「……何? コレ?」
「疑問詞打つ前に開けて見るっちゃ」
クレアはネプチューンに言われた通りにケースを開けて見ると中には、色取り取りのワンピースのような洋服及びスカートが数着と、武器が一式揃っていた。
その服を見たクレアとユウは思わず溜息をついて苦笑。
対するネプチューンは満面の笑みだ。
「………コ、コレを私に着ろって言うの……?」
「当たり前ぜよ。どうせ変わるのなら、見た目からも変わる必要があるっちゃ。武器も同様んにね。それくらいしないと、暗部からは逃れる事は出来んよ?」
ネプチューンは自信満々の笑みで答えた為、クレアは渋々と服を取り出し、着替えを始めようとする。
それと同時に、ユウとネプチューンが揃って小屋の外に出た。
その行動に安心したクレアは、服を脱ぎ始める。
朝の冷たい空気が肌に触れ、身体を少し震わせながら、早々とネプチューンが用意した服を着る。