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世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う  作者: 池田ヒロ
最終章 過去から現在へ、現在から未来へ
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笑顔

 己の意思とは関係なく、勝手に体が動くことがある記憶はあった。


 ロックを解除された記憶にある一部は何の感情も抱かぬまま、眼前にいる異形生命体をバケモノの手で殺していたこと。あやしい地下闘技場で仮面を被った知らない者たちに期待をされていたこと。


 この原因は自身の責任でもあった。


【あらら、落としちまった】


 きっかけは何かが落ちる音。何もその人が悪いわけではない。ましてや、それ以外の人が悪い事実もない。


【俺、取りますよ】


 お昼休憩後、午後の作業が始まる前の出来事。ベルトコンベヤの隙間に工具を落とした同僚。落ちた場所が自分のところに近かった。


【もう稼働するから止めておけ】


 工具は本日の作業が終わってから取ればいいと周りの者は言う。だが、まだ稼働スイッチは押されていないし、全員が配置についていない。


【ぱぱっと取りますから】


 片手を隙間に突っ込んで、落ちていた工具を手にしたとき、作動のベルが鳴り響いた。慌てる周りの者。焦る自分自身。抜け出そうにも作業服が引っかかってしまって抜けない。思わずもう片方の手も隙間に入れて引っかかった部分をどうにかしようとした。


【止めるように言ってくる!!】


 危険を察知した同僚の判断は虚しくも――。


 あまりの激痛に気絶した自分が目を覚ました場所は病院。上手く起き上がれずに気付いたのが両腕切断。絶望的だった。何をするにしても腕がないから、手がないから何もできない。自分の世話すらもできない哀れな人間に成り下がった。


 このことをハイネやヒノたちに知られたくなかった。迷惑をかけたくなかった。だから、運び込まれた病院の担当医であったウンベルトに悲願した。


【義手でも何でもいいから、腕をつけてくれ!】


 そう願い乞う自身の前にウンベルトは【そんなことよりも】と言ってくる。


【最新の医療技術を使って、腕を元通りにしてみないか?】


 それが可能であるならば、どんなことにも厭わなかった。その施術を受けて――肌の色は焼け爛れたような形であったが、紛れもない自分の手でもあった。普通に動かせるし、なんだったら文字も書ける。特別おかしなことなど一切ない。


 ただ、問題は一つだけあった。それが、施術代。それを払うため、稼ぐためには早いところ仕事場に復帰しなければならなかったが――。


【定期検診を受けに来てね】


 定期検診を受けなければ、つながった腕がどのような状態になるのかわからないと言われた。それに踏まえての検診料も稼がなくてはならなかった。こんな莫大な金額をどう払えと。間違いなく借金まみれの生活に陥るだろう。自分の不注意のせいで、ハイネたちに頼るのが怖かったから。巻き込みたくなかったから。


 お金に困っていると言った。ウンベルトはそれならばとあやしさはあったものの、高額報酬である医療実験を勧めてきた。実験は主に人体における睡眠効果のなんとかであると言っていた。それに付き合うことにした。今思えば、それはすべて真っ赤な嘘であることが判明している。それこそあの腕なしとして持っていた仮面が壊れたときとガンが自分の脳内にあったロックをすべて壊してくれたおかげであるはずのない、あるべき記憶が出てきた。


 確信ではないが、自分の前世らしき人物の最期の記憶。腕なしとして動いていたときの記憶。名なしの駒は殺すべし、という命。何者かによって、いい具合に世界改変者として利用された。囮として扱われた。


 名なしが『神』と『契約』した過去の歯車を持つ者がいた。だからこそ、殺すために動いた。その駒と共にいる者も同じとして。


 そう、自分は世界改変者の操り人形だった。自由なんて何もない、ただの哀れな改造されたボロボロのおもちゃ。


 それは、眼前にいる者も同様だ。否定したくても、自分の意思とは違って体が勝手に動く者。それこそが、異形生命体。それこそが、人を勝手に止めさせられた哀れな死人の末路。


「嘘だろ」


「嫌だっ……!」


 奥の部屋に来たハイチは我が目を疑う。以前の自分と同じように黒い鎧(MAD細胞)を身にまとったワイアットがいたから。死んだはずなのに、なぜにこの場にそのような格好でという疑問はすぐに片付いた。


 レナータの件と重なる。


 墓荒らし。恐ろしいものだ。土の中に埋まっているはずの死体を掘り返してまで我が兵隊にしようとは。最悪に気分が悪い。


 ワイアットは泣き喚きながら、攻撃を仕掛けてきた。すかさず、黒い刀身を持つ『LILAS』で防御した。その一撃が重た過ぎて、床を滑るようにして後退するほどだ。今ので体力を半分近く持っていかれた気分になる。


「嫌だ、嫌だ、嫌だっ!! 僕なんて構わず、ここから立ち去ってください!!」


 殺したくない、と思っても。願っていても、脳情報遠隔操作装置が自分の意思を邪魔する。だが、ここで逃げるわけにもいかない。そのまま逃げ出したところで、殺す意思などないはずなのに他の者を殺してしまうジレンマもあるから。そうなれば、もっと苦しむだろう。


 本当は戦いたくなんてない。だが、ここで戦い、ワイアットを葬らなければ、誰も浮かばれない。自分が笑えない。


「このままだと、僕はあなたを殺してしまうっ!!」


 悲痛の叫びを上げるワイアットにハイチは受け止めていた黒い剣(MAD細胞)より、強引な力押して跳ね返した。思わず、それに体が仰け反るも――。


「誰が、お前みたいなやつに殺されるかっ!」


 その思いが大きいのが事実である。女性の体になってしまったからなんだ。殺すがどうした。


――お前の気持ちは痛いほどわかる。


「俺がお前を殺してやるんだよ」


 距離を取ったハイチは刀を握りしめて歯を食い縛った。この場に殺意など一切ない。助けてと願い乞う少年を殺すという名目のもと、助けてあげたいと悲願する青年の思いがあるだけなのだから。


    ◇


「はい、調整が終わっていますからね」


 そう言って、軍基地内にある研究施設の部屋よりハイチはグリーングループの社長から『LILAS』を受け取った。以前の異形生命体を倒したときに使ったのと何ら変わりないが、調整をしているらしい。


「何も変わりませんねぇ」


 共に来ていたアイリの手には青色の剣身ある『よく斬れる君』を手にしていた。何でもMAD細胞と絶対に千切れないロープ君の繊維をかけ合わせてできた代物だそうで――。


「変わっておりますとも」


「変わってなくね?」


 いくら変わっていると、言われてもその兆しは見えない。真っ黒の刀身にその根元には紫色の花が掘られているのは何も変わりない。


「いえいえ、とんでもない。実は『よく斬れる君』とは違いますが、情報組換操作装置(ギミック)をルーデンドルフ氏が搭載してくれましてね」


「ギミック? そうには見えないけど」


「そうなんです。ただ、『よく斬れる君』は現実でもコンピュータ世界で通用する武器に成り得るギミックだけですが、『LILAS』だけはもう一つ別のギミックを搭載しているんです。それは『よく斬れる君』では合成物質としては実装が不可能だったのですが、単なるMAD細胞には有効だったんですよ」


 などと言われても実感はあまりない。手に持つ重さも何も変わりない。社長曰く、『LILAS』の強度は『よく斬れる君』には劣るが、実装ギミックとしては一番使える物だと言う。だが、そう言われても感動はしない。おそらく、使うのは刀として、武器としてしか使用しないだろうとしか考えていなかったから。


「よかったですねぇ、先輩」


 だから、そう言われても「うん」と言うしかなかった。


     ◇


【『LILAS(リラ)』に搭載したもう一つのギミックは――】


 異形生命体は『脳情報遠隔操作装置』で無理やり死体を動かしている存在。そのチップは電子学の物。そうであるならば――。


 電子世界(データ・フィールド)展開。


 半径十五メートルの現実世界を無理やりデータ化して、その場をコンピュータ世界へと変えてしまうという強引な荒業である。それを用いてガンが自分の脳情報にかけられたロックを壊してもらったとき同様に、ワイアットを助けることが今のハイチにとっての唯一の手段だった。


 電子世界を展開したばかりに、その部屋だけがコンピュータ世界と同様に白い無機質な部屋へと変わった。ワイアットの姿は黒い鎧から大きく変わった。鎧は完全に成長を見せており、顔すらもすっぽりと黒い兜をつけているほど。手にはハイチが手にしている刀よりもリーチの長い槍である。


 そして、もう一つ。電子世界を展開した理由こそが――。


「おう、フォスレター。本気で来いよ」


 姿が本来のハイチ自身に戻るから。


 完全体にハイネの体で挑んだところで勝ち目はないと見込んでいるから。それでも、逃げ出したくない。きちんとワイアットと向き合いたいと考えているから。


 このような世界ともなれば、自分の体自体がハイネの物ではなくなる。現在の自身の体自体はハイチの脳情報をデータ化した物なのだから。コンピュータ世界は人の肉体という実態その物の存在はない。あるのは情報のみ。だからこそ、今のハイチの姿は『ハイチ』そのもの。いつもの高身長に加えて、目立つ黒髪のアホ毛。服装は以前の青の王国軍の軍服に紫色の光るラインが走る。


「お前をまたグルグル巻きにしてやるよ」


 その言葉に動き出す黒い鎧。同時にハイチも動き出した。刀と槍が本気でぶつかり合う。一応はコンピュータ世界なのに、金属音が鳴り響いた。


 二つの得物が反発し合うようにして隙が生まれる。ハイチはそこを逃さなかった。狙うは黒い鎧が手にしている槍。腕がすぐに動かせないならば、足を動かせ。石突を蹴り上げた。


 それでも鎧は手を離さない。槍を掲げる形で、その反動で振り落としてくる。『LILAS』の刀身で頭の方に落ちてくる柄を防ぐ。バランスが崩れないようにして、蹴り上げていた足を地面へと下ろした。どんっと下から音が鳴る。こちらの世界でも変わらぬ圧倒的異形生命体のパワー。だが、ハイネとは違ってハイチは機動性や力は上がっているはず。


 実際にそうである。先ほど、現実世界でのワイアットの攻撃はすぐにその場から脱出しなければ、終わっていたから。今はそうではない。まだまだ耐えられる。まだまだ負けるわけにはいかないのだ。


 ハイチはもう一度、足で鎧の手を弾くようにして蹴り上げた。緩む力を逃さないようにして、腹の方へと横へ叩き斬る。


 誰もこれで終わりだとは思っていない。


 すぐに鎧から離れた。ハイチがいた場所は槍が突き刺さる。


――危ねぇ。


 気が抜けない戦戟。ワイアットは抗うようにして、鎧の動きを止めているように見える。それ自体が動こうと必死になっているようだから。脳情報遠隔操作装置は人の意思を無視して支配する。いくら、足掻こうと最終的には――。


 血塗られたコテージ内。その床には人の死体とキイ教典。


 世界改変者は無慈悲にも愛する者や大切に思う者を殺せと命じてくる。操られた者は死ぬまで永遠に彼の傀儡。自分の心の叫びなんて、口に出したところで誰にも届かない。あれだけ、違うと言っているのに。


「……め、ろ……!」


 鎧の方から、声が聞こえてきた。誰の声だなんて、一発でわかる。ワイアットだ。動きがぎこちなくなってきているようである。彼は是が非でもこの状況から脱却しようと抗っている。その思いは十分にハイチに届いていた。


「待ってろ、助けてやるから」


 ひとまず、鈍くなっている内に槍を破壊しよう。


 実のところ、電子世界を展開したとしてもハイチはあまり何も考えていなかった。現実世界からコンピュータ世界へと変わったところで、どう処理するべきか。どう脳情報遠隔操作装置を取り除くべきか知らないから。ひとまずは一番動きやすい姿になるべきだと思ったから。


 どれが脳情報遠隔操作装置になるのかわからない。鎧か、それともその槍か。それだから、まずは武器を破壊すれば、戦うという体の意思はなくなるのではないのだろうかと思案した。


 一歩を大きく踏み込んで、その刀で一刀両断を試みた。刃が柄に当たった瞬間――弾き返されるようにして、壊れなかった。


 その反動でハイチに攻撃を仕掛けてくる。慌てて防御をすると、その場から離れた。実体は持たずとも、腕の力に多少なりとも疲労が見えるのは気のせいか。


 MAD細胞で作られた刀が効かないとなると、相当硬い存在である。ハイチが持つ武器は『LILAS』以外に腰に提げている二丁の黒い拳銃であるエレクトンガンvol 2.0だけ。この銃が役に立つだろうか。


「やってみるしか、ないのか?」


 エレクトンガンvol 2.0はキリの脳情報のデータに存在していた鍵番人には通用しなかった。もっとも、使えるのはバグ・スパイダーくらいか。


 一か八かで小さな標的である槍よりも、鎧に対して撃ってみた。その音が合図とでも言うようにして、それは動き出した。弾は兜を掠めてそこから金色の髪の毛が見えてきた。


――これだっ!!


 この刀が効かないのは当然である。それは『LILAS』自体、マックスが扱っていたよく斬れる君の『エレクトンLX』になれない存在であったから。元より、電子世界は展開できるギミックは持ち合わせていても、『LX(チップ)』を所持していないから。


 もちろん、そのことを知る由もないハイチは鎧戦で使えないと見込んだ黒い刀を置いて、エレクトンガンvol 2.0の引き金をとことん引いていった。弾が鎧に当たるにつれてワイアットの姿が少しずつではあるが、見え始めている。しかし、彼はまだ槍を捨ててはいない。間合いに入らないようにして、逃げつつも銃身で攻撃を防いだりして撃ち続ける。


「フォスレター、もうちょっとだから安心しろっ!」


 このエレクトンガン系の残弾が尽きなくてよかったと思っている。弾が尽きれば、そこで終わりだから。


 そろそろ、ワイアットの姿が見える頃。そう安心しきったとき、背後から妙な気配を感じた。ハイチが後ろを見れば、銃で消したはずの鎧が――黒の塊がそこにいた。勝手に自立するのか。


 あっと声を出せず、その塊からは黒い鎖が飛び出てきて捕えられてしまった。これでは身動き一つ取れないし、目の前には――。


「僕のことなんて、放っておいてよかったのに……」


 それでも脳情報遠隔操作装置に反発するようにして動きがぎこちないワイアットがいた。


 いつも、いつもは自分のことを邪険にしているのに。ハイネに近付かせようとさせまいとしているくせに。どうして、今回に限って助けようとしているのか。


 自分にとってハイネであろうが、ハイチであろうが――誰も傷付けたくないと考えている。この手がなくなってしまえばいいのに。槍を握って、彼に向かって構えるこの手が憎たらしい。


「あなたは僕のことが嫌いじゃないんですか?」


【ハイネに近付いているんじゃねぇぞ、貴族野郎がっ!!】


 ハイネにデートやプロポーズをする度にそうはさせまいとして、見掛ける度にロープでの吊るしの刑にしていたのに。邪険に扱っていたのに。


「……今更、後悔しているんだよ」


 ハイチのやるせないその表情。なぜに自分に対してその顔を向けてくるのか。彼がこちらに向けてくる顔はそうでないのに。初めて見せる、そんな表情――。


「もし、お前とハイネが生きていて、付き合っていたらって思うと……」


――ハイネの幸せを願って、行動するのがワイアット・エヴァン・フォスレターなのだろう? あいつのことをどうして好きになったのかは知らないけれども、何度も何度も邪魔しては――それでもハイネにアタックをしていたんだろう? 邪魔者がいても、あいつがお前に見向きもしなくても、心を折ろうとはしなかっただろう?


【ハイネ先輩部屋に花を飾っていましたよ。飾りきれないのは教室とかそこにも飾ってありますよね】


 ハイネもハイネで嬉しかったのだろう。ワイアットの思いを無駄にしたくなかったのだろう。その気持ちが嬉しくて――ずっと彼女が、自分が眠っている間こうして花を持ってきてくれたんだ。


「……ダメじゃないんだ。わかっていたんだ。いつかは必ず、ハイネが嫁に行くことぐらい」


 自分もハイネの幸せを願っているから。


「頑固って呼ばれてもいい。融通が利かないやつとも言われてもいい。ただ、あいつを幸せにできるやつが現れるなら――」


 それはもう、遅い。


 ハイネを好きだという者は幾人も見てきた。彼らの中で彼女が好きになったのがキリであったということ。だが、本当はワイアットのことも満更ではなかったはず。


「……したかった、ですっ!」


 抑え込んでいた手を振り下ろす。穂はハイチの後ろにいた黒い鎖を出していた塊にぶつけた。それに小さくひびが入る。


「もっと、もっと……ハイネさんと楽しく、おしゃべりしたり……ショッピングを楽しんだり……」


 叶わぬ願い。


 あの笑顔が好きなんだ。それもそうだけれども――愛の告白をして、ハイチにどやされているとき。あのときのハイネは面白かったのか、笑っていた。それが一番好きだった。もう二度と見ることができない、あの人の嬉しそうな笑い。


「ハイネさんが悲しい顔を絶対にしない未来を夢見ていましたっ……!」


     ◇


 メアリー奪還作戦前日。積もりに積もった愚痴を聞いてくれないかと言われて、ハイネと共にやって来たのは近くの喫茶店。ほんのり甘くていいにおいがするところで「急にごめんね」と彼女は言ってくる。


「ただの独り言だって思ってくれたら、いいから」


「いえ、そんなことはないですよ。ちゃんと僕はハイネさんが言いたいと思っていること、すべてを受け止めるつもりですから」


「……嬉しいな、ありがとう」


 話すばかりではと思ったのだろう。ハイネはお茶とケーキを二人分ずつ注文した。それに話は相当長くなるのだろうな、とも察する。それでも構わなかった。彼女の心が少しスッキリするならば。少しでも、もやもやする気持ちがなくなってしまうのであれば。何でもよかったのだ。


 注文品はまだ来ていないのだが、ワイアットは「どんと来てください」と誇らしげに構えた。


「愚痴から結婚相談まで何でも受けつけますよっ!」


「いや、結婚相談はないよ」


 相変わらずだな、とハイネは小さく笑った。


「……そうだな、キリ君たちの愚痴を言ってもいいかな?」


「もちろんです」


「キリ君ってさ、たまに挙動不審なときがあるんだよね」


「デベッガさんが、ですか? それはハイネさんの記憶がないことを隠しているとか?」


「いや、それもそうなんだろうけれども……何だろう? もっと、こう人には絶対に知られたくない隠し事ってやつがありそうなんだよね。いや、知られたくない秘密は誰もが持っているんだろうけれども……」


「気になるんですか?」


 その問いにハイネは頷いた。


「キリ君の場合は、それが何かに怯えているようなんだよね」


 だからこそ、そういうことを誰かに相談なりしてスッキリとすればいいのに。そうハイネは言う。


「私なら、いくらでも相談に乗れるんだけどなぁ、って」


「そうだったんですね。僕はそういうことに気付かなかったから」


「ワイアット君の場合はもっと私以外の他人を見た方がいいと思うの」


 それだから周りが見えなくなってしまうんだから、と困り顔ながらも小さく微笑んでくれた。だが、ワイアットにとってはどうでもよかった。ハイネさえ見られたならば、幸せであるからと言う。


「うーん。それならば、デベッガさんはハルマチさんが好きなことを隠していた、と?」


「いいや、それを隠していたと言えば、そうだけれども……それとはまた別に違う気がするんだよね」


「じゃあ、姫様が好きだということは?」


「うーんと、そのこともなんとなぁくは知っているけれども……違うよ。人の好意に関してじゃない。それはアイリちゃんもそう」


 ここで、店の店員がお茶とケーキを持ってきてくれた。二人は早速それらを食し始める。ハイネはお茶を啜りながら、窓の外を見た。たくさんの人が行き交う姿が見えていた。そんな彼女が思うことはあの二人のやり取りだろうか。


 不本意ながらも、ワイアットにも聞こえていた。


【ただ、アイリちゃんがハイチをどうして恨んでいるのかは知らないけど】


 あの二人はハイチをどうしてか殺そうとしている。その理由はわからない。きっと、アイリは彼を殺すがために探し回っていたのだろう。キリも丁度、黒の皇国にいたからなのだろう。


 ただ――。


【今のきみはあいつを殺せないって言ってんの】


 キリがハイネのことを思う気持ちがあるからだろうか。それだから、殺せないのか。


 外を見て、物思いに更けているハイネにワイアットは声をかけた。


「何かムカつくことがあれば、お聞きしますよ」


「えっ。あぁ、うん。そうだね……」


 ハイネは何かを考えると、ややあって――。


「とにかく……キリ君って、ずるいよね」


 そう言うと、ケーキに手をつけた。統括でもしたつもりなのか。それでもケーキを頬張るハイネにはどこか影があるようにも思える。絶対に彼女は何かしらに納得がいっていない様子でもある気がした。それだからこそ「それだけではないでしょ?」と核心を突くように訊いてみた。


 きっと、口に出したいことはまだたくさんあるはず。それならば、聞き手としてその愚痴を聞こうではないか。心の中に不満を残したまま、翌日の作戦に挑むよりかは幾分かマシであるのだから。


「いいんですよ、言ってくだされば。言ったでしょう? 僕はハイネさんが好きだから、どんなあなたでも受け入れるつもりですから」


「……ありがとう」


 あのときだってそうだった。サバイバル・シミュレーションにて――キリがハイネの記憶を失ったと知ったときも。自分は彼女のことを、彼女はキリのことを。むしろ、その心を受け入れるつもりだった。ハイネが誰かを好きになったとしても、それでも彼女のことが好きだから。


 知っている。ハイネがこちらを見てくれないことは十分に承知している。だが、心はまだ諦めていない。彼女のためならば――。


「キリ君って嫌なことがあれば、それが嫌なら逃げちゃうんだもの。一人で逃げ道作って逃げちゃうんだもの」


 それがずるいと申し立てる。


「アイリちゃんは人を見ようとしないし。ていうか、人の話を聞かないし。というよりもハイチだってそう。みんな、みんなずるいよ、何か隠し事をしてさ。私独りだけ取り残されている感じがするから余計に悲しいよ」


 ハイネは泣くということはないようだが、言葉通りに若干悲しそうな顔をして頬を膨らまかせていた。


「勝手にみんな一人でに悩み事を抱え込んでいるからさ。わかっているのに教えてくれないの。相談をしてくれないの。……私ってさ、そんなに頼りないかな?」


 何もないと虚勢を張りつつも、何かしら悩ましい顔をしているあの三人を思い浮かべる。そんな彼らが気になるのに、心配になるのに。


「そのようなことはありませんよ。ハイネさんは十分に頼り甲斐のある優しいお方です。おそらくではありますが、みなさんはそんな心優しいハイネさんに迷惑をかけたくないからと思われているんじゃないでしょうか?」


「かけて欲しい。かけていいの。だって、友達だもん。私だって、みんなに色々と迷惑をかけている。この旅でもワイアット君とセロにもたくさん迷惑をかけた。こっちに到着するに至るまでもギリギリだった」


「……それならば、みんなのために笑えばいいのではないでしょうか」


 ワイアットがそう言うと、びっくりしたようにして顔を上げた。


「ハイネさん、笑ってください。悲しそうな顔をするからみなさんは遠慮しているのかもしれませんよ」


「そうなのかな?」


「ええ、きっとそうです。それに、笑えば幸せという物は訪れてくると言いますでしょう?」


 あなたの笑顔が誰の心も打ち溶かしていくんだ、とワイアットは言った。間違いなく、そうなのだろうという確信はあった。ハイネがあまり笑顔を見せなくなってからだ。誰もが沈んだ空気になっているのは。


「だから、まずはその笑顔になるためにケーキを食べましょう! 甘い物を食べれば、自然と頬は綻びますし」


 とにかく、ハイネには元気になって欲しいというワイアットの思いがあったのである。幼い頃に出会った彼女のあの素敵な振る舞いにすてきな笑顔。それを見たくて、もう一度会いたくて早とちりのように結婚を申し込んでしまったが――。


「美味しいね」


 甘いクリームの乗ったケーキを食べてハイネは嬉しそうな顔を見せていた。


 ああ、ずっとこの緩やかな微笑みを見続けていることができたならば。


 ワイアットにとって、その笑顔は誰よりもすてきな物であると思っていた。それだから、ハイチやキリ、アイリにもこの笑みを見せることができたならば――と一人思い更ける。


「そうです、ハイネさん。その笑顔でみなさんを笑顔にしちゃいましょう」


 ワイアットもまた年相応の笑みを浮かべるのだった。


    ◇


 ハイネのすてきな笑顔ならば、誰もが幸せになるだろう。そう思っていたことがあった。実際に、彼女の微笑みを見てワイアットは幸せだとも思ったから。しかし、自分の記憶にあるハイネが笑っている顔を見たのはあのときが最後。


 それからは――鬼哭の村での事件後、ハイネは一年間も眠っていた。そこで目覚めたのはハイチだった。そして、自分もまた死んだ。死んだはずなのに。どうしてか異形生命体にされて、見知らぬ場所にいて、そこから逃げることもできずに人を殺して――。


 もう笑えない。


 バケモノと呼ばれていたハイチの気持ちも同じだったのだろうか。とても傷付く。これほどまでに存在意義について苛むことはなかったはずなのに。




「笑えよ」




 黒い鎖で捕えられてしまっているハイチはそうワイアットに言った。思わず顔を上げる。どこか、寂しげではあるが――ハイネによく似た笑顔の持ち主。


「お前が死ぬ間際に俺に言ったこと、忘れたか?」


「で、でも……」


「フォスレターが無茶なことを言うから、今の俺はよく笑えんぞ」


「す、すみません」


「だからよ、笑え」


 その言葉にワイアットの体の支配が一瞬だけ弱まった気がした。だが、気は抜けない。完全に脳情報遠隔操作装置を止めたのではないから。そうだとしても、それに希望が見えている気がした。


「こう、ですか?」


 体以外のところの自由は最初から利く。ワイアットは試しに笑ってみた。


「笑えてねぇよ。ぎこちなさがあってマイナス三十五点引きな」


「えっ、減点方式ですか?」


「笑顔くらいで質問してくるな。マイナス十五点。そんなんじゃ、ハイネと手をつないでデートするなど、到底不可能だぞ」


「ちょっ……ちょっと待ってくださいよ。こんなときに遊んでいる場合じゃないでしょう? 僕、これでも体を抑え込んでいるのに必死なんですからっ!」


「ンなことグダグダ言っているヒマがあるなら、鎖を解け。鎖をよぉ。俺はお前から殺されるか、解放される以外にどうすることもできないんだぞ」


 そんなことを言っても、とワイアットは困惑した。そもそも、自分の体は言うことを利かないし、ハイチを殺したくもない。鎖の解き方すらも知らないのに。


「どうすれば?」


「自分で考えろ。お前はお前だ。俺とは違う」


 一瞬だけ体の自由が利いたときはハイチの笑え、という言葉だった。ずっと、自分の意思なく動いていたときはどうしていた?


【殺したくない】


 泣いていた。バケモノに成り果てた自分という存在を恐れていた。


――僕って何だろう?


 自分はしつこさが売りの元王族私軍三銃士軍団のフォスレター団の団長、ワイアット・エヴァン・フォスレター。ハイネに求婚するほどまで彼女が大好きで、自分の意志は絶対に曲げたりはしない。


「ぼ、僕は――」


 槍を握る手の力を強めた。その黒い塊はひびが広がり出す。


 今の自分が現実世界ではバケモノだということくらいは重々承知している。というよりも――。


「知っている」


 更にひびが入ってくる。


 そのバケモノであるという存在を『容易』には認めたくない。あの格好の自分は弱い心の隙をつかれていた証拠だから――。


「僕は、本当は心が成長していない、子どものままなんだ」


 精神的に弱い話ではない。精神的に子どもながらに思っていたこと、心にあった単純的感情に隙つけ込まれたという話。きっと、キリの記憶を取り戻すことを反対であったのもハイネに同情をしていたから。それを理由に一人怒っていただけ。


 今、自分がするべきこと。


「お義兄さん」


 更に槍を握る力を強めた。音を鳴らして壊れ始めてくる。


「これから、ハイネさん交えて鼎談をしませんか?」


「ほう! 鼎談……して、話の中身は?」


「決まっているじゃないですか……婚儀についてですよ。僕的にはハイネさんは純白のドレスが絶対にお似合いだと思いますっ!」


「……ばっか。結婚? ハイネに結婚なんて三十五年早いわ」


 ハイチの表情は以前に見たことのあるような怒り心頭ではなかった。凄むようなオーラもない。こちらに向けられているのは優しい表情である。直後、彼を捕えていた鎖は砕けた。


「精々、俺同伴でのデートに決まっているだろうが」


 ワイアットは満面の笑みをハイチへと向けた。それにつられるようにして、彼も微笑むようにした。


「それならば、ウエディングドレスの下見に行こうと思っているのですが。ああ、ハイネさん……もしかしたならば、薄いピンク色のドレスもお似合いかもしれませんね……」


 完全に黒い鎖が砕け散り、塊すらも消え去ったとき――ワイアットは崩れるようにしてその場に倒れた。最後の槍もまた消え失せる。そこにいるのはその場に座り込むハイチ。電子世界から現実世界へと戻した。


 床には穏やかな表情にして動かないワイアットがいた。


「……バカヤロー……。結局、婚儀になっちまっているだろうが……」


 笑ってくださいと言われたはずなのに、まだ笑えなかった。無理やり笑顔を作ろうにも、その目からはあふれんばかりの涙が。これは自分が泣いているのだろうか、それともハイネ自身が泣いているのだろうか。


 もしも、あの二人に未来という物が存在していたならば。手を取り合って、過ごせていただろうか。


『ハイネさん、僕と結婚してください!』


『えぇ……話が飛躍し過ぎだよ。ワイアット君って、まだ結婚してもいい年齢じゃないでしょうに』


 遠くで聞こえてくる気がした。何度目かすら忘れるほどのプロポーズするワイアットに、実際のところ満更でもない様子のハイネの声が。


 涙を拭う。右手にはハイネが十三歳になったときにあげた緑色の石のブレスレットがあった。


「……お前も、お前なりに悩んでいたんだよな」


――気付いてあげられなくて、ごめん。


 本当は夢を見ていた。どんな人物でも、なんだったらまだ諦めていないワイアットでもよかった。いつしか、ハイネと結婚を前提に付き合っている誰かと共に自分のもとへと――。


『ハイネさんを僕にください!』


 なんていう日が来るかもしれない、と。


 嫁に出すほど愛おしい妹のことをそこまで大事に思うならば、と自分は承諾をするだろうか。もしかしたならば、ワイアット同様に許さないと断言するときがあるかもしれない。それでもハイネはハイネである。許さないだろうが、勝手に結婚をしてしまいそうで――。


 違う。ハイネは自分ではない。彼女自身の人生なのだ。あのとき、ヒノたちにハイネの名前だけ嘘をつかなかったのはそういう意味があってのことなのだから。彼女があの過去を背負いする必要なんてないから。悲しみは自分だけで十分だった。それだからこそ――。


「……俺も、お前のウエディングドレスを見てみたかったよ……」


 すてきな笑顔に似合う純白のドレス。それを見て、ヒノはどう思うだろうか。


『似合っているぞ』


 その笑みにつられて嬉しそうにしているかもしれない。


 もしも――母親はどう思うだろうかとも考えてしまう。自分たちを捨てた本当の理由は知らない。そうだとしても――。


【この子はハイネよ。あなたはお兄ちゃんだから、守ってあげてね】


【おれ、おにーちゃんなの?】


【そうよ。あなたはお兄ちゃんになったの。お兄ちゃんだから、男の子だから、妹を守れるくらい強くなくっちゃダメよ】


【わかったよ! おれ、うんとつよくなる! 『おれのなまえ』のとーり、ハイネもおかーさんもまもれるくらいつよく!】


【ふふっ、二人が成長する姿が楽しみね】


 あのハイネに似た笑顔とあの言葉に偽りがなければ――もう一度、会いたいと思っている自分がいた。だが、会えないということは当然だ。


 何が悲しくて、こんな人生を送っているのだろうか。これも世界改変者の思惑通りであるならば、許されない。


 ハイチは立ち上がり、ワイアットを起こして壁際に座らせるようにした。そして、右手に着けていたブレスレットを外すと、それを彼の右手に着ける。


「一刻も早く、あのふざけた野郎を倒さなければならねぇ」


 人の未来をなんだと思っているのか。人をなんだと思っているのか。


「だから、ハイネ。お前はこいつと一緒に待っていてくれないか?」


 これが終わったら、一緒に帰ろう。もちろん、ワイアットも一緒に。


 ハイチは『LILAS』を拾い上げると先へと進んだ。


     ◆


 この先は誰も通ったことがないように見えた。周りを警戒していても、誰の気配も感じられない。それが不気味に思う。


「誰もいねぇのか?」


 世界改変者を早いところ見つけないといけないのに、建物内が広過ぎて現在地点がわからない状況に陥っていた。


「あのバカップルは野郎を見つけたかねぇ」


 誰もいないからこそ、独り言が増えるなと思いつつも口に出していると――。


「はてさて、バカップルとはどなたのことになるのでしょうか」


 背後から声が聞こえてきた。そちらの方へと振り向くと、そこにいたのはあやしい笑顔の仮面を被った黒ずくめの男。そう、世界改変者だった。


――こいつ……!


 見覚えがある。前夜祭でマッドを従えていた者。ハイネを泣かせた最元凶。


【そいつは気味が悪いほどの笑顔の仮面を被った男だった】


――そういうことかい。ザイツが見たってやつは……。


 周りに誰がいるわけでもない。頼れるのは己の実力のみ。ハイチは『LILAS』を構えた。その真っ黒な刀身を見て、世界改変者は声を上げる。


「ほほう、なんとも面白い刀ですね。まさか、自分の体から採った物とは思わなかったでしょう?」


「ごちゃごちゃうるせぇ。そこで大人しくしとけ。今すぐにてめぇを――」


「私をどうするつもりですか? あなたの使命は忘れたわけではないでしょう?」


 突撃をするハイチに世界改変者は軽々しく避ける。それはどんな攻撃でもだった。刀だけでもなく、足払いをしようとしたりもするが――やはり避けられては床に叩きつけられてしまう。


「クソが……!」


 話を聞いている限りだと、世界改変者は未来のコンパスの所有権を得ている可能性があると言う。当然、自分の動きも見切られているのか。刀を杖代わりにして立ち上がるハイチを見て彼は「これはこれは……」と嘆くような物言いをする。


「あなたは仮にも女性なんでしょう? 女性がそんな汚い言葉を使うだなんて」


「俺は――」


「あなたの名前は『ハイチ・キンバー』ではない。それぐらいは知っておりますよ。私の囮役であるくらいならばね」


 すべてを見透かされている。握った刀が震えている気がした。いや、自身が世界改変者の囮役であることくらいは知っていた。何もしてないのに、『神様の日記』にもいたずらをしていないのに。勝手に罪を擦りつけて。


「本名が、好きな人を守るような強い人になりますように……でしたっけ? ええっと、っ――」


「言うなっ!!」


 世界改変者に言われるのが一番嫌だった。声を荒げたせいか、肩で息をする。


「てめぇみたいなやつが、俺の名前を言うんじゃねぇ!」


「威勢はいいみたいですね。囮さん」


 笑い声と仮面上の顔が腹立つほどにその場を引き立てているように見えていたが、段々とその場の空気が変わっていくのがわかった。


「でも、その囮役が……囮ごときが使命を忘れて名なしと手を組むなんて」


 普段の丁寧な口調と違って、どこか怒り気味な雰囲気を出していた。それに怖けつく感覚に陥ってくる。


「あなたの使命は何ですか?」


「…………」


「あなたの使命は何ですか?」


 あくまで自分の口で言わせるつもりらしい。設問を何度もしてくる。


「忘れたわけではあるまい? その使命を捨てたわけではあるまい? 囮役という運命を課せられた囮さんよ、あなたはあの番人に向かってなんと言った?」


 動かない体に対して、首を掴んできた。上手く呼吸ができなくて、苦しいと思う。


「『一刻も早く、あのふざけた野郎を倒さなければならない』? それは一体誰のことか?」


 このまま舐められっ放しは冗談じゃない。そうハイチは刀を薙ぎ払うようにして動かすが、刀身が根元からなくなっていた。どこへ行ったのか。


「まさか、私のことじゃないでしょう?」


「お、お前以外に誰がいるって言うんだ! このニコニコ野郎が!」


「使えない囮さんですね」


     ◆


 圧倒的な力を見せつけられて、披露してもなお、ラトウィッジはエイキムの死体を戦友軍たちに任せて部屋の中を調べた。床、天井、壁に張りついたMAD細胞をよく斬れる君ではがしていく。


 そうしていると、入口とは別のドアを見つけた。そこを開けると、外へと出る。日が山の反対側にあるせいで、暗い印象を与えた。そこは下の方へと続く階段があった。だが、その階段下は霧がかかっていてよく見えなかった。下はどこへとつながっているのだろうかと下りようとすると、イヤフォン型無線機より連絡が入った。本拠地の方からである。もしかしたならば、エブラハムの容体の件についてだろうか。


 ひとまず、ラトウィッジはその連絡に出た。話は階段を下りながらでもできるから。


「どうした?」


《そ、総長! 俺です、ヴェフェハルです!》


 セロからだった。彼は西の方から戦線離脱でもしたのか。彼の声からしてどこか慌てた様子であることは確認できる。


「焦らず、落ち着いて言ってくれるか」


《先――、エレノア様から連絡が――》


「エレノア様から?」


 段々と霧の方に近付いて来ているためか、セロの声にノイズが走り出す。それでも聞こえないのではないため、降下していた。


《は――王城に隠れカムラ教徒のミスミ――がいらして、その人――名なしに伝言をしなければ――ことがあるそうです》


「彼女の行き場所は知っている。ハルマチと合流するからその内容を教えてくれるか?」


 セロのノイズ入りの声に加えて、下の方から誰かの喧騒が聞こえてくる。もしかしてキリたちだろうか。


《――ええ……




『番人と狂人だけが世界改変者の駒ではない』




 そう、仰って――した》


「……それが伝言?」


《そう――カムラを名なしと見立てて――ハルマチとして――……》


 ここで連絡が途絶えてしまった。周りを見れば、霧に囲まれてしまっている。これが電波を邪魔するのか。ラトウィッジは上の方に戻って再度セロと連絡を取ろうとするも――。


 濃霧の中で誰かの悲痛の叫び声がこだました。セロと連絡を取るよりも、そちらを優先とし、階段を駆け下りていく。


 向かった先にいたのは、地面に倒れ込むキリ。それを見て涙目のアイリ。彼らを見てせせら笑う『ちーくん』の姿だった。

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