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世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う  作者: 池田ヒロ
最終章 過去から現在へ、現在から未来へ
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天秤

『神様の日記』。それはこの世界を創造した『神』と呼ばれる存在の者がどのように成長したかどうかの記録やメモを書き記した創製日記である。それを世界改変者(クラッシャー)は日記に基く事実を改変した。書かれていた内容を消したり、書き足したり、ページを破ったり――。


 本来あるべき姿の世界を変えてしまったのだ。それはもう元に戻せないほどまでの改変っぷりに『神』は怒って一人の遣いをその世界に生み出した。その世界では『神』ではなくなった者が創った存在。この世界では本来存在してはならない者――名なし。名なしは世界改変者を倒すだけのためにこの世に生まれた。何も持たないその者も『神』の指示に従うしかない。それが使命、それが彼の生きる意味。だから、せめてでもと建前の慈悲により、一人の人物の存在(名前)を奪うこともできる力が彼にはあるのだ。


 めちゃくちゃにされたその日記の最後のページには『神』が名なしに与えた使命が記述されている。


『世界改変者を闇に葬れ』


『世界改変者を闇に葬れば、体は朽ちるだろう』


 世界改変者を倒せば、名なしに待ち構えているのは自由とうう名の『死』。多くの他者の存在を奪いながら、その『死』とやらを望むようになった。感情と記憶が渦巻く思い。それは五億九千八十八回も積もりに積もった物。


 名なしは五億九千八十九回目にして、その使命を早く終わらせたいと自棄になった。しかし、それが禁止ではない。それで終わらないわけではない。『神』の命に従っている最中、誰かが言ったことを思い出す。


「神は傍観するだけ」と。


 そうだ、『神』はただの傍観者。事の成りゆきにすべてを任せているだけなんだ。使命の記述には『名なし』だけが『倒せ』などというのはない。


「死にたくない」


 誰かが欲を言った。自分に対して殺意を感じた。


 ああ、彼ならば――世界改変者を倒してくれ(死なせてくれる)るだろう、と。その誰かならば、『死』への願いを叶えてくれるかもしれない。


 だからこそ、名なしは己の運命とその誰かの運命を彼自身に変えさせて――。


     ◆


「いたっ!?」


 キリの声でアイリは目を覚ました。何事なのか。自分たちがこれから行おうとする作戦がバレてしまったか。などと彼女は慌てふためきながら自分たちがいる場所である装甲車の窓の外を見た。


 視界に映るのは青々とした峠道。空に高くそびえ立つ頂の方に丸い穴の空いた世界一高い山――世界を見る目があった。特に一年半ほど前に来たときと何ら変わりないようであることに安心をする。だが、それは彼女だけの問題ではない。


 あごを押さえて悶絶する者が一名。キリだった。


「何しているの?」


 全く悪気のないその問いかけに強気で言えなかった。転寝していたアイリの頭が自身のあごにクリティカルヒットしただなんて。


「頭があごに当たったんだよ」


「えっ? 頭があごに当たるって、すごいねぇ」


「お前の考え方がすごいわ」


 一部始終を知っている同乗者のハイチがアイリの発言に戸惑いを隠せないようだ。


「はぁ? 何かあたしをばかにしてません?」


「してる。今、すっごいばかな発言していたから」


「女性の体になってもばかさ加減がにじみ出ている先輩に言われましてもねぇ」


 今にもけんかをし始めそうな二人に「止めなって」とキリが静止をかける。だが、そこで止められるほど簡単な者どもではない。それを彼はよく知っている。


「そういうことしている場合じゃないだろ」


「そうだぞ」


 同じく同乗していたラトウィッジが腕を組みながらそう言い放った。威厳ある声持ちではあるが、それに怖けなんて一向につかない二人は相手を今にも掴みかかりそうなほどの険悪ムード。


「これより、我らは世界を守るために戦うし、ハルマチとキンバーはある種での主戦力なんだから」


「と、総長さんは言っていますけれども。これで戦うんですかぁ?」


 アイリが手にしているのは一本の剣である。それを彼女は鞘から抜き出して剣身を露わにした。真っ青なそれは美しくも力強さがあった。


「アイリ、危ないから」


 誰にも当てないと明言したとしても、車内の中で抜き身をするのは危険である。キリに注意されてアイリは鞘に収めた。


「まだ弾にしてやった方がいいのに。強度は過去の歯車ぐらいなのになぁ」


「無茶を言うな、無茶を。元々の素材がキンバーの持つ試作型『LILAS(リラ)』のMAD細胞なんだぞ。腕なしを含めた三体の異形生命体からは限られた分しか採れていないんだから」


 ラトウィッジはハイチが持っている刀を見てそう言った。彼が持つそれの刀身は黒く、その根元には紫色の花が彫刻されているのである。


「そして、少しでも多くの武器が生産できるようにしてあのロープの繊維を組み合わせている。これは言わば合理的なのだよ」


「だからなんですねぇ」


「正直、過去の歯車を奪われて戦力が傾いているんだけれどもな。だが、偶然的にもMAD細胞単体よりも合成した方が強度は増している」


「いやぁ、いくら強度がすごくてもなぁ」


 ラトウィッジからの説明を受けても、アイリは納得がいかないらしい。鞘に収めたその剣を見て口を尖らせた。


「えっ、すごいじゃん。過去の歯車と対等に渡り合える武器なんだろ? 何が不満なんだよ」


 キリは素直にその青い剣のことを感心しているのに。


「……ネーミングセンス」


「え?」


 アイリは剣の名前が気に食わないらしい。


「あのさぁ、『LILAS』はいいよ。過去の歯車も未来のコンパスもネーミングセンスは。でも、最終決戦を前にして『よく斬れる君』はないからっ!」


 絶対に千切れないロープ君然り、貫通君然り――どうしてこうも。グリーングループが考えつく発明品は誰もが賞賛するだろう。しかし、名前だけはなんとかならないだろうか。


【ネーミングセンスはもうちょい、カッコいい物にしてくださいよ?】


 一応社長に念押しをしていたのに。一回だけとはいただけない。これじゃ、なんか格好つかない。


「キリは開発者の立場ならこういう名前にする?」


「……俺はわかりやすくていいと思うけど、しないかな」


 否定はするが、開発などしたこともあるはずもないキリはフォローを言わざるを得ない。


「主力武器が『よく斬れる君』でしょ? 世界改変者もこれで止めを刺されるならば、改変したくなる名前だと思うな」


「いいじゃねぇかどっちでも。散々人に迷惑かけた野郎の最期なんざ」


 ハイチに至っては『よく斬れる君』のネーミングセンスなんて気にしないのか、だらしなく座り直す。外見は完全に女性なのに、よくもまあそのような態度が取れるものだ。


「つーか、あの野郎の止めはデベッガが所有している過去の歯車だろ。それで死に逝くことは多分ないし」


「もっともで。って、今はマッドが持っているんだっけ? また復活したの?」


 何度も何度もよみがえってくるのはいい加減しつこいものだ、と嘆息をついていた。青の王国建国記念式典や任務中、前夜祭――あまつさえヴァーチャルの世界にまで出てくるとなると、もうお腹いっぱいである。まさか最終決戦まで世界改変者の駒として残っているとは。


「もう一人の俺、か」


 隠れカムラ教徒捜索組を狙ったもう一人の自分、マッド。ケイの右上膊を切断した狂者。聞けば双方の過去の歯車の所有権を持っているらしい。どちらとも剣に展開していたから。


 持っている。だからと言って、キリの所有権が放棄されたわけではない。放棄後の痛みは一切ないことから、マッドとはあれを共有しているとわかる。自分の存在が欲しさ故に過去の歯車を盗み出したのか。


「復活というには、デベッガ。言いたくないのであれば、言わなくていいが……。きみは鬼哭の村の山にいたときはどのような格好でいたんだ?」


「ぼ、ボロボロの服でしたけれども?」


「ケイたちの報告ではそういう服装に裸足で髪は伸びきっていたそうだ。彼ら曰く、自分たちが知っているマッドとはほど遠い雰囲気が漂っていたらしい」


 マッドは『罪人の子』の格好をしていた?


 なぜか頭痛がした。何かの記憶がよみがえってきそうで思い出せない。とても腹が立つようなイライラ感が拭えない。なんなのだ、この気持ちは。


 キリが機嫌悪そうに眉間にしわを寄せていると、アイリが手を握ってきてくれた。


「大丈夫?」


 不安そうな表情をこちらに向けられて――。


「平気」


 心配はかけられない。自分には世界改変者を倒すという大役があるから。なんて無理やりにでも笑顔を作っていると――。


「イチャイチャは終わってからにしろ」


 ハイチが煩わしそうにそう言ってくる。思わず、それで手を放してしまった。ああ、それが名残惜しい。とても寂しいと思う。


【この世がめちゃくちゃになっちゃう】


【あたしは死にたいから】


 結局、世界改変者をハイチだと思っていたら全くの見当違いだったという事実だった。ハイチは彼の手駒。つまりはハイチ自身を殺さなくてもいいのだが、まだ本物は存在しているのだ。


 本物を倒せば、アイリには『死』が訪れる。彼女は自分のことを好きだと言ってくれた。一緒にいたいと言ってくれた。それだからこそ、最後の最後にして迷いが生じていた。


 アイリを取るか、世界を取るか。


 一人の少女の気持ちよりも世界を優先するべきだ、とラトウィッジは言うだろう。元より生に執着しなくなったハイチでさえも同じことを考えているだろう。いや、きっとアイリでさえも――。


――きっと、俺だけだ。


 生きて欲しいと切実に願うのは。その願いが誰かに知られたならば、世界中に敵を回すことになるだろう。それこそ、アイリにでさえも嫌われるかもしれない。


「…………」


 何も言えないキリがぼんやりと窓の外へと目を移した。相も変わらず鬼哭の村と変わらないような緑が途切れないようである。そうして決戦の本部とする古跡の村へと装甲車に揺らされながら向かっていると、誰かが倒れているのが視界に入った。


「と、停めてくださいっ!」


 切羽詰まった声に運転していた青の王国軍人が急ブレーキをかけると、キリは外へと出た。ラトウィッジの静止の声など聞かずに、茂みの方で蹲っている人物のもとへと駆け寄る。


「だ、大丈夫ですか!?」


 その人物は上半身が裸に白い八分丈のズボンを履いた満身創痍の青年だった。


「デベッガ、勝手な行動は――」


 ラトウィッジもまた青年の姿を見て驚きを隠せなかった。


「古跡の村の方……近くにコインストでもいるのか!?」


 そうだとするならば、危険だと腰に提げていたよく斬れる君を抜剣して、構えた。五感の神経と研ぎ澄ませる。今のところ、気配はないように見えるが――。


「今の内にこちらへ!」


 全身に生傷だらけの青年を装甲車内へと連れ込んで、すべての過激派キイ教徒制圧軍隊――戦友軍へと警戒の連絡を入れた。


「すまない」


 傷の手当てをするキリに青年はお礼を言う。


「いえ、ここら辺ライオンや異形生命体が出没しますからね」


 傷だらけではあるものの、青年ははっきりと受け答えができるようである。見た目からして、ハイチと同年代ぐらいか。


「キリぃ、そっち足りる?」


 後ろの席で手当てをしていると、アイリが衛生材料を見せてそう伺ってくる。


「うん、一応足りるけどちょうだい」


「はいよ」


 なんてそれを手にして後部座席の方へと移動すると――。


「アイリ?」


 青年はアイリの名前を知っていた。知り合い? キリがほんのちょっぴり嫉妬をしていると――「あぁ」そう、彼女は声を上げる。


「えっと、シフゾウの飼い主さん!」


「シードルだよ」


 顔は覚えてくれていても名前は覚えていなかったのか。青年――シードルはどこか残念そうに苦笑を浮かべた。彼の名前を聞いて、前方に座っていたハイチは眉を動かすのだが、「久しぶり」と言ってあいさつをしに行くわけにはいかない。現状のこの姿はハイチではなく、ハイネなのだから。


 元々、自分の正体をバラしていたのだからここで再会を分かち合いたくはない気持ちがあった。それ以前に戦友軍の一部だけなのだ。自身の正体がハイチであることを知っているのは。言うに言えない。裏を返せば自分は『異形生命体』もどきなのだから。


「そっか、アイリって……うん? なんで戦友軍に?」


「元々あたしは王国生まれなので」


「そうなんだ。でも、ハイチは?」


 ここにいる、なんてアイリも言えやしない。このなんとも言えない気持ち。もどかしい気持ち。どうにかしたい。


「せ、先輩はこれになりました」


 上手く事情を話せないアイリはよく斬れる君を見せた。


「はあ?」


 これにはシードルはおろか、話を聞いていたキリやハイチまでもが声を上げた。それでも、よく斬れる君を見て、察してくれた。


「まあ、異形生命体は過激派象徴だからな。そうなって……そういう最期なのか」


「そうですねぇ。事情がどうであれ、シードルさんはなぜに血塗れだったんですか?」


 あまり詳しくは話さない方がいいか、と考えるアイリは話を逸らすようにしてそう訊ねた。その設問にシードルは「言いたくはないんだけどな」と口にすることを渋っていたが――。


「観光業の一環でドッキリの実践をしていたら、崖の上から落ちたんだ」


「…………」


 その場にいた誰もが口を閉ざす。


「地面に落ちる前に木の枝に体を叩きつけるわで……村長、帰ったら覚えてろよ」


「あっ、刺さってる」


 細い木の枝が背中に刺さっていることに気付いたキリ。悪気はないのだが、つい口に出してしまった。


「ていうか、まだ観光でドッキリをやっているんスか」


「おう。これでも客は増えている一方だよ。一年前には王国から住み着いている若夫婦もいるし」


 何がともあれ――村が活気付くのはいいことだと言わんばかりに、嬉々とした表情を見せているシードル。それに対して、すべての話を聞いていたラトウィッジが申し訳なさそうな顔を見せた。


「顔色悪いっスよ、総長さん」


 隣に座っていたハイチがぼそりと言ってくる。


「いや、古跡の村の方に悪いことでもしたかなって……」


「どういうことっスか」


「あの若夫婦はおそらくマティルダたちのことだ。住み着くと言っても永住ではないと思う。彼らは世界を見る目に出入りしている者どもの監視を任せていたんだから……って、一応村人全員集めて説明をしたんだけれどもなぁ」


 その言い分だと、この決戦が終わればガズトロキルスたちが古跡の村から去るときが来ることになる。そうとなれば、村の人口を増やしたい彼らにとってはとても悔しがるだろう。


――ただ弓矢の使い方が上手かっただけの俺らに定住を勧めてきやがったからなぁ……。


「あっ、キリ。この人ね、あたしと先輩が旅していたときに立ち寄った村の狩り体験ガイドさん」


「狩り体験?」


 狩りと聞くと、獲物相手に槍を持って追いかけるというイメージしかないキリ。二人はそのようなことをやっていたんだなと一人勝手に思い込んでいた。


「そそっ、これが意外にエグかったんだな」


「エグいわけじゃないだろ? 本当のペットはエゾだし」


――本当のペットはターミンじゃなかったっけ?


 言いたくても言えないハイチは悔しがる。アイリはどうも忘れている様子。いや、あのときは話を聞いていなかったか。確か、シフゾウと遊んでいたからな。


「という以前にですよ、シードルさん。危ないからあんまり出歩いたらダメですよ」


「それはわかっているけれども、あのジジイが練習しとけとうるさかったからな」


 もはや、村長であるマトヴェイを『ジジイ』呼ばわりするシードル。そこまでの恨みは強かったようで――なんて、そうこうしている内に古跡の村へと到着した。村の入り口付近には世界各国の戦車や装甲車が列をなして駐車されているではないか。


 黒の王国建国より昔から存在する文化と伝統ある村に現代兵器を搭載した無骨な物を見ると、皮肉なものだなとハイチは微苦笑を浮かべた。マトヴェイは観光客が来るのは大歓迎をしていたが、武装をした者たちのことを嫌がっているように見えていた。だからこそ、こういう景色を目の当たりにして彼はどう思うのだろうか。いくら世界の危機だからと言っても快くは思うまい。


「キンバー、置いていくぞ」


 ラトウィッジにそう言われて、ハイチは後を追う。


 村の中へと入ると、当然のように各国から集まった戦友軍たちがいた。村人との割合は不釣り合いである。


「嫌に活気はあるよな」


「この村って元々静かだったんですか?」


「だろ? こんな辺境な村が都市部みたいにザワザワしてみろよ。似合わないな」


「小さい子どもたちが外で遊んでいる姿はよく見掛けましたけれどもねぇ」


 なんて会話をしながら、ラトウィッジが三人を案内した場所はマトヴェイの家であった。これにハイチは眉根を寄せる。会うのか、あの村長に。


【あんたらの村に迷惑なんてかける気はなかった】


 自分がハイチであるとは振る舞いによって左右される。もしも、自分の正体がバレてしまったとき、彼らはどのような反応をするのだろうか。


 家の中へと入り、以前通されたことのある居間の方へとやって来ると、そこにはイダンと白の公国の将軍、赤の共和国の総督らが話をしていた。マトヴェイはいないようで一安心する。


「お待たせ致しました」


 そう頭を下げながら三人にあいさつをする。各国の彼らもそれぞれあいさつを交わす中、部屋の端っこの方にどうしたらいいのかわからないキリたちは立ったままである。


「黄の民国の軍大臣はまだのようですね」


「ですね。まあ、作戦は午後からですし。まだ時間はありますよ」


 総督が時計を見ながらそう答えると、ラトウィッジはキリたちの方を見て「午後だ」と言う。


「午後にきみたちを交えて話し合いをする。それまで自由にしているといい。オブリクスならば、世界を見る目に入る山道入り口で監視をしているだろうから会いに行くといいだろう」


 などと言うものだから、ガズトロキルスと話がしたかったキリは「行ってきます」と一人で外へ出ていってしまった。


     ◆


「じゃあ、後はお願いします」


 ガズトロキルスとマティルダは戦友軍たちが村へとやって来て、毎日の世界を見る目に対する監視の仕事が軽減されていた。一日中見張りばかりだったが、今では一日に四時間までとなっており、たった今交代したばかりなのである。


「はあ、楽になったなぁ」


「ですわね。本当、この村ってこういうことがなければいい場所ですのに」


「おっ、戦いが終わったらここに本格的に移住するか?」


「そうですね。村のみなさんもいい人たちばかりですし」


 なんてのんびりと村の方へと二人が向かっていると、前方よりキリがやって来るのが見えた。久しぶりに見た自身の友はほんの少しだけ大人びた雰囲気を持ち合わせていた。いや、一年も経てばそう見えるか。


「ガズ」


「よお、キリ。どうよ、この民族衣装は」


「似合っているな。もうここに溶け込めるんじゃないの?」


「実際にガズ様は溶け込んでおりますわ。それはもう当たり前という名の景色になるほどに」


 そこまでなものなのか、とキリが苦笑いをしていると、マティルダは――。


「それよりもガズ様とお話されるのであれば、私は外れますね」


 空気を察して一足先に村の方へと戻っていった。その場にキリとガズトロキルスが残り、彼は「展望台の方で話す?」と誘ってくれる。


「お互い積もりに積もった話があるだろ?」


「うん」


     ◆


 村はずれにある展望台にて。そこを見下ろすように見る『世界を見る目』は白い光を放つ目玉で二人を見つめていた。あまりにも眩し過ぎて、思わず目を細めるほどである。


「ここでたまにマティとご飯を食べたりするんだ」


「面白い場所だな。月もあんな感じなのか?」


 山に空いた穴を眩しそうに眺めるキリに「そうだよ」と答える。


「村長がここはキイ神が晴れた日限定で見守ってくれているって言うんだ」


「見守る……あ、ああ。あのでかい穴から見える日と月か」


 ガズトロキルスはここから見える山を見渡して、設置されていた椅子に座り込んだ。それにつられるようにして向かい側にキリは座る。


 話したいことが山ほどあるのに、二人は口を開こうとはしない。何を言えばいいのかわからないからだ。互いが沈黙し合っていると、ようやくキリが先に口を開いた。


「……ボールドウィンとの生活は楽しいか?」


「うん、料理は美味しいし。その、笑顔が可愛いし」


 恥ずかしそうに答えるガズトロキルスに「よかったじゃん」と言う。


「隣に好きな人がいるってすごく安心するしな」


「へぇ、お前に好きな人が……ああ、ハイネさんって」


「いや、アイリを選んだ」


「…………」


 山の方から小鳥の鳴き声が小さいのに大きく聞こえていた。それだけここら辺が静かだという証拠があるのだ。


「ハイネさんに諭されて、俺はあいつを選んだ」


 その無反応が否定的に思えてキリはもう一度、はっきりとした口調で答え直す。ふんわりと優しい風が二人を包み込んだ。


「……そっか。まあ、そこはキリの気持ちも必要だしな」


「あんまりよくは思っていないみたいだな」


「そりゃあな。あんだけとんでもない予言をしていったやつだ。特に俺とお前の関連性のな」


 己の幸せのためにも近付かない方がいい。アイリは確かにそう言った。そう言ったが――その忠告を無視していると、自分の身に火の粉が降りかかったような状況に陥ることになってしまっていた。そうだとしても、それが不幸だとは思わなかった。むしろ、これから何が起きるのか気になって仕方なかったから。そう考えていたら、本当に――。


「色々ない頭を考えさせられたよ。どうすれば最良の選択ができるかって」


「今、ガズは幸せなのか」


「幸せだよ。そりゃ、逮捕されたときは最悪だとも思ったけれどもな」


 再び沈黙が訪れる。村の方より人の声が聞こえてきていた。風向きでも変わったのだろうか。




「……俺さ、世界中を敵に回すかもしれない」




 一呼吸を置いてキリがそう言い放つ。その発言にガズトロキルスは大きな反応を見せることはなく、じっと彼の方を見るだけだった。


「多分、総長から聞いているかもしれないけれども、世界をめちゃくちゃにしようと目論んでいるのは世界改変者だ。やつを倒せば、倒すことを目的に生きていた名なし――アイリは死ぬ」


「…………」


「過去の歯車の所有権を持っている俺がどうなるかはわからない。けれども、一人だけ生き残るのは嫌なんだ。アイリと一緒がいい。できることならば、平和になったこの世界で一緒に過ごしたい」


「……他に方法は?」


「アイリやハイチさんは過去の歯車で止めを刺さないといけないって。それを俺ができるという保障はないんだ、何も思いつかないんだ」


「そうだとしても、キリがやらなきゃ誰が倒すの? 所有権捨てたら、今までの痛みがやって来るんだろ?」


「そうだよ。最初は死ぬことも考えたさ」


 そうキリは頭を抱え出す。そこから窺える表情は不安で塗り固められた少年の顔であった。


「怖いんだよ、死ぬのが。でも、死後にアイリと会えるかすらもわからないこの世界で生き残るのもつらいんだ。そうだとしても、なんでか俺はあいつが望んでいた『死』を実現させてあげたいとも思っているんだ」


 死ぬってなんだろう。生きるってなんだろう。答えは何もない。出てこない。


「俺ってさ、最低なのかな。どっちも手に取りたいとわがまま言ってさぁ」


「俺も同じわがままだよ。マティとお前を取りたかった。運がよかっただけなのかもしれない。どちらとも自分の思い通りに叶ったから」


「羨ましいな」


 本当にそうだった。ガズトロキルスはマティルダを幸せにするために一度離れた。だが、結局は彼女や本人がそれを望まなかった。それ故に一緒にいることが叶った。一方でキリが何かをして、何が起こるのかを見てみたいという思いも叶いつつある。


 なぜにこうも自分にはガズトロキルスと同じような運が巡ってこないのか。なぜに普通の人と同じような人生を歩めないのか。ただ単に好きな人と一緒にいたいだけなのに。何もおかしなことではないはずなのに。


 何がそんなに気に食わないんだろうか。


「何かいい方法ってないかな」


 マッドから過去の歯車を取り返したとしても、事実の書き変えなんてできるのだろうか。どれほどの代償を差し出せばいいものか。それとも、代償を出さずに事実改変ができる過去の歯車に願いでも込めた方がいいのか。自分の強欲で己もアイリの運命も変えてしまった。それならば、この欲を使ってまた変えることは可能であるのだろうか。


「……作戦開始まで一応時間はあるだろ。それまで考えたらいいんじゃないのか」


 ガズトロキルスは自分なりに考えを出した。しかし、何も思いつかないのが現実。誰も悲しまない未来なんて視えたものではないのだから。


「そっか。話を聞いてくれてありがとう」


――ああ、世の中って理不尽だな。


 キリも心の中で、そう嘆く他何もできない。


     ◆


 ずっと最善を考えていたキリではあったが、何も思いつくことなく午後を迎えた。彼はラトウィッジの指示通りにマトヴェイの家へと向かうと――。


 家の床に正座をするアイリとハイチ。彼らはとてつもなく、気まずそうにしていた。そんな二人の向かい側には古跡の村の住人だろうか。一人の老人が怪訝そうにして座っている。何があったのかと思いながらも、事情を知らないキリにとって手助けは下手に出さない方がいいだろう。


「何があったんですか?」


 ラトウィッジのもとへとやって来て、あちら側に聞こえない音量で、そう訊ねてみた。


「あれだ。キンバーの中身がバレた」


 どうやらハイチが男らしい振る舞いでも見せていたのが原因とのこと。彼にとって、女性らしい振る舞いは苦手のようである。


「二人とも村長のマトヴェイ氏に会っていたようだからな」


「あれはいいんですか。放っておいても」


「ハルマチからは世界改変者のことや事情をすでに話しているし、彼女たちなしでも作戦会議はできる。が、所有権を有するデベッガだけは一応顔を合わせておかないとな」


 ラトウィッジはそう言うと、キリを世界各国の軍関係のトップらに紹介をした。


「き、キリ・デベッガです」


 いかにも威圧感をむき出しに向けてくるむさ苦しい男たちにキリは頭を下げれば――。


「むむっ! どこぞで見たことのある少年と思えば、貴殿はメアリー王女を見事奪還させた勇気ある若人ではないかっ!」


 印象がガラリと変わっていてわからなかったよ、と白の公国の将軍がキリの背中を強く叩きながら大笑いをした。


「みなさん! 彼ならば、きっと世界は救われるでしょう! 我らも安泰ですよ!」


 勝手に期待を膨れ上げられた。最悪だ。こちらは一人の好きな子と天秤をかけてしまっているのに。皮肉なものだ。以前は誰かに頼られることを望んでいたのに。


「将軍、彼らのことは置いといて我々だけで話を進めましょう」


 軌道修正をするがごとく、ラトウィッジは世界を見る目付近の地図を取り出した。それに全員が注目する。


「先行で我が部隊が偵察に行ってきました」


 イダンがそう報告すると、山の中腹付近を指差した。そして、資料用として入れていた封筒から写真を取り出す。緑に囲まれた両開きの扉が大きな存在を示していた。


「ここに大きな扉があるとの報告を受けております。中を調べようとはしましたが、鍵がかかっているようで断念。また、別の場所にも同じような扉が存在しているようです」


 今度は反対側の中腹に指を差す。


「キイ教の神聖な場所なんですけどね。一部の木々が突如として枯れたり、本来荒野にいるはずのライオンがいたりと生態系はめちゃくちゃの模様です」


「扉? 確か、黒は世界を見る目における立ち入りを厳禁としておりましたよね?」


「彼らによって、もう秩序は数年前から乱れていたようです」


「それならば、二部大隊に別れて二つとも攻め入りましょう。青の王国は異形生命体の細胞から作り上げた武器があるんですよね?」


 ラトウィッジは頷く。


「現在その武器を割り当てているのは私と彼女たちと他の者が五本所持しています。全部で八本ありますので四人ずつに分けることは可能です」


「ふぅむ……。八人しか持たないとなると……うん? フォスレター総長、この場で最強の武器とやらを所持しているのは貴殿とあちらの方で正座をしている二人だけですよね?」


 黄の民国の軍大臣が首を捻りながら彼らを見る。三人の傍らには刀剣があるが、この会議に参加しているキリには何も持っているようには見えない。世界改変者たちの止めを刺す役だと聞いているが、まさか細身の彼が素手で戦うわけでもあるまいし。


「そちらの彼には手ぶらのようですが」


 じろじろと見てくる軍大臣にキリはあまりいい顔をしなかった。品定めのようにして見られている気分だ。


「盗まれたんですよね、過去の歯車とやらは」


「はい、はぁい! それはあたしから説明させていただきますっ!」


 ずっと正座をしていたアイリがその状況を逃れるために割って入ってきた。逃げ出そうとする彼女の服の裾をハイチが必死になって掴む。


「お前だけ逃げるのは許さねぇ!」


「放してくださいよ! あたしは説明をせねばならんのです!」


 自分だけ逃げるのは許さない、という心情がハイチからにじみ出ていた。そんな彼らを「気にしないでください」と完全になかったことにしようとするラトウィッジ。無視して説明をし出そうとするものだから慌ててアイリは止めに入った。


「待って、総長さん! 本当に待って! それから先はあたしに言わせて! この微妙な空気は耐えられないっ!」


「別にハルマチが言わなくとも、私から説明できるが」


「いいから! 本当お願い! 一生のお願いだから言わせて!」


「だったら、俺の一生のお願い! 総長さん、こいつに言わせたら負けだからね!」


 その場で喚くアイリとハイチ。これに頭を抱える。これでは作戦会議もままならないだろう。


「ええいっ! きみたちは何しにこの作戦会議に参加しに来ているんだ! 私はお守りをしに来たんじゃないんだぞ!」


 厳かに行っていた会議から、騒がしい状況へとなってしまうことに怒りを覚えたラトウィッジまでもが怒声を上げた。騒ぎ喚く彼らに呆れるようにして他の四ヵ国の軍トップの者たちとキリは彼らを傍観する。


「……彼らの事情は聞いたけど、中身がああとは。フォスレター総長は大変だね」


 赤の共和国の総督がキリに同情をしてくる。その言葉が痛まれないな、と彼は「そうですね」と相槌を打つしかなかった。なんとかしてあの三人を止めなければと動こうとしたとき――。


「そろそろ、会議を再開しませんか」


 今の今まで黙っていたマトヴェイの口が開いた。それに三人は騒ぎ立てることを止めて大人しくなる。


「時間がないのでしょう? この世界を守るためなのでしょう? そのようなくだらないことをしているならば、世界は滅び逝きますよ」


 流石は年の功なのか。キリはマトヴェイの重たい言動に感心した。


「ハルマチさん、説明をお願いします」


「はい……」


 心なしか、普段は空気を読まないようなアイリでさえもその威圧に恐れ抱いているようだった。


「ご、午前中にお話しましたけれども、あたしが持っている未来のコンパスをキリに貸します。奪われた過去の歯車や未来のコンパスを対等に戦うにはそれしか方法はありません。いえ、それ以外の方法はありません」


「だろうな! 強大な力を持つそれらは世界の事実すらも改変してしまうほどである! ということは、過去の歯車の所有権のある若人が最適であるのか!」


「そうです。現在過去の歯車を持っているのもまた所有権を持っているのに近しい者。どんな事実改変をしてくるかわかったものではないでしょう」


 軍大臣が納得してくれたところで作戦の続きへと入る。今度はアイリたちも交えてである。


「二つのルートに分かれて行くのはわかった。が、隊列をどのようにして行くかが問題ですね。これは一国の問題ではないので……」


「それならば――」


 一つの提案として総督が発言する。


「我々赤の民は世界平和を願っておりますし、もちろんそのために戦場へと志願する者たちは少なからずおりますが……この村を含めた世界を見る目周辺の警備と監視をお任せ願えないでしょうか」


「あくまで戦わないということですか?」


「我が自衛軍は『守る』に関しては長けておりますが、『攻める』のは不慣れです。だからこそ、行動の思考も違ってくるはず。おそらく、みなさんの足手まといになるのは必至でしょう」


「では、配置の方もどうされるかですね」


 誰もが地図に目を落とす。それに総督は赤色の小さな駒を等間隔で上に並べていった。


「こちらへと派遣に出した部隊は自衛軍の約半数。山道入り口はもちろん、峠道や周辺に至るところまで各小隊を配置し、巡回させます。それらの小隊には進攻するみなさんの非常食料物資を常備させ、運搬したりもさせますし、医療に関してもすぐに対処できるようにしておきます」


「と、なると首相。あなた方の軍も赤の自衛軍と同様の動きをせねばならないのでは?」


 黒の皇国時代の皇帝や皇妃の意思もあって皇国軍を解隊したのだ。無闇に戦いに走らせるべきではないはずであるが――。


「そうなると突入戦力は減ってしまいますし、何よりこの扉の先が予測不能なので……我々は戦うことを望みます。これが最後です」


「よろしいんですかね?」


「神聖な土地をここまでにしたんです。それぐらい国民のほとんども賛成をしてくれましょう」


 国の信条を破るような決断ではあるが、やむない状況なのだ。戦わずして、亡き皇帝たちはいい顔などしないはず。イダンは黒色の小さな駒を写真の扉があるであろう場所に置いていった。


「我が軍の派遣隊を半々に分けて突入させます。もしあれならば、所々で小隊を配置されている自衛軍の方の中継役としても使っていただいて構いませんし。本部にも待機はさせていますし」


「二つの扉となると、黄の軍もおおよそ半々となりますね。待機組を本部に残しておきますが」


 続けて軍大臣が黄色の小さな駒をイダンと同様に置いていく。それは将軍も同じである。


「ならば、我々もだな! 本部には中隊ぐらい残して。総長殿も同じだろう?」


「我々は……」


 すっと、黙って自分たちの会話を聞いていたマトヴェイを見た。


「マトヴェイ氏。私の甥っ子たちから話は聞いたのだが、元々過去の歯車や未来のコンパスを仕舞っていた祠があると聞きました。そこはどこにありますでしょうか」


「そこへ進攻すると?」


「もちろん、扉の方へも軍を出しますが、我らの相手は過激派キイ教徒です。そうであるならば、世界改変者もそちらへいる可能性が高いのです」


 ラトウィッジの言葉に納得したのか、マトヴェイは地図の方へと指を向ける。


「キイ様の目……山に空いた穴の方に祠はありますが、高所では戦えるはずもありませんよ」


「でしょうね。しかし、そこへ行かずとも逃してしまう可能性もなきし非ず。総督、申し訳ありませんが、上の方からの見張りもお願いしてよろしいでしょうか」


「もちろんですとも」


 総督は快く引き受けてくれた。


「可能性はあるので、陸路からももちろん行きます。行くのは登山進行経験が長けている者だけに絞りますので」


「わかりました。ならば、案内役を寄越しましょう。世界を見る目はその名の通り世界一高い山です。どのルートで行くのが最適なのかは私たちが知っているはずです」


「ありがとうございます。――っと、よく斬れる君の配置としてはこちらにケイたちを入れて、私たちは別ルートだ。デベッガ、きみも来るように」


「はい」


     ◆


 色々と話し合っている内に作戦会議が終わったのは外が真っ暗になった頃だった。作戦実行は明日の午後から。それに備えてハイチたちと軍営地の方へと向かっていた。


 進攻するために急ピッチで作られた寝床は正直心地良くはないはずだと考えつつも、マトヴェイのあのしゃんとした態度にまだ感心を持つキリ。思わず口に出してしまうほどだった。


「村長さん、すごく威厳のある人だったなあ。なんせアイリがたじろいでしまうほどだし」


 そう言うとハイチが「それは違うぞ」と否定してきた。


「あの人は確かに真面目な人だけれども、俺たちが会った時はあんな面持ちの人じゃなかったからな」


「そうなんですか?」


 いつもであるならば、優しい雰囲気を持った老人であると言う。そう言われると、実感はない。そうは思えなかった。


「そうだよ。村長があんな態度を取っているのは認めたくないけれども認めざるを得なかったんだから」


「えっ、どういうこと?」


「一応、キリがガズ君のところに行っている間に、村長を含めてみんなに世界改変者とあたしたちの関連性を話しておいたの。もちろん、キイ教というのもすべて嘘っぱちであることも」


「ここの村の人たちは自分たちが元祖キイ教徒であると誇らしく思っていたからな。そりゃあ、今まで信じてきた物が偽物であることを認める気にもなれないだろうよ」


「それは――」


 マトヴェイに痛まれない気持ちになるキリはその場に立ち止まった。二人も同じ気持ちではあるものの、立ち止まることはなく、そのまま軍営地の方へと行ってしまう。


 信用していたものが崩れ落ちるときは、とてもつらいということをキリ自身もわかっていたから。


「…………」


 その場に立ち尽くしていると、声をかけられた。声をかけてきたのはケイである。よくよく村中を見れば、午前中よりも軍人たちの人数が増えていた。だから、ここにいてもおかしくはないのである。


「シルヴェスターか」


「明日作戦実行日なのに何をしているんだ?」


「いや、ここの村長さんが可哀想だって思って」


「可哀想? ああ、キイ教の件か」


 ケイの右腕を見る度に痛々しいと思う。彼の右目も潰れ、今度は右手も失ってしまっているのだから。


「そればかりは仕方ないんじゃないのか。信者ではない俺がどうこう言える話じゃないし」


「それもそうだけれどもな」


 言い分はわかる。だが、マトヴェイのことが気にかかって仕方がないのだ。キリは自分が来た道の方を見ていると――。


「でも、それって……お前がキイ教信者だったからそう感じているんじゃないのか?」


「え」


「記憶を失くしている間、お前がキイ神に願いを捧げている姿をハルマチが目撃していたそうだ。学校じゃ、そういうことなかったからみんな知らなかったし」


「過去の自分を見せつけないようにしていたからな」


罪人の子(過去)』を記憶の奥底に封じ込め、キリ・デベッガとして生きてきた。記憶こそ取り戻したが、今でも本当はあの忌まわしき過去は誰にも知られたくないし、誰もの記憶から消し去りたく思う。それだから、記憶を失っていた頃の自分が祈りをしていた行為を恥じているはずなのに――。


「別に変なことじゃないさ。王国は宗教の自由だからな」


「そう言ってくれるだけでも嬉しいよ」


「それに、本当に恥ずべきなのは人の命を比べることだから」


 ケイのその発言にキリは硬直した。


【どっちも手に取りたい】


 ガズトロキルスに打ち明けた本音。アイリか世界か。


「そんなことしていたら、俺は右手を持っていかれた」


 代償。そんな言葉も思い浮かぶ。ああ、本当に自分は最低なのか。ケイがそう言うのであれば、『選ぶ』という行為をしてはならないのだろうか。そのようなことを考えていると、彼みたいに天罰が下るのかもしれない。そう考えていると、明日が恐ろしく感じてきた。


「世の中、理不尽なものだな。両方を得るという選択肢が存在しないなんて」


「……本当、そうだよな」


 一人の好きな子の命と世界中の人々の命。どちらも得ることができない。どちらを選んでも絶対に後悔してしまう選択肢。それだからこそ、どちらも後悔をしない選択を模索しているが、なかなか見つからないでいた。作戦会議中にも考えていて、作戦内容の細かなところは正直あまり頭に入っていないのが現状。


 今日はもう何も考えたくない。その想いが頭に胸に溜まっていくものだから――。


「じゃあ、明日あるから……」


 そうして、明日の自分に任せるつもりなのだろう。今日も明日もどうせ変わらないのに。考えることを止めた自分こそが最低なのでは?


 それで結構。ケイが言っていた人の命を天秤にかけた行為をしている時点で、自分は最低人間なのだから。今更責任転嫁だと叱責されても反省する気は一切ない。


 キリが軍営地の方へと行こうとすると、再びケイが呼び止めた。


「お前は……まだ選ぶ時間も自由もあると思う。よく考えろ」


 その言葉に目を見開いた。


「オブリクスに頼まれた。友達が困っているのに、ちゃんとしたアドバイスができなかったって」


 結局自分も変わらない答えだけれどもな、とケイは苦笑する。


「でもな。これならば、可能性は低いかもしれないけれども――」


 ケイはキリに耳打ちをすると、一足先に軍営地の方へと行ってしまった。その場で一人いる彼はただ、星が見える夜空を見上げる。


「俺は――」


 キリは握り拳を作ると、空から目を背けた。


     ◆


 真夜中の展望台にアイリはいた。金色の目玉が彼女を見下ろす最中、その表情は憂いに満ちている。


「…………」


 心のどこかにあるやるせない気持ち。誰にも言えない気持ち。


「なぁんでだろうなぁ……」


 本当は死にたくはない。生きたいという思いはこれまで以上に大きかった。『生』とはなんだろうか。『死』とはなんだろうか。どうして、そのようなことを考えてしまうのだろうか。


 世界改変者を倒した後、自分はこの世にいないことは間違いない。キリを、みんなを残して独り死ぬ。いなくなる。


 恐ろしい。そのように考えることなんて、今の今までなかったのに。人もどきの自分がこのような考えを持つようになるとは。どこからこんな感情が沸き上がってくるのだろうか。性別なんて――一応は両性。これまで存在を奪ってきた中でも男として生きていたこともあるが、一番の思い入れは青の王国軍学徒隊としての『アイリ・ハルマチ』という少女の感情。


 雪山で初めてキリを見たとき、あの薄い青色の目がとても綺麗だと思った。一発で感じ取った心の奥底の闇。何かしらの『特別』な存在。人一倍の強欲さ。なぜだか手を差し伸べてあげたいと思った。実際に所有権を渡してしまった。彼ならば、世界改変者を倒してくれると思ってしまっていた。


 そんなキリを追いかけて、『嘘つき』だと知った。『嘘』をつくときの彼は少しばかり視線を逸らす。こんな調子で大丈夫なのだろうかと思った。だからこそ、あまり詳しくは言わないようにしていたが、それが仇となった。誘致するというのは大変な物だ、と。


 それでもキリと接している内に、コンピュータの世界に入ったときに言われた言葉――。


【お前がいなくなるのはダメだ】


 これまでにおいて誰かに言われた言葉でもあるのだが、とても嬉しかった。確信ではないが、ディースの性格も反映してくるからそのような思いがあったのだろう。五億九千八十九回の運命にして他人を、恋愛的目線で好きになるのは初めてだった。


 きっとまた『アイリ・ハルマチ』になりたいんだと思う。いいや、彼女として生き続けたいんだと思う。アイリ・ハルマチ(ディース)ではなく、アイリ・ハルマチ(名なし)の彼女として。


「あたしは名なし。でも、アイリ・ハルマチとして生きている」


 こちらに向けられている金色の目玉に向けて、手を差し伸べる。



「――本当は、キリとずっと一緒にいたい」



【約束】


 ややあって、その手の平を握った。


「叶わないなぁ」

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