蹶起
三銃士軍団の十三の席が決まったときに十四人が円陣をし、軍刀を合わせ掲げた。このとき、誰もが夢見ていただろう。己の理想を軍刀と共に誓って――。
蹶起。
青年エブラハムは言った。
「王国民を欠くしては青の王国は成り立たぬ」
誰もが、静かにエブラハムの言葉を聞いている。円陣を組んでいる十三人の軍服の襟には『三銃士軍の証』が銀色にと光っていた。また、彼の襟には彼らと同様の金色に輝く三銃士軍の証を装着している。
「彼らがいるからこそ、我らは存在する。彼らのために我らの魂をつなげるべし。我らの誇りを彼らと共に次世代へとつなげるべし。それこそがつながる青き魂。王国民を想うが故の心」
そう、この誓いは自分たちのためだけではない。青の王国が建国した当初から受け継がれてきた思い。初代国王ライアン・ヒューイットは友人を誰よりも大切にしていた。自分につながる者は誰もが友であると。
晩年、ライアンは自身の手記にこう記している。
『友のために戦えなかった。どうか、子どもたちはそうならないで欲しい』
友のために戦うことができなかったらしい。その先祖の願いを叶えるため、十四人は結束するのだ。
「いざ誓え、友がために戦い、その思いを守り貫かんことを!」
その誓いはほどなくして打ち砕かれてしまった。
だからこそ、エブラハムは嫌った。裏切り者の存在を。二度とあのようなことがないように。もう友を失いたくないがために。それでも本当は友を救いたかった。危険な考えを咎めて――。
◇
「総統領、エブラハム公がまだ門前に……」
戸惑いを隠しきれない様子の黄の民国副総統領はデスクに向かって書類に追われている総統領にそう言う。彼はそのデスクから顔を上げることもなく「放っておきなさい」と言う。
「最初は驚きましたが、その内プライドに押し負けて勝手に帰りますよ」
「し、しかし、これで三日連続ですよ?」
話くらいは聞いてあげてもいいのではないだろうか。副総統領がそう言うも――。
「副総統領、あなたはわかっていますか? あの王は無法地帯のことを水に流せと言っているようなものですよ?」
「そ、そうですが……」
「今、異形生命体の被害のことで手いっぱいなのです。これからそれに関する議会もあります。会談をしに来るならば、こちらのスケジュールに合わせて来て欲しいものですよ」
そろそろ時間だとでも言うように、総統領は腰を上げる。彼は副総統領に車の手配をするようにと促した。
タルスマン条約を結んだのに。勝手にあやしい研究施設の一帯を戦争に負けた我が国に押しつけて。こちらの農作物に関する被害は多大な物なのに対して、謝礼の一言もない。賠償金すらもない。森厳の川沿いには黄の民国の食料問題を左右する田畑が広がっているのに。それを口にした国民に奇病が広まったのに。
エブラハムが頭を下げに来たときから国民からの膨大な問い合わせの電話やメールは国会に届いた。それのほとんどが無法地帯の件。それも問題ではあるが、今はこうして出現してきている謎のバケモノの対処に追われているのである。
総統領は手配された黒塗りの車に乗り込み、国統領居を後にする。門前で跪いていたエブラハムを無視して。
議会所へと着くや否や、報道陣に囲まれた。彼らの質問のほとんどがエブラハムのことについて。その質問には一切答えずして、中へと入っていく。
議会が始まってもそうだった。他の議員たちに質問攻めに合う。本題なんてそっちのけ。時間が相当かかってしまいそうである。
「総統領、あなたには人道というものは存在しないのですか?」
あまつさえ、対立する野党の議員にそう言われた。
「失礼ですが、人道的に考えるならば、我が国の安全を鑑みるべきではありませんか? 現状、黄の民国だけで異形生命体に関する被害は計り知れないのですよ? そちらを優先するべきですよ」
総統領は一人のことよりも国民を選ぶと言う。
「だとするならば、青の王国と手を組んで謎のバケモノに対抗すればよろしい話なのでは? あちらもそうなんでしょう?」
「国民は納得しないと思いますよ。そのバケモノの発端はなんですか? 青の王国がこちらへと勝手に押しつけた無法地帯が原因じゃないんですか?」
「今はそんな怨恨よりも、協力するべきだと思うんですがね。青の国王もそのためにこちらに来ているかと思われるんですが」
そう言う野党の議員がこの議会所へと連れてきたのはエブラハムだった。なぜにここに来ているのかと総統領は驚きを隠せなかった。
「なぜにあなたが……?」
「彼らに連れてきてもらったのです」
彼らとは野党の議員らか。しかし、ここは神聖な国会議論をする場所。よその国の者が勝手に入ってきて、議論を投じるなんて以ての外。絶対に無法地帯を許さんとする国民からはデモが起きるだろう。問い合わせが殺到するだろう。国内が収集がつかない状況に陥るだろう。
「お言葉ですが、エブラハム国王。我々は自国を優先して議論をしております。青の王国に関する議題なんて……」
「いいえ、私がこちらへと足を運ばせて頂いたのは一国のためだけではありません」
ならば両国安全協定でも提案しに来たのか、と怪訝そうにエブラハムを見る。
「それに私は黄の民国及び、青の王国の安全協定を結びに来たわけでもありません」
「……それならば、何しに来られたんですか?」
「黒の共和国と赤の共和国の首相らとはこれを結びました」
そう言ってエブラハムが議論台に提出した物は一枚の書類だった。そこに記述されていたのは――。
『戦友軍結成』
「本日の貴国の議会の討論は異形生命体の被害についてでしょう?」
差し出された文書を見た。
<戦友軍結成>
これは異形生命体を操るとするコインスト、もしくはオリジン計画を企てた者たちや加担している者たちの討伐を目的としたものである。彼らは非常に残虐極まりない世界破壊者であり、世界中の人々を恐怖に貶めているのである。それを阻止するために戦友軍を設立する。
戦友軍は、討伐はもちろんのこと、国際間で国民の安全を図ったり、食料物資等の援助を行ったりすることも必要不可欠である。
すべてではないが、総統領は一通り目を通すとエブラハムを再度見た。
「我々、黄の民国がこの戦友軍とやらに加担しろと仰るのですか?」
「これは一国、一国が相手をするには厳しいでしょう。その彼らの考えを阻止するためには国交の間を結び、世界が一つにならねばどうすることもできないでしょう」
エブラハムはそう言うと、その場で跪き、再び頭を下げた。国統領居の門前と何も変わらない同じ格好で。
「無法地帯の件でおこがましいかと思われます。ですが、まずは我らが戦友軍と手を取ってこの世界を、すばらしき世界をどうかお助け願えないでしょうか」
「…………」
議会所にいる誰もが自分を見ている。野党の議員も副総統領も報道陣もみんなが――。
「……エブラハム国王、その戦友軍とやらは青と赤と黒――後は私たち黄だけでしょうか?」
「いえ、すべての国です。今頃、黒の共和国も白の公国にこれを……」
総統領に副総統領は耳打ちをした。現在、異形生命体のことの次に青の王国と黒の共和国の両国トップの土下座がニュースになっている、と。
世界があのバケモノどもに脅かされているのは知っているし、それをなんとかしようとする気持ちはわかる。だが、あれほどまで他国援助に関して無関心に近い赤の共和国までもを戦友軍に加入させるとは。エブラハムたちには何を言って、どう自分たちの思いを伝えたのだろうか。
素直に気になった総統領は「なんですか?」と訊ねた。
「戦を好まない赤の共和国をそこまで懐柔させるほどのあなたの心とは」
「助けられなかった友のためでもあります」
「友ですか?」
「はい。その友をもう一度救いとうございます。どうか、非力な私たちにお力をお貸し願いますでしょうか」
エブラハムはそう願いを乞うと、顔を上げた。その目に宿る闘志が総統領の心の火を焚きつけ始める。一見私欲的な理由にも思えるその発言はただの私念には見えなかった。キラリと光る彼の襟に装着された金色の記章。槍と剣、銃の三つを重ね掲げられた魂の思いはこちらの方に伝わってきたのであった。
友に助けられ、失い、帰りを待つ。
今度はこちらの番だ。助けられなかった友をもう一度救いたい。助けてあげたい。友のためにも、世界のためにも。今こそ立ち上がって欲しいのだ。誰かのために戦うのであれば、それは手を差し伸べたいのだから。
「総統領。我々、友を信じることができなかった腑がない青の子孫の切実なる願いを聞き入れていただけないでしょうか」
◆
同時刻、イダンもエブラハムと同じようにして白の公国の王城の門前で頭を下げていた。もちろん、公国の王は話を聞き入れようとはしなかった。
理由は当然数百年前に亡んだ黒の王国のクーデタの件である。王一族は故郷を追われ、国の半分もある雪山のある土地でさえも捨て、現在では五か国の中で一番領土が小さいのである。
一年前の共同侵攻戦で長年の雪辱を果たしはしたものの、亡ぼすことはできなかった。他の三ヵ国が国としての存続を認めたのである。許しがたい話だ。
門前で頭を下げても何の意味もなし。誰かに話しかけるどころか、それが当たり前の景色のように見られていた。唯一違うと思っているのはこの状況を珍しがっている報道陣や国民くらいか。
【戦友軍という物を結成したい。我が初代国王の思いを受け継いでいるためにも】
【どうか、あの子を……子どもたちを助けて欲しいんだ】
四十三代目青の国王と初代国王の願いだ。あの戴冠式と結婚式をめちゃくちゃにして我が国の未来を救ってくれた。彼らのおかげで今の黒の共和国が存在している。それだからこそ、彼らの思いに応えたかった。二人の心の奥底に宿る何かに魅かれた。故にイダンはこの場にいるのである。それがいつまでも無視されようと、公国の王がこちらに見向くまで。
戦友軍を組むまでは。
「首相、頭を上げてください。もう一週間近くも……」
見かねた門兵が彼に声をかけてきた。それでもイダンは公国の王が話を聞くまでは意思を変える気はないのである。
「いえ、私は白の王に話があるのです。どうしても話しておかなくてはならない話が――」
困惑する門兵。そんな彼の下に一人の兵士がやって来て、耳打ちをした。
「え?」
「いや、痺れを切らしたらしい」
その兵士はそう言うと、イダンに「こちらへ」と城の中へと案内する。ようやく白の王が彼と対話することを許したらしい。
兵士に案内された場所は応接室。そこで不機嫌そうな白の王がいた。
「どうぞ、おかけになられてください」
機嫌が悪くとも、口調は丁寧である。イダンはそれにお礼を言うと、指定された場所に座った。早く会談を終わらせたかったのだろう。王は「それで?」とこめかみをなでながら訊いた。
「あんな迷惑極まりないことをされながら、私たちの国に何のご用ですか? 宣戦であるならば、いつでも受け立ちますが?」
「いいえ。そうではありません。私は青の国王であるエブラハム公からの提案議定書を受諸していただくために参りました」
「青の王が?」
イダンより受け渡された議定書、戦友軍結成。軽く目を通すも、あまりいい顔をしないようである。
「どうか、受諾していただけませんか?」
白の王に頭を下げて願いを乞う。しかし、彼はそれを拒否した。
「世界が大変です。みんなで力を出し合って平和を築きましょう。今まで幾度なく故郷を追いやったあなたたちが言うべき言葉ですか?」
「し、しかし――」
「私たちはあなた方黒と手を組むことだけはごめんですよ。黒を亡ぼすために手を組んだ青の方もこんな国の存続を認めるなんてとんでもない」
そのようなことをするくらいならば、自国で多額のお金を費やし、最新兵器を開発して異形生命体と戦うがマシ。白の王は黒の共和国はおろか、青の王国すらも協力する気がないらしい。文書を突き返すようにして「お引き取りください」と一蹴する。
「私は公務で忙しいのですから」
だが、ここで諦めてたまるものか。イダンはもう一度門前でしたようにして跪き、頭を床に叩くようにして下げた。
「お願いですっ!!」
これには白の王も戸惑いは隠せない。なかなかの諦めが悪い人物のようだと怪訝そうにした。
「過激派キイ教徒たちは『世界の果て』を実行しようとしているんですよ!?」
イダンのその言葉に白の王は大きく反応を見せた。今『世界の果て』を実行しようとしていると言ったか? それは偽りないのか?
「何だって?」
「その書紙にはオリジン計画とだけしか記載しておりませんが、彼らの目的の中にはそれを実行するとあります。そうとなれば、世界は危機状況に陥ることでしょう!」
「首相よ、それは真か?」
「本当でございます! 青の王国は一年ほど前から気付かれていたそうですが、自分たちだけではどうしようもない、と。世界各国からの応援もなしにはこの世界は……」
「それ以上のことを言わないでください」
白の王はイダンに顔を上げるように言った。
「最終章の最後の言葉だけは言ってはなりません。まだ間に合うのでしょう?」
「もちろんですとも。後は貴国と黄の民国が我らと共に戦ってくれるのであれば――」
「『世界の果て』の実行ともなれば、手を組まざるを得ません。それに調印を致しましょう」
白の公国は戦友軍への加入を決意した。
◆
病院内にある休憩所にて。ケイはぼんやりと空を眺めていた。色々とことが決まっていく。これまで切羽詰まっていたが、ようやく僅かながらものんびりとした一時を過ごせていた。そうしていながらも一番に思うことはキリとアイリの二人。
不意に脳裏にミスミから見せてもらったカムラ教典の文章を思い出した。
『人の想いの裏返しはゼロであり、何もかもなくなってしまう。だが、すべてを捨てたときのその想いは何らかの形でよみがえるだろう』
それとあの二人が何かしらに引っかかるのだ。
「…………」
だからこそ、あの文章の意味を知らなければならない。解読しなければならない。非常に重要なことなのかもしれないと思うからだ。
◆
トレーニングルームにて、キリは体慣らしのため模造剣で調整をしていた。現在この部屋には一人でいる。マックスはラトウィッジのところで作戦の準備。ハイチはアイリやエドワードと共に軍基地の方に行っていた。
自分が所有していた過去の歯車は盗られてしまった。
これまで以上に厄介なマッドがいると言う。それならば、もっと鍛錬して取り返さなければならない。アイリの願いである世界改変者を倒さなければならない。
強くならなくては――。
それでの素振りをしていると、入り口で誰かの気配がした。そちらの方を見ると、ヴィンが壁に寄りかかって茫然と見ていたのである。
「ヴィ――ザイツ……」
「……よくも、まあ。きみは身勝手な人だよね」
記憶改変のことだろうか。それに関しては否定なんてできやしない。キリは黙ってヴィンの方を見ていた。
「人の記憶を勝手に弄ったりして、挙句の果てに自分の記憶すらも棄ててしまうなんてさ。悲劇のヒーロー気取りでもやりたかった?」
「……どうだろう? 俺は所詮、ヒーローも役者すらもなれない臆病者だから」
それでもその事実は受け入れるつもりだ、とキリは断言した。
「よくよくみんなに訊けば、フォスレターなんてザイツと同じく記憶を取り戻すことに反対をしていたみたいだし。すごくみんなに迷惑をかけてしまったよ」
「今更嘆いても死人は帰ってこないけどね」
「だとしても、臆病者は嘆くさ。それで残るのは後悔だけなんだから」
その場に沈黙が流れた。キリはヴィンをどう扱っていいのかわからず、視線を泳がせていたが「なあ」と改めて彼の方を見た。
「学校のとき、いつから俺が『罪人の子』だってわかった?」
以前の改変されたふり。紅武闘勲章の授与式の後、自分を殺そうとしていた。今になって思い出せば、あれは過去の歯車を持っていたから殺そうとしただけではないはず。他にも理由はあるだろう。
その設問にヴィンは「二回生のときと建国式典で皇妃が殺された後」と答えた。
「ケイがきみの情報を知りたがっていた。だから、私は学校の管理システムに入ってプロフィールを見たんだ。そしたら、名前も顔も知らないのに同じ村出身だからおかしいって思ってね。何度か調べていく内に辿り着いたのさ」
「あのとき、俺にナイフ向けていたよな? 人に戻すじゃなくて、ただ単に『罪人の子』として殺す気だった?」
「……まあね。村の方に行って、調べていたときに村長が殺してこいと言っていたから」
「そっか」
やはり、鬼哭の村の村長は自分を殺したがっていたのか。どうなろうと、是が非でも。自分の存在を消すために。なくすために。
ヴィンは壁に寄りかかるのを止めて、中へと入ってきた。そして、キリより少し離れたところで立ち止まる。
「私はきみが犯した村での出来事は許されない行為だと思う。けれども、もしも、あの山に『また私が来ていた』ならば、どうなっていたんだろうか」
【またあそびにくるよ】
【おれたちともだちだから】
あの後、立ち入ってはいけなかったはずの慟哭山に入ったことが村長にバレてとても怒られた。自身の母親や祖母は地面に頭を擦る勢いで土下座をしていた。一緒に入って名を忘れてしまった友達は数日後に村から出ていってしまっていた。別れも告げずに。ひどい罰を受けた。村長の物置小屋で二日間も反省と称した監禁。
それのせいで二度と行くものかと思った。『罪人の子』のせいでこんな目に合ってしまった。なんで安易に友達になろうとしていたんだと憤りがあった。
だが、もしも、もしもだ。慟哭山に入ったことが村長たち大人にバレずして、『罪人の子』のもとに再び遊びに行っていたならば、どうなっていたのだろうか。彼は自分たちを歓迎してくれていただろうか。
「きっと、憎しみなんて持たずに笑い合っていただろうか? 事情も知って、こっそりとお菓子とか持ち込んで楽しく過ごせていただろうか?」
「…………」
「あの日、きみは私たちに待っているからと、別れを告げた。私たちのことをずっと待っていたの?」
「それは――」
キリは首を横に振った。あの直後は殴り、蹴られた。泣いても許されなかった。誰も慰めの一言すらなかった。それだからこそ、何も言えない。答えることができないが、一つだけ別の意味で答えられることならばある。それは――。
「でも、ザイツが来ていたならば、俺は何も知らず一生あの小屋で過ごしていただろう。何も抵抗なんてできず、いつかは村長たちに殺されていたさ」
「え……」
予想外の答えなのか、ヴィンは悲しそうな顔を見せた。心内まではわからないが、そのような表情をしてくれただけでも素直に嬉しいとは思う。
「こうして、オリジン計画の阻止する機関に入れてもらえなかったし、アイリと再会することすらも……学徒隊に入隊することもなかったはずだ」
だから、とキリは言葉を続けた。
「昔、アイリに会ったんだ。そこで一緒にいるって約束をして……きっと、その約束を守りたかったから、死にたくないと思ってあの小屋から逃げたんだと思う」
「……そうか」
「多分、ザイツは覚えていないんだろうけれども。労働者の町での食料雑貨店……。あそこで何度も見掛けたよ。それで、本当は声をかけたかったけど、怖くてできなかった。自分の正体がバレて、殺されるんじゃないかって思ったから」
「それは気付かなかったよ」
「うん。お前のおばさんとお姉さんの仲睦ましさに憧れたよ。正直言って、『母さん』と……あんな風にしてくだらないおしゃべりをしたかった。本当は友達が欲しかった」
話を聞いていて、ヴィンは「そうかい」と少し照れくさそうにする。
「もしかして、会話とかも聞いてた?」
「うん。お姉さんに落とし穴、掘っただろ? しかも毎日と言っていいほど」
「まあね」
「あの俺がいた山の入り口付近にも掘っただろ? 小さい頃」
キリは以前に落ちたことがあると語った。それに対してヴィンは「知っているのかい?」と苦笑いをする。
「確かに、チビのときは村中にひたすら落とし穴掘りまくったけど。まさかのきみもハマったのかい?」
「ハマったさ。割と底が深いから出るに出れなくて、あの人……メアリーの関係の人? 多分王様の側近の人だと思う。その人に助けてもらったんだぞ」
「入り口、入り口……ああ、もう一人の子を落とそうとしたけど、途中で引き返したからハメられなかったんだった」
自然と笑みがこぼれたヴィンにつられてキリも笑う。周りの雰囲気が穏やかになっているのがわかった。その空気の余韻に浸っていると、突然彼に写真を撮られる。
「へ?」
「改変時に存在していたキリの写真、全部捨てちゃったから一枚くらいはいいよね」
「……全く、ヴィンは突然だなぁ」
また笑う二人。そんな最中に――。
「青春だねぇ」
白衣のポケットに手を入れたアイリがやって来た。用事は済ませたらしい。そんな彼女の姿にヴィンは許可を取ることもなく撮影をする。唐突なカメラのフラッシュは嫌いなのか、アイリはしかめっ面を見せた。
「止めてよ」
「いや、ハルマチさんの白衣姿とか面白いから」
面白いとはなんだ、とアイリは口を尖らせた。別に面白いものでも笑い物でもないのに。しかし、流石はヴィンと言うべきか。とんでもないことを口走った。
「あとは、週刊情報誌を出版している会社とか新聞社にネタを送るだけだね」
「ちょっ、待ってよ。なんでそれらが出てくるの」
「えぇ、ハルマチさん実質無免許でしょ? それなのに普通に手術室やカウンターとかにもいたんでしょ? これはスキャンダル!」
「いや、そこは黙っていてよ!? って、あたしは対策本部関連の仕事しかしていないしっ!」
ここで面倒事をされたならば、敵わないとしてカメラを撮り上げようとするも、奪うことすら敵わず。体力が落ちたのか、すべてかわされていた。
「もぉ! キリもボケッとしてないで奪うの手伝ってよ!」
アイリにそう言われ、茫然としていたキリはカメラを取ろうとするが――彼女とぶつかってしまい、上に乗りかかる形で床に転がり込んだ。
「いったぁ」
「ご、ごめん」
急いで起き上がろうとするキリの視界に入り込むフラッシュ。ヴィンがその状況を面白がって撮影していた。
端から見れば、「きゃー」とでも言うような感じ。もし、この場にハイチがいたならば――。
「お前らって、人前でもイチャつけるんだな」
トレーニングでもしに来たのか、本当にハイチと鉢合わせ。とても気まずい空気が流れる。
「は、ハイチさん!? 違うんですって! そんなんじゃありません!」
「そんなんじゃないなら、普通床に女子を押し倒すか?」
「偶然です! ていうか、元はと言えば、ヴィンが悪いんですから!」
「はぁ、偶然を装っての……か。流石モテる男は違うねぇ」
心なしか、ハイチは怒っているようにも見える。どうしようか、この状況を。ひとまずキリはアイリを起こして必死に彼に弁明を図ることに。
「ヴィンがすべての元凶です! こいつが都合悪いところばかりを撮っているから」
「ははっ、ただ人の写真を撮っていただけなのに、あんな感じにはならないだろう?」
「きみが逃げるからじゃん」
「あぁ、もういいよ。お前らの痴話なんざ」
聞く耳を持たず、というところか。ハイチは面倒そうにする。
「『明日』は明日でやることがあるんだし」
明日――ハイチのその発言に三人は緊張感あふれる表情を見せた。そんな彼ら、特にアイリに対して彼は――。
「なんでハルマチまでそんな顔しているんだよ」
素直にそれが不思議であると思っているようだった。
「いやぁ、なんでか緊張しちゃって……」
「元はと言えばお前のことなのにか」
そう言うハイチにキリはそう言えばと思い出す。今ならば、訊いてもいいんじゃないのか、と。
じっとこちらを見つめるキリに気付いたアイリは「どうしたの?」と何かを見透かしたように微笑んできた。その優しそうな表情に顔を赤くする。
「い、いや、多分俺から訊かなきゃならないだろうなって思って」
「いいよ」
なんとなく言いたいことを察知しているようである。思いきって、キリはアイリに最初から――出会ったときからずっと訊きたかった質問をした。
「アイリって……何者なんだ?」
入れてもらった脳情報記憶装置にはアイリはディース――『アイリ・ハルマチ』という存在を奪い取った名なしとしか知らないのだ。いや、それ以外誰も知らないと思う。
教えてもらえるか不安に思っていると――。
「『しにん』」
アイリは口を開く。
「あたしが前に『しにん』だって言ったこと、覚えてる?」
「うん。まさか、そのまんまの意味か?」
「いいや。あたしは『キイ神』でも『カムラ悪神』でもない『神』より作られた存在しない死人、『名なし』だよ」
誰もが口を噤んで聞くその真実。キイ神でもカムラ悪神でもない『神』? それは一体――?
「言っておくが、こいつの言う『神』とやらはこの世に存在しない、この世界を創ったやつの総称だからな」
「うーん、いまいち話が読めないけれども。この世界に存在する宗教や神話などの神様ではないってことかな?」
ヴィンがそう言うと、アイリとハイチは頷いた。なるほど、彼のおかげでわかりやすくなった。
「ってことは、アイリはこの世界の住人じゃないってこと?」
「いや、そこは一緒。この世界で名なしというのは作られた。ただ、世界改変者を倒すためだけに。故に存在なんてない。だから、存在というものを得るにはこの世界に生きる者から奪わざるを得なかった」
その『神』の命に従い、肉体のみがこの世に生まれ落ちた。動く屍、異形生命体と似たような存在である、とアイリは言う。すなわち、ただの空っぽの『器』状態。何者でもないから。それは世界改変者も同様である、と。キリとヴィン、ハイチは黙って話を聞く。
「これも覚えているかな? 当てたら豪華賞品あげるって言っていた本のこと。あれがこの世界を創り上げた『神』の創製日記、『神様の日記』。その名の通り、この世界を創っていく上での状況をメモしたり、ルールを作ったりしていたんだけれども……それを世界改変者が色々といたずらしちゃってねぇ」
それにはハイチが大きくため息をつきながら「冗談じゃなかったぞ」と言う。
「やつのせいで囮役番人の俺はとばっちりだもんよ」
「そ、あいつにやられたときにあたしの記憶も少しばかり弄っていたみたいから。先輩、これまでの所業を許してください」
ちょっぴり舌を出して、すべてを誤魔化そうとするアイリ。その言い草腹立つな、とこめかみに青筋を立てていたが、あまり話を脱線するべきではないと大人になろうとする。
「それで、俺も今思い出したんだが、結局『豪華賞品』ってなんだったんだ? まさかとは思いたいけどなぁ……」
それはキリも気になるところ。すっかり忘れていたことだった。
「あぁ、それはこれ。先輩は覚えていますよねぇ?」
なんて言うアイリが取り出した物は銀色に輝く千切れた鎖。それを見て、キリとヴィンは首を傾げるが、ハイチだけは苦笑いをしていた。
「やっぱり。お前、これが豪華賞品って……」
今でも覚えている首に来る電撃。その本のことを知っているならば、当然アイリの目の前から逃げたくもなる。だからこそ、逃がさないためにもその鎖を使って逃がさないようにしていたということである。
「デベッガにも着ける気だったのかよ」
「いやいや、本気で着ける気があったのは先輩だけです。キリはそのついでかな」
「うーん、話の内容がよくわからないけれども、アイリって俺をよく巻き込みたがるよな」
「何を今更」
反省の色は見られない。もちろん、これは想定内だ。だが、まだ想定外な話がある。気になることはまだまだある。
「その世界改変者はさ、何がしたかったんだ? 神様がアイリにそう命令をさせるくらい悪いことをしたんだろ? 最初からしなければよかったのに」
「あいつの目的はあたしでもよくわかんない。でも、これだけは言える。『神』が作ったこの世界の本来の事実を『書き変え』したのは間違いなく世界改変者だってこと」
そのようなことを言われると、今生きているこの世界が偽りで不安に思ってしまう。しかし、アイリはまだこれだけではないと言いきった。
「世界改変者は『神様の日記』を改悪してしまったせいで『キイ教』に『未来のコンパス』と『過去の歯車』を創ってしまったってこと。そして、オリジン計画をずっと昔から企てていたこと。そこから推測されるのはこの世界を我が物にすることしか考えられない」
「それじゃあ、隠れカムラ教のもう一つの方はどうなる? キリが所有している、ハルマチさんが持っている物は……」
「元々、この世にキイ教やらカムラ教なんて存在しないんだけれどもね」
その発言にキリとヴィンは驚いた。そんな彼らを構わずしてアイリは話を続ける。
「キイ教は世界改変者が創り上げた。もちろん、それはこの世の人たちを自分の考えに賛同させるため。決して『神』なんてこの世界には存在しない」
「で、でも――」
「……よく言うだろ。神は人を作った、人は神を作ったって。それと同じだよ。ハルマチの言う『神』はこの世界を作った。そう、作っただけ。あとは、世界改変者が色々と弄っているんだろうよ」
ハイチが言葉に補足を入れる。それにアイリは頷いた。
「結局、神様を見たって言うのも、あれは思い込んでいるだけじゃないかな? 要は自己暗示?」
自己暗示と聞いて、ヴィンは同時侵攻防衛戦において、誰昔山道でヤナが言っていたことを思い出した。
【誰かが幻を見たとか未確認生物を見たって言う不思議な体験をした人いるじゃない? ボク的にあれのほとんどは思い込み、刷り込み、自己暗示だって思うんだよねぇ?】
【本当にそういう体験をした人から話を聞いたりしている内に、その体験の条件下が揃った際に恐怖心が出てくるから】
「だとしても、未来のコンパスとかはどう説明するの? あんな物自己暗示とかで解決できるレベルじゃないと思うけど。キイ教は世界改変者が創ったんだろ? ハルマチさんが持っているのは?」
「あれらは『神』があいつに対抗するために、創ってあたしに『契約』させた物。つまりあたしはそれらの所有者ではなく、『契約者』。『契約』期間はやつを倒すまで。それまでは肉体が滅んでもすぐに舞い戻ってくる。所有権ある場合はキリみたいな扱いはできないけれども、あいつを倒すためにはあの過去の歯車を使わないと倒せないのは確か」
アイリはキリの方を見る。
「そして、これは憶測に過ぎないけれども、過去の歯車の所有者であるキリが記憶を失くしたせいで、契約をしていたあたしにも影響が及んでしまったこと。でも、それが逆に『好都合』だった」
「ハルマチさんが他に欠落していた記憶が戻ったから?」
「そう。何度も世界改変者に殺されては生き返っていて、どこかで都合の悪い記憶を隠していたんだと思う。元より、あの二つは互いに干渉し合えないからどちらの未来すらも視ることができない。もちろん、所有権を持った人の未来さえもほとんど」
よくそこら辺の事情は詳しくないんだけれども、とどこか悔しそうな表情を見せていた。
「……待って、ハルマチさんが契約しているならば、あいつは? あいつも契約をするの? それとも所有権を得るの?」
「得るんじゃないかなぁ? いや、どちらでもないのかなぁ? あれらを『作り出した』のは世界改変者だから。あたしも『神』から詳しいことを聞いていないんだよねぇ」
「単純に世界改変者を倒せって?」
「えっとねぇ、そう。それと、あいつを倒したら本当の『死』が訪れるってこと。多分、肉体も心もあたしという名なしのすべてはこの世界から姿を消す」
「じゃあそれらをずっと? その『神』はアイリに手助けとかは?」
キリの質問にハイチが口を開いた。
「いいや。あの『神』は手出しせずにそれを傍観しているだけらしい。だよな?」
幾分か事情を知っているのか、ハイチはアイリを見て確認を取る。それに彼女は頷いた。
「それはどういう意味でしょうか?」
「そのまんまの意味だ。すべてハルマチ任せ。世界の成りゆき任せ。使命を任せられたときからずっとな」
「……使命って。アイリ、どれくらい前からだよ」
「この世界が世界改変者に改変されたときからだから、どれだけ昔なんだろうねぇ。何千……何万年も前だったと思うけど」
その言葉にキリは絶句した。気が遠くなるような昔から、ずっと『世界改変者を倒すこと』を義務付けられていたのか。
「でも、またチャンスは巡って来たんだ」
不憫そうに思っているキリとは逆に、アイリは確信を得たかのようにして不敵に笑みを浮かべていた。
「これまでの記憶も元に戻った。みんなもあたしの味方として動いてくれる。絶対に倒さなくちゃ!」
そうしないと、世界はどうなるのかわからない。それこそ、オリジン計画のようにして『世界の果て』というこの世を終わらせようとしているのかもしれないのだ。
そう、世界改変者はオリジン計画を企てているコインストの人物であるのだ。などと考えると、ヴィンはある一つの結論に辿り着く。
【人が神に勝てるか】
奪還作戦のときに現れた笑顔仮面の男。未来のコンパスを奪ったやつ――。
「…………」
段々と顔色を悪そうにするヴィンに気付いてかハイチが「どうしたか」と言ってくる。
「何か知っていそうな顔をしているようだが?」
「世界改変者の素顔って見たこと、あります?」
ぼやけ視界で見たあの素顔。見えない何か。アイリが、ハイチが世界改変者に関わりがあるならば、素顔は知っているかもしれない。
ヴィンがそう訊ねるも、二人は首を横に振った。知らないらしい。
「いつもあたしが先に殺されてばっかりだったから。途中から殺してもなかなか終わらないから、なんでだろうと思ったら番人がね」
「だな。そう言うザイツは見たのか? つーか、世界改変者を見たのか?」
どこかたどたどしいヴィンにそう問い質す。どこからどう聞いても、それらしき人物の顔を見たとでも言うべきか。
「見たっていうか、眼鏡が外れてよく見えやしなかったんですが……」
「それでも教えて」
「……顔全体が真っ黒で、目とか口とか何も見えなかった。そいつは気味が悪いほどの笑顔の仮面を被った男だった。その人、私が持っていた未来のコンパスを奪っていったから……」
未来のコンパスを創り出した世界改変者。もしも、ヴィンがそれの所有権を持っていたとするならば、あのときの対峙は結末はどうなっていたのだろうか。アイリと同じような契約権を持ち合わせていたら? キリの所有権の有無の決定権は本人かアイリ。本人が所有する意思がなければ、権利は得ることができない。
おそらくではあるが、キイ教の物の未来のコンパスや過去の歯車の所有権を持ったとしても奪取されていた可能性があること。
過去の歯車の所有放棄は痛みの苦しみ、未来のコンパスの所有放棄は死。下手すれば、キャリーが所有権を放棄したのも――。
笑顔の仮面、その言葉だけでヴィンは戦慄を覚えた。あの男こそが世界改変者であり、キャリーを殺したかもしれない犯人。
ヴィンの説明にキリとアイリは納得をした。
【私はオリジン計画の第一人者ですよ?】
【あなたは何千何万――何億とも苦労することはなかったでしょうに】
本来の世界を改変してしまった人物。オリジン計画。なぜに世界の果てを実行しようとしてする気なのか。彼は何者なのか。知れば知るほどわからない男。素性も名前すらも。
「アイリ……」
キリが不安げにアイリを見る。だが、彼女は「うん」と頷いた。
「ザイツ君の言っていたやつが世界改変者で間違いないと思う」
そう言うと、キリに視線を向けた。
この世界を守るためにも――アイリの積年の思いの願いを叶えるためにもキリが世界改変者を倒さなければならない。そのためには奪われてしまった過去の歯車を取り戻さなければならないだろう。奪った者はマッド。これが最終決着となるはず。
「キリ、最初あたしはきみの闇深さとその執念が所有者として相応しいと思っていた。もちろん、今もだって相応しいと思ってる」
「えっ……?」
「五億九千八十九回目にして、キリはあたしの運命を変えてくれたんだから」
だから、キリが世界改変者を倒してくれることを期待しているのだ。
そう、運命を変えることができるような者こそが、世界改変者を倒すことができるとアイリは確信していた。その彼女の思いとは裏腹にキリは小さく頷くしかできなかった。
◆
無機質感漂う某所。この場に漂うにおいもまた無機質である。その場所には一人の中年男性――エイキムが何かを見上げていた。天井、壁、床に金属の管で中央にある巨大な球体につながっている。それには『未来のコンパス』と『過去の歯車』が埋め込まれており、球体につながっているようにも見えた。
「…………」
「何か不備なことでもありますか?」
エイキムのもとへとやって来たのは笑顔の仮面をした男――世界改変者。彼のその問いかけに首を横に振った。
「まあ、強いて言うならば、起動に時間がかかることかな」
「こればかりはですね。それだけ、世界は膨大なんです」
「そうかい。狂人の心情を突っ込んでも時間がかかるのか」
エイキムが巨大な球体を軽く突く。爪に金属の音が響いた。
「仕方ありませんよ。しかし、これぞ運命と言うべきですか。都合のいい狂人がこの時代にいてよかったと思っていますよ」
世界改変者はエイキムを見た。
「『断ち切る』ということに執着した彼と、『受け入れる』ということに執着したあなたがいて……」
「そうかい? ところで『ちーくん』はどこに?」
「『ちーくん』は今、世界を見る目でお食事中ですよ」
おそらくは山の動物たちを捕まえて血肉を啜っていることではないだろうかと平然たる表情で言い切る世界改変者にエイキム自身も「そう」と淡々とする。
「彼らしいね」
「そういう風にさらっと受け入れるあなたもあなたらしいですよ」
「僕はキイ様に『天命』を受けているからね。それらをただ、実行しているだけ」
【あなたは『世界の果て』を実行するべきです。それこそがあなたに与えられた命です】
【今すぐに『キイ教』に改宗なさい】
二十年も前に聞いたお告げ。一度聞いただけでは元々無宗教者であった自分は空耳で終わっていただろう。だが、何度も耳に、頭に入っていく内に『世界の果て』とやらが気になって仕方なかった。それだから、何のことなのか調べた。それが『キイ教の教え』だったのだ。
『世界の果て』とは――この世の終わりを意味する。すべてを終わらせろ、と天から声が降り注いできた。キイ神が言ってきた。だからこそ、実行するべきだと考えた。別に世界が終わってもよかった。自分がその実行者として名を刻めるならば。すべてを捨ててでもよかった。神様が己を選んでくれたのだから。
そう――。
「僕はキイ神に選ばれし者だ」
などと呟くエイキムをよそに、世界改変者はさして興味がないとでも言うようにしてその場を立ち去って行ってしまった。
本当にどうでもよかったから。
この巨大な球体の装置が――『舞台装置』が動いてくれたならば、どうでもいい。起動できたならば、一からこの世界を創り直せるから。それはもう傍観してくる『神』もいないし、名なしすらも存在できない――己に都合のいい世界が仕上がるのだから。
ずっと待ち侘びていたこの時代。多くの発明者や技術者たちの腕を買ってきた。そう、便利過ぎるこの世の中があってこそ、それは作れるし、存在もできるのだ。
「おやおや、『ちーくん』はお食事が終わりましたか」
前方より口元に血を付着させた『ちーくん』がやって来た。彼は世界改変者の言葉に無視してその場を立ち去る。どうも相手に対しての関心など持ち合わせていない様子。だが、それもまた世界改変者にとって関係のない話なのだから。
どこからともなく、剣身と柄が真っ黒の剣を取り出した。これもまた、この時代があるからこそ存在できる武器である。
「……長かったですねぇ」
これまでにおいて、名なし以外の誰かを直接殺すことができなかった。そう、あのとき未来のコンパスを返してもらったときでさえ、眼鏡の彼は所有権を得ていなかったから。だが、これさえあれば――。
「ようやく、『彼』を手に入れることができますね」
オリジン計画は番人と狂人だけでは成り立たない。『彼』さえいなければ、理想郷は見ることができない。
世界改変者はその剣身を眺めていた。
◆
晴天のある日、青の王国の王都にある王城門前広場には大勢の国民はおろか、他国民の者たちもいた。広場を囲う塀の上には軍服を着た者たちが。
だが、この軍服を着た者たち――青の王国の者ではあるが、その服装が通常の物とは違っていた。普段であるならば青色の服であるが、今日に限って濃い青色の物を着用していたのだ。これまでに見ない物と言っても過言ではない。なぜならば、この服はオリジン計画阻止のために誂えた新しい軍服なのだから。普段の青色の生地に絶対に千切れないロープ君の繊維を織り込んでいるのだ。それはすなわち、いつでも異形生命体と対峙してもおかしくないこと。覚悟があって着ていることにもなる。
広場にはざわつきなどない。しんと静まり返る中、何かが始まるまで誰もが待ち続けていた。
これは全世界で中継放送されており、青の王国に来られない者たちでも状況を把握することができていた。
ウノや老人、アレンとエマ、シデラ、パウラ、マトヴェイを始めとする古跡の村の人々、黒の共和国にあるキイ教の礼拝堂の管理人、動物園の園長、ミスミたち弥終集落の人々、様々な国の中の町の人たち――世界中の人々がテレビにくぎ付けだ。
時計の針が動いて鐘が鳴ると、王城の謁見の間のバルコニーから五人の男性が現れた。彼らは全員自国の軍服を着用している。彼らはエブラハム、イダン、赤の共和国の首相、黄の民国の総統領、白の公国の王である。
それに合わせるかのようにして、城塀にいた軍人たちが青、黒、赤、黄、白の五ヵ国の国旗を掲げた。風になびく旗に広場にいた者たちは興奮するかのようにして歓声を上げる。
広場から聞こえる声に耳を立てながら、バルコニーで顔を見せるエブラハムは腰に提げていた軍刀を抜き取った。それにつられるようにして他の四人――四ヵ国のトップに君臨する首脳たちが同じくして剣――軍刀を抜き取り上へと掲げる。
その最後にエブラハムが軍刀を合わせた。
「…………」
これらの光景を塀の中から見ていたアイリはライアンたちのことを思い出した。四人で――初代三銃士軍のあの三人と剣を上へと掲げていたから。
【我らは友がために戦う】
結束したあの日のライアンたちを思い出した。独りじゃない。これから戦うのは独りじゃない。誰もが賛同してくれている。
《友を欠くしては世界は成り立たぬ》
エブラハムの声がスピーカー越しに聞こえる。
《彼らがいるからこそ、我らは存在する。豊穣を象徴とせん黄みし魂よ、清く麗しき白き魂よ、情熱の炎のような赤き魂よ、力強さを見せつける黒き魂よ――》
広場を見つめているアイリのもとに誰かが肩を叩いてきた。そこにいたのは自分の好きな人たち。
「アイリ独りじゃない。俺たちがいる」
「ありがとう」
そうだ、自分にはあのときと変わらない心強い仲間がいる。友がいる。彼らは広場の方を見た。
《そして、すべてをつなげんとする青き魂! 友を想うが故の多大なる魂たちよ》
五人は軍刀の音を鳴らす。
《――戦友軍たちよ、いざ誓え。友がために戦い、その想いを守り貫かんことを!!》
五人はそれを下に下ろし、エブラハムだけ演壇の上へと上り、再び軍刀を上に掲げた。更に歓声が大きく上がる。
「我らが友よ、我らと共に立ち上がれっ!! そして、このすばらしき世界に祝福の鐘を!!」
下から聞こえてくる歓声よりも負けないぐらいの大声を、音がうるさい風にも劣らずともエブラハムは張り上げる。その直後にもう一度鐘は鳴った。これぞ、祝福の鐘。それに彼らは願う。
混沌とした世界に平和を。
奇しくもこの戦友軍蹶起集会は青の王国の建国した日と同日であった。
◆
始まりは一人の少年のわがままからだった。そのわがままを女神は己の存在を賭けてまで自身と彼の運命を変えてしまったのである。一人の罪人を追いかけ、密かに胸の内にある理想を掲げてここまでやって来た。
運命は知らずとも未来のコンパスは世界を差し、過去の歯車は動き始めようとする。今ここに最後の運命のピースが埋まったのである。
キリは広場を見ているアイリの方を見た。
『女神』。『罪人の子』の目の前に舞い降りた運命は必然でもなければ、偶然でもない。どっちつかずの存在と自分だけの理想を掲げ、利己主義者の戯言で決まる『世界』がそこにあることを俺は知るのだ。なぜならば、『俺たち』は運命を変えられるほどまでに世界から嫌われているのだから。




