必要
「『戦力外』って、実戦で使い物にならない人だから、そういうあだ名ができたんだっけ?」
白衣のポケットに手を入れて、アイリは全員を見た。彼女が学徒隊に編入する前よりそう呼ばれていたことは知っていた。そして、その名は学徒隊や学校中――一部の軍人にまで知られるほど。
「普通さぁ、使い物にならないくらいでそこまで有名になるわけじゃないと思うけど?」
教えてよ、とケイたちに向かってそう言う。それに彼らは押し黙ったまま何も言わずして顔を見合わせていた。だが、メアリーだけは不安そうにしている。もしかして、彼女だけは知らない?
このことを『今』言うべきなのか。それはラトウィッジたちも同様に思っていることある。
「この中で一番知っていそうなのって、同じ教室だったシルヴェスター君かウィーラーさんだよねぇ?」
「確かにそうだが……」
「ガズ君もなぁんか、仲が悪かったことを隠したがっていたみたいだけどねぇ」
そう言うとアイリはポケットから連絡通信端末機を取り出した。これは以前にヤグラから新しい物をもらったのである。
「いいや、ガズ君が一番何か知っているかもしれないから」
ガズトロキルスに聞こうと電話をかける。彼はワンコールで出てくれた。
「あっ、ガズ君? あのね――」
《ハルマチ! 近くに総長がいるならば代わってくれないかっ!》
唐突にそう言われた。切羽詰まった口調にガズトロキルスの言葉に従わざるを得ない。何があったのだろうか。怪訝ながらもラトウィッジに「お電話です」と言う。
「なんか焦っていましたけど」
アイリに代わってラトウィッジは電話に出た。通話の向こうから何か言っている声が聞こえてはいる。彼はそれに深刻そうな表情で相槌を打っていた。
しばらくそうしていると――。
「わかった。今後については今からきみたちも交えて話をしよう。対話画面モードに切り替えてくれないか」
ラトウィッジは「借りるぞ」と一言断りを入れると、テレビ画面にそれをつないだ。すると、その画面上には古跡の村の民族衣装を身にまとったガズトロキルスとマティルダが映る。
《おっ、映った》
「二人とも監視に行っている割には観光を満喫していないか?」
民族衣装にいい思い出のないケイはそう言うし、ハイチに至っては視線を逸らしていた。
「相手にバレないようにするためだ。仕方あるまい」
《ところで総長。話とは》
そう言えばそうである。ラトウィッジは先ほどこの場にいる者たちで話をすると言っていたのだ。その言葉に頷いた彼は本部の部屋にいる者たちに体を向ける。
「先ほど、オブリクスより報告が上がった。それはマッドが世界を見る目に現れたそうだ」
誰もが緊迫感ある表情を見せる。特にケイとターネラはしかめっ面を見せていた。
「やつは隠れカムラ教徒のいる弥終集落にも現れ、スタンリー家が持っていた過去の歯車を奪った。そこへ世界を見る目の方に現れたとするならば、そこがコインストらのアジトになる」
「じゃあ、あいつらが何かする前に手を打たなければならないってことですか?」
「ああ。ハルマチ、エイケン教官に施術の用意をするように――」
「待ってください!」
メアリーがアイリを行かせまいとして、手を握った。その目は真剣そのものである。それに彼女はたじろぐ。いや、何も困惑しているのは一人だけではなく、ヴィン以外の全員であった。
「……メアリー、わかって? 今のキリには記憶に関する刺激を控えるんじゃないの。もう目を覚ましてあげなきゃならないの」
「違うよ! なんで……なんでアイリはキリ君が好きなのに、彼のことをわかってあげられないの!?」
アイリはその場で硬直した。いつから気付いていたんだろう。
「キリ君は白紙の記憶を恐れているんだよ?」
【あれはダメ、これはダメって言われるしかない、記憶しかない俺は何にすがればいいんだっ!】
キリは常識を持たずして、持っていた当たり前を非常識と言われていた。これから先、元に戻るであろう彼の記憶は自分たちにとっては常識かもしれないが、本人にとっては非常識としか見えないかもしれない。それをキリは恐怖として捉えているのだ。
「キリ君は心が壊れそうなくらい、今を、キリ・デベッガとして演じているんだよ!? 自分が『罪人の子』だって言われなくても嬉しいかもしれないけどさぁ……今まで自分が信じてきた物を否定されたキリ君は何を頼ればいいの!? どう教えてあげたらいいの!?」
「…………」
「ザイツ君の言うことも、アイリの言うことも、ハイネさんの言うこともみんな、わかるよ? 世界が危険だから。キリ君が所有する過去の歯車の力を頼らないといけないとか――」
じわりとメアリーの目からは涙があふれ出てきていた。
「でも、キリ君は世界を守るための一人の人物であっても……その前に私たちの一人の友達なんだよ!?」
「姫様……」
「その友達一人を失うくらいならば、私は一人で戦って死ぬがマシだよ!」
メアリーはしがみついて泣いていた。このまま強引にヴェルディのところには行けない、とアイリは彼女の背中を優しく擦る。
どうしようかと迷っていると――「それならば」そう、ターネラが言ってきた。
「私も反対です。確かに初代国王は私たちに助けを求めていました。友を、カムラを……ハルマチさんを助けて欲しいって……」
声音は震えていた。心なしか膝も震えているよう。
「でも、『友』を助けるならば、まずは手を差し伸べてあげるべきではないでしょうか。強引に記憶を与えるより、どこへ行くべきなのか、その道を教えてあげる……『友達』ってそうであるべきではないでしょうか?」
そう言うターネラに便乗して《俺もだ》とガズトロキルスが発言する。
《あいつは前は喧嘩もしたりしたけど、友達だ。元気なら、それでいいんじゃないか? ザイツもさぁ、同じ村出身ならわかるんじゃないか?》
「俺は記憶を取り戻すことに関しては反対だが、友達云々じゃない。元々存在してはいけないやつだから、存在価値を否定しているだけだ」
その答えにガズトロキルスは苦笑を浮かべた。
《うわっ、お前キッツイこと言うなぁ。キリの存在否定とか》
「事実言って何が悪い? 故郷を失うことの哀しさはどれほどの物か! コインストの連中に奪われたんだぞ!」
その場すべてが一触即発状態でどう収拾するべきかラトウィッジたちが戸惑っていると――。
「あのさぁ」
アイリが言う。
「そんなに友達助けたいってなら早く教えてよ。キリのことを」
この場にいた者全員が注目する。アイリはその視線を受け止めながらも「第一に」とため息をついた。
「キリのことを知るべきなんだよ。上辺だけの友達じゃない、本当の友達であるなら思い出してあげるべきじゃないの? 今のキリだけじゃない。昔のキリも」
「あい、り……?」
「戦力外って呼ばれている所以、シルヴェスター君は絶対知っているでしょ」
初めてケイと会ったとき、彼はキリに「いなくなれ」と言うように脱退させたがっていた。よっぽどのことがない限り、そのようなことを言うはずはないから。何より、ガズトロキルスと会話したときも――あやしかった。この現状を見渡して、アイリはメアリー以外の元三回生は何かを知っていると見込んだ。
「ねぇ、なんでみんなキリのことを邪険にしていたの?」
アイリは再びケイの方を見た。教えてくれるのをずっとその場で待つつもりなのだろう。彼は言うべきか迷ったが、その重たい口をゆっくりと開き始めた。
「……大元は、あいつの自業自得とも言える話だからだ」
「どういう意味?」
急激にその場の空気が悪くなる。そのことについて問い質しても、ケイはメアリーの方を見ては話すことにためらいを見せていた。しかし、それを見逃すほどアイリは甘くない。
「何? メアリーには言えないの?」
「言えない、と言うか……なんと言うか……」
「いい。ケイ君、話して」
じっとメアリーはケイを見据えていた。これに堪忍したのか、彼は諦めたようにして五年ほど前の出来事を話し出した。
「メアリー様はお忘れかもしれませんが、デベッガとは学徒隊の入隊申込時で俺たちと出会っていますよ」
「え?」
いや、そう聞かずとも忘れているだろうとケイは知っていた。あのときのことを覚えていたならば、一緒にいるところを見るはずがないから。むしろ、敬遠するはず。
「ま、待って、キリ君とはアイリと一緒に……」
思い出すは校内のエントランスにあるカフェテリア。アイリと一緒にいたときに初めて顔を合わせたはず。そのときに鬼哭の村で出会ったキリを思い出したのに。
「姫様、誰かの連絡機を拾われませんでしたか?」
「連絡機?」
【届けてくるね】
思い出した。青色の連絡通信端末機。それを拾って誰かに渡した。お礼も何も言わなかった人。特に気にすることないとして、思い出せなかったのか。
「あいつは誰かの厚意を無下にしたりしていたからこそ、疎まれていたんだ」
◇
ようやく軍人育成学校で本格的な訓練ができるぞ、とケイは胸に期待を膨らまかせていた。彼が学徒隊に入る理由は三銃士軍団員としての自覚を保つためであった。何も自分だけではない。マティルダもソフィアもフェリシアもメアリーもみんな一緒だ。唯一、ワイアットだけは年齢が十四に満たしていなかったため、あえなく断念せざるを得なかったのだ。
学徒隊への入隊の申し込みをするためにメアリーたちを連れ添って軍基地へとやって来た。ちらほらと入隊希望者の者たちが見える。彼らも同じ国を守らんとしての同士なのだ。規則にはそうあるから一般入隊者とは対等関係でもある。
だがしかし、メアリーは一国の王女。いくら対等関係であろうが、あまりにも無礼を働かせるならば、黙ってはいられないだろう。
「受付会場はあちらでしょうか?」
フェリシアが辺りを見渡しながらそう言った。
「そのようですね。メアリー様?」
受付場へとマティルダがメアリーに案内をしようとするも、彼女は別方向を向いて何かを心配していた。
「どうかされましたか?」
「う、うん。ワイアット君、すごく行きたそうにしていたから……」
三銃士軍団員の中でまだ学徒隊に入隊できないワイアットのことを心配していた。それにケイたちは苦笑いする。一人だけ行けなくて恨めしそうに見送っていた彼の姿を思い出す。
「そればかりは仕方ないと思いますよ。まだ十三歳ですし」
「ですよ。年齢はどうしようもありませんからね」
「そうだよね」
「それに城の中で訓練するよりも、こちらの方で訓練した方が成長できると国王様やおじさんたちも言っていましたし。俺たちだけで入隊しても何ら問題はありません。あいつも来年は入れるんだから」
あまり深く考えずに受付の方に行こう、とケイは四人にそう促すのだった。
◆
受付会場の方へと赴くと、ちらほらいた学徒隊入隊希望者が一気に増え出した。あまりにも人が多過ぎてマティルダたちとはぐれてしまいそうなほどである。
自分たちがやってくると、メアリーは一斉に注目を浴びる。当然だ。ここにいるのは青の国の国王が一人娘メアリー王女なのだから。彼女は視線が少し恥ずかしいのか、ほんのりと顔を赤らめている。
これも集団生活するにあたってのある種の訓練なのかと思っていると、部屋の隅っこから何かが光った。メアリーに危害が及ぶかと彼女以外の四人が警戒し出した直後、その光の犯人が判明する。
「……お前、ここがどこなのかわかっているのか?」
受付会場の人の整理をしていた男性――腕章には『教官』とあるが、今後の自分たちの恩師に当たる人だろうか。彼は隅っこの方にいた眼鏡をかけて、カメラを手にした少年にそう注意していた。結構怖そうな教官であるのに対して、その少年は動じもしない様子。
「わかっておりますとも! 学徒隊員入隊希望者が最初に来る受付会場であります!」
「ここはカメラ撮影をする場所ではないぞ」
「はっはっはっ、わかっておりませんなぁ。この面白状況をカメラに収めず仕舞いとして、どこに収めろと言うのです?」
「面白状況か? これ。というか、お前本当に入隊希望者か?」
「もちろんですとも。ほら、紹介状だって持ってますよ」
二人のやり取りを見て、カメラの少年とは関わりを持つべきではないとメアリー以外の誰もが思う。しかし、彼女はそうは思わなかったみたいで――。
「面白そうな人だね」
今にも話しかけそうな雰囲気。それはさせるべきではない、とケイたちは止めた。
「だ、ダメですよ!」
「え、なんで?」
「彼みたいな集団行動をまともにできない者と関わりを持つべきではありません! 持てば、そこで命取りになるでしょう!」
目も合わせてはならないとメアリーに促したところで列に並ぼうとすると――。
「姫様たちは別の場所での受付となっておりますので、ご案内致しますよ」
そう別の中年男性が場所を案内してくれるというので、着いていくことに。会場を出て施設内の廊下を歩いていると、一人の赤い髪をした少年が廊下の椅子に座って惣菜物を頬張っていた。そして、その近くの壁には『飲食禁止』とある。当然、通りかかった軍人に「飲食禁止だぞ」と指摘されていた。
「食べるのであれば、下のカフェテリアで食べてくれ」
だが、この赤い髪の少年もカメラの少年同様に怒られても動じなかった。
「いや、お腹空いているんで」
「いや、そうじゃないでしょ。規則は規則だから」
「規則だとしても、人は必ずお腹が空く生き物なんですよ!? それは当たり前なんじゃないですか!」
なんて迫真ある表情で言ってはいるものの、すぐに摘み出されてしまう。赤い髪の少年はそのまま一階の方へと連行されていった。
また、あるところでは上司に怒られているのに、反省の色が全くなしの二人の上級生を見掛けたり、それを遠巻きで見ていた女子学徒隊員が頭を抱えて項垂れていたり――とこれが未来の軍を担う若者なのかと頭を抱えてしまうケイ。
――大丈夫なのか、これは。
思わずため息が出てしまう。そうして廊下を歩いていると、一人の少年と肩がぶつかった。だが、ぶつかったのに、謝るどころかこちらを見向きもしなかった。
「あっ……おい!」
もしかしたらば、自分が前を見て歩いていなかったことが原因の可能性もあるかもやしれないが――なんなのだ、あの態度は。ぶつかったんだから、そこは誰でも気にするのに。急いでいる様子ではないのに。
なんだか嫌なやつだな。そう、ケイたちが思っていたとき、メアリーは何かを拾い上げた。それは青色の連絡通信端末機だった。自分たちの物ではないとすると、あのぶつかった少年か。
「届けてくるね」
後ろ姿はそう遠くない。メアリーはそれを手にして少年のもとへと駆け寄ってしまう。
「えっ。ちょっと、メアリー様!?」
一人では心配と思ったのかケイも着いていく。メアリーは「あの、落としましたよ」と少年に声をかけた。彼女に声をかけられて、ようやく彼はこちらを振り返ってくれた。少し長めの茶色い髪に薄青色の目。細身でどこか顔色が悪そうだった。
こちらを振り向いても尚、表情は一切変えない。正直な話、先ほど見掛けたカメラ少年も赤い髪の少年も怒られていた上級生たちよりも、彼の態度が一番悪く思えた。いや、彼らとは違う妙な雰囲気が漂っている。なんと言うべきか――話しかけてくるな、とでも言っているような気がした。明らかにメアリーを前にして緊張した様子ではない。
「何?」
ようやく口を開いたかを思えば、とてもぶっきらぼうに言ってくる。機嫌悪そうに眉根を寄せていた。少年は目の前にいる一国の王女に気付いていないのか? 誰もが知っているはずなのに。それともこれから軍人になるから身分は関係ないと思っているオメデタ頭なのか。
「あの、これ落としましたよ」
それでもメアリーは優しい口調で少年に端末機を差し出した。
「…………」
なのだが、お礼も言わずして手に取った。それを少年はポケットの中へと入れて、うんともすんともせずに黙って立ち去って行ってしまう。
茫然と立ち尽くす二人にマティルダたちがやって来た。
「なんですか、あの無礼者は」
「お礼も何も言わずに行ってしまったぞ」
不服そうなケイたちであったが、メアリーは「いいの」と彼らを抑える。
「多分、もしかしたら私やケイ君を見て緊張していたのかもしれないし」
絶対そうではない。どこからどう見ても横柄な態度を取っている者にしか見えなかった。
「あいつ、いくら軍では身分関係ないと言っても失礼過ぎますよ」
できることならば、あの少年とは同じ教室になりたくないものだ、とケイは小さく願う。いや、メアリーと同じ教室にもなって欲しくない。絶対に彼女に近付けさせたくはないものだった。
◆
お願いなんてそう易々と叶うものじゃないな、とケイは思っていた。入隊式直後に振り分けられた教室へと行くと、あの少年はいたのだから。
周りは同士として会話をしている最中、独り窓の外を眺めている様子。それが一際目立っていた。
「彼って……」
同じ教室になったソフィアが耳打ちをしてきた。
「姫様に無礼を働いたやつだな」
そのことについて言いに行こうとするも、先に赤い髪の少年に少年は話しかけられていた。
「なあ、なあ。俺、オブリクスって言うんだけど。お前は?」
このオブリクスという少年――ガズトロキルスは誰にでも気さくに話しかけているようである。五年間同じ教室だから仲良くしたいという思いがあるのだろう。その気持ちはケイにも理解できる。
しかし――。
「デベッガ」
メアリー同様にぶっきらぼうに答えた。ガズトロキルスの方に見向きもせずに。それでも、と彼は食いつく。
「そっかぁ。俺は南地域出身だけど、デベッガはどこよ」
デベッガという少年――キリは答えようとしない。何か後ろめたいことでもあるかのように視線を泳がせているようだった。
「彼、無愛想ですね」
「無愛想って言うか、なんと言うか……」
どんな質問をしても、あまり答えてくれないキリに痺れを切らしたガズトロキルスは不快そうな表情を見せ始めた。それもそうである。どんなに話しかけても答えが返ってこないならば、話もしたいとは思わなくなるに決まっているから。
「つまんねぇやつ」
冷めたような視線を送り、ガズトロキルスはキリのもとから離れていった。いや、何も彼だけではない。この教室中がキリを避けるようにして、数歩引いて見ている感じだった。
一際目立つ、妙な存在感。ギスギスとした関係性を持ちたくはないなと思っていても、キリに協調性は持ち合わせていなかった。なんと言うべきか。実技関連で誰かとパートナーを組む際はそのパートナーからは煙たがれるような言行を取ることがしばしばあったからだ。
ほとんどが自分の気分次第。所々における常識のなさ。確かに軍において身分は関係ないのだが、あまりにも無礼過ぎた。何もそれはケイだけではない。他の貴族たちにも一般庶民の生徒にも人として失礼な態度を取っていた。
極めつけはある日の軍事学の実技授業のこと。その日は剣技の授業だった。偶然対戦することとなったキリとケイ。学校の備品である木剣を手にしていざ動こうとしたとき――。
キリはその場で木剣を捨てた。その意味は試合放棄。彼は対戦などする気がないらしい。
「戦えよ」
不戦勝というのは好きではないケイはそう言った。その直後、キリが言い放った言葉は耳を疑うほど。
「興味ない」
何のために学徒隊に入隊したのか。何のために軍事科教室を専攻したのか。学術専門関連のためであるならば、マティルダやフェリシアが選んだ学術科教室に。資格・技術取得関連のためならばメアリーが選んだ社会科教室に。そして、ケイやソフィアが選んだ軍事科教室は戦闘を主とした軍事関連もの。
軍事科教室を選んだのであれば、戦うことは必須。同意書にもそんな記述があったはずだが、そうでなくともここを専攻する者たちはそれを重々理解していなければならない。それなのに――。
「お前、何のためにここに入ったんだよ」
「軍人になる以外にどうしろと」
気に食わなかった。態度も言動も行動もすべてが気に食わなかった。キリは軍人になっても意味がないとしか思えない。『目的』が見えない。なんなのだ、こいつは。
「だったら、戦えよ。意味ないだろうが」
「ああ、そう」
仕方なしとでも言うように、キリは投げ捨てた木剣を拾い上げた。
軍事科教室は軍人になるための授業をするのはどこの教室よりも当然である。故に、訓練は必要で対戦をすることも当然であるが、そのやる気は一切見られなかった。
適当に防御するキリの剣を弾き、剣先を向けた。彼はただひたすらにじっと見てきているかと思えば――剣身から奪い取り、柄で叩いてこようとする。
「危ないっ!」
間一髪のところで授業担当の教官に助けてもらった。
「デベッガ! 勝負はもうついているはずだぞ!」
「そう」
そう言った状況は幾度も続いた。何も剣術だけでなく、体術や銃術も。戦うことに関してやる気は見られないようであるも――。
「本気だけど」
なんて言う。そのくせ、座学だけは完全な真面目。筆記試験では常に上位に入っていた。それが意味わからなかった。
挙句の果てに、誰かが言った。
「『戦力外』」
その意味はテキストや図書館の資料からの知識を頭の中に詰め込んでいるくせに、実技になると全くその知識を活用としない、しようとしない。戦地に赴いたところで戦力にならない人物というところからきていた。そのため、キリは誰からもばかにされていた。何も言い返さないからなのか。毎日、毎日を挑発されて、一年目にしてようやく初めて『悔しい』や『不快』という表情を見せた。いつもは無表情しか見せていなかったのに。自分が悪いくせに、そのあだ名を言うと不機嫌になる。それがまた腹立たしいものであった。
罵倒、挑発といった嫌がらせはガズトロキルスが率先してやっていた。初日のあの態度の仕返しか。
「お前なんて、嫌いだよ。早く辞めたら?」
もしも、キリが最初にガズトロキルスの話しかけに素直に応じていれば、どうなっていたのだろうか。
見ているだけでも哀れとしか思えなかった。このようなことになっているならば、学徒隊を脱退すればいいのにな、とケイは思っていた。だから、キリには「辞めろ」と言うことが増えた。
それでもキリは辞めようとしなかった。無表情以外の表情を初めて見せた頃から、やり返しをし始めるようになる。簡単に言うと、これまで見せなかった反応を見せたということだった。
「いつになったら、戦力外は辞めるの?」
うんざりとした様子のガズトロキルス。キリのことを煩わしい存在とでしか見ていないようだった。一回生時であれば、どこか上の空をしたような無反応であったが――二回生にもなればしっかりと相手を見据えていた。
「誰が辞めるものか」
何かが気に障ったのか――ある日、ガズトロキルスはキリを殴った。お返しに彼もまた殴る。こうして発展していく殴り合い。これにはケイも驚いたようにして見ていた。反撃するとは思わなかったから。
体格や体力は歴然としているのにキリは諦めることはなかった。頬が腫れ、口の中を切る。鼻血が出る。教官が止めに入るまでそれは続いていた。それを誰も止めようともしなかったことは覚えている。おそらくではあるが、ガズトロキルスも驚いていたことだろうと思う。
キリは何か人が変わったように感情を見せ始めていたから。話しかけてくるなオーラ全開だったのも解かれるようになった。だが、そうだとしてもあの一年間をみんなは忘れたわけではない。今更性格を変えたって遅いのに。過ぎ去った過去を変えることなんてできやしないのに。ますます周りと距離を置かれてしまうようになってしまった。
しかしながら、いくら性格が変わろうが、根本的なところは相変わらずだった。戦闘実技に関しては何ら変わりない常識のない言行。そんなキリの拠り所は校内にある図書館だっただろう。いつも休み時間はそこへと赴いて本を読んでいた。博識を身につけても実戦で役に立たなければ、意味がないのに。それでも教室内では利用頻度は彼が一番多かったはず。
三回生にもなれば、学徒隊中に『戦力外』という噂は広まっていた。そこから、キリはまた雰囲気が大きく変わり出す。それが特別演習実習の雪山行進あたりからである。
◆
この日は三回生が東地域にある雪山の行進を行うのだった。数百名が各班に別れ、列を成して登山するのであるが――。
「お前、協調性がないし、登るのを止めたら?」
「はあ? なんでだよ」
「班で登るんだから、お前のペースに合わせられるか。どうしても行きたいって言うなら『一人で迂回路を回って行け』」
同じ班になったケイがキリにそう言った。いや、その周りにいる班員の誰もが思っていたことだ。これはただの登山ではない。悪天候も踏まえた危険行進なのだから。
「使えないやつがいたってしょうがないだろ?」
「そんなの誰が決めた?」
「俺は人を背負うために演習に参加しているわけじゃない」
連帯責任はあるものの、物理的には勘弁して欲しいと思っていた。だからこそ辛辣な言葉を選んで発言をする。
「どうせ、どこのルートを辿ってもみんなのお荷物になるだけなんだから」
「だったら、一人で行ってやる」
もちろん、それはただの冗談だと思った。通常のルートは三つほどあるが、それに比べて迂回ルートは山道がなく、獣道くらいである。更には勾配がきつく、登りきるのに時間が倍以上かかるのだ。もちろん、誰もどこの班も利用するはずはない。
「無駄死にするだけだぞ」
「誰が死ぬものか」
それ以前に班行動であるから単独行動は許されない。それくらいキリも知っていると、わかっていると思っていた。それほど彼はばかではないと思っていた。素直に渋々と自分たちの後を着いてくると思っていたのに――。
「シルヴェスターさん! デベッガが着いてきていない!」
「はぁ!? 後ろから来ているんじゃないのか!?」
「ああ、もう! こういうときに限って電波が通じない!」
「俺が教官に報告してくるから、みんなはここで待機をしていてくれ!」
後からわかったこと、キリは本当に迂回路を通って雑木林の中で倒れていたというのだった。
その後からである。記憶を失う前の性格を持ったキリになったのは。
◇
「きっとデベッガはハルマチから過去の歯車をもらって、知らず知らずの内に改変をしていたんじゃないのか?」
「あぁ、かもねぇ」
ケイもアイリも納得している様子。だが、ヴィンは――。
「だったら、オブリクス君の性格とかも改変されているんだろ?」
興味なさ気にそう言い放つ。それにガズトロキルスは《そうなのかもな》とあごに手を当てて返した。
《俺の場合、どこからどこまで変わっているのかは知らないけれども。正直言って、キリと仲良くしていたときは楽しくないとは思わなかったよ。普通に友人として楽しかった》
「だからと言って、擁護はできないぞ!」
「別にしなくてもいいよ。キリの記憶はあたし一人でも取り戻す」
アイリのその発言にメアリーは強く服の裾を握った。今にも部屋から出ていきそうで怖かったから。
「キリ君が私たちに無愛想にしていたのは、記憶が……」
「大丈夫、わかっている」
だが、アイリは行かずして「そもそもさぁ」と言葉を続ける。
「あたしたちに足りない『超重要な物』をキリは持っているんだよ? 記憶を復活させないで、どうしようっての?」
そう言った。超重要な物とは一体何のころか。どうやら過去の歯車ではないらしい。そうなると、誰しもが思考をフル回転して考えつこうとする。キリが持っている超重要な物とは?
「思いつかん。なんだよ、その超重要って」
「はぁ? 決まっているでしょ?」
ケイの質問にアイリはどこか小ばかにしたように肩を竦めた。
「『ツッコミ』よ」
先ほどまでの殴りかかる寸前だった緊張感高まる空気はなんだったのか。一番憤りを感じていたヴィンもその答えには呆気に捉われているようである。
「そもそも、ツッコミ役というのは非常に重要ポストなの。今のあたしたちにとってのツッコミ役が不在なのはいただけないと思うんだけど」
「いや、ハルマチ。今はそんなどうでもいいことを言っている場合じゃ……」
「どうでもよくないもん。ツッコミ不在の代役って結構大変なんだから」
《ああ、わかる。わかる。ツッコミ不在でっていうの理解できるよ》
「おっ、わかってくれる? 流石はガズ君! ツッコミ役は必要だよねぇ」
そこは是が非でも譲らんとするアイリの意志に反発するようにヴィンが論じた。
「それだったら、別にあいつじゃなくてもケイがいるだろうが。ケイも結構鋭いツッコミをするし」
「うん、お前も乗せられるなよ。さっきまで真剣に反対だと言っていたのに」
「ほらぁ! きちんとできている!」
なんたる茶番であるか。現在はキリの記憶を戻すか戻さないかの瀬戸際論争をしているのに。こんなくだらないことをしている場合ではないのに。
「うーん、シルヴェスター君のはごくごく当たり前のレベルスキルだよねぇ? あんまり見たことはないけれども、ツッコミレベルが高いのはキリだよ。シルヴェスター君ってスルースキルはあるの? 常識だよぉ、それは」
じろじろと判定評価でもするかのような視線を向けてくる。その視線にケイはこめかみに青筋を立てた。
「ないかもだけど、スキルを磨き上げればケイのツッコミは宝刀物になるさ! それはもう、『罪人の子』よりも鋭さを増すほどの!」
「はぁ? 言っておくけど、キリのツッコミはメアリーのばあちゃんでさえも期待するほどの切れ味よ? ベスト・オブ・ザ・ツッコミの男、略して『ツッコミマン』! キリほどその名が似合う者なんていないに決まってる! 温室育ちの坊ちゃんにできるとでも?」
「できる! ケイならば多分できるっ!」
「でも、激情型のツッコミは体力を消耗するけど? キリに代わって実際にシルヴェスター君がツッコミ担当したところ見たけれども、クドイという印象が強かったし」
「いや、大体ツッコミというのはテンションが低いよりも高い方が効果はアップするんだよ! これぞまさにベスト・オブ・ザ・ツッコミ!」
「だとしても、どういう状況に置いても手持ち札が多い方がカウンターは高いっ! 故にキリが『ツッコミマン』としての称号が相応しい!」
本気でどうでもいいツッコミ論戟に頭を抱えるケイ。段々と収拾がつかなくなってきた。助けを求めるように、ラトウィッジとエドワードを見た。彼ら、大人であるならば、どういう対応をしてくれるのか。
ケイはすがる思いで「おじさん」と二人の方を見た。
「…………」
「…………」
呆れて物を言えないどころか、溜まりに溜まりまくっている仕事の方を片付け始めているではないか。ラトウィッジたちから感じるのは「収束着いたら教えて」である。完全に人任せにきたなとため息が漏れた。
ここは自分がツッコむしかないのか。ケイがその場で息を吸ったところで部屋のドアは勢いよく開かれた。その途端に誰もがそちらに目を向ける。そこにいたのは――。
「待って! 俺にそんな称号は要らないから、彼にあげて!」
ベスト・オブ・ザ・ツッコミの称号をケイに擦りつけようとするキリがいた。後ろにはなんとも言えない表情のセロまでもがいる。彼らはこのくだらない会話を盗み聞きしていたとでも言うのか。キリのその発言に彼は眉の端が僅かに動いた。
「き、キリ」
「アイリが俺のことを思ってくれている気持ちはありがたいよ。でも、俺は今の俺がいいんだ。そんなステキな称号をもらっても、もったいないよ!」
「ステキな称号」だと? 実際のところ、擦りつけではなく、素で譲る気のようだった。それには更に眉が動くどころか表情すらも引きつらせている。そんなケイのもとにキリはやって来る。
悪意が一切ないその言葉が余計に腹立たしい。そのせいで、サバイバル・シミュレーション時の作戦会議を思い出してしまう。すべてを投げ出したのはキリ。責任は取らないとばかりのあの物言い――。
「大丈夫、俺なんかよりもきみの方がその『ツッコミマン』の称号は相応しいからさ!」
「誰が要るかっ!!」
片手が使えない状況でもケイはキリを掴んでアイリとヴィンに向かって投げ飛ばした。一同はそれに騒然とする。物ともせず、彼のもとへと近付き、胸倉を掴み上げた。
「冗談じゃない! そんなくだらない称号をもらうんだったら、俺はお前の記憶を元通りに全部戻してやるっ!!」
「け、ケイ君!?」
「ああ、確かにツッコミ不在は大変かもしれないが、それはお前の仕事だろ!! サボるんじゃねぇ!!」
一喝でも入れるつもりなのか、ケイはその場で怒鳴り散らす。記憶を元に戻してやるという言葉に怯えるキリ。不安そうにも、今にも泣きそうな表情を見せた。
「嫌だ! 俺は今のままの記憶がいい!! 自分のかわからない記憶なんて要らない!!」
「受け入れろっ!!」
ケイがそう大声を張り上げる。
「誰もデベッガのかわからない記憶なんて入れるものか! みんなを信じろ! 今お前がするべきことはなんだ!? 泣きっ面を見せて駄々を捏ねるんじゃない! 偽りだろうと、なんだろうと、お前自身の記憶を取り戻すことだろ!!」
「…………」
何も言い返せないキリを不憫に思ってか、メアリーが「ケイ君!」と対峙する。
「今、キリ君はいっぱい、いっぱいなんだよ!? これ以上つらいことは――」
「いやいやぁ……それが人ってものだよ、メアリー」
メアリーの言葉を遮るようにしてアイリがそう言う。彼女は怪訝そうにそちらを見た。
「そりゃ、キリの今ある記憶は同情しかねないよ。あたしも同情はした。でも、それだからって、記憶を戻すのは止めようかとかありえないから」
アイリは投げつけられたときの衝撃が痛かったのか、腰を押さえつけながら立ち上がった。
「楽しいこと、嬉しいこと、面白いこと、嫌なこと、悲しいこと、ムカつくこと。色々と人の感情はあると思う。消し去りたい記憶は誰にもあると思う」
自分だってその通りだとキリの方を見た。
「でも、嫌な記憶は要らない情報みたいにしてデータ・スクラップ・エリアに捨てるべき? 要らない物をそこに突っ込んどいてお仕舞い? 都合よ過ぎ。そんなの人とは思えない。まるでコンピュータみたい」
その言葉にケイの手が緩んだ。ヴィンもゆっくりと起き上がる。
「生まれてから今までのすべての感情と記憶を持ち合わせて存在するのが人、その人であるべきなんだよ」
アイリはキリに手を差し伸べた。ほんの一瞬だけ、彼女がどこかで見たことのある誰かに似ている気がした。月明かり、長い髪の女の人――。
【人は記憶にすがって生きていかなくちゃならない】
【きみが信じていれば、必ず会えるから】
「…………」
「取り戻そうよ。これまでの『キリ・デベッガ』という存在をさぁ。きみがきみであるために」
「俺が……?」
「『お姉さん』との約束、忘れた?」
◆
遠くで誰かが呼んでいる気がした。自分の名前を呼ぶ幼い声。ここは――?
美しき星空と月明かりのもとにキリは真夜中の鬼哭の村の真ん中にいた。どうして、ここにいるんだろうか。早く小屋の方に戻らないと村長に怒られてしまう。そう思って山の方に行こうとすると、服の裾を誰かが引っ張った。
「キリ!」
自分を呼ぶのは幼い子ども。見覚えのあるボロボロの服。自分によく似ているようで似ていない雰囲気を持っていた。その子はこちらを見てにこにことしている。
「き、きみは?」
「おれもきみもおなじキリだよ」
小さなキリは服から手を放すと、その手を差し出した。
「おさんぽしよ」
「でも、村長に……」
「『よる』だからへぇき」
キリは戸惑いつつも小さなキリの手を握った。その小さな手はとても温かかった。
「あのね、キリはうえのキラキラはとどく?」
「キラキラ?」
小さなキリが指差す先は輝く星々だった。彼らの目にはそれが映り込む。彼は「とどかないんだぁ」と寂しそうに手を一所懸命に伸ばしていた。
「おーきくなったら、とどくかなって」
「……あのキラキラはね、星って言うんだよ。ずっと、ずっと遠いところに離れている大きな丸い物なんだって」
「どれくらいおーきいの? これくらい?」
星のことがよくわからない幼きキリはその小さな両手を大きく広げて示した。それに首を横に振る。
「ううん。もっと、もっと。俺たちが頑張ってもそれ以上に大きくならないくらいの大きさで全然届かないところにあるんだ」
「それじゃ、とどかないんだ」
星に手が届かないと知ると、小さなキリは残念そうに項垂れた。どうやら本気で触りたかったらしい。
「うん、届かないんだ……」
つられるようにして、キリも残念そうな顔を見せた。だが、幼い彼は「でも」と話を切り替える。
「おーきくなったキリなら……できることあるよね」
「俺が?」
それは一体どんなことだろうか。
「おねえさんとのやくそく」
その言葉に何かを思い出そうとする。「おねえさんとのやくそく」、どこかで聞いたことあるような、ないような。思い出そうとしても引っかかって思い出しきれない。なんでだろう?
「キリ、おねえさんをしんじなきゃ。じぶんをしんじなきゃ」
忽然と現れる大きな両開き扉。幼いキリは片方の扉に手をかけると、もう片方にも手に取るようにして促してきた。
「いっしょにあけよ」
「え?」
「ここでたちどまってるだけじゃだめだよ。『だれかといっしょにいたい』なら」
――扉を開けて。
きみは独りじゃないよ。味方はそこにいたんだ。ずっと傍で呼んでいたんだよ。信じて。自分の記憶に訊いてみて。そこに誰がいた?
――ずっと一緒にいたいよ。
聞き覚えのある声。
――待っているよ、すごく会いたいよ。
駆け足で間に合うかな。手を取りたい。自分を呼んでいる誰かの手を。大丈夫、何も恐れることはない。世界が自分を嫌ったとしても、その誰かだけは傍にいてくれることを約束してくれた。だから、その約束に自分も答えないといけない。
――信じて……。
◆
「アイリっ!?」
一人の少年は勢いよく起き上がった。勢い余り過ぎて、施術痕の傷が痛む。頭を押さえながらも、ずっと手を握ってくれていた者の方を見た。そこにいたのは黒髪のくせ毛あるショートカットの少女――アイリ。
いつかの記憶で見た誰かはここにいた。ずっと、自分を待ち侘びてくれていた誰かはそこにいた。
アイリは優しい笑みを浮かべながら――。
「お帰り、キリ」
少年――キリの帰りを待っていたアイリは優しく抱きしめてきた。己の運命を変えてくれた女神とキリは約十五年の時を経て再び巡り会ったのである。
「はい、イチャイチャはいいからやり残したことをするぞ」
なんともその空気の余韻に浸らせることをさせないのがハイチである。手を叩いて我に戻させてきた。
「お前らがきゃっきゃっ、うふふとしている間に大変なことがあったことを忘れてねぇか?」
「大変なこと?」
何かあったか、と二人は腕を組んで思考をフル回転させた。駄目だ、思い出せない。何が――。
痺れを切らしたハイチは部屋にあるテーブルの上を強く叩いた。
「オリジン計画! 過去の歯車! コインスト! マッド! 異形生命体! 世界改変者!! お前ら自分さえよけりゃいいのかよ!」
「あっ、ごめんなさぁい」
正直な話、謝って許されるほどの状況ではないし、キリだってそこで眠っている暇などないのだ。時は一刻も争う、世界壊滅の危機。現在における状況などの情報はすでに彼の頭の中に埋め込まれている脳情報記憶装置で補っているため、瞬時に理解した。
「それに今日は特別会議もあるらしいし。デベッガ、お前も本部の方に来い」
「はい!」
二人に連れられてキリが部屋を出たとき、廊下にメアリーがいた。彼女は何が言いたげであるし、もちろん自分だって言うべきことがあった。彼らに先に行っているように促す。
「早く来いよ」
「わかりました」
二人の背中姿を見送ると、キリはメアリーの方を見た。改めて青色の花――『代償の花』を見て、とても似合っているなと感じる。
「ライアン……いや、メアリー。実は俺、メアリーの気持ちには薄々感付いていたんだ」
メアリーは静かにキリの話を聞いている。
「王国に戻ってきたとき、メアリーの気持ちに答えてあげるべきだって思い立って……一年が過ぎてしまっていたよ。話もしてあげられなくて、ごめん」
「ううん、いいの。でも、一つだけわがまま言わせて。これはずっとキリ君に言いそびれていたことなの」
キリは頷いた。
ずっと言おうとしていたこと。前夜祭の日、結局言えなかったこと。今ならば、言える。キリだって、今ならば答えはきちんと出してくれる。忘れられていなかったんだから――。
「私は昔――あの日会ったときからずっと会いたかった。それで、ようやく学校で再会してすごく嬉しかったの。運命だって思っていたくらい、気持ちが高ぶっていたの」
「うん……」
「キリ君」
「はい」
「私、ずっときみのことが好きだった! 誰よりも、ずっとキリ君のことを思っていたの!」
ようやく自分の気持ちをぶつけて、メアリーはドキドキしていた。心臓の鼓動が大きく聞こえるほど。答えはわかりきっているはずなのに、気持ちが大きく高ぶっている。再会したときと同じくらいの気持ちだ。
キリの答えは――。
「……嬉しいな。すごく嬉しい。けど、俺はアイリが好きなんだ」
わかっていても実際にその言葉を言われると、涙があふれ出てくる。
「うん。し、ってる……」
ポロポロと落ちいく涙を拭うメアリーにキリは手を差し伸べた。これに少しだけ驚いたように彼の方を見る。
「それでも、俺たちは友達だ。メアリーが誘拐されたときだって、俺は助けたいと思っていた。殺されたときだって、伝えるべき気持ちすらも伝えることができなくてすごく悔しかった」
「……うん」
「メアリー、俺と共に戦ってくれないか?」
メアリーは差し出されたその手を強く握った。握られたその手は紛れもない、友情の証。
「もちろん。私もキリ君やアイリの『友人』として戦うよ!」
「ありがとう」
一緒に本部の方へ行こうとキリがそう誘うが、メアリーは先に行ってくれと言った。
「ほんのちょっとだけ用事があるから」
「……わかった」
頷くと対策本部の方へと行ってしまう。メアリーは近くの女子トイレに入ると、足が崩れて泣いてしまった。フラれてしまったことは悲しいけれども、今はここで泣いてスッキリしよう。それが彼女の思いだった。
異性としては見られなくても、友達として見てくれているならば、いいじゃないか。いつだってキリは自分がピンチになったときのヒーローなのだから。
「ずるい、よ。キリ君」
「……メアリー」
泣きじゃくっていたメアリーのもとにエレノアがやって来た。優しく抱きしめて、背中を軽く擦ってくれる。
「よく、頑張ったね」
「おばあちゃぁあああん!!」
その優しさが悲しみの傷を埋めてくれる。それがすごく嬉しかった。とても温かかった。
◆
きっとメアリーは泣いているだろう。だが、自分が言ったところでどう言葉をかけたならばいいのかわからない。彼女は大丈夫だろうか、と心配をしていたキリが本部の部屋の方へとやって来ると――。
「あぁ、ちょうどいいところに来た!」
一足先にこちらの方にやって来ていたアイリが手招きをする。
「どうしたんだ?」
何やら、その部屋にいる全員が電源をつけられているテレビにくぎ付けだった。アイリはテレビを見るように言う。キリは言われるがままその画面を見た。
映し出されているのは黄の民国の首相が住むとされている国統領居である。どうもそこではたくさんのメディアが押し寄せているようだった。
《ご覧ください!》
現地リポーターが迫真の表情でこちらを見てきている。リポーターが手を差す先には人影があった。それは一人だけ。その人物は四つん這いになっている?
《とんでもない状況になっております! これは白の公国でも同じようなことが行われているのです!》
小さくなっている人物に目を凝らしていると、それはアップされて誰なのか映し出された。
《青の王国の国王ともあろうお方が国統領居の前で跪き、頭を下げております!!》
テレビ画面に映し出されていたのは土下座をするエブラハムだった。




