難解
鬼哭の村で起きた事件は世間を大いに震え上げさせた。何の変哲もない平和な村に大量の火薬が仕掛けられ、それを誰かが誘導爆発させたのだ。犯人は未だ見つからず。多くの証言によると、空を飛ぶ人間を見たとか、見なかったとか。
村と黒の共和国の国境沿いにある慟哭山に存在していた小さな小屋の中には謎の機械装置が残されていた。それは王国軍が回収することに。現場に居合わせていたケイとヴィンにもこの件に関して聞かされていたと言う。
それらすべては王国軍が現在調査中とのことで村への立ち入りは限られた者しか入れなかった。村の封鎖とでも言うべきか。村人たちがこの村へと帰ることはまずないだろう。残虐極まりない事件があったから。
謎の事件後、村やその近辺で負傷した者たちは病院へと搬送された。それは多大な出血量だったのにも関わらず、なんとか一命を取り留めたハイネも眠っている。彼女の眠る病室にはセロとワイアットが愁眉を見せていた。いつになったら目を覚ますのだろうと病室にはたくさんの花が飾ってあった。これらは何も二人だけはない。ハイネを心配した者たちの想いが詰まっているのだから。
また事件から一週間経ったある日、とある二人の囚人が処刑執行日を迎えた。タルスマン条約違法及び、軍務執行妨害、殺人罪などと言った余罪を犯したガヴァン・ブルース。タルスマン条約違法、軍務執行妨害を犯したウンベルト・バグスターである。見届け人はマックス。その責任者はラトウィッジだった。
彼らからはすべてを聞いた。己が知っていることすべてを。吐かせてもらった。しかし、それで終わりではない。コインストの残党とエブラハムの元三銃士軍団員であるエイキム・ソルヤノフの行方である。MAD計画と同時進行していたオリジン計画。彼らが望む『世界の果て』とやら。
腕なしや復讐者、過去の歯車の力、未来のコンパスの力を見せつけられてそこで終わりではない。それらとこの危険な香りがする計画はつながりがあるような物なのだから。
そう、それだからこそ――。
◆
「遅くなって申し訳ない」
取調室にて、再びアイリ――名なしを呼び出したラトウィッジ。心なしか、彼女は機嫌が悪そうである。言ったのはそちらの方なのに。腕なし討伐が終われば受け答えると。
「別にいいですけどぉ?」
そうは言っても、表情は見え見えである。
「貴様は言わなかったか? 帰ってから話す、と」
「言ったけど、それが何か?」
どう考えても事情を話したくなさそうな顔を見せている。
「さて、貴様の名前から改めて訊ねよう。『アイリ・ハルマチ』という名を盗んだと言っていたな? それはどういう意味であり、貴様は何者なのだ? 以前は死人と言っていたが――」
訊きたいことを口走っていると、名なしは空笑いをし出してきた。それを睨みつけるように見てくるラトウィッジに「そう焦らない」と焦らしてくるのだ。
「時間はたっぷりあるんでしょ?」
「いや、時間はない。コインストや反政府軍団の残党狩りに忙しいからな」
「それは大変だぁ。じゃあ、早口でベラベラ行きましょうか」
「質問にはっきりとした口調で答えろ。何言っているのかわからないのはダメだ」
これは一本取られたとでも言うようにして、今度はおちゃらけ出した。腹が読めないと、思う。さっきまではイライラとしていた様子だったのに。
「……そんじゃあ、どこから話せばいいですかね? あたしの正体?」
名なしの言葉にラトウィッジは頷く。彼らの間には『神様の日記』と未来のコンパスが鍵にかかった透明な箱に入っている。
「あたしは――」
さて、名なしという少女は一体何者なのか。なぜにこんな大層な代物を所持しているのか。それらが今に明かされるのだ。そう期待を寄せるラトウィッジだったが、彼女は急激に口を噤んだ。目が泳いでいる気がする。どうした?
「早く話さないか」
「う、うん。ちょっと待って、これ見ていいっスか?」
もしかしすると、言葉では説明がしがたいのかもしれない。そう目論み、透明な箱の鍵を開けてピンク色の分厚い本を渡した。早速受け取って、ページを捲っていくが――様子が何かおかしい。首を捻って眉根をひそめている。
「言えない何かがあるのか?」
「言えないっつーか……」
段々と表情を引きつらせてはまごつく。思いっきり頭を悩ませているようにも見えた。
「ごめんなさい。あの、逃げ出すわけじゃないんですけど。もし、逃げ出そうとしたら射殺とかしてもいいんで、そっちも一旦返してもらえます?」
「一体、なんだと言うのだ?」
仕方なしに未来のコンパスも返してあげた。監視する軍人はいつでも発砲ができる状態で名なしを見ている。そんな中、彼女はそれを手の平に乗せてじっとしていた。何がしたいのか。ややあって、名なしは未来のコンパスを神様の日記と共に返して大きくため息をつく。自身の手の平を見つめ出した。
「今更だんまりをするつもりか?」
その質問に違う、と答えた。
「約束を破るほどあたしは最低じゃない」
「じゃあ、さっさと答えないか」
「答えられないから、困っているんですよ」
その返しに困惑の表情を見せるラトウィッジ。困っているのはこっちなのに何を言い出すのやら。
「意味がわからない」
「だからぁ……」
名なしは自身の頭を掻き、言葉を選んだ末に――。
「これらについての記憶が『欠落』しちゃっているから、答えようがないんですって」
嘘ではない、と断言する。本当にそうなのだろうかと疑った。名なしが答えるものについては都合が悪いから忘れたふりをしているのではないかと疑いの眼差しを向ける。
「そんな目で見ても、答えようないんですからね。これだって、読めなくなっているんだから」
『神様の日記』とでも言ったか、もしそれが本物であるならば、名なしはキイ教の使者とでも言うべきか。
「だったら、訊かせて欲しい。貴様はキイ教の信者であるか、否か」
「違う」
即座に否定する。こちらに向けられた黒色の大きな目はそうはっきりと断言していた。
「それならば、今の貴様の記憶にある物はなんだ?」
「生物学会会員の『アイリ・ハルマチ』の記憶と学徒隊員『アイリ・ハルマチ』の記憶だけ」
「デベッガが意識を失っていることにも関係しているのか? その失われた記憶とは」
ラトウィッジがそう設問をしてくると、名なしは首を捻った。眉根を寄せて、何かを思い出そうとしているようではあるが、そうする意味でもあるのだろうか。そうして、彼女は片眉を上げたまま、反問をしてきた。
「デベッガって誰ですか? 意識がないって?」
何かの聞き間違いかと思った。
「……キリ・デベッガだ。貴様が彼に過去の歯車を渡しただろ」
「はぁ? なんですか、その過去の歯車――あ、あれぇ?」
更に我が耳を疑う。自分が知りたい、訊ねたいことの記憶がなくなるどころか、過去の歯車の所有権を渡したキリのことすらも忘れているのか? いや、名なし自身も己の記憶がおかしいとは思っているようだ。頭を抱え出し、必死に思い出そうとしている。
「あれぇ? そもそも、あたしはなんでここにいるんだ?」
ラトウィッジが知りたがっているのは名なしの正体と腕なしを庇った理由ではあるが、どうも話が食い違ってきている。このままでは埒が明かない。そうとなれば、彼女が知っている限りのことを話してもらうまでだ。
「貴様が生物学会の『アイリ・ハルマチ』の記憶を持っていることはわかった。それについて話してもらえるか?」
「MAD計画ですか?」
「そうだ。名なしとしての記憶がないのは仕方ないが、そちらならば話せるだろう? 貴様が本物のアイリ・ハルマチではないのであれば」
本当はウンベルトからはすべてのことについて話は聞いている。だが、まだオリジン計画は頓挫していないことだけは明白だ。残党はまだいる。計画を実行させようと企ててはいるはず。MAD計画についてはわからないことが後から出てくるかもしれない。
ウンベルト及び、ガヴァンの処刑執行したのには理由があった。ガヴァンは単純に脱獄しないために時間を早めただけ。一方でウンベルトは以前の腕なしみたいにしてコインストたちから救出でもされたら厄介だから。それだからこれ以上の情報が出ないと判断すれば、処刑すると決めていたのだった。そして、幸いなことに名なしはなぜか彼と同じくしてMAD計画を立てていたアイリ・ハルマチの記憶を持っている。対オリジン計画を阻止するためには必要な人材になってくるであろう。故に彼女をこちら側に引き込みたいのである。
もしも、残党どもがMAD計画に詳しい者を欲していたならば? 事情聴取をすべて終えた名なしが解放されて自由の身になったならば? 絶対に声をかけてくるだろう。今の彼女の行き場はどうなっているのかはわからないが向こうに行かず、こちらに協力をして欲しいのだ。
名なしとしての記憶を持たないことを知ったラトウィッジにとっては絶好の状況であると判断した。
「名なしの記憶はゆっくりでいいから、教えて欲しい。その代わり――」
「オリジン計画阻止を手伝えと?」
流石は物わかりがいい。記憶を失ってしまっても、その鋭さは相変わらずのようだった。
「ああ。これは自分たち青の王国だけの問題ではないと考え始めてきているんだ」
「……だろうねぇ。頭の中にあるこの記憶ってめちゃくちゃヤバいことを考えているみたい」
「ところで、そのアイリ・ハルマチの記憶はどこからどこまであるんだ?」
ここが重要である。もし、アイリ・ハルマチ――すなわちディースが反政府軍団として入団した頃の記憶があれば、時間はそうかからないのだが――。
「小さい頃から、生物学会を追放されるまでみたいですねぇ」
その答えに小さく落胆した。いや、だが、情報は少しでも集まればいい方であると自分に言い聞かせる。
「そんで、MAD計画についてどこまで語ればいいですかねぇ?」
「バグスターからは論文の内容について聞いてはいるが、それも踏まえて知っていることすべてを教えて欲しい」
了解です、と名なしは答えると、できたらアイリ・ハルマチとウンベルトの論文を見せて欲しいと言ってきた。それを見ながら説明してくれるのだろう。早速、ラトウィッジは苦労して集めた論文等を持ってくる。
「まず、異形生命体、もしくはMADは人と皮膚硬強化剤と呼ばれる物でできるMAD細胞の塊であり、体内……主に脳に脳情報遠隔操作装置を埋め込む。それらを操る者は同様に脳情報遠隔操作装具を持っておかなければならない。これはあの白髪のおじいさんに聞いたんじゃないスか?」
その言葉に頷いた。
「たとえば、皮膚硬強化剤を欠ければ、ただの脆い操り人形。チップが欠ければ変異死体になる。それだけ皮膚硬強化剤は人体に悪影響を及ぼしてしまうと同時に、異形の姿に変えてしまう有害な薬物とも言えますねぇ」
過多投与されば、されるほど異形生命体である、と名なしは言う。それを聞いたラトウィッジはあごに手を当ててウンベルトの取り調べを思い出した。
「彼は言っていたな。人体に一番影響が出るのは脳であると。」
「そう。異形生命体は基本的に『脳死状態』の生き物。チップと仮面で生かされている動く死体」
元三銃士軍団員が聴取の際に言っていた。あれはケイが考えていた憶測ではあったが――。
「元々、バグスターっていう人、最初はチップや仮面を考えずに実験をしていたみたいですね。ディースになると、チップっていう単語が出てくるや」
名なしは二人の論文を見比べてそう言った。
「おそらく、追放されたバグスターがコインストや反政府軍団と出会って、初めてチップや電子学を知ったんだろう。そこからアイリ・ハルマチが助言を聞いて付け加えた、と」
「あぁ、みたいですねぇ。あの人のことを先生って言っていますし……って、総長さん。あいつのことをアイリ・ハルマチって言うの止めてくれません? いくらあたしがそうでなくとも、すごい心にきますから」
どうやらそう呼ばれると、あまりいい顔をしない様子の名なしである。少し不貞腐れた様子。
「それでは、なんと呼べばいい?」
「あいつはディースとでも言ってください。あたしは普段通り名なしでもアイリ・ハルマチでもどちらでもいいです」
わかった、とラトウィッジは答えた。
「ただ、ディースの記憶が記憶なだけに、なんで腕なしはあんな人の形を残してまで? しかも、体の変形は自在だったんでしょうねぇ? そこらへん、白髪の人に訊きました?」
それはウンベルトのことだろうか。それとも腕なしのことだろうか。おそらくは前者であるとわかりきっていても、どちらなのかがわからなくなりそうだ。
「それは――」
そのことについて答えようとすると、取調室にノックがかかった。返事をする。室内へと入ってきたのは軍人育成学校が生物学の教官にして生物学会会員のヴェルディ・エイケンである。どうやらヴェルディはラトウィッジを探していたようであった。
「どうかしたのか?」
「いえ、皇国侵攻戦時で捕らえた二体の異形生命体の検査結果が出ました。総長殿がお急ぎだと聞いていましたので」
これはちょうどいいタイミングなのかもしれない。検査結果で名なしやヴェルディからの見解も欲しいところ。
名なしが気になるのか、ヴェルディは検査結果の入った封筒を渡して退室をしようとしたところ、ラトウィッジに呼び止められた。
「二人に『これ』についての意見が欲しい」
その言葉にヴェルディは片眉を上げる。名なしがディースでないにしろ、検査結果の内容についての意見を欲しがるものなのだろうか。断るに断れず、「わかりました」とその場に留まった。
「ひとまず、結果の概要を聞かせて欲しい」
「はい。元学徒隊員であったバーベリ姉弟と腕なしは『異形生命体』としての『実験成功体』であります」
「そう言えば、ディースはMADを作り上げては何か違うって文句垂れていたような……」
「これまでに多くが出現し、処分されたそれらは失敗作と言っても過言ではない。本来はあの三人が理想的異形生命体ではないだろうか、と言うのが私の見解です」
「……はぁーん、つまりは個体差で成功率があるってわけっスか?」
「の、ようだね。薬だって人に合う合わないがあるから、それと同じ。三人はたまたま体が皮膚硬強化剤に耐えきった、というだけ。珍しいね、あれだけの脳死状態の異形生命体の中で彼らの『脳が死ななかった』なんて」
それともう一つ、そうヴェルディは言葉を続ける。
「一番気になるのは腕なし。前に見たときは腕だけしかその……なんて言うの? 硬い皮膚? 黒い皮膚?」
「多分、MAD細胞のことですかね」
「うん、そのMAD細胞とやらは、最初は腕にしかなかったんだよね。でも、今回検査したときは姉弟同様に全身に広がっていた。これについてきみは何か知っている?」
そう訊ねると、名なしは首を横に振った。知らないらしい。
「知っているなら、バグスターと話をした総長さんでしょ? なんか聞いているはずじゃないですか? 腕なしを作ったあの人に」
「……私が訊いたのはどうして彼に皮膚硬強化剤を使用させたかぐらいだ」
「彼はなんと?」
「工場で両腕を切断した作業員がいて、どうしても腕がいると言っていたから作り物の腕を与えたまで、と」
作り物の腕? その言葉に名なしは片眉を上げる。いや、ヴェルディも怪訝そうにしていた。
「以前の検査結果で胴体と血管がつながっていないと思ったら……」
「もしかしたらあの人、腕なしの腕は『要らない物』と思って実験したんでしょうね」
「でも切断したならば、壊死するはずじゃ……」
「それは関係ないと思いますよ。言ったでしょ、皮膚硬強化剤を投与され、脳情報遠隔操作装置を植えつけられた生物は皆動く死体だって。その気にもなれば、腕の中にチップでも埋め込んで、神経とつないで人のように動かす。できないことじゃない」
「そのようなことが……」
あるとはにわかに信じがたい上、ウンベルトたちはなんという禁断領域を犯したのか。
「あの人は死んだんでしょ? もちろん、腕なしだって。もうここからは推測でいくしかない。憶測で解決してあいつらの計画を止めるしかない。でしょ?」
名なしがそう言うと、二人は口を噤んだ。ややあって、ラトウィッジが――。
「ハルマチを『オリジン計画対策本部』の研究機関の方に受け入れてくれないか?」
そうヴェルディにお願いをする。彼は戸惑いながらも頷いた。それに同調して立ち上がる。
「ハルマチ、きみにはまだ言っていないことがある。今から、それについて説明をするから我々に協力してくれないか?」
今度は名なし――アイリが戸惑う番になる。どういうことなのか、困惑しながらも二人の後を着いていった。
取調室から出て、向かう先は離れ棟にある病棟の更なる離れ病棟。そこの地下だった。そこがオリジン計画対策本部になるらしい。
「なんでこれまた地下にやったんですか?」
「計画立てている連中にこの事実が知れば、危険だからだ」
「あぁ、だから公にできない、と」
それにしてもこの病棟は辛気臭いな、と思った。薄暗いし、窓もないからあまり好ましい場所とは言いにくい。
「ところで、ハルマチ。学会時代の記憶にソルヤノフという人物はいたか?」
「ソルヤノフ? いや……知らないですけど」
ラトウィッジは懐から一枚のエイキムの写真を取り出して見せた。それを見た途端にアイリの表情は変わった。神妙あふれるような表情である。名前は知らぬが、顔は知っているようだ。
「すんません、やっぱり知っています」
「きみの顔を見て瞬時にわかったよ」
「でも、この人は学徒時代と腕なしと逃亡していたときに会っています。学会じゃあ全く会っていません」
その答えにラトウィッジは顔をしかめた。どこで会ったのか知りたくて、そのことを訊ねると――。
「学校内と、世界を見る目周辺ですね。なんか、話しかけてきたりとかもしていましたし」
どうやらコインストはすでにアイリと接触をしていたようだ。いや、接触した上で彼女がこちら側に来てくれたことに感謝しなければ。
そうしている内に地下の最奥部の部屋へとやって来た。そこの扉が開かれる。どうもその室内がオリジン対策本部の研究課となるらしい。
「これをきみに見て欲しい」
部屋の奥に置かれた物を見せられて、アイリは目を丸くして硬直した。
「こ、これは――!?」
◆
【友を助けてやってくれないか?】
ライアンの言葉が気になって仕方ないとターネラは思っていた。その友人となると、それ以前に彼は故人である。数百年以上も前の人物となる。これまでの歴史の最中に数百年以上も生きている者などいたのだろうか。いや、いるはずないだろう。ライアン曰く、自身の先祖は友を助けられなかったことを大いに悔やんでいたと言う。それならば、子孫である自分もその気持ちに応えたい。
それをどう解決すればいいのだろうか。エレノアに話をしてもわからないと言われた。それだから、ターネラは後ろを見た。そこには元三銃士軍団員シルヴェスター団員であるソフィアとフェリシアが頷く。
そうだ。あのとき、前夜祭でシルヴェスター団員全員がライアンを見ていた。だから、あの人たちがいる部屋へとノックをする。中から返事がした。入室する。
「し、失礼します」
室内には眼帯をしたケイとどこか元気のないヴィンがいた。
「ああ、三人か」
「お久しぶりです。お体の方はいかがでしたか?」
「何も問題はない。足も動けないわけではないし」
ケイの安否を確認できたソフィアたちは一安心するが、まだ安心はできない。ヴィンだ。いつもの彼ならば、変に冗談を言ってくるところだが――三人は詳しい事情は知らない。しかし、ニュースや新聞で知った彼の故郷の村について。
そんな状況であるヴィンに、惨状を目の当たりにしてきた彼らに依頼をお願いするのは厚かましくないだろうかと不安になる。
「スタンリーさん」
いや、二人は自分のことを応援してくれている。話すべきだと言ってくれた。そう、ヴィンの情報収集力ならば。その隠密活動に長けた彼の力ならば――。
「……ざ、ザイツさん。私のお願い、聞いてもらってもいいですか?」
「…………」
返事はないが、反応はしてくれた。無言で頷く。それに対してターネラはライアンのことについて二人に話した。最初はぼんやりと話を聞いていたヴィンでも話すに連れて相槌をしてくれたりし始めてくる。もちろん、ケイだってしっかりと耳を通してくれていた。
粗方話を終えると――「なるほどね」そう、腕を組んで考え始める。
「彼が現れているのはそういう未練があるからなのか……うん? だとしても、なんであのとき?」
ヴィンは奪還作戦時で首都を脱出している際に青の王国軍のもとへと導いてくれたライアンを思い出す。彼の姿はすべての者が見えるわけではなさそうであったはずだ。現に居合わせていたガズトロキルスとマティルダは見えていなかったのだから。
「……友がカムラか」
腕を組み、何かしらを考えていたケイはヴィンに声をかけた。
「なんだい?」
「カムラを助けて欲しいって初代国王は言った。それならば、隠れカムラ教徒を探さないか?」
鬼哭の村の件で中断していた事柄でもある。そもそも隠れカムラ教徒はキイ教を絶対的信仰することを望む黒の王国の目を逃れるために青の王国のどこかで作り上げられた宗教である。表上誰もがそこまでしか知らない。だが、もしかしすると――彼らならば、何か知っているかもしれないのだ。
そして何より――。
【未来のコンパスと過去の歯車は黒の王国の物ではありませんよ】
古跡の村の村長であるマトヴェイはそう言っていた。本当は世界を見る目の祠に仕舞われていた物だ、と。きっと誰も知らないような、知らされていない世界の秘密がわかるのかもやしれない。そう思って――。
「そうだね、だったら行くべきだよ!」
ヴィンがそう決起をして立ち上がったとき、彼の膝元から何かがフェリシアの足下に落ちた。それを彼女は拾い上げる。
「これは?」
「ああ、ごめん。それ、捜査のときに訊かれたやつで……」
三人はその何か――写真を見て驚愕した。
「ざ、ザイツさん、これってあなたの村に!?」
「えっ、う、うん」
妙な気迫ある質問にたじろぐ。一体どうしたのだろうか。
「これが何か知っていますか?」
「知らない。けど、知っているの?」
三人は何か知っていると見込んだ。一瞬にして場の空気が凍りつく。フェリシアは「もちろんです」と答えると、自身の連絡通信端末機を取り出し、とある画像を二人に見せた。それは――。
『事実改変装置の設計図』
『舞台装置の図面』
そう書かれている図面と写真のそれは全くもってそっくりなのである。これに驚きを隠せない。ケイはフェリシアにこれをどこで手に入れたのか訊ねた。
「これは以前、皇国の大臣の遣いであるイダン・バンダという方がエレノア様に会いに来たときに――」
フェリシアの話によれば、イダンという青年がエレノア宛てに首都の地図や白の見取り図と共に封筒に入れて持ってきたらしい。このことについては奪還作戦時で必要なしと見なされてケイたちには何も告げなかったのである。
そうなのだが――。
「いや、大臣は遣いなど送って――」
【俺が手紙を送ったからだ】
――初代国王!
その資料を三人に渡したのは紛れもないライアンである。彼自身がそう断言していたのだから。その事実を彼女たちに伝えると――。
「まさかとは思うけど」
妙に話がつながりかけてきている。だが、確信はまだ持てない。確実でなく、断言もできないからだ。とある憶測が頭を掠める。
「初代国王は世界を手に入れようと目論むやつらを阻止するために、俺たちに教えていたんじゃ……!?」
そう言うケイ。それにフェリシアはどういうことだと問い質した。それに彼は古跡の村でマトヴェイが言っていたことを話した。その話で憶測には納得がいく。
黒の王国は未来のコンパスと過去の歯車を世界を見る目にあった祠から盗み、世界を長い間統治していた。だが、数百年前に双方は盗まれ、クーデターが起き、統一されていた世界は五つに。バラバラにされてしまった世界を手に入れようと考えているのはコインスト、あるいは反政府軍団や黒の皇国たちである。彼らはそれらを狙っている。
その目的のために企てられたオリジン計画。作ろうとしていた物、事実改変装置と舞台装置。世界を手に入れてどうするつもりなのか。
「数百年前にクーデター起こされて、亡ぼされた黒の王国の復建かそれとも世界を滅亡させる……とでも言うべきかい?」
「可能性は高いし、ありえなくもない。どちらにせよ、このまま放置しておけば、よくない未来になるということには変わりないはずだっ!」
「ならば、この案件を私たちはエレノア様たちにお伝えいたしますね!」
ソフィアとフェリシアは部屋を出ていった。この事実にターネラは首に提げている過去の歯車を握りしめてあたふたとしている。ヴィンが所持していた未来のコンパスを盗られてしまった。ならば、次に来るのは自分の番であるからだ。
「…………」
挙動不審にドアや窓の方を警戒するターネラを見かねてケイは「大丈夫だ」と声をかけた。
「ここは王国軍の敷地内だ。そう易々とやつらが侵入できるようなところじゃないし、俺たちもいる」
「……そうですよね」
この不安を取り除くためには無理やり納得する他なかった。その場に残った三人は、ひとまず隠れカムラ教徒がいるところを調べ始めるのだった。
◆
こういう自然豊かな場所でのんびりと過ごすのは悪いものではない、とガズトロキルスは間近で見下してきている世界を見る目を眺めながら思っていた。彼の隣にはマティルダがいる。そう、二人は古跡の村へと観光に来ていた。ここは展望台である。
二人はこの村の民族衣装を着飾っており、(ただし、ガズトロキルスはコティカンをしていない)周辺の案内役であるマトヴェイは残念そうにしていた。
「ここ、すごく眺めがいいですね。ご飯もとても美味しかったし」
「でしょう? でも、コティカンを装着していただければ――」
「結構です」
すかさず断りを入れる。誰がそれをするものか。どこかで見覚えのある男性器を着飾るアクセサリー、コティカン。古跡の村に観光に来たときからしつこくマトヴェイに勧められているのである。この村の村人たちを見ても誰も恥ずかしがることはなく装着している様子。いや、それが駄目ではないのだ。むしろ、伝統を守るのは悪くない話である。これからも守っていて欲しいとは思っている。
なのだが――。
「そうですか。これさえ着けていただければ、村の男になれるのに」
「だとしても、俺は嫌です」
嫌なものは嫌なのである。ガズトロキルスは青の王国で育った人間である。その国では当然コティカンという物はない。こういうのを恥ずかしいと思っている。
「そんな、職人たちは頑張って作っているんですよ?」
「でも、嫌です」
ガズトロキルスがそう言った瞬間、山の方から雄叫び声が上がった。びっくりしたように三人は音がする方を見た。その声はこだましている。
「なんだ……?」
「ああ。あれはライオンかと。この時期は発情期なんですよね。確か」
マトヴェイのその言葉に二人はもっと驚いた。そこで思い出す、世界を見る目にて世界最強鳥類であるライオンに追いかけられていたことを。
「本当は、ライオンはこの山にいるはずはないんです。この国の荒野にいるはずなんです」
「人々に追いやられてしまったのですか?」
「――のようです。おかげで山の生態系は崩れているでしょう」
再び、ガズトロキルスたちは山の方を見る。頂上にはぽっかりとした穴が空いていた。そこからは日の光が差し込んている。
「そう言えば、世界を見る目って立入禁止なんでしたっけ?」
「そうです。ですが――」
何やら渋った様子を見せる。なぜか――それでもマトヴェイは語ってくれた。
「ここ最近になって、人の出入りがあるようです」
ほんの一瞬だけ、自分たちのことだろうか。ガズトロキルスは動揺してしまったが、話を聞く限りは彼らのことではない様子。
「その人たちがライオンを連れ込んでいるとか?」
「可能性はありますね。キイ教ではライオンはキイ様の化身と言います。が、いくらそうだとしてもしないで欲しいものです。生き物というのはその土地に合うように生きているんです。勝手に環境が変わってしまえば、大変なことになってしまう」
「それは許しがたいことだな」
「そうです。それに一年ほど前からでしょうか。それが影響してか異形生命体までもが現れるようになったんですよ」
世界を見る目に異形生命体が現れた。それを聞いた二人は顔を見合わせる。マティルダはあまりいい顔をしようとはしなかった。その表情を見て、ガズトロキルスは何かを察したようにもう一度山の方を見つめるのだった。
◆
宿屋の部屋の方へと戻った二人は世界を見る目に出現している異形生命体のことを気にしていた。
「マティ」
「ええ、わからなくもないですけれども、これはコインストか反政府軍団が関連していると思ってもいいはずです」
「…………」
ガズトロキルスは連絡通信端末機を取り出してキリの連絡先を表示させた。コールを入れようか、迷う。指が戸惑いを隠しきれていない。それにマティルダは不安そうな表情を浮かべていた。
「ガズ様……」
なかなかコールを入れられないのか、メール画面へと展開した。
『話がある、電話をくれないか?』
自ら電話することを恐れているのか、ガズトロキルスはキリにメールを送った。そして、彼からの電話が来るまで待つことにした。
「……俺は臆病者だな」
「大丈夫ですわ。何も一人で抱え込まなくても、私がいますよ」
嘆息をはくガズトロキルスの手にそっと自分の手を置いた。手の温もりにほっと安心するようである。
「ありがとう、マティ」
「お礼だなんて。でも、ガズ様。今件はデベッガさんだけでなく、きちんとおじ様たちにお伝えした方がいいと思いますの」
「うん、それもそうだよな。って、俺は王国から追放されているからなぁ……」
マティルダは自由に王国を行き来できるのだが、ガズトロキルスはそうはいかない。彼は青の王国を裏切った者である。本来であれば、処刑か収監所にいなくてはならないのだが、メアリー奪還作戦においての功績により、それらを免れているのである。
故に、ガズトロキルスが王国へ行くのは不可能。
「お任せくださいまし」
それでも選択肢がないわけではない、とマティルダは言う。彼女は端末機を取り出して、どこかへと電話をかけ始めた。
《はい》
「お父様? 私、マティルダですわ」
なんとマティルダは自分の父親に連絡をかけ出したのだ。別に自分が電話をしていないのだが、ガズトロキルスは緊張した様子でいた。
「お願いがありますの。フォスレターおじ様に、ガズ様を一度だけ王国へ帰還するチャンスを――」
青の王国へ行くならば、自分の父親に賭けるしかなかったのだ。これで上手くいくとは限らない。けれども、その機会を無駄にしたくはない。下手をすれば世界の命運に関わるかもしれないから。
《わかった、あいつに訊いてみよう》
◆
ここは軍基地の離れ棟。普段は病院であり、一般国民も多く利用している施設である。そこから更に離れた病棟の一室には一人の少年が穏やかな表情をして眠っていた。少し長めの茶色い髪に長いまつ毛。そんな彼を傍らにはメアリーがいた。
『デベッガがメアリーに会って話をしたいそうだよ』
エレノアはそう自分にメールを送ってきてくれていた。ずっと楽しみにしていたのに。この青色の花の飾りのことを言ってもらいたかったのに。
「メアリー」
「おばあちゃん……」
悲しそうにしてエレノアを見る。その視線がつらい。
「デベッガ君、どうしたの?」
「……ちょっと特殊な病気にかかってしまったみたいだね」
嘘をついてしまった。本当のことを話せばいいのに。なぜ、その口はありもしないことを言ってしまったのだろうか。
「目、覚ますよね?」
その答えは誰にもわからなかった。
◆
キイ教典最終章 世界の果てより――。
この世を生きる人間はキイ神が作り上げた。それと同時に人には悪神の呪いを持っている。巡り巡って出会った理想信者も、腕なしも、狂気の少年も、キイ神に差し伸べられた手を振り解いてしまった哀れな者どもよ。キイ神に死を与えられた愚かな末路を辿った欲人たちよ。知りたくはないか。この世の終わりは、人間は考える力を支配され、理性を失うだろう。支配されることを喜びと感じ、何も考えなくなるだろう。そして、それは人間だけでは飽き足らず、すべての生物に対しても支配されいく。そうなれば、統率されたこの世界を誰が統治するのだろうか。
すべての生物たちが支配されてしまったため、大地は枯れるだろう。水を欲した様子で存在するもそれもいない。すべての生命源とでも言っていい。その一滴すらもなくなってしまうのだ。
見上げるだけで己をちっぽけだと知らしめてくれる美しき空よ。今は一人その下に佇ませてくれるだけか。誰もいない、その世界で。
それらを考えただけでも恐ろしや、と子どもは血に塗れながらも、妻は子を守ろうとする。夫はなんとかすべく東奔西走を致す。それほどまでに人の教訓とは必要であるか否か。それらを生きて苦しみを味わいたいか。己の幸せを鑑みて苦しみたいか。私は思わない。いっそのこと、死んでしまえばいい。この世の終わりを見るくらいならば、自ら命を絶った方がいい。それでも生きていいと言われるくらいならば、黙っていよう。気付かないふりをしよう。何も言わないならば、の話ではあるが。だとしても、私は生きたいのだから。
泣けや、泣けやと涙を涸らすまで。何も持たぬ者、母親はその終焉に恐れて子どもたちを捨てる。ああ、あまりにも哀れなことよ。暗いその場所で最後に実子を抱く。なぜにそうするのか、己自身が守れないと覚ったからだろう。哀しや、哀しい。もう二度と彼らに会えないとなると涸れた涙は頬を伝う。おお、我が子どもたちよ、泣かないでおくれ。泣かないでおくれ。あなたたちには罪はないの。母親である私に罪があるから、共にいることができないのを許しておくれ。許しておくれ。もうすぐ、日が沈む。さあ、さあ、お眠りなさい。ぐっすりと。夜明けに私はいなくなるけれども泣かないでおくれ。泣かないでおくれ。唄う母親を尻目に子どもたちは彼女の腕の中でぐっすりと眠っている。そうして、別れていくのだ。
友とも悲しき別れをする。さようなら、今までありがとう。その言葉に余計に離れられない。ああ、最後に一緒に食べよう。九日前に作った古い粥を一緒に食べよう。そこで握手をしようではないか。そうだ、きっといつかは友として出会えるはずさ。きっといつかとはいつのことだろうか。いつかはいつかさ。目を閉じて、開けてを繰り返しした毎日を送っていればきっと出会えるはず。それまでは私のことを覚えておいてくれよ。ああ、きっとそうだ。約束だからな。もちろんだ。そろそろ、お別れが来る。最後の握手は別れの握手ではない。もう一度再会できるというおまじないなのだから。
命ありきの形なき生命体よ。おお、なくならないでおくれよ、おくれ。我が生命をつなぐ役割であるから。私の前からいなくならないでおくれよ。いなくなれば、私はどうすればいいのだろうか。いないととても寂しいし、哀しい。何よりも渇きが癒えない。何もそれは私だけではない。他のみんなも同じだ。この世でたった一つの名しか持たないあなたにとっても、私にとっても離れたくはないはずだ。どちらかが欠けていれば、補うことはできないのだから。だが、最後の一杯の果実酒には付き合って欲しい。それをちびちびと飲むように飲んで、最後の四日間で飲みきるから。それまでは共にいておくれ。
青き空を見上げた。彼は何も青いばかりではない。朝は白色を見せていて、夕方は赤と紫の混ざり合った色。夜は小さな宝石を散りばめた黒に変化する。いつも私を天より見守っていた空よ。私は嬉しいぞ。最後をあなたと共に過ごせるのだから。あなたのおかげでちっぽけな私は更にちっぽけに思えたのだから。どんなにつらくも悲しい悩みを一発で解決してくれたのは空のおかげだ。あなたがいたからこその今の私がいる。でも、もうその私をあなたは見てくれない。私も見られない。お互いがお互いを失うこの心苦しさ、わかってくれているでしょう。ああ、もう一度できることならば、私の話を聞いて欲しい。小さな虫けらのようなくだらない話だろうが、きっと笑える話だ。さあ、笑おう、楽しもう。この世の終わりを悔やむことなく幕を閉じよう。
何も哀しいことばかりではない。いつだって、あなたの隣にいるから。ずっと離れない。あなたが目を覚ましてもどこにも行かない。ずっと、キイ神に見守られながらも、天徳葵の木の下で待っている。留理灯面花で花冠を作って待っている。織咲陽楽草の上に寝っころがって待っている。安久花夢にいつまでもあなたと一緒にいたいと祈っている。
ずっと待っているからこそ、その終焉の先でキイ神は知りたがっているのだ。この世の果ての更なる先を。何が起きるのか、答えは簡単。その先は誰もが見るわけではない。それは草木も花も大地も水も空も見ることはできない。信じる者とキイ神しか知らないのだから。
この世界は――。




