哀人
――断ち切らなければ、断ち切らないと。
眼前にいる者を。
消したはずの記憶、思い出すまいと心奥に仕舞い込んだ記憶。それはどれもすべて『ちーくん』が引きずり出してきた。そう、先ほどの小動物の頭の何かのように。
「ああああああああああ!!」
――消えろ、消えろ、消えろ。頼むから消えてくれ。
別に当たろうが、どうも思わない。ただ、大振りかまして、それと共に消えてなくならないだろうか、と切実ながらに願う。別のことを思い出そう。アイリやガズトロキルスたちとの楽しい思い出よ。それを押し退けて出てこい。あの記憶だけは――あの記憶だけは――!!
【だいじょーぶ?】
【ばいばい】
駄目だ。メアリーのことを思い出すだけで恐怖心が。手に握る光なき歯車の剣。手汗が半端ない。滑り落ちそうだ。なぜに思い出してくる。なぜにそれらが一番上に出てくる。
口の中に溜まった唾を飲み込んだ。一瞬にして喉奥に広がる血の味。それが早く走る車のようにして記憶が流れ出してくる。
――嫌だ、嫌だ、嫌だっ! もう嫌だっ! 何にも思い出したくない。お願いだから、消え去ってっ!
剣を掲げたとき、『ちーくん』が止めた。動かない。視線が合う。お願いだからこっちをそんな目で見てこないで。
「キリ、どんなに断ち切ろうとも、それを持つんだったら逃げられないよ。なぜなら、『俺も事実改変をすることができる』から」
その言葉に手の力が抜ける。金属音と地面がぶつかる音が聞こえた。直後に彼がキリの首を掴む。『ちーくん』は喜色満面を浮かべていた。なぜにそんな嬉しそうにする? 何も喜ばしいことはないのに。
「ああ、哀れな『罪人の子』よ、存在してはならぬ子よ。お前はそれを捨てても捨てきれぬ。お前が『キリ・デベッガ』を名乗る限りは」
「なんっ、だと!?」
『罪人の子』という名は捨てた。だから、『キリ・デベッガ』と名乗っている。それなのに捨てられないというのか。これを持っているからだというならば、喜んで放棄しよう。あの記憶を持つよりも、痛みを持って死に逝きたい。
願う。己が所有する過去の歯車を放棄する、と。
しかしながら、願ったところで何も起きなかった。体中の痛みはないし、剣も元の過去の歯車へと戻らない。なぜなのか。そう思っていると、『ちーくん』はいつの間にか消え去っていた。まだ止めを刺していないのに。どこへ逃げた?
なんて辺りを見渡していると、その周りには人々の姿があった。農具を手にしてこちらを見てくる憎悪の目。また思い出してきた。
【村の方に下りてきてはいけない】
【『罪人の子』】
【お前の父親のせいだ】
【汚らわしい】
【お前も殺せばよかったんだ!!】
――そうだ、これは幻覚なんだ。何もかも、夢を見ているんだ。
何を思ったのか、一人小さく笑いながら地面に落ちた歯車の剣を拾い上げた。
「断ち切らなきゃ!」
夢でもここにいる者すべてが敵。味方など一人もいない。そう、殺せばいい。そうすれば、誰も追いかけてくる者はいないだろう。村人たちに向かって駆け込んで行こうとした瞬間。
「死にさらせっ!!」
誰かの声と共にその場にいた全員が硬直し、全員の首が刎ねられた。一斉に血飛沫が真上に飛び散りいく。だが、キリはほんの一瞬だけ意識が飛んだだけでなんともない。いつの間にか地面に倒れていたようで、その地面は赤く染まり、ゴロゴロと生首が落ちていた。その転がる首は全員がこちらを見て睨みつけていた。
後ろから影ができる。頭をわし掴みされ、投げ飛ばされた。
「キリ!」
投げ飛ばされた場所へとアイリが駆け込んできた。彼女は心配そうに見ているが――。
――バレた。
自身が『罪人の子』であることがアイリにバレてしまったと思い込んでいる。
【俺も事実改変をすることができるから】
あの言葉が脳裏に過る。事実改変を行ったのは、封じ込めていたはずの記憶を再びよみがえらせたということ。この状況ならば、アイリも知っているに違いない。彼女と目が合って背筋が凍った。きっと、アイリ自身も自分のことを『罪人の子』だと心の奥底で嘲笑っているのかもしれない。
――断ち切るべき?
そんなことを思っていると、またしても投げ飛ばされた。一体誰が、とそちらの方を見れば――そこにいたのはあのときの村長と同じように冷たい視線、いや、それ以上の目で見てくる腕なしがいた。彼も自分のことをそういう風に見るのは笑っているんだ。心のどこかで。
――あいつがあんなことをしなければ……。
「死ね」
腕なしが黒い爪で攻撃をしてきた。鋭い金属音が鳴り響く。キリが反射的にその爪の攻撃を剣で防いだのだ。光ないその剣を見てアイリは表情を変えた。いつもならば、あの美しく淡い光を帯びているはずなのに。何があったのだと戸惑っていると、その剣から妙な光が窺えた。
――もう、嫌。何もかもが嫌。
徐々に表れ始める、剣に帯びる光。しかし、その光はいつも見せていた物ではない。全く違う――アイリも腕なしも誰も見たことがないあやしい光。
――捨てたい。消し去りたい。見られてしまった。
あやしき光は刺々しく、醜い光を帯びている。まるで溜まりに溜まった人の負の感情をその光に表したかのよう。それはキリの体にもまとわりついてくる。
力押し。当たり前を言うならば、MAD細胞を持ち合わせている腕なしの方が力強い。それをキリは覆してしまった。人が異形生命体に力で勝ったのだ。そのまま飛ばされた。その飛ばされた場所は村人たちの死体の山。お構いなしにずけずけと足を乗せているではないか。
それを目撃していたのは何もアイリだけではない。後から追いかけてきていたヴィンたちも――ハイネも見ていたのだから。一斉に視線が集まってくる。その彼らが向ける目は一体何か。ああ、恐ろしや。
――嫌なこと、哀しいこと、腹が立つこと。
どれを揃えても嬉しい、楽しいと言った感情は持ち合わせていない。あるのはただの負の感情のみ。それが形となって歯車の剣の光として表れたのだ。もっとも、光だけ変わったのではない。剣は音を鳴らしながら形状すらも変えていく。誰かさんを守るようにして、歯車の籠みたいな物が出現し、まとわりつく。まるで以前自分を守ってくれた木の根と同じように。刺々しい尖った先を全方位に向けていた。
それは決して自分のテリトリーに入らせない、何者でも拒むぞと言わんばかりの聖域。誰かさんは自分の世界に閉じこもる気なのか。
――受け入れる気など、毛頭ない。
「何もかも、なくなってしまえばいいだけ」
キリは――『罪人の子』は歯車の剣。否、断切の剣を握り、黒い羽を広げている腕なしを見た。彼は黒い巨腕を漆黒の大剣へと変える。
「邪魔をする者は……」
「自由を奪うやつは……」
「死ねっ!!」
剣と剣がぶつかり合う。その衝撃はあまりにも大きくて、周りを巻き込んでしまうほどだ。黒い剣の欠片が、断切の剣の欠片がアイリたちを襲った。
◆
とてつもない大きな衝撃にアイリは離れた場所に飛ばされた。ふらふらながらも立ち上がると、その視界の先には鉈を手にしたヴィンがいた。彼はこちらを見ている。
「ザイツ君」
「ハルマチさんは彼を守るために唆したの?」
「そ、唆す?」
妙な雰囲気に駆られて、アイリはコンパスの剣を構えた。
「覚えていないの? 彼に過去の歯車を渡したの」
「な、なんで、それ?」
「お前が『罪人の子』の母親だからだろ?」
言っている意味が解らなかった。まるで村人たちが言っていたことと同じようなことを言っているではないか。自分自身が『罪人の子』の母親?
「ごめん。ザイツ君の言っている意味がわからない」
「『亡霊』だから、覚えていないの?」
「あたし、幽霊じゃないよ」
「本当は『罪人』も唆しているんだろ。じゃなきゃ、私の父親は死ななかった」
「はぁ? き、きみのお父さんは皇国軍に……」
【お前のおじさんだって殺されたっていうのに!?】
あのとき、キリはそう言っていた。己の悲しき過去を話してくれた。彼も認めていた。父親は皇国軍によって侵攻時に殺された、と。
赤と黒の剣身に鉈の刃先がぶつかった。
「私はこの世の不純をすべて潔白に証明したい。だから、私の父親が死んだのも、『罪人の子』が村をめちゃくちゃにしたのも全部お前のせいだっ!!」
ヴィンは泣いていた。こちらを見るその目は憤りを感じさせる。何があって、こちらに怒りの矛先を向けるのか。何の理由があって関係のない侵攻戦の話を持ちかけてくるのか。アイリにはわからなかった。そのわからなさが故に、苛立ちのボルテージの限界はすぐそこまできていた。
「何でもかんでも人のせいにするなっ!!」
鉈の刃を捌き、距離を取った。すでに周りにはこちらに対して敵意を向けている村人たちがいる。
「何を人違いしているのか知らないけれども、あたしはこんな村なんてどうでもいい。あんたらなんて微塵も興味ない。勝手に死ぬなら、死ねば?」
「そう、どうでもいいと思っているからこのようなこともできる」
ヴィンの後ろからは村長が怒りを露わにしてこちらを見ていた。彼は今こそ積年の恨みを晴らしてやると言わんばかりに、佇んでいる。
「それでも、『あの日の夜の目撃者』はいる」
「……勝手にこの村の事情をあたしに擦りつけるな」
「ならば、この世から消え去れ」
その言葉が合図だとでも言うように、アイリに向かってその場にいる村人総勢で襲いかかってきた。一人でこの量を捌き切れないと彼女はその場にしゃがみ込んで、目を瞑る。
――あぁ、今度こそ駄目だ!
村人たちによる攻撃は――痛みなどない。なぜだろうかと薄目を開けた。誰もが目を見開いて、アイリの目の前にいる人物を見て驚愕している。その人物は――。
「止めろ、ヴィン」
コンパスの剣を借りたケイだった。
「け、ケイ……」
誰もがその手を引く。ケイはその隻眼で村人たちを見た。
「俺は部外者だから、言える立場ではない。だが、彼女がデベッガの母親であるのは大きな間違いだ。どちらかと言うならば、デベッガの方が母親っぽいやり取りをしていたからな」
「ちょっ、シルヴェスター君!? 失礼なっ!」
「何も知らない若造が言うなっ!」
反論をするケイに村長は農具を再び仕向けてくる。それを軽やかに捌き、弾いた。刃先は村長の鼻先にあった。
「だから、俺が言える立場じゃないって言っているだろ」
いい加減、彼女を狙うのは止めろと言う。それは何も村長だけではない。ヴィンを含めた村人に対してだ。向けていた刃先を下の方へと下ろした。
「そう、言える立場じゃないけど……これだけは教えろ。『罪人の子』とはなんだ。なぜにハルマチを『罪人の子』の母親と仕立てあげる?」
そう問い質すと、ヴィンは村長の方を見た。これは自分から言うべきことではないとでも言うのか、他の村人たちも総じて彼の方を見る。
「そ、村長」
「部外者ならば、言う必要などない」
「そうではなく、シルヴェスターって……貴族の……」
村人の内、一人が耳打ちすると――「嘘だろう?」そう、冷や汗を流し始めた。シルヴェスター? シルヴェスターとは王族に仕える貴族? あの三大貴族に並べられる?
「……村長、ケイはその嫡男だよ」
ヴィンのその一言に村長は愕然とする。
【『罪人の子』とはなんだ】
バレてしまった。王国軍をすっ飛ばして、王族直属の貴族にバレてしまった。いや、そもそもどうしてその高貴な者がこのような村に? いいや、どうしてヴィンは『ケイ』と名前で呼んだ?
「さあ、教えてもらおうか。村長――」
ケイが話していると、後ろからキリが飛んできて周りと衝突してしまう。
「なっ!? お前は!?」
飛んできた相手がキリだとわかると、村人総勢が殺気立てる。だが、それ以上に彼は狂気立てていた。向けられた農具を見てその場にいる全員に断切の刃を向けている。
「あんたらはっ……!」
標的を腕なしから村人へと切り替える。それに、いつものキリではないとアイリとケイは不審そうにしていた。
「は、ハルマチ、あれは?」
「わ、わからない」
地面に尻餅をついている村長に向けて断切の剣を掲げようとした瞬間、その剣で腕なしの攻撃を防いだ。強烈な力の入ったその攻撃の負荷に耐えきれず、キリの体全体が悲鳴を上げる。
一撃一撃の重みに骨が軋み崩れる、素早さに筋肉や血管、神経が千切れる。流石は異形生命体。流石は人を捨てた者。その人外な力を持って、この世の頂点に立つ人間を越えていくか。
いいや、待て。人外の後を追う者がいる。それこそ、『罪人の子』。明らかに使い物にならなくなったその体を極限までに使うとは――いや、違う。傷を復活させているだと!?
双方ともに相互して首を刎ねる。その傷が修復していくのを誰もがその目にしかと焼きつけた。今、自分たちが見ているのは人の戦いではない。鬼の戦いである、と。赤き鬼と黒き鬼。言わば、ケイが手にしているコンパスの剣のように対極している。
『罪人の子』が断切の刃を腕なしの腹へと貫通させるが、それはお構いなしとでも言うように、すぐに修復する傷口。まだまだと彼が剣を首へと突き立てようとする。その刃を巨腕で受け止め、手刀で腕を切断する。
ばっくりと見せつけられる血肉骨は元に戻ろうとした。
――そちらは両手が空いていませんねぇ。
断切の刃を左手に持ち、がら空きの喉へと突き刺した。『罪人の子』に返り血が飛ぶ。まとわりついている断絶の刃は集中攻撃でもするかのように腕なしに突き刺していく。喉はもちろん、肩、腕、胸、腹、足――自身の方に飛んできた血を真っ赤な舌で舐めた。
――冗談じゃねぇ!!
ここでくたばるわけにはいかない。己の自由がために戦う。眼前にいる狂気の少年はその礎となれ。
突き刺されてもなお、動く。巨腕に刺さった断切の剣を抜き取り『罪人の子』に向かってお返しをする。だが、それは彼を守るようにして存在する断切の刃が食い止めた。そうだとしても、人以上の力を持つのが腕なしである。またしても飛ばされてしまった。
地面に転がる腕付きの剣。それはあるべき場所へと戻るがために宙に浮く。すでに立ち上がっている『罪人の子』の切断された右腕へと吸い込まれるようにしてくっついた。
同時に二人は攻撃を仕掛けた。
誰も彼も邪魔だ。断ち切れ、その首をっ!!
刃は腕なしだけでなく、その場にいた全員に向けられ――弾丸のようにして放たれた。
「危ないっ!」
その攻撃を回避できたのはごく僅か。避けたアイリはこちらに飛ばされた刃を地面から引き抜いてみた。邪悪とでも言うべき赤い光が絡みついている。
「ヴィン、ハルマチ! 無事か!?」
「う、うん。ありがとう」
「おい、わからないって……どういう意味だよ」
ヴィンがアイリ問い詰めてきた。あの過去の歯車は彼女がキリに渡した代物であろうに。それがわからないとは一体どういうことなのか。
「わからないから、わからないって言ってるの。あんなの、見たこともない」
「自分が渡したのにか」
「だから、見たことないからわかるわけないって言っているでしょ!」
今はここで口論をし合っている場合ではないのに。ケイが二人を止める。彼らのこの戦いは自分たち人間が巻き込まれる前提であっているのに。
「それよりも、俺たちの安全を気にしないと!」
逃げるが先決だとでも言うように、ケイがアイリたちを引っ張ってこの場から退散しようとする。あの二人は――王国軍の最新精鋭兵器でなければ止められないだろう。だが、こんな山奥の村に軍が来るのはどれくらいかかるのか。公共機関の便だと三時間は要した。それの短縮で一時間過ぎというところか。
だがしかし、動いたことがいけなかったようで――。
ケイの足は断絶の刃に貫かれた。
「ケイっ!」
「シルヴェスター君!」
苦悶の表情を浮かべながら、ゆっくりと起き上がる。
「……へ、平気だ」
歩くことは可能ではある。しかし、あの二人の攻撃を避けるとなると、閉口せざるを得ない。それだけ速く、タイミングがわからないのだ。戦慄するほどの狂気立つ彼らは、目に映る物を動かさないだけのために動いているに過ぎない。
硬い皮膚の剣と禍々しい剣が交わる度に不穏な風が一同を襲ってくる。その一撃自体から執念が伝わってくる。邪魔者を断ち切るがための剣を持つ者と自由を手に入れるがための力を持つ者。両者とも引くという言葉を知らずして、己の腕を揮う。
力は圧倒的に腕なしの方が強く、いつも押し負けてはいるものの、『罪人の子』は己が負けているとは認めなかった。まだその四肢が動く限り、目玉が動く限りは剣を揮う。幾度もなく立ち向かうその姿勢――相手が勝てないとわかっていても立ち向かうのはまさしく狂気。狂気の少年である。幼少の頃より培ってきた感覚を呼び覚まし、相手を敵イコール食料と見なす。仕留めるのは必ずと言っていいほどに首だった。
その執拗性を見切った腕なしは一番『罪人の子』が隙を見せる胴体に着目した。そこを狙うかのように、腹に向かって巨腕を揮う。当たれば外傷はなくとも中身がぐちゃぐちゃ必至。
殴る拳は――また断切の刃が防ぐ。しかし、今度は飛ばされないということを学習したのか、その刃で拳に喰らいついた。
――離れない?
減り込む刃。その直後、腕なしは絶叫する。
辺り一帯が、おそらく山道で怪我の手当てをしている者たちにまで届きそうなほどの断末魔。目を大きく見開き、揮っていたはずの拳からは血管が浮き立つように蠢いていた。
違う。
あれは血管ではない。仕込んだ刃が腕なしの拳――腕の中へと侵入してきているのだ。ただ普通に怪我をするよりも苦痛を与えるしかない、それに腕なしは――。
「クソ野郎がっ!!」
空いているもう片方の拳で殴ろうとする。こちら側も断切の刃が受け止めるも、中へと侵入してくる。身体、精神的苦痛。ただ叫ぶしかない。『罪人の子』から逃げたくても逃げることができない。体が動かない。言うことを利いてくれない。
――離れろ、離れてくれ、放してくれっ!!
なぜに動けないのか。それどころか、その刃は他からも侵入し始めていた。辺りにいる者たちに向けて放ったとされる近くにある刃は腕なしの方へとゆっくり進攻してきていたのである。つまりは足。地面に突き刺さったそれは地中よりやって来ている。もちろん、ターゲットにされていたケイたちだって例外ではない。その断切の刃の餌食として見なされるに決まっている。動けそうにない彼に変わり、アイリとヴィンが担いで逃げ始める。あんな物が体の中へと入ってくるなんてひとたまりもないのだから。
「ひ、ひぃ!?」
この惨劇に恐れを抱く村長は己も助かるがために逃げ出そうとするが、断切の刃は逃がさない。それは彼の体内へ侵入するのではなく、足首を取って逆さま状態で吊り上げた。捲れ上がったシャツからは痛々しい傷痕が見えていた。
『罪人の子』は苦しみもがく腕なしを放置して、そちらへと近付いた。
「は、放せっ! このようなことをして許されるとでも思うのかっ!」
村長を見る『罪人の子』の表情は無情である。ただそこの罠に引っかかった小動物とでしか見ていない。薄い青色の目がこちらを見ていた。
ああ、汚らわしき『罪人』の血が流れる子よ。己が抱く思いは何か。復讐か。
その姿を見るだけでも思い出す『罪人』の姿。なぜか――数年ぶりに見た『罪人の子』の姿は母親よりも父親にそっくりだったのだから。
「…………」
【村長、俺の奥さんですっ!】
幼い頃に両親を亡くし、息子同然のようにして育ててきた『罪人』よ。なぜに村を――国を裏切った? 何が心を奮わせた?
【なぜ、このようなことを!?】
【村長、キイ教はすばらしい物ですよ!】
『罪人』のせいで多くの村人を亡くし、己が判断で裁いた。残されたのは異国、黒の皇国より妻として村に迎え入れられた一人の女性と腹の中にいる赤ん坊。二人を王国軍に渡せばどうなるのか。まず、彼女は無事で済むはずはない。内通者として、この村で匿っていたと思われると厄介だった。だから、彼らを慟哭山に残した。山から下りるな、故郷へ逃げようとするな。そのためにも『あのときまで』は見張りを立てて置いていた。そして、彼女が『何者か』に殺害された後、誰もが口を利こうとしなくとも残された『罪人の子』はなぜか言葉を覚え出した。誰が教えたのか。それはわからないが、決して村人の誰かではないようだった。それでも口が利ける分は楽とは言えた。
だが、そうであろうとも所詮は子ども。ちゃんとした躾をしなければ、言いつけを破るような子どもだった。
「あんたを断ち切っていたはずが、断ち切れていなかったんだなぁ」
それでも『罪人の子』は『罪人の子』でしかなかった。
逃してしまったとき、どうしてあの若夫婦のもとで泳がせようと考えていたのか。彼らが何も知らなかったから? それだから、一時的に預けようと? もしも、村を出るようなことがあれば? もちろん殺すと決めていた。『罪人』の件があったから。その血はこちらが早々に断ち切っておかなければいけなかったのだ。何が子どもに罪はないだ。見てみろ、その目を。冷たい視線を。
生かしていたのは『恨み』に隠された小さな『同情心』であり、それが仇となったのだ。
「――その目……父親にそっくりだな……」
「ああ、俺に仕向けられた敵意は断ち切らなきゃ」
断切の剣を上に掲げる。狙いは村長の首。
「お前もキイ教に魅入られた者――」
吊り下げられた首なし。地面には赤色の水たまりと首が転がる。もうこの村はお終いだ。
首なし死体を持ち上げていた刃は力なく地面へと落とす。『罪人の子』――キリの目に村長は映っていない。そんな道端に転がるつまらない物を一々拾う気などなれない。次なる狙いは――。
「てめぇ……!」
断切の刃はまるで血管のようにして腕なしの体という体中に這っていた。
さあ、終わらせよう。眼前にいる巨大な邪魔者を。我が行く道を邪魔するならば、断ち切ろう。
腕なしのもとへと歩み寄る。その手には禍々しき邪心溢れる光を帯びた断切の剣。
――汝、あるべき姿に戻れよ、戻れ。我が疑う余地なしにその胸奥に秘めし想思は汝と同等の心であるだろう。
「ダメぇええええええええ!!」
身を挺して腕なしの前にハイネが――斬られてしまった。誰よりも鮮やかな血が舞い散る。崩れ落ちいく理想を願う彼女は何を思うか。以前に恋焦がれていた少年は今のその姿を見て何を思うか。
――どうでもいい。
何も思わない。目の前にいる者はすべて邪魔者だと認識しているのだから。そう、それはたとえ愛を誓った一人の少女であろうとも、今はただの敵としか捉えていない。
ああ、神よ。これがただの夢であって欲しい。早く悪夢から覚めてやりたいことをやろう。美味しいご飯を作ろう。食べる人が笑顔になれるような、そんなご飯を作って一緒に食べたいなぁ。それが幸せ。小さな、細やかな幸せ。手を握ろう。その人の手の温かさを感じよう。掴みたいその手はどこにあるのかしら。ああ、見つけないと。
【兄貴はきっと、迷子だ……】
小さい頃、一週間だけハイチが帰ってこなかったときがあった。何も言わず、どこへ行ったのかもわからずに、それがすごく寂しくて、悲しくて、もう二度と会えなくなるのではと思った。それでも帰ってくるよってセロに言われて――。
おそらくハイチはまだあのときから帰ってきていないのだ。家の帰り道がわからずに、一人どこかで彷徨っているのだ。こんなに近くにいるのに、それを教えてあげたいのに教えてあげられないもどかしさ。
――こっちだよって教えてあげたい。ねえ、こっちを見て。一緒にお家に帰ろう……。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?」
どうして、叫ぶんだろう。どうして、こんなに胸が苦しいんだろう。自分が動けないから? 違う、ハイネが殺されたから。まだ残っていた人の心。まだ残っていた人の涙。捨てたはずがまだ残っていた。
ハイネが想い寄せていた少年の彼女を見る目はただの道に落ちている石ころ同然だった。それが気に食わない、それが腹立つ。そうだ、いつだってこいつはムカつくんだ。ハイネの気持ちも知らずして、勝手に傷付けて――。
【もうハイネと関わらないでくれ】
――忠告したはずだ。それを忘れたとは言わせない。筆記試験トップのお前が――記憶力がきちんとあるお前ならば、覚えているはずだよなぁ?
許せない。
動けなくとも、完全にハイチの憎悪の目はキリに向けられた。その目を向けられて――。
――煩わしい。
その一言を心の中に仕舞い込む。その目でこちらを見るな。その目で――。
「取ってやる」
爪先が抉る。動けない彼の目玉を。握り潰す。取ったその目玉を。
――嫌いだ、嫌い。その目が嫌い。
空洞と化した腕なしの体より、断切の刃が飛び出てくる。
――異形生命体と断切の刃。
ああ、何もできない自分を恨む。愛しい妹を最後にこの手で抱けないのか。なんたる非力か。人を捨ててまで手に入れたこの力を持ってもこの狂気の少年に勝ち目はないのか。これぞ数多の世界改変者を葬ってきた過去の歯車の力。幾度もなく覚えているその死への恐怖。ああ、恐ろしや。恐ろしい。ここまで変貌を遂げるとは思わなんだ。ここまでの力を残しているとは思わなんだ。
――ごめんよ、ハイネ。ごめんよ、先生。セロ……俺はお前たちを捨てても捨てきれなかった愚か者だ。
今更ながら悔やむ。なぜにヒノを殺してしまったのか、と。なぜに愛する者を幸せにしてあげられなかったかと。願っていても叶うはずないのに。
「……ぃ、ね……」
死体と血の惨状を黙って見るしかない三人は唖然としていた。見たこともないキリに為す術もない。おそらく、自分たちが声をかけても無意味だろう。あの死体の山の一部となるのがオチだ。
誰か狂気の少年を止めてくれる者はおらぬのか。
何を思ったのか、アイリはコンパスの剣を手にして行こうとする。それをケイが呼び止める。
「わからないのに、止めに行くのか?」
「でも、キリを落ち着かせなきゃ」
そう、このまま放っておけば――他の犠牲者が出るだけだ。それならば、元々キリに過去の歯車を渡した自分にも非がある。
復讐は終わったから残りは後始末だけだ。
【世界改変者を闇に葬れば、体は朽ちるだろう】
この体、どこまで持つだろうか。
アイリが動こうとしたとき、キリの足下で転がっていたハイネが動いた気がした。それに動きは止まる。
ハイネは起き上がった。その姿に瞠目する。彼女は斬られたはずだ、ばっさりと。見てみろ、あの血の量は――明らかに。どうして生きている!?
「……人が神を殺せるか?」
血塗れのハイネはその血濡れた手を前に出し、己の血で歯車の剣と同様の剣を作り上げた。彼女の様子がおかしい。ただの液体である血で剣を作り上げることができるのか?
「否、それはできぬ。神は死なぬから」
動けるはずもない重傷を負っているのに、ハイネは動いた。二人の剣がぶつかり合う。
ふと、アイリはライアンの言葉を思い出す。
【番人を拵えた】
まさか、とは疑った。ハイネこそが世界改変者の番人!?
結局わからず仕舞いだった。番人とはなんなのか。世界改変者を守る者のことか? そうだとするならば――ハイチはまだ死んでいない! 生きているらしい。
その場で硬直していると、キリに興味が失せたのか。ハイネこと『番人』は彼女のもとへとやって来て拝み打ちする。それを慌ててコンパスの剣で防ぐもそのまま地面へと転がった。どこまでも追いかけてくるのは世界改変者と変わりないらしい。へぇ、血って金属音がするんだとでも言うように、高音がその場に響く。
一方でキリは新たな標的を見つけた。そう、動くに動けないケイとヴィン。薄くて青色の冷たい視線が彼らを捉えていた。
ケイはヴィンを押して、前に立ちはだかった。
「ヴィン! お前だけでも逃げろっ!」
「そんなっ!」
「足手まといの俺はこいつを止める。いいから、援軍呼んでこいっ!」
ヴィンは迷ったが、言う通りにした。なぜなら、自分も戦ったところで今のキリに勝ち目はないとわかっているから。
「私が戻ってくるまで――」
行こうとするヴィンにセロが「貸せ」と鉈を取った。彼はケイのもとへとやって来る。
「俺が相手する。二人で行け」
「しゅ、首席……」
いたことに気付かなかった。だが、心強いとは思う。それに伴って、二人は増援要請のため、その場を離脱した。
手入れのなっていない代物だな、と怪訝そうな表情を見せながらもセロは鉈を構えた。キリは断切の刃の鎧を身にまとい、禍々しい光を帯びた剣を手にしていた。その剣と鉈――勝ち目は低い。だが、やるしかない。自分が時間稼ぎをするしかない。この訳のわからない状況を知るためには。
【次席と戦力外の戦いだろ?】
――ちょうどいい、ずっと前から気になっていたことがあるんだ。
「なぜにお前がハイチと勝負を持ち込むことができたのかっ!!」
◆
反政府軍団制圧作戦のため、信者の町に行く前に一度だけハイネに訊いたことがあった。戦いは得意なのか、と。彼女は答えた。学校では言うほどに実技の成績はよくない、と。アイリ自身もそうだから親近感はあった。自分の場合は体力配分を考えずに動くことが多いから実技では誰よりも体を投げ出す勢いでくたばっていた。
【こればかりは個人差があるから仕方ないよ】
それだから初任務の際、ハイネは法律相談所で情報収集を。自分はそこまで得意とは言えないのであるが、電子学や機械学を得意とするハイチと共にシステムへのハッキングを担当した。
――得意って何?
現状は苦戦を強いられていた。どこぞのおとぎ話が混じった夢でも見ているのではないのかとでも言うように。ハイネ――番人は自らの血で剣を仕立て上げ、それを使いこなしているのだ。息切れなど起こしていない、鮮やかな剣捌き。己の実力不足を恨むほど。
「うっ!?」
多大な出血を起こしているのに、どうしてそこまで動けるのか。地面には血に濡れており、アイリの服などにも引っついてくる。これはまさかと思う。キリが使っていた断切の刃と同じ力だったならば、どうしよう、と。
【人が神を殺せるか?】
先ほどの発言が引っかかる。あの言い方だと、ハイチは『神』であると断言しているのも同然である。
――でも、あいつは『神』じゃない!!
ただの世界改変者である。己を『神』と名乗るまでに偉くなったのか。そんなオメデタ頭に是非とも祝福の詩でも詠ってやりたい気分だ。
「……クソっ!」
歯噛みをして間合いを取ろうとするアイリをよそに番人は距離を詰めてくる。
準備はいいか、下等であるお前たちの御前に在らせられるのは祈り誇り高き世界の支配者であるぞ。図が高い。その小汚い地面に頭を擦りつけろ。顔など上げるな、その面汚しが高貴崇拝者に見せるな。汚らわしい。さあさあ、運命のときは来たれり。お前たちがのんびりとしている間にも彼は戦うために存在していた。生き続けていた。生きたいと願い続けていたのだぞ。それを愚弄する気か。答えてみよ、世界とは誰のためにあるものか。
決まっている。
「世界は神のために存在する者。そのために、人は神の前にひれ伏せよ!」
「あんなのが神だって……ここがおかしいんじゃないの?」
アイリがまずやるべきことは番人を止めること。自分の兄の命を狙うから、その報復をと願うのはわからなくもない。だが、その前に彼女は生命の危機的状況なのである。出血が止まらないようだ。
コンパスの剣を赤と黒に分け、黒の剣の方で血の剣を受け止める。そのまま、赤の剣を持った手の方で――腕で番人の脇腹を叩く。
「あれが神なら、この世はオシマイね」
隙をつかれて、番人は動きを止めようとしない。不意打ち攻撃を食らってもこちら、世界改変者にとっての最大の敵であるアイリ――名なしに攻撃は止めない。
「…………」
いや、番人の相手は『今の』名なしでよかったのかもしれない。『今の』キリは危険だ。『前の』名なしも危険だ。
己が欲のためにしか動かない者どもよ、それだからこそこの世は不釣り合いなのだ。イレギュラーが存在する限り、この世界に安寧は訪れないだろう。
血の剣を両剣で受け止めた。
アイリはキリみたいにして剣を変形させたりすることはできない。かろうじてコンパスの剣を二つに分裂することぐらいだ。それはなぜか、彼女は未来のコンパスの『所有者』ではないから。故に無個性的にしか戦えない。自身の感覚頼りで戦うしかないのだ。
これまでの戦闘経験感覚を思い出し、強引に剣を払う。耳元が鳥肌立つほどのうるさい金属音が響いた。
人の力を超越しろ、何のために戦う?
番人は弾かれた血の剣に勢いをつけて、真上から振り下ろす。アイリは慌てて後ろの方へと飛ぶ。彼女が先ほどまでいた場所が血濡れる。
「私は神の番人、名なしを倒すがために生まれし存在」
「……先輩!」
今までの言葉はなかったとでも言うようにして、猛攻撃を仕掛けてくる。それをアイリは避けていく。何か打開策を考えないと、嫌な予感しかしないのだ。
そう、その嫌な予感とは時間をおいてではなく、すぐにやって来た。地面にこぼれていた血が動き始める。それに気付いたのは囲まれたとき。周りに巨大な円が出来上がる。
――ヤバッ!
その場から急いで逃げ出す。逃げろ、危険だ。
血の円から抜け出した瞬間――血があった場所から赤色の岩が突き出てきてドーム状にそこを閉じ込めてしまう。その拍子に片靴が脱げてしまった。もし、あの場所に取り残されていたならば、どうなっていたか。
それはすぐにわかった。赤色の岩のドームは引いていく。中に取り込まれていた靴はズタズタになっていた。土と血塗れに穴の空いた物。
嫌というほどに知らされた番人の業。まだまだ止むことを知らない。
番人の牢獄から必死に逃げる先には――。
「いっ!?」
狂気の少年と戦っていたセロとぶつかってしまう。
「ハルマチっ! あぶっ!」
眼前にいるキリが迫ってきている。アイリを小脇に抱えて断切の剣から避けた。その直後に番人の牢獄が展開される。
中へと誘われたのは――キリ。
初めてそれを見てセロは唖然としている。牢獄の展開はすぐに解かれた。その場に立つ狂気の少年の体は穴だらけ。その光景があまりにも強烈的にきたのか、二人は頭がクラクラとしていた。
傷は修復されいく。
「……名なしより、先に名なしの番人であるあなたを倒します」
標的は変えられた。
キリはそれでも厭わない様子でいた。無表情の二人は剣をぶつけ合う。不穏な風がセロたちに襲いかかる。
「ぐっ!?」
「のわっ!」
その衝撃により、セロが尻餅をついた。アイリはそのまま地面に体を強打させる。
「す、すまない」
「いえ……」
再戦だった。双方とも相手の首狙いである。二人は彼らを止められなかったようだ。
「ふ、二人を止めないと」
「だが、あいつら止めるのは――」
キリを止めるのにでさえも、苦労をしても不可能だったらしい。よくよく見れば、全身が傷だらけである。痛々しい。
「デベッガって、あの危ない武器じゃなくても――」
禍々しい剣を持たなくとも、強いと確信をしているらしい。キリは刃の鎧を使用することなく、ほとんどが剣技のみで首席であるセロと渡ってきたらしい。
◇
セロが攻撃をするのではなく、キリが攻撃を仕掛けてくる。その剣筋は見え見えで、いとも簡単に防御できたが、次への行動が素早かった。一撃、二撃、三撃、と回数を上げる度に速度も威力も増してくる。彼が的確に狙ってくるのは首と手足。先に動きを止めさせようとする魂胆か。
【戦力外】
どうしてそのようなことを言われているのか不思議なくらい目を疑う動きをしていた。凄まじい金属音が鳴り響く最中、セロはそのようなことを考えていた。
キリが戦力外と呼ばれていた理由がわからない。ここまでの実力を持っているのに。
「はあっ!」
いや、ここにきて、固定概念に捉われない方がいい。一年以上も前からおかしなことが起き始めているから。常識で動くな、すべては偏見的な視覚から捉えろ。
防御だけではいけない、こちらも攻撃を示さなければ。セロは鉈を一閃させる。なんともまあ、軽々しく避けてから。回避後、すぐに隙のある腹へと斬り込もうとした。負けじと彼も体を捻る。
ここまで喰らいついてくるとは思わなかった。むしろ、セロが焦りを見せている。バックステップで連撃を回避。踏込薙ぎ払い。剣身に絡ませて弾く。キリの手から断切の剣が離れる。
今がチャンス、踏み込んで行け。セロは峰で腹へと叩き込んだ。瞬時に妙な気配がしたため、その延長線上として向けようと視線もそちらへとやると――。
真っ直ぐにこちらへと降り注いでくる断切の剣――否、複数の刃。
かすり傷を負いながらも、その場を逃げるようにして避け、地面に突き刺さって行く刃。その直後、アイリとぶつかり――現在に至るのだ。
◇
二人を止められないならば、どうすればいいのか。彼らは剣戟に巻き込まれないよう、逃げるしかなかった。耐えろ。さすれば、ケイたちが王国軍をこちらの方へと導いてくれるはずだ。飛び火に逃げていると、セロの目に断切の刃に貫かれたハイチの姿が映る。僅かながら、ピクリと指先が動いた気がしたその瞬間――。
周りを破壊せんばかりに暴れていた狂気の少年と番人に向かって砲撃音が轟く。音に反応するかのようにして、彼らの動きは止まった。
再び、爆音が鳴る。周りに立ち込める炎の煙から出現したのは灰色の刃。それには見覚えのある黒いロープがついていた。一直線上にいくつものロープの刃が剣を手にしている二人へと体を貫く。刃は地面へと突き刺さった。
この状況を見て、アイリは『彼』が来たと確信した。砲音の方を見る。風が吹いて、黒煙は晴れる。炎の灯の光により黒色の砲口が朱色に見えた。
奥の方にはケイとヴィンが。そんな彼らの前に仁王立ちするのはラトウィッジであった。
「彼らを捕えよっ!!」
なんとか間に合った。そう、セロが胸をなで下ろそうとするも――。
「邪魔者を断ち切らなきゃ!!」
貫かれてしまった体がどうした。この四肢が動く限り、後ろから追ってくる者がいる限りは断ち切らなければならないのだ。その己の信念に従い、全く動けない番人へ向かって――。
否、黒い鎧から赤い鎧へと変えた世界改変者――ハイチが番人の前に出た。断切の剣は止まらない。彼のその姿を見て、番人――ハイネは目の色を変えると足から崩れ始めた。
狂気の少年が仕向けてきた刃はハイチの胸へ貫く。
「……お前も可哀想なやつだな」
ピクリとキリの眉が動く。可哀想? 誰が?
そんなことを考える隙も与えさせないとして、ラトウィッジは次々に撃つように指示をしていく。焦点は彼ら二人に向けられた。目の前にいる者を断ち切らなければいけないはずなのに、体が動かない。刃が刺さってくるのを大人しく己自身の体で受け止めるしかない。
こちらを見てくるハイチの目はない。空洞だった。しかし、彼は決して自分のことを恨むような目付きで見てはいない。
他の視線にも気付いた。アイリとセロたちが不安げな目で見ている。斜面の向こう側にもいるラトウィッジたちもだ。なんなのだろうか、この気持ちは。
覚えているさ。己がしでかしたことを。それがさも許されるという妄想を抱きながら。
――なんでこうなったんだろ。
ハイチの胸に突き刺さっている断絶の剣は軋む。彼の後ろで倒れているハイネを見た。音は鳴り続ける。近くで首なし死体を見た。ハイチが体を痙攣させる。
刃の砲撃は止む。
――なんで?
体を穴だらけにしてハイチを見た。彼はもうこちらに何も言葉をかけてくれない。空洞の目をこちらに向けたまま――死んでいた。
剣から手を離す。途端に疼き出す断切の剣。はがれ落ちるは刃の鎧。どちらとも禍々しくも邪心あふれる光は失われていた。
――俺が? なんで? 何のために? 断ち切るため? 何から断ち切ろうとしたの? わからない。わからない。わからない。わからない、何もかも――。
頭を抱え出すキリにアイリは胸騒ぎを覚える。彼のもとへと行きたい。しかし、それはセロによって止められた。何かあやしいと思っているのか、怪訝そうに見ていた。何よりラトウィッジたちが砲口を彼らに向けているのである。
「……いや、だ……」
自分自身がした行動はきちんと記憶にある。それが嫌だった。理解したくなかった。なぜ、自分の記憶が頭の中にあるのだろうかと思うようになる。悔やんでも、泣いても、怒っても――何をしても、感情を露わにしても記憶という物は覚えなければならない。それは過去がどうであれ、結果がどうであれ。
「なんで?」
その場に跪くキリ。斜面上にいる者たちを含めてセロたちは警戒し出す。蠢く剣と鎧は疲れ知らずに笑っている。
【お前も可哀想なやつだな】
ハイチの言葉が深く突き刺さる。それは自分の記憶を持っているから? それだから、可哀想だと言われたのか。ああ、それならば要らない。そんな風に思われているくらいならば要らない。自分の記憶なんて一切要らない。
――俺の記憶なんて、消えてなくなればいいのにっ!!
肥大化する断切の剣――刃。その場の地面も山も砲撃音以上の音を騒ぎ立てて抉るようにして消し去り出す。それはほんの一瞬の出来事。断切の刃は消えて、その場に倒れているキリとハイチの間に過去の歯車が転がっていた。
二人の表情はとても可哀想に見えていた。




