最悪
次々と助けを求めるようにして、山道の方にやって来るのは鬼哭の村の人々たちである。横転した車を背景に怪我で苦しむ者たちの応急手当てをしていくハイネとワイアット。そこに村の女性を連れたセロも交わっていた。
キリとアイリの行方を知りたいのではあるが、怪我人が多くて彼らを捜し出しに行くことは不可能だった。ただ、二人が無事であるかどうかを祈る他ない。
何より、とセロはハイネから治療を受けて、道路の脇に座り込む女性の方を見た。意識は取り戻してはいるようではある。
【可能性なら】
あのとき、そう言った。村を炎に包み込んだのは、反政府軍団でもないし、コインストでもない犯人だ、と。何か知っているはずだ。セロは改めて訊くことにした。
「話を訊いてもいいか? 俺はヴェフェハルと言う」
「は、はい。わ、私はザイツと言います」
ザイツ? ということはヴィンの親類か。年も同世代のように見える。面立ちも彼に似ているようだ。
ザイツと名乗った女性は不安そうにセロを見ていた。その視線に彼は犯人について問い質す。
「ザイツさんは村をあんな風にしたやつを知っているみたいだけど、誰がしたかわかるのか?」
「えっと……」
「反政府軍団か?」
「ち、違うと思い、ます」
自信なさげなその視線は治療を受けている男性たちの方に向けられた。まさか、彼らではなさそうだ。明らかに何かしら知っているようではあるが、それを口に割ろうとはしていないだけに見える。
「それじゃあ、誰がしたんだ?」
「えっと、それは……」
また男性たちの方を見た。なんなのだ、彼らに訊いた方が早いとでも? 思わずセロも男性たちを見た。彼らの視線は鋭く、威圧感がある。主にそれは自分ではなく、ザイツと名乗った女性に向けられていた。まるで何も言うなとでも言うようにして。
「彼らか?」
セロは小さく、男性たちに聞こえない音量で訊ねた。だが、それを即座に否定するようにして、首を横に振った。
「違います」
「じゃあ、誰なんだ?」
「…………」
いくら訊ねようとも答えてくれない。曖昧なことしか教えてくれない。
「黙っていたらわからないんだぞ?」
「そ、そんなことを訊くよりも、まだ村の人たちが中に……」
あくまでその話をしようとはしないらしい。そして、人質を取ってきた。これは事情聴取よりも人命の優先に当たらなければならなくなってしまったではないか。それにセロは眉間にしわを寄せると――「わかったよ」そう、立ち上がる。燃え盛る炎に包まれている村の方へと足を動かそうとした。あの話を聞いた以上は無視できないから。
「まだ人がいるのなら」
「せ、セロ?」
また村の方へ行く気か、とハイネが不安そうに見つめていた。
「まだ中にいるらしい。軍が到着するのにも時間がかかり過ぎる」
セロはそう納得させた。いや、これは自分自身に対しても強引に納得させている言い訳なのかもしれない。ワイアットを呼び寄せた。後は彼に任せるつもりらしい。
「……フォスレター、あの子が何か事情を知っているようだ。訊き出してくれ」
「はい」
そのままセロは村の方へと走っていった。残ったワイアットはザイツと名乗った女性に事情を訊こうとするも、周りがざわつき始めていることに気付いた。何があったのか、そう見渡していると――。
「なんだ、あれ!?」
一人の村人が上空を指差した。その指の先を見て、誰もが驚愕する。黒き鎧を身に包んだ者。人とは言いがたい者。三人が追い求めていたあの人物が姿を現す。彼はこちらを見向きもせずして村の方へと行ってしまった。遠くからでもわかったおぞましい雰囲気。もちろん、その姿はハイネの目にも映り込んでいた。
「ハイチ!?」
ハイネは声を荒げると、村の方へと走っていってしまった。ワイアットは彼女の後を追おうとしたが、ここには怪我人が大勢いる。放置しておけない。ああ、早く王国軍が来てくれないものか。あの黒い者のことをハイチと呼んでいたのだから。
誰昔山道で遭遇したハイチを思い出す。腕と肩から生やした羽が黒いだけだったのに、あれは全身に回り込んでいるではないか。ここまでの間に何があったというのだ。二人は黒の皇国の首都近郊の町で会ったと言っていたのだが――。
「……あれ、もしかして……『罪人の子』か?」
誰かがぼそりと呟いた。すかさず、ワイアットはその声の方を見る。先ほどザイツと名乗った女性に妙なプレッシャーをかけていた男性だった。慌てたようにして、彼は口を塞いでいる。
歯痒い気持ちを押さえつけ、ワイアットは伏し目なザイツと名乗った女性の方を見た。セロが言っていた、彼女は何かを知っていると。いや、これはもう鬼哭の村人たちが知っている話なのかもしれない。それを今から自分は問い質さなければならない。誰が仕組んだことなのかを。
「誰がやったのか、教えていただけませんか?」
そう設問をしても村人たちは答えようとしない。誰もこちらに視線を合わせようとしていなかった。それでもワイアットは挫けない。折れるわけにはいかない。なぜなら、彼は『しつこい』から。
「答えてください。誰ですか? 『罪人の子』って誰のことを差しているんですか?」
まさか、ハイチなわけあるまい。だが、もしも? もしもを考えるならば、戸惑いは隠せない。ありえないと思いつつも、もしかしたらという疑心が心の隅っこにあった。
ワイアットは肩に手を置き「教えてください」と懇願する。ザイツと名乗った女性は困惑していた。基本的に俯いて困ったような顔をしているが、時折こちらの方の様子を窺ったり、男性たちの方を見たりしている。もちろん、彼はその視線の先を逃さない。
「黙っていたら、何も解決しませんよ? あれですか、僕が頼りないからですか!?」
子どもに見られているからなのだろうか。すごく腹立たしい思いになる。村の人たちは何も答えてくれないから。ええい、何も割らないというならば――。
「僕はワイアット・エヴァン・フォスレター! 貴様ら、貴族であるフォスレター家に図が高い! 王国に忠誠を誓うのであれば白状せよ! さもなくば、反逆者として見なす!!」
正直、貴族という身分は持ち合わせていない。本当はフォスレター家の名を名乗る資格などない。だが、悠長していられない。訊くしかないのだから。明らかに隠された何かを吐き出させなければならないのだから。ワイアットのその発言は最終手段と言っても過言ではなかった。こうでもしなければ、彼らはきっと口にしてくれないだろうと思って。
「さあ、答えよ!」
静寂が訪れる最中、誰かが小さな声で言った。それは諦めたような声音である。
「きっと、あれは『罪人の子』の仕業だよ」
その言葉に村人たちが反応をする。
「お前っ、それは言うなって」
「だって、もう隠しきれねぇよ。どうせ来るんだろ? 王国軍が」
「だからと言って……」
「どうせ一人だし、あいつが軍に捕まったら……後はわかるだろ? 今までのことだって――」
それ以上は言わせないつもりか、一人の村人に対してみんなが口を塞いでくる。そうしない者はワイアットに対して「何でもないです」と必死に何かを隠そうとする。
「この村で起きたことは自分たちでけじめをつけなければいけない。そう決めているんだから。どうか、何も聞かなかったことにしていただけませんか?」
「いえ、そういうわけにはいきません。僕たちもこの場に居合わせたとして、王国軍に聴取されます。特にヴェフェハルさんはあなたから犯人の可能性を訊き出しているようですし」
「ナオミ! なんで言ったんだっ!!」
今度は怒りの矛先をザイツと名乗った女性――ナオミにぶつけ出す村人たち。ああ、なんて醜いものかとワイアットはそう見えていた。
「止めてくださいよっ!」
ナオミを庇った。見ていられないと思ったから。
「確かに、誰かが言ったように自分たちでけじめをつけなければならないことだってあります。でも、事は一刻も争う状況なんですよ? ここの掟かなんだか知りませんが、言わないと、情報を提供しないと、軍は動いてくれませんよ?」
「……動かなくったっていいんだよ」
ワイアットを捉える目は明らかに冷たいものだった。自分が部外者だからだろうか。それもあるが、何を頑なに話したがらないのだろうか。
「俺たちは動いて欲しくないから、黙っているんだよ!」
「そうだ、そうだ! ここから出ていけ!」
「待ってください! まだ消火活動だって終わっていないのに――」
「構うものか。以前の侵攻のときなんて、俺たちだけで再興したんだからな!」
村人たちの暴動に抑えきれないワイアットがどうしたものかと追いやられていると、ようやく労働者の町の方から王国軍の装甲車らがやって来た。車から降りてきたのは数名の王国軍。彼らを見て村人たちの声は収まる。まるで先ほどの感情なんて最初からなかったかのような面持ちなのだ。
それを見て、ワイアットは更に不審に思った。
「報告を受けて参りました! 怪我人の方はこちらの方で診ますので動けない方は挙手をお願いします!」
王国軍人たちが医療道具を片手に応急手当てした彼らの再治療を行っていく。そんな彼らを見ていたワイアットのもとにラトウィッジが歩み寄ってきた。
「こちらの方に来ていたのか」
「叔父さん……」
「先ほど、彼らと揉め合っていたようだが、どうかしたのか?」
どうやらあのやり取りを見ていたらしい。ワイアットは素直にセロから聞いたことや村人たちの暴動寸前に至るまでを話した。その話を聞いたラトウィッジはナオミを連れて車両内で聴取をすることに。
「彼から聞いた。きみは今件の犯人を知っているのか?」
「…………」
ナオミはだんまりを決め込むつもりらしい。何も言わない。それならば、とラトウィッジは腕を組んで伏し目がちの彼女に向かってこう言い放った。
「犯人の名前を答えないというのであれば、それはきみがやったか犯人と共犯してやったことに値するぞ」
はっと目が覚めたように、ナオミは「違います!」と顔を上げた。二人と目が合って、すぐに視線を逸らしてしまう。
「私じゃありません」
「じゃあ、答えるべきだ。このまま、黙っていてもしょうがない」
「…………」
「我々は手荒な真似をしたくはない。いいから話してくれ」
言わないと決めていたようだが、二人の――特にラトウィッジの威圧感に耐えられなくて――。
「か、確信はありません。が、可能性として『罪人の子』の仕業だと思います……」
目線を合わせようとはしなかったが、そう白状した。
先ほどから出てくる『罪人の子』、とは一体何のことなのか。誰のことなのか。それも問い詰めていく。
「村長から昔、聞きました。『罪人の子』は罪人の間に生まれた子どもだって。生まれながらの罪人だって」
「その罪人とやらの名前は? 子の名は?」
「それは知りませんが、村も国も裏切った男です。……ずっと前に黒の皇国と灰の帝国の戦い、ありましたよね?」
それに二人は頷く。
「その戦いで帝国の領土を占拠した皇国軍が基地や見回り軍の隙をついて侵攻したのも知っていますよね?」
「十数年前の侵攻戦か」
「それです。それには『内通者』がいたんです。それが、罪人なんです」
初耳だとでも言うようにして、ラトウィッジは唸り声を上げた。報告も参戦もした侵攻戦。まさか、そこに内通者がいたとなると、歴史は大きく変わってくる。誰もが黒の皇国軍が突如として責め込んできたとしか知らないし、その村に裏切り者がいたなんて。
「それはその男だけか? その男は今どうしている?」
「すべて一人です。罪人は裏切り者らしく、皇国軍人たちに見捨てられた『らしい』です」
「詳しくは村長が知っているか?」
「そうだと思います」
そうと決まれば、行かねばならぬ。ラトウィッジは立ち上がり、後のことをワイアットに任せると言った。だが――。
「叔父さん」
「なんだ」
「非常に言いにくいのですが、こちらにおに――キンバーさんが現れているみたいです」
ワイアットの発言に目を大きく見開いた。あの場に甥が一人だけ残っていたのは、ハイネたちが村の中へハイチを捜しに行ったからなのか。それならば、突撃する準備の体制を変えなくては。救助も必要であるが、捕獲も必要になる。
【お兄ちゃんとお話をさせていただけませんか?】
家族を想う気持ちは痛いほどにわかる。話ができる体制も整えてあげなければ。
「ワイアット、後のことは頼んだぞっ!」
「了解!」
ワイアットはラトウィッジに敬礼をして見送った。
◆
キリが傍にいないと不安になる。好きとか嫌いとかの次元ではない。寂しいとかの話ではない。単純に何かよからぬことが起こりそうな気がしているだけの話。
「どこ行ったの?」
周りを見渡しても、走ってみても何も変わりない。アイリの目に映るのは黒焦げになった材木。火が失せることのない畑の炎。
走っても、走っても誰とも遭遇しないのが怖いなと思っていると――。
「あのクソガキを探し出せっ!!」
手には農具やら材木を持った村人たちが目を血走らせながら奔走している姿が見えた。何事かと片眉を上げて傍観していると、一人の老人がこちらに気付いたのか――。
「おいっ!」
突如として散り散りになろうとする村人たちを呼び寄せた。彼らはこちらを見て何かを話しあっているようである。なんだか嫌な予感がする、とアイリは後ろの方へとにじり寄りながら警戒し出す。徐々に集まり出した殺意の塊ども。
「『亡霊』を倒せっ!!」
一人の老人がそう怒声を張り上げる。それは猛然と燃え盛る炎の音よりも、家の支柱が崩れ落ちる音よりも大きくはっきりと聞こえていた。
一斉に攻撃が加わってくる。アイリは慌ててコンパスの剣で防いで、慣れない手付きで捌いた。あまりにも多い頭数に敵うはずもない。
「な、何!? なんなの!?」
「死人が死の地より我が子を守るがためによみがえったか、悪霊めっ!!」
「ンなっ!? 誰が悪霊だっ!」
とんでもない暴言を吐かれてこめかみに青筋を立てる。どこからどう見ても足はちゃんとある。透けてはいない。半透明でもない。なんという失礼極まりのない者たちか。勘違いも甚だしい。
「あたしは悪霊じゃない! それよりも、人捜しているんだけどっ!」
「――っ、やはり子を守るためかっ!」
――つーか、あたしに子どもなんていないし!!
何を言っても幽霊だ、子どもを守る母親だとか言ってくるものだから――これでは埒が明かない。それ以前に、村人たちは自分のことを明らかに誰かと勘違いしている。名前を言ったところでなんとかなるか。否、頭がイカレた連中なんて人の話など聞く耳は持たないだろう。すなわち、これは――逃げたが吉。アイリは村人たちに背を向けて走り出した。
さて、この状況。小汚い空気を吸って逃げきれるか。
◆
危なかった。ケイはヴィンを連れて慟哭山にあった小さな小屋から抜け出す。逃げるように村の方へと走っていた。この前来たときにはあったかとでも言うように、地面の所々には小動物の骨らしき物が散らばっていた。いや、今はそんなことに構っていられない。
まだこの山には火の手が上がっていないからいいものの、ヴィンの家族が気になるケイは山を下りた。そして、彼の家へと向かっていく。初めて感激した光景はもうない。緑あふれる田舎村はどこにもない。赤と黒しか存在しなかった。
ヴィンを見た。ほとんど引きずるようにして連れてきてはいるが、為すがまま走っている。生気はないように見える。
――あいつらの言葉か?
【どっかの誰かさんに消されていた記憶が戻っているのではありませんか?】
あの男たちはキリがヴィンの記憶の改変をしていたことを知っていた。戻っていると言っていた。大人しいのは記憶を取り戻してしまったからなのか。
だとしても、ヴィンは一体何の記憶を取り戻した!?
訊きたいことは山ほどある。だが、人命が優先的でもある。もう少しでヴィンの家に辿り着く。そこで、ナオミと彼の祖母――母親は労働者の町だろうか。彼女たちに安否がわかれば――。
見覚えのあるまだ炎に包まれていない家、ヴィンの家にやって来た。
「おいっ、ヴィン! お前の家に着いたぞ! お姉さんたちのこと確認を――」
しに行くぞ、とケイが声を張り上げた瞬間だった。その家は上から拉げるようにして黒い物体が落ちてくる。二人は唖然と跡形もない家を見た。
その黒い物、とてつもなく禍々しい気配がしていた。周りの熱気があるのに、これほどまでに涼しいと思ったことはこれっきりにして欲しいほど。冷や汗が垂れる。己の本能が危険信号を発信している。
黒い物体は大きく何かを広げている。見覚えのあるシルエット。だが、以前よりもえげつなさがある。そう、それは――彼は――。
「邪魔する者は消してやる」
腕なしである。低い声音で、そう口を開く。
このような場所で遭遇したくなかった。武器など一切持たないのに。これはもう逃げる以外何もしてはならない。死なないように、攻撃すらも当たらないようにして逃げなければならないのだ。
「家が……」
ヴィンの手を引っ張り、踵返して逃げようとするケイと何者かがぶつかった。ここに来て、村人か。そう思って「逃げるぞ!」と手を差し伸べた相手は――。
「いったぁ……。うげっ! 来ているしっ!!」
アイリだった。彼女は急いで立ち上がり、後ろから来る者どもの姿を捉えると、逃げようとするが――。
「待っていたぞぉ!! 名なしぃいいい!!」
三人の前にハイチが立ちはだかる。これにアイリは更に嫌そうな表情をした。後ろからの追手に加えて、最大の敵が目の前にいるとは。
――相手は厳しい。あの二人、何も武器持っていないし。
アイリは腕なしに挑発し出した。正直な話、どちらの追手も厳しいが、ここはこちらが誘導してあげなければ。ケイたちが危険であるから。だとしても、元より自分を狙っている彼は二人を見向きもしようとしないだろうが。
「鬼さん、こちら手の鳴る方へ!」
その発言を機に生死を伴う鬼ごっこが開幕された。腕なしが狙うはただ一つ。名なしの首だけ。それさえあれば、自由は手に入れると信じているのだから。
まさに嵐が過ぎ去ったとでもいうようにして、呆然と立ち尽くす二人のもとに農具や廃材を手にした村人たちが寄ってきた。何事かと思っていると――。
「そ、村長……」
一人の老人――この鬼哭の村の村長が剣幕仕立て上げた形相で唾を飛ばしながら怒声を上げた。
「ザイツの倅よ! あの女と『罪人の子』の首を捕れっ!!」
ヴィンに渡されたのは一本の少し古びた鉈。
「『あの日の夜』、あの女は死んだはずなのに、やつの手を連れてこの村を滅ぼさんとして一度よみがえってきた!」
それはなぜだかわかるか、と村長は言葉を続ける。
「死んだ夫――残された子どもの復讐をするために舞い戻って来たからだ! だからあやつはまた二度もよみがえってきたのだ!」
これは復讐のための哭き叫び。殺された恨みがあるからこそ、悪霊は子どもを利用した。子どもは『罪人』の血を受け継ぐ者――『罪人の子』。断たなければならなかったその血を見逃してしまった。今度はそれを見逃すわけにはいかない。
ヴィンも、もう大人になる。
「今こそ、侵攻戦で死んだお前の父親の仇を取れっ!! やつの父親こそが、『罪人』こそがお前の父親を殺したのだっ!!」
【お前のおじさんだって殺されたのに!?】
式典でのキリの発言をはっきりと覚えている。あの発言は本心か、虚心か。
過去の歯車は事実を改変できる。それはありとあらゆる事実から忘れたい事実に至るまで。すべてを改変できる。付け足すことができる。消すことができる。すり替えることができる。
そう、ヴィンは本当を『知っている』。知っているからこそ、鉈を手にして、黒煙に塗れた村を見渡した。
【未来を生きるための人間】
ヨイチはそう言っていた。未来って何だろう。過去って何だろう。もう訳がわからなくなってくる。この村の者たちは全員が過去に囚われた者たちであふれ返っている。自分も結局はそうなるだけ。なぜ、この村を出ようと考えていたのかを思い出す。
――過去を忘れたかったから。
何も考えられない。だからこそ、今は己の心が指し示す方にいこう。その道に従おう。過去の鎖は取れていなかった。いつでもつながっていたのだ。それにただ、気付かなかったと言うだけの話。
自身の持つ記憶を改ざんさせられてしまった理由はその鎖の先にある。それを辿りたくないと思っても必然的に見えてくるのが――。
【お前たち、どうしてあの山に入った!?】
【あいつはお前たちを騙して殺そうとしていたのだぞ!!】
【『罪人の子』だからできるのだ!! あやつはいつしか復讐に憑りつかれるだろう!!】
【そのときがお前の生命を断たれるときだ!!】
事実を思い出した。あんなに情報を求めて奔走していた自分がばからしい。自分の記憶を書き変えたのはあのときだけじゃない。『最初から』だったのだ。
今こそ断ち切れ、改変者を。断ち切れ、過去の負の産物を。
アイリたちの後を追おうとするヴィンをケイは止めようとした。だが、それは村人たちによって羽交い絞めをされてしまう。
「ヴィン!」
ケイの呼びかけにヴィンは振り向いてくれた。しかし、その目はいつものおちゃらけた彼とはほど遠い。誰だとでも言いたくなるほど。ヴィンの目は復讐者と呼ぶに相応しい色だった。
「ケイ」
それでも声音は変わらない。
「『罪人の子』は……キリ・デベッガだ」
◆
ハイネは空を飛ぶ黒い影を追いかけていた。間違いなかった。あれこそ、ハイチ。待ち望んでいた人物。会って話がしたい。もう一度、お話をしたい。
「ハイチぃいい!!」
ハイネの声が虚しくもその場にこだまする。上空にいるハイチは彼女に気付かない。
――お願い、気付いて! こっちを見て!
手を伸ばした。届きそうにもないくらい。
「お願いっ!! キイ様!!」
――お兄ちゃんをこちらに振り向かせてください!!
◆
慟哭山にある小さな小屋には笑顔の仮面の男とエイキムが残っていた。入り口の方には村人たちの死体の山が。それにしても、と彼らは小屋の中を見渡した。
「随分と埃が溜まっている」
材木の上には小汚いかけ布団があった。それを退けると、下には本が現れる。だが、それは長い年月あまりよろしくない環境のもとにあったせいか、ボロボロだった。今にも表紙が千切れそうなほどである。
仮面の男はその教典のとあるページを開いて音読をした。
隠しきれぬは本能か。培ってきたそれは誰の手であっても抑え込むことは不可能である。もちろんそれはキイ様であっても。それこそが悪神の呪い。この世に生まれし人間についてくるカムラの呪い。キイ神は言う。汝、あるべき姿に戻れよ、戻れ。我が疑う余地なしにその胸奥に秘めし思いは汝と同等の心であるだろう。
「自分もだけど恐ろしいなぁ、人間とやらは」
「人間でなくとも恐ろしい者はいますよ」
テーブルの上に転がっている装置に目を向けた。内部が僅かながら光を帯び始めては消えてしまう。それを繰り返していた。
ああ、誰かが事実を改変しようと願ったな。だが、それは撃ち砕かれた。ただの人だから。これを扱えるのは『彼ら』のみ。『彼ら』だからこそ、扱える代物。
熱心に願いを乞う少年がいた。自分たちはそれを叶えてあげようと持ち上げた。彼こそが狂人であると。その少年こそが『オリジン計画』の支柱の一人であると。
どうして今まで気付かなかったのだろうか。
どうしても視えない未来があった。それは未来のコンパスを以てしても。それがこの先に起こること。理由は知っている。キリたちがいるから。あれを所有しているから。だからこそ、それを見るためにわざわざこうしてこの装置――『事実改変装置』を急ピッチで仕上げて持ってきた。試運転なしでもそれの良好を確認できていた。ヴィンがそうであったように。この村で起こり得ていた事実改変の変更を。
――さて……。
「みなさんはどんな現実をお見せしてくれるのでしょうかねぇ?」
不気味に笑う男は事実改変装置から何かを取り出した。それにエイキムはただ、じっと見つめる。
「だとしても『世界の果て』を実行するためなら、どうでもよくないかい?」
「いえいえ、よくはありませんよ。彼は私と同じ者同士からこそ、気になるのです」
「へえ、そう……」
「ええ、存在そのものが」
◆
アイリはひたすらに追いかけてくる腕なしと村人たちから逃げていた。反政府軍団及び、コインストの手がこちらに来ている中、腕なしが来るとなると――もうお腹いっぱいとでも言うような状況が続いているのだ。
「お前を殺して、俺は自由になるんだっ!」
巨腕の爪を尖らせてアイリに攻撃を仕掛ける。彼女はそれが当たらないように、炎の手が上がっていない民家の窓を割って逃げた。
一瞬にして、その場が抉り取られるような穴が空いた。
狭い場所へと逃げて、やり過ごすつもりか。
――関係ないっ!
腕なしは我が物顔で家中の柱を破壊していく。壊していけば、やがて家は潰れ――名なしは潰れ死ぬだろうっ!!
家の奥の方へと逃げ込む姿を追いながら、家の支柱を圧し折っていく。一振りしただけで家から軋むような音が聞こえるほどだった。
そうしていると――。
「俺の家を壊すなっ!」
一人の村人が腕なしに農具で攻撃を仕掛けた。そもそも、彼のことを知らない村の者たちからすれば、『罪人の子』やその母親の『亡霊』同様に抹殺の対象となるようだ。
だが、そのようなこと――腕なしには関係ない。
「邪魔者は引っ込んでいろっ!」
支柱と共に家主を殺した。
アイリは二階の方へと逃げ込みながら、柱が壊れる音を聞く。完璧に逃げ場所を間違えた。上から飛び降りればいいのだろうか。そう窓に手をかけたとき、真後ろから破壊音が聞こえた。急いで振り返る。そこにはもう逃げられないぞ、とばかりにこちらを見ている腕なしがいた。
「…………」
苦虫を潰したような表情を見せるアイリに「ようやくだな」と嘲笑をしてくる。
「ようやく、終止符を打つことができる」
「世界改変者……!」
「気分はどうだ、名なしよ。お前は駒を揃えようとしていた。だが、その駒もやがては使い方次第では使い物にはならない。まさにボードゲームみたいにだ」
「はっ、ヴェフェハル先輩に負けまくっているくせにっ!」
その言葉が余計なのか、青筋を立てる腕なしは近くにあった支柱を圧し折った。その直後、家はあやしい音を鳴らしている。アイリの第六感が告げる。
――窓から出ろ。
即座に窓から飛び降りた。その下には己の首を狙うもう一つの勢力、村人たちだ。とっさに着地点にいる者が農具で自身を守ろうとする。アイリはそれを利用して、そこに着地する。その瞬時、大きな音を立てて家が崩れゆくその刹那に腕なしは怒り狂った様子で飛び出してきた。彼女は体を捻り、コンパスの剣で爪を防ぐ。
そのまま飛ばされて地面に転がった。受け身はした。急いで起き上がり、再び逃げ出す。
「待ちやがれっ!!」
逃げても、逃げても追いつかれてしまう。一人だからだろうか。逃げきれる術などないに等しいこの状況。助けは一切ない。ああ、こんなときにキリがいたならば、どうしていただろうか。自分を守ってくれていただろうか。
不安に駆られながらも、攻撃を避けつつ村中を駆けるアイリ。
【独り善がりするなって】
正直な話、自分自身には友人と呼べる者はメアリーやハイネくらいだろう。それも助けてくれるかわからない――。
――あたしの友達って……誰!?
独りぼっちというのは悲しいものだった。以前の記憶はないから。
「死ねっ!」
攻撃の風圧に当たり、焦げた地面の上を転がる。早く起き上がらなければと思った矢先の眼前には黒くて鋭い爪。
ああ、終わった。また、一からやり直しだ。誰かの記憶を奪って――世界改変者をまた見つけなくてはいけないのか。自分が死んだならば、キリはどうなるのだろうか。所有権は続行されるのか。それとも、強制放棄となり最大の苦痛を覚えながら死に逝くのか。
――助けて……!
「まだ俺がいるぞ、カムラ!!」
地面より木の根が生え出し、凶刃の爪からアイリを守った。突然のことに驚きを隠せない腕なしは間合いを取り、それを睨みつけた。
「な、何? 木……?」
どこからどう見ても、南地域の保護区で見たことのある石像と共に現れた木の根っこである。
「戦える友がここにいなくても、俺はどんな姿でも友を守るために戦う!!」
木の根っこから声が聞こえてきた。聞き覚えのあるこの声は――。
【久しいね、カムラ】
【俺のこと、覚えていないの?】
【伝えたいことがあったからだ】
「初代国王!?」
「はい、そうです……って、そういう言い方止めてよ。せっかくだし、俺のことは昔みたいにライアンとでも――」
「ごちゃごちゃうるさいっ!」
一人だったから狙っていたのに。このようなところで味方がいるとは聞いていない。アイリを仕留めることができなかった腕なしは悔しそうに木の根を退けようと猛攻撃し出していた。
「カムラ! 先行け! 彼を助けるんだろう!?」
木の根っこ、もとい――ライアンは、ここは任せて行け、と言う。その言葉にアイリは頷くと――。
「ありがとう、ライアン」
お礼を言って、改めてキリを捜すために走り出した。
追いつけなくて、苛立ちを見せる腕なしはその怒りの矛先を木の根へとぶつけている。
「そこを退けぇえ!!」
「そうか、どこかで見たことがあると思ったら――!」
「それがどうしたぁ!?」
邪魔する者は何だろうと、この手で断ち切ってやると言わんばかりに、腕なしは木の根を引き裂いた。その途端に枯れゆくそれは力なく地面に落ちる。
「き、さまっ……!」
「ただの木の根っこごときが俺の邪魔をするなっ!!」
己の道が開けると、腕なしはそれに対して振り返ることもなく、アイリを追うために空を飛び始めた。上空からならば、すぐに探しやすい。早く探して――。
「殺してやるっ!!」
そのおっかない願望を聞いていた枯れ根のライアンは多少の時間稼ぎしかできなかったことを悔やんでいた。ついこの前思い出したことの続きを思い出す。
【大丈夫か?】
【あ、ありがとう】
黒の王国軍に助けてもらったこと。それは一度だけならず、何度もそうだ。『カムラ』がいなければ、青の王国の独立なんて不可能のようなものだったから。
――この世界には友が必要だ。たとえ、この世界が運命を変えるほど彼らを嫌ったとしても。世界改変者がこの世界を乗っ取ろうとする者だとしても。
◆
強引にキリの口の中へと突っ込むマッド――『ちーくん』はにやにやと笑っていた。まるで何かを心待ちにしているかのようである。
一方で口内に残る生臭さにキリは地面に倒れたまま呆然としていた。瞬きをすることなく、大の字で転がっている。
「キリだけ忘れたとは言わせない。俺の奥底からよみがえった記憶、一緒に思い出そうぜ」
この目に映るのは一体誰なんだろうか。そうキリは思っていた。知っているようで、知らない少年だ。この長い髪――ああ煩わしい。土や血で汚れまくった古い服――思い出したくもない。
薄暗い山の中、そこに建てられた一つの墓。誰のかはわからない。後ろには数人の大人たちがいる。
【どうせならば――】
後ろから誰かが言葉を投げてくる。
山の中で採れる食べられそうな物を口にする。それを独りで食べる毎日。隣にも向かい側の席には誰もいない。塞がれていない窓から僅かに見える離れた家からは明るい光が見えていた。
――羨ましい。
何も悪いことなどしていないはずなのに、大人の大きな拳が見えた。重たい靴が見えた。そのときの表情なんて――忘れた。ひたすら耐えることに精いっぱいだったから。
【なぜ――】
【――言ったはずだ!】
【ありえない、ありえない、ありえない!!】
誰も慰めてはくれない。独りで泣いた。嫌と言うほど。誰かに救って欲しかった。誰かに助けて欲しかった。人の温かさに飢えていた。
騙してまで助けてくれる者はいた。自分の命と引き換えに悪人と手を組んだ者。顔はもやがかかって、もう思い出せない。
【俺たちは――】
【私たちは――】
嘘をついてくる者はたくさんいる。この世には。彼らだって、ヴィンだって――何度も嘘をついていた。
【お前の首にこれを当てて殺したんだよ】
ヴィンは鬼哭の村の出身者だ。
【所有権を放棄した直後にお前を殺す】
「断ち切れていなかったんだよ、キリ」
『ちーくん』がキリの顔を覗いてきた。長い茶色い髪に長い下向き睫毛。そこから覗かせるのは薄い青色の目。その憐れみの目を見ているのが嫌で嫌で――。
とても煩わしい。
その目でこちらを見ないで欲しかった。目線を合わせないようにしたいけれども、目玉が動かない。その自分の目玉が嫌いだ。
「うっ――」
手放していた歯車の剣を握る。光は一切ない。
「っるさい!!」
『ちーくん』に向かって剣を一振りをした。あのなんでも見透かされるような目で見られるのが嫌で、嫌で。その目玉を潰す勢いで斬った。
一直線に走る赤い線は収束していく。斬ったつもりが斬っていない状態へとなる。
「何をそんなに恐れている?」
「黙れっ!! 何もしゃべるなっ! こっちを見るなっ! 消え失せろっ!!」
明かな動揺が見える。嫌な汗が全身から噴き出しながら、光なき剣を『ちーくん』に向けている。キリの目は彼の姿を恐怖の塊としてしか捉えていない。
最悪だ。今までのマッドは最悪だったが、このマッド――『ちーくん』は更に上を超す最低最悪な化身である。なぜにこんな者が存在している? 彼を見ているだけでなぜに思い出してしまうのだろうか。忘れたはずなのに。すべて捨てたはずなのに。誰にもわからないように黙っていはずなのに。完璧に思い出さないようにして、記憶の奥底に封じ込めたはずなのに。
過去の歯車を手に入れたから、いくらでも代償を出す覚悟で『事実の改変』をしてきたはずなのに。あのとき、確信していたはずなのに。
「……お、お前は俺じゃないのかよ!」
「ああ。俺だ。紛れもない俺であり、キリでもある」
「だったら、なんで!」
自分であるはずならば、理解しているはずなのに。
「でも、今のキリは人を殺せそうになくて、嘘つきで、素直になれなくて、優しい」
何とも裏のない不気味な笑みを見せてくる。その笑顔のせいで上手く剣先の焦点が合いそうにもない。
「知っているか? 人は変われる。変えようと思えば」
「…………」
「だから、俺は人を殺しまくって、本当のことしか言わなくて、素直で、優しくない者を目指すことにした」
『ちーくん』が振りかぶってきた拳がキリの頬に当たり、殴り飛ばされた。
【いたいよ! いたいっ! いやだ!!】
頭の中で幼い自分の声が聞こえてきた。怒られ、殴られる自分の姿も見える。
キリの上に乗ってきて殴る、殴る、殴る。的確に殴られたことや蹴られたことのある場所をひたすらに殴打してくる。
「言いつけをなぜ、守らなかった!?」
その言葉に首筋が鳥肌立つ。
「人様の敷地内を汚すなっ!」
「汚らわしい」
「お前は村の恥だ」
「お前も殺せばよかったんだ!!」
「はははははははははははは!」
まるで呼吸をするかのようにして流れ出てくる物。
「過去の記憶を抹消しなければならないくらい生きていけない哀れな子よ。そんなに己の存在を否定したいかっ!?」
『ちーくん』は殴ることを止めて、頭をわし掴みにしてくると、現在の村の状況をキリの目に見せつけた。青いはずの空が赤黒く染まっている。今にも燃え尽きようとしている家の材木、黒焦げの田畑――。
「ならば、最初からこうすればよかったんだっ! それも俺やキリが切実に望んでいた願望! 本望! 心の奥底に眠る意志!! ああ、すばらしきこの光景よ!!」
掴んでいたキリの頭を放して、両手を大きく広げた。
「ああ、キイ様よ、あなた様のおかげで私は積年の思いを形にすることができました! 後はこの哀れな『罪人の子』に『ご慈悲』を!!」
「だ、誰が、キイ教なんか……!」
殴られた疲労が体に残っていながらも、キリはゆっくりと起き上がろうとする。自分はキイ教信者なんかではない。無宗教論者であると主張する。キイ神の助けなどこれっぽっちも欲しくもないからだ。
「俺は、無宗教者だ!!」
顔を痣だらけにし、『ちーくん』を睨みつけた。その視線に対して、彼は冷たい視線を浴びせている。
「何を言ってんだ、『嘘の塊』」
言っている意味がわからないとでも言うように、『ちーくん』はキリの顔面を蹴り上げてきた。そのせいで、立ち上がろうとしていても、再び地面に転がるだけ。
「キリが信じているものはなんだ? もちろん、キイ様だろう? 願っていただろう? ずっと、これに願っていただろう?」
『ちーくん』が指差す物は光を失い、地面に転がるだけの歯車の剣。
「本物はキイ教の物。それは本物を似せて作った物にしか過ぎない。だとしてもキイ教つながりではある」
「……な、に!?」
「無意識でした、とは言わせない。キリは何度もキイ様にお願いを何百、何千回ともしてきたはずだ。それも意識的に!」
誰かが祈っている記憶を思い出す。真っ暗闇に包まれた小さな男の子。毎日、毎日見るのが飽きるほどに見てきた小さな文字の羅列。意味も文字もわかっていないというのに、ひたすらに一所懸命覚えようとしていた。当然何が書いてあるのか、わかるはずもない。文字が読めないから。教えてくれる人はいなかったから。
「キリ自身が記憶の改変をしていないから忘れるはずはない。それに、俺がお前の記憶を持っているから。ぜーんぶ、この村のことも知っている」
光を失せた歯車の剣を拾い上げてキリの目の前の地面に突き刺した。
「『母さん』や『父さん』のおかげで俺は『常識』を手に入れた。あいつらのおかげで俺はこの村を『断ち切る』ことができた。お前のおかげでマッドとは違う人生を歩めて嬉しいと思う」
「…………」
「でも、ほとんどお前のおかげでもあるんだよ。改めて感謝しよう」
その途端、キリの中で何かが切れる音が聞こえた。それはなんなのかわからないが、とにかく眼前で見下してくる自分に腹が立った。勢いつけて立ち上がり、剣を握って大振りの剣筋を見せつける。
当たり前のように避けられる。『ちーくん』は平然とした様子でキリ・デベッガの記憶があるからと言う。
己の記憶を持ち合わせたマッド――とにかく厄介だ、とキリは思う。早急に手を打ちたかった。マッドのようで、マッドではない『ちーくん』は、自分の記憶を持った彼は自分自身にとって最悪の敵であるのだから。




