疑心
証拠もすべて揃っている。何もかもだ。言い逃れはできない。嘘をついてみろ、すぐにそれが嘘であるという証拠を目の前に押しつけてやるからな。
沈黙の部屋があった。一人の白髪頭の老人を王国軍人たちが取り囲うようにしている。一瞬の隙も見せずに、逃がさないようにして。
「…………」
老人は一言も発しない。かれこれ六時間以上が経つのに。強いて言うならば、何度もため息をするくらいか。
「いい加減に吐け」
そう言うのは、老人の向かいの椅子に座って眉根を寄せているラトウィッジである。腕を組み、一言も発さない彼の言葉をひたすら待つ。また今日も黙秘し続けるのか。
ラトウィッジは眼前に沈黙で座る老人のプロフィールを見る。ウンベルト・バグスター、二ヵ月ほど前に元黒の皇国の約束の町にて、タルスマン条約違反の疑いで身柄を拘束した。ようやく奪還戦が終わり、本腰を入れて彼と名なしにMAD計画を訊ねて一ヵ月半が経とうとしていたのだ。
未だにウンベルトは話さない。名なしも知らない状態だった。もう一人、話が通じる者を捕えたかったのだが、『アイリ・ハルマチ』は何者かによって殺害されていた。その遺体は首都の地下連絡通路伝いにあった隠し部屋。そこに全裸かつ、首切り死体の状態で見つかったのである。
故に、最後の砦となるウンベルトにすべてを吐き出してもらわなければならなかった。
この進歩のない取り調べで唯一わかったのは、ウンベルトがハイチの体を改造し、腕なしにしたことだけだった。それだけは認めていた。ただ、なぜに彼なのか。そのことについては明らかになっていない。
証拠が揃い過ぎているせいなのか。嘘はつけないと見抜いているからか。完全にラトウィッジから目を逸らして、また小さくため息をつく。
「バグスター、ため息をつくぐらいならば、話したらどうだ? MAD計画の件、オリジン計画の件、ハイチ・キンバーの件」
「…………」
どうやらこの老人、相当沈黙の盾の防御力は高いようだ。ほぼ、毎日のように同じことを繰り返し、繰り返しの質問をしているのに。その質問が耳の中に詰まっているほど聞き飽きているはずなのに。なぜ、頑なに黙秘を続ける。
話すことで自分の身に何かが起きるとでも? それならば、安心しろ。いくら死罪確定の犯罪者であろうが、用ある者は生かすのがこの国のルール。ハイチの殺処分を決行しようとしたのはウンベルトとアイリがいたから。おそらく改造者本人には知らないことは多いが、改造手掛け人ともなると、細かなことまで知り尽くしているはずだろう。
「言っておくが、バグスターの身柄は王国軍にあるし、お前はここから一生出られないと言っても過言ではないのだよ。反政府軍団、コインストからの報復はないほどにな」
「…………」
ラトウィッジがそう言うと、ウンベルトはようやく口を開き出した。
「詳しいことは私よりもディースが知っていますよ」
あくまで自分の口からは言わないらしい。
「そのディースという人物はMAD計画を生物学会で発表した少女か?」
「はい」
コードネームなのか。ディースはアイリ・ハルマチのことらしい。だが、残念だったな。誰かに責任を擦りつけて逃げようとした報いの言葉を聞くがいい。
「彼女ならば、一ヵ月前に遺体として発見されている」
ディースの訃報を聞き、目を大きく見開いた。まさか何かの冗談か、とでも言いたげである。
「さて、バグスターよ。貴様は先ほど、自分よりもディースが詳しく知っていると言ったな? そのディースはもうこの世にはいない。ならば、今の貴様はこの世で一番MAD計画について、オリジン計画について、ハイチ・キンバーについて知り尽くしているんだ」
ウンベルトはすぐに口を閉ざす。だが、もう遅い。沈黙の最中、ようやく開いた口に鍵をかけるようなことはさせない。無理やりこじ開けて訊くしかないのだ。彼は「詳しいことは私よりもディースが知っていますよ」と発言したのだ。それはきちんと録音もした。言い逃れは絶対できない。
さあ、吐くがいい。洗い浚いすべてを。己の心に秘めし、世界違法の真実を。まだ生かしておかねばならないのだから。
――なあ、ソルヤノフ。
ラトウィッジはとある人物を思っていた。
◆
同時刻、こちらの取調室は視線合戦が執り行われていた。マックスとガヴァンの目と目が剣のように鋭く交わり合う。ややあって、マックスが先に口を開いた。
「追放された後、どこに行った?」
「どこに行った、か。そんな昔の話なんぞ、覚えちゃいないさ」
「なぜ、反軍に加担した?」
「王国が気に入らなかった、それだけだ。それ以外にどんな理由があると思っている?」
ああ、気に食わない。この飄々たる態度。昔からそうだ、大人たちから怒られるようなことをしても息を吐くようにして嘘をつき、誤魔化し逃げていたのだから。ガヴァンの嘘はとんでもないものだ。ほとんどの相手が嘘だと見抜けない迫真の演技。それで何度騙されたことか。
「民兵に入ったのにか」
「ああ、そうだ。おかしいよなぁ。ただ、規則の裏を掻いた合法をしただけだというのに。追放だなんて」
それはただの自業自得の結果なのに。自分の非を認めないつもりか。
「何のためにルールが存在すると思っている」
「ただの誤魔化しじゃないか。上辺だけの」
「何っ?」
「訊くが、本当にあれは規則だと言えるのか? 軍人は皆平等。それは王国軍だろうが、民兵軍だろうが、学徒隊だろうが――」
本当に平等か、とマックスに問い質してきた。
「この国には身分制度っていうものがある。平民や外国人、その彼らの上に立つ貴族がいる。それなのに、軍人はみんな平等。この国は公平だと語れるか?」
「それでキイ教に……」
「言っておくが、俺は宗教関係はごめんだ。ルールが存在しない世界が見れるって言うならば、黒の国が亡ぼうが、この国が亡ぼうが知ったこっちゃあない」
「反軍はそんな理由のために国に反発するのか!?」
立ち上がる勢いでマックスはガヴァンを睨みつけた。ルールが存在しない世界? そんな物、無秩序と化した荒れくれ者の世界になるだけではないか。この世界は規律あるからこそ、成立している。それはどんな世界であろうともだ。
「逆に訊くけど、世界に規則って必要か? 必要ないだろ。あんな規律がある時点で、理不尽なこの世が存在する時点で。ただの枷じゃねぇか」
「血迷い事をっ!」
「血迷ってなんかないさ。血迷っているのは、むしろお前たち王国の連中だろ。本当にルールって正しいと思ってんのか? ルールさえあれば、みんな平等に幸せだと思っているのか? 違うだろ? だったら、無法者として、勝手に自分なりの幸福を手に入れたならば、いいだけなんだからよ」
「……お前にだって、家族いるだろっ……!」
自分さえよければいいのか。家族や隣人は? 彼らの幸せは無視する気か?
ガヴァンは鼻で笑う。
「邪魔な足枷着けてどうするんだよ」
その発言に拳を握る。人を足枷扱いだと? 憤りの血が頭に上ってきていた。今、この場で殴りたい。目を覚まさせてやりたい。こいつらの思想はとんでもないことを考えているのだから。
【枷】
ああ、ガヴァンが言うことは本当のようだ。身柄を拘束された罪人はいかなる場合であろうとも手を出すことは許されない。それは公私であろうとも。
「見ろ、両手両足に枷を着けたお前は何もできない」
幻覚が見えた。両手に法律や規則などの枷に加え、両足には妻や子ども、両親の枷が。兄の枷が。
「だから、お前は『軍人になれない』んだよ」
いや、惑わされるな、マックス。ここでそう感じていては相手の思うつぼだ。呼吸を整えろ。これは枷ではない。
「でも、安心しろよ。その内、枷のない世界がお前を自由にしてくれるさ。お前の兄貴のようにな」
ガヴァンの言葉の誘導はマックスを陥れようとするようなものだった。必死で彼の言葉を振り払おうとする。それでも、妙な幻覚のせいで硬直してしまう。どうすれば、そう苦悶の表情を浮かべていると――。
「それは本当の自由なんかじゃない」
突如として、取調室に現れた人物。それはハイネである。いつになく、鋭い目付きでガヴァンを見てくる。いつもの穏やかな彼女ではないため、マックスは戸惑いを見せた。
「あなたが考えている世界は導きも温かみもない幸せじゃない」
「……お嬢ちゃん。お兄ちゃんには会えたかな?」
「話を誤魔化さないで。私がハイチに会ったかどうかなんて、あなたには関係ない」
結局会えなかったのか。知ったかぶりの表情を見せているガヴァンにハイネは机を叩いた。おお、怖い。怖い、と煽りでも立てようと思ったが、彼女の目を見て背筋を凍らせた。
「……人を枷として捉えるならば、さしずめ今のあなたは王国の枷。そう、枷のない世界が自由になるならば、あなたはこの世に存在してはいけない」
「…………」
「あなたはハイチをなんだと思っているの?」
◆
それで隠れたつもりか。それで誤魔化せると思ったのか。キリは木の幹の陰に隠れて地面を這う不自然な茂みを見た。そこからはアイリが顔を覗かせて辺りの様子を窺っているではないか。
アイリは周りを確認して、無線機用小型マイクに向かって口を開いた。
「応答せよ、キリ隊員。現在見張りはなしだ。どうぞ」
イヤフォン型無線機からアイリの神妙な声が聞こえてくる。キリは仕方なしに応答するようにして、持っている小型マイクに向かった。
「こちらより。ここにいても十分に見えるよ、アイリ隊員。どうぞ」
「何っ!? くせ者かっ!? くっそぉ……王国軍め!」
「くせ者はお前だろ」
いい加減にしろ、と手作りの茂みとアイリを引きはがした。それを取ったのはキリではなく、敵だと勝手に思い込んだ彼女は「誰だ!?」とこちらに向かって身構える。そろそろ、こんなくだらないお遊びに飽きないのか?
「ばかなことをやっていないで、さっさと中に入るぞ。くだらない寸劇やっていたら、本当に見張りが来るからな」
「はぁい」
意外にも諦めがついたのか、アイリは構えを止めた。それを機にキリは邪魔な茂みの物を投げ捨てる。ごみ捨ては駄目とは少し違う。あれはそこら辺に生えているただの草木をむしり千切った物を組み合わせたお粗末な変装セットなのだから。彼曰く、土に還るからセーフとのこと。
「ていうか、思っていたよりか監視いないねぇ」
「そうだな」
今、二人がいる場所は南地域の環境保護区内である。なぜに、このようなところにいるのか。これもまたゴシップ・アドバイザーのアルバイトであるからだ。今回の目的はその保護区内の追放の洞にある石の欠片を持ち帰ってくることであった。その石を調べたいと言っている客がいるらしい。
最初、キリは行くことを渋っていたが、室内での文字数字打ち込みに嫌気が差していたアイリが是非とも行きたいらしい。その要望に応えてここに来ているのであった。
「誰もいないから大声出したい気分」
「いや、もし見つかったらそうするんだよ。ていうか、俺いるけど」
ただし、このミッションには条件がある。それは巡回している監視員に見つからず、持ち帰ることだ。ここは一般立入禁止区域であり、それは国が定めたこと。故に、ただの企業が立ち入り調査に入るなど言語道断。
それに監視員だけがいるのではない。きちんと、監視カメラも存在しているのだ。だが、それは先日ヤグラに資料の入った封筒を届けに行った物と関連していた。彼ら――キリたちが立ち入っている間だけはその監視カメラに細工を施し、見つからないようにしてくれているのである。
《私に任せて》
なんて無線機イヤフォンから聞こえてくる。ガンだ。まだ、連絡通信端末機におしゃべり機能はつけられていないのだが、無線機としては話せる。そして、何よりヤグラがスピーカーから出す声質の調子をガン本来の声音にしたため、普通に彼と連絡を取り合っている感覚だった。しかし、いくら現実世界に声を出せるようになったのだが、そこは技術的に厳しかったのか。感情的ではあるにしろ、棒読みの無機質ある感じが拭えない。いや、いつでも会話ができるのはそれこそ嬉しいが。
《キリの端末機に位置情報確認の地図を送ったよ》
ガンがそう言うから、二人はキリが持つ端末機を覗き込んだ。画面上に保護区の地図と赤い人型が点々とある。その中を囲むようにして青い人型がぽつんと一つだけあった。この青いのが現在位置か。
「赤いやつが監視員なんだな?」
《そうさ。彼らには気をつけてね》
「ありがとう」
現在、二人がいる場所は西区の34エリアである。正規の入り口ではなく、柵で取りつけられた林内から東を目指して行く。追放の洞があった場所は8エリアだ。多少は遠くて時間はかかるかもしれないが、ガンがくれた位置情報確認地図を得たからこそ問題はあるまい。
王国軍の監視員は全員で六名。東区、西区のそれぞれ三人で監視に回っているようだ。誰も自分たちがいるエリアの方にはいない。
「どういう風に行ってみる?」
「これ確認しながら、隠れて行くしかないだろ。もし、見つかればこれで隙を作ればいいだけだし」
そう言うキリは服の下に仕舞っていた過去の歯車をちらりと見せた。それにアイリは納得する。
「それにしても、相変わらず欝蒼としているねぇ」
手入れが施されていないところ、足場の悪いところをひたすらに歩く。木の根っこが盛り上がっていて、行く先を阻んできているのだ。
「下手に手入れができないんだろうな。世界を見る目と同じように」
あの場所もこの南地域と同様に半径三十キロは立入禁止だったはず。それでも、キリとガズトロキルスはマティルダを助けるために勝手に入ってしまったが。
「あそこって立入禁止だったっけ?」
世界を見る目と聞いて、古跡の村を思い出すアイリ。今頃、彼らは何をやっているのだろうか。果たして、観光客は増えたのか。世界的に見て変わった村だとは思っていたが――未だとして、コティカンを観光客の男性に勧めているのか。もしも、キリと一緒に行ったならば、彼はどのような反応を見せるか。
「断りそうだなぁ」
なんて一人小言を呟く。当然、何の話か全く見目解答もつかないキリは「何を言っているんだ」と片眉を上げていた。
「それよりも、アイリってなんか道具持ってきた?」
「道具? なんで」
このミッションは洞内の石を拾うだけの仕事ではなかったのか。そう思いながら眼前を見た。その光景は崖と言うが相応しいか。以前ここの土地調査に来たとき、3のエリアから落ちたときと同じくらいの高さがあった。あのときは斜面で、そこから木が生えていたからまだよかったが、これは完璧に崖である。
さて、どうやって降下するか。
完全に他人任せなのか、アイリはキリの方を見て「どうする?」と先ほどの質問を聞かなかったことにした。
「他のエリアの方から行けない?」
「うん、双方の隣のエリアから監視員が来てる」
遠回りしていてもいずれ見つかるくらいならば、とキリはどんなに力が加わろうが、鋭い刃物だろうが千切れない黒色のロープ『絶対に千切れないロープ君』を取り出した。
「あっ、持ってきていたんだぁ」
「刃物系統は俺かアイリが持ってるだろ? あの赤と黒の剣」
コンパスの剣だ。ガンを助け終わった後もキリは何も言ってこなかったが、忘れていたわけではなかったようだった。
「俺のが使えそうにないときは頼むよ」
キリは特に問い詰める気がないか、何も訊かずして近くに生えているしっかりとした木の幹にロープを括りつけていた。
なぜに問い質してこないんだろうか。いつもなら、なんだと訊いてくるはずなのに。ほんの少しだけ、寂しい。そうアイリが思っていると――。
「来い」
突然抱きかかえられて、降下し始めた。あまりにも急過ぎて――。
「ちょっ、キリ!? 吐くっ!」
「えっ!? それ――」
流石に、と言うのが遅いのか。それともアイリの限界が早かったのか。宙ぶらりんの状態で彼女は嘔吐してしまう。このカオス的状況、危険だ。突然アイリを抱きかかえたのは監視員がこちらに来ていたから逃げていただけなのに!
――いや、これは俺が悪いのか!?
◆
何とか監視員にバレずして、下のエリアの方に下り立った二人。アイリは暗い表情を持ってコンパスの剣でゲロ塗れの場所を土で覆いかけていく。キリはお詫びを言ってはいるものの、彼女の機嫌が直らない。それもそのはず。好きな人の前で嘔吐しまったのだ。恥ずかしいに決まっている。
「……本当、ごめんなさい」
「いいよ、慣れなかったあたしが悪いし……」
アイリは吐いたショックで、珍しく自分に非があると認めている。キリは彼女の機嫌を直す方法がないか模索するが、何も思いつかない。
「み、水飲むか?」
キリの方を振り向かず、小さく頷いた。水が入った容器を受け取り、茂みの方へと入っていく。口でも濯いでいるのだろうか。しばらくしてアイリが戻ったときは容器の中は空になってしまっていた。
「ごめん、なくなった」
「ううん、俺の責任だし。気分はどう?」
「何とか」
「次からは強引突破じゃなくて、迂回してから行こうか」
それが一番だね、とアイリは頷いた。
◆
現在位置では21のエリアに来ている。もしも、短距離で行くならば、隣にある16のエリアから向かえば追放の洞が存在する8のエリアへと辿り着ける。しかし、さっきの件があるのだ。迂闊に強引突破はしない方がいいだろう。
「落ち着いた?」
「大分、マシになった」
二人の間の気まずさは少しばかり溶け始めてはいるが、やはりどこかぎこちない。自分たちの間にどこか距離がある気がしていた。キリはどうすればアイリの機嫌は元通りになるのかと考えていると――。
「ねえ」
アイリはキリの服の裾を引っ張って、近くにある大きな木のうろを指差した。
「疲れちゃったから、そこで小休憩しようよ」
「いいよ」
平気だと言ってはいるものの、アイリにとってはキツかったのか。彼女を心配しながらも、そちらへと入った。ここならば、監視員が覗き込まない限り見つからないだろう。
アイリは身を投げ出すようにして地面に座り込んだ。嘔吐した直後に土を掘り返していたんだ。それで体力が奪われたのかもしれない。
「寒くない?」
「うん、平気」
膝を抱え、地面をぼうっと見つめる。キリはアイリのその隣にほんの少しだけ距離を置いて座った。近くに鳥の巣でもあるのか、小鳥たちの騒ぎ声が聞こえてくる。その音を聞きながら、木に背中を預けていると――「ねぇ」そう、彼女が声をかけてきた。
「どうした? 歩くのキツイなら、俺が行ってくるけど」
「それは大丈夫。もう少ししたら、体力回復するから」
「じゃあ、何?」
こちらの方を見ない、アイリは外の方を見ていた。
「訊かないの? あたしのこと」
「アイリのこと? ……さっきの剣?」
「それもだけど、あの男があたしに言ったの……」
【名なしさん】
キリはこういうのを訊きたがっていそうだしなと思う。でも何も訊いてこないから、なんだか少しだけ寂しい気がした。
「気にはなるけどさ、アイリって心の整理がまだ落ち着いていないだろ?」
ようやく、アイリはこちらを向いてくれた。その答えが意外だとでも言いたげである。
「聞けば一ヵ月間、総長と長時間の事情聴取だったんだろ? てっきり、しばらくは色々と訊かれたくないと思ってさ。そうでもなければ、遠慮なく訊くけど」
アイリは首を横に振った。どうやら、言いたくないらしい。いや、それでいい。ゆっくりでいいんだ。もう焦る気にはならない。どうせ、一緒にいられるのだから。いつかは話してくれるとは信じているから。彼女が話さないのはまだ話すべきではないと思っているのだろう。
「ごめん」
「ううん」
【お前っ、『名なし』の手先だろ。俺を殺すように!】
【俺は逃げてやる!! あいつもお前も来られないような場所に!!】
ハイチはそう言った。彼は何かを思い出したようにして自分たちから遠ざかりたかった素振りを見せていた。
「でも、一つだけ教えてくれ。お前が持っている武器はなんだ?」
「あぁ、うん。これ」
それだけはどうしても知りたかったようで、アイリから見せてもらった。彼女の手の平に転がっているのは見覚えのある物だった。キャリーが持っていた未来のコンパス。だが、キリの過去の歯車とターネラの過去の歯車のこともある。これはこの世界におけるもう一つの未来のコンパスなのだろうか。
「ということは、アイリがもう一つの未来のコンパスの所有者か。オハラさん元気にしているかな?」
「その人、未来のコンパスの所有者? だったら、その人死んでいるよ。確か」
アイリのその発言にキリは瞠目した。衝撃的事実に驚いているのだが、一番はなぜにその人物を彼女が知っているのかである。
「なんで知っているの?」
「ザイツ君が言ってたから。今の未来のコンパスの所有者はこの前、ガンをおかしな風にしたやつだよ」
「何だって!?」
「詳しくはわからないけど。そいつら、オリジン計画を立てているんでしょ? その計画に使うんでしょ、多分」
もし、オリジン計画で利用するならば、彼らは絶対に過去の歯車を手に入れようとするだろう。いや、していた。勝手に賭けられていた! この過去の歯車を奪えなかったやつらが狙うとするならば、ターネラ!
ターネラは所有権を持たないはずだろうが、不安ではある。しかし、彼女は王都にいるはずだ。エレノアたちもオリジン計画を知っているならば、ターネラに対する警備は万全にするはず。
「何だろうね、そのオリジン計画って」
「よくわからない」
ただ、よくないことが起こる前提なのは理解できる。
キリが落ち着こうと鼻で深呼吸をしていると、ガンから無線機が入った。
《監視員との距離が十メートル圏内に入っているけど、大丈夫なの?》
――何だって?
慌ててキリは端末機の位置情報を確認する。ガンの言う通りだ。気付かなかった。こっちと向こうが接触しかけているではないか!
「どうしたの?」
ただ事ではないのはわかっているのか、アイリが覗き込んでくる。そんな彼女にキリは静かにするように口を塞いだ。自然と二人の体は密着する。
「しっ」
位置からして、彼らは自分たちの木の幹の後ろにいるはずだ。かなり近いのはわかるが、気配がしない。ここからでは、どれほど離れているかすらも把握できていない。
二人は切実に監視員が立ち去ることを願った。アイリも位置情報を見て、すぐに理解してくれる。とても大人しく、じっとしてくれていた。ややあって、足音が聞こえてくる。そのせいで、気配もわかるようになった。人数からして一人だろうが、油断はできない。もし、うろの中を見られてしまったならば?
位置情報を見る。監視員は確実にこちらに近付いてきていた。この後ろに――。
「誰かいるのか?」
二人の正体こそはまだではるが、存在に気付かれてしまった。それに彼らは目を合わせる。見つかってしまえば、一巻の終わりだ。ただでさえ、厄介者払いとして王国追放だけで済んだものの、不法侵入だなんて。しかも、立ち入り禁止だとわかっている保護区にだ。そんなもの、下手すればまた承前の棟へと引き返すようなものだ。もうあんなところは嫌だ。そんな思いで必死に見つからないように、と心の中で願いを込めながら息を殺す。だが、見つかってしまうのではという不安による動揺と緊張により、心拍音がうるさかった。早い鼓動が聞こえる。タイミングがずれたようにして、アイリの方からも音は肌を通り越して聞こえていた。
足音はすぐそこの状況、うるさい鼓動が鳴る。監視員とは木の壁の眼前だ。このまま何もなかったとして立ち去っていただければありがたい。
「…………」
「…………」
「…………」
しんとした周り。聞こえるのは草木のざわめきと、小鳥たちのご飯の催促。ああ、さっきの声がこの小うるさい鳥たちの声と勘違いしたと思ってくれたならば。
「……気のせいか?」
後ろにいる監視員は止まっていた足を動かし始めた。そのままうろがある木を通り過ぎていく。足音が遠ざかる。
もう半径五十メートルには自分たち以外誰もいない。極度の緊張感に解放された二人は安堵すると、そこでようやく気付いた。
「っ!?」
距離があまりにも近かった。キリはアイリの口から手を離して「ごめん」と小さく謝る。
「いきなり……」
いくら監視員から逃げるとしても、このやり方――。なんですぐに離れたのだろうか、とキリは妙な後悔をした。
「あたしも、ごめん」
アイリも小さく謝ってきた。急に先日のガヴァン捕縛時、宿屋でのやり取りを思い出した。曖昧ではあるが、生々しい自身の体に残る記憶。唇の感触、舌触り。満更でもなさそうで、絶対的拒絶じゃなかった彼女の態度――。
思わず生唾を飲み込む。
――な、何考えているんだ、俺は!?
アイリを直視できなくなる。見たら、あのときの衝動が襲いかかってきそうで――。
どうして、あんなことをしたのだろうか。自分でもわからない。小さく頭を抱えながら、アイリを瞥見した。ショートパンツを履いた彼女の生足がすぐに目にいく。
すらりと色白の長い脚。こっそりその足の隙間から見えるのは――。なまめかしい上腿のその先。
――うわぁああああ!!
見れば見るほど、いやらしい目で見てしまう嫌な自分がいた。頭を抱えて振る。今思っていることよ、すべて飛び散れ、頭から抜けてしまえっ!
いけない、このようなところで自分を見失っては。早く、ここから出て追放の洞で石ころを拾わなければ!
「あ、ああ、アイリ! 行くぞ!」
――この前のことは綺麗サッパリ忘れちまえ!
キリが勢いを持って、アイリにそう言った。
「う、うん? 大丈夫?」
「だ、大丈夫に決まっているだろ」
とても大丈夫そうには見えない。右手右足が同時に出ている。ぎくしゃくとおかしな足取りでいた。それがアイリにとって逆に心配である。愁眉を見せながら、服の裾を握ってきた。
「本当に?」
――ぐぅうううううう!!
見えないところで、自制心を保とうと手の甲を強く抓った。本当に落ち着け。アイリをあっち系の目で見るな。そうだ、自分が言われたことのある罵倒言葉を思い出せ!
【ロリコン変態野郎】
【男が髪の毛伸ばして気持ち悪いんだよ】
【嘘つき君には教えてあげなぁい】
【このっ、変態がっ!!】
【口に出すことでさえも恐れるって、相当な強欲だよね。きみは】
【きみが一番勝手じゃない!】
【子どもみたい】
【一人も友達がいないって思った】
【知識はあるくせに、実戦や実習じゃ使い物にならない残念系の人】
思い出せば、思い出すほど相当心にくる暴力の言葉。ああ、つらい。ああ、好きな女の子にそう言われるのもへこたれる。しかし、その罵詈雑言を思い出してアイリに対する妙な気持ちは落ち着いた。これなら、気兼ねなく彼女を見られる。
「うん、平気だから」
ほらね。欲情がなくなった。いや、嫌いになっていないのだが。
「ならいいんだけど」
あのアクシデントは予想外であったが、この場では基本的に感情的にはならずして機械的に行動しなければならないだろう。キリは位置情報確認をした。周りに監視員は見当たらない。彼らに自分たちは見つかってはならない。彼が端末機をポケットの中に仕舞い込もうとすると、一件のメールが届いた。ガンからだ。
『大丈夫かい? 誰かに見られていない?』
『うん、平気。教えてくれてありがとう』
ガンだ。彼が連絡を寄越さなかったら危険だった。こういうとき、メールは後回しになってしまうから。ガンと話せる発明をしたヤグラに感謝しなければ。
◆
エリア8への方へとやって来たキリとアイリは岩陰の間から顔を覗かせて様子を窺っていた。やはり、一番重要である追放の洞の入り口前にはその場から動こうとしない監視員がいる。
「ここは、やっぱりきみの力でしょ」
「そうだな」
キリは過去の歯車を手に取り、こちらに背を向けている監視員に伝えるようにして事実改変を実行した。その内容は「10のエリアがあやしいから見に行かなければいけないという事実」である。その途端に、監視員の動きが変わった。どこかへと踏み出そうとする足を止めたのだ。何か迷いがある。
誰もが感じたことのある『胸騒ぎ』や『虫の知らせ』をキリたちは応用した。それの事実改変はできないのだが、実行しようとした形跡は当人たちの記憶に残る。故に見られないように、聞かれないようにして一瞬の隙だけを作るしかできない欠陥品として見ていたのだが――。
その場に踏み留まっていた監視員は10のエリアが気にかかるのか、入り口から離れた。
こういう使い方もあるのだ。
二人は監視員が完全に見えなくなったところで、入り口の方へと近付いた。以前に来たときは木の根は押し避けられており、誰かが侵入した跡があったのだが、今回はそういかなかった。
まだあのときから一年半しか経っていないから。ここは環境保護区であり、下手に弄ることはできない。それだから、押し避けられた木の根はそのままである。しかし、そこへ侵入できないようにして防犯ネットが張られていた。そのネットに触れるアイリは舌打ちをする。
「ダメだ、『絶対に千切れないロープ君』を応用している」
歯車の剣やコンパスの剣で斬ればいいのだろうが、残念なことに切断するまで時間はかかる。何より10のエリアの様子を見に行った監視員が戻ってきた場合、まだ自分たちが中にいたならば、それこそアウトである。どうにかして、バレずに入って出るような方法はないだろうか。
以前ここへ入ったときの他の入り口はなかった。果てさて、どうしたものか。この場で考え事ばかりをしていると、その内相手が戻ってくるぞ。なんてキリがあごに手を当てて、洞内の入り口を見つめていると、何かしら視線を感じた。こちらを見る視線。まさか、そう思ってそちらの方を見ると――。
「…………」
「下の方をじりじりすればいいのかねぇ?」
しゃがみ込んで、ネットを指で弾くアイリをよそに、キリはその方向を見て言葉を失っていた。
見覚えのある材質。どこぞで見た記憶のある形。そう、人の形をした光る岩だ。周りには蠢く木の根っこ。
――こいつは……。
「ねぇ、キリ。下の方をじりじりと切るから手つ――」
アイリも人の形の岩を見て言葉を失っていた。何かしら言葉を出したい気持ちはあるのだが、残念ながら声を出すと監視員に感付かれてしまう。
「な、こ、これ……」
「多分、カムラだと思う」
そうだ、アイリは知らないはずだ。彼女が見たのは人の形ではなく、自分たちの味方として存在した岩その物であるはずなのだから。
「…………」
光る岩――カムラにアイリは疑いの眼差しを向ける。
別にこれがカムラと名乗ろうが関係ない。ただ、悪神が石に化してご登場とは。これが本当の姿なわけあるまい。キイよりこの場に追放されたときからずっといたから岩肌と融合しちゃった、テヘッ。などと真実である可能性がありそうだ。
こちらばかりをじっと見るようにして佇んでいたカムラらしき石像は二人をどこかへ誘導するかのようにしてゆっくりと動き始めた。数歩歩いたところで立ち止まる。ああ、これは完全に自分たちを案内しているな。
アイリの方を見た。彼女は頷く。それにキリは位置情報確認をした。周りに監視員はいない。カムラらしき石像が案内する先に彼らはいないようだが、このまま着いていってもいいものか。
【カムラに愛されている】
『幽霊さん』の発言を思い出す。もしも、自身がカムラに愛されているならば、あの石像がカムラの意志であるならば――。
「着いていってみよう」
信じるしかないだろう。
◆
しばらくカムラらしき石像の後を着いていくと、エリア23内にある大きな樹木の前へと辿り着いた。その木の幹回りは太い。五人、六人――いや、それ以上の人物が協力して囲まないと、手がつながれないほどか。
あまりにも大き過ぎるその樹木を見上げて圧巻される二人。なぜ、この場所に自分たちを連れてきたのだろうか。そう訊ねようとカムラらしき石像の方を見るが、人の形をした岩どころかそれらしき石すらも見当たらなかった。本当にここへと連れてきて何がしたかったのだろうか。
「ねぇ、キリ!」
アイリが服の裾を引っ張ってきた。彼女が指差す方向を見ると、木の幹より扉みたいな物が開かれていて、地中へと向かうようにして階段が続いていた。奥の方は真っ暗で何も見えない。
「あれ、こっちに来いって言っているのかな?」
「だとしか、考えられないだろ」
どう見てもこのような場所に人が出入りしているようには見えない。立ち入られないようにして柵か何かを拵えるはずだろう。
行ってもいいものか。そう迷っていると――。
《二人とも? どこへ行こうとしているんだい?》
ガンから連絡が入った。追放の洞がある場所から急に離れ出したからだろう。どう答えようか迷っていると、アイリが「別の入り口らしき物を見つけた」と嘘をついた。それで納得してくれたが――。
「これ、追放の洞に続くのか?」
キリがその疑問を抱く。そうとしか考えられないから。
「……きっと、そうなんじゃないの? あれがカムラならば、あの人の家は追放の洞じゃん。これもきっと家じゃない? 家というか、別荘」
「それでいいのか?」
「そうとしか捉えられないでしょ? 仮にこれが追放の洞じゃなかったら、この保護区には何がある? ただの同じ木が植わった林じゃん。山じゃん。別に何も珍しい植物も生えていないし」
とにかく、行ってみるしかないでしょ、と強引にアイリは背中を押してキリから先に行かせようとする。彼はひとまず木の内部を覗き込んだ。ただ、ひたすらに階段が続いているのか? 暗くてよくわからない。
行ってみると言いつつも、やはり、ためらいは隠せない。その一歩が中々踏み出せないでいると、急に体が軽くなる。地に足が着いていない――うん、本当に着いていない!
「怖っ!?」
二人は自分たちの首根っこを掴む木の根を見る。敵意は感じられないが――。
二人は戸惑いを隠せず、その状況で困惑していると、投げられるようにして木の内部へと放り込まれてしまう。突っ込み投げられ、それの悲鳴は閉められた扉によって完全に塞がれた。
その直後、監視員が姿を見せた。大きな木を見上げてはしきりに周りを見る。
「誰かの声が聞こえた気がするんだけれどもなぁ……」
その場には監視員以外誰もいない。
◆
放り投げ込まれ、階段を転げ落ちていき――先は何も見えない暗闇の底へと二人は落下していた。階段も途中で終わってしまっていて、全くの安定感のない空中落下。そうだ、アイリはどこへ行った?
この下へと落ちるのは構わない。自分は不死者だから。だが、アイリは違うはずだ。守ってあげないと。守らなくては――と思った矢先に落下速度は急激に落ちた。空中に宙ぶらりん状態でゆっくりと下りていく。それは彼女も同様だった。
そのまま下へと下ろされ、地面に着地すると、一斉にその場の壁に明かりが灯った。人気のないその場所で起こる怪奇現象に薄気味悪さが際立っている様子。それだからこそ、アイリはキリの服にしがみつく。そうだった、彼女は幽霊と言った物が苦手だったか。
「な、何? ここ」
明かりでわかったのはモザイクタイルを使用した広間。だが、ずっと使われていないせいで、そのタイルの色は褪せていた。まさか保護区の地下にこんなところがあるなんて思いもよらなかったのだから。
「ここは隠れカムラ教の地下礼拝堂だよ」
人の声が聞こえてきた。そちらの方を見れば一人の人物がいるではないか。少しくせのある金髪に青い目をした青年。ああ、そうだ。彼は『幽霊さん』だ。しかし、その名をこの場で言ってもいいものだろうか。
【幽霊さんとでも言ってくれ。なんだったら、お兄ちゃんでもいいけど?】
メアリー奪還時にそう言っていた。ならば、『幽霊さん』ではなく『お兄ちゃん』ないし、『お兄さん』とでも呼ばせてもらおう。
「お、お兄さん?」
「きみはお兄さんとは呼ばないで欲しかったな。どっちでもいいけど」
「なぜです?」
素直に疑問がかかる。ケイやワイアット、メアリーには『お兄ちゃん』と呼べ。そう言っていたのに――。
なんて考えていると、アイリが服を引っ張ってきた。不安そうな顔にまたあのときのことを思い出しそうになってくる。
「誰?」
「だ、誰って……」
なんと答えようか。『幽霊さん』と答えると、また首を絞められそうで怖い。どう答えようか迷っていると、先に彼が口を開いた。
「久しいね、カムラ」
アイリにそう言った。その発言に二人は『幽霊さん』を見る。久しい? カムラ? 彼は彼女の何を知っているというのか。
「誰?」
面識がないのかは定かではないが、アイリの疑心暗鬼っぷりはこちらへと伝わってきた。その答えに『幽霊さん』は寂しそうにし出す。
「俺のこと、覚えていないの?」
「いや、知らないです。どちら様?」
更にいじけ出す。ああ、このままでは話が進みそうにないぞ。本当に面識がないのか?
「あの、アイリとはどこかで面識があるんですか?」
可哀想に思ったのか、話を進めるために声をかけた。その問いに『幽霊さん』は頷く。アイリの方を見た。肩を竦めて何にも知らないらしい。再び彼の方を見ると、一人膝を抱え出し始めた。これじゃあ、埒が明かなくなってきたな。
「当たり前だよ! じゃなきゃ、こうしてカッコつけて話しかけたりしないっ!」
逆上された。自分にそう怒声を張り上げられても困るのに。
「だってさ」
「いや、だってさって言われても。覚えていないものをどう思い出せばいいの」
「……あの、アイリとはいつ頃会われましたか?」
「いつだっけ? そんな昔の記憶覚えていないよ」
どこまで昔かは知らないが、生前の話か。
「あのぉ、あたしとの面識があるって言っていますけど、その証拠を教えていただけます?」
「……世界改変者を探している」
『幽霊さん』のその発言に二人は瞠目した。彼は何かしら知っている! 彼らは顔を見合わせた。
「……うぅん、名前を訊けば思い出せるかな? 名前、教えていただけます?」
「バンダさんは俺のことをヒューイットって言っていたな」
「王族の人ですか?」
「初代ね」
さらりと『幽霊さん』は何か言わなかっただろうか。彼の発言により、硬直した。初代の王の者ならば、相当な歴史を掘り起こさねばならない。いや、それよりも待て。何百年も昔の話なのに、そこでアイリが登場するのか?
「あれぇ? 初代の王って……」
【青の王国を作った人だよ?】
【この銅像は夜になると動く】
「あの、学校のエントランスの銅像を動かしたりしていませんか?」
唐突に話が逸れるような設問をアイリはする。キリはその発言を聞いて何故にそのタイミングで訊くか、と心中でツッコミを入れた。
「エントランスの銅像。ああ、そうだね。俺は実態ある物に憑依くらいはできるから。いつもはそこの銅像にいるんだけども」
学校内エントランスの動く銅像の犯人判明。まさか、ここにきてその衝撃的事実を聞くとは思わなかった。『幽霊さん』――ライアンはその場から立ち上がると、アイリの方に視線を合わせる。彼女は半歩下がるようにしてキリの後ろに隠れた。
「今回、カムラに伝えたいことがあったからなんだ」
ライアンはアイリを指差した。
「あたしに?」
「ああ。何度か会いに来ようと思っていたんだけど、どうも擦れ違いばかりが生じてなかなか会えなかったんだ。何よりあのときは、きみが死にそうだったから。そちらを優先してしまった」
「…………」
二人のもとへと近付いてくる。カツカツと靴がモザイクタイルに当たる音が聞こえている。アイリは半信半疑ながらもライアンの前へと出た。そして、彼を見上げる。
「何?」
ピタリと止まる足。自分に何を言いたいのか、緊張の鼓動が早まるようだった。
「黒の王国の最期に世界改変者は番人を拵えた、と言っていた」
番人? 世界改変者がそれを拵えた? ちょっと待て、ライアンは今『黒の王国の最期』と言わなかったか? 黒の王国は皇国前の国名だ。それも何百年も前の話。アイリとハイチがライアンと面識があるならば、彼らは相当長生きしているのだが――。
「そのことを伝えるためだけに、ここに?」
ライアンはそう頷くと、その場から本当に姿を消えた。あまりにもびっくりするような状況にアイリは変な声を出し、腰を抜かしてしまう。エントランスの銅像を動かしていた幽霊であると本当に理解したところで緊張の糸が解れたのだろう。盛大にため息をついた。
「アイリ?」
「ん?」
キリの呼びかけにアイリは反応する。
「今のは?」
「わからない」
そう答えるアイリの面持ちからして嘘をついているようには見えなかった。
「本当にあの人のこと、覚えていないのか?」
「覚えていないんだもん。本当に」
アイリは何とか思い出そうと、頭をフル回転させて思い出そうとしていた。しかし、余計な記憶が邪魔をしてくる。なかなか探し出せないでいると、ある物を見つけた。先ほどまでライアンがいた場所に白い石のような物が落ちていたのだ。色褪せたモザイクタイルとは対照的に際立つそれを拾い上げる。
「石?」
見た感じは追放の洞にある石ころと同列の物か。
「もしかして、あの人は俺たちにくれるのかな?」
「あぁ。もしかして、あの石像もあの人だったってこと?」
可能性としてはありえなくもない。ライアンは式典、前夜祭でのマッド討伐時に現れているのだから。もし、それが本当であるとするならば、世界を見る目で助けてくれたあの木の根は一体? あれも彼の仕業なのか。
キリは真上を見る。自分たちがやって来た場所は高い場所にあった。持ってきたロープはもうないし、仮にあったとしても届かないだろう。
「上には戻れないみたいだな」
「行くとすれば、こっちの方に行くしかないよね?」
アイリの言う奥を見た。ここはただ広い空間ではあるにしろ、壁に備えつけられた燭台に明かりが灯る廊下がある。これより先はどこへとつながっているのだろうか。
「そうだよな」
そちらの方へと行くと決まると、アイリはキリの服にしがみついた。彼らは足を前へと進めるのだった。廊下へと歩を進める。その先に待ち構えていたのは右へと向かう通路と真っ直ぐに向かう通路。二つあった。
「どっちに行ったらいいのかな?」
「……出口センサー!」
説明しよう。出口センサーとはアイリが一刻も早くこの場から抜け出したい思いが詰まった念を放出し、第六感で出口を探し出すという業である。要はただの勘であることだが。
どちらへ行こうか迷うキリに対して、アイリは二つの通路の中間点に手を伸ばして目を閉じ始める。そして、行くべき場所を彼女の直感を持って決まった。右へと向かう通路を指差す。
「こっちが出口だって」
「その信憑性は?」
「知らない」
キリは連絡通信端末機を取り出して、位置情報確認をする。現在、自分たちがいる場所は――よくわからない。どうやらここは電波があまり届かない場所らしい。画面が粗くて、監視員たちの現在位置がブレているのだから。
――明かりはどっちもあるし……。
流石に人気が全くないような地下通路に監視員はいるまい。明かりだって、自分たちが来たからついたのだし。そう思い込んで、アイリの勘である右側へと向かった。
◆
勘頼りで向かった先は大きな両開き扉があった。重々しい物だ、と二人は見上げる。果たしてこの先へ立ち入ってもいいものなのだろうか。戸惑いはある。だが、行くしかないのだ。キリは片方の扉を押してみた。重くはあるが、開かないことはないらしい。だとしても、開けるだけのための力は必要である。
ゆっくりと押して開けると、扉の奥には想像を絶する光景が広がっていた。そこは出口でもなければキイ教の礼拝堂でもない場所であたからだ。決してそこは真っ暗闇に包まれているわけではない。廊下と同様に明かりが存在していた。
その明かりが灯しているのは天井、壁、床だけならず。この部屋を見て、アイリはよりキリにしがみついてきた。怖いのはわかる。自分だって、怖いのだから。
この部屋は――。
「……骨?」
そう、その部屋は古びて埃塗れで穴開きだらけとなった衣類を身にまとう骸骨たちが、壁に空けられた場所で横たわっていたのだ。
「不気味……」
アイリがそう呟く。
骸骨たちは大中小と様々な大きさをしている。もしかしてここは――地下墓場? だとするならば、開けてはならない場所に来てしまったのかもしれない。引き返そう。あの真っ直ぐの通路の方へ行こう。
キリが扉を引いて行こうとするが、全くそれはびくともしなくなった。押しても駄目で、代わりに反対の扉の方にも手をかけるが開けられなかった。つまりはこの部屋に閉じ込められてしまったのだ。
「開かない?」
「うん、硬い」
二人で力を合わせても開かない。さあ、困った物だ。こんなおどろおどろしい場所にずっといたくなんてないのに。
「ど、どうするのぉ?」
完全に恐怖心で怖がっているアイリにキリは頭を掻いた。この扉が開かなければ、他のドアを探さねばならない。彼は壁に手を押し当てて、確認して行くしかあるまい。間近で人の頭蓋骨を見てしまっているせいか、ショッキングな惨状を目の当たりにしているせいか――もはや、自分の目で歩くことすらも諦めたアイリ。キリの背後へと移動し、後ろから前に手を回して背中の壁を作り、部屋を見ないようにしていた。
「別のドア見つかった?」
こちらに関しても完全に人任せである。全く、自ら死人だと言い張っておきながらこの体たらく――正直感謝しています。キリは下心が見え見えであった。
そうこうする内に、手をつけていた壁よりまたしてもカムラらしき石像――ライアンか? が出現した。それに肩を強張らせる。
光る岩と過去の歯車に加えて未来のコンパスまでもが光に反応して共鳴をし出した。そこから動き始める骸骨たちの壁。壁は変形し、開かれていく。物音に気付いたアイリもそちらの方を見た。
壁が動いて、部屋の奥が出現する。そこは追放の洞よりも神々しく光り輝いている岩の結晶が存在していた。石像もそちらへと降り立ち、その存在を更に輝かせる。
「……綺麗」
その思いは一緒だ。保護区にこのような美しい場所が存在していようとは。キイは地上から見える星空を独り占めしていた。それならば、この石像がカムラならば、地中に潜ってこのような美しい結晶を独り占めしていたのか。
光り輝くカムラらしき石像はこちらの方を見てくる。
「これは世界中の者たちのすべての想いから生まれし結晶です」
しゃべった。若い男性の声のようである。だが、ライアンの声ではなかった。疑問は膨れ上がってくる。これが彼ではないならば? いや、そちらもだが、この綺麗な結晶が人の想いだと?
「世界中の?」
「言わば、欲というものですね」
欲はここまで美しい物なのか。
「欲は誰もが持ち合わせている想いなのです」
「……あ、あなたはカムラですか?」
もし、そうであるならば、本当に自分はカムラに愛されているのだろうか。キリは真偽を確かめたかった。
「そうですね――」
カムラらしき石像は何かを考えるようにして、黙り込む。ややあって――。
「あなたがそう思うのであれば、そうなんでしょうね」
肯定も否定もしなかった。
「じゃあ、マッド討伐を助けてくれたり、してくれたのは?」
「それもあなたがそう思うのであれば、そうなんですよ」
あまり答えを言いたくないようにしてカムラらしき石像は地中へと埋もれようとする。それと同時に先ほどまで開かなかった入り口の扉が開かれた。
「答えは彼女が知っているのではないのでしょうか」
「え?」
「いいですか、人の想いの裏返しはゼロです。何もかもなくなるんですよ。あなたはそれを知っておいた方がいい」
それだけ言い残すと、二人を残していなくなってしまった。それに伴い、キリはアイリの方を見た。彼女は服の裾を手に取って扉の方を指差しているではないか。一刻も早くこの場を後にしたいらしい。訊きたいことがあるのに。いや、彼女のタイミングで訊けばいいか。焦らずとも時間はまだあるのだから。
「行こうか」
「うん、怖いから早く帰りたい」
この部屋のことだろうか、それともカムラらしき石像の発言だろうか。二人はその部屋を後にするのだった。
◆
逃げるようにして店へと戻ったキリたち。拾った石をウノへと渡してダイニングの方で寛いでいた。彼はテレビを見ているアイリを見つめながらカムラらしき石像の言葉を思い出す。
【人の想いの裏返しはゼロです。何もかもなくなるんですよ】
――あの人って何を言いたかったんだろう?




