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世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う  作者: 池田ヒロ
第四章 哀れな愚か者の末路
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弁償

 賑やかに人々が行き交う青の王国王都の町並み。そこを歩くのはキリとアイリだ。彼らはエレノアたちより『王国追放』を受けたのだが、友人メアリーの帰りを待つためにまだ王国にいた。


【何もすぐに貴様らを追放するわけじゃない】


 エレノアにそう言われ、二人はこれからどうしようかと迷っていた。行く宛てがほとんどない状況の中、キリから借りた連絡通信端末機より地図を見ていると――。


「あれ?」


 どこかで聞き覚えのある声が聞こえてきた。そちらの方を見ると、そこにいたのは以前キリに自身が執筆した論文を見せ、アイリには信者の町でフルーツタルト争奪戦に負けた物書きの老人だった。


「あっ。お久しぶりです」


 キリは頭を下げるが、アイリは再会を良しとしない顔を見せていた。なぜにそんな嫌悪感丸出しの表情をしているのか。事情を知らない彼は「こちらに遊びに来られていたんですか?」と他愛もない話を始めた。


「確か、お店は信者の町でしたよね?」


「半年前から治安が悪くなり過ぎたからなぁ。今はこっちに店を構えているんだよ」


「そうなんですね」


「もし、よかったら、お茶でも振る舞おうか。カムラも来るだろう?」


 老人の誘いにキリは店に行く気満々なのだが、アイリは行く気ゼロ。言葉には出さないが、表情でそう見せていた。


「なあ、行こうぜ」


 キリもまたアイリを誘おうとするが「えぇ」と口を尖らせていた。


「行ったら行ったで後悔すると思うなぁ」


「いや、意味がわからないから」


 別に他人の家に行って後悔することなんてないだろうに。ほら、老人だって誘ってくれているし。何がアイリを行かせまいとしているのか。


「ていうか、俺たちしばらくはあんまり動けないんだし、ヒマだろ?」


 もっともな理由を言われて、断れなくなってしまったアイリは――。


「わかったしぃ」


 ため息交じりで行くことを決めるのだった。


     ◆


 ああ、なんと気の重い空気なのだろうか。そうキリは円卓を囲う椅子に座りながら、冷や汗を掻いていた。そのテーブルを挟んで左隣にはアイリが。そして、彼女の向かい側にはゴシップ・アドバイザーであるウノがこめかみに青筋を立てているではないか。自分のその右横では何も言わずして、ただ黙っている物書き老人がいた。二人は彼らに口出しなどできない。これは彼らの問題であって、キリと老人には関係のない話なのだから。


「おう? カムラ。半年間も音沙汰なしでよぉ?」


「本当、奇遇という言葉がお似合いなくらいの偶然ですよねぇ。まだ王都で営業されていたとは」


「そうだな。単刀直入で訊く、俺のバイクはどうした?」


 その質問にアイリはひたすらに押し黙る。視線を逸らして、逃げ出したいという気持ちに駆り立てられているようである。


「おうっ、早く答えろ」


 言うべきか、言わぬべきか。どちらに転がり込んでいても、結果が見えているアイリはちらっとキリに視線を送ってきた。心なしか、その目は「助けて」とでも言っているようである。しかし、彼にとってその『助け』はできない。擁護できない。なぜか――。


 バイク盗んでいただなんて知らないから。


「本体がないなら、鍵はどうした。鍵は」


 せめてでも、と思っているのだろう。そう問い質してくるも、それも同様にアイリは答えない。それは早い話、手元にはないとでも答えているようなものである。


 腹を括れ。黙るという誤魔化しはそこまで通用しないぞ。ウノの怒りのオーラは関係のない二人にまで及んでくる。老人に至っては早く正直に答えてくれとでも言っているようだった。確かに、正直に答えた方が嘘をついてバレたときよりかは何百倍もいいからだ。


 キリはそっとアイリに耳打ちをした。


「本当のこと言えよ。このままじゃ、ウノさん解放してくれねぇぞ」


「そうだぞ、カムラ」


 聞こえてた。ああ、もうこれは言うしか選択はない。逃げようにもその逃さないという視線は半歩動いただけで止められそうだ。何より、キリだけ置いて逃げるというのは人質を置いて逃げることに値するのだから。


「……わかりましたぁ。本当のこと言いますぅ」


 不貞腐れたようにして堪忍したようだ。アイリはお手上げと言った感じでウノの方を見た。


「まず、バイクは黒の皇国……じゃなくて、黒の共和国かぁ。新しく変わったから。そこの首都の近辺の町に置いてきましたっ!」


 許してね、てへっ。となんとまあ、一部の者だけしか可愛いとは思わないだろう。ただ単に苛立だせるだけの仕草を付け加えて許しを乞おうとする。ウノの眉の端がピクピクと動いているのは絶対に気のせいではない。


「それで、鍵は?」


「腕なしが持っていっちゃいましたぁ」


 冗談じゃないという気迫張りに、ウノは円卓をひっくり返す勢いで立ち上がった。いや、実際にそれをひっくり返したものだから、上に置かれていた資料やお茶の入ったカップがキリの方へと襲いかかってきたのだ。


「あっつうぁああ!?」


 頭に、服に、膝にすべての物が集中砲火してくる。なんだこれは。テーブルの上にあった物は自分に恨みでもあるのかというくらいまでに、吸い込まれるようにして「お茶(液体)さん、私と踊りましょ」状態だった。


「おまっ! あれ、まだローン払い終わってないんだぞ!? 後三年もあるんだぞ!?」


 騒ぎ立てる二人にアイリは椅子に座ったまま落ち着いた様子でいており――。


「ウノさん、後三年ですって。三年。三年と言ったらあっと言う間――」


 なんてしてやったり顔で言ってくるものだから、ウノはぶちキレる、ぶちキレる。ひっくり返った円卓抱き起して持ち上げないかとひやひやするのは老人だけ。一方でキリは一張羅の水浸しパーカーを見て項垂れていた。替えの服などないのに。


「後三年もない物に金払ってんだぞ、おらっ!」


「じゃあ、その三年分のローンは……」


 そう言いながらアイリがこちらを見てくるではないか。ちょっと待て。


「……これ全部渡したら向こうに行くのは歩きになるぞ。ていうか、食べる物も買えないぞ。向こう行って、日銭稼ぐまで何も食えなくなるけど?」


「諦めるしかないですねぇ」


 キリのお金が使えないとわかると、アイリは再びウノの方を見た。


「元はと言えば、お前が人の物をパクって逃げたのが元凶じゃねぇか!」


「何をっ! こっちは情報提供してやっただろうがっ!」


 なぜか逆ギレをし出した。どうしたものかと老人から借りたハンカチで濡れた服を拭う。そうしていると、喧騒はヒートアップする。大声で喚くし、大きな物音を立てながら騒ぐ彼ら。こんなの下手すれば窓ガラスとか割れるのではないか。自分たちに被害が及んでしまうのではないか。というか、こんなことで怪我したくない。ほら、部屋の片隅に置かれた本とか飛び交い始めているではないか。


「このままでは危険だな」


「そりゃ、そうでしょ。ていうよりも、二人をどう止めたらいいんですかね」


「――このままでは明日のごみ出し日で町内会の婦人たちに嫌味を言われてしまう!」


――そっち!?


「いや、確かに近所迷惑レベルの騒ぎでしょうけれども! 今はそんなこと言っている場合じゃないでしょ!」


 そう言うキリに「そんなことあるものか!」と老人がシャウトする。そんな彼も相当うるさいな。


「こちらとら、やれあやしい人の出入りが多いだ、古紙の日に本は捨てろだ、燃えるごみと燃えないごみの分別ができていないだと毎日グチグチ言われてるのっ! 加えて騒いで近所迷惑だと言われたら、もうジジイはノイローゼ!」


「それ、分別してごみ出さないあなた方がいけないんだと思いますけれども!? って、くだらないことでツッコミさせないでくださいよっ!」


 そんなことよりも、本格的に二人をどうにかしなければ。そう彼らを止めようとするキリであるが、なかなか上手くいかないようなものである。元より、自分に非があろうが相手を更に挑発させてくる空気破壊者のアイリ。その彼女に自身の愛車を紛失されて怒り狂っている自営業者のウノ。あっ、これはもうどちらを落ち着かせようにも無駄だ。そう諦めかけたとき――。


「なんだい、先約かい?」


「ああ、ちょっとな。もうちょっと待っててよ。彼が止めてくれるから」


 客人相手をして、この騒ぎのアホどもの処理をキリにすべてを押しつける老人。こっちも冗談じゃない。聞き取れなかったわけじゃないんだからな。


「ちょっと、聞こえているんですけ――」


 老人の方を見ると、彼の横には早く喧騒を止めろとでも言うような視線を送る老婆がいた。この老婆に見覚えは当然ある。


――あれ、この人誰だっけ。


「貴様、くだらないけんかを早く止めな」


「えっ? えっと?」


 見間違いだったらば、申し訳ない。いや、名前を言いたいところだが、ここはゴシップ・アドバイザー。誰彼本名を易々と言えない場所だ。


「ああ、キイは初めてなのかな? こちらは王国の国王の王母であるエレノア様だ」


――ご存じある方でした。


「って、本名さらしていいんですか!?」


「ふん、別に戦友に嘘ついても仕方ないだろう」


「戦友?」


 話が上手く読めない。しかし、もしかしてというか、もしかしすると、老人とエレノアの年齢的には同年代かもしれないようだが――。


「彼奴は私の旦那に仕えていた元三銃士軍団員さね」


 その事実にキリは鼻水を吹き出しそうになった。この直後に頭へと本が飛んでくる。


「もぉ、エレ様ったら。恥ずかしいこと言わないで」


――エレ様!?


「それは恥ずかしいという一言で片付く話ではないと思うですけど」


「言っておくけど、彼奴は総長の伯父に当たるからね」


 ということは、ワイアットにとっては大叔父に当たる人物だ。通りでどこか既視感のあるやり取りをしたと思った。そして、貴族ということは大抵が血のつながりがあるから――。


「じゃあ、お二人は一応従兄弟関係に当たるんですよね?」


「そうだよ」


 この老人が貴族の身分であるとするならば――。


【誰か一人くらい裏の界隈の事情を知っている人がいると思ったんですが……どんだけ綺麗なんですか】


 自分とアイリが以前に政治関係と言った国の重鎮の者たちに呼び出されたときだ。この店を知らなかったのは老人が情報を垂れ流していたから? それとも身元がバレないように、知っている者たちを口止めしていた?


「いやぁ、懐かしい。あのときの帝国でのしんがり戦は大変だった」


「と言ってはいるが、貴様のほとんどは指令だったろうが」


「はっはっはっ。どうした、キイ。変な顔して」


 変な顔と言われても。この事実になんとか噛み砕いて納得しようと真顔になっているキリは何も言えやしない。困惑するばかりである。


「それよりも、そろそろ弟子たちを止めてくれんかね。あまりにもうるさいとお隣さんからクレーム来ちゃう」


「いや、そう思っているなら、手伝ってくれません!?」


     ◆


 いささか強引ではあったものの、アイリとウノを無事に静かにさせることに成功した。彼らは床に正座して口を尖らせている。


「……らっしゃーせぇ」


 頭にこぶを作っているウノはエレノアに適当なあいさつをする。それに彼女は苦笑いしていた。


「まさか、その年になってたんこぶを作る羽目になるとは思わなかっただろう?」


「そうですね。久々に先生の一撃を食らいましたよ」


「そんなあたしも、とばっちりとはいかに?」


 隣で正座するアイリは声を上げる。


「何もしていないのにっ!」


「嘘つくな! 何べんも言わせるなよ! お前が人の物パクって紛失が原因!」


 そんなに怒鳴り散らさなくてもわかってますよ。アイリは「はいはい」と適当に相槌を打つ。その彼女の態度が気に食わないのか。第二次喧騒が始まってしまうと思われたが、このままでは話が進まないと思ったのかウノは堪えてエレノアの方を見た。


「それで、エレノア様は……お前ら、仕事の邪魔になるから奥にいろ」


 ウノが二人を店の奥の方へと追いやろうとするが、エレノアは止めた。


「構わないよ。ちょうどいい。貴様らはどうせ私の孫が帰ってくるまでヒマなんだろう? ついでに小遣い稼ぎでもしてみないかい?」


「やります」


 流石は己にプラスなことがあれば、率直な言行をするアイリ。デメリットなど全く考えないその心意気、見習えそうで見習うことを戸惑わせる所業だ。


「あのなぁ」


「いいじゃん。どうせヒマなんだし」


「そうだけど……」


 キリはエレノアの方を瞥見した。彼女は二人の返事の有無を聞かずして、ウノと仕事内容を話している。これはもうその小遣い稼ぎとやらをしなければならなくなったようである。一体、何をするのだろうか。そう思っていると、エレノアは一枚の写真を見せてきた。そこには一人の人物が写っており、彼らにとって知っている者だった。


「こいつ――」


 その人物は反政府軍団員のガヴァンだった。手に持つ写真に力が込もる。忘れもしない。信者の町や建国記念式典、南地域保護区に破落戸の町――。


「知っているのかい?」


「あれぇ? でもこいつって、捕まっていなかったっけ?」


「これで三度目の脱走だよ」


「いや、逃げ過ぎでしょ。警備ザルですか?」


 その事実を聞いて、アイリは困惑した表情を見せていると――。


「こいつ、破落戸の町で見た!」


「だれけども、最新情報だと、やつは信者の町にいるそうだ」


 ウノは端末機を弄りつつ、ガヴァンの居場所を特定した。


「信者の町、ねぇ。今すぐに行った方がいいのかね?」


「可能性としてはそうですね。いつ、どこに逃げられるかわかったものじゃないですし」


 そうと決まれば――エレノアはキリたちの方を見た。自然と彼女の威圧感ある視線に二人の背筋はしゃんと真っ直ぐに立つ。


「この男を捕まえ、逃がさなければ、コインストどもの『オリジン計画』の詳細を知ることができるはず」


――オリジン計画……。


「いいかい。貴様らが反軍にして脱走犯であるガヴァン・ブルースをとっ捕まえるんだ。二人のサポートは私たちがいるから」


「俺たちがですか?」


 その通り、とエレノアはもちろん、老人やウノまでもが頷く。


「やつは息を吐くようにして嘘をつくことと、何かしらに細工をして相手を貶めるんだ。それが災いをして、民兵軍を追放されたらしい」


 ガヴァンが嘘つきとイカサマ師であることは二人も十分承知していた。


「よし。そうと決まれば、今すぐに信者の町に行くよ」


     ◆


 五人が信者の町へと着いたのは、とっくに日は沈んで周りが暗闇に覆わんとしている頃合いだった。以前と比べて警備をしている王国軍は少しばかり減ったらしい。だとしても、エレノアはここにいる軍人は自分たちに協力してくれるとのこと。


「今、やつはクラブにいるようです」


 車を駐車して、端末機を弄りながらウノはそう答えた。その視線の先にはネオンの明かりで灯された一軒のクラブ店。


「クラブねぇ」


 さて、どのようにして捕まえようか。そのまま突撃では混乱状況を利用して逃げられてしまっては敵わないし――。


 ふと、ガラス越しに見えた店内へと入っていく若い女性が目に留まり、キリとアイリの方を見た。彼らと目が合う。このとき、彼は果てしなく嫌な予感しかしなかった。


     ◆


 近くの宿屋の部屋を借りた一行。その内の三人は大笑い。一人はベッドの上に座って項垂れていた。女装をして。


「なんだい、化粧をすればいけるじゃないかい」


「あのっ! 俺が女装をする意味はあったんでしょうか!?」


「しょうがないぞ、キイ。俺が別に行ってもいいけど、顔が割れているかもしれないだろ?」


「俺も割れてますけど!?」


 だから変装しているじゃないか、と宥めるウノ。未だにアイリと老人は笑い転げている。


「元よりやつは野郎だ。男に話しかけられるより、女の子に声をかけられたいおじさんだろうよ」


「すごく嫌……って、アイ――カムラが……やっぱり、俺一人で行ってきます」


 もしも、アイリ一人で行って、何かあっては嫌だ。そう思うキリは一人で行くことを決意する。


「いや、あたしも変装して行くから大丈夫よ、キリコ」


「それは俺が女子に扮装したとき用の名前か? って、危ないから。あいつは何するかわからないし」


 危ないから自分が一人で行く。そう言うキリではあるが、エレノアを除いた三人になぜか笑われてしまう。なんでだよ。何もおかしなことは一言も言っていないのに、不安になるじゃないか。だが、その謎もすぐに解決した。


 現在、キリはかつらを被って、化粧をしている。更に女性用の服にパットまでも詰めているのだ。そんな格好をした男がなんかカッコいい台詞言うなら――そりゃ笑われますよね。そう言われて嬉しいと思っている女子にとっても、この現状で聞かされたら笑う他ないだろう。


「あの、どうせなら他で変装したいんですけど」


 姿鏡こそは見ていないものの、絶対におかしいとは思っている。だって、こんなに不自然な格好をした女子なんていないし――何より、声でわかるくね?


――言うほど声高い方じゃないし……。


 キリはむしろ低い声の方である。というか、普通に男の声だ。これでガヴァンに近付けると絶対的確信が持てるならば、マックスが素手でライオンを屈服させることが可能である。と、本人が公言するほどまでに等しいのだ。


 他で変装するならば、とエレノアが用意した物を漁るアイリ。取り出してきたのは――。


「これとかは?」


 アイリが手にしているのはライオンの着ぐるみだった。


「俺にどうツッコんで欲しいの?」


「きっと、着たら和むと思うなぁ」


「真面目にない? スーツとかでもいいから」


 それは難しいぞ、と老人がウノの端末機を覗き込みながらそう言った。なぜなのかとキリが彼の方を見ると、吹き出し笑いをされた。いい加減慣れろ。


「どうも、キリコたちが潜入するところ、堅苦しい場所じゃないんだよな。絶対にスーツなんて着たら浮くに決まっているぞ」


「変装用のかつらもそれしかないしね」


「あっ、キリコ。別の動物の着ぐるみならあったよ」


「本当真面目にしてくれ」


 それ以前に――潜入捜査なのに、なぜに着ぐるみがあるのか。まさか、潜入捜査が動物園だった場合に備えてだろうか。もしくはテーマパークとか。これならば、従業員のように堂々としてターゲットに近付けるすばらしい変装用の物として用意したに違いない。絶対そうだ。というか、そうと願うべきなのではないだろうか。


――つーか、それ以外に何も考えられねぇよ。


 キリはアイリが出しっぱなしの衣類を片付けていく。そんな中、彼女は「ねぇ、ばあちゃん」とエレノアの方を向いた。


「なんで着ぐるみがあるの?」


「うん? それはね、動物園に潜入したときに檻の中に入って、その動物に変装できるように用意したのさ」


 予想を遥かに上回るエレノアの思考回路に戦慄を覚えたキリ。一国の王の母君であろう彼女がそのようなばかばかしい考えを持っていようとは。これはあれか、あれなのか。自分のツッコミ待ちということでよろしいのだろうか。ファイナルアンサー?


 しかし、エレノアに何度かのボケに対するツッコミをしたキリとてできるか? いや、何度もしたことがあるからできるはず。ここは早めに軌道修正としてツッコミを入れないと――。


 エレノアを見ると、彼女はどこかツッコミを待っているような素振りを見せていた。


――やる気、失せるなぁ……。


「……と、とにかく、ブルースをこっちに連れてきます」


 ツッコミをスルーしたキリが再びエレノアの方を見ると、すごく悲しそうな表情を見せているではないか。だとしても、心が痛むなどと思わないようにして、変装したアイリとクラブの方へと向かうのだった。


 いなくなった二人にエレノアは口を尖らせた。


「ツッコミ担当だと孫たちから聞いているのに」


「キイのツッコミは無駄にスキルも高くて、剣にも勝る鋭い刃のようなんだけれどもなぁ」


 その無駄に期待値の高い発言をキリが聞いたならば、どう反応をすることやら――。


     ◆


 キリはお酒を飲むコミュニティの場であるクラブなど行ったことがなかった。という以前にアイリはわからないが、彼は未成年である。ただ、一度だけ飲んだことはあるが、飲んだときの記憶がなくなってしまうほどお酒に弱いらしい。それだからこそ、気をつけなければ。


 店内へと入った。薄暗くて白色ないし、赤と青色の電気が灯った場所。振動が伝わるほどの大音量の音楽が流れている。


「アイコ、いたか?」


「うぅん、暗い」


 アイコと言うのはクラブ内でのアイリの名前である。もちろん、キリは先ほど彼女たちが言っていたキリコだ。


 店内を見渡してもガヴァンらしき人物は見当たらない。キリはカウンターの席の方を見た。従業員が怪訝そうにこちらを見ている。下手にバレるのが怖いのか、アイリの手を引いてそちらの席に座った。


「適当に注文しよう」


 飲みながら探す手もある、とキリはアイリに小さな声で伝えた。


「お金、ばあちゃんからもらってきた?」


「一応は」


「そんじゃあ――」


 キリから渡された紙幣を持ってアイリは従業員に飲み物を注文した。注文した物はしばらくしてやって来る。それを一口飲もうとする彼ではあるが、妙にアルコール臭がするのは気のせいではない。


「アイコ、これ……」


 お酒ではないだろうな、と訊ねようとした、そのところをアイリは服の裾を引っ張ってきて耳打ちをしてきた。


「声。キリコ、低いから。高く頑張ってよ」


「が、頑張ってって……」


 そもそもが裏声自体滅多に出す機会すらないのに。やれと。やれと申すか。


「このっ――」


 早速裏声を試してみようとするが、キリは咽てしまった。あーあ、慣れないことをするから。慌てて、アイリは「これでも飲んで」と注文した飲み物を飲ませて、落ち着かせようとした。


 飲んで、咳を止めようとする。キリは下手なことをするものじゃないな、とため息をついた。


「大丈夫? キリコ」


 アイリの問いかけにキリは小さく頷く。裏声出すぐらいならば、黙っていた方がいいのかもしれない。そう考えた彼女は「無理しなくてもいいから」と言う。


「ごめん、ごめん。あいつはあたしが相手するから――」


「いや、平気」


 聞き間違いだろうか。今、キリの方から女の子っぽい声が聞こえたのだが。


「大丈夫だから」


「…………」


 紛れもない、キリの口から発せられる少女の声。えっ、何? お酒を飲めば声帯が変わる人? いや、そんな話聞いたこともないぞ。


「今のキリコが声、出しているんだよねぇ?」


「それ以外に誰がいるの?」


 気付いているのだろうか、自分の声に。


「えっ、ちょっと待って。キリコさぁ、自分の声は知っている?」


「いや、自分じゃん。当たり前じゃん」


「自分の地声、低い? それとも高い?」


 キリはグラスに入った飲み物を一気に飲むと答えた。


「低いよ」


「きみの裏声すごくね? 完全に女の子だけど」


 男性が出す、女性の声真似とは全く別物。完全なる女性の声というのはいささか抵抗はある。少女が正しいか。なんと言うべきか。キンキン高めのヴォイスっぽい。


「ははっ、当たり前だろ? 『僕』にできないことはないんですっ!」


 唐突な敬語に唐突な一人称の変更。心なしか、目が据わっているようだ。いや、もう据わっていた。


「すみませぇん、お兄さん! 同じのをバケツにくださぁい!」


 さらなる唐突が、ボケがアイリを待ち構えていた。


「ちょっ!? キリ……コっ!? それは流石にヤバいから!」


「あぁ? いーい? アイコ、ヤバいって何? 人に限界なんてないんですよ!? そう、人だからこそ知識や力と言った物、あるいはまだ誰も発見したことのないような未知なる力を身につけることによって、その力を最大限に引き出すことが可能なんですよ!?」


「うん、たかが大量の酒を飲むがために、その未知なる力を発揮しないように」


 すかさず、キリに変わってアイリがツッコミ役に回る。こんなの聞いていないぞ。彼が酒に弱いなどと。いや、弱いというか――弱過ぎる。


 一杯だ。グラスに入った、たった一杯のアルコール度が低い酒を飲んだだけなのに――。


「いたぁ」


 キリが目を据わらせながら、ある席の一角を見る。そちらの方へ視線を向けながら立ち上がる。勝手に移動し始める彼の眼前には一人酒を飲むガヴァンがいた。


――まずいっ!!


 見つけたならば、即刻作戦実行をしなければならないが、今はそんな段ではない。むしろ、接触を避けたい。今のキリは酔っぱらっていて、下手すれば正体がバレかねないのである。おい、戻ってこいっ! 作戦中止! 作戦中止!


――接触する前に止めないとっ!


 アイリは急いで席を立ち、キリを連れ戻そうとするが――。


「かんぱぁい!」


 話す暇などどこにあったのだろうか。いつの間にか、二人は仲良く乾杯してお酒を飲んでいた。それを目の当たりにしたアイリはずっこけそうになる。


「あっ、アイコぉ! ステキなおじ様と一緒に飲みましょうよぅ!」


 もはや、見ていられないほどに中年おじさんの隣が妙に見合っている。正直言うと、見たくもない光景。こんな現実が待っているとは思いもよらなかった。


「おうっ、そっちの姉ちゃんも可愛いじゃねぇか!」


「えぇ、『私』はぁ?」


 これが先ほどまで女装を嫌がっていた十七歳の少年。哀しくないのか、キリよ。早く酔い醒まさせて、自分が言い放った言葉の責任の重さをわかってあげさせたい。絶対に羞恥心に駆られて数日は部屋に閉じこもりそうな勢いではあるにしろ、このキリは使えないというわけではないのもこれまた事実。


――完璧女子に成りきっているし……。


「そっちの姉ちゃんはどれ飲む? 俺が奢ってやるよ。もちろん、キリコちゃんもな」


「やったぁ! おじ様太っ腹ぁ!」


「……ツッコミ担当って大変なんだなぁ」


――まぁ、いいのか?


 アイリは自身がすべてを処理しきれないと覚ったのか、投げ出してガヴァンたちのいる席の方へと行く。そして、普通に素直に彼らと乾杯することにするのだった。


     ◆


 楽しむも、楽しまないも本人の自由だとでも言うようにして、キリ――あるいはキリコはガヴァンから奢ってもらえることではしゃいでいた。きゃっきゃっ、うふふと絶対に普段の彼の口からは出てこない笑い声がしている。


 これをもし、動画で撮影して酔いを醒ましたキリに見せたならば、どうなるのだろうか。なんて現在動画機能がある連絡通信端末機を所持していないアイリは残念そうにジュースを飲んでいた。先ほどまではお酒でもよかったのだが、隣の隣に座る女装少年がいつボロを出してもおかしくないため、これ以上酔わないようにしておきたかったのだ。


「きゃははっ! おじ様、おもしろぉい!」


 何だろうか、とアイリはキリの発言を聞く度に眉を動かしてしまう。


――すっげぇ、ムカつく。おっさんの方じゃなくて。


 我慢しろ、耐えろ。こめかみに青筋立てても、キリの正体をさらけ出させるんじゃない。酔いを醒まさせるんじゃない。もっと飲ませろ。ベロンベロンに酔って、記憶を失くしてやれ。こういうときの記憶を失くすことは許す。是が非でも許してやる。


「そうか、そうか。面白いかぁ」


 ガヴァンに至ってはキリがおだてているから気を良くして、すっかり舞い上がっていた。ほら、鼻の下伸ばして。酒の影響と嬉しさに顔を紅潮させて。目付きはいやらしい。こっちも見る目は最悪。まさに変態親父という称号に相応しい顔色だ。


「ほらほらぁ、アイコもジュースばっかり飲んでないで、お酒も飲みなよぉ」


――誰のせいでこっちばっかり飲んでいるんだと思ってんだよ。


「もしかして、アイコちゃんはお酒に弱いのかな?」


「えぇ、まぁ……」


 しかしながら、この男――自分たちの正体に気付いている素振りなど一切ないな。ちょろい。いや、それ以前に完全にスケベな野郎だ。なんかベタベタと体に触ってくるし。酒臭い息を周りに振りかけてくるし。


 アイリはキリの方を見た。彼自身もガヴァンにベタベタしている。二人ともそれでいいのか。相手は男だぞ。うわっ、この酒飲み親父が耳に触ってきた。鳥肌立つ。


「いーやーだぁ。おじさんのエッチぃ」


――その言い方もやめぇい!!


 半分限界。アイリが心の中でツッコミをした途端、手に持っていたグラスを落としてしまった。ガラス物が割れる音なんて掻き消えるほどの衝撃さ。床にジュースがこぼれたなんて、誰も気付かない。そりゃそうだ。うるさい音楽も流れているのだから。


「…………」


 アイリはそれを気にすることなく、硬直状態で二人を見ていた。なぜか――。


――嘘ぉ……。


 キリとガヴァンは互いの唇に重ねていたから。


 硬直から徐々に顔が青ざめていく。これが中年親父と少女でも絵面は厳しいのに。少年を少女と思い込んでいる変態酒飲み親父と、完璧女子に成りきり少年はヤバい。いや、ヤバいを通り越して『ヤヴァい』。意味は変わらないけど、そちらの方が事の重大さを引き出せそうだ。そのヤバさは泣けてくるほど。いや、実際には泣かないけども。


――見たくなかった。


 潜入捜査時に小型カメラとか、そういうのを持ってこなくてよかったと本気で思う。こんなものを画面を通り越してエレノアたちは見たくないだろう。いいや、アイリの場合は生で目撃している。だから、気分は最悪。なんとか吐き気する気分を乗り越えて――。


「ご、ごめんなさい。あたし、気分悪くなってきちゃった……」


 このままトイレ行ったふりして、キリだけ置いて逃げようかしら。なんてアイリが考えていると、ガヴァンは肩を掴んできた。


「アイコちゃん、気分悪いの?」


「うん。音楽がうるさいせいかなぁ?」


 二人がキスしていたせいとは言えやしない。


「そんじゃ……二人とも、行っちゃう?」


 どこへだろうか。シエノ港町? あっ、知ってた? どうでもいい豆知識。シエノ港町の『シエノ』の由来って『潮の』が訛って、シエノになったんだって。『死への』じゃないんだよ。元々は潮の港町だったんだね。本当にどうでもいいね。


「えぇ、どこどこぉ? キリコわかんなぁい」


――あたしはあんたのキャラ付けがわからねぇ!


「うん? おじさんと二人が気持ちよくなれるところだよ」


――こっち見て鼻の下を伸ばしてんじゃねぇ。


「わぁ、楽しみぃ」


――それは己の恥部をさらすんだぞ!? いいのか!? それでいいのかっ!?


「そんじゃ、行きますか」


 ここで断るのもキリがある意味で危険だと考えたアイリはお手洗いと称して、彼を強引に率いてトイレへと駆け込んだ。


「どぉしたの、アイコぉ?」


「あぁ、これは……」


 ガヴァンから離れても、酔っぱらったキリはキリのままだった。薄暗くて全くわからなかったが、顔全体が真っ赤である。相当酔っているな。いや、顔色が明るみに出なくても、彼を知っている者であるならば、わかるか。性格が全然違うのだから。


「アイコぉ?」


 キリは男なのに、可愛らしい仕草で首を捻る。本当に女であると疑うほど。さては潜入捜査前にネットワークで調べて勉強したか? 後で検索履歴を見てやるよ。それ見て、大笑いしてやるよ。今に覚えていろよっ!


「あっ、わかったぁ」


 などと、突然と何がわかったというのだ。アイリはキリの方を見れば――。



「――っ?!?」



 キリは壁にアイリを押しつけて、ガヴァンと同じようなことをしてきた。歯をなぞってくる。舌を絡めてくる。恥ずかしいと思っていても、この瞬間がとてもいい気分であると感じてしまう自分がいた。


 ややあって、唇が離れると――。



「嫉妬か?」



 そう普段のキリの声で言ってくる。


 あまりの突然さにアイリは何もできない。それが機だと言うようにして、キリは彼女の肩に置いていた手をゆっくりと下へ下ろそうとしてくる。だが、トイレのドアが開いた。他の客が入ってきたのか。それに驚くこともなく、何事もなかったかのように離れた。


「アイコ、行こぉ」


 女の子の声へと戻ったキリはアイリを連れて、トイレから出た。あの彼は誰なのか。初めて見たからこそ、彼女は戸惑っていた。


 ガヴァンのところへと戻った二人は彼に案内されるがまま、外へと出た。少しばかり冷える風が頬をなでてくる。酒臭い場所から一変して涼やかな香りが鼻を突き抜けた。


「こっちだ」


 向かっている先はエレノアたちがいない宿屋の方。アイリは二人に気付かれないようにして、服の装飾――それにカモフラージュした現所在地発信機を起動させた。これにより、彼女たちに自分たちの居場所を特定させることができるだろう。


 その宿屋に到着するのにも時間はかからなかった。そこで部屋の鍵を借り、淡々と部屋の方へと向かう。


「おじ様、何するのぉ?」


「うーん? どんなことされたい?」


「もぉ、やだぁ」


「…………」


 外風に当たっても酔いなど全く醒めないキリ。これが本当に自分が好きな人だとは思いたくないが、現実を目の当たりにしているせいだろう。もう慣れたせいか、直視くらいはできるようになった。だが、すぐに目を逸らしてしまうのも、これまた現実である。


 部屋の中へと入り、ガヴァンは鍵をかけた。そして、二人にベッドの上へと座るように指示をする。その間、自分は適当に椅子を引っ張り出して座った。冷蔵庫からは備えつけの酒を取る。


「まずは前座余興に姉ちゃんたちのイチャイチャでも見せてもらおうか」


「えっ?」


「俺はそれを酒の肴にする。その後に二人同時にしてやるさ」


「アイコとぉ?」


 キリはじっとアイリの方を見てくる。イチャイチャと言っても。それよりも、位置情報を発信しているはずなのにまだ来ないのか、援軍は。はよ来い。


「あたしがぁ? や、やるの? おじさん……」


「おう、やれやれ。どうも、酔いが少しだけ醒めちまったようだ。もっと、姉ちゃんたちと楽しみたいモンよ」


「えっ、ええぇ……あ、あたしたち――」


 ガヴァンに何か言おうとしていたアイリの口をキリの口が塞いだ。そのまま、押し倒されるように彼女はベッドの上に寝転がる。


――ちょっとぉ! 流石にここじゃあ!!


 声が出ない。塞がれているから。また酒臭いにおいが口の中に入ってくる。早く援軍来てくれ。とんでもないカオス的状況に陥ってしまったぞ! 完全に発信は起動させているのに。だから、いつ突撃していてもおかしくはないのだが。だから、いい加減早く来いって。何しているんだよ!


 いや、それよりもキリだ。彼はまだ酔いが醒めていないのか、吐息を、舌を耳に入れてくる。それだから、鳥肌が立ってくるし――。


 ここで止めさせたいのは山々ではあるが、止めたら止めたでガヴァンは不満垂れてくるだろうし。いや、止めさせた方が自分の身のためでもあり、キリのためとも言えよう。


 女装していた男子が服を脱いで男だとバレる。ガヴァンにとっても最悪であろうが、一番はキリだ。


「ちょっ、キリコ……」


「んっ、はぁ……」


 耳から首筋にキリの唇が移動する。本格的に駄目なやつだ、これ! なんとかして、酔いを醒まさなければ!!


 これが酔い醒めになるといいのだが――。


 アイリは勢いよく起き上がり、今度は彼女がキリを覆い被さるようにした。口元をそっと耳元にやり「いい加減にして」と彼にしか聞こえないような音量で呟く。


「えぇ? もう、アイコったら。可愛いなぁ」


――あっ、ダメだこりゃ。


 次の一言で酔い醒めしなければ、サディスティックになって、強烈な往復ビンタしてやる。それならば、嫌でも醒めるだろ。半ばやけくそのアイリはもう一度、耳元でぼそりと呟いた。


( ロリコン変態野郎 )


「…………」


 おっと、少しは効いている様子。もっと押さなければ。


( 聞いたよぉ。きみって、小さな女の子に自分好みのコスプレをさせて、変態プレイをしたんだってね )


「……はっ? じょっ――!」


 何か言いかけようとしたキリ。だが、口を塞いだ。それもそのはず。女の子らしいキリコの声ではなく、普段の彼の声に戻ったから。近くにガヴァンの姿を見て、己の正体をバラさまいと必死になる。そして、挙動不審のその目は焦りが見えていた。


 ようやく、酔い醒めしたか。遅い。それよりも、キリはなぜにここにいるのかわかっていないようだ。アイリが覆い被さっている理由もわからないようで、恥ずかしそうにしている。彼女は耳元で教えてくれた。ここにいるすべてのことを。クラブであったことを。


 本当はクラブでガヴァンとキスしていたことは黙っておこうかとは思っていた。だが、ここまできて酔い醒めしなかったキリに若干苛立ちでも覚えていたのか、ある種の復讐をする。段々と酔って赤くなっていた顔が顔色なしへとなっていく。


 すると、酔いが回ってきたらしい。ガヴァンが椅子から立ち上がった。アイリの肩に触れながら、再びキリの方へとキスをしようとしてくる。当然、とうの前に酔いが醒めている彼にとっては――。


「こっち来るんじゃねぇ!?」


 こっそり服の下に隠していた過去の歯車を歯車の剣へと展開させて、側面で叩き殴った。ガヴァンはそのままベッドの下へと落とされた。それと同時に部屋の中にようやく援軍の王国軍人たちが突入してきて、彼を捕縛。


 殴られたガヴァンは困惑していた。一体何が起きたのか。わかることはクラブで誘った女の子の口から男らしい声が聞こえてきたことと、見覚えのある武器が視界に入ってきたことだ。


「……冗談じゃねぇぞ!」


 空笑いするキリはベッドの上で歯車の剣を握りしめて、ガヴァンを見下す。その目は冷たい。いや、酔っていた自分もノリノリだったというのに。アイリは呆れた様子で彼らを見ていた。


 ようやく、その剣を握る少女の正体に気付いたガヴァンは一気に青ざめた。それもそのはず。彼はいくらベロンベロンに酔ったからと言っても、すべての記憶を失っているわけではない。断片的な記憶は一応ある。それは、あの記憶だって残っているとも言えよう。


「お前っ、騙したな!?」


「うるさい、うるさいっ! お前のせいで、お前のせいでっ!」


 すべての責任をちゃっかりとガヴァンに擦りつけようとする涙目のキリ。


「はぁ!? どう考えたって、お前が俺を誘ってきたんだろうがっ!!」


――それは否定しない。


 もっともな話。アイリは心の中で納得していた。だが、口には出さない。だって、キリの憤りのあるオーラが怖いんだもん。


「違うっ! 俺がそんなことするものかっ!」


 光をまとう剣先を向けて怒鳴り散らす。これが何の口論に見えるだろうか。そう、女装したキリがガヴァンに色仕掛けをしたかどうかの話だ。


 キリはクラブでの記憶が曖昧だから「ガヴァンが悪い」などと言えるが、実際はこの中年おじさんの言うことが正しいのだ。哀しいことに。


「お前があんなことをしなければ――」


 キリが言いきる前にガヴァンは王国軍人たちに連行されていく。部屋に残ったのは二人で、そこへエレノアたち三人が入ってきた。途端に老人が彼の今の姿の写真を撮る。シャッター音に片眉が動いたのは絶対に気のせいじゃない。


「……それ、俺に渡していただけないでしょうか?」


「えっ? な、なんで?」


 片手に歯車の剣。余った手は老人に手を差し向けている。これが何を意味するのかは誰もがわかるだろう。ひしひしと殺気が漂っているから。


「なんでと言ったら、ぶっ壊すに決まっているでしょう?」


 それはもちろんアイリもだと彼女の方にも目を向けた。しかし、実際のところは写真を撮りそうなアイリであるのだが、そのツールは手元にないのが現状。


「あ、あたし、連絡機すらも持ってないよ」


「それは嘘じゃないだろうな?」


「も、もちろん!」


 何だろうか。黒の皇国の首都で会ったキリよりもこちらの方が怖いのは。ああ、そうだ。女装をしているから逆に気味が悪くて怖いんだ。これぞホラー。なんて思っている場合じゃない。彼は疑り深いせいか、視線をずらそうとしなかった。じっとこちらを見てきている。


「本当だよ!? そんなに疑うんだったら、あたしの鞄の中とか探せばいいじゃん!」


「いいや、アイリのことだ。本当はどこかに隠しカメラでも――」


「……隠しカメラなら、この部屋にあるさね」


 エレノアがここに来て初めて発言をした。その言葉にすぐに彼女の方へと視線をずらす。それが隠してある場所はどこだと目で訴えていた。


「えっ、じゃあ隠しカメラ仕掛けてあった宿なら、なんで援軍が来るのが遅かったんですか!?」


 キリを押し退けるようにして、アイリがそう喚き出した。そんなのだったら、自分も彼も恥ずかしいことしていないで、ためらうふりしていたのに! いや、キリコ状態は無理か。それでも、憤慨はしてもいいはず。彼女もカメラはどこだと言い出す。


 二人のあまりの気迫力に圧されたエレノアは設置した場所を彼らに教えた。すると、キリたちは見つけては破壊をし出す。こんな物がこの世に残っているだなんて一生の、一世の恥だ。


――ああ、最悪!! ああ、恥ずかしい!!


――証拠隠滅!!


 自分たちがいた部屋の隠しカメラすべてを破壊し尽くした二人。床にはそれの残骸が残る。そして、彼らは証拠隠滅できてスッキリとした表情を見せていたが、ウノが「高くついたな」と苦笑い。


「あーあ、キイにカムラ。大変だぞ」


「大変? こちらとら自分たちの恥隠しのために必死なんですよ?」


「そうですよ。こんな物残せるわけないじゃないですか」


「だとしても、これって回収して映像確認するんじゃなくて、リアルタイムで軍基地の方にも行っているから」


 衝撃的かつ、絶望感丸出しの顔を見せる二人。冗談だろ? 嘘だろ? 我が耳を疑った。


「え?」


「いや、え、じゃなくて。それにこれ新型のカメラだから一台結構するぞ。更に保険すらもない」


「つまりは弁償だな」


 老人が唖然とした彼らの写真を撮った。二人とも同じ顔をしているのが、この写真のポイントである。


 現在の彼らの負債はウノのバイク代と新型隠しカメラ。今回のエレノア個人からの報酬により、カメラの方にお金が飛んでいってしまった。


 後に二人は語る。潜入捜査って基本的にろくでもない、と。

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