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世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う  作者: 池田ヒロ
第四章 哀れな愚か者の末路
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理想

 素敵な言葉や愉快な言葉。切実なる願いを並べたものこそが理想であると誰かは言う。


「おいで」


 壮年の男性が膝の上を優しく叩いて、こちらへと小さな女の子と男の子を呼び寄せる。この時間が、この三人にとって穏やかな時間であると感じていた。彼らに身寄りなどはない。故に、こうして肩を寄せ合って生きていくことを決めていた。


 女の子はぬいぐるみを手にして遊びながら座る。男の子は柔らかいボールを手にして座った。


「せんせぇ、らびちゃん!」


 女の子は楽しそうに、嬉しそうにして男性にそう言った。彼は優しく微笑むと、男の子の方を見る。ぬいぐるみなど興味も持たずしてそのボールを空中に投げては掴んで、投げては掴んでを繰り返しているようだ。


 こちらを見てくれないことに不満でもあるのか、女の子は男の子の方にぬいぐるみを押しつけてきた。


「ねぇ、らびちゃん!」


 男の子は怪訝そうに押し退けてしまった。つまらなさそうに双方とも口を尖らせる。ややあって、女の子の方が彼に対してぬいぐるみで叩いてきた。別段硬い物ではないのだが、男の子はそれが気に食わなかったようで、ボールをぶつけた。それは彼女の頭の上にてんっ、と当たり――。


「わぁああああああああん!!」


 痛みなどあるはずはないが、投げつけられたことが嫌だったのか。その場で大泣きし始めた。手に持っているぬいぐるみのらびちゃんを振り回し、男性の膝の上で暴れ出す。男の子はそんな女の子を見て耳に指を突っ込んで嫌そうにしていた。悪びれた様子は一切ない。


「こらっ! 謝りなさい」


「ヤだ。なんでおれが謝らなくちゃいけないの?」


 自分は悪いとは思っていないらしい。男の子は不貞腐れる。膝の上から逃げるようにして立ち上がろうとするが、それを男性は放さない。逃がさない。


「はなして! やぁだぁ!!」


 いくら男児だとは言え、成人男性の力には敵わないようだ。仕舞いには涙目で訴え始めてくる。


「おれ悪くないもん!」


「わぁあああああああああん!」


 男性の膝の上で喚き散らす二人の子どもたち。なんとも仲の悪い。男性は彼らを宥めさせて、泣き止ませた。グスグスと、どちらとも鼻水を啜る音が聞こえてくる。


「お前は自分の妹が嫌いかい?」


「……きらいじゃないけど、先にたたいてきたもん」


「それは嫌だったね。でもな、嫌なら嫌だ、と口で言わないと。攻撃しちゃダメだよ」


「じゃあ、おれじゃなくてこいつに言えよ」


 そう言う男の子は膨れっ面をして鼻水を垂らして涙目の女の子を指差した。それに彼女はまた泣き出さんとして目に涙を溜め始めると、男性は優しく頭をなでる。


「……そうじゃないよ。確かに最初にらびちゃんで叩いてきたのはいけなかったけど――」


「……ごめん、なしゃい」


 女の子はじっと男の子を見て言う。彼も彼女を見た。今にも大泣きしてきそうなその表情――ああ、自分も悪かったよ!


「ごめん、なさい」


「よくできました」


 双方の謝罪を聞いて、男性は彼らの頭をなでた。男の子は逃げる気を失せたのか、彼に寄りかかってどこか安心したような顔を見せる。


「お前たちは互いを嫌いなわけじゃないんだろう? 兄妹なんだから好きなんだろう?」


 その問いかけに二人は小さな頭を縦に振った。


「それならば……好きな人を愛しなさい、寄り添ってあげなさい。人の優しさにはそれ以上の優しさで返してあげなさい」


 女の子はじっと男の子を見つめている。彼はあまり興味なさそうにして聞いているが、彼女は願っていた。家族だから。ときどき頼もしくて優しい兄だから。もちろん、男性のことも大好きだし、友達も大好きだ。でも、一番は兄であるこの男の子。


 そう、できることならば――ずっとそうであるように。


――ずっと、いっしょにいたい。


 小さくて細やかな願いは、いつしか毎日そう願うような理想となってしまう。天より差し伸べられた手を追い求めるようにして、小さなその手は必死に掴もうとしていた。

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