相思
【見てください、ガズ様。綺麗な花が咲いておりましてよ】
【うおっ、本当だ! これ、食べられるかな?】
ここは黒の皇国にある、世界を見る目にほど近い町の植物園内である。色とりどりの花が咲き誇る花壇を見てマティルダは憂鬱になっていた。あのとき、ガズトロキルスの鉄格子の鍵を開けて一緒になれたのは嬉しい。だが、相も変わらず、以前のような関係は築けない。ずっとぎくしゃくしているた。
ここで何もないのは嫌だった。
「ガズ様、ステキなお花がいっぱいですよ」
一応、話しかけてはその返事をくれるのだけれども――。
「お、おお。そうだな」
会話は続かない。一体ガズトロキルスは何が原因で自分を避けるようになったのだろうか。すごく悲しくて寂しい。
「…………」
嫌な思いは誰もが感じていることだから、マティルダはずっと押し堪えていた。メアリーにハイネにターネラ。彼女たちには会いたくても会えない人がいるのは事実。だが、自分は会えている。でも、会えていないような気がするのはなぜだろうか。
――ガズ様……。
少し離れたところでキリと話をしているガズトロキルスをぼんやりと眺めるマティルダ。あまりにも周りに気付いていないせいか、忙しそうにしている植物園の職員とぶつかってしまった。そのせいで花壇の方へと転倒する。
「あっ!」
「も、申し訳ありません!? 大丈夫ですか!?」
この一連にキリたちも駆け寄ってくる。自分が花壇内へと倒れてしまったから、花がぐしゃぐしゃになってしまった。ああ、綺麗に植わっていたのに。
「お怪我の方は?」
「いえ、この植物の棘に――」
人差し指には植物の棘が。さほどの痛みはないのであるが――。
ぐにゃっと視界が揺れ動く。とても気分が悪かった。何だろう、この気持ち悪い気分は。あまりにも視界がぐるぐる回り過ぎて、目が回る。ああ、吐き気もしてきて――。
「お客様!?」
◆
一同の前で倒れたマティルダは植物園の職員休憩室へと運び込まれた。一体、どうしたのだろうかと不安になりながらもマティルダを見る。彼女は眠るように目を閉じているではないか。
「マティルダ様……」
レナータは何をどうしていいのか、わからずにうろたえるだけ。いや、キリもガズトロキルスもだ。職員とぶつかっただけで倒れるだなんて。その拍子に何があったのだろうか。
現在は近くの病院から呼ばれた医者にマティルダの様子を診せている。すぐに目を覚ますと言って欲しい。ややあって、彼女を診ていた医者は三人の方を見た。
「ここの植物園にある植物の棘の毒で気絶しているようですね」
「それは大丈夫なんでしょうか?」
「私は植物学の専門でもないので、なんとも言いようがありませんが。すみません、どの植物の棘に刺さったのかおわかりになられますか?」
医者はマティルダとぶつかり、職員休憩室まで運んだ園内の女性職員の方を見た。一同は職員を見る。彼女は「それが」とどこか焦ったようにして言った。
「眠り花という植物なんです。展示している物の棘は危険ですので、抜き取っているはずなのですが……」
「不覚にも残っていたんでしょうね。症状の方は?」
「えっと、眩暈と吐き気がして、その後に眠ったように気絶をするんです」
その言葉にガズトロキルスは大きく反応を見せた。眉間にしわを寄せて、何かを言いたげではあるが黙っている。そのことにキリは見抜いた。
「彼女は目を覚ますんですよね?」
キリの質問に医者は女性職員を見た。だが、否定するようにして首を横に振る。
「目覚めの薬を飲まない限り、目を覚ますことはないんです」
「その薬は? 医者のあんたが持っているのか?」
どこか取り乱したようになるガズトロキルスは医者にすがる思いで見てきた。
「目覚めの薬、となると――」
医者は職員を見る。彼女は渋った表情でいた。
「原材料が立ち入り禁止区域の場所に生えているので、作ることなど……。立ち入るための許可をもらうのに時間が相当かかるでしょう。しかも、ストックすらもない現状ですので……」
「それ、どこにあるんですか?」
「世界を見る目にしか自生しない植物ばかりですね」
キリは自身の連絡通信端末機で資料を探すようにして眺めた。あった、とでも言うようにしてその画面を三人に見せる。
「これら、ここの植物園には生えていないんですか?」
「ないです。どれも世界を見る目の山の土壌だからこそ、存在できる植物なので。それに、ここの土に山の土は含まれておりませんし」
その答えにガズトロキルスは更に眉間のしわを刻む。世界を見る目にしかない植物たち。あの世界一高い山への立ち入りは禁止されているはずだ。黒の皇国軍がそう定めているのだから。
「じゃあ、どうしたら――」
「行こう。俺とガズが行けばいい」
唐突にキリがそう言い出した。これには誰もが目を丸くする。世界を見る目は立ち入り禁止区域なのに――。
「それであなたたちが、軍にでも見つかってしまえば大変ですよ?」
「そうですよ!」
誰もが反対をするが、キリは「行くべきだ」と意思を曲げようとしない。
「俺たちは行くべきなんだよ。ガズなら、なおさらじゃないのか?」
じっとガズトロキルスを見る。キリ自身もマティルダと彼の関係性のことを長期休暇中のときから気にしていたのだ。半年ぶりに彼らと再会したときはいつもの二人の仲とは言いがたかったからだ。
マティルダのことが好きではなかったのか。それともこれは彼女の一方通行の恋だったのか。訊くに訊けない雰囲気で、誤魔化されている気がしていた。だからこそ、知りたい。彼がマティルダのことをどう思っているのかを。
キリは知っていた。距離を縮めたい思いから頑張ってマティルダがガズトロキルスに話しかけていたことを。普段の彼女は飛びつくようにして、話しかけていることを。友達だからこそ気にしているのだ。
「そりゃ、助けたいけどよ……」
マティルダを見た。正直言って、彼女を助けたいという気持ちはあるんだと『思う』。だが、それを止めようとするなにかに恨んでいるような、嫉妬しているような。なんなのか、この気持ちは。
マティルダを突き放したという事実はある。だが、それは彼女の幸せを願っているからこそ、突き放しただけ。もちろん親だって。
アイリが最後のあいさつでも言ってきた方がいいと言っていたが、結局あの後は連絡も取っていない。今頃は自分が王国を裏切ったために投獄されているという知らせを受けているだろう。
【私はただガズ様のお傍にいるだけで、すでに幸せですの】
マティルダはそう言っていた。
――なんで、ぶつかっただけなのに俺を慕ってくれるんだろう?
本当はずっと訊きたかった。訊くべきだった。だが、訊かなかった。理由なんて要らないと思っていたから。あれくらいがちょうど自分にとって楽しい、嬉しい、幸せだと思える時期だったから。アイリがあんなことを言ってこなければ。このようなことに苛まされなかったのに。
なんてごちゃごちゃと割に似合わず考えていると、キリはいつの間にか女性職員から材料のことを訊き出し、強引にもガズトロキルスの手を引いてその場を後にするのだった。休憩室に残されたレナータたちは、もしもに備えての別の対処法を考え出そうとする。
◆
「お、おいっ! キリ!」
キリはここまで行動的な人物であっただろうか。そうガズトロキルスは困惑しながらも、どんどんと町外れの方へと向かう彼を呼び止める。キリはその声に立ち止まってくれた。
「そこは立ち入り禁止区域だろ!? 俺たちが面倒事を起こしたらダメだろうが!」
「知ってる。でも、ちょうどいい。ずっと、ガズに訊きたかったんだよ」
医者から教えてもらった材料のメモ紙と植物園から借りてきたハンドブックをパーカーのポケットに仕舞い込んで、ガズトロキルスを見た。彼は眉根をひそめながら、キリに視線を送る。
「ボールドウィンと何かあったのか?」
キリのその質問には答えない。いや、答えることができない。自分もその答えが知らないから。
「休暇のときから、距離を置いている感じがしているよな?」
「別に、キリには関係ないだろうよ」
「関係なくはないさ。まだしばらくはみんなで旅をしなくちゃならない。ぎくしゃく関係なんて嫌だ。俺だって、承前の棟から出てきたときのみんなの視線が怖かったさ。でも、ガズは普通に接してくれた。何も変わらずに」
「前夜祭に言っただろ。お前はお前だって」
世界を見る目の方に行くんだろ、と山の方へと一足先へと向かってしまう。その後をキリが追いかけた。ガズトロキルスはこれ以上、何も言いたくないとでも言っているようだった。それを背中が語っている気がする。
◆
監視の目を掻い潜り、二人は山の中へと入っていく。山道などそちらを通るわけにはいかなかった。立ち入り禁止区域であるならば、見回り軍がいるかもしれないから。元々の山道に植物が生い茂っていて、道としての機能を失っているのかもしれない可能性だってあるのだが。
「歩きにくいな」
「獣道も見当たらないしなっと。材料はどれを探すんだ?」
ただ、闇雲に歩いてもどれだかわからない。メモ用紙を受け取って確認をした。そのメモ用紙にはキリらしい少し丁寧な字体でこう書かれていた。
『天徳葵の実、織咲陽楽草、留理灯面花』
「この三つだけでいいのか?」
「そうみたい。天徳葵の実は赤色の木の実で、織咲陽楽草は花みたいな形の草。留理灯面花は青色の花だそうだ。全部、ここら一帯に生えているらしいけど」
そうハンドブックを片手に辺りを見てもそれらに該当するような植物はなかった。地道に探す他ないようだ。そうもしなければ、マティルダが目を覚まさないのだから。
「そうそう見つかりっこないってことかな?」
どこを見渡しても緑一色。ごくまれに別の色が見当たるくらいか。
「山って言ってもなぁ。高いよな。場所も相当……気が遠くなりそうなほどに広いよな」
「世界一高い山だしな」
二人は草木を掻き分けて足を進めた。生い茂り過ぎて通行の邪魔になって仕方がない。この辺に獣道ぐらいはないのだろうか。そちらの方がまだ通っていても幾分かマシなのに。
「ここって、野生の動物とかいないのかな?」
「どうだろう? 俺、そういう気配を辿るのは得意じゃないから」
自分たちの周辺の気配は今のところ何もない。だが、猛獣が出現してしまえば、どうするつもりなのだろうかとガズトロキルスは思った。今更ながら自分たちは丸腰状態である。武器すらも車内に積んだままだ。
「もしも、動物が襲ってきたらどうするんだよ」
「そのときはこれでも使うよ」
ちらちらと見せてくるのはキリがいつも服の下に隠している過去の歯車。それで相手をやっつけるのか。
「これで隙をついて逃げればいいだけの話だし」
「やっつけたりしないのか」
「無駄な殺生はダメだろ。まあ、皇国軍人はするかもしれないけどさ」
「……それに関してはお前に任せるよ」
それにしても勾配が急な斜面だ、とガズトロキルスは思う。自分の故郷も山の中のような物であるが、ここまで急斜面を登ることはなかったはずだ。そして、一年くらい前の雪山行進だって。
「やっぱり学校行っていないと、そんなに自主訓練しないから体力落ちてきているのかな」
なんてガズトロキルスは大きく息を吐きながら、木の幹にしがみついた。それはキリも同様である。彼の場合は半年も牢獄にいたからなおさらである。車移動があるから疲れてしまったこともなかったが――いざ登山をすると、こうも体力を消耗するとは思わなかったのだ。完全に体力が落ちてきている。もっとも、世界一高い山に軽装で登ったりするのは百も承知で当然のように危険であるのだが――。
「だなぁ。これ、本来の目的よりも登ることがメインになってしまいそう」
そうキリが小休憩をしていると、少し離れたところに赤い実が生っている木を発見した。もしかして、あれなのだろうか。ガズトロキルスを呼ぶ。
「見つけた?」
「あれがそうじゃないかって思って」
試しに近寄って見た。ハンドブックに乗っている写真とは似ているような気がする。キリは一つだけ実をもいだ。
「えっと……」
『天徳葵の実』
概要:赤くて少し長めに丸を帯びている。葉は濃い緑色で硬い。昔、世界を見る目の周辺の町や村では果実はペースト状にしてお菓子として用いたり、薬品の材料としても存在していた。また、葉っぱから採れたお茶はほんのり甘い風味が味わえる。現在では世界を見る目が立ち入り禁止となっているため、その味を味わうことができない。
キリが手に持っている赤い果実は記述通り。葉も文章と合致している。これが天徳葵の実なのだろうとガズトロキルスの方を見ると――。
「美味いな、これ」
すでに木から果実をもいで食べていた。
「…………」
「よっしゃ、お土産としてもいくつか採っていこうぜ」
そうガズトロキルスは実を頬張りながらブチブチと熟れている果実を採っていく。
「いや、お前何してんの?」
そのようなことをしている場合ではない、と怒りたくもなる。だが、もしも見回りの軍人たちに見つかれば大変だ。そこは少し抑えて言った。
「おう、キリも食べてみろよ。美味しいぜ」
「いや、美味しいじゃなくてさ……」
「うん? 感想がいけなかったのか? えっとだな、みずみずしくて、シャリッとしていて、噛めば噛むほどふんわりとした甘酸っぱさが口に広がり……」
「感想なんて求めてねぇよ、誰も」
「でも、キリももいでいるじゃん」
なんてその実を指差しながら、シャクッと音を立てながら、口を動かしていくガズトロキルス。
「俺は確認のために採っただけなの。ガズはただの味見じゃねぇか」
「違うよ、毒見だよ」
本当に毒があったらどうするんだろうか、と怪訝そうに見た。こんなところで食中毒になればガズトロキルスを連れて急勾配の山から降りなくてはならないのに。何より、世界を見る目に侵入したということがバレてしまうだろう。
皇国軍に捕まってしまえば元も子もないし――。
ガズトロキルスの食に対する行動力には細心の注意を払わねばならないだろう。食べ物の執着心は他の誰もよりも強いのだ。その内、そこら辺に生えていたなんだか食べられそうな物をほいほいと口の中に放り込みそうなほど。食中毒になりかねないのに。
「ガズさぁ、ライアンの手料理の耐性がないような物なんだし、変な物食うなよ」
「大丈夫だって。何も地面に生えている訳のわからない物は口にする勇気はないぜ」
「天徳葵の実もさして変わらないけどな?」
むしろ、何の疑いもなく美味しそうに食べていることに驚きである。
「あと、町に下りても見回りの人にそれ持っているの見つかれば一発でアウトなんだから。ここでそれら全部食べていけよ」
「いいの? 食べて」
「ボールドウィンの分は俺が持っているから問題ないし」
どうも本当はもっと食べたかったようで、袋に詰めていた天徳葵の実をむさぼり食べ始めるガズトロキルス。まあ、そんなに食べたいというのであるならば、余程美味しかったんだろう。なんて思っていると、彼は食をしながら木になっている果実をどんどんもぎ始めた。もいだ分だけ美味しく食べる気なのだろうが――。
「おい、採り過ぎだって」
「ここら一帯に生えているんだろ? それにこんなに熟れているんだから取らなきゃ損だぜ」
「いや、それ全部食べる気か?」
持ってきた袋に入りきれないほどまで詰め込んだのか。というか、下の方は上に圧しかかってくる実で潰れないだろうかと不安になる。いいや、そんなことよりも――。
「そんじゃ、入りきれなくなったところで次を探しに……あっ、無理だ。これ抱えての山登るのは」
袋からは今にも果実がこぼれそうなほどである。そのような物を持ちながら急斜面を登りきれるか。否、手厳しいのが現実だ。ただ単に上へと登っていくだけにあらず、周りに自生している植物を見ていかなくてならない。ということは――。
「じゃあ、いただきます」
この場で持ち運びができるまで食べなくてはならなかった。キリも手伝った方がいいのだろうかと見ていたが、ガズトロキルスの食べ物を口に運ぶ姿はバキュームがごとし。冷静に考えれば貴重でレアな食材を一気に胃袋の中へと詰め込んでいるのだ。そんなのを見て、高級・珍味・レア食材の愛好家たちが見れば殴りたくなるレベルだろう。というか、けんかを売っているのではないだろうかとも表現できる。本当に殴られたならばいいのに。
「キリも食べれば?」
ガズトロキルスは怪訝そうに見てくるキリを見て、天徳葵の実を差し出してきた。別に食べたいというわけでもなかったが、その果実を受け取る。そして、一口食べた。普通に美味しかった。最初にちょっとした酸味がきたかと思えば口の中に果実独特の甘みが広がって――これ以上の食レポートは本編と関係ないため、割愛させていただきます。
◆
案外美味しかったと思えたキリは後もう一つだけもらい、結局二人は袋の中に詰め込んだ天徳葵の実を食べきってしまった。
相当な重量があったはずだ。それなのにガズトロキルスはそれをほぼ一人で食べきったのだ。それでも彼は物足りなさそうに木に生っている実を見上げる。流石に、と思ったキリは止めた。
「これ以上、採るなよ」
「いや、他に熟れた実はないかなって思って」
「まだ食う気満々じゃねぇか」
これ以上、ここで留まっている場合じゃねぇぞ。そうガズトロキルスに促して残りの織咲陽楽草、留理灯面花の二つを探していくのだった。
今度は木に生っている果実ではないため、周りを見るというよりは地面を見て動かなければならなかった。織咲陽楽草と違って留理灯面花は花で色も青い。すぐに見分けがつくだろうと思っても、これがまたなかなか見つからない。それどこか、天徳葵の実とはまた違った果実がガズトロキルスを足止めをするではないか。
「これ、美味しいのかな?」
ハンドブックを手にしているキリをじっと見つめてくる。調べろらしい。食べられるならば、食べる気のようだ。あれだけ大量に食べたのに。まだ食べ足りないと物申すか。仕方なしに本のページを捲るキリ。ペラペラと捲って、あった。
ガズトロキルスが食べたいと申し立てる木の実の記述があったのだが――食べたら舌に痺れが発生し、腹痛、嘔吐下痢の症状を引き起こす果実のようである。
そのことを載っているページを見せながら説明するキリ。人が食べる物ではない、とわかったガズトロキルスは眉間にしわを寄せて食べられない果実を凝視した。その視線からはきちんと人間が食べられるように進化しておけよ、とでも訴えかけているようであった。
「行くぞ」
キリがそう呼んでもじっと見るだけ。
「上じゃなくて、下を見ろよ。下を。残りは草と花なんだから」
「食べられるの? それら」
「食うことじゃなくて、ボールドウィンを助けることを考えろよ」
「……ンなこと、わかっているよ」
だが、食べたくても食べられない食べ物には憤りを感じているらしく、納得がいかないガズトロキルス。
「ボールドウィンも大事さ。けど……」
そう視線を逸らしながら地面の方を見ると、他の草とは違って花のような形をした植物を見つけた。確か、織咲陽楽草のことをキリは花の形をしている草と言っていた。
地面へと屈み込み、キリを呼んだ。
「見つけた?」
「これ、織咲なんとかってやつじゃない? 見てみてよ」
キリは言われた通り、確認をする。
『織咲陽楽草』
概要:花のような形をした多年草。基本的には薬草として用いられることがあり、世界を見る目が立ち入り禁止区域に制定されるまで一般的な薬草としての代名詞であった。また、これらを料理していただくのも美味しい上、健康的になれるだろう。
「うん、これっぽいかな?」
キリはその草を突きながらそう答えた。
「それ、食べられる?」
「そればっかりだな、おい。いや、食べられるけど……」
鼻白むキリのその言葉にガズトロキルスは織咲陽楽草を千切って口の中へと放り込んでみた。地面に生えている物は口にしないのではなかったのか、と思いつつもハラハラしながら見る。
「なんとも、ない?」
「うーん。苦い、という言葉が似合うな、これ」
顔をしかめるガズトロキルス。まさしく苦汁を飲まされた顔とでも言うべきか。それでもくせになる苦さだ、と評価する彼はブチブチと土が付着しないようにして千切って食べいく。それを慌てて止めるキリ。
「健康的なお前が食ってどうするんだよ」
「もっと、健康になるに決まっているだろ」
「そうじゃなくてもガズは立派に健康だよ。俺が保証する。誰がどう言おうと健康だと断言できる。だから、持って帰る分をなくすんじゃない」
なんとかマティルダの分は確保するキリ。だが、ガズトロキルスは織咲陽楽草の周りに生えている野草をじっと見つめる。まさかとは言うが、それらを調べさせて自分が食べようという魂胆か。そうしたいと思ったとしても、時間がない。いや、する気なんてないけど。ここはなんとしても今日中には戻りたいところ。こんな山の中で一夜を過ごす気にはなれないのだから。
「諦めてくれよ」
さっさと残りの花を探そうと言おうとしたとき、二人の目の前に小動物が現れた。それはつぶらな瞳をそちらに向けて首を捻っているではないか。その仕草を見てガズトロキルスが可愛いなと少しばかり和んでいると――。
キリがハンドブックとマティルダの薬を作る用の材料の入った袋を放り投げて小動物に飛びついた。あまりの突発性にガズトロキルスも小動物もびっくりする。
「可愛いなぁ、こいつ」
珍しくも和やかな表情を見せている。動物好きだとは知っていたが、まさかここまでだとは思わなかった。
「王国じゃ見かけないな、耳が短いし。ここら辺特有のやつなのかな?」
「さぁな……。俺、動物に詳しくは――」
ない、と言おうとしたその声を遮って妙な奇声音が山の中に響き渡った。その声に怯えたのか、小動物はキリの腕をすり抜けるようにして逃げ出していってしまう。それを残念がる彼をよそに、ガズトロキルスは周りを見渡して警戒し出す。すごく嫌な予感しかしないとはこのことか。
視線を動かし、ようやく見つけた。木々の間に、緑色の植物とは対照的なあいつがいた。派手な色の体を持ち、こちらをぎょろりとした目玉で見てくるのは大きな体をした動物――ライオン。世界最強の怪鳥である。
「……キリよ。俺の目がおかしくなければの話なんだが、テレビとかで見たことのある鳥がこっちを見ているんだけど」
ガズトロキルスとライオンは目が合っている。その視線を、目を逸らしてしまえば殺される。そんな殺気が大きな鳥の方から漂っていた。
「鳥?」
キリにも奇妙な視線が伝わってきたのか、その先を見ると――。
「どうしよう?」
「いや、どうしようじゃなくて。なんでここにあいつがいるんだよ」
ライオンはゆっくりとこちらへ近付いてくる。それに伴い、二人も慎重に転げ落ちないようにして後退していくしかなかった。
「こいつって、背中向けたらダメなんだよな?」
「ああ。あと、大声上げたり、視線を逸らすと襲ってくるから」
「うわっ、ここが一番やりにくい」
ただでさえの急斜面。かろうじて避けることしかできないだろう。その追手から逃れようとするのは不可能だ。そうガズトロキルスが思っていると、突然キリが木の実と薬草が入った袋とメモ紙が挟まれたハンドブックをこちらに差し出してきた。
「ガズ、これ持って残りの花を探しに行け。俺があいつを引きつけるから」
「お、俺が!?」
「これで対処するから」
そう言うキリは過去の歯車を歯車の剣へと展開して、構えた。ライオンもいつでも準備万端だと言わんばかりに、地面を蹴爪で蹴っているではないか。
このような場所での相手をするのは相当な体力がいるはず。体力的にはガズトロキルスの方が圧倒的にキリよりもあるが、現在は彼しか武器を持っていない状況だ。武器もなしに、突撃して鋭いくちばし、尖った蹴爪の相手に勝つなど奇跡に近いだろう。だったら、まだこの剣で自分がやり合っていた方がいい。
「行けっ、ガズ!」
キリの言いつけ通りにガズトロキルスが逃げ出すと、ライオンは狙いを定めてきた。猛突撃してくる。それをさせまいと彼は歯車の霊剣を投げつけた。それはライオンの眼前の地面に突き刺さった。淡くも美しい光が立ちはだかる。剣を投げてきたキリの方を見た。
「俺が相手だっ!」
注意をすべて自分に向けさせる。大声を張り上げたせいで、追い損ねた怪鳥は苛立ち最高潮でキリを睨んだ。お前が自分の相手でいいんだなとでも言うような気迫がこちらの方へと押し寄せているようだ。その気迫に対する答えを聞かぬまま、ライオンはこちらに向かって突進してくる。
それをキリは自身より少し斜面下にある木の枝へと飛びついた。そして、その地面へと着地する。一方で大きな鳥は体当たりができなかったことに腹が立っているのか、狙いは彼のまま。
さあ、殺生せずしてどのようにすればいいのだろうか。
◆
【行けっ、ガズ!】
キリの言葉が反射となってガズトロキルスは天徳葵の実と織咲陽楽草が入った袋とハンドブック片手に逃げていた。どこにあるのだろうか、最後の花は。留理灯面花はどこにあるのだろうか。
下を見ながら走っていたせいで、目の前にあった木に気付かずしてぶつかってしまう。おかげで鼻血が出てしまった。
「いってぇ……」
痛む鼻を擦りながらも、服の袖口で血を拭いながらハンドブックを開いた。青い花だとは聞いていたが、一体どう言った花であろうか。一人で探しているから、効率よく探さねばならない。
「……留理灯面花、留理灯面花……これか?」
『留理灯面花』
生息地:世界を見る目においての日当たりの良い場所に自生する。
「ひ、日当たりのいい場所?」
その場を見渡しても、奥の方を見てもわかるのは薄暗いところに自生する植物が生い茂る斜面。日当たりの良い場所などないに等しかった。
立ち入り禁止かつ、人の出入りなどないようなこの場所を管理する者などいないのだろう。木々の剪定もままなっていない。ということは、この場で自生しているところはほぼないのである。
「どこだよ、日当たりのいい場所って……」
日の光の向きを探し出す。駄目だ、見えない。木に登って見てみないと。
ガズトロキルスは靴とハンドブック、袋を地面に置いて、近くにあった高い木に登り始めた。このようなことをするなど、いつぶりだろうか。故郷での友人たちと楽しく山の木に裸足で登ったものだ。そんな記憶が微かに過る。
木へとよじ登って天辺付近へと辿り着いた。ここからは峠の近くにある町が見える。その反対方向には世界を見る目の頂上にある穴が見えた。
日の光は真上で自分を照らしている。ならば、頂上を目指して行けば、どこか日当たりの良い場所へと出ることはできるはずだろう。
いや、あった。ここから結構な距離があるが、欝蒼とした茂みを抜けて、草原らしき場所が遠くにあった。そこもまた勾配があることからどちらかというならば、高原と言った方が正しいか。
「あっこにあるか?」
心配はそれでもある。いくら日当たりのよさそうな場所だからと言っても、必ずしもそこにあるかと言われると閉口してしまうのだから。本にはそう書かれているが――いや、信じなければ。そこ以外に日当たりの良い場所だなんてないに等しい。
頂上付近ともなると、このようにシャツと言ったような軽装で登山することはできないだろう。
――そうだとしても行かなきゃ……。
ガズトロキルスは木から降りると、僅かな可能性に祈りながらも、高原の場所の方へと足を進めていくのだった。
◆
体当たりやくちばし攻撃から避け続けるキリ。体力の消耗は激しい。一方でライオンの方はまだまだ元気だ。手には歯車の剣はない。投げたときからまだ手元に戻ってきていないのだ。取りに行く暇もないくらい、怪鳥は疲れを見せていない。
ライオンがここにいる動物だとは思わなかった。以前、動物園の任務でアイリが生息地のことを言っていた気がするが、思い出せない。確か、世界を見る目には生息しなかったはずであるが、断言できないのだ。確信がないから。曖昧な記憶だから。
こちらに向かって突進してくる。避けるが、それがいけなかった。キリの体勢を整えるのに間に合わず、ライオンはこちらを向いて蹴爪を蹴ってきているのだ。避けられることに、もう慣れてしまったか。
――ヤバッ……。
足がまだ整っていない。仕方ない。
斜面を転がるようにして、避けるしか方法はなかった。そして、ようやく歯車の霊剣のもとへと辿り着く。それのおかげで止まれた。しかし、ライオンは止まってくれない。下り坂を利用するようにして、先ほどよりももっと速いスピードでこちらへと向かってくるではないか。絶対に蹴爪で蹴り上げてくるに違いない。
反射的に、地面に刺さっていた霊剣を抜き出し、怪鳥の攻撃をそれで防いだ。周りに金属が鳴るような音が響く。それだけライオンの爪は鋭く尖っているのか。
「ぐっ、ぎぎぎっ!」
流石は野生動物。流石は世界最強鳥類。圧倒的なその力で自然鳥類界の王座に君臨したその強者は文明利器を得た人間の腕力でさえも下へと押し退けていくとでも言うのか。その力強い蹴爪でカーストの下にいる者を押しつけてきたか。これぞ鳥類の王、これぞライオンという者!
薄くて青い目とライオンの目がぶつかり合う。踏みつけている歯車の霊剣から発する淡い光はその怪鳥の足へとまとわりつき始めた。それが嫌なのか、今度はくちばしで剣を突いてくる。だが、この剣は異形生命体の硬くて弾丸すらも通さない強靭的な皮膚でさえも貫き、斬り裂くこともできる代物だ。故に破壊するということは到底不可能である。
くちばし攻撃が剣より振動が伝わってきて、キリの細い腕では食い止めることに限界が訪れようとしていた。腕の力がなくなってきている気がする。斜面に寝転がっているような物だから、体勢が悪くて厳しい。
だが、それがどうした。
力で押し負けてたまるか、という心意気を見せつけるキリ。より一層、歯車の剣から漂う光は強みを帯びる。その光はさらにライオンの足へと体の方へとまとわりついていく。それは同様に彼もだ。
怪鳥の奥に見える景色は空が見えない欝蒼とした枝が伸びっ放しの木。木――人の形を成した石像。
ただならぬ周りの木々のざわめきにライオンは警戒し始める。キリばかりの一点集中が散漫していくではないか。風が辺りに何かを知らせてくる。それが恐ろしくて、目の前にいる彼が。変な光を出している剣を壊すのではない。本当に攻撃をするべきなのは――。
世界最強の鳥類であるライオンはくちばしで攻撃対象とするのを歯車の剣からキリの顔面へと変えようとした途端、彼らを囲うようにして地中深くで眠っているはずの木の根が地上より現れた。これにより、怪鳥は完全に隙ができた。それを機に押しつけていた足を払って、距離を取る。体勢を整える。木の根っこは明らかに彼を味方にしていた。
自身に対する敵対心。圧倒的な摩訶不思議な力に恐れるライオンは勝てないと理解でもしたのか、キリと蠢く木の根に背を向けて走り逃げ去って行ってしまった。
あっという間の出来事に呆然と走り去った方向を見ていると、地上に現れた木の根は枯れるようにして地面へと倒れいってしまった。それは何も根に限った話ではない。おそらく、根の本体であろう地上から天へと伸びている周りの木々が枯れ始めたのだ。水分を失った葉は一斉に地面へと落ち、枝もからからに干からびていく。
「な、何?」
辺りの地面が落葉の絨毯になったところで、そこは風のない場所へとなった。遮られていた日の光が差し込んでくる。眩しい。目を細めながら真上を見上げた。枯れた枝が空を張り巡っているのが見えた。
――カムラ……?
この現状から連想させられることはただ一つ。マッド討伐の際に見た木の根とカムラの剣。ここに自生する木が南地域にある保護区の木と同等であるかは覚えていないが、ここはキイ教の聖地である世界を見る目。悪神カムラと敵対する善神キイが奉られていると聞く。もしかしすると、木が枯れてしまったのは自分を味方にしてくれたカムラに対するキイの怒りであろうか。
【きみはカムラに愛されているよ】
キリは不意にあの青年の言葉を思い出すのだった。
◆
高く生い茂る植物を払い除けて、ガズトロキルスがやって来た場所――高原は遠くからではよく見えなかったのだが、ここにはたくさんの花々が咲き誇っていた。ふんわりと花のいい香りが風に乗ってやって来る。ほとんど、日の光に当たることがなかったから、その陽気な光が心地好い。
世界を見る目が見下ろす花高原。そう、まるでここは世界の果てとでも呼ぶべきか。なんだか、人が立ち入ってもいい場所とは思いがたい。しかし、これだけの花が存在するならば、きっと探し求めている留理灯面花もあるに違いないだろう。
「えっと、青い花、青い花……」
美しき花に囲まれながら探し歩くこと十分。少し離れた場所に青色の花が大量に咲いている場所を見つけた。それはあの天徳葵の実の生る木を囲んだ状態である。その木の下には一輪の白い大きな花が咲いていた。
いつまでもそこに居続ける、佇んでいる気がして気になるが、今は留理灯面花を探さなければならないのだ。木を囲う青い花のもとへとやって来ると、そこにしゃがみ込む。そして、ハンドブックを開いた。そこに載っている写真と実物を比較する。
「……うん、間違いない」
ここに咲いているのは本物の留理灯面花である。ようやく見つけた、と嬉しそうに二、三輪ほど採っていく。本には食べられるとも書かれているが、今はその段ではない。急いで、下山してキリを助けなければ――。
すぐに花を袋の中へと詰め込み、その場を離れていく。そんなガズトロキルスの背中を花たちは見送るようにして小さな音を立てているのだった。
◆
今頃、キリはどんな状況で戦っているだろうか。殺生はしないと言っていたが――。
足を踏み外さないようにしてガズトロキルスが下山していると、下の方からこちらに向かってくる人影が見えた。まさかこの山を管理している者か、それとも見回りの軍人が騒ぎを聞きつけてやって来たのか――。
木の陰に隠れて様子を窺う。ややあって、こちらへとやってくる人物の姿がはっきりをその目に映る。その人物は服が泥だらけのキリだった。相当消衰しきっているようである。彼だとわかると、声をかけて下りていった。
「ガズ」
「キリ、ライオンは?」
見たところ、汚れは土だけのようだが――。
「ああ、うん。なんか逃げてった」
本当のことではあるが、枯れた木については語らなかった。語るべきではない、と思っているからである。それよりも留理灯面花は見つかったのかと反問すると、ガズトロキルスはもちろんと答えた。
「あっちの花畑のところでたくさん咲いていたよ」
キリに袋の中を見せた。その中には赤色を帯びた天徳葵の実に、花のような形をした野草織咲陽楽草、そしてそれらの中に淡い青色をした花、留理灯面花があった。
「うん、見つかってよかったけど……鼻血、大丈夫か?」
心配そうに顔を覗き込んでくるキリ。どうして、鼻血を垂らしたことがわかったのだろうかと思っていると――。
「鼻の下についてるよ」
服で拭ったが、上手く拭き取れていなかったらしい。慌てて乾いた血を服で擦るようにして落とした。
「そんじゃ、戻ろうぜ」
「おうよ」
◆
下山中、唐突にキリが声をかけてきた。
「お前ってさ、ボールドウィンのこと……どう思ってんの?」
一足先を行くキリの表情は窺えない。どう答えるべきなのか、ガズトロキルスもわからなかった。
「ぶつかって、ガズが声をかけてボールドウィンはお前に惚れたけどさ」
「…………」
「正直、どう思った?」
そのようなことを言われても、答えは一つしかない。まさか、自分のことを好きだとは思っていなかった、と。だが、それを口に出してもいいものなのだろうか。そもそも、キリにそのようなことを設問されると、本当に自分はマティルダが好きなのだろうか、と疑心になってしまうから。
「わからねぇんだよな」
ガズトロキルスのその答えに、キリは立ち止まってこちらの方を見てきた。
「嫌いじゃないんだよな?」
「それはもちろん」
ガズトロキルスはただ、マティルダを好きなのかわからなくなっているだけ。嫌いではない。彼は本当に嫌いだと思っているなら、話しかけられても答えないから。
「じゃあ、ここに来る前の質問をもう一度してもいいか? なんでボールドウィンと距離を置こうとしている?」
「ボールドウィンの幸せを願っているから……」
「だったら、一緒にいてあげるべきなんじゃないのか?」
キリは諭すようにして木の幹に寄りかかるのだが――。
「違うんだ」
その言葉にキリは片眉を上げた。違う? 何が違うというのだろうか?
「ハルマチに言われたんだ」
「ガズの幸せ云々のことか?」
「違う、休暇中にハルマチに会った」
連絡が一切つながらなかったアイリと会った? 彼女は王都にいたのか?
どこか戸惑いを隠せないキリをよそにガズトロキルスは話を続けた。
「そこで言われた。俺の幸せ以前にキリに近付くなって」
「…………」
「でも、俺はあいつの忠告をすべて無視した。その結果が王国では反逆者扱いだ。その責任はもちろん俺にある。だからこうなる前にボールドウィンと離れたんだよ。あの子にはあの子の人生があるし、幸せもある。……結局、彼女自身もそうなってしまったけどさぁ」
キリは黙って薄青色の目でガズトロキルスを見つめていた。眉も微動だにしない。その視線がどことなく怖いなと思うが、自分が言いたいことはまだある。だから、まだ口は閉じない。
「……それでも、俺はまだボールドウィンと距離を置きたいんだよ。キリがその歯車について何を隠しているかは知らないけど、それで何が起きるのかこの目で確かめたいんだ」
「……ガズ」
「お前がそのことについて言いたくないなら、言わなくてもいい。俺が勝手に知るつもりから」
「だとしても、ボールドウィンはガズと一緒にいたがっているぞ」
「知っているよ、それくらいは」
「じゃあ、いてあげろよ。彼女の幸せ願ってるくらいなら」
「でも――」
キリは寄りかかっていた木の幹から離れて下山を再開しようとする。
「ガズがボールドウィンの幸せを願っているならって……好きって証拠なんじゃないの?」
その一言を言うと、キリは無言で下りていく。ガズトロキルスはその場に立ち止まり、袋の中に入った木の実と野草、花を見た。
◆
二人は植物園の方へと戻り、薬作りの指示通りの材料を医者に渡した。まさか、本当に見つけてくるとは思わなかったらしい。早速それで薬を作り――静かに眠るマティルダに飲ませた。
「……あれ?」
ぼんやりと薄目を開けて部屋中を見渡す。ゆっくりと起き上がって何があったのかとレナータに訊ねてきた。彼女はこれまでのことをマティルダに教えた。
「マティルダ様は眠り花の棘の毒により、眠っていたんです。けれども解毒剤がなくて、オブリクスさんたちが材料を調達しに行ってくださったんですよ」
「ガズ様たちが?」
「無事でよかったよ」
「うん」
キリはちらりとガズトロキルスの方を見ると、レナータの方を見た。彼女はその視線に気付くと、察したのか彼と共に部屋を後にする。どうやら植物園の職員及び、医者も気付いたようだ。
その部屋には二人きりとなる。どこか気まずい空気が漂っていた。
「ガズ様」
マティルダが呟くように名前を呼ぶ。それにガズトロキルスは彼女の方を見た。
「私のためにありがとうございました」
「うん」
「…………」
「…………」
再び沈黙が訪れる。二人とも互いに何を声かけすればいいのかわからなかったのだ。何かかける言葉をガズトロキルスが探し求めるために脳内の引き出しを探っていると、マティルダが先に口を開いた。
「ガズ様は私のことを嫌いになったでしょうか」
「そ、そんなことは――」
「ご無理をなさらなくても構いません。元より、私があなたを好きになったのはごくごく単純な理由なので」
「…………」
「初めて会ったとき、優しくしていただいただけじゃないんです。好きになったのは」
ガズトロキルスは思い返す。あのとき、強引にもマティルダを押し退けて会話に参加したことを。それが原因で彼女を転ばせ、罪悪感あって手を差し伸べただけだ。どう考えてもそれだけで好きになれるとは思いがたい。なんて考え事をしていると、マティルダは話を続けた。
「直感です」
「へ?」
直感で自分を好きになった? それはすなわち一目ぼれということだろうか。
「初めてあなたを見たときです。ああ、この人と生涯を共に過ごすんじゃないんだろうかと思っておりました。流石にそのようなことを言われましても、ガズ様がお困りになるだろうから黙っていたのですが……」
「中身もわからないようなやつを好きになったのか?」
「わからなくありませんよ。ガズ様は自身の非を認める心優しいお方なんですから」
「そうかな」
心優しいだなんて初めて言われた気がした。それが気恥ずかしくて照れていると、マティルダは肩で小さく笑う。
「それに、いつも声かけもなく昼食を作ってくる私の弁当を食べてくださったじゃないですか」
「うん」
「前夜祭だって、気分の悪い私の体の心配もしてくださったりして……私のために……」
ポロポロと涙がこぼれ出てくる。その頬に伝う涙はマティルダの手元に落ちた。
「それだから、もっと、もっと……好きになってしまって……」
【私はただガズ様のお傍にいるだけで、すでに幸せですの】
その気持ちが胸に沁みてくる。目頭の奥が熱くなってきているのがわかった。
「本当はいつまでも一緒にいたい……それが、私の幸せなんですの」
「…………」
「私を幸せにしたことを決めるのは……ガズ様じゃありません。私本人が決めるものなんです……」
マティルダは目からこぼれ出てくる涙を手の甲で拭う。ズルズルと鼻水が出てきそうだった。
「ガズ様が、私を嫌いになったのなら……それはそれで仕方ありません……」
その言葉にガズトロキルスは否定するように首を横に振る。彼自身も涙と鼻水がにじみ出てくる。それと同時にマティルダとの楽しい思い出も脳裏に浮かんできた。そこにあったのは嫌で悲しい思い出はない。楽しくも微笑ましい彼女の柔らかい笑顔だった。
「けど、まだ私のことが嫌いでなければ……。あなたのお傍にいても……よろしいでしょうか?」
涙でぐしゃぐしゃ顔でガズトロキルスを見た。彼の目から涙がこぼれ落ちる。それに伴い、マティルダを強く抱きしめてきた。それがとても温かい、と二人は思う。
「――ごめんっ!」
ガズトロキルスの一言で更に涙があふれ出てくる。もう止まりそうにない。
「ごめん、本当にごめん……」
――ああ、俺……本当はこの子のことが好きだったんだな……。
「……厚かましい、俺からのお願い……聞いてくれる?」
「聞きます、聞きますわっ」
「ずっと、俺の傍にいて欲しい……」
「もちろんですわっ!」
◆
その部屋を出たキリとレナータは廊下にいた。邪魔しないように出たつもりでも声は聞こえるようである。
「…………」
レナータは部屋のドアを眺めて、ほんのり羨ましそうな表情を浮かべていた。彼女の脳裏に浮かび上がる思い人は――笑顔のあの人。今、あの人はどこで何をしているのだろうか。
――結局、名前訊きず仕舞いだった、な……。
妹の名前は聞いたことがある。だが、本人の名前は聞いたことがない。訊くにしてもなんだか恥ずかしくて訊けなかった。それは同時に自身も名乗っていないということだ。
キリの方を一瞥する。彼ならば、名前を知っているかもしれない。そう思って――。
「…………」
しかし、それを問い質そうにも、今のキリには訊くに訊けない状況だった。彼もまたドアの方を見て何かしらの思いを馳せているようであったから――。
◆
黒の皇国の首都内の城内にて。ハインが廊下を歩いていた。手には白い大きな花の花束を携えて。
「皇子? その花は?」
ハインが持つ花束に大臣が訊ねてきた。
「これかい? この前本で調べてね。安久花夢という花で今度の式典で使えないか、と思ってね」
「生花を使用されるんですね」
「そうだ。きっと、彼女に似合うはずさ」
そう言うと、ハインは大臣に花束を渡して式典にてメアリーに飾らせるようにと命令をする。それに大臣は「承知致しました」と頭を下げた。
戴冠式、結婚式の式典まで――残り一週間。
作中に出てきた天徳葵の実、織咲陽楽草、留理灯面花、安久花夢について。これらは実際にゼラニウム、ベゴニア、ブルースター、アングレカムという花がモデルです。名前はすべて和名から取っております。
●天徳葵の実⇒ゼラニウム (赤)
和名――天竺葵
花言葉――きみありて幸福
●織咲陽楽草⇒ベゴニア
和名――四季咲きベゴニア
花言葉――片思い、愛の告白、親切、幸福な日々
※ベゴニアは秋海棠、別名瓔珞草と似ている。
●留理灯面花⇒ブルースター
和名――瑠璃唐綿
花言葉――幸福な愛、信じ合う心
●安久花夢⇒アングレカム
和名――アングレカム・セスキペダレ
花言葉――祈り、いつまでもあなたと一緒




