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世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う  作者: 池田ヒロ
第一章 巡り出会う者たち
5/96

本音

 目先に大量のジャンクフード。別にすべての物が体に悪くはない。ほら、健康に気を遣ったカロリー低めの物だってあるではないか。


 そう力説するのは、キリの友人であるガズトロキルスである。細身のキリとは対照的に、ガタイのよい好漢あふれる男子だ。彼は美味しそうにテーブルの上に山積みになっている食べ物を頬張る。そんなガズトロキルスに苦笑の表情を浮かべる。彼の嬉しそうな表情を見るだけで、もうお腹いっぱいの状態だ。


「いいか!」


 ガズトロキルスは食べ物を口に含みながら言おうとする。


「わかった。その言い分は食べ終わってから聞くから」


「わかっていないくせにして! お前も食べろって!」


「俺、こういうのあんまり好きじゃないし」


 そうキリはテーブルの上に置かれた物の製造表示を眺めようとするが、取られてしまった。


「これ、俺の好きなやつ。キリが食うのはこっち」


 ガズトロキルスに渡された食べ物は油ギトギトに塗れた物だった。ジャンクフードは以外にも購入金額はリーズナブルではあるが、正直言うと、食えた物ではない。キリは拒否するように、渡された物をそっと元にあった場所へと戻した。


「確かにバランスの採れた物を食べた方がいいだろうけど。でも、俺たちはまだ十代なんだぜ? 早い内からこういうのを楽しんでいた方が人生楽しいって、じいちゃんが言っていた」


「いや、知らねぇよ。そんなの」


「いやいや、だってよ。キリはこの前、死にかけたじゃんか。知ってた? 雪山で行動するなら、食事をたくさん取っておくと幾分かはマシになって死なないんだってさ」


 その言葉に反応するかのように、キリの首に提げられている歯車のアクセサリーは鈍く光った。彼にとって死なない秘訣はこの歯車のアクセサリーにあるのだ。これをくれたアイリは「使いこなせ」と言ってきている。それならば、使いこなす以外にどうするのだ。彼女は自分に対してのメリットだけを与えてくれた、とんでもない人物なのだ。初めて会ったときは女神と揶揄していたが――改めて普通に会話などをしていると、そうとは見えない気がする。それならば、「自分は『しにん』」という自称の方がまだしっくりくるだろう。


――というか、『しにん』ってなんだ?


 色々と考えていたキリは思う。アイリの発言では「自分は『しにん』」。しにん、とは死人とでも捉えるべきか? いや、それ以外にどう捉えるのだろうか。


「ということで、食べろ」


 考えに更けていたキリの口の中へガズトロキルスは強引にジャンクフードを突っ込んでいく。口の中がいっぱいになったところで彼は顔を青くした。これ以上、何も入らないのだ。いや、入れたら絶対吐く。これには自信があるが、嫌な自信だ。


「好き嫌いはやっぱりダメだな。作った人が報われないし、悲しむ顔が見えるだろうな」


 そう遠い目で明後日の方向を見つめるガズトロキルスであったが、口いっぱいに詰め込まれた食べ物をなんとか飲み込んだキリに頭を叩かれた。


「痛っ! ちょっ、今、生産者の顔が見えたのに」


「じゃねぇよ! 死ぬかと思ったわ!」


「大丈夫、飲み込めばいける」


 絶対そういう解決法は駄目だ、とキリはガズトロキルスに対して眉根をひそめた。とんでもない強引さだ。


「というか、水。水……。これ、喉が渇くな」


 口に突っ込まれたジャンクフードのパッケージを見る。


「給水器ならあっちだぞ」


「そりゃ、どうも」


 キリはパッケージをテーブルの上へと戻して、ガズトロキルスが指差した方向にある給水器へと水を手に入れに向かった。そこでコップに水を入れていると、アイリがやって来る。彼女の隣には友人だろうか。同年代の少女がこちらの様子を窺うように見ていた。


「あ、デベッガ君」


「よう。あっ、使うならどうぞ」


「どぉも。空いたよ、メアリー」


 アイリはそう言いながら、メアリーと呼んだ友人らしき少女の分まで水を汲んだ。


「どうせ一人なら一緒にお話でもしようよ」


「いや、いい。向こうに友達がいるから」


 アイリからの誘いをキリが断わると、彼女は普段から大きな目を更に大きくさせた。なぜにそんな目で見るのか。キリは思う。なんか失礼なことを思っているのだろうか。いや、事実なのかもしれない。


「なんかさぁ、デベッガ君って色んな人にばかにされているような感じだし、一人も友達がいないって思った」


 本当に失礼なことを思っていた――否、口に出した。


「なあ、本音と建前って知ってる?」


「知ってる。本音が心の中で思っていることで、建前が本音じゃない嘘のことでしょ」


「言わなくていい。いや、知っているなら――」


「あたし、堅苦しいの嫌い」


 そう鼻で笑うアイリは一口水を口に含んだ。


「そっか。じゃあ、俺も言ってやるよ。ハルマチに友達っていたんだな」


「超失礼な」


「そう思っている素振りは見当たらないけどな」


 そう言いながらキリはメアリーを見た。アイリとは対照的に上品あふれる小柄な女の子だ。髪に結わえられた青いリボンが印象的である。という以前に彼は彼女にどこかで会っていたような気がした。こちらを見てくるキリに対して、メアリーは少しだけしどろもどろしていた。何かを言いそうになるが、途端に口を噤んでしまう。こちらから聞いた方がいいのか? なんてキリが悩ましそうにしていると、アイリが「そう言えば」と聞いてきた。


「明日って休みじゃん? 予定空いている?」


「一応な。任務もないし」


「『クラッシャー先輩』からメールでさぁ――」


 アイリの言葉にキリは眉根を寄せた。


――クラッシャー先輩って誰だ?


「誰、その人」


「いや、だからクラッシャー……あぁ、知らないか。あの人、キンバー兄の方」


 なんというあだ名。そして、どこからクラッシャーを取ったのか。確かに破壊神的な感じはある気がするけれども。


「んで、その人から明日、休日の町にあるお店に行かないかって。ケーキの件だねぇ」


「ああ、そうだったな。行くよ。ていうか、行きたい」


「そんな甘い物ばかり食っているから大きくなれないんだぞ」


 いつの間にか、ガズトロキルスが背後に立っていた。それ以前に、ここにいる連中の大半は神出鬼没が得意なのだろうか。そう思うキリはびっくりし過ぎてコップに入った水を自身の服の上へとこぼしてしまった。


「ガズもそうだけどさ、ハルマチも。ビビるような現れ方をしないでくれる?」


「それがいい例?」


 アイリは濡れたキリの服を指差した。


「悪い意味でな」


 キリが嘆息を吐くと、メアリーは少し怯え腰で彼にハンカチを渡した。


「あ、あの、これどうぞ」


「あっ、ありがとう。えっと……」


「メアリー、メアリー・ライアンです。冷たくないですか?」


 心配そうに敬語で声をかけてくるメアリー。キリは彼女からハンカチを受け取った。ふんわりと柔らかくていいにおいがした。


「うん。ありがとうな、ライアン」


 珍しい名字だな、とキリは思いつつも、メアリーから借りたハンカチで濡れた服を拭った。


「きみがデベッガ君のお友達? 対照的だねぇ」


「キリの知り合いか? まさか、女友達ができるとは」


「えっ、それは俺をばかにしているのか?」


「いいや? それよりも、ケーキの件とはなんだ。ケーキ屋に行くのか? もし、可能ならば俺も連れて行ってくれ。主催者は誰だ? その人に許可をもらおうか」


 その話を絶対に逃さないと言わんばかりに、ガズトロキルスはキリに詰め寄ってきた。それを見たアイリは「食い意地が張っているねぇ」と一笑する。


「そんなに食べたいなら、あたしが聞こうか?」


「いいのか!? えっと、ステキな人ありがとう!」


「ははっ、あたしはハルマチ。えっと、ガズ君かな?」


「俺はガズトロキルス・オブリクスだ。うん、ガズでいいよ。長いし」


 自分の名前って長ければ自覚するんだな。アイリは個人の連絡通信端末機を取り出してハイチにメールを送ろうとした。


 ここでキリは一つ提案を挙げる。


「ハルマチ」


 アイリは手に持っている物の画面を見ながら返事をした。キリはメアリーの方を一瞥して「ライアンもいいか?」と訊いた。もちろん、アイリは「うん」と返す。


「いいよ」


「えっ、わ、私はそんな……」


「いや、ハンカチのお礼もしたいし。ライアンがよければ、一緒に行こうよ」


「あ、ありがとうございます」


 メアリーは深々とお辞儀をした。なんて礼儀の正しい子なのか。


「そんな、他人行儀なんていいよ。ハルマチと同じ教室なんだよな? それなら同じ三回生だし」


 キリにそう言われたメアリーは頭を上げると、どこか落ち着きがないような面持ちで「よろしく」と小さな声で軽く頭を下げた。


「はい、よろしく」


 メアリーに笑顔を見せるキリ。それを見たアイリはガズトロキルスに耳打ちをする。


「デベッガ君って、あんな笑顔を見せる人なの? 初めて見た」


「多分、あれだろ。ライアンがキリをばかにしないからだろ」


「なるほどねぇ。じゃあ、したらあんな笑顔は見せないの?」


「だろ? ていうか、女子だからいい笑顔を見せているんじゃないか? 俺も初めて見たからな」


「きゃあ、隙あらばってやつ? デベッガ君って案外モテない?」


 一応キリには聞こえないような音量で話していたが――どうも彼には聞こえていたようで、唇を尖らせていた。


「聞こえているぞ、傍若無人ばかども」


「まぁ、聞いたぁ? 彼ったら地獄耳!」


「やだねぇ。気をつけないとっ!」


「それはわざと?」


 彼らのやり取りをメアリーは楽しそうに肩で笑っていた。


     ◆


 誰にも邪魔されない場所で過ごすのは至高である。そんな考えを持ち、立ち入りを厳禁されている校舎の屋上にハイチがいた。情報端末機で簡単な任務をしていると、できるはずのない影ができた。影の原因を辿って見ると、彼の後ろにはハイネが腕を組んで立っているではないか。


「おう、優等生がこんなところにいると怒られるぞ」


 相手がハイネだと確認すると、ハイチはすぐに自身が持つ情報端末機のモニターへと視線を戻した。だが、それは彼女が許さない。ハイネは彼の首を強引にこちらへと向けさせる。鈍い音がハイチの首から聞こえてきた。


「ちょっ!? 痛い、痛いから!?」


「教官から聞いたよっ! 補習をサボったって!」


「サボったって言っても、たったの一日だけじゃねぇか! 急に任務が入るし。お前には関係ないじゃん!」


「こっちは、心配をしているの!」


 なんとか解放してもらい、ハイチは黒い手袋をした手で首元を押さえた。涙目ながら「痛い」とぼやく。


「昔から加減なんてしないからさぁ。嫁行ったときはどうするんだよ、お前。旦那には黙っておく気か?」


「う、うるさいな! それよりも、エイケン教官が困っていらしたよ! ハイチが補習をサボって困っているって!」


「あの人が全部ハイネに垂れ流していたのかよ」


 それならば、うるさい妹の原因がわかった気がした。だがしかし、ハイネがここに来ているのには都合がいい。そうハイチは個人用の連絡通信端末機を取り出して、何かを確認し始める。それを見たハイネは小首を傾げた。


「明日、任務ないだろ? デベッガたちを誘って休日の町にあるケーキ屋に行こうかって話していたんだよ。ん? 人数が増える?」


「誰が来るの?」


 ハイネもハイチの持つ物の画面を覗き込んだ。


「あいつらの友達だってよ。友達がいたんだな」


「それ、ハイチが言えること?」


「……言うなよ。てか、いるし」


 ハイチはハイネの一言に口を尖らせるのであった。


     ◆


 真夜中、寮棟の自室で眠っていたキリはふとした光で目が覚めた。何やら会話も聞こえている様子。寝ぼけ眼でその光と音の方を見た。


「何しているんだ、お前ら」


 そこにいたのは同居人であるガズトロキルス――はわかるが、女子禁制であるはずの男子寮にアイリがいた。二人はテレビ画面を見ながら、お菓子を食べながら、連絡通信端末機を弄っているのだ。


「実況しているんだよ」


「ああ、そう。で、ハルマチがここにいるのは?」


「実況だよ」


「さっき聞いたからわかるし。俺はどうして男子寮に女子がいるのかって聞いているんだよ」


「細かいことは気にしない、気にしない。どぉ? 新発売のお菓子」


「要らねぇし。てか、明日――いや、今日か。町に行くんだろ? 早く寝ろよ」


 キリは面倒くさそうに布団へと潜り込む。だが、ガズトロキルスがその布団を引きはがしてきた。


「寝させろ。そして、寝ろ」


 不機嫌そうにガズトロキルスにそう言うが、「何を言っていやがる」と逆叱責を受けた。


「寝るわけないだろ! 『戦場の中心でバカヤローと叫ぶ』は深夜番組なのに、視聴率が高いドラマなんだぞ!」


「だからなんだよ。知らねぇよ。寝させてくれよ」


「いや、見ろっ! 絶対寝させねぇ!」


 布団の引っ張り合いをする二人をよそにアイリはお菓子を食べながら、その光景を写真に撮っていた。キリは布団を取られまいと、握りながら彼女を睨めた。


「何しているんだよ」


「ははっ、傍から見ると『早く起きなさい』と起こすお母さんに『まだ眠いんだよ』のわがまま息子みたい」


「なんか腹立つから、そのたとえ止めてくれない?」


「はいはい」


 アイリもまた母親のような眼差しでキリを見てくる。


 一部始終に関してため息をつくキリは諦めたかのように、布団から手を離した。そのせいで強く引っ張っていたガズトロキルスはひっくり返る。


「目が冴えたし、だったら俺も見る」


 なんてテレビの真ん中へと座り込むキリに仕返しなのか、ガズトロキルスは彼に口の中にお菓子を突っ込ませてきた。それでまたけんかが発展して――それは朝方まで続くのだった。


     ◆


 朝、集合場所である学校の敷地内にある公共機関のターミナルにて。キリとガズトロキルスは目の下に影を作ってやって来ていた。先に来ていたハイチは二人の姿に一驚する。


「わくわくで寝られなかったのか?」


「それ、ハイチもでしょ」


 そうからかうハイチだが、彼の目の下にはクマができていた。それにハイネは微苦笑する。


「うっせ」


「それよりも、キリ君のお友達ってガズ君だったんだね」


「どもです、ハイネさん」


 どうやら、ガズトロキルスとハイネは知り合いだった様子。いや、任務などで一緒になったことがあるのだろう。それで知っていたのかもしれない。


「任務での知り合いだったんだな」


「いいや? 飲食街の食堂で」


「そう。私、そこでアルバイトしていた時期があってね。ガズ君はそこのお客さんだったってことだよ」


「ああ、そういうことですか」


「でも、俺そこの食堂出禁になったんだよな」


 なぜか、とキリは思った。ちらりとハイチの方を見るが、彼はその話自体に興味がないらしい。時刻表を眺めていた。まさかハイチがハイネに近付くなと脅したわけではあるまい。まさかな、と視線をガズトロキルスの方へ戻すと――彼はとんでもない理由で出禁になった理由を話した。


「いやぁ、食い過ぎで出禁だなんて勘弁してくださいよ」


 もっとも、キリが一番納得できるような理由だった。


 しばらく時刻表を眺めていたハイチはしきりに辺りを見渡し始めた。


「そう言えば、ハルマチともう一人は?」


「うーん、朝の食堂では見かけなかったけど」


 ハイネは知らないかとアイコンタクトでキリたちを見てきた。当然そこは知らないと答えるべきだが、深夜のことを話すか迷っていた。一人悩んでいるとガズトロキルスが答える。


「ああ、ハルマチなら昨日の夜から俺たちの部屋にいましたよ」


 その場の空気が変わったのを気がしただけでは済まされないな、とキリは閉口した。無論――前記にもあるように、異性の寮棟へは立ち入ることを禁じられているのだ。ハイチとハイネから白い目で見られているようである。


「えっ、お前ら……」


「何か勘違いされているようですけど、ガズとハルマチが俺たちの部屋でテレビの実況をしていたんですよ」


「ああ、納得……しない。なんで、お前らの部屋なんだよ」


「それ、俺じゃなくてガズかハルマチに聞いてくださいよ。寝ていたところを起こされたんですからね」


 そうキリが言う。一同にガズトロキルスへと視線が注がれるが、当の本人は話を聞いていないようで――。


「なんスか?」


「…………」


 と、ちょうどアイリとメアリーが駆け足でターミナルへとやって来た。少しばかりの遅刻である。


「ご、ごめんなさい!」


 メアリーは申し訳なさそうに謝罪するも、当のアイリはというと――息切れを起こして顔を真っ青にしていた。


「そっちはどうでもなさそうだけど。大丈夫か、ハルマチ」


「ちょっ、息がっ……! 長距離ダメっ!」


 その場にいた誰もが体力がないな、と心の中で一つになるのだった。


「そんなんで大丈夫なのか? 三回生って登山演習とかあるだろ?」


「はっ!? そんなモノがあるんですか!?」


 どうやら、編入隊して日が経たないアイリは知らないようだ。


「アイリが来る前にね。あったよ」


「俺は忘れられない出来事だな」


「あの日は寒かったなぁ」


 三人の感想は人それぞれ。でんでばらばらの感想に、ハイチとハイネは顔を見合わせるしかない。


「そう言えば、あなたがメアリーちゃん? でいいのかな?私はハイネでこちらは兄のハイチよ。よろしくね」


 メアリーに自己紹介をしていなかった、とハイネは改めて彼女にお辞儀をした。メアリーもわたわたとした様子で二人に頭を下げた。


「あっ、えっと。お二人のことは噂で存じています。お兄さんって、あの異形生命体を任務で倒されたんですよね? すごいです!」


「まあな。それより、もうすぐ便が来るけどハルマチはいいのか?」


 ハイチは肩で息をしていたアイリに声をかけた。いつの間にか買ってきていたジュースを手にして、その場にしゃがみ込んでいる。


「一応は」


 汗も引いているようで、血色も元に戻ってきていた。同時に予定便が六人のもとへとやって来て、彼らを乗せるのだった。


     ◆


 特に何事も起きることなく、休日の町へとやって来た一行。今日は国民休日の日ということで、町中にて市が行われていた。客を呼び込む露店商や街路を闊歩する町外からの客人たち。がやがやと騒がしかったが、それはそれでいい意味でのBGMである。


「色んなお店がやっているなぁ」


 到着便から一足先に降りたアイリは辺りを見渡した。心なしか浮足立ってわくわくした様子で降りてくる者たちを待つ。


「ここ、休日でなくてもこういう雰囲気のある町らしいね」


 メアリーは初めてやって来た場所なのか、大きな目をぱちくりさせてキラキラさせていた。


「面白そうなところだね」


「確かに色んな掘り出し物はありそうだよねぇ。お金ないけど」


「ないなら先に言え! ばかっ!」


 次に降りてきたハイチはこめかみに青筋を立てていた。


「俺、怒られたんだぞ!」


「立て替え、ありがとうございまっす! あっ、ケーキの代金は持っているんであしからず」


「帰りも払えってか?」


 剣幕状態のハイチであるが、アイリは次に降りてくる二人を指差した。


「でも、一番大変なのって乗り物酔いしているデベッガ君だよねぇ」


 キリはガズトロキルスに支えられて、降りてきた。彼の顔は先ほどのアイリのようである。


「……気分悪い」


「デベッガって、乗り物酔いするっけ?」


「昨日、こいつらのせいで寝れなかったからですよ」


「でも俺は平気だけど?」


「あたしも平気だけど?」


 そう言う二人はキリをばかにしているようだ。アイリに至っては鼻で嘲笑している。


「そこは個人じゃない?」


 見かねたハイネはキリに水を差し出してきた。キリは頭を下げると、彼女から水を受け取る。そして、それを飲むと一息ついた。


「大丈夫?」


 メアリーも心配しているのか、キリの様子を窺っていた。


「あ、うん。大丈夫だよ」


 彼女たちに心配させまいとして、キリは無理に笑顔を作る。これまた彼の顔を見たハイチはガズトロキルスに耳打ちをした。その様子はさながら昨日のやり取りを繰り返しているようである。


「あいつって――」


「いくらハイチさんでも失礼ですよ」


 言われる前にキリは制した。ハイチは鼻白む。


     ◆


 一行の目的地であるケーキ屋はビュッフェ式のケーキ屋のようで、テーブルいっぱいに大量のケーキが並べられていた。もちろん、このテーブルにはガズトロキルスがいる。彼はそれを吸い込むような形で食べまくっていた。驚きを隠せない周りの客。それを遠巻きに見るは皿を片手に持ったキリであった。


 相変わらず、よく食べるなと思うだけで特に咎めることなく、自分の好みのケーキを取っていく。


「すごい」


 一緒に遠巻きになって、ガズトロキルスを眺めていたメアリーは声を上げた。その呟きを聞いていたキリは心の中で『すごい』のではなく、『ただ食い意地が張っているだけ』だと訂正したかった。が、言葉には出さなかった。


「ライアン、あっちに美味しそうなのがあるぞ」


「うん」


 二人が視線を別の場所へとやったとき、今度は別のテーブルにてアイリがガズトロキルスと引けを取らないような大量のケーキを皿の上に盛っていた。こちらもこちらで注目を浴びているようである。


「……俺、ケーキはこじんまりしているから美味しいって思っていたんだけどなぁ。なんだかなぁ」


 見るだけで食べる気が失せていくようである。これにメアリーは否定も肯定もしない。ただ、苦笑いをするだけ。


「あっ、これなんてどうかな? ここの人のオススメ――」


『店員オススメ』と書かれている札を見つけたメアリーだったが――商品のケーキはなく、売りきれのようだった。それに残念そうな顔を見せていると、キリが声をかけてきた。彼はこれまた別のテーブルを指差している。店員のオススメと称されたケーキらしき物が大量にあるテーブルに座るのはハイチだ。


「あの三人は出禁かな」


 ハイネも困惑しているようで、片眉を上げて三人を眺めていた。


「見なかったことにしませんか?」


 キリは二人に別の場所で食べようと促す。それに彼女たちは同意するのだった。


     ◆


 キリ、ハイネ、メアリーという異色のトリオであるが、意外にも話は合うようで打ち解け合っていた。三人が店員の説教に落ち込んでいる最中も助けようとはせずに、楽しくする。だが、メアリーだけは少しは心配しているようで、何度か瞥見する。その度にキリやハイネが「あれは見るべきではない」とこちらへと誘導させていた。


「いい? あの三ばかは助けてとアイコンタクトを取ってくるから見たらダメ。助けなかったら、あとで恨まれなくてもいい念で恨まれちゃうから」


「そうだぞ。俺だってガズが怒られているとき、フォローに入るべきか遠巻きに見ていたんだ。そしたら、助けないならこっち見るなって怒鳴られたことがあるからな。あれは無視が正解」


「う、うん」


 これは強引にでも納得するべきなのか。メアリーが考え込んでいると、あの三人を怒っていた店員がこちらへとやって来た。


「申し訳ございません、デベッガ様は?」


「俺です」


 三人を一瞥した。彼らはこちらを見て、にやにやと笑っているではないか。あいつら!


「申し訳ありませんが、事務所の方へ来ていただけませんか?」


 最悪、とキリは歯噛みした。解放される三人組。彼の必死の言い分に生返事ばかりをする店員。残された二人は硬直状態だったが――ややあって、ハイネが立ち上がる。


「ごめんね、ちょっと行ってくる」


 そう言うと、ハイネは解放されてケーキを食べようとするハイチの耳を引っ張りながら事務所の方へと赴いた。それから一分も経たない内に、キリだけが解放される。


「お、お帰り」


「やっぱり、ハイネさん強いな。全部の責任をハイチさんに押しつけていたぞ」


 キリは席に着きながらも、事務所のドアの方を眺めていた。


「みんな面白いよね」


 小さく可愛らしい笑い声がメアリーの方から聞こえてきた。それに反論をするかのように、キリは目を大きくした。


「そ、そうなのか?」


「私もね、お友達はいるけど、こんな感じの面白さの子じゃないから」


「あんな友達ばかりいたら、周りは逃げると思うけど」


「それでもいるデベッガ君って優しいね」


 柔らかな笑顔を見たキリは気恥ずかしく感じ、メアリーから目を逸らした。そして、思い出したかのように彼女へと小さな紙袋を渡した。中に何かが入っているようだ。


「これ、昨日はありがとう」


 キリはメアリーに借りていたハンカチを返した。


「ありがとう」


「それと、さ。ハンカチのお礼。何か奢らせてよ」


「そんな、悪いよ」


「じゃあ、それはあたしがもらおうかな?」


 二人の間にアイリが割り込んできた。彼女は「いぃ雰囲気だねぇ」と彼らをからかいながらも、そのテーブルの空いている席に座り込んだ。アイリの目の前にはハイネが選んだケーキの皿があるが、それには手をつけようとはしなかった。


「あっちにいたんじゃなかったのかよ」


「もうお腹いっぱいでねぇ。二人のイチャイチャで更にお腹いっぱい」


 アイリはキリの目の前に顔を持ってきた。


「メアリーと仲良くなろうが、あたしは知ったこっちゃないけど、きみがするべきことは忘れていないよねぇ?」


「……使いこなせって言ったってよ」


 キリはメアリーの方を見た。彼女は何がなんだかわからない様子で首を傾げていた。これは聞かれるとまずいかもしれない、そう考えた彼はアイリを店から連れ出した。なるべく人気がない路地の方へと入っていく。


 完全に人の気配がしない奥の方までやって来ると、二人は足を止めた。アイリはケーキ屋の方に顔を向ける。


「メアリーに聞かれたくなかった?」


「ライアンには関係のない話だ。これに巻き込ませたくないだけ」


「いやぁ、きみは『優しい』ねぇ。いや、『恐れている』だけなのかも?」


 アイリは何が言いたいんだろうか。キリは再度彼女に訊ねる。


「もう一度訊く。お前は何者なんだ?」


「言ったじゃん。強いて言うならば――」


「だから、その『しにん』って何? 死んだ人のことか? 生きているハルマチが? 俺をからかっているんじゃないだろうな?」


 アイリは何も答えなかった。何を考えているのだろうか。吸い込まれそうなほど真っ黒なその目でキリを見据えているだけ。彼はその視線にたじろいだ。


「別にからかっていないから。ていうか、冗談じゃないし」


 声音はあの間延びした雰囲気ではない。鋭く、冷たい声だった。


「あたしが使いこなせってのは、それを所有権として持っているデベッガ君のためなんだよ」


「……だったら、これ要らない」


 キリはそう吐き捨てると、首に提げていた歯車のアクセサリーを地面に放り投げた。金属音が辺りに小さく響く。


「要らないの? 所有権捨てる?」


「もちろん」


 大きく頷いた途端、キリの体全身に疼くような痛みが走った。それはその場に立っていられないほどの激しい痛み。なんだったら、痛みを和らげるためにその場でのた打ち回ってもいいぐらいだった。


「所有権を捨てるならば、今までの傷や痛みを死ぬまで味わうだけだから」


「なっ……!?」


「歯車がどれだけ尽くしてきたか。きみを死なせないためでしょ? デベッガ君が死にたくないから、あたしにすがったんでしょ?」


 あまりの痛みに、キリは地面を殴っていた。殴ったところから小さな傷ができている。


「人にとって大切な人生とでも呼べる運命を書き変えたんだから最後まで付き合ってもらわなくちゃ」


 そうアイリは言うと、歯車を拾い上げてそれをキリの手に握らせた。その直後に痛みはすぐに引いていってしまう。キリは苦しまず、その場に座り込んだ。手に握っている歯車を見る。それは彼を嘲笑うかのように鈍く光っていた。


「ハルマチ、これで何がしたいんだよ。俺に何をさせようってんだ?」


 呼吸が整い、大通りの方を眺めていたアイリにそう訊ねた。彼女はその質問の言葉に、キリの方に振り返った。


「反問するけどさ、何がしたいと思う?」


「俺が知るか。知らねぇから聞いているんだよ」


「その様子じゃ、知らなくていいかも」


 アイリはそれだけ言うと、キリをその場に残して大通りの方へと行ってしまった。慌てて追いかける。だが、路地裏を出ると彼女はすぐそこにいた。周りの人々は何かに怯えているようにして、逃げ惑っていた。何があったのか。


「ハルマチ」


 キリが声をかけると、アイリはすぐにこちらの方に振り返った。


「出たよ、異形生命体。ヤバいから早く逃げなきゃ」


 アイリは逃げ行く人々の行く先を指差しながらそう促した。


「いや、でもガズたちが……」


「人は人。自分は自分じゃない? 普通は」


「言っている場合じゃねぇだろ!」


 キリはアイリを置いて、ケーキ屋の方へと走って行った。その場にいた人々が逃げ去ったあと、その場にいる彼女は納得しない様子で首を横に振った。


「デベッガ君の考えとあたしの考え、一緒だと思ったんだけどなぁ」


 小さくため息をつくと、怒号と破壊音が鳴る方向へと足を進ませるのだった。


     ◆


「こっちだ、ライアン!」


 突如として町の大通りに出現した異形生命体。甘い香りが漂う店内は一変して、腐敗臭が打ち勝ってしまった。鼻が曲がりそうな勢いのある異臭に、ガズトロキルスとメアリーは鼻を押さえて逃げていた。


「あ、アイリとデベッガ君は!?」


 メアリーは二人を心配しているのか、外へと出ると見渡した。彼らの姿は見当らない。


「言っている場合か! あいつらは死なねぇよ! 先に逃げるぞ!」


 ガズトロキルスはメアリーの手を引き、安全そうな場所へと走っていく。おそらく、あの悪臭は異形生命体のものだから逆方向へ逃げれば――!


 腐敗臭のしない方へと逃げていた二人だったが、彼らの目の前に空から降ってくるようにして巨大なバケモノは現れた。それの肩には人が一人乗っているようである。


「ナイト様はお姫様お連れてどこへお出かけ?」


「お前がそれを操っていやがるのか?」


 ガズトロキルスはメアリーに被害が及ばないようにして守り始める。異形生命体の方に乗っていた人物は軽々しく飛び降りた。彼らはその人物の声をどこかで聞いたことがあった気がしてたまらない。


「ねぇ、ピクニック最中のお二人方。あたしの王子様知らない?」


「そこにいるやつじゃねぇのかよ」


「失礼な。この子はあたしの下僕。いい子なの、悪役をやっつけてやるだなんて意気込んでいるんだから。ねぇ、お姫様?」


 表情が見えないそのフードの奥底では、薄気味悪い笑顔をしていると断言できた。声が笑っているものだから――。


 謎の人物の呼びかけに、メアリーは一歩だけ後退した。


「もしかして、ライアンのことを言っているのか?」


「じゃなきゃ、その子は誰だっていう話じゃん。ねぇ、青の王国の国王の一人娘である王女様」


「…………」


 ガズトロキルスはメアリーが王族であることは知っていた。それはこの国の民であるからこそ。だが、それで彼女を特別扱いすることも、しないこともない。彼にとってメアリーは同じ学徒隊員の同士であると認識していたから。それでもあまりの無礼は働くわけにはいかないのだが。


「王族が悪役ってどういう意味だ! 悪役はお前じゃねぇのかよっ! 町をこんなにしやがって!」


「あぁ、今あたしの悪口言った。はい、きみも悪党決定!」


 フードを深く被った人物はそうガズトロキルスを指差した。それに応えるようにして巨大な体躯は動き始める。彼らに対して拳を振りかざしてきたのだ。とっさにメアリーを連れて避ける。その場に巨大な穴ができた。石畳は粉々だ。


「逃げろライアン!」


「で、でも……」


「いいからっ!?」


 異形生命体は二人を逃す気はないようで、逃げる隙も与えずに次々と攻撃を繰り出していく。それに彼らは避けることで精いっぱいだった。そんな光景を見ていたあやしい人物は呵呵大笑をする。


     ◆


 巨大な異臭を放つバケモノがケーキ屋の建物を豪快に破壊し、ハイチは建物の瓦礫の下敷きになっていたが、強引に起き上がった。頭を怪我しているらしく、血が額から垂れていたが彼はそれを袖口で拭う。


「ハイネ?」


 崩壊して悲惨な状況にある光景を見たハイチは真っ先にハイネのことを思う。人が周りに転がっている様子は見られないが、どこかに人の気配がした。それが彼女であり、無事であることを願ってハイネの名前を呼ぶ。


「ハイネぇ! いたら返事しろぉ!」


 足場は悪く、ハイチの足取りはおぼつかない様子だった。それでも、と思う彼は足下に気をつけて周辺を探していく。


「おい、ハイネ!」


 一緒の店にいたはずだから、この店の瓦礫の下にいるはずだ。諦めない様子で瓦礫を退かしながらハイネに呼びかけていると、人の手が出てきた。その手こそ彼女だと考えて、瓦礫を急いで退かしていく。しかし、その瓦礫の下にいたのはハイネではなく、ハイチたちを叱っていた店員だった。


「おいっ! 大丈夫か、あんた!」


 ハイネではなかったが、それでもとハイチは声をかけた。店員――彼女は息があるようである。


「う、うう……お、お客様?」


「痛むところはあるか?」


「わ、私は大丈夫です」


 女性店員も所々怪我を負っているようで、痛々しかった。


「そうか。なあ、あんた。俺の妹を見かけなかったか? 白と黒のワンピースを着た――」


「一緒にいましたそのお客様は……」


 店員は探すように、自分がいた近くの瓦礫を退かし始めた。そこにハイネが埋もれているかもしれないと察知したハイチも退かし始めた。二人が懸命に瓦礫を退かすと、彼女を見つけた。どうやら気を失っているようで、ぐったりとしている。


「おい、ハイネ!」


 ハイチはハイネを抱き抱えると、頬を叩く。何度か叩くと、彼女は気がついたようで薄ら目を開けた。


「……は、いち?」


「生きているな。痛いところはないか?」


「大丈夫……。私よりも他の人たちは?」


 痛む体に鞭を打ち、ハイネはゆっくりと起き上がった。そして、傍らにある瓦礫を退かし始めようとするが――力がないのか上手く動かせそうになかった。ハイチはそれを止めようとする。


「止めておけ。お前はそんなことができる状態じゃない」


「で、でも……」


 誰かを助けたいという思いがあるのか、ハイネはそれでも動こうとしていた。


「俺がする。何もするな」


 ハイネの思いを受け止めたハイチはそっと彼女を寝かせると、瓦礫を動かし始めた。それを見ていた店員も一緒になって退かしていき、下敷きになった人々を助けていくのだった。


     ◆


「あははっ、ぴょんぴょん逃げるねぇ。いいねぇ。動けなくなったところでミンチかぁ。王女のミンチはいかがな物かなぁ?」


 逃げるメアリー。それを追いかけながら彼女を殺そうとする異形生命体。さらにメアリーを助けるために、彼女たちを追うガズトロキルス。そのあとを笑いながら追う謎の人物。この人物に彼は違和感があった。どこかで聞いたことのある声、どこかで見覚えのある雰囲気。誰だっけ?


 逃げるメアリーは瓦礫につまずき、転んでしまった。目先には巨大な影。立つ時間がない。


「さぁ、そこの悪党を殺しちゃえ!!」


「ひっ!?」


 異形生命体の拳はメアリーのすぐそこまで迫ってきていた。それにガズトロキルスは気力を振り絞り、前へと躍り出るも彼が殴り飛ばされてしまう。かなりの距離まで飛ばされていまい、ガズトロキルスはその場に転がって動かなくなってしまった。


「オブリクス君!!」


「こーろしちゃった、こーろしちゃった。流石は悪党、自身の駒は捨て駒として構わないのかぁ。すごいなぁ」


 バケモノは大振りの攻撃を仕掛けようとしていた。もう自分を守ってくれる人はいない。おまけに攻撃が届くまで立って逃げられる自信はなかった。


――もう、ダメ!


 何かと何かがぶつかる轟音がした。メアリーは痛みを感じない。一瞬にして死んだのか? いや――それならば、意識はないはず。彼女はそっと目を開けると、眼前に広がる光景に驚きを隠せないでいた。


「……デベッガ君?」


 メアリーと巨大なバケモノの間には不思議な雰囲気を持つ剣――歯車の剣を手にしたキリが立っていた。彼は拳での攻撃をその剣で受け止めている。


「俺がするべきことだって?」


 キリは巨体の怪物の拳の力に押されず、むしろ押し返していた。それに異形生命体は困惑した様子である。


「……なんのために軍人になろうとしたんだよっ!」


 キリの存在に気づいたフードを被った人物は嬉しそうな顔を見せた。その人物の様子に彼は見えていないようである。


「『誰か』を助けるために使うべきだろうが!」


 強大な力に押し返された異形生命体は、飛ばされ地面に転がった。このような光景を見ても謎の人物は焦り出すことはなかった。それどころか、キリが現れてからは穏やかな雰囲気である。


「デベッガ君」


 メアリーがキリに声をかけようとするが、あやしい人物の声が勝ってしまい掻き消されてしまった。


「会いたかったよぅ、あたしの王子様!」


 敵味方関係なく、その人物はキリに抱きついてきた。だが、彼にとって敵と見込んでいる誰かから逃げるように離れた。


「誰だ?」


 聞き覚えのある声、そして雰囲気。嫌な予感しかしなかった。そう、この人物こそ――否、彼女こそ――。


「あたしのこと、忘れちゃったの? ひどいよ」


 彼女はフードを取り、その素顔を露わにした。そう、彼女は反政府軍団員のディースであった。その顔を見たキリは身構えた。


「地下にいた……」


「あ、思い出してくれた? 嬉しいなぁ!」


 再び抱きつこうとしてくるディースだが、キリはそれを避ける。彼女に向ける視線は白い物であった。なるべくメアリーに近付かないように、守ることを徹底して歯車の剣を向けた。


「きみはあたしじゃなくてそっちの悪党を選ぶの?」


 形相の睨みを利かせてくるディース。彼女の言葉にキリは機嫌を悪くしたようだった。


「悪党はお前らの方だろ! 危険な実験をしやがって!」


「何を言うの? あいつらが悪いんじゃない! あたしはただ、ただ……!」


 これ以上話をしても埒が明かないと判断したキリはメアリーにこの場から逃げるように促した。


「アイリ?」


「違う。本物は大通りの方にいるからそっちに行くんだ。こいつはハルマチに似た狂人だよ」


 あまりの本人そっくりのせいか、メアリーは半信半疑でディースの方を見ている。彼女の潜在する闇は深そうで、メアリーに危害が及ぶ可能性があると判断したキリは急かした。


「早く逃げて! あいつはハルマチじゃない。本当だ! 俺を信じて!」


 横目でそう言う。メアリーはその言葉を信じるべきか、迷ったが――キリを信じることにした。いささか強引ではあるものの、納得したと首を縦に振る。彼女は大通りの方へと逃げて行った。


「あたしは悪くない、あたしは悪くない。全部あいつらのせい。全部、全部――あたしの研究を蔑ろにしたのが悪いんだ!!」


 ディースの目からは血の涙が出るような勢いのある目力で、こちらを睨みつけていた。余程興奮しているのか、歯軋りを立てている。


「そんなあいつらをきみは味方にするつもりなの!? きみはあたしに会うために会いに来てくれたじゃないの!?」


「お前こそ何を言っている!? 俺はお前に会いに来たつもりなんてない! 俺はお前を倒しに来ただけだ!」


「……嘘だ。嘘ばっかり」


 ディースの表情は雲行きがあやしく感じるようになる。そこにようやく気がつき、起き上がった巨大な怪物に向けて彼女は命令を下した。


「彼の体さえ手に入れればいい。殺して」


 その命令を承った異形生命体はキリを標的とすると、拳での攻撃を再開する。それは歯車の霊剣で受け止めたり避けたりした。


「死ね、死ね! きみなんて死ねばいい! 殺されて、死ねばいい!」


 キリは歯車の剣の力を手に入れたから強くなったわけではない。怪物の攻撃に避けれず、攻撃を直に受けてしまったりしていた。


「ぐっ!?」


 殴り飛ばされて転がった先には友人であるガズトロキルスが横たわっていた。


「が、ガズ!」


 ガズトロキルスの名前を呼ぶも返事がない。だが、生きてはいる。気を失っているだけのようだった。


――ガズがこんな風になったのは……。


「怒りに任せて、相手を倒すつもりなの?」


 大通りにいたはずのアイリがしゃがみ込んで、キリの顔を窺うようにして見ていた。なぜに彼女がここにいるのだろうかという疑問が浮上する。メアリーと一緒なのでは?


「なんで……」


「それとも、あたしから使い方をきちんと伝授でもして、勝つつもりかなぁ? こっちの方がよっぽどデベッガ君らしいっちゃあ、らしいけど」


 アイリはディースの方を見た。彼女は下唇から血が出るほど噛んでいた。余程アイリが気に食わないと思っているのか――。


「クソ女! なぜここにいるっ!?」


「うわっ、睨まれた。怖い」


 鼻白むアイリではあるが、それに関してはキリも同意であった。


「何しに来たんだよ」


「うん? しょうがないから教えてあげる」


 ディースは異形生命体に命令を下した。


「あの女から殺せ! あいつは実験体としても、使い物にならないくらいぐちゃぐちゃにしろ!」


 その言葉にバケモノは動き出した。


「それの本来の力を発揮するのはデベッガ君が強く思うこと。すなわち、心の声を聞かせてあげること。それでそれは――」


「殺せ、殺せ! 殺されて、死にさらせ!」


 間近に迫る怪物の拳。三人に影ができていた。キリは歯車の霊剣を握る力を強める。


――この世の多大なる威力にも勝る力を発揮するだろう!


 巨大な拳攻撃に対してのカウンター攻撃。キリは異形生命体の腕を剣で斬り落とし――自分のペースを乗っ取られないように、斬り返しで首をも刎ね落とした。切り口からは噴水のごとく、腐った血があふれ出てくる。


 呆気に取られてしまったディースはあんぐりと口を開き、動かなくなった巨大なバケモノの亡骸を眺めるだけ。何があった? 倒したのか!?


 自分の真後ろに気配を感じる。勢いよく振り返ると、そこにいたのはキリだった。彼は剣先をディースに向けていた。


「大人しく投降しろ」


 ディースはキリのその言葉に素直に従う――ことはなく、素早く懐からあやしい液体の入った注射器を取り出して、それの針を立てようとしてきた。とっさの行動に彼は歯車の剣で弾くも、注射器が壊れ、中の液体が飛沫する。その拍子に謎の液体はキリの肌に触れてしまった。焼けるような痛みが腕中に走り回るが、すぐに消えてなくなってしまう。これも歯車の力の影響か。


 いや、それよりもディースは!?


 見失ってしまった。ディースに逃げられてしまった。それを確認したと同時に、キリはガズトロキルスの方へと駆け寄る。


「ガズ! ガズ!」


「必死ねぇ」


 人が焦って友人に声をかけているというのに、傍らにいるアイリはただその光景を眺めて嘲笑するばかり。同士が大変な目に合っているというのに、助けようとは思わないのだろうか?


「お友達は大切?」


「黙っていろ」


 今はアイリと話をしている場合ではない。場合によってはガズトロキルスの命に関わることなのだ。異形生命体の攻撃を受けた人間は、命の危険に関わるほどの威力がある。キリにとってそれは重々わかっていることだった。


「キリ、か?」


 キリの呼びかけに応じて、ガズトロキルスは目を覚ました。薄らと開けられたその目は焦点が合っていないようである。


「ガズ? わかるか? 俺だよ!」


「お前、逃げろよ」


「何言ってんだよっ! 異形生命体は、もういねぇよ! 見ろよ! 逃げて行ったんだぞ!」


「そ、か」


 ガズトロキルスは再び意識を失ってしまった。呼びかけても返事をしてくれなかった。


「…………」


 キリは無言でガズトロキルスを支えるようにして、町の大通りの方へと足を進ませる。それを平然と座り込んで見てくるアイリは口を開いた。


「嘘つき」


「……うるさい」


 キリは立ち止まり、答えた。アイリの方には振り返えろうとしない。


「事実じゃん」


「……これは俺自身の問題だ。ガズにもライアンにも迷惑なんてかけたくない。もちろん、俺はお前の言いなり人形にもならない」


「知っているよ。きみがお人形さんじゃないことくらいは」


 アイリがそう言うと、キリは顔だけを向けた。


「じゃあ、お前が知っている全てを話せ。それくらいは信じてやる」


「きみの嘘つきが直ったら。あたし、嘘つく人を信用していないし」


「ああ、そう」


 キリはアイリを置いて、その場を立ち去って行くのだった。


     ◆


 大通りの方へと向かうと、そこでは町の人々たちが瓦礫に埋もれている人々を助ける様子が窺えた。それは率先してハイチとメアリーが動いていた。彼女はキリに気付くと、作業を中断してこちらへとやって来た。


「デベッガ君!」


「おお、ライアン。ガズを安全な場所に置いてきたら、俺も手伝うから」


「お兄さんの言う通りだった!」


 行こうとするキリにメアリーはそう言い放った。彼は立ち止まり、彼女の方を見る。とっさの物言いのせいなのか、メアリーは視線を向けられてあたふたとし始めた。


「えっと、その……お兄さんが言っていたの! デベッガ君はすごいやつだから、オブリクス君を連れて戻ってくるって! 本当だった! だからね、その……!」


「ありがとう、ライアン」


 キリはメアリーに笑顔を見せると、救護所らしき場所へとガズトロキルスを連れて行く。その場に残された彼女は言いたかった言葉を口にすることができず、もどかしい様子で作業に戻って行った。ハイチのところへと戻ると、彼はなにかを見透かしたようにメアリーを見る。声には出さない。彼女をからかうべきではないと良心が動いたのだろう。


「なあ、ライアン」


 ようやく、ハイチが口に出した。メアリーはどこか残念そうな様子で返事する。


「お礼をすればいいんじゃないのか?」


「お礼、ですか?」


 反応を見せるメアリーにハイチは頷いた。


「ああ。それでおあいこになるんじゃないかって思うんだ。そういうのは、俺はやったことがないけどさ」


「お礼って何をしたら? デベッガ君が好きなものってなんだろう?」


 メアリーが一人悩んでいると――「手作りお菓子なんかいいんじゃない?」そう声が聞こえてくる。


 アイリだった。メアリーはディースと勘違いしてハイチの後ろへと隠れ込むが、彼女だと確信すると、おずおずと出てきた。


「もしかして、そっくりさんでも出たの?」


「メアリーの怯えようはそのようですねぇ」


「おう、ライアン。安心しろ、本物との区別のつけ方を伝授してやる。いいか、本物のハルマチは変人でディースというこいつそっくりなやつは変態だ。わかったか?」


 ハイチから見分け方を習うもメアリーは覚えようがないらしく、混乱していた。さらに彼のその言動にアイリの方はご立腹の様子。


「変わらない気がするんですが!?」


「変わるだろ。いいか、変人は頭がオカシイやつ。変態は頭がイカレているやつだ」


「だから変わらないでしょうが!」


「まあ、もっともだがディースは反政府軍団員だ。ライアンに恨みでもあるような雰囲気を持っていたら、やつだと覚えておけ」


「わ、わかりました」


 ハイチの言葉にメアリーは大きく頷いた。


「ところで、あたしは瓦礫撤去作業を手伝った方がいいですか?」


 話を変えてきたアイリは足元の瓦礫などを指差した。それに二人は首を縦に振る。そして、この作業に彼女も加わるのだった。


     ◆


 その日の夜、キリは寮棟の中庭へと涼みに来ていた。ベンチに座り込み、今日を思い返す。幸い、ガズトロキルスに命の別状となる怪我はなかったが、数週間は病院へと入院する必要はあった。だが、それだけでも安堵する。彼が無事ならば。そして、ハイネもガズトロキルス同様に深手の傷を負っていたが――こちらも数週間で退院できる状況らしく、こちらにも安心があった。更には被害にあった町にいた人々は怪我は負ったものの、特別事情はなかった。つまりは死者がゼロの事件だということである。


「長い一日だったような」


 キリが安息していると、中庭へ一人の人物がやって来た。廊下のドアが開かれ、草の上を歩く音が聞こえる。もし、邪魔になるようだったら部屋にでも戻ろうかな、と音がする方を見ると、アイリがいた。彼女の姿を見た途端、彼の眉は動く。


「夜分遅くに失礼」


 アイリはにこにこと、キリの隣に座り込んできた。


「……俺、戻るからゆっくりしていけば?」


 一緒にいたくないのか、キリは立ち上がる。だが、アイリはそれを止めた。


「つれないなぁ、仲良くお話しでもしようよ」


「俺がお前と? できるわけないだろ」


「あたしのことが嫌いなんだねぇ。そこは嘘つかないんだ」


「建前が嫌いなんだろ? だから、俺は本音を言っただけだ」


「嬉しいのやら、悲しいのやら」


 アイリは少し残念そうに空笑いをした。


「嬉しいだろ。堅苦しくなく、事実を言っているだけだからな」


「……ん、でもやっぱ、悲しいよ。今更だけど」


 当たり前だ、とキリが答えようとアイリの方を見れば――閉口してしまった。月明りに照らされた彼女の顔は雪山のときと同じ表情を浮かべていたからである。ほんの一瞬だけ女神という単語が脳裏に浮かび上がってきた。アイリを見る度に動揺が止まらない。こちらを見つめてくる黒い目をじっと見ていられない。なんだろう、この気持ちは。


「あのさぁ、虫がいい話かもしれないけど。たまにでいいからあたしを好きになってくれない? そうすれば、上手く付き合えると思うんだ」


「…………」


 いつもならば、声でなくとも顔だけでも反応をしてくれるキリなのだが、彼は呆然とアイリを見つめているだけで動作がなかった。その妙な違和感に彼女はキリが気付くまで声をかけ続けた。


「デベッガ君、デベッガ君?」


 幾度の彼女の呼びかけに、キリはようやく気がついたのか顔で混乱の表情を示した。


「な、なんだよ」


「いや、こっちが何? 急に黙り込むし、何も反応見せてくれないし」


「……ああ。で、なんだっけ? 嘘が嫌いなお前に嘘をつくのか? わざわざ自分が嫌がることを頼み込むのか? 変わったやつだな」


「変人だと思っているの?」


 そう言うアイリの様子はどこが腑に落ちないようだった。もしかしたら、彼女は自分が変人だと思われることが嫌なのだろうか?


「それなりにはな。これの件もあるし」


 キリが本音を包み隠さずに発言すると、アイリは急に立ち上がり――彼の頭に拳骨を落とした。


「ひどい!」


 アイリは喚きながら、中庭から出て行った。それと入れ替わるように、ハイチがやって来る。何事かと地面から起き上がるキリを怪訝そうに見ていた。


「こんなところで寝ていると、風邪引くぞ」


「いえ、寝てないです」


「ああ、まあどうでもいいけどな」


 さらりとかわされてしまったキリ。ハイチは先ほどまで彼が座っていたベンチに腰かけて一息をついた。


「災難だったな」


 ハイネ自身が命に別状がないとわかっているのか、ハイチ自身の表情はどこか和らいでいるようだった。


「今回、なんであのバケモノが現れたんでしょうかね?」


「さあな。姿が見当たらない以上、目撃証言だけじゃ捜査しようもないだろ」


「証拠はありますよ、壊れた建物とか」


「でも、誰も怪物の映像や画像記録を残していなかった。論より証拠だ」


「…………」


 ハイチに道破されて、二人の間に沈黙が流れる。彼らの言うことはどちらも事実であるからどうとでも取れないのだ。キリは運命なんてそう易々と変えるべきものじゃないな、と反省をした。


「そうだ、ライアンがディースに会ったらしい。聞けば、オブリクスとお前が助けたんだって?」


「はい、ガズが助けた代償として異形生命体にやられています」


「そこに居合わせたデベッガがライアンを逃がした、と」


「はい、彼女を守らなくちゃって。でも、そのあと怪物はどこかへと行ってしまいましたけど」


 ハイチはキリを一瞥した。彼のその思いはメアリーが王女だからという理由からくるのか。それとも、単純に正義感のある物言いなのか。どちらにせよ、今件で彼女に何も危害が及ばなくてよかったとは思っている。もし、メアリーに何かあったら――たとえ、護衛がいたとしても自分たちの首が飛ぶ可能性だってあるのだ。


「ライアンは助けることができたけど、俺は――ディースも逃しました。きっと、あいつは俺に会いに来るでしょう。それと同時にライアンにも……」


「じゃあ、デベッガが守ってやればいい。それならあの子も安心するだろ」


 ハイチにそう言われ、キリは顔を上げる。その言葉は聞き間違いではないのかと言いたげに目を丸くしていた。


「俺がですか? 俺よりガズとかハイチさんの方が余程頼りになりますよ?」


「自分で言うのもなんだが、そりゃそうだな。でも、ライアンはお前といると安心するんじゃないのか?」


 身分違いの恋愛だと見抜いているが、肝心のキリはどう思っているのか。遠巻きで見る限り何も言えない。どちらとも恋愛関係に疎そうだから。おそらく、彼はメアリーの好意には気付いていない。この関係、現状維持の方が一番いいのかもしれない。王族と平民との恋愛が発展したなんて聞いたことがないし、仮にキリが彼女に手を出せば、厳しい処罰が待っているだろう。


 静かな中庭に二人の男が居座っていると、そこへ人影が現れた。やって来たのはメアリーである。彼女の手には手乗りサイズの紙袋が握られていた。先にメアリーの姿を見たハイチは邪魔になりそうだ、とベンチから腰を上げる。


「あれ、もう戻りますか?」


「デベッガの客だよ。俺はいない方がいいだろ」


 そうハイチは言うと、メアリーの方へと行く。一瞬だけ立ち止まると、彼女だけにしか聞こえないように耳打ちをしいた。


「一応、俺は応援しているぜ」


 その呟くような言葉にメアリーは耳までも真っ赤にさせた。そして、恥ずかしそうに「からかわないでください」と言う。その言い草は満更ではないようだった。


 メアリーはハイチを見送ると、こちらをじっと見ているキリの方へと足を運ばせた。


「こ、こんばんは」


「えっと、あの。ハイチさんが俺に用って聞いたけど」


「用って言っても、大した用じゃないよ。これ……」


 メアリーは手に持っていた紙袋をキリに渡した。それを受け取る彼は何が入っているのかわからないのか、小さく首を傾げた。


「調理場借りてお菓子作ったの。よかったら、食べて」


「えっ、ライアンの手作り?」


 キリは嬉しそうに頬を緩ませていた。ちらりとそれを見てはメアリーに笑顔を見せる。


「中ってなに? 焼き菓子とか? 俺、甘い物好きなんだ」


「本当? よかったらまた作ってくるよ。食べて感想ちょうだいね!」


 キリに自作のお菓子を手渡しできたことが余程嬉しかったのか、メアリーは浮足立つようにして中庭をあとにしてしまった。今度こそ一人残された彼は彼女から受け取った紙袋の中身を開けた。それの中は予想通り焼き菓子である。この場所が月明かりのみ照らされてよくわからないが、明るい色をした物ではないことは明らかである。


「多少、焦げても美味しければいいよな」


 キリはそれを濃い色をコゲと見なしたようである。


「いただきます!」


 メアリーからもらった焼き菓子を一つ、一口で口の中へと放り込む。口に入れた瞬間に甘い味はしなかったが、こういう仕様かもしれないと口を動かしていくが、キリの表情は段々と変わっていった。急に水が欲しくなる。彼は急いで中庭から出ると、水が飲めるのが一番近い場所である寮棟の食堂へと駆け込んだ。


 しかし、水を手に入れて飲む前に、床に倒れてしまった。その大きな物音に食堂の管理者である女性は驚きを隠せなかった。


「……ず、水、くだ、さい……」


 その一言を最後にキリの意識は遠退いてしまう。原因はただ一つ。彼が手にしてた紙袋から覗かせていた物。これは焦げた焼き菓子ではなかったのだ。見た目はぱさぱさとはしているが、色がどす黒い色を帯びていた。こんな色がコゲではないはずだ。


 困惑しつつも、管理人はキリを医務室に運ぶために連絡を入れていると――いち早く来たのは医療班ではなく、女子の寮棟の食堂の管理者である中年女性だった。


「こ、こちらにメアリー様って来ませんよね!?」


 息を切らして食堂の方へとやって来るも、気絶したキリを見て大きく項垂れる。


「彼はメアリー様の手作り料理を食べたんですか?」


「いえ。水が欲しい、と言って倒れたんですが、これはメアリー様の手作りなんですか?」


「……キッチンのオーブンを爆発させて作り上げた代物です。彼はそれの犠牲になったのですね」


「一応、彼は生きているので医療班を呼びましたよ」


「ああ、そうですか。いや、それが最良ですね」


     ◆


 こうしてキリは食中毒で病院にて、ガズトロキルスのベッドと並べるようにして仲良く入院に至るのだった。


「なんだ、寮の部屋と変わらない感じだよな」


「ああ、そうだな」


 そして、キリはメアリーを見かける度に手作りお菓子を出してこないか、不安になるのであった。

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