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世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う  作者: 池田ヒロ
第三章 罪人たちによる奪還戦
47/96

逃亡

 白髪頭に全身黒ずくめの格好をし、顔立ちが整った青年がディスカウントストアの駐車場で誰かを待っている様子だった。彼の首には銀色の鎖が鈍く光る。店の方へと足を運ばせてくる女性たちのほとんどは、ほんのりと頬を染めて青年の方を見ていた。それほどまでに容姿端正的な人物なのであろう。


「あの、誰かを待っているんですか?」


 気になるのか、一人の女性がそう声をかけてくる。青年は「うん」と答えた。


「悪いけど……」


「そうですか。失礼しました」


 残念だとでも言うように、引き下がっていってしまった。そんな女性とすれ違うようにして、買い物袋を手に提げた一人の少女が近付いてくる。髪は外はね系のショートカットの黒髪である。彼女がこちらへとやって来るのに青年は眉間にしわを刻んで「遅ぇよ」と文句垂れた。


「ちゃちゃっと、買い物ができねぇのかよ。カムラ女」


「それはそれは。どうも失礼しましたね。クラッシャー先輩」


 不満垂れられて、カムラ女と呼ばれた少女――アイリは口を尖らせながらも、買い物袋をクラッシャー先輩と呼んだ青年――ハイチに強引に渡した。彼はバイクの座席を開ける。


「早く、シートの下に仕舞ってくださいよ。遅い」


 先ほどの嫌味を返すかのようにしてアイリはそう言った。


「うっせぇな。今やっているだろうが」


 仲の良いとは言いがたい二人が、どうして一緒にいるのだろうか。それは半年ほど前までに遡る。


     ◇


 処分場であるインフェルノよりハイチを連れて逃げ出したアイリ。二人は大型バイクを走らせて旧灰の帝国にある小さな町跡へとやって来ていた。捨てられた国であるから当然町に人など住んでいない。いたとしても、行くところを失ったならず者たちが集って寝泊まりしているような場所であるのだ。ちらほらと色んな国の車が見えるのがわかる。


 その町の人気のないところまで来ると、アイリはバイクを停めた。依然としてハイチは後部座席で黒いロープにぐるぐる巻きにされたままいる。彼は口を開いた。


「解放しろ、カムラ女。いや、『名なし』」


「……確かにあたしはどんな名前で言われようが気にしないと言ったけど、それを言うのは止めてくれない? 解放する気失くすんだけど」


「言ってもしないだろ」


「してはあげようと思ったのに?」


 そう言うアイリはポケットから銀色に光る鎖を取り出した。それをハイチの首に巻きつける。なんだ、と彼は歯を立てようとした。


「手足の自由くらいはしてあげるって言ってんの」


 ハイチの首を軽くしめる形で首に提げた鎖を引っ張ってきた。これに彼は少しだけ苦しそうにする。


「なんで自分がこうなったかくらい、考えたら? あたしを名なしと言っている時点で、『思い出した』んでしょ?」


「…………」


「それに、今のあたしはあんたを殺す算段がない状況なの。だから、あんたが死んだら困るの」


 引っ張っていた鎖から手を離した。ハイチは小さく咳をする。鎖が擦れ合う音に視線を落とした。


「これは?」


「都合がいいように、あたしの言うことに従順するようになるためのプレゼント」


「はぁ!? ンなモンいらっ!?」


 要らない、と言おうとしたハイチに体中に電撃が走るような痛みを覚えた。苦痛の表情を歪ませながら、身動きが取れない状況の最中でも暴れようとする。そのため、バランスを崩してバイクが倒れそうになる。それをアイリが慌てて支えて止めた。これが壊れて使い物にならないのは勘弁だ。こんな公共機関も運用していない捨てられた場所での徒歩移動は嫌なのだから。


「ちょっ! これが壊れたら移動手段がなくなるんだけど!?」


「んじゃあ、これっ!?」


 また電撃が走る。更に暴れようとするものだから、バイクが倒れないようにアイリは必死になった。


「ちょっと、ちょっとぉ! 否定的な言葉を止めてっ!」


「うるせぇな! これ、痛いんだよ! ていうか、下ろせ! 俺をバイクから一旦下ろせ!」


 なんて言われ、バイクに括りつけたロープを解こうとする。だが、キツく締め過ぎたせいでなかなか解けないようだ。ナイフで切ろうとも、強引に引き千切ろうとしても何も変わらない。ああ、この頑丈過ぎるロープを開発した者が恨めしい、とハイチは思っていた。


「どうするんだ、これ」


「うーん、上にシートを被せて走ろうかなぁ?」


「いや、おかしいだろそれ。つーか、そもそも俺を手足だけは自由にしてくれるんじゃなかったの?」


「したいのは山々なんだけど、これじゃあ使えなぁい」


 アイリは手に持つナイフでロープを切ろうと再度試みるが、全く切れない。その一部始終をハイチに見せつけた。本当だ。これじゃあ、どうしようもないじゃないか。鼻白む彼は「あれはどうしたんだよ」とあごで彼女を差した。


「処分場で持ってきていたあの赤と黒いやつ」


「おっ、無駄に頭冴えていますねぇ」


 忘れていたとでも言うように、アイリは古びたコンパスを取り出して、それをあの赤と黒の剣を形成させた。そして、それでロープを切っていく。簡単には切れそうにもないようであるが、少しずつ着実に切れていく。それほどまでの強度あるロープだ。相当な時間がかかりそうだな、とハイチは心の中で苦笑いをするしかなかった。


     ◆


 日が暮れた頃にようやくハイチは解放された。黒い腕が露わとなる。アイリはバイクの座席シートの中から黒い服を取り出して、それを彼に渡した。


「はい。流石にその格好じゃ、人の目に出せないでしょ」


「強いて言うなら、手袋も欲しいところなんだがな」


 そう言うハイチに仕方ない、ともう一度バイクの座席のシートの中を漁る。すると、おそらくウノがこのバイクに乗るときに使用するであろうライダー用手袋を見つけた。それを渡した。


「あたしのじゃないけど」


「一体誰のなんだよ、これ。お前が持っていた物じゃないだろ」


「ご名答。あたしが視る情報と引き換えに借りパクした物でぇす」


「泥棒じゃないか」


「でも、クラッシャー先輩は泥棒さんよりももっとひどい罪があるじゃないですかぁ」


 そう言われると、ハイチは何も言い返せなくなかった。


「……で、これからどうするんだ? 王国戻ってもしょうがないだろ?」


 話を変えよう、とアイリにそう訊ねた。彼女は「そうですね」と否定はしない。


「今のデベッガ君じゃあなたを殺せそうにないですし。ここをウロウロしても追手もありますしねぇ。ならば、更に隣の国の黒の皇国にでも行きましょうか。そこじゃ、誰にも会わないし」


「ははっ、お前も大変だなぁ」


「誰のせいですか、誰の」


     ◇


 そうして彼ら二人がやって来たのは黒の皇国の南部にある市場の町というところである。町の外にはただ広い荒野が続き、地平線には小さな山の姿が見えた。小さいと謳ってはいるものの、これは世界一高い山である『世界を見る目』なのだ。近くに行けば行くほど、圧倒されるはずだろう。


 それで二人は今日の昼と夜の分のご飯をこの町に買いに来ていたのだが――。


「先輩、重大発表です」


 後部座席に座り、バイクの運転を任せるハイチにアイリは挙手した。そんな彼女に「なんだ」と彼がヘルメットを着用する。つられてアイリもまたヘルメットを頭に被った。


「先週にスった財布の中身がピンチを迎えておりまぁす」


「そんじゃあ市場の方にでも行ってパクってくるか」


「うっス、よろしくっス」


 そう、二人は無一文で青の王国から飛び出してきている上、不法入国していた。だから、黒の皇国に住み着いたとしても戸籍がないため、働くに働けそうにないのだ。それ故に人の物を奪ってまでの生活を余儀なくしていた。


 本来ならば、そんなことせずとも――。


「俺とお前がなぁ。お前、生物学の成績は?」


「うっス、補習決定です」


「はぁ……」


 多少の野草の知識があるならばと思っていたが、二人にはそのような知識はなかった。下手にこれは食べられるだろうというフワフワした加減で食べてしまえば、死ぬ可能性だってある。特にアイリはそのことを避けたがっていた。ハイチが食中毒で死亡――それならば、まだ処分場で死んでくれた方がマシなのである。


「あと、今日はシャワーを浴びたいんでぇ、割とたくさん持ってきてくれたら嬉しいです」


「宿屋にでも泊まる気か? つーか、この国の宿屋の値段高くね?」


「それもクラッシャー先輩のせいじゃないですかぁ」


「何でもかんでも人のせいにすんな」


 二人は町中にある市場の駐車場にバイクを停めて散策を始めた。もう昼近くだからか買い物をする人たちは少ないようである。それでも人がいるならば金はある、とハイチは人の目を盗んで財布を盗んでいく。


 何も窃盗をするのはハイチだけではない。アイリもそれに近いことをやろうとしていた。適当な店に入り、自分で不良品にさせておきながら、最初から不良品だったことでっち上げてフリー同然でもらおうとしているのだ。


 ハイチたちは定住しておらず、皇国中を転々としている。そろそろ、別の国の方にでも行くか。それともブラック満載の犯罪感が拭えない職場の非正規労働者としてどこかの町で腰を下ろすべきか迷っていた。二人にとって生きていくにはお金が必要なのである。


 集合場所は市場から少し離れたところの建物の間。ハイチは以前に窃盗した財布の中に、これまた今回奪った財布からある紙幣を取り出して入れた。空になった物はごみ箱へと投げ入れる。カードは足が着くから盗めない。アイリはその様子が表通りに見られないようにして影を作っていた。


「結構集まりましたねぇ」


「まあな。これは盗られる方が悪い、だからな。盗られやすい、目につきやすいところに入れておくやつが悪い」


 紙幣でパンパンに詰まった財布を手にし、それをハイチは尻ポケットへと入れた。


「お前も、なかなかどうして高そうな物を……」


「これは不良品を店先に出して置くお店側が悪いんですよ」


「だとしても、これは要らんだろ」


 ハイチが手に取ったのは謎のオブジェである。持った瞬間、ズッシリとした感覚が襲ってきた。見た目に反して結構重い。


「しかも、重量感あります」


「いつ使うんだよ、これ」


「知りません。いつか、使えるときがあるでしょう」


「いや、予言者みたく言われても説得力皆無だろ」


 オブジェを返して一度宿屋の方に行くかと通りの方へと出た瞬間、ハイチと誰か――少女がぶつかった。


「わっ、ごめんなさい」


 少女は慌てた様子でその場から走り去って行ってしまう。ハイチはなんだかみすぼらしい格好をした子だなと思いながらも、アイリに宿屋へ行くぞと促した。


 先を行くハイチの姿を見るアイリは――。


「クラッシャー先輩、ケツポケット」


 そう呼び止める。その言葉に片眉を上げながらもハイチは尻の方に手を当てた。


――あれ?


 違和感がある。ある物がない。尻ポケットの中に手を入れる。


「ない!?」


 アイリの方を見た。彼女の手にもない。


「さっきの子じゃないですか?」


「おい、嘘だろ!?」


 嘆くハイチは少女が走っていった方向へとダッシュし始める。あの野郎! まさか、わざとか!? じゃなきゃ、急かすようにして逃げねぇもんな。その場に残されたアイリは両手に抱えた荷物を持ちながらも、彼らをゆっくり追いかけるのだった。


     ◆


 町外れにて。黒髪にみすぼらしい格好をした少女は後ろを振り返った。よかった、あの男女は自分を追いかけてこないようだ。彼女は両手の中にある財布を見る。パンパンに紙幣が詰め込まれていた。それもそのはず。彼らは町の人たちからスっていたのだから。それが自分の手中にあっても文句は言えないだろうし、軍にも申告はできないだろう。そう胸をなで下ろした瞬間、見えた。町の中心の方、遠くから走ってくる一人の白髪男。


「ヤバッ!」


 慌てて財布を自分のスカートのポケットに仕舞い込むと、走り出す。いや、追いつかれそうだ。走るスピードを速めた。それでも、距離が縮まっていく。もう後ろから追ってくる男――ハイチの姿ははっきりと見えていた。


「ひぃっ!?」


「待ちやがれっ!」


 ついに少女は首根っこを掴まされて、宙ぶらりん状態へとなった。彼女はとても怯えた様子で自身の頭を押さえている。


「お、お願いっ! 売らないで!」


「誰が売るか、この野郎っ! テメェ、俺から財布を盗んだんだろうがっ!」


「ごめんなさい! ごめんなさい! 私には今、お金が必要なんです!」


「俺たちだって生活があんだよ!」


 遅れて到着したアイリは片眉を上げながら、ハイチを見る。傍から見れば恫喝しているようにしか見えないからだ。


「だ、だったら、私! 軍の方にあなたたちがしていたことを報告します!」


 それは困る、とこめかみに青筋を立てていたハイチは気が引ける表情を見せた。もちろん彼だけではない。アイリも困るのだ。


「……見逃してはやるが、財布は返せ」


 だが、少女は盗った財布を返そうとしない。さて、どうしたものかとアイリが思っていると、少女のスカートのポケットに財布を見つけた。それを素早くスルリと奪回する。


「あっ!」


「あっ、じゃねぇし。こっちがあっ、だわ」


 睨みながら少女をその場に下ろすハイチをよそに、アイリは財布に入っている紙幣を三枚ほど取り出して彼女に差し出した。これに二人は目が点になる。


「これもあげる」


 そう言いながら差し出したのは自ら不良品にさせた食材である。


「おい」


「どうせ、自分たちが稼いだお金と買った商品じゃないし。多少はいいでしょ」


 そう言われると何も言えなくなる。もっともだからだ。ハイチは黙ってアイリの言うことに従うしかない。


「……ありがとうございます」


 少女のお礼に頷くアイリはハイチを連れて町の方へと戻っていく。その姿を彼女は見えなくなるまで見つめていた。


     ◆


「なんで二つ、部屋を取らなかったんですかぁ?」


 不満そうにアイリは椅子に座ってテレビを眺めていた。視線はテレビなのに、口先だけは昼食のハイチにである。そんな彼女に聞く耳を持たない。言いたいことはあるが、首にある鎖に電撃でも食らいたくない。だから、黙っておく。


「ベッド二つって、明らかに部屋の取り方間違えたでしょ」


 どうやらハイチは男女別としての部屋を取らずに、二人一部屋として間違えて取ってしまったらしい。ということではなく、普通にそちらの方がお得だったからである。しかし、アイリにそう言ったとしても、聞く耳を持ちそうにない。むしろ、狙って取ったとか言ってきそうだ。だから――。


「ああ、俺が悪かったよ。だから、我慢して寝てください」


 こちらが我慢をするしかない。


「寝ろって、まだ日は高いですから」


「知ってるよ。そう思うなら、どうしてあいつにやらずに、この荷物がかさばる物を持ってきた?」


 テーブルの上に音を立てながら、オブジェがそびえ立つ。ハイチは正直、邪魔だと思う。こんな物、本当にどこで使うのか。


「いや、自分がもらっても嬉しくない物をあげても仕方ないでしょ」


――だったら、なぜに買った?


 ますます、疑問は大きくなる。それに言いたいことはたくさんあり過ぎるが、黙って食べ物を口へと運ぶハイチ。電撃を恐れて何も言ってこないハイチがつまらないとでも思っているのか、アイリもようやく椅子に座って昼食を食べ始めた。安物を買ったせいで、言うほど美味しくないなと思いつつもテレビ画面を眺める。


「ところで、滞在期間はどれくらいまで?」


「あ? 三日で充分だろ? 財布の中身から考えて、それくらいが妥当」


 財布を手にして中身を確認する。うむ、アイリが少女に渡した三枚以外は残っているようだ。


「それに、ここでスったんだ。あんまり長居していると、やっかみ食らうぞ」


「なるほど。しかし、あの子は相当な貧乏人のようですなぁ。町の人たちと比べるとボロボロの服着ているし。髪の毛もボサボサだったし」


「だなぁ。金が必要って、今日明日食べていく金がないっていう意味なんじゃねぇの」


「なんか、あの子もスリして暮らしていそう」


「そういうの気にする必要もなくね? なんせ、人の物を盗ったやつだ。ろくな人間じゃねぇよ」


 ブーメランになっているな、とアイリはお茶を飲んで昼食をさっさと食べ終えた。そして、暇だから町の方に遊びに行ってくる。そうハイチに伝えて部屋を後にする。一人その場に残されたハイチも食べ終えると、テレビの電源を消してベッドの上に寝転がった。そして、ポケットに手を入れようとするが――その中には何もないことを思い出して一人苦笑いした。


 連絡通信端末機なんてないのに――。


 起き上がり、窓の外を見る。ちょうど、アイリが外を歩いている姿が見えた。視界の端には彼女が寝る予定である場所のベッドの上にピンク色の分厚い本が。


【豪華賞品をあげますよ】


 ハイチにとって豪華賞品とやらがなんなのかは、なんとなく知っていた。それだからこそ、今は答えたくもなかった。本の中身を知っているからである。


 本を手に取り、ページを開こうとする。だが、それは首の鎖が許さなかった。そのままベッドの上に落としてしまう。見ることすらも許されないとは。首元に黒い手袋をした手を当て、眉間にしわを寄せた。


 何もすることがない。だからハイチはもう一度ベッドの上に寝転がると、そのまま目を閉じるのだった。


     ◆


 串焼きでも買って食べようかな? なんてアイリは考えながら今度は市場ではなく、商店街の方へと赴いた。商店街の近くを通ったとき、いいにおいがしたのを覚えていたからである。


「ちょろまかすのは得意だもんねぇ」


 あやしく笑いながら、アイリはポケットから一枚の紙幣を取り出した。実はあの少女に紙幣を渡すとき、財布から取り出した際に一枚こっそり抜き出していたのだ。これにハイチは気付いていないはず。


 これだけあれば、いくらかは買えるだろう。


「すみません、串焼きを三本ください」


 串焼き屋の屋台の方へと赴き、注文をした。早速それを購入し、近くで食べようとする。だが、どこからか視線を感じた。それで口に運ぶのを止める。その場を見渡すが、こちらをじろじろと見る者はいない。


――気のせいか。


「美味しそぉだなぁ」


 もう一度口を開けて食べようとするが、やはり視線を感じる。口を閉じ、周りを見た。いた。建物の陰からどこかで見たことのある人物が物欲しそうにこちらを見ているではないか。


「…………」


 食べにくい、とでも思ったのかアイリはあの少女の方へと近寄って、一本の串焼きを差し出した。これに少女は慌てた様子で目を泳がせる。


「食べたいんでしょ?」


 素直に少女は頷いた。


「あげる。そんな風に見られたら、食べるに食べられないから」


「ありがとうございます」


 二人は近くの広場のベンチに腰かけて串焼きを食べ始めた。


「美味しい!」


 にこにこと笑顔を振りまいて少女は食べる。なんだか初めて食べたのではないか、とでも言うように食べている。その食べっぷりにアイリは表情を引きつらせた。自分が買った串焼きは三本。自分はまだ食べきっていないが、彼女は一本を食べ終えて残り一本を羨ましそうに見ているのだ。


――ていうか、あのお金は!?


 昼前に渡したお金はどうしたのだろうか。あれだけのお金さえあれば、串焼きは結構な量が買えるはずだぞ。


 少女は羨ましそうにアイリが食べる串焼きを見る。とても痛まれない気持ちになる。なぜか周りの人たちもこちらをじろじろと見ているような気がして――ああ、もう!


「……欲しいなら、あげるよ」


 視線に負けてアイリは最後の一本である串焼きを差し出した。


「い、いいんですか!?」


「……うん」


 遠慮するくらいなら、あのお金で買ってくれとでも思う。


「す、すみません、結局串焼きを二本も食べちゃって」


 串焼きを食べ終えた少女は申し訳ない様子でそう言った。本当に申し訳なく感じるならば、遠慮をしてもらいたいものがだな。アイリは「いいよ、別に」と返す。


「ただ、あたしとしては、あげたお金はどこへ行ったのかなと思ってはいるけどねぇ」


 建前は嫌なのがアイリのモットーである。彼女は遠慮なしに言い放つ。それに少女は更に申し訳なさそうにして小さくなった。


「あ、あれは母の治療費代です」


「病気なの?」


「はい。でも、私の家ってとても貧乏で。一日で稼げるお金なんてたかが知れているんです。だから、今日はあんな真似をしてしまって、申し訳なかったです」


 少女は頭を下げてきた。これにアイリは戸惑いを隠せない。ただの経済的事情だけならば、チクチクと痛いところを突こうと思っていたのだが、家族が病気という後付けがある以上は何も言えやしない。お気の毒に大変だな、という言葉しか出てこなかった。それ以前に、本当に言葉が詰まってしまって痛い沈黙がその場を漂っているのだ。


「あの、よろしかったらなんですけど、家に来ませんか? せめてのお礼にお茶でも」


 なんて誘ってくれるのは嬉しいのではあるが、先ほどの発言のせいで行きたいとは思わない。思えない。しかし、少女の厚意は無下にしたくない。どうしよう――。


「私の家、町の外れの方にあって少しばかり歩くのですけど」


「う、うぅん……」


 行くべきなのだろうか。悩む。どうしようかと考えるアイリは今更ながら少女の名前を知らないな、と冷静になって思った。


「それよりもさぁ、きみの名前を教えてくれる? あたし、アイリって言うんだけど」


 そう言われて思い出したように、少女は「すみません」と小さく頭を下げた。


「言っていませんでしたね。私はカーレンと言います。よろしくお願いします」


「うん、よろしく。と、あとさぁ、あたしはやることがあるんだ。悪いけど、また今度誘ってくれる? 明後日までこの町にいるからさぁ」


「わかりました。すみません、お忙しいのに無理を言ってしまって」


「うん、こっちこそ。じゃあ、またねぇ」


 アイリはベンチから立ち上がると、少女――カーレンに小さく手を振って宿屋の方へと戻っていった。カーレンはその場に座ったまま、背中を見送っていた。


     ◆


 宿屋の方へ、自分たちの部屋の方へと戻ってきたアイリはベッドの上で眠っているハイチに気付いた。割と物音を立てていたのに。どうも熟睡しているらしい。


「…………」


 腕を組み、眠るハイチを睨みつける。どうも、その寝顔が気に食わないらしい。しかめっ面の表情を見せていると――「いっ!?」


 首の鎖より電撃が走り、勢いよく起き上がるハイチ。不意打ちのため、涙目で首筋を押さえていた。


「なっ、ん? いってぇ……」


「よく呑気に寝ていられるねぇ」


 鎖を利用して起こした、とハイチは理解する。この理不尽な起こし方。不愉快にもほどがある。いい加減にしろよ、カムラ女! 不服そうな目でアイリを見た。


「ただ、寝ていただけなのに。何が悪い?」


「いやぁ? ただ単に寝顔に腹が立ったんで」


「寝顔に腹が立つって、失礼じゃねぇか。それに外に遊びに行って、そんなに時間経ってないじゃん」


「カーレンから逃げただけですよ」


 誰だそれは、とハイチは片眉を上げた。青の王国軍の者だろうか。覚えている人物の顔を当てはめていくも、全く知らない。わからない。それよりも、覚えていないのかもしれない。そもそも、その名前の人物と会ったことがあるのだろうか。


 まさか、学校内にある図書館員の女性ではあるまい。その人だったならば、アイリはもっと意地の悪い言い方をしてくるはずだ。


「誰それ」


「あぁ、先輩は名前を知らなかったですねぇ。あの財布を盗んだ子ですよぅ」


「ンなら、知らねぇよ。俺が知っている前提で話さないでくれる?」


「いやぁ、クラッシャー先輩ならわかってくれると思っていたんで」


「カムラ女の言うことを理解できるおツムじゃないからな」


 そうハイチが皮肉りながら頭を掻いた。これにアイリが「残念系ですもんね」と心にくるような発言をしてくるではないか。心が折れそうで、とても立ち直れなさそうな言葉の暴力である。しかしい、ここで一人項垂れても、誰も慰めてはくれまい。だからこそ、自分で立ち直らなければ。


「……ンで、逃げてきたって。また金を盗られそうになったのか?」


 とりあえず、アイリの言葉を聞かなかったことにして、ハイチはそう訊ねた。すると、アイリは「いいや」と否定した。


「盗られそうになったと言うか、なんと言うか。あたしが買った物を盗られたんですよぅ」


「買ったって、詐欺紛いして出費はなしなんだろ? 別にいいじゃねぇか」


「いや、普通にお金で買いましたよ。串焼き」


 串焼きと聞いてハイチは少しばかり羨ましそうにしていた。自分も食べたかったらしいが、今のアイリには関係のない話だ。そのため、彼のその反応は無視した。


「で、なんか。まぁ、盗られたというか、あたしがあげたんですけど」


「盗られてないじゃん。お前の意思じゃん」


「最後まで聞け、ばか」


「なんだとっ!?」


 そこだけ大仰に反応するハイチ。しかし、相変わらずもアイリはお構いなしに話を続けた。


「串焼き三つ買って、いざ食べようとしたらすごく物欲しそうな目でこっち見てくるから。仕方なくあげたんですよ。で、結局二つも取られちゃってぇ」


「お前、あの子に金をあげなかったっけ?」


「そこ大事っ! カーレンが言うにはお母さんが病気だからその治療代として取っているって言うんですけど」


「いい子じゃん」


 ハイチはあまり興味がないのか、テーブルに置いていた買い置きのジュースを飲む。その上にオブジェが一角を占領しているから邪魔だと若干怪訝そうな顔を見せた。


「いや、なんか引っかかるんです」


「裏があるってか?」


「確信がないので断言ができないんですよぅ」


「ンで、俺にそのことを相談、と?」


「いえ。注意喚起です。どうせ、ヒマなときに町の方へ行くでしょ?」


「まあ、明日辺りぶらぶらしようかなと考えているし」


「だったら、なおさらです。あたし、明後日までいるとは伝えているから」


「えっ、あやしいと思っているやつに滞在期間を言っちゃうの? それこそ、お前の方がばかじゃねぇか」


 鼻白むハイチはベッドの上に置いていたリモコンを手にしてテレビをつけた。ニュースをやっているようだ。どうやらこの黒の皇国の皇子が婚約をしたらしい。いや、自分たちにとってはどうでもいいことか。


「ばかじゃありませんよぅ。言ってしまったから、こうしてクラッシャー先輩にも注意喚起をしてあげているというのに。感謝してくださいよ」


 そう不貞腐れた様子のアイリは横柄な態度を取っていた。近くにあった椅子にふんぞり返るようにしているではないか。腹立つなぁ。


「……何だろう。ここまで感謝という言葉を疑ってしまうこの気持ちは」


 釈然としない心持ちでハイチは、一応アイリの言葉を頭の中に入れておくことにするのだった。


     ◆


「おい、起きろカムラ女」


 アイリはハイチに呼ばれて目を覚ました。いつの間にか朝らしい。眠い目を擦り、上体だけ起こしてぼんやりとベッドの一角を眺めていた。


「意外に早起きですねぇ」


 いつもなら自分が先に起きているのに。珍しいな、と欠伸をして洗面台の方へと向かった。ハイチは椅子に座って、テレビを眺めながら一人勝手に朝食を採る。流石は安売りしていただけのことはある。この町のディスカウントストアの物が美味しいとは微塵も思わない。


 アイリも顔を洗ってきて椅子に座り、朝食にありつく。


「テンション落ちる味ですねぇ」


「いや、これ買ってきたのお前だからな?」


「元より、この国でのこういうパッケージに入った物って総じて不味いですよねぇ」


「カムラ女が作ったやつよりかマシぃ!?」


 急に電撃が走る。おかげで飲み物が入った容器を服の上に落としてしまった。首筋が痛い。膝が冷たい。これはひどい。


「クリーニングに出さねぇと、ダメじゃねぇか」


「ちょうどよかったです。そのついでに今日のご飯を買いに行ってきてくれませんか? お金は先輩に預けていたはず」


「わかったよ」


 ハイチは鼻でため息をつくと、洗面所で着替えた。そして、汚れた服を手にして宿屋のコインランドリーで洗濯している間に町の方へと赴くのだった。


 朝と言っても、もう日は高い方だと思う。『思う』というのは空が曇天だからである。この国に半年ほど滞在してわかったことは雨がほとんど降らない。基本的に曇り空ばかりである。だが、雨が降る気配がなかった。


 町の外の道――特に舗装されていないところを走ればわかる。土煙が立ち込めやすい。何より土に湿気は一切ないから。農業とかどうしているんだろうなと思いながらも『ライオン出没注意』の看板を目にして店を探す。


 昨日と同じ店に行って、同じような物を買ったとしてもアイリは不満垂れるだろう。いや、こういうところのような安い場所で買って節約せねば。金は使えば使うほどなくなっていくのだから。


「他にいい場所ねぇかなぁ」


 またしても、連絡通信端末機を取り出そうとズボンのポケットに手を突っ込んでしまう。このくせは早く治らないだろうか。なんてハイチが頭を掻いていると、誰かに声をかけられた。後ろの方を見ると、そこにはカーレンがいた。昨日のアイリの言葉を思い出す。


「こんにちは」


「よお。こんなところで――」


 ハイチは尻ポケットの方に手を当てた。まさか、また盗られているわけじゃ? いや、あった。ポケットに膨らみがあるから。


「何をされているんですか?」


 ハイチの奇妙な格好に、少しばかり困惑しながらもカーレンは首を傾げた。それにハイチは何でもないと答える。


「えっと、俺に何か用か?」


「いえ。昨日、粗相をしてしまったので、お礼をしたいと思いまして」


「お礼?」


「はい。私の家、貧乏で何もできないんですが、お茶くらいなら出せるので。いかがですか?」


【なんか引っかかる】


 アイリはそう言っていたが、ハイチの目に映る少女はそうには見えなかった。むしろ、自身の過ちを反省しているようである。それに彼女は確信を持っていないとも言っていた。自分が死なないようにするために気張り過ぎて疑心に陥っているのだろうか。


――いや、それは関係ないか。


「おうよ。それなら、お呼ばれしようかな」


 ハイチはカーレン宅へと行くことにした。気にし過ぎなくても問題あるまい。


「よかったです。家はこちらです」


     ◆


 カーレンの家は町外れにある今にも潰れそうなほどの小さな家であった。いや、家というよりも小屋と言ったが正しいだろうか。彼女の家は見た目からして、本当に貧乏なんだなと実感する。


「狭いですけど、どうぞ」


 中へと入ると、薄暗いという印象が窺えた。窓が小さ過ぎるのが原因なのか、日の光が入ってきていない。入り口のすぐ隣には横になって眠っている中年女性がいた。カーレンの母親だろう。病気だとアイリは言っていた。どうも本当のようだ。


「今、お茶を淹れますね」


 その言葉に眠っていた母親はゆっくりと起き上がってきた。そして、ハイチの姿を見て怯えた様子で見てくる。


「あっ、えっと……」


「こっちに来ないでっ! カムラ!」


 なぜかカムラ扱いをされてしまった。そう言われて戸惑いを隠せないハイチは助けを求める。カーレンも気付き、慌てて母親にカムラではなく、自分の友達だと説明をした。


「大丈夫だよ、お母さん」


「えっ、か、カムラじゃないのかい? 本当に?」


 東から南にかけて皇国内を回ってきたハイチにとっては初めての経験である。白髪頭が原因なのだろうか。珍しい髪の毛の色だと言われても、ここまでなかったのだが――。


「本当、本当。ね、……あっ、名前知らないや」


 紹介し合っていなかったな、とこれまたハイチたちは思う。それで余計に母親にあやしまれてしまった。


「カムラ、本当は私の娘を唆したんじゃないのかい!?」


 ベッドの上に座っていてもなお、カーレンの母親は睨みを利かせてくる。そのようなことは微塵もないんだけどな、と表情を引きつらせつつもハイチは自身の名前を言う。


「カムラじゃありませんって。俺、ハイチって言いますけど」


「何っ!? カムラの正体はやっぱりあんたかい!」


「違うよ、お母さん!?」


「私は騙されないよっ! カムラは人を騙すからね!」


 なんてベッドから身を乗り出して、ハイチに掴みかかろうとしてくる。病弱なカーレンの母親に対して何もできない。というか、このまま自分が何もせず、落ち着いてもらいたいのだが。たじろぐ彼は視線を二人に向けた。


「お母さん! この人はカムラじゃないってば!」


「いいや、カムラだ! 私を病気にしたのもあんたのせいだ!」


 仕舞いにはこの家から追い払おうと叩き出してくる始末。平手で叩いてはいるものの、力は結構あるようだ。そのせいで、地味に痛い。


「私たちはあんたなんかに屈服しないよ! 私たちが敬い、助けてくださるのはキイ様だからね! あんたなんてキイ様にやられた悪魔のくせにっ!!」


「ちょっ、なんか勘違いも甚だしくねぇか!? お前のかーちゃん!」


「ごめんなさい、ごめんなさい!」


     ◆


「ごめんなさいねぇ。カーレンのお友達だったんだねぇ」


 二人の必死の説得により、ハイチがカムラではない潔白の証明を果たせた。母親は納得してくれたようである。ただ、説得するだけなのにここまで疲れるようなものだとは思わなんだ。


――ていうか、病人のくせして元気があり余りすぎんだろ。


 見た目は顔色が悪いように見えるが、声音は元気である。本当にこの母親が病気なのか疑わしくなってきたぞ。ハイチはカーレンが淹れてくれたお茶を啜る。薄くて美味しくない。不味い。これをアイリが飲めば絶対に「不味い」という評価をするかもしれない。彼女は妙なところで正直だからである。


「その、カムラって言ったけど……カーレン。あんた、いぃ男を連れてきたんじゃない?」


「やだ、お母さん」


 カーレンたちは頬を赤く染めてハイチを見てくる。


「ねえ、あんたたちはどこまでヤったんだい?」


 なんとも下衆い話をしてくる病人。大人しく寝ていろと言いたいところだが、ハイチは我慢した。カーレンは更に真っ赤にした顔で「恥ずかしいから止めて!」と言う。


「ハイチさんにはアイリさんとヤっているんだから!」


 傍から聞けば、爆弾的発言である。ハイチはお茶を吹き出しそうになる。言い方! 言い方がまずいし、お茶も不味い。


「ねっ、ハイチさんはアイリさんとは恋人同士なんですもんね!」


「恋人じゃねぇし。ていうか、その発言止めてくれない? ヤってもいないし、俺としてはあんなクソカ――女とヤるなんて願い下げだから」


 これは嘘ではない。本音だ。ここまでにおいて、心情と発言の言葉が一致するとは思わなかった。逆にアイリが聞いたらどうなるだろうか。答えは簡単。鎖の電撃を無言で浴びさせてくるだろう。しかも、長時間。一瞬の痛みではなく、持続性のもの。過去最高に悶絶は必至だろうな。ハイチは不味いお茶を啜る。


「えっ、じゃあどうして一緒に? 二人とも、この町の方じゃないですよね? 昨日、宿屋に入るところを見たし」


「……訳あって一緒にいるんだよ。いいから、二度とそういうこと言うな。虫唾が走る」


 昨日だって、理不尽に起こされたのに。いや、結構鎖の電撃で起こされたりしているのは何度もある。まず、アイリは自分のことを対等に見てはいないし、逆もまた然りだ。


「ごめんなさい……」


 カーレンはしょんぼりと、どこかばつ悪そうにした。少し言い過ぎたか。いや、これぐらいがちょうどいい。実際にそう言われて、苛立っていたのだから。もっともな話、ハイチにとってアイリは全くの好みのタイプではないのだから。


――つーか、カーレンも妙にカムラ女に似ているんだよなぁ。雰囲気が。


 黒髪だからそう彷彿してしまうのだろうか。いけない、いけない。カーレンはカーレン。アイリはアイリである。おそらく、キイ教信者の彼女らにとって自分が思うカムラみたいな者と一緒にしてはいけないのだ。きっと知られたならば、血の涙を流すかもしれないだろう。


「じゃあ、ハイチさんはどんな方がタイプなんですか?」


 なんて言われハイチは一瞬だけ動揺した。すぐに頭には図書館員の女性の姿が映るも、すぐに掻き消した。もう彼女に会うことはないだろうから。いや、会う資格がない。ハイネと同じように。


「いや、俺は――」


 諦めるべき。そう思っているが、煮えきらない自分がいる。言葉も詰まってしまい――。


「……女性が苦手」


 つい、嘘をついてしまう。それをカーレンは嘘だなとすぐに見抜いた。苦手であるならば、自分が声をかけても対応に困った様子ではなかったはず。これは自身の母親が原因である種のトラウマを抱えてしまったのだろうか。そう勘違いをする。


「ハイチさん、大丈夫ですよ。今回はウチの母が粗相を致しましたが、この世のほとんどの女性はあなたに優しいはずですよ。今回はたまたま一回だけそういう目に合った。そう考えていただければ、何も恐れるものはないんですよ」


「…………」


 これは慰めのつもりで言っているのだろうか。なんだか釈然としない。カーレンの慰めっぽい言葉にハイチは怪訝そうにした。


「自信を持ってください! 世の中は愛であふれていますっ! そして、必ずやハイチさんは運命の女性と出会える日があるでしょう!」


「ごめん、カーレンの言っていることが飛躍し過ぎて意味がわかんないや」


 そして、ここに長居するつもりもない。不味いお茶をすべて飲み干すと、席を立った。


「あれ? どうされました? あっ、トイレは外で適当に……」


「そうじゃねぇよ。用事を済ませなきゃならねぇんだ。じゃあ、またな」


 ハイチは二人に小さく笑みを見せると、カーレンの家を出ていった。改めて家を見上げて頭を掻くと、昨日行ったディスカウントストアの方へと赴くのだった。


     ◆


 買った物を手に提げて宿の部屋の方へと戻ると、アイリがオブジェを窓辺に置いて一人祈っていた。


「クラッシャー先輩がデベッガ君に一日でも早く殺されますようにっ!」


 無性に腹が立って仕方がない。だから、アイリの頭の上に手刀を落として鎖の電撃をいただく。全く、そういう反射だけは鋭いんだから。


「クソっ!」


「何がしたいんですか。何が」


「それはこっちのセリフだこの野郎っ! なんかあやしげなお祈りが聞こえてたんだけど!?」


 電撃のショックで買い物袋とコインランドリーから回収してきた服が散らばる。それを拾い上げて、テーブルの上に置いた。アイリはその中身が気になるのか、音を立てながら漁る。


「ただの神頼みですが、それが何か?」


「それ、カムラ女がやることじゃねぇだろ」


「わかっているじゃないですか。って、昨日あたしが買ったところじゃないスか?」


「知らねぇよ、そんなの。高い金出して飯食っているなら、すぐに底が尽きるわ」


「いや、それよりもここ毎日あの店じゃないですか?」


「チェーン店一強なんだろ。この国の店に関する競争率なんて知る由もねぇし」


 そう言うハイチは窓辺に置かれたオブジェをテーブルの上に戻した。あんな不安定な場所に置かれて足の上に落としてしまえば、悲しみながら悶絶することになるだろうと思ったからだ。


「そんで、お前は俺がいない間、そこでずっとお祈りしていたのか?」


 いつの間にかアイリはお菓子の袋を開けて口を動かしている。それ、後で食べようと思っていたのにな。そう言ったところで彼女は「だから?」の一言で終わらせるだろう。それに下手なことを言えば、電撃ショックが待っている。ここは何も言わないのが賢明だ。


「ですねぇ。テレビつけてもやれ皇子が婚約だ、やれそれは国際結婚だが伝統的にいいのかの特番ばっかり。そんなのずっと見ているなら、こうしてお祈りしている方が有意義でしょ」


「いや、無駄な時間を過ごしてると思う」


 ハイチは洗濯物を適当にたたみ、鞄の中に入れた。一応はたたんで入れているはずなのに、ぐちゃぐちゃになってしまう。これはアイリも同じだ。二人揃って、片付けは下手くそ。否定の言葉もない。


 どうしたものか、とハイチはアイリが開けたお菓子を一掴み奪った。


「――そうそう、カーレンって子の家に行ってきたよ」


 ハイチが思い出したかのように、そう言った。アイリはびっくりしたような目でこちらを見てくる。当然の反応か。


「えっ? 何もありませんでしたか?」


「何もねぇよ。深く考え過ぎていただけだろ? あの子の家のお茶は不味かったけど」


「なら、いいんですけど。あたしの勘違いなのかなぁ?」


「じゃないの? 疲れてんだろ、相当。今日、俺が起こすまで爆睡していたし」


 お菓子を口の中に放り込みながらハイチがそう指摘すると、テレビをつけた。確かにアイリの言う通り、ハインの婚約のことについての報道をやっているではないか。キャスターたちが真剣な顔して話し合いをしているようだった。


――つまらんなぁ。


     ◆


 その翌朝、先に目を覚ましたのはアイリだった。日の光が部屋の中に入ってきて、珍しく外は晴れているようである。カーテンを開けると、眩しい光が彼女を襲う。日は高く上がっている。寝過ぎたのかもしれないが、ハイチはまだ寝ているようである。


 起こすか。そう考えたのだが、先に身支度と朝食を勝手に済ませて部屋のドアを開けて、にやりと笑った。アイリが出た途端、鎖の電撃で目が覚めるハイチ。


「おいっ! もうこれで起こすのは止めて……逃げやがってっ!」


 廊下から楽しそうな足音が聞こえている。無理やりな起こし方に不満を募らせながら、身支度をした。財布はない。今日はアイリが買い出しに行くのだろう。そう考えたハイチはテーブルの上に残っていた朝食を手に取ろうとするも、頭痛がした。


 電撃のせいとは言いがたい。今までそういうことはなかったはずだから。流石に頭の方には流れないように処置をしていたはず。なんだか朝食を食べる気にはなれなくて、ベッドの上に寝転がった。大きく深呼吸をする。


――クソが。


 今日は一日中部屋にいる形だからよかったとも思うが、しばらくこの痛みと付き合うのは勘弁して欲しい。ただでさえ、電撃を食らい続けて嫌になっているようなものだから。


 シーツが目に映る。白――それは旧灰の帝国での出来事を思い出させてくる。あのときも頭痛がしたんだっけか。


【三ヵ月に一回くらいは定期検診を受けに来てね】


【そのつなぎ合わせた腕が合わなくなるかもしれないから】


――あのジジイ……。


 今更、悔やんでも仕方がない。この真っ黒な腕になってしまったのは自ら望んでないのだが、己の責任はある。あのとき、工場の同僚たちの言うことを聞いていれば――。


――だったら、本物の腕なしの方がよかったよ……。


 本当に自分は、ろくでもない人生を歩んでいるなと思う。それだから、アイリは狙っている。この命を。キリを利用して自分だけ自由になろうとしている。


「絶対、逃げてやる」


 そう断言した瞬間、割れるような激しい頭痛の波が押し寄せてきた。手を頭に押さえつけ、小さくなる。眩暈がするし、吐き気がする。ただ、横になっているだけなのに体がだるい。


「なんだ?」


 風邪でも引いたのだろうか。だとしても、この頭の痛さは普通の頭痛の比ではない気がした。これはそう、雪山のときに近い痛み。唯一、違いがあるのはぐちゃぐちゃになった記憶の情報が頭の中に流れ出てこないこと。


 また波がやって来た。こめかみに青筋が僅かながらに浮き立つ。今にもそこの血管がはちきれそうだった。


 シーツを強く握る。破けそうな音が聞こえてきた。


 まだ頭の中で情報を流してもらっていた方がマシだ。痛みがあるから何も考えることができなくて。苦しい。ついさっき出かけたアイリが戻ってくるには時間がかかるだろう。いや、頭が痛いと言っても心配してくれるような人物ではないか。


――こんなことになるなら……。


 死んだ方がマシ。その思いが頭の中で支配していく。どうせ、死ぬところをあいつに邪魔されたんだ。ばちんっと軽く鎖の電撃がやってきた。そちらよりも、頭痛がひどい。


 テーブルに置かれているオブジェが目に入った。持った途端に重量を感じられる訳のわからない物。何のために購入したのか明白でない物。


 いつ使うのか。


 ベッドから滑り降りるようにして、四つん這いになってテーブルのもとへと向かう。そうしている間も首筋には電撃が暴れる。構うものか。こちらとら、毎日それを浴びているんだ。


 それを手にした。


     ◆


 一枚、二枚、三枚と人気のないところで財布の中身を数えるアイリ。宿泊費を考えると、今日一日くらいは贅沢しても何ら問題はないだろうなと思った。さらば、あまり美味しくない物を売っているディスカウントストア。こんにちは、美味しそうな弁当屋さん。


 早速表通りにある弁当屋に入って行こうとするのだが――「アイリさん」そうカーレンに呼び止められた。


「こんにちは。また、会いましたね」


「……やっほぉ。本当だねぇ」


 アイリは弁当屋に入るのを止めた。またカーレンが物欲しそうな視線を送ってくるかもしれないから。三人分になると、そこまで買う余地がないからである。


「アイリさん、今日はヒマですか?」


「いやぁ? 言うほどヒマじゃないかなぁ?」


 弁当買いたいし、どこか行ってくれないかなと少しばかり邪険にしてしまう。だが、カーレンはそれで下がらなかった。


「あの、今日はお天気がいいから景色のステキなところにご案内しようかと思っていたんです。今日まででしたよね? この町に滞在するの」


「そうだけど。あたしもあの人もそういうのは興味ないからなぁ」


「ええっ!? 綺麗な場所なのに? きっと、世界を見る目もはっきりと見えますよ」


「そっかぁ。でも、いいや」


 そう受け答えすると、カーレンはアイリの手を握ってきた。なんだか、逃がさないと手が言っているような気がする。


「それならば、私の家にご招待しますよ! まだお茶をあなたに振る舞っていませんもんね!」


 不気味なほど、カーレンはにこにこと笑顔を見せている。


「ねぇ? 行きましょう?」


 握ってくる手の力が強い。痛い。なぜにカーレンは自分を誘いたがるのか。


「……いいよ、あたしは。あの人も言うほど体調が優れないと言っているし」


 カーレンの強気な手を振り払い、その場を退散しようとした。そのときである。


「ですよねぇ」


 一瞬の硬直により、カーレンは再びアイリの手を掴んでくる。今度は先ほどよりも強い力で握っていた。


「『腕なし』の方は何も考えていないんですかねぇ。何の疑いもなく、飲み干してくれたんですけどねぇ」


 今、カーレンはハイチのことを『腕なし』と言った? なぜにそのことを知っているのか。


「アイリさんって厄介ですよねぇ。なんというか、イレギュラーな存在とでも言いますか」


「か、カーレン?」


 二人の目が合ったその瞬間に、アイリは強引にカーレンの手を振り払った。宿屋の方へとダッシュする。追いかけては――来る! 来ている。


「ねぇ、アイリさん。お茶でもしましょうよぅ!」


「なんなの!?」


今まで嘘だったのか。お金がないのも、病気の母親がいるのも。ハイチは見てきたと言うが、もしも、それがすべて仕組まれていたら?


 カーレンはどこからどう見ても青の王国軍の者には見えない。だとするならば、どの刺客だと言うのだろうか。コインストはもう軍に潰されたはず。他には――まさか、反政府軍団!? いや、そのようなことを考えているならば逃げることに先決しろ。


 アイリは勢いよく宿の部屋の中へと踊り込んだ。


「クラッ――」


 室内の惨状を見て目を丸くする。床に倒れたハイチ。頭からは血を流している。近くには自分が買った用途不明のオブジェ。


「逃げないと!」


 ハイチの安否よりも逃げなければ。カーレンはすぐにやって来るだろう。アイリは自身のピンク色の分厚い本と彼を抱えてバイクを置いている駐車場へと向かおうとする。だが、思ったよりもハイチが重くて――。


「一人で抱えて逃げ出せると思ったんですかぁ?」


 すぐにカーレンに追いつかれてしまった。


「あなたが誰なのかわかりませんが、私たちにとって腕なしは必要不可欠な存在」


「カムラに唆されて、キイに殺されたのに?」


「あらぁ? キイ教の信者なのかしら?」


「ざぁんねん」


 アイリはカーレンの視線を外さずに、床に落ちていたオブジェを素早く拾上げて投げつけた。


「生憎、あたしは宗教に興味ないのよっ!」


 それを避けたのを機にアイリはハイチから手を離すと、飛び蹴りを食らわせようとしたのだが――。


「甘いっ!」


 それも避けられて、ハイチのもとへと辿り着かれてしまった。カーレンは優しく彼を抱き起こす。


「あっ!?」


「あらあら。アイリさん、目が黒色なのにキイ様に愛されていないのぉ? いやぁ、愛されるはずがないのかもしれない。腕なしと一緒にいるならば」


 その言葉に反応するかのように、黒い服装をした者たちがわらわらと別室から出てきた。彼らの手には銃砲が握られていた。これでは勝ち目などないに等しい。


「……あんたも、そのキイとやらに愛されないんじゃないの? 腕なしを抱いているならねぇ」


 このような絶望的状況においても、アイリは煽り言葉を忘れない。その発言が癪に触ったのか、カーレンはキレた。


「お前に言われたくないんだよっ! キイ教信者でもないやつに何がわかるっ!?」


 集まってきた者にアイリを殺せと命令を下そうとするが――。


「ンなモン、知るかよ」


 気がついたハイチがカーレンを廊下の壁に叩きつけた。


「なっ……!?」


 ようやく自力で立てるのか、ハイチは周りを見てにやにやし出す。頭の傷はもう癒えていた。ゆっくりと肩から黒い羽を広げていく。人の腕から黒い巨腕へと変貌させていく。どこからでもかかってこい、全員まとめて相手になってやるとでも言わんばかりの気迫を漂わせていた。


「俺は絶対に、名なしからも、お前らからも逃げて自由になってやるからなぁ!!」


     ◆


 宿屋の廊下にはたくさんの反政府軍団員たちが横になっていた。これに驚くアイリはハイチの方を見る。彼はすでに人の姿へと戻っていたが、破れた服からは黒い素肌が露わとなっていた。それを脱ぎ捨て、別の服へと着替える。そして「ここから逃げるぞ」と促すのだった。彼女は素直に従う。


 大急ぎで荷物をまとめ、宿泊代も払わずしてバイクで町から逃げ出した。後部座席に座るアイリが口を開いた。


「誰からも逃げるんじゃないんですか?」


 その言葉にハイチは煩わしそうに、首に提げられた鎖を軽く弾いた。


「これには逃げられねぇだろ」


     ◆


「ぐっ……!」


 自分の手駒を全員倒されてしまった、とカーレンは顔を歪めた。バレなかったと思ったのに。演技をしてまで二人に近付いたのに。


 顔を引っかく。どうもマスクをしていたようで、カーレンの顔は本当の素顔――ヤナの顔を見せた。


「アイリ・ハルマチ!」


 次こそはないと躍起になっているヤナの前に黒髪の中年男性が現れた。彼の姿を見て悪寒がする。


「してやられたね」


「え、エイキム様! つ、次は捕えますから!」


「いやいや、今のきみに腕なしを捕まえるなんて到底不可能じゃないかな」


 男――エイキムはヤナの目線に合わせるようにして屈み、頭をわし掴みしてあごに拳銃を当ててきた。


「でも、演技の評価は与えるよ」


 そうして、引き金は引かれた。


「やっぱり、あの子はただ者じゃなかったみたいだねぇ。絶対に過去の歯車の在処を知っているって」

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