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世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う  作者: 池田ヒロ
第二章 回天動地
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化物 中編

 誰昔山道とは別ルートである遺恩(いおん)峠道を装甲車で反政府軍団を追うセロ。彼は精鋭部隊員たちといた。


 セロがここにいるのは、本当はおかしな話である。彼の出身は東地域の工業の町になるため、召集がかかるならば、旧灰の帝国での作戦ではない。森厳平野か海上の方へと行かなければならないのだ。だが、セロ自身の戦力を買われたようで、こちらの方へと赴くことになったのだ。


 メアリーを気にしていた。今、彼女は大丈夫だろうか。自分が手にしているこの武器で役に立つだろうか、と。手に持つ武器を見る。型落ちして、古びた突撃銃だ。この武器を支給されたのには理由がある。『森厳平野防衛戦』と『廃国姫奪還防衛戦』でこちらよりも向こうの方が規模が大きいらしいのだ。そうなると、必然的に物資数も減ってくるのも事実だった。


「ヴェフェハル隊員」


 車内で運転する精鋭部隊隊長に声をかけられた。それに返事をする。


「なんでしょうか」


「やつらはどこにいるのかわからない。気掛けておくように」


「了解です」


 そう隊長に言われ、セロは窓の外を見る。数台が連なって山道を迂回するようにして反政府軍団たちを追っていた。それを見て、少し離れたところにある斜面の上にある山道を見た。雪と木々に囲まれて僅かながら、青の王国軍の物ではない車がちらりと見えていた。


「あ」


 なんて声を上げた瞬間、車内に無線が入った。


《一号車両より、全車両に告ぐ。現在、レーダに反応して前方より王国軍の物ではない車がこちらへと向かってきている。迎撃の準備せよ。繰り返す――》


 その連絡が合図だと言うように、進行していた装甲車は止まっていく。この車も停車して迎撃の準備をし出した。


 セロは前方にいる敵よりも斜面の方にある車が気になった。このようなところで戦いが始まれば、向こうは気付いて巻き込まれないように逃げてしまうだろう。それが許せなかった。もしかしたら、あの車の中にメアリーがいるかもしれない。そんな予感が過った。


「隊長」


 敵を迎え撃つ準備をする隊長へ声をかけた。彼は一瞬だけ手を止めて準備に勤しむ。


「なんだ?」


「あちらの方に車が……」


 セロがこっそりと指差す先の車を見る。それはきちんと隊長の目にも映った。


「本当だな」


 その事実に隊長が驚いていると、銃声が轟いた。すぐに無線機に連絡が入った。


《一号車両より、全車両に告ぐ! 向こう側も気付いて攻撃を始めた! 直ちに応戦に入れ! 繰り返す――》


「了解! こちらも応援に入る!」


 セロは斜面の上にある車の方を一瞥した。それは銃撃戦が始まったとわかると、逃げるようにして走り出したのだ。その車内には見慣れた金色の髪をした少女がいるようである。彼女はこちらを見ている気がしてたまらない。まさか――!?


「ライアン!?」


 軍務違反覚悟。隊長の声を無視して、セロは自分たちが乗ってきた装甲車に乗り込むと、逃げ出した車を追いかけ始めた。


「ヴェフェハル隊員!?」


「すんません!」


 逃げ行く車は追いかけ始めたセロに気付いたようで、スピードを上げ始めた。


 上へと行く道を探していられない。強引にも斜面を登り始めた。不安定な道ではあるが、行けなくないのだ。為せばなる。なんとかなる!


 強行突破で斜面の上にある山道へと出た。安定した道でわかった。思いっきり歯噛みをしていたのか、歯が浮いている気分に陥ったのだ。だが、そんなことを気にしていられない。今はメアリー救出が先決だっ!!


 アクセルを強く踏んだ。スリップをしそうになるが、構っていられない。逃げ出した車を発見した。後部座席には三人。真ん中にいるのは――。


 曲がり角でセロは急ブレーキを踏んだ。嫌に耳を塞ぎたくなるようなスリップ音がし、止まりきれなくて。曲がりきれなくて、装甲車はそのまま傾斜を前にして突っ込んだ。


 あの車と離れてしまったが、見た。この目で見た。


――車の中にいたっ!


 確信は持てた。後は是が非でも追いかけるのみ。


 セロは一度斜面を下り、峠道へと出て、もう一度上へと強引に登り始めた。逃げている車は見えている。


「逃がすかっ!!」


 装甲車で登りながら、そう大声を張り上げていると、無線が入った。


《――ヴェフェハル隊員、応答願う。どこへ向かっている? どうぞ》


「メアリー王女を乗せた車両見つけたりっ。以上!」


《り、了解! どの方面へ向かっている? どうぞ》


 今はそれを確認している場合じゃない。運転に集中しないと――。


「わかりません! 確認後、情報提供するっ! 以上!」


 セロは勝手に無線を切った。そう、報告義務よりも、目の前を走る車を見失いたくなかったから。追う青色の装甲車に逃走する濃い緑色の車。両車とも慣れない曲がりくねった雪道を駆け抜ける。固まった雪の地面を物ともせず、走り続ける。スリップだなんてどうだっていい。追いつくならば。


 逃げるためには、と反政府軍団員の一人が後部座席の方から顔と手を出してこちらの方へ向けて発砲した。銃弾はフロンドガラスに命中し、ひびが僅かに入るだけ。このガラスは防弾ガラスである。もちろん、青の王国が誇る国営企業であるグリーングループの代物――商品名『防衛ガラス君』。


 セロは銃弾などお構いなしにスピードを上げた。彼らの前に出て、この車体で止めさせようとする魂胆である。


 車が反政府軍団の車に追いつこうとしたとき、その車に邪魔をされた。不意打ちに車体をぶつけられてしまう。そのせいで、ハンドルを取られてしまった。


 目の前にはカーブの先の樹木。ぶつかってしまうとブレーキをかけながら、ハンドルを右に回しながら、スキッドを利用しながら回避に努めた。


「ぐっ!」


 言うことを利かない装甲車。うるさいスリップ音が聞こえてくる。気張り過ぎて、歯噛みしていたせいか、また奥歯が痛い。


 逃走を図る反政府軍団の車は綺麗にカーブで曲がった。だが、セロが運転する装甲車は左後ろの車体を木の幹にぶつけながらも持ち堪える。すぐに急発進させた。


 今現在、彼らが向かっている先は旧灰の帝国にあった首都の方角であることがようやく判明した。正直な話、雪山道を走るよりは幾分かマシであるとセロは思った。下の方に行けば、そこまで雪は積もっていないだろうし、視界も悪くないだろう。そう思って。


 彼らの前に急カーブが現れた。猛スピードで駆け抜けていた反政府軍団の車は急ブレーキをかける。セロもかけ始めた。だが、それで間に合うか。


 凍った地面との摩擦に勝てない車のタイヤは二車両ともに、雪道から大きく外れてしまった。


 そのまま斜面を下っていき、何もないような平坦な道へと向かった。ここでセロは無線を入れた。


「十三号車両より、全車両に告ぐっ! メアリー王女を乗せた車は旧灰の帝国の首都方面へ逃走中! 現在単独で追跡中っ! 以上っ!」


 無線を入れるだけ入れて、切った。いくら山道でなくとも、見失う可能性があると判断したからだ。


 装甲車で走るセロの前を行く反政府軍団の車の目先――すなわち、行き先には高くそびえ立つビル街が見えてきた。これぞ、旧灰の帝国の首都である。この都市、彼には見覚えがあった。


「サバイバル・シミュレーションの!?」


 数週間前に行われた学校行事、サバイバル・シミュレーションでのヴァーチャルの舞台として利用した都市にそっくりだった。天気は曇りで遠くがかすんで見えるが、建物の雰囲気も佇まいも――どれを取っても同じ気がする。


 もしも、このビル街があれと変わらないのであれば。もしも、彼らがあのビル街に逃げ込んだとすれば、地理的にはこちらが利に徹しているかもしれない。


 走る田舎道には積もった雪が目立たなくなってきた。道路が見えるようになっている。こちらは軍事装甲車なのに。向こうは一般車なのに差がなかなか縮まらない。何かしら改造でもしているのか。


 雪山山道かつ、カーブのあまりない道を走って安心しきっているのか、反政府軍団員が運転する車の後部座席から両者とも顔と散弾銃を手にして発砲してきた。


 銃口の先が見えた。危険だ、と思ったセロは慌てて、左の方へと避ける。直後、道路に銃弾が撃ち込まれた。間違いない。彼らはタイヤに穴を空けて動けなくするつもりだ。


 幸い、ここの道路は三車線ある。どこの車線に逃げても、十分な広さもある。いくらこの車が装甲車だとしても、タイヤがどんなに強度あって硬くても――何度も銃弾をぶつけてくるならば、パンクするに決まっているのだから。


 銃弾を回避しながらも、どこまでも追いかけてやるぞと言わんばかりの執念を持ったセロに、反政府軍団員は恐れながらも弾がなくなるまで撃ち続けた。やがて、銃撃戦をしながら走る車たちは市街地へ、ビル街へと入っていく。


 街の廃れ具合、人気のなさ。これだ。サバイバル・シミュレーションで見た街並みにそっくりだ。セロはアクセルを踏み込んだ。ふと、後部座席の方からメアリーの姿が確認できる。彼女はこちらの方を見て目を丸くしていた。それは彼も同様だった。


 その途端に、急に前を走る車は間道へと入った。いささか通り過ごしてしまったセロであるが、急ブレーキと方向転換をして路地の方へと入る。


 道が狭いせいか、車体を左右の建物の壁に擦りつけながらも走っていた。地面に放置された物を撥ね飛ばしながらもスピードは緩めない。


 また反政府軍団の車が狭い道の方へと曲がる。あまりにも急過ぎるから、セロは通り過ごしてしまった。この場で方向転換などできるはずがない。バックをしながらそのまま曲がっていく。後ろを見ながらの運転に悪戦苦闘しながらも、着実に距離を縮めようとしていた。


 バックしながら突き進んで行くと、彼らは右の方向へとまた曲がった。後ろには壁、と思ったときには後ろの車体がその壁を破壊していた。


「うっ!?」


 衝突の衝撃で座席に首が当たる。しかし、痛みに構っていられない。セロは逃走した方向へと曲がった。首筋がビリビリとするような痛みを覚えた。苦悶の表情を浮かべながらもハンドルを強く握り、アクセルを踏み込んで歯を食い縛った。彼の目に映るのはただ一つ。逃走車のみ。


 逃げいく反政府軍団の車は追いかけてくるセロの装甲車にしつこいと思いながらも、前へと進んでいると――。


 急ブレーキを踏んだ。そこは行き止まりだったから。


――しめたっ!


 セロは間髪入れず、車間を空けずして停車。すぐに出てきた反政府軍団員と直接対決をするために型落ちした突撃銃を手に外へ出た。装甲車の後ろに隠れて彼らに目掛けて連射する。今、ここにいる敵は全員で三人。メアリー救出が不可能ではない。


――これならば……!


 どうにかいけると確信を持っていると、後部座席にいた反政府軍団の一人がメアリーを車外へと出して、盾にしてきた。これにセロは引き金を離してしまう。その隙をつかれた彼は肩と足に彼らの銃弾が抉り込んだ。


 一時的に装甲車の陰へと隠れ込む。銃撃はすぐに止んだ。複数の気配がこちらへ来るのがわかった。


――クソっ……!


 車の左右の方向からの殺気、どうすれば――。


 このままではメアリーもだが、自分も死んでしまう。身軽に動かせない足を撃たれたのが一番痛い。撃たれた肩と足が疼くように痛む。呼吸が荒い。まさにこの状況、追い詰められた兵士がごとく。


――諦めろって言うのか?


【仲良くなれるはずです!】


【食べてくれる人を見るのが好きなので】


 メアリーのことは異性として普通に好きだ。だが、その想いは語りたくない。なぜなら彼女は一国の王女であるから。そんな高貴な人物と、一般の――しかも泥くさい、油くさい町に住む自分にとっては不釣り合いなのは十分に理解している。自分自身、校内の首席だからと多少の見向きぐらいはしてくれると思っていた。だからと言って、そのために首席に上り詰めたわけではないのだが、こういうときになっていてよかったと少しばかりの邪な考えがあった。あわよくばという思いがあった。しかし、メアリーは自分よりキリの方を見ることが多かった。彼は戦力外だなんて呼ばれる学徒隊員。そんなキリは誰もが想像つかないことをなし遂げて、三銃士軍団に入団した。それは素直にすごいと思う。直向きな姿勢で頑張る彼は嫌いじゃない。むしろ、応援したくなるほど。


 叶わぬ恋だというのはわかっている。それでもセロは、彼は――。


――好きな人を助けたい!!


 セロはメアリーがいない左側の方へと躍り出た。突然の登場に驚きを隠せない反政府軍団の一人は慌てて引き金を引こうとするが、その前にこちらが引く。相手は引けずして、体を痙攣させてその場に倒れ込んだ。


 右側にいた者が一人、装甲車を飛び越えてこちらに向けて引き金を引き始めた。無理に大仰な動きができないセロは最小限の回避をして、装甲車の上にいる者を撃った。その場に血が飛沫する。撃たれてもなお、無理強いに彼を殺そうとしてくる。その相手をするのは上等だ。


 自分がどうなろうと、構わない。ただ、メアリーを助けたい一心を持つだけ。その執念で動くだけ。俊敏な動きができない。それでも、この体。肉体――今、どこで使うべきか。


 セロは銃口を相手の頭に向けて撃ち続けた。向こうが何もしなくなるまで。自身が乗ってきた装甲車の上は赤い水で水浸し。いや、そんなのはどうだっていい。問題は――。


「来たら、こいつを殺すっ!」


 メアリーに銃を向けている反政府軍団員。セロは穴が空いて血が出ている体に鞭を打ち、その目で彼らを見据えていた。彼はその場で立ち止まり、ただ見るだけ。


「その薄汚い手を放せ」


 銃口は向けない。それを下に下ろして反政府軍団員に言い放つ。メアリーが殺されたらたまらないから。


「ヴェフェハルさんっ! 私のことはいいですから!」


 メアリーは自分のことよりも、セロの安否を気にしていた。誰もが見る目の彼の状態はいつ死んでもおかしくないような状況であるから。こんなの見ていられないのだから。それだからこそ――。


――違ぇよ。


「よくねぇんだよっ!!」


 そんなメアリーにセロは怒鳴った。びっくりしたのか、反政府軍団員も銃口を彼女ではなく自分に向けてくる。


「俺がよくねぇ」


 決してメアリーを奪還できないから。処刑にかけられるという恐れではない。自分自身が助けたい思いのために動いているのに『助けることができない絶望』を恐れているのだ。


「でも、そんな怪我じゃ――」


 早く逃げたい反政府軍団員はセロに向かって引き金を引いた。彼の体に吸い込まれるようにして、着弾する。倒れる彼にメアリーは悲痛の叫びを上げた。


「ヴェフェハルさん!?」


 今にも泣きそうな表情でセロを見てくる。もう見ていられない。自分のせいでこうなる光景を見るくらいならば――。


 それでも起き上がろうとする。開けられた穴から血があふれ出てこようが、そんなのは一切関係ない。痛み? それこそメアリーの方が、心によっぽど痛い傷があるに決まっている。こうなることすら、想定していない彼女の心が一番痛いと思っているはずだ。


「……俺は、お前を連れて帰ってやる」


 古びた突撃銃を杖代わりに立ち上がった。頭がくらくらする。体に力が入らない。メアリーを見た。なぜかハイチと被って見えて仕方がない。彼はここにいないのに。もう学徒隊を脱退したのに。


 メアリーを助けたい気持ちが人一倍強いエブラハムの気持ちが今にわかった。ハイネと一緒のようなものだからだ。ずっと一緒にいて、突然いなくなるのはすごく悲しいし、寂しい。挙句の果てに、ようやく見つけたと思ったら――突き放されるのはもっと嫌だ。


「違います。そんなんじゃ……。私のためなんかに、無茶しないでください!」


「お前ら、ごちゃごちゃとうるせぇぞ!」


 痺れを切らしたのか、反政府軍団員は銃を乱射した。あちこちに飛ぶ銃弾はセロにも着弾する。


「青の連中は、早くくたばりやがれ!!」


 邪魔だとでも思ったのか、メアリーを突き放して車の中から突撃銃を取り出し、連射。これを機にセロも動き出した。


 引き金を引かず、体中に血を垂れ流しながらも、気力だけで立ち向かう。銃身を叩きつけた。それは相手が動かなくなるまで。己の生命力をかけたセロの闘心が奮っているのだ。メアリーを助けるまでは、まだ死ねない。死ぬわけにはいかない。


――違うっ!!


 型落ちした突撃銃が反政府軍団員の頭に当たり崩れ落ちた。その場に立っているのはセロだけ。彼は息を荒げながらも、諦めないというような目付きをしていた。


――あいつが町に帰ってくるまでは!


「……ライアン」


 セロはその場に座って呆然と見つめてくるメアリーに声をかけた。彼女の頬に涙が伝う。彼はメアリーに微笑んだ。


「無事でよかった」


 その一言で涙腺は崩壊した。セロに泣きついてくる。


「怖かったですっ! 怖かったですっ!」


「俺も怖かったよ。自分のことより赤の他人を心配しやがって……」


 とにかく止血を、とメアリーは涙ぐみながら装甲車内に入っているはずの救急箱を取り出してセロの手当てをし出した。だが、出血がひどい。すぐにでも本部にある救護テントへと行くか、病院へと向かった方がよいだろう。であるが、ここは旧灰の帝国の首都である。本部がこの辺にあるはずはない。応急処置をしたら、無線機で本部にかけ合ってもらおうと思った。


「ヴェフェハルさん、他に怪我しているところはありますか?」


「うん、後は大丈夫。少し休憩したら、隊長に連絡でも入れよう。頑張り過ぎた」


 どうやら立ち上がれそうになく、その場に足を投げ出すようにして座っていた。無理もないだろう。体中に銃弾を撃ち込まれて平気な人間なんて、そうそういないはずなのに。いや、痛みを我慢しているようだ。表情が苦に満ちているようなのだから。それを見たメアリーは心が痛んだ。セロは自分のためにここまで来てくれた。とても嬉しかった。自分の命を気にせずして――。


「ヴェフェハルさん、どうしてそこまで私のことを助けてくれたんですか?」


 素直に疑問に思った。誰しも自身の危険を顧みずして、他人のために動かないだろうから。たとえ、そうであろうとも、慎重に行くはずのところをセロは大胆にも真っ向勝負をしたのだ。


 じっと見てくるメアリーにセロは頬を緩めた。


「ここだから、言える話だ。俺はお前が好きだから」


「へっ?」


 自分のことが好き? それは異性として? 突然的な告白にメアリーは動揺を隠せなかった。あまりにも気恥ずかしくて、あまりにも嬉しいような、微妙な気持ちになって――。


「俺、ずっとライアンに対して気持ちを隠していたんだ。なんせ、王女様だからな」


 平民と王族が結ばれるだなんていう話はただのおとぎ話に過ぎない。


 しかしながら、とメアリーは思う。自分には一人だけ好意を抱く者がいることをセロは知っているのだろうか。彼の方を見た。このことを言うべきか、言わぬべきか。うろたえていると、彼は小さな声を出して笑った。


「一応知っているよ、ライアンが好きな人」


 どうも知られていたらしい。そのせいで、恥ずかしくて余計に顔を真っ赤にした。


 からかうのは流石に可哀想だな、とセロは思案しながらゆっくりと立ち上がった。そろそろ、精鋭部隊隊長にメアリーを保護したことを伝えなければ。


「あっ。私、手伝います!」


 メアリーはそう言うと、セロを装甲車の運転席まで連れて行った。彼は座席に座り込もうとするが――。


 鈍い音と共に頭痛がした。一瞬で気が飛びそうになる。セロはドアにもたれかかるようにして、崩れ落ちないように気張った。


――何があった!?


「きゃあっ!?」


 メアリーの高い声が頭の方へと貫通する。即座に振り返ると、そこにはあの三人ではない他の反政府軍団員たちが彼女を捕えていた。


「てめぇら!」


「お前は王女を助けに来た王子様ってところか? でも、残念。王女様はあちらの方の皇子様が呼んでいるんだからな」


「ハイン皇子が!?」


 ハインのことは報告で聞いていた。式典の際、黒の皇国の皇妃を民衆やテレビ局の前で殺害した人物。世界にけんかを吹っかけた人間。そんな彼がメアリーを呼んでいるだと?


「ライアンを連れ去って、何をする気だ?」


 ただの反政府軍団がメアリーを誘拐して、クーデターでも起こすだけと思っていた。同時侵攻戦とは全く関わりのない物だと思っていた。セロのその質問に、彼らは顔を見合わせて下品な笑い声を上げた。それを不愉快に思う二人。その内、一人の反政府軍団員が彼に銃口を向けた。


「そぉれぇはぁ……」


 その直後、引き金を引く。


「今度の皇国の朝刊をお楽しみにぃ!」


 セロの意識が遠退いていく。遠くから誰かが泣き叫ぶ声が聞こえてくる。助けてあげたい。大丈夫だよと言ってあげたい。


――大丈夫だよ、ハイチはその内帰ってくるよ。


     ◆


 血に濡れられた青の王国軍の装甲車を見て、一人の人物は何かを思う。その運転席には王国軍の軍服――いや、実技用制服を着た人物が。面持ちからして青の民と赤の民のハーフだろうか。知っている青の民族の顔立ちとは少しだけ違う気がした。無理もないとその人物は知っていた。彼の故郷は他国々の人たちが集まるようなところなのだから。


 薄目を開けて緑色の目を見せているようだが、焦点が合っていない。今にも死にそうだ。苦しいと思わせるくらいならばとその人物が手をかけようとしたとき、声が聞こえた。


「……だ、よ……。なか……ないで……」


 ただじっと、そのままの体勢で声に耳を傾けた。段々とはっきり、声が聞こえてきた。


「――泣かないで、ハイネ。ハイチは……必ず、帰ってくるから」


 一人の誰かを思って慰めているらしい。その誰かは誰かの帰りが遅いからか、泣いているらしい。ふと、気がつくと、もう目を閉じていた。何も言わなくなる。大量出血による血不足で気絶でもしたか。


 何を思ったのか。その人物は真新しい傷を手当てすると、後部座席の方へと移動させて寝かせた。そして、装甲車に取りつけられた発信器の情報を知らせて、その場を立ち去っていく。


「……ごめん」


     ◆


 誰かが自分の名前を呼んでいる気がした。遠くから聞こえてくる。その声は急かすようではない。ゆっくりとこちらへ話しかけるようなものだった。ここは真っ暗闇。どこだかわからない場所にセロは適当に足を動かす。


 宛てもなく、ただ前へと進むだけ。暗闇で歩いているという感覚がないから前に進んでいるのか全くわからない。そうしていると、段々と何かに近付いてきた。それは見覚えのある二人の背中。まだ幼い頃のハイチとハイネの後ろ姿である。


「まって!」


 セロの後ろから幼い頃の自分が駆けてきた。同時に前の二人も駆け出す。しかし、ハイチの方が早いのか、セロとハイネが置いていかれてしまった。それに伴い、彼女は泣き出す。


 寂しい、悲しい、ハイチはどこ?


 幼いハイチの姿はどこにもいない。幼いセロはそのハイネを慰めるように頭をなでた。


「セロぉ、ハイチは?」


 泣きじゃくるハイネはその質問をしてきた。その答えを小さなセロが知る由はない。だから、誤魔化すしかなかった。


「大丈夫だよ、ハイチはその内帰ってくるよ」


 それを何度言ったことか。何度ハイネに、自分に言い聞かせたか。聞いているだけで心が痛む。思い出す。知っている。彼女が何度も「帰ってきますように」と緑色の石のブレスレットにお願いをしていたことを。最初で最後のハイチからの手紙を読み返しては、ただの手紙に対してお願いをしていたことを。


「だから、泣かないで」


     ◆


「ヴェフェハル隊員!?」


 その一言にセロは目を覚ました。その瞬間に体中に激痛が走り出す。苦痛の表情を浮かべた。


「ヴェフェハル隊員、聞こえるか?」


 心配そうな顔を見せてくるのは精鋭部隊隊長である。どうしてここに? いや、ここは?


「は、はい。俺――」


【ヴェフェハルさん!】


 メアリーの声が聞こえてきた。それに伴い、勢いよく起き上がる。その反動でまた傷が痛んだ。すぐにこの場で小さくなる。


「無理をしない方がいい。きみは大怪我をしているんだから」


「それよりも、ライっ……ひ、姫様は!?」


 結局どうなった? 自分は銃弾に撃たれて、それから――?


 セロの言葉に誰もが閉口する。ややあって、隊長が無言で首を横に振った。


「……すみません、奪還に失敗しました」


「いや、きみは賢明な判断をしたんだと思う。我々も眼前の敵ばかりに気を取られていたから」


 隊長曰く、前方からやって来た反政府軍団員を壊滅させたらしい。ちょうど、その頃になってセロが乗っていた装甲車から位置情報の特定ができたため、こちらにやって来たとのこと。


「きみはよくやったよ。一人で」


 そう褒め称えてくれるが、セロはとても悔しかった。好きな子を助けたくて、助けに行った。その実行が報われようとしたときに、思わぬ邪魔が入ったから。あまりにも悔しくて、見た夢が悲し過ぎて――涙があふれ出す。きっと、メアリーは家に帰りたいだろう。会いたいと思っている人に会いたいだろう。


 泣き出すセロに戸惑いを隠せずにいる精鋭部隊員たちは何かと慰めの言葉を探す。


「何も一人で抱え込むことはないんだ。我々も気持ちは一緒だから……」


「ありがとうございます……ありがとうございます……ありがとうございます!」


 泣き止もうと堪えた。鼻水が出てくるからそれを啜る。とても久しぶりに泣いた気がしていた。


     ◆


 セロの気分と涙が落ち着いた頃に隊長はもう一度彼にメアリー奪還時についての確認を取った。それを彼は正直に受け答えていく。


「ということは、ヴェフェハル隊員は大怪我を負いながらも姫様の奪還に成功して、こちらに連絡を取ろうとした際に反軍の連中がきみを――」


「そうです。この傷の手当ては……」


 ここでセロは硬直した。頭にそっと触れる。頭には包帯が巻かれていた。


――あれ?


 この傷の手当ては隊長たちがしてくれたのだろうか。不思議に思ったのか、隊員たちに頭を下げた。


「俺の頭の怪我の手当てありがとうございます」


 しかし、その発言に一同は顔を見合わせた。隊長に至っては困り顔を見せている。それに首を傾げた。


「すまないが、我々はきみの手当てなど一切していないのだが?」


 隊長のその言葉に瞠目した。最後に反政府軍団員たちに頭の傷をつけられたのはあの不意打ちの際のみ。メアリー奪還時にはなかった。これまで、精鋭部隊員たちに見つかるまでの記憶すらもないし――。


「誰かがしてくれた?」


 セロのその発言に誰もが眉をしかめた。こんな捨てられた土地でなおかつ、人気もないような場所で?


 それもそうだが、もう一つの疑問が生まれた。それは誰が精鋭部隊に自分の位置情報を教えたのかである。


     ◆


「こ、んのぉ!」


 キリは是が非でも強引に縄から脱出しようと、手首が千切れる覚悟で引っ張っていた。かれこれ長い時間が経っただろうか。それでも縄から抜け出せない。


 ここがどこであるかも未だとして見目解答がついていない。可能性を挙げるとするならば、東地域にある青の王国一大きな山の頂上付近か。それとも――まさかとは思いたかった。


「ああ、もう。どうしたら――」


 近くに使えそうな道具はないかと見渡す。少し前まで大声を上げていたのだが、誰も周りにはいないらしい。自力でどうにかするしかないようだ。


 何か、と――ふと、目線を落としたときに歯車の存在を思い出した。今は服の下に隠されているから見えやしないが、それがここにあるという感覚はあるようだ。


「やるしかないか?」


 正直言って、やる気分ではなかったが、背に腹は替えられぬ。キリは強く願った。すると、服の下に隠された歯車のアクセサリーは現れていつもの剣状へと変わった。それを口に挟み、後ろにある柱に刃を当てて切り始めた。首を後ろに向けるための筋肉、口に歯車の霊剣を挟む筋肉。とにかく、首筋がつる感覚に襲われる。だが、この場から脱出するにはこれしかないのだ。できると思い込むしかないのだった。


     ◆


 キリは本当に口を使って歯車の剣で柱に切り込みを一つだけ入れることに成功した。次は、もう一つ下の方への切り込みである。しかし、普段使わない筋肉を使ったせいであごが痛い。一度、休憩をするために剣を膝の上に落とすと、大きくため息をついた。


「どんだけ時間がかかるんだ、これ」


 コテージの中は暗闇に包まれている。夜が来たのだ。ここはとても寒い場所。いくら建物の中だろうが、寒いものは寒い。それでも更地に放置されていないよりかはマシな話であった。


「みんな、どうしているかな?」


 誰かを気にかけながらも、キリは一時的な休憩を止めて剣を口で挟んで、再び柱を切り始めた。もう真っ暗ではあるが、やることがない上に早くこの場から逃げ出したかったからである。


     ◆


 部屋が段々と明るくなってきた頃に、キリはようやく二つ目の切り込みを柱に入れた。多少は曲がってはいるものの、脱出する分には何も問題はないだろう。


「後は――!」


 ほとんど感覚のない歯とあごを使って二つの切り込みを入れた真ん中のところに剣を突き刺した。そして、それを引き貫くようにして歯を食い縛る。想像以上に固いし、重たくて抜くに抜けない。だが、ゆっくりではあるが着実に柱の欠片は抜け始めているようだった。


 一旦、口を離した。ずっと首を後ろにやっているせいで、首筋が昨日よりもとても痛い。


「……よしっ」


 一度呼吸を整えて、歯車の剣を口に挟んで引く。柱が重たくて、自身の歯が折れそうで、壊れそうで。それでも突き立てた剣を引いた。


 そうすると、切り込みを入れた柱には隙間ができた。キリは口に挟んでいた歯車の霊剣を離し、立ち上がってようやく柱と離れることができた。それにはとてつもない喜びの感情が腹の底から沸き上がってくる。


 そこから縄を切るために、床に落とした剣を後ろ向きから拾い上げて切った。ようやく縄から解放される。


「やっと!」


 一時的な安心はできても、全部が安堵してもよいわけではない。まだここはどこなのかわかっていないのだ。キリは手首に残っていた縄を解き、外の様子を窺った。


 コテージから出ると、その景色は一面銀世界。人の気配は全くない。その建物の裏側は崖であり、かなりの高さがあった。ともかく下山して町を探そう。そう考えて、寒さに耐えながらも山道方へと下りていった。


――ライアンたち、大丈夫だろうか?


 不安が募る。あの場所で異形生命体が現れ、対処することもなく自分は連れ去られてしまったから。無事だろうか。やはり、マティルダの言うことは正しかったのだ。取材陣たちの意見を聞かなければ、こんなことにはならなかったのだから。


 そう考え事をしながら下山していると、木と木の間に人の影が見えた。雪が降る最中、視界が悪くて何者かすらもわからなかった。だが、そこに誰かがいるという威圧感はある。見つけたと言わんばかりの威圧感がビシビシと突き刺さってきていた。


――誰?


 上から降ってくる雪が人影を隠す。かと思えば、そこにいた人物はキリの眼前へとやって来ていた。間近で見てようやく誰なのかを理解する。


「お前は――」


 キリの体が勝手に動いた。歯車のアクセサリーから霊剣へと展開させて、誰かの攻撃を未然に防ぐ。だが、その攻撃は予想以上に重たいものだったらしい。剣ごと数メートル飛ばされた。


「腕なし!?」


 雪の上に転がりながらも体勢を整えようとする。しかし、腕なしは待たない。ひたすらに自身に対する攻撃をその爪で、その人でなしのような黒い腕で追撃してくる。


 目を抉じ開けて、腕なしからの攻撃に耐える。あまりにも強い猛攻撃にキリは何度もやられて、何度も身体に攻撃を受けて――。


 一面銀世界から白と赤の混じった世界へと変貌した。この赤、ほとんどがキリの物だ。寒いし、手がかじかむ。革靴と雪の相性は最悪。キリはこちらを見る腕なしに剣先を向けながら、後ずさる。足を踏ん張り利かせないと滑りそうだった。


「なんで、お前がここに?」


 疑問が訪れる。どうして、こんな雪山奥に腕なしがいるんだろうか、と。その質問に腕なしは何も言わない。何も答えない。ゆっくりと、今から殺してやるという面持ちでいる。その仮面越しから殺気が伝わってきていた。


 徐々にキリは崖の方へと追いやられている。崖の後ろからは爆発音が聞こえたが、そんなの今は関係ない。いくらこの高さから落ちたとしても自分は死なないだろうが、痛みは尋常ではないだろう。


 途端、腕なしの片腕がバケモノじみた爪のある手ではなく、人の形をした黒い手へと変えた。色が黒いだけであり、形は完璧人の物。


 突然のことで呆気に捉われていると――。


「あ」


 不意打ちで崖から落とされた。一瞬にして視界が真っ逆さまになる。そんなキリに腕なしは飛び降りて、追いかけてきた。すでに手は真っ黒な爪のあるバケモノの手だ。空中にいるからどうしようもない彼に頭をわし掴みしてきた。空いているもう片方の腕で歯車の剣を握る手を押さえつける。


 腕なしは何をしたいのか、これから自分はどうなるのか予想はできた。そう、予想していたからこそ、気付いたときは――。


 赤い。痛い。黒い。痛い。痛い。


 痛いからその場をのた打ち回りたいけれども、体が言うことを利かない。手に力が入らない。ただ、痙攣を起こしているのはわかる。視界が真っ暗なのもわかる。だけれども――。


 キリ自身、自分の体がどうなっているのかだけはわからなかった。周りがどうなっているのかわからない。何も見えないから。聞こえないから。


 何かの感覚が胸に当たる。どうなっている。声が出ない。周りは何も聞こえない。においもわからない。何もかもわからない――。


     ◆


 目の前にいる者は雪の上に倒れている。頭がない状態だ。所々、周りにその人物の物が散乱状態だった。全くの白世界から一変して真っ赤な世界へと変貌していた。


 僅かながら首のない人物の手が痙攣を起こしているが、もうすぐでその痙攣すらもなくなるだろう。


 最後の餞だと言うように、その人物が手にしていた光なき歯車の剣を手に取って胸に突き立ててあげた。そこからにじみあふれる血。ジャケットの下に着ている白いシャツは赤いシャツに替わっている。もう痙攣はしていない。ピクリとも動かない。何がどうなっているか。それは、死んでいるのも同然だ。


「…………」


 もう興味をなくしたと言わんばかりに、彼――腕なしがその場を立ち去ろうとすると、妙な気配を感じ取った。それは地面に横たわる死体からだった。


 その死体から一歩だけ引いた。胸に突き立てた歯車の剣が淡い光を帯び始めたのだ。この光を何度見たことか。とても美しく、触れたい気分。


 光は死体の傷口に触れて、散り散りになった細胞を再構築していく。毛細血管から脳みそ、血、筋肉、皮膚――。見ているこちらが気分悪いと思ったが、それは光が相殺させてそうとは思わせないようにしていた。


 頭の再構築が終わると、剣は自分勝手に胸から抜けた。またそこからも再生が始まる。服や地面にこびりついた血をすべて元に戻すのは流石に不可能らしい。だが、傷口はなくなっている。塞がれている。


 やがて、頭なき死体は元のキリの姿へと戻り、目を開けて――そこから薄くて青い目を覗かせるのだった。


     ◆


 何があったのかはわからない。気がついたらその場に立っていて、歯車の剣を握りしめて腕なしの眼前にいたことだ。


 キリはそれさえわかっていればよかった。目の前にはアイリが殺すことをお願いとした腕なしがいるから。十分だ。歯車さえあれば、怖いものなし状態の彼は睨みを利かせる。


 両者は同時に動き出した。


 錆びた剣身と黒い爪がぶつかり合う。腕なしの力は相当な物で、押されそうになった。


 不意をつかれてキリは足蹴りを腹に食らう。気を取られて頬を殴られた。耳の奥が首筋から何かが千切れるような音が聞こえてくるが、腕なしから離れたときはおかしいと思うようなところはなかった。理解できるのは顔面を殴られたというだけ。ただ、それだけ。肩で息をしながら相手を見た。向こうは身構えてこちらを見ている。


「お前、何者なんだ?」


 ずっと訊きたかったこと。答えてくれるかはわからない。なぜって、しゃべっているところを聞いたことがないし、見たこともなかったから。わかるのは彼が元人間で半異形生命体だということだけ。


 腕なしは自分のことをどう考え、どう思って殺しにかかってきているのか。また、地下博奕闘技場での大量の逮捕者がいたにも関わらず、どうしてこのようなところにいるのか。彼は式典や前夜祭に現れた同じ仮面の者たちとはどういう関係であるのか。


 とても知りたかった。とても気になっていた。だから、問う。だが、そのような質問は腕なしにとって関係のない話のようで――すぐに迫ってきて、バケモノの爪で攻撃してきた。キリは剣で防御する。



改変者(クラッシャー)



 ぼそりと呟くようなその言葉にキリは大きく目を見開いた。


【クラッシャー先輩】


 あのとき、違うとわかっていたはずなのに。知ったはずなのに――。


「邪魔者を殺すがため、枷から逃れるがため」


 果たして、これは現実なのだろうか。


     ◆


「ねぇ、質問。質問。きみは誰になりたいの?」


 消衰しきった様子。マッドの器に入ったキリ。もはや、言葉をかけても返事はない。ディースに傷付けられた腹はすでに治っている。これはキリの不死者としての遺伝子がマッドの体に組み込まれているからだろうか。それとも、元々がマッド自体の身体は不死者となっているのだろうか。わからない。


 何も返事しないその体に、謎のどす黒い薬品をかけた。焼けるような激しい痛みが全身を走った。それにより、言葉にならない悲痛の叫びを上げる。目を見開き、動かせない体をただひたすらに耐えるだけ。


 ややあって、焼け爛れた皮膚は元の形へと戻っていく。叫び過ぎて喉が枯れているようだった。息が荒い。疲労感が半端ない。ディースを見た。彼女は苦悶の表情に見惚れているようで、うっとりとしている。それが煩わしいと思った。ディースはいつもマッドといるときはこうしているというのか。こうして、自分が上だと知らしめているのか。


 だったら、マッドになんてなりたくない。


――俺になれば、こんな苦痛がなくなるとでも教え込まれたのか?


 本当のキリ・デベッガになろうとすれば、この苦痛もなくなるのだろうか。


「ちょっとお話しようか」


 返事ができないが、ディースはそんなことなどお構いなしに話を続けた。


「あたしから言わせるとねぇ、きみはキリ君の記憶を持っているよねぇ? ということはぁ、本物のキリ君としても生きられるってわけ」


 何が言いたいんだろうか。


「でもぉ、きみはキリ君を殺せる?」


 自分が自分を殺す。おかしな話だ。いや、マッドのときからそうだ。彼は自身の記憶がない。その状態からディースに何かしら唆されてキリを殺して成りきろうとしていた。


「きみは何者でもないしねぇ」


「……何者でも……」


「言わば、存在しない者」


――マッドは存在を得たかった。キリ・デベッガの存在を……。


「……俺は……誰?」


 訳がわからなくなって、そのようなことを口走ってしまった。いや、それが事実か。マッドでもなければ、キリ・デベッガでもない存在。全く別の存在。自分とディースしか知らない存在。


「存在意義が欲しいの?」


 ディースの問いに小さく頷いた。


「じゃあ、キリ君殺す?」


 否定した。キリを殺す気にはなれないから。


「きみはマッドじゃないんだよ?」


「……知ってる……だからこそ、存在が欲しい」


「強情だねぇ」


 ディースは微笑を浮かべた。どこかで聞き覚えがあるような、冷笑する声が聞こえてくる。自分をばかにでもしているのだろうか。先に言ってきたくせにして。


 ディースの言葉に小さく反応を見せた。


――ムカつく。


「そんなに自分自身としての存在が欲しいんだ」


「やかましい」


 虚勢を張っていることがバレたくない一心でそう言う。だが、ディースには見透かされていた。彼女は優しく頬に触れてくる。


「じゃあ、きみに新しい存在でもあげよう」


――俺の新しい存在。


「今からきみは『ちーくん』だ」

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