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世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う  作者: 池田ヒロ
第一章 巡り出会う者たち
27/96

想思 ①

 窓からの差し込む朝日で目を覚ましたキリ。起き上がり、ぼんやりと窓の外を眺めた。日の光が海に照らされて、目を細めるほどに眩しかった。段々と目が冴えてくる。


「あっ」


 ふと、外の景色を見ていると、宿泊施設の近くのジャングルの道を歩くハイネの姿が見えた。見れば一人のようである。なんとなく気になったのか、隣で眠っているガズトロキルスを起こさないようにして外へと出た。


 道なりに行くと、ハイネすらもいなくなっていた。どちらへ行ったのだろうか。方向からして浜辺の方な気がする。そちらの方へと歩いていると、道の行き止まり――すなわち海辺へと開けた場所に座り込んで彼女は泣いていたのだ。


 声をかけようとすると、誰かに肩を掴まれた。それはハイチだった。彼の目は冷たい。


「俺、言ったよな? ハイネに関わるなって」


「は、ハイチさん……」


「あいつはお前のせいで悲しんでいる。あの野郎のせいで心に傷を負っている」


 肩を掴む力が強まってくる。あまりにも強過ぎて、肩の骨が折れそうな気がした。ハイチの方から歯軋り音が聞こえてくる。


「だから、もうお前は何も――」


 眉根に深いしわを寄せる。その悲しげな表情にキリは視線を逸らした。何も言えないからだ。


 ハイチは肩から手を離すと、施設の方へ戻るように促した。


「さっさと戻れよ」


 キリは戻らざるを得なかった。最後にハイネの後ろ姿を一目見て、戻る。


     ◆


 サバイバル・シミュレーション。例年ではこの軍事研究施設がある島の南東に位置する軍事訓練用の小島でペイント弾を利用して全チームが一斉に行われていた。しかし、今年は専用ソフトに自分の脳情報のデータを組み込んでヴァーチャルの世界で二チームずつが対戦する形となった。いわゆるトーナメント戦である。しかし、この学校行事において王国軍の一部では反対があった。その答えとして、学校側は「これはシミュレーションの一環としての訓練である」と言う。ヴァーチャルのため、戦場はランダムで決まる。武器はペイント弾ではなく、エレクトンガンに近しい物である。急所に当たるか、一定の弾丸が当たれば戦闘不能になり、現実世界へと戻ってくる仕組みなのだ。怪我は一切ない。もっとも危険性のないシミュレーションではないか、と学校側は反対派に説得を試みていた。こちらの強い意向などによる主張の結果サバイバル・シミュレーションは実施されることとなったのである。


 各チーム、それぞれ個人に割り当てられた椅子に座る。その椅子には専用のメットがあり、これを被るのだ。メットにはコードが脳情報変換機のマシンにつながっており、そこから専用ソフトに自分自身の分身を召喚させると――。


 キリがそっと目を開けたとき、周りは暗闇に包まれた場所だった。そこの周りに誰かがいるのがわかる。


「ほう、これがヴァーチャル内での自分か」


 ケイがライトで周りを照らし出す。それで周りがよく見え、チームメイトがその場にいるのが明らかになった。よくよく周りの景色を眺めてみると、ここが廃墟らしき場所らしい。妙に辛気臭さがある。


「これが武器で。ここ、どこだ? どこかの部屋か? 窓は見当たらないようだけど」


 少しばかり、不安そうにソフィアが周りを見渡した。


「窓のない部屋か。相手がどこにいるか、わからないな」


 ハイチが周りの状況を確認しようと、全員を見渡したときに一人の人物に目を止めた。いや、何も彼だけではない。その場一同がその人物を見る。


 その人物――アイリは暗い場所が苦手なのはもちろん。メアリーとターネラの腕を掴んで脇をしっかりと固めていた。それにそう言えば、とキリは苦笑を浮かべる。


「大丈夫か? ハルマチ」


「暗い。怖い。誰か後ろを守って」


「一瞬、幽霊かと思った」


 ぼそりと呟くケイ。彼がそう言うのも無理はない。なんせ、アイリの髪型は現実世界と違って、ロングヘアーなのだから。そのことを知らない者がいるのは当然だろう。しかし、その呟きにより、彼女からあごにパンチを食らってしまった。


「なっ、何をするんだ!?」


 当然怒るケイにアイリは「除霊」と言い出す。初めて聞いた、そんな除霊の仕方。


「ていうか、ここどこですか? 怖い」


《ここについて私が説明しよう》


 突然、ハイチのポケットから声が聞こえてきた。幽霊の類が苦手であるアイリは彼に殴りかかる。だが、その攻撃は彼の片手だけで止められた。音がしたポケットの中を探る。ハイチの胸ポケットから出てきたのは連絡通信端末機であった。それを取り出して「誰のだ?」と呟く。画面上にはガンがいた。


《やあ、初めまして。私はここの案内人のガンだ。よろしく。あれ? キリとアイリのチームだったのか!》


「やあ、ガン。あれ? システムの方は?」


《えっとね、正確には私は王国軍のシステムの警備隊長じゃないんだ。でも、私はガンだよ。システムのガンのデータを基にこのサバイバル・シミュレーションのためのガイドとしているんだ》


「そうなんだ」


「そ、それよりもガン、ここから明るいところに脱出させてよぉ!」


 涙目のアイリが画面上のガンに訴えるも、もう少し待って欲しいと言われた。


《まだゲームは始まっていないんだ。ここからの移動によってゲームが開始されてしまうからね。まずは簡単な説明をするよ。みんなの胸ポケットに何か入っていないかい?》


 ガンにそう言われ、ハイチとケイ以外の全員は自身の胸ポケットを探った。そこからは一人一台の連絡通信端末機らしき物が手に行き渡る。


《それはきみたちが現実の世界でも使っている連絡機と似た物だよ。こうしてガイドの私に質問をしてみたり、チームメイトと連絡を取り合ったり、位置確認をしたり。とにかく現実の世界の連絡機と同じような機能が満載だ》


 各自試しにそれを弄ってみる。ハイチはキリの画面を横から見ていた。確かに普段扱う連絡通信端末機と同様の機器ようである。


《次に腰の方に武器がないかな? それはエレクトンガンって言って、残弾を気にすることはない武器なんだよ。一応一人一丁ずつだけれども、ゲーム中には残弾数が決まっているエレクトンガンも落ちている。使ってもいいし、そのまま放置していても構わないからね。そして、自分の急所に命中するか、一定数の弾が当たればアウトだから》


「おう、一ついいか?」


 ハイチが質問をする。それにガンは反応した。


「武器は、そのエレクトンガンっていうやつ? しかないの? なんか、威力の高い爆弾関係とかは?」


《いい質問だね。他の威力、重力、飛距離が違う物は拠点を決めたら私に教えてくれたならばいい。こちらから支給する。でも、これは残弾数が決まっているからね。気をつけて》


「なるほどな」


《大丈夫かな? 一ゲームの制限時間はここのヴァーチャルの世界の体感で八十四時間。現実だと、四時間しかかからないからね》


「リアルタイムじゃないんですね」


《実際に四時間だけじゃ、戦えないだろうしね。かといって四日間もみんながこの世界に留まっているのは健康を害するよ。あと、代表者のキンバー君かな? が、アウトになるか、アウト数の多いチームが負けだから。他に質問はないかな?》


 ガンのその言葉にケイが「いいか?」と小さく挙手する。


「ヴァーチャルなのはわかったが、どこを舞台とするんだ?」


《それはランダムで決まるね。もちろん、対戦相手も。他には?》


 ガンが一同に訊ねると、ターネラがおずおずと手を上げる。どこか遠慮しがちのその姿に「どうしたんだ」と彼女の方を見た。


「あの、ゲームとは全く関係のない質問なんですが……」


《うん、構わないよ》


「な、なんでハルマチさんの髪が伸びたんですか?」


 その言葉にキリは一度、周りを見渡した。チームメイトのアイリ以外の全員の髪型は全く変わらない。彼女一人だけ、変わっているのだ。ターネラが気になるのも仕方のないはず。


《そうなのかい?》


 当然ガンが見るアイリは髪の長い彼女であるから、ターネラのその発言に目を丸くする。


「あっ、えっと。ハルマチはヴァーチャルないし、データの世界に来ると髪の毛が伸びるみたいなんだよ」


 まだ一回だけしか見たことがなかったが、キリがそう答えた。


「うん? デベッガとハルマチはここに来たことがあるのか?」


「そうだねぇ。あと、クラッシャー先輩も」


「そうか」


 ケイは納得すると引き下がる。


《えっと、他に質問はないかい? なければ、ステージへ飛ばすよ》


 その言葉にハイチは一同を見ると、全員頷く。何も問題はないらしい。それを見て、彼は「問題ない」とガンに伝えると――一瞬で目の前が暗転するのだった。


     ▼


 暗転はすぐに切り替わった。キリたちがいる場所は廃墟の中から一変。誰一人として住んでいないような廃れた都市部にいた。周りは幾年も使われた形跡のない窓ガラスが割れた雑居ビルが立ち並び、道の隙間からは雑草が伸びきっている。今は夕暮れ――否、早朝のようだ。空が半分暗く、もう半分が白い。それがより一層町並みの錆びつきを際立たせていた。


「ここって、どこの町をモデルにしたんでしょうかね?」


「さあ? 地方都市とかじゃないか? もしくは他の国とか」


 唖然と周りを見上げるキリとターネラ。そんな彼らをよそにハイチはすぐさま拠点の候補をケイに示した。


「おう、シルヴェスター。ここのビルなんてどうだ? 大体、ビルなんてどこも一緒だろ」


「いいや。それならば、こちらのビルの方が安全です。そちらは窓が大き過ぎて、動きもバレやすいです。こちらの方が窓が小さいですし、勝手口があるようなので逃げ道は多いようですよ」


 ケイが示すビルは日当たりがあまりよくなさそうな小窓があり、出入り口は一階に表玄関。各階に裏口がある建物だった。これは屋上含めて五階ある。


「なるほどな」


「そして、ここを完全な拠点ではなく、仮拠点としましょう。この場でデベッガとワイアットが連絡係だったか? と、姫様にスタンリーはここで待機。俺とキンバーさん、ソフィアとハルマチは本拠地候補探しだ。ソフィア、直前に指示していることを覚えているな?」


「もちろんです」


「ワイアット、待機組を四階に。あと、戦闘はなるべく避けるように、目立った動きを見せるな。もちろん、探索組の俺たちもです」


 ケイの合図に探索組は廃れた町を行く。待機組はビルの方へと入っていった。


「流石、シルヴェスター」


 ケイの背中を見るキリはどこか羨ましそうである。そんな彼がビル内へと入ろうとしたとき、入り口付近でターネラが立ち止って頭を左右に勢いよく振っていた。何をしているのだろうか。


「どうかしたか?」


「い、いえ。何かに引っかかった気がして……」


「虫の巣かな? へぇ、そういうところまで再現しているのか」


「ですね。体感的に現実と変わらない気がします」


「そうだよ。体力切れもあるからね。そろそろ、中に入ろうか。敵が来たら危険だ」


「はい」


 二人は早速中へと入ると、表情を引きつらせた。どこまでもリアルさを出そうとしているのか、建物の中の廃れ具合も現実的のよう。床の上には埃が積もりに積もり、壁もボロボロ。天井からは電球がない状態であった。


「埃、すごいな」


 足跡がついてしまった。よく見れば、先に上の方へと向かった二人の足跡も見える。これでは居場所が特定されてしまうか? そう考えたキリはワイアットに連絡を取った。


《はい、デベッガさんどうされました?》


「フォスレターすまないが、勝手口辺りのドアの鍵を開けておいてくれないか? ここ、埃がすごくて二人の足跡ができているぞ」


《……気付かなくて、すみません。外の階段の方は大丈夫ですか?》


 そう言われ、キリは外に出て階段を調べた。試しに足を置いてみる。足跡はつかないようである。


「問題ない。今、四階?」


《いえ、三階です》


「じゃあ、三階の方を開けてきて。そこから入るから」


《わかりました》


 キリは通話を切ると、周りを見渡した。今のところ、あやしい気配は感じられない。ターネラを呼んで階段を上った。階段で足を踏む度に音が鳴るようだ。その音も立てないように細心の注意を払い、三階の勝手口から入って四階へと向かった。


 ワイアットとメアリーの足跡を追って、フロアの一番奥の部屋へと二人は辿り着いた。この部屋には朝日の光は全く入らず、暗い印象を受ける場所である。


「デベッガさん、すみません。足跡に気付きませんでした」


「仕方ないよ。一応、四階の裏口の方の鍵も開けてきたから」


「はい。あっ、先ほどのことと、出入り口のことについてケイさんたちにメールを送っておきましたから」


「ありがとう。じゃあ、四人が戻ってくるのを待つだけだな」


 待っている間に地形図を確認しよう、とキリは連絡通信端末機でこの場所の地図を確認した。行動範囲に関してのエリアはさほど広くないようである。現在の彼らの仮拠点位置はそのエリアの端に値していた。そして、その画面には自分のチームメイトの所在がわかるようになっていた。ハイチとケイは北西へ、アイリとソフィアは北東へと移動しているようだ。


「うーん、結構みんなバラバラみたいだな。双眼鏡とか、そういうの欲しいよな」


「じゃあ、僕ガンさんに訊いてみます。本拠点を築かなくても、何かしらの道具はもらえるかもですね」


「うん、お願い。俺はここのフロアで何か使える物がないか、見てみるよ」


 キリが部屋を出ようとしたときに、メアリーが「私も行くよ」と言ってくるが、断った。


「大丈夫だよ、俺一人でも」


「そうなの」


 少し残念そうな表情を見せるメアリーであった。だが、そんな彼女を見ずして、キリはこのフロアを散策し始める。念のため、対戦チームの誰かが潜んでいる可能性もあると見込んで、エレクトンガンを構えつつ、中を徘徊していた。


 まずは一番近い部屋から入室した。ここは自分たちが仮拠点としている部屋と似ており、埃が溜まっている以外に特段と変わった様子はないようである。


 なんて思っていたら、部屋の隅の方に二丁のエレクトンガンとその弾薬の箱があった。箱の中には五発しか残っていないが、武器があること自体が大助かりなのだ。


「できたら、威力の高いやつが欲しいなぁ」


 ちょっとした願望を抱きつつ、他の部屋を見て回るのだが、収穫があったのは先ほどの部屋のみ。他のフロアにはあるのだろうかと気にしながらも、キリはワイアットたちのいる部屋へと戻ってきた。


「武器、これだけしかなかった」


 そう言いながらワイアットに渡す。それでも彼は感謝してくれた。


「いえ、十分ですよ。それと、やはり本拠点を決めないと道具類はもらえないそうです」


「そっか、それは仕方ないよ。早くあの四人が見つけてくれることを祈ろうか」


 こればかりは仕方ないか。そうキリが苦笑を浮かべていると、部屋の窓から影が見えた。彼は三人に人差し指を口に当てて、静かにするように伝える。腰に提げたエレクトンガンを手にして、ゆっくりと何かが見えた窓の方へと近付いた。


 先ほど見えたのは一体なんだろうか、と外の刺客を気にしつつ、覗いた。


――何もない?


 自分の目に映ったのはただの気のせいなのか。なんて考えながらも腰を低くしている彼らを見た。


「相手チーム、いました?」


「そのはずなんだけど、いないみたいだ。気のせいってわけじゃないと思うんだけど」


「鳥とか?」


「ていうか、そもそもさ。ここに動物とか虫とかいるの? 巣はわからなくもないけど」


「ガンさんに訊いてみる?」


 メアリーが連絡通信端末機を取り出して、ガンに質問をしてみた。


「す、すみません。お訊ねです」


《はい、何でもどうぞ》


「ここ、ヴァーチャルの世界って、動物とか虫とかいますか?」


《いいや、いないよ? そこにはゲーム参加者だけ》


「じゃあ、動物の巣とか虫の巣ぐらいはあるよな? 俺もスタンリーも見たし」


 キリのその質問にガンは首を傾げた。


《いや、流石に生命体を感じ取れるような物やそれにつながる物はないよ。そこまで作れないから》


 ガンの答えに一同は顔を見合わせた。それならば、キリが見た物体は? ターネラが顔に引っかかった虫の巣のような物は?


「気のせいで片付けていいのか?」


 不安が胸を過る。


     ▼


 アイリとソフィアは北東へと歩き続けていた。周りを警戒しながら、人の気配を気にしながら。だが、そうしているのはソフィアなだけであり、アイリはさほど緊張感を持たずして、拠点を探していた。


「ハルマチさん、もう少し慎重に動いてもらいたい」


 未だ本格的な武器を持っていない自分たちにとって、戦闘は避けたかった。相手はいつ、どこで監視しているのか、わからないのだから。


「いやぁ、ごめん。ごめん。あたし、隠密系がダメでねぇ。おっ、それよりもあそこは? ここら辺で一番高そうな建物だし、窓の大きさも大きくないよ」


「あっ、本当だ」


「中、見てみよう」


 その誘いに頷いた。二人は周りに誰もいないのを確認して、中へと入ろうとしたとき――アイリの服をソフィアが掴んだ。おかげでその場で足を滑らせて転倒しそうになる。急いで彼女は建物の陰へと連れ込んで逃げた。


「な、何すんの?」


「しっ。相手がいた」


 ソフィアのあごが差す先には誰もいなかった。誰もいないじゃないか、と不貞腐れたような顔を彼女に見せる。


「本当だよ、ハルマチさんが行こうって言っていたビルの中に入ったんだから」


「えぇ、誰だよぉ。人が先に目をつけていたのに」


「それはあまり関係――うわっ!?」


 何かに驚いた様子で突然アイリに抱きついてきた。何事か、と慌てて周りを確認する。どうやら誰にも気付かれていないようである。


「ど、どうしたの?」


「い、今、背中に変なのが……」


――背中?


 ソフィアの背中を見てみるも、何もなかった。虫でもいたのかと考えたが、ここはヴァーチャルの世界だ。まさか、リアルティを出すために虫がいる感覚でも出しているのか。


「い、いる?」


「いや、いないみたい。逃げた……ん?」


 ふと気付いたソフィアの背中についている物。影の間に差し込んでくる光に一瞬だけ何かが光った気がした。気のせいかと思っていたが、気のせいではない。彼女の背中には何かがくっついてたから。


「ちょっと、大人しくしていてね」


「虫!? 嫌なんだけど!?」


「あたしも苦手だよ、虫は」


 アイリは背中についている謎の光る糸を手に取った。これはごみか? そう考えた彼女はその場に捨てた。


「と、取れた?」


「うん、取れた。ウィーラーさん、大丈夫? 多分、どこの場所も虫いるよ? こういう世界観ならさぁ」


「ほ、埃っぽいだけじゃないのか?」


「いや、窓がきちんとあって、閉めきっている最上階と違って、窓ガラスが割れているからねぇ。現実にこういうところって虫いない方が逆におかしいよ。ほら、植木とか草とかにも虫は寄ってくるし」


 アイリが現実を教えると、ソフィアはその場で泣きそうな顔を見せてくる。初めて見る顔だな、と物珍しそうに彼女を見ていた。


「もう、嫌ぁ」


 なんてため息をついた瞬間、ソフィアはアイリの服をまた掴み取ると、陰の奥の方へと逃げ出そうとするが――。


「ひぃっ!?」


 顔に得体の知れない何かが当たったようで、その場で短い悲鳴を上げてしまう。一方でアイリは通りの方に顔を向け、腰に提げていたエレクトンガンを手に取った。先ほどの悲鳴で位置の特定をされたに違いない。やって来るのは単身か、それとも相手の爆弾か。


 ソフィアの手を払い除けて、ゆっくりと通りの方へと近付いて。そこで動く影を見つけた。それにアイリはすぐさま位置情報の確認をする。この周りにいるのは自分とソフィアだけ。ということは、動く影の正体は対戦チームの誰か。しかしながら、影の動きが妙に変だとアイリは感じる。人の動きにしてはおぼつかないような。途端、陰から見えた妙な脚。人ではなかった。


 すぐにエレクトンガンを構える。あの脚は何?


「きゃあっ!?」


 じっと正体を見据えようとしていたアイリの背後からソフィアが抱きついてきた。これにびっくりした彼女は勢い余って引き金を引いてしまう。その弾丸は地面へと命中する。


「なっ、なんなの!?」


 アイリが後ろを振り返ると、そこには明らかに人外が潜んでいるような気配――否、得体の知れないたくさんの目がこちらを窺っていた。


 ソフィアのこの怯えっぷりは――虫か。このゲームでは虫も敵だというのか?


 嫌な予感が頭に過りながら、アイリは真正面に視線を戻す。かさかさと耳を塞ぎたくなるような嫌な音。間近で見るのは少し怖いけど、それの数百倍近くまで巨大化したら――。


「こ、こいつはっ!?」


 それら――数匹のバグ・スパイダーたちは彼女たち二人を囲んでいた。


     ◆


「そう言えば、次席は出身地はどこなんですか?」


 ふと、気になったケイは唐突にハイチにそう訊ねた。あまりにも突然なことだから、拍子抜けをした表情を見せているようだ。


「えっ、いきなり何?」


「いや、先ほど見たことあるような、ないような感じだなって仰っていたから。少しばかり気になっていただけですよ」


 この町並みは青の王国にないような光景だから、とケイは言う。一方でハイチは口を若干尖らせて、あまり語りたくない様子である。


「別に、普通に……ろ、工業の町だよ」


「一度、訪れたことはありますが」


「もちろん、こんな景色だったら町は機能していねぇよ。多分、夢だろ。夢」


「そうですっ――!?」


 妙な気配を感じ取ったケイはすぐさまエレクトンガンを手にして後ろを振り返った。だが、そこには何もないし、誰もいない。気のせいかと思っていると、急にハイチから首根っこを掴まされて、建物の陰へと連れ込まれてしまった。


「なっ!?」


「シッ」


 いつの間にかハイチもエレクトンガンを構えて、体勢を整えていた。陰の隙間から見えたのはセロとガズトロキルスだ。二人がここにいるということは、対戦相手は首席のセロが率いるチームである。その事実にケイは苦渋の表情を浮かべる。


「こいつぁ、ラッキーだな。セロを仕留めりゃ、一発で終わる」


 その反面、ハイチはにやりと嬉しそうである。早速、動こうとする彼をケイは止めた。不服そうな視線を送ってくる。


「いいですか、次席。そのまま突っ込もうとするのは愚考です。向こうにはフェリシアとザイツがいる。あいつらはまさしく戦略家ですよ」


「だったらなんだ。攻撃を受けそうになったら避けりゃいい。逃げりゃいい」


「その考えが間違いですって! どんな作戦を立てるのかさえ、俺は予測がつかないのに。もしかしたら、本拠地を構えている可能性だってあるんですよ?」


 きちんと策を練ってから。見つからないように引き返しましょう、と促すケイに対して融通が利かないハイチは是が非でも一発決着をしたがっていた。


「そもそも、言いましたよね? 戦闘は避けてって!」


「大丈夫だって、ばか二人ならいけるって」


――その考え自体がすでにばかっ!


 心の内を口に出すなんて、恐れ多くて出せやしない。ハイチには考え直してもらえないだろうかとケイが考えていると――。


「セロぉ! 覚悟しやがれ!」


 ばかの一直線。人の話を聞く耳も持たず、ハイチは強行突破を目指す。時すでに遅しと言った具合か。ケイの表情は青ざめていた。


 当然、奇襲をしかけてくるものだから――セロとガズトロキルスは対応をしようと、ハイチが持つエレクトンガンよりも倍以上の威力がありそうな軽機関銃らしき物を構え出す。


 あ、これは終わったな。なんて思っていると――。


 二人はハイチにではなく、後ろの方へと乱射をする。これには彼も予想外だったらしく、目を丸くしていた。即座に振り返るハイチにセロは引き金を引いた。


 頭への少し強めの衝撃が伝わってくるも、特に体が動かせない異常は見られない。いいや、まだ終わっていねぇ!


 すぐにセロに向けて引き金を引き続けるハイチ。その弾は彼に当たってしまった。


――こいつ!?


 眉根を寄せるセロが、その衝撃で地面に座り込んだときだった。ゲームエリア中に鼓膜が破れそうなほどのアラームが鳴り響く。ゲーム終了の合図かと余裕を見せていたハイチであったが、途端に連絡通信端末機からも音は鳴り響く。ケイがそれを確認すると、画面に『エラー』が二つ表示されていた。


「……あぁ? セロはなんで退場しないの?」


 急所に当たった者、もしくは一定数の弾が当たった者はその場から退場という形だったはず。試しにハイチが一度だけ引き金を引いてみた。その弾はセロの頭に当たる。アラームがまたしても鳴り響き、ケイが見ている画面上にはもう一つ『エラー』が表示される。


「しかし、うるさいですね。この音」


「終了のブザーじゃねぇの?」


「じ、次席!」


 自分もどうしていいのかわからず、ケイがハイチたちのもとへと駆け寄ってくる。手に持っている連絡通信端末機の画面を見せながら。


「おう、どうしたんだ?」


「エラーです!」


「は?」


「どういう意味だ?」


 セロはその場から立ち上がり、画面を覗き込んだ。エラーは三つあった。


「このエラー、首席がやられたときに二つ出てきたんです。で、次席がもう一度撃ちましたよね。そのときもエラーが出ました」


「それじゃ、あれか? 俺が一発ハイチに撃ち込んだあれもカウントされるのか?」


「だ、だと思いますよ」


 それにセロはハイチを睨みつけるようにして見る。こちらも負けじと対抗するかのように睨み返していた。


「ハイチが先にやられたんじゃねぇかよ」


「あぁ? でも、セロの方が二回もやられているけど?」


「いえ、そういう問題じゃないですよ」


 鋭い指摘をするケイにガズトロキルスは「キリに似てきたな」と他人事のよう。


「どちらの代表者を倒してもエラーが出ているんですよ? 明らかにおかしいでしょ」


「はあ? ンなモン――」


 ハイチは次々とセロに対して引き金を引いていく。彼の体に弾が当たる度にアラームが鳴り響く。その度にケイとガズトロキルスは耳を塞ぐ。連絡通信端末機の画面にはエラーが連発されていた。


「次席ぃいい!?」


「何度もやっていりゃ、イケるだろ」


「そういう問題ではなぁあいぃい!!」


     ▼


 その頃、ハイネとヤナ、フェリシアは自分たちの本拠地にいた。彼女たちの傍らには大量の武器や道具が置かれている。ハイネはエレクトンガンを手にして、ぼんやりと部屋の一角を眺めていた。そんな彼女を心配してかヤナは声をかけた。


「大丈夫?」


「うん、平気。なんか心配をかけちゃっているね。もう私は大丈夫だから」


 大丈夫そうには見えなかった。


「そうだとしても、私にはそう見えませんが」


「そうかな?」


 笑っているハイネではあるが、どこか影を漂わせている。すぐにヤナが空笑いだなと見抜いた。


「考え込んでいると、敵さんに見つかって終わっちゃうよ? あれ、お兄さんと勝負しているんでしょ? 負けたくないんでしょ?」


「も、もちろんだよっ!」


 その勝負で何を賭けているのか定かではないが、ヤナの発破によりハイネのやる気が上がったように感じた。勝負か。フェリシアが直接、その勝負について訊こうとしたときに――。


 建物が小刻みに揺るほどの巨大なアラームが鳴った。思わず、誰もが己の耳を塞いで外の方を見た。何も変わらない廃れたビル街の背景がより一層気味悪さを音で引き立たせているようである。


「なんなの!?」


 このアラームについて何も知らないないのか、ヤナは連絡通信端末機よりガンへと呼びかけた。


「これ、何!? ずっと鳴ったり、止んだりしているけどぉ!」


「――――」


 ガン何かを言おうとしているのはわかった。だが、音声機能にノイズが走って全く何を言っているのかがわからない。アラームも鳴り響いているからなおさらだ。


 とにかく、チームの代表者であるセロに連絡を入れようとフェリシアも端末機を手にするが、その画面上にはいくつもの『エラー』が出てきていた。これは一体何を表しているのか。いや、それも気になるが、連絡を入れるのが先決だ。


 セロとはすぐにつながった。つながった瞬間、誰かが騒いでいるような声とこちらで聞こえているアラームと同じ音が聞こえているではないか。


「しゅ、首席ですか!?」


《ああ、俺だ。――のことか? ――とも――のこ――》


「は、はい!? す、すみませんが、どなたかと一緒におられるんですか? 声が遠くて――」


 フェリシアがそう言うと、連絡通信端末機の向こう側からセロの怒声が聞こえた。誰かに注意をしていたとしても、騒ぐ声は変わらないようで――今度は銃声が聞こえる。ハイネが「また『エラー』が増えた」と。しばらくすると、騒ぎは落ち着いて、セロの声が聞こえてきた。


《すまないな。ばかが騒いでいたから。で、音とエラーのことか?》


「そうです。あっ、音が止みましたね」


 あまりにもうるさい音だったようで、まだ耳の奥に残音があった。遠く小さくなっているような気がする。


《音とエラーはどうも代表者がアウトになったときになるようだ。うるさくてすまなかった》


「い、いえ、そんな……って、えっ!? もう決着ですか!?」


《エラーの順番的に俺たちのチームの勝ちだ》


 セロがそう言うと、向こうの方から《認めないもんね!》というまるで子どもが駄々を捏ねるような物言いが聞こえてきた。直接対決だったのか。


《セロの方が、多くアウトになったから、お前らの負けだ、負けぇ!》


「……もしかしてですが、対戦相手は次席のチームですか?」


《おう。ちょっと、ここじゃ話せないようだし、一度こいつら連れて拠点に戻るよ》


「わかりました」


 フェリシアが通話を切ると、ハイネとヤナがこちらの方を見ていた。


「フェリシアちゃん、どっちが勝ったの?」


「……私にはよくわかりません。とにかく、サイレンとエラーは代表者を倒したときになるようです」


「じゃあ、このエラー連発も互いがアウトにならないから、しまくって、うるさいブザーが鳴り響いたんだぁ」


「そうなるようです」


 それから十分も経たない内に、自分たちのいる部屋の廊下から目立つような騒がしさが窺えた。こちらへとやって来たのはチームメイトのセロとガズトロキルス、そして相手チームのハイチとケイだった。


「ていうか、俺のときにはサイレンが鳴らなかっただろうがっ! だから、鳴った瞬間のお前の負けだっての!」


「何度も言うが、俺の方が早くお前に止めを刺していた。だから、こっちの勝ちだ。往生際悪いぞ」


「悪くて結構! だったらもっと往生際悪いこと言ってやろうかっ!」


「いや、予測がつくからいらない。ていうか、この勝負がなかったことになるだろ」


「あぁ! 俺の言いたかったセリフを、お前が盗りやがって! コノヤロー!」


 いつまでも盾突くばかにうんざりとした様子で、セロは部屋の中へと入れ込んだ。ハイチは勢い余って武器や道具類を置いている箱に突っ込んだ。ガシャンと痛そうな音がその場に響いた。


「ケイ様!」


「ふぇ、フェリシア。助けてくれ……」


 ハイチの面倒を見るのは嫌だと言わんばかりに、ケイは頭を抱えてフェリシアと再会をする。それに一同が同情した。


「それで、こちらの方で何か変わったことはないか?」


「あっ。バーベリさん、ガンさんに連絡は?」


 そう言えばとフェリシアがヤナの方を見るも、彼女は首を横に振るばかり。


「呼びかけても画面にはガンさんしか映らなくて、声が聞こえないし。最終的には応答しなくなっちゃった」


 試しにケイやフェリシアも声かけをしてみるが、何の反応も見られなかった。これにより、妙な胸騒ぎを覚える。メアリーたちの安否が気になったのか、ワイアットへと連絡を入れる。彼はすぐに出てくれた。


「ワイアット!」


《け、ケイさん! す、すみません。今、敵に囲まれているみたいで……》


「敵?」


 ケイはフェリシアに彼女自身の連絡通信端末機を貸すように促す。それを手に取り、相手の位置情報の確認をした。自分たちの仮拠点の周りには誰もいない。ただ、一人だけそちらへと向かっている様子はあるようだ。これは一体誰かと思えば、ヴィンである。


「相手チームはそちらに一人だけ向かっているだけであって、周りに誰もいないぞ」


 そう言うと、ワイアットはその場にいる全員にそのことを伝えた。向こう側から、声が上がる。


「ワイアット、ちょっとデベッガに代われ」


 ケイの言う通りにワイアットはキリに通話を交替する。


《シルヴェスター、どういうことだ?》


「どういうことでもない。先ほど、うるさいブザーが鳴らなかったか?」


《うん、鳴った》


「聞け。俺とキンバーさんは相手チームの本拠地にいる。理由はどちらのチームの代表者がアウトにならないからだ。ブザー音はその終了の音で、端末機の画面上にエラーが出ていないか? これは代表者がアウトになったときに出ているんだ」


《……あっ、エラー》


「そして、今、そっちにザイツが向かっているからな」


 そこまで彼が言うと、セロが「ザイツには今がした連絡を入れた」という報告を受ける。


「あっ、ありがとうございます。――いいか? まず、ザイツと合流して、こちらの本拠地に行くようにしろ。これはただ事じゃなくなってきているかもしれないんだ」


《現実に戻れないってこと?》


「……やけに物わかりがいいな?」


《いや、ここがただのヴァーチャルの世界じゃないって、改めて実感したから》


 キリのその言い方にケイは引っかかった。改めて実感した? それは最初から、ゲーム用のヴァーチャル世界じゃないと知っていたのだろうか。


「お前、何か知っているのか?」


《何かの影を見た。最初は鳥だとか、相手チームだって思っていた。けど、人の影には見えなくて動物関係だと思ったから、ガンに聞いてみたんだ。動物とか虫はいるのかって。そしたら、いないって。だから、相手チームだと思い込むしかなかったんだ》


「…………」


《それだからフォスレターから話を聞いて、ヴァーチャルじゃないなって直感で思った》


「原因はわかるか? もしかしたら、これだって」


《……バグ・スパイダー》


 キリの言うバグ・スパイダー。話だけは聞いたことがあった。以前、軍のシステムへと侵入した新種のコンピュータウィルスだと。それは今いなくなっているが、このようなゲームにも現れたりするのだろうか。


「わ、わかった。と、とにかく、ザイツと合流してくれ」


《ああ。シルヴェスター、あいつらは普通にエレクトンガンで効くはずだから。もし、そこにハイチさんがいるならば、訊いてみるといいよ。対処法を知っているはずだから。あと、ハルマチも》


「情報ありがとう」


 ケイは通話を切るなり、武器や道具類が入った箱の上にふんぞり返って連絡通信端末機を弄るハイチを見た。彼は誰かと連絡を取っているのだろうか。


「次席。誰かと連絡を?」


「一応な。ハルマチたちにって思ったけど、あいつら電話に出ないからメール送ってんの」


「デベッガが言っていたんですけど、これらの原因はバグ・スパイダーではないかと……」


「バグ・スパイダー。バグ・スパイダーねぇ」


 何かを思い出そうとしているのか、ハイチは頭を抱える。すると、セロが話に入ってきた。


「ハイチ。ほら、前にお前の端末機のデータが消えたって。あのコンピュータウィルス」


「おうよ、あれはひどかったな。通算五百時間も注ぎ込んだのに。ん?」


「もし、そいつらが今ここに現れるのではなくて、システムの方を食い散らかしていたならば? 特にこちらの世界と現実の世界をつなぐ道をな」


「嘘だろ、おい」


 徐々にハイチの表情が引きつってくる。彼らは何かを知っているようであるが、全く知らないケイにとっては置いてけぼり状態である。いや、ハイネを除くほとんどが首を傾げるようにしていた。


「でも、親玉は倒されたんじゃないの?」


「それは軍のシステム上にいるやつをだ。こっちは完全に独立しているだろ」


「さ、三人とも! お、俺たちは一体どうなるんですか?」


 ケイの不安そうな顔を見て、彼らは顔を見合わせる。ややあって、セロが答えた。


「俺たちは現実に帰れるに帰れないのかもしれない」


「そ、それって――!」


「少なくとも教官たちは四時間後しか気付かない可能性も上がってくるな。セロ、これ幾つか借りていくぜ」


「ああ」


 ハイチは適当に武器類を見繕うと、その半分をケイに投げ渡した。


「俺らで残りを集めてくるか? ここに全員いてもしょうがないだろ?」


「今のところ、バーベリ弟と三銃士軍団の子が南東に向かっているみたいだな」


「あの二人と遭遇している可能性もあるな。サイレンはならないにしろ、端末機の画面が忙しくなるだろうし。急ぐぞ」


 外へと出ようとするハイチとセロにケイは呼び止めた。


「ところで、バグ・スパイダーってどんなやつですか?」


「ああっと、虫だ。虫。やたら、足が長いやつ」


 虫と聞いて、ケイはソフィアが気にかかった。フェリシアの方を見れば、彼女は心配そうに窓の外を眺め出している。二人は遭遇していないだろうか、と。


「多分、あいつら連絡返してこないだろうし、遭遇している可能性もあるけど。ハルマチとお前のところの特攻隊長だろ? 確かに気にかける必要はあるけど――」


「いえ、ソフィアは虫が大の苦手で。見ただけでも、その場から逃げ出したくなるほどなんです」


「えっ、それって、ヤバいかも」


「そ、そのバグ・スパイダーは群れを成すんですか!?」


 ハイチは首を縦に振る。


「洒落にならないほどでかい。これくらい」


 バグ・スパイダーの大きさを手で示していると、フェリシアが威力の高い突撃銃を手にして部屋を飛び出して行こうとした。それはケイが行くなと止める。


「助けたい気持ちはわかるが、ここで待っていろ」


「は、はい」


 ケイはフェリシアが持っていた突撃銃を手にして外へと向かう。その後をハイチとセロ、ガズトロキルスが追った。


「シルヴェスターの部下の女の子が走って行きそうなほどだ。よっぽど虫がダメなんだろうな」


「元々、虫がダメなやつがお前の説明に卒倒するからな」


「いや、わかってはいるけどよ。セロ、とりあえずはデベッガたちのところに行ってくれ。ハルマチのところは多分出てきているだろうから、対処してくる。オブリクスは俺と一緒に来い。頭数は多い方がいいだろ」


「わかった!」


「うっス!」


     ▼


 キリとワイアットは慎重になりながら、ビルを出た。相変わらず人の気配はない。それを確認すると、中にいたメアリーとターネラを呼び込む。彼女たちは怯えながら外へと出た。


「あいつらには気をつけて行こう。攻撃されないように、周りに注意してね」


「わ、わかりました。ザイツさんと早く合流したいです」


 エレクトンガンを手にして、不安そうにしているターネラはこのビルの通りを見渡していた。どこに潜んでいるのか、見目解答がつかない。そんな中でどう対処していくべきなのだろうかと恐怖に駆られていた。


「アイリたちは大丈夫なのかな?」


 メアリーはアイリたちの安否を気にしている。彼女は一度だけ二人に連絡を入れたのだ。だが、出てくれなかった。だからこそ心配する。


「ハイチさんかシルヴェスターと連絡を取っていたからかもしれないな。でも、バグ・スパイダーが出ても大丈夫だよ。ハルマチは対処法を知っているから」


「うん。なら、いいけど……」


 道行くワイアットの視界の先にこちらを見て手を振るヴィンの姿を見た。無事に合流ができたと四人が安心しきったその矢先、ヴィンの真後ろにキリにとって見覚えのあるやつ――バグ・スパイダーが現れた。


「ヴィン! 後ろっ!」


 真っ先にキリは大声を張り上げた。その大声にヴィンは後ろを振り向いて、バグ・スパイダーの攻撃をかわす。間一髪のところで彼はやられるところだった。


「ザイツさん!」


 キリとワイアットが動いた。逃げるヴィンを攻撃し続けるウィルスに対して、二人同時が引き金を引く。そのバグ・スパイダーは消失した。


「大丈夫ですか?」


「うん。平気だけど、ヴェフェハルさんの言っていたことは本当なのか。よかったよ、こいつが無限に弾の出るやつで」


 どこか楽観的な様子で腰に提げていた自身のエレクトンガンを叩くと、キリの方を見た。


「デベッガ君、助けてくれてありがとう」


「い、いや、危なかったから……」


「そっか。じゃあ、他の連中に見つからないようにして行こう」


 ヴィンが自分たちのチームの本拠点の方へと顔を向けた途端、彼――否、その場一同は硬直する。目の前にはたくさんのバグ・スパイダーがビル街の通りを埋め尽くすほどいたからだ。


 この人数だけですべてを倒せるか。それとも道を開けるようにして、倒していくか。逃げるようにして、迂回でもするか。この三択がキリの頭に思い浮かんだ。どれにするか迷っていると、勝手にワイアットが選択肢の内の一つを引いた。


「ひとまず、逃げましょう!」


 その言葉に、硬直していた四人はバグ・スパイダーがいない通りへと逃げ込んだ。先頭にワイアット、真ん中にメアリーとターネラ。しんがりにキリとヴィン。こちらへと追いかけてくるウィルスたちを彼らは蹴散らしていく。


「ザイツさん! そちらの本拠地ってどちらへ向かえばいいですか!?」


「これっ! 私のを貸す!」


 ヴィンが自身の連絡通信端末機をワイアットに投げ渡そうと投げるも、軌道がずれて前の地面に転がった。それを拾おうとするが、先にそれを手につけたのは先回りでもしていたらしい。一匹のバグ・スパイダーがそれを食べられてしまった。


「私の端末機ぃ!?」


 嘆くヴィンをよそに、キリは前方にいるウィルスに発砲した。見事命中して、消え去る。


「ヴィ――ザイツが前に行って、誘導しろ! フォスレター、俺としんがりになれっ!」


「はい!」


 彼らのポジションを変え、ひたすらにセロたちの本拠地へと足を急がせる。今のところ出てきているのは手下のようだ。キリにとって見覚えのあるサイズのバグ・スパイダーたちばかり。今回の親玉はどこにいるのか。彼は周りを警戒しながら、エリア内に目を配らせていた。


     ▼


 現在、アイリはソフィアの手を引っ張ってバグ・スパイダーの追手から逃げていた。ソフィアは青ざめた様子で、引っ張られながらもなんとか走れている状態である。


「なんで、なんでぇ! なんで、こっちにいるのよぉ!?」


 人の手を引っ張って逃げるのにも、現実と変わらないスタミナ消費に苛立ちを覚えるアイリ。この武器で気軽に対処できるほど器用ではない。何より、ソフィアが独りでに走ってくれない。三銃士軍団員であり、ケイが従えるシルヴェスター団の特攻隊長だと聞いていたのだが――。


「ウィーラーさん! 見た目は虫だけど、これ虫じゃないからぁ! いい加減、慣れてよっ!」


「気持ち悪い! いやぁああ!」


 泣き喚くソフィアに一匹のバグ・スパイダーが飛びかかってくる。それの気配にアイリがエレクトンガンを発砲した。


「なんなの、こいつら!?」


「コンピュータウィルスだよ! 虫じゃないから!」


 コンピュータウィルス。アイリのその言葉にソフィアは追いかけてくるバグ・スパイダーの方を振り返った。これも慣れるため。そう思って。だが、道を塞ぐようにしてみっしりと詰めに詰まったウィルスの大軍が。どう見ても鳥肌が立つような気持ちの悪さ。大きい分、普通サイズではなかなかお目にかかれないところがより鮮明に――。


「いやぁああああああああ!?」


 アイリを一人置いて、一足先に逃げ出してしまう。慌てて彼女もその場を離れるようにしてソフィアの後を追った。それに続くようにして、バグ・スパイダーの大軍も後を着いてきていた。


     ▼


 エリアの北東部で巡回していたマティルダとイヴァンは異様な物音に気付いた。微かながら、誰かの悲鳴も聞こえるようである。


 ハイネからこのヴァーチャルの世界にコンピュータウィルスであるバグ・スパイダーが侵入したという報告を受けている。もしかしすると、その音がする方にウィルスにやられている誰かがいるのかもしれない、と二人は急いだ。


 十字路の右側を見ると、こちらへと怒涛の勢いで迫ってくるゲーム参加者のアイリとソフィア。そして、血の気が引きそうなほどの薄気味悪い虫の形をした巨大な生き物。これを初見で悲鳴を上げない者はいないだろう。そんな自信が彼らにはあった。なぜならば、二人も大声で悲鳴を上げたからである。


「こ、こっちだ!」


 イヴァンは元来た道へとマティルダの手を引いて、逃げ出す。迫る勢いのバグ・スパイダーは流れ込むようにして、彼らが逃げ行く方向へとやって来る。それを見て、彼女を路地裏の方へと引き込む。二人は足を止めない。止めたところで見つかってしまえば、一巻の終わりだと自覚しているから。


 だがしかし、前方の方から彼らを嗅ぎつけてきたのか、一斉に雪崩れ込んでくる。背に腹は変えられない状況の最中、イヴァンが今度は裏の道へと入り込んだ。


「どこまで着いてくるんですの!?」


 逃しやしないと後ろから次々と押し寄せてくるウィルス大軍団。あまりにも多過ぎるせいなのか、最前列にいるバグ・スパイダーは後ろから押されて自身の足で前に進んでいないような状態である。


 そうして、戦闘せずして逃走を図っていた二人の目の前に、建物の壁が立ち塞がった。どこも逃げられる状況ではない。こちらへと来ている大軍団は周りを囲う雑居ビルの高さまで到達しながら流れ込んできていたのだから。まるで濁流。まるで津波。どうすることもできない。


 万事休すか。この場で彼らが諦めかけたときだった。二人に迫り来る前にそれは大爆発を起こしたのだ。あまりの威力に壁代わりの建物が半壊してしまうほど。だが、その爆発のおかげでバグ・スパイダーの大軍の一部を蹴散らせることができた。


「な、何?」


 一体誰がこのようなことを?


 突然の爆発に二人は思考を停止させ、爆心地を眺めるばかり。ようやく何事かという思考を巡らせていると、彼らは抱きかかえられた。びっくりするマティルダは後ろを振り向く。そこには武装したガズトロキルスが。イヴァンにはハイチが壁であった建物の中へと引き込むのだった。


「ガズ様!」


「何もされていないか?」


「もちろんですわ!」


 マティルダの安否を確認すると、本拠地へと向かえと彼女に指示を出した。


「ここは危険だから、イヴァンさんと逃げて。俺とハイチさんはハルマチともう一人助けに行かなきゃ」


「それならば、私もご一緒に!」


「ダメだ」


 それはハイチが却下した。


「な、なぜですの!?」


「オブリクスが好きだからとか、そんな理由は今ここに要らない。それは、現実に戻ってからにしろ。気が散る」


 ハイチの言うことはもっともだった。イヴァンはマティルダを連れ出して建物の入り口の方へと逃げ出す。


 先ほどの爆発に巻き込まれていないバグ・スパイダーの大軍がわんさかとこちらへやって来るのが見えた。次の構えとして、ガズトロキルスが所持していた爆弾――エレクトンボムを手にして「ありがとうございます」とお礼を言った。それにハイチは少し照れくさそうにする。


「よせやい、俺はお前らのイチャイチャが目に入ったら、うんざりするから言ったまでだ」


「いえ、そうではなく――」


 エレクトンボムを迫りくる大量のバグ・スパイダーに向けて投げつけた。同じような場所で爆発が起きる。今度は振動や爆風に耐えきれなくなった半壊の建物が完全に倒壊してしまった。その瓦礫は路地裏の道を塞ぐも、別に道ができる。これを機にガズトロキルスは壊れた窓枠に足をかけた。


「俺、マティ――ボールドウィンから距離を置こうと思っていましてね」


「は?」


 詳細を言う気はないのか、建物から出ると「ハルマチたち探してきます」と行ってしまった。一人取り残されたハイチは唖然とするしかない。


「あっ、おい! オブリクス!」


 後を追おうとするハイチであったが――建物から出た瞬間、真上からの視線に気付いた。嫌な予感しかしないと振り向くと、建物の壁の上の方に所狭しとウィルスの大軍が近付いてきているのが見えた。


 鳥肌が立つような乾いた音があちこちから聞こえてくる。の光景を見て表情を引きつらせて空笑いをした。いや、空笑いをせざるを得ない状況であったというのが正しいだろう。出ていく場所を誤った、とハイチは後悔する。


「もうっ、訳がわかんねぇよ。クソが」


     ▼


 少しばかり追手が少なくなってきたな、とエレクトンガンの引き金を引くキリはそう思った。彼らは現在路地を駆け抜けている。今のところ前方からもウィルスたちはやってこないようだが、油断は禁物だ。いつ、どこから現れるか予測不可能であるから。


「うわぁっ!?」


 基本的に後ろを見て走っていたキリとワイアットは、ヴィンの情けない声に前を向いた。前方には壁一面にこちらを見つめてくるバグ・スパイダーが。いや、地面の方にも音を立ててこちらへと近付いてくる。前方、後方――どちらとも視界が埋め尽くされそうなほどの数の大軍が押し寄せてきているのだ。これだけの数に五丁のエレクトンガンでは間に合いそうにもない。


 このウィルスたちとヴィンを見るだけで、記憶を失う恐怖心がよみがえってくる。また自分は何かの記憶を失くしてしまうのか。あまりの恐ろしさに混乱しかけていると、メアリーが服の裾を握ってきた。彼女もバグ・スパイダーを恐れているのか、握る手が震えているようである。


「ど、どうするの? これ……」


 この場で歯車の剣を使うのは。と、そのような考えが一瞬だけ頭に過る。使用してもいい物なのだろうか。記憶を失う恐怖心とヴィンの存在に思うようにして歯車に手が伸びようとしない。


 逃げられるところまで、逃げてきた。だが、もう逃げることはできそうにないのか、五人は追い詰められている。逃げ場はない。


――俺が一時的でもいいからやらないと!


 心と頭の中でそう思っていても、なかなか行動ができない。


 もうダメだと誰もが諦めたとき、前後から爆風が一気にバグ・スパイダーと共に押し寄せてきた。


――やらなきゃ。


 とっさの判断。キリは自身の過去の歯車とターネラが受け取ったはずの過去の歯車を剣に変えて防御した。


 一瞬の出来事。反射的に誰もが目を瞑る。歯車の剣とカムラの剣はすぐに元の大きさに戻ってしまった。それと同時に、キリ以外の者は何が起きたのか全くわからない。そんな状況の最中、爆発煙を眺めるばかりだった。


「駆け抜けろっ!」


 煙に紛れる命令に、彼らはウィルスたちの残骸の横を駆け抜けていった。


 大通りまで出ると、壁となっていたビルの三階からセロが上手い具合にごみ捨て場の蓋へと着地してきた。


「ヴェフェハルさん!」


「お前たち、よく耐えた。こっちに来い、案内するから」


 四人は次の追っ手が来ない内に、セロの後を着いていkjのだった。


     ▼


 セロたちのチームで待機しているハイネたちは窓の外と位置情報を照らし合わせて状況を確認していた。位置情報から見て中央付近の方から粉塵が舞っている。誰かがエレクトンボムを使用したのだろう。


「バーベリさん、状況どうですか?」


 フェリシアは双眼鏡を手にしてその煙立つ場所を見ているヤナに声をかけた。


「えっとね、音で反応しているのかな? めちゃくちゃ集まってきているね。あれがバグ・スパイダーってやつ?」


 ヤナから双眼鏡を受け取り、覗き見た。確かに煙に紛れて大軍のバグ・スパイダーたちが集まってきているようだ。そして、その中央には――。


「き、キンバーさん! あれって――」


 そう言われ、ハイネは双眼鏡を受け取ると、それを覗き込んだ。彼女の目に映った光景は驚きのものである。


「は、ハイチ!?」


 なぜ、そこにいるのか。妙な胸騒ぎがしたのか、箱に詰められた武器を手にして外へと行こうとする。しかし、それはヤナに止められる。もちろん、フェリシアも。


「行くのは無謀だよ」


「で、でも! ハイチ一人じゃ――」


「さっき、こっちの方に首席が戻ってきているのが見えました。応援に行かせましょう」


 ハイネはあまり納得しなかった。それでも、小さく頷いて箱の上に座り込む。フェリシアはすぐさまセロにハイチの応援を頼むように連絡を入れた。こちらの本拠地にもうすぐキリたちが来るということを伝えて、彼はエリアの中央へと向かった。


 しばらく、三人がキリたち五人の戻りを待っていると、彼らはやって来た。


「ひ、姫様! ご無事で!」


 メアリーの姿を見て、フェリシアはお辞儀をする。ワイアットも今がチャンスと言わんばかりにハイネのもとへと近付いた。


「ハイネさん! ご無事でしたか!?」


 その問いかけにハイネは首を横に振る。


「えっ!? ど、どこかお怪我を!?」


 だが、怪我は見当たらない。ハイネは否定するように首を振った。


「私じゃない、ハイチ」


「お、お義兄さんはどこへ?」


 すぐさま連絡通信端末機を取り出して、ハイチの位置情報を確認し出す。彼はゲームエリアの中央にいるようだ。


「そうじゃない。ハイチが無事じゃない可能性があるの」


 その言葉に一同が神妙な顔をする。ハイネの言葉を補足するようにヤナが間に入った。


「今、ハイネのお兄さん。そこでウィルスの大軍と一人で戦っているんだよね。さっき、ヴェフェハルさんが応援に向かったみたいだけど」


「でも、お義兄さんはお強いですし、ヴェフェハルさんもお強いじゃないですか。二人がいれば、百人力ですよ!」


 またしてもハイネはそれを否定するかのように首を横に振った。


「キリ君なら、知っているでしょ?」


 突然の話を振られて、キリは動揺が隠せなかった。


「今の私たちは脳の情報を基にしてできたデータ。バグ・スパイダーはデータを食い散らかすコンピュータウィルス。軍のシステムに行ったことのあるキリ君なら、わかるよね?」


「……は、ハイチさんの記憶が食われているかもしれない、ってことですか?」


 記憶が食われる? その事実を聞いて、一同は目を丸くする。ハイネは初めて頷いた。


「あんな、大軍相手で一人じゃ無理よ。それも、後から応援に行ったセロさえも。だったら、まだ合流していない他のみんなだってそうなのかもしれないのに。あんな物見せられて、どうしたらいいかもう……」


 ハイネは顔を手で覆った。彼女自身、色んなことが積もりに積もって頭の中で処理しきれないのだろう。そうしていると、急に立ち上がり、その場を走っていってしまう。ワイアットがその後を追いかけた。その場はより一層気まずさを増し出すようになる。


「た、確かに、急にあの虫みたいなのは増えましたよね。どこから来ているのか、見目解答が……」


「首席はこのゲームのシステムか、もしくはこちらの世界と現実をつなぐ道を食い散らかしたという推測を立てているの。どこから現れたなんて。デベッガ君は何か知らない?」


「俺が倒したときは、俺たちが見たウィルスよりも倍以上の大きさのやつを倒せば――」


 誰もここで巨大なバグ・スパイダーを目撃していない。どこかに潜んでいるのは明白だ。何かしら対策を練らないと、いつまで経ってもこの世界から抜け出せない可能性だってある。早急に対応せねば、とフェリシアは不安そうに窓の外を眺めた。


「そう言えば、シルヴェスターは? ハイチさんと一緒だったはずだけど」


「ケイ様はソフィアとハルマチさんを助けに向かった」


「助け?」


 片眉を上げるキリにヤナが「もしかしすると、二人はバグ・スパイダーに遭遇しているかもしれないみたいなの」と不安を煽ってくる。


「シルヴェスター君、だったかなぁ? の、連絡もキンバーのお兄さんの連絡も出ないからって」


「それで、ハイチさんは中央で足止めを食らっているのか?」


 キリが位置情報の確認をすると、ケイは移動しているアイリとソフィアを追いかけているような状況ようだった。気になるのか、全員がその画面を覗き込む。


「だ、大丈夫かな?」


 愁眉を見せるメアリー。


「……ちょっと、行ってくる。逃げ回っているってことは対処しきれないってことだろうから」


 これらを借りていく、とキリはケイの応援へと行ってしまう。その後ろ姿をヴィンは渋面で見つめていた。


 外へと出ると、あちこちから黒煙が舞っていた。焦げくささなどはないものの、目に映る光景が式典で見た王都と同じような状況だとデジャヴを感じ取る。キリは三人の位置情報を確認すると、エリアの西方角へと走っていった。


     ▼


 本拠地とは別のビルへと入ったハイネはその場に座り込んで気持ちを落ち着かせようとしていた。恐怖心が襲ってくるせいで、周りに八つ当たりしてしまい、罪悪感があるのだ。


 ハイネを追うようにワイアットもその場へとやって来た。


「は、ハイネさん……」


「あのね、実は前にハイチとキリ君の会話を聞いていていたの」


「会話?」


 何の話だろうか。


「うん、サバイバル・シミュレーションが始まる前にね」


【キンバーさんの記憶が失くなってしまったんです】


【バグ・スパイダーの事件のときからです】


【今は失った記憶の十パーセントくらいは回収しているんです】


【完全じゃない状態でキンバーさんの記憶を持ちたくないんです】


【キンバーさんとの共有の思い出が虫食い状態で、語り合いたくないんです。まだ白紙のままの方がいい、きちんと取り戻した上で彼女とお話をしたいんです】


 キリの気持ちはわからなくもない。だが、虚しいのだ。自分だけ知っていて、彼本人は知らない。だから、取り戻そうと――。


【まだ白紙のままの方がいい】


【大嫌いだよ】


 フラッシュバックしてくる嫌な思い出。今の自分は一体なんなのか。


 ハイネの目からは涙があふれ出てくる。ポロポロと。ゲーム中は泣かないようにしていたはずなのに。このようなところで泣いたって仕方ないって言い聞かせていたのに。


「ご、ごめんっ。ワイアット君……」


 泣いているハイネにワイアットはそっと寄り添い、両手を握って優しい顔を見せた。


「いいんですよ、ハイネさん。僕はハイネさんが好きだから、どんなあなたでも受け入れるつもりです」


 その優しさが更にハイネの涙を誘う。


「相談して、欲しかったっ! 別に記憶がなくても――私は構わなかったっ!」


「…………」


「キリ君のこと、好きなのにっ! 助けてもらって好きになのに!! 大嫌いだよ、って! もうっ、やだよぉ!!」


 ハイネがキリに対する質問とその心の叫びを聞いて、ワイアットはすべてを察した。


 キリはバグ・スパイダーにハイネの記憶を食われてしまったのだ、と。それを知るのは本人とハイネ、ハイチに自分である。だが、キリは彼女に記憶がないことを伝えていない。ハイチにしか伝えていない。


 ワイアットはキリのやり方に対する憤りを感じ取っていると、通りを駆け抜ける誰かがいた。その誰かは――。


「ハイネさん、ごめんなさい。ここで待っていてもらえますか?」


 ハイネは顔をぐしゃぐしゃにしながらも頷いた。ワイアットはそっと手を離すと、外へと駆け出す。


「デベッガさん!」


 ワイアットの呼びかけられて、立ち止まった。こちらに顔を向ける。薄くて青い目がこちらを見ていた。


「デベッガさん、ハイネさんに対する仕打ちはあまりにもひどいと思います! いくら記憶が失ったって……」


「じゃあ、お前はそれを本人に言えるか?」


 何かを察知したかのように、怪訝そうな表情でワイアットにそう言った。


「記憶のない本人に『あなたの記憶を失くしました』って言えるか?」


「そ、それは――」


「言いたいことわかるよ」


 吐き捨てると、エリアの中央付近から爆発音が轟いた。


「俺が言える立場じゃないことは理解しているよ。これ」


 言い返ないワイアットは黙っている。そんな彼を見て眉根を寄せてくる。


「……お前が一緒にいてあげれば?」


 それだけ言い残すと、エリアの西の方角へと走っていってしまう。その場に残されたワイアットは握り拳を作って、走り去る背中を睨みつけるのだった。

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