思考
のんびりと鼻歌を歌うアイリ。周りは誰もおらずして、ベンチに座って空を眺めていた。ここは校舎の中庭である。数日前から学校は異形生命体騒動で休校になったりとなっているのであった。
「能天気だな」
歌っている最中、後ろから声をかけてきたのはキリである。アイリは顔だけを振り返って「ごきげんよぅ」とあいさつをした。
「ようやく解放されたの?」
「うん。今がした帰ってきて、報告し終えてきたところ」
キリはアイリの隣に座った。
「この前、大変だったねぇ」
「ああ、マッドか。うん、俺もハイチさんも苦戦してたよ」
「噂に聞くマッドだからねぇ。ていうかさ、ずっと思っていたんだけど、あいつどこから侵入してきているのかなぁ?」
それもそうだな、とキリはあごに手を当てた。式典が終わってからも南地域に出没したりと。いつ、どこからやって来るのか想像もつかないのだ。ディースが黒の皇国軍とのつながりがある以上、拠点は皇国となるのだが――。
「国境沿いって、警備が強化されたんだよね? それに見回りをする軍隊も」
アイリの言う通りである。王国の防衛機関が強化された今、特に黒の皇国との行き来するのは安易ではない。双方とも厳しい出国入国検査があり、それをクリアするのは容易いことではなくなってきているのである。例を上げるならば、連絡手段の機器類の持ち出しや持ち込み禁止。本、紙や筆記用具、無地の服持ち出しや持ち込み禁止。護身用として所持する武器類も当然禁止であるのだ。
「そうだな。それでヴェフェハルさんもハイチさんも任務が増えたんだそうだ。今日もそうじゃないかな?」
「人員不足でしょ? 民兵は戦争が起きない限り、要請が入らないんだっけ?」
「だったと思う。でも、普通に生活している人にとっては迷惑な話じゃないか? いつ、攻めてくるかわからないのに。いや、もう来ているか」
「本当、どっから入ったんだろ」
キリは可能性がありそうなところを考えてみた。まず、青の王国と黒の皇国の国境沿いは陸も空も海も見張りが一番厳しい。
「……そう言えばさぁ。国の北の方、あそこ無人の国? 誰もいないっつーか、捨てられた国? とでも言えばいいの?」
「もしかして、『旧灰の帝国』か? そこは……越えられるか?」
キリの記憶通りであるならば、王国の北西に位置する旧灰帝国という、国民や国家も何もない捨てられた国が存在する。そこは一年の半数以上が雪山で覆われる寒帯地域なのであり、国の滅亡と共にどの国も引き取りたがらないという悲しき国なのだ。
「空からなら余裕でしょ?」
「いや、山じゃなくて。一応本軍の基地が国境近くにあるはずだよ。そう簡単に見られずに来れるもんか。見回りしている軍だっているのに」
「えぇ、じゃあどこなのよ」
「強いて言うなら海か?」
その答えにアイリは片眉を上げた。
「それは可能なの?」
「南地域に現れただろ。こっちに来たのもシエノ港町経由だとか、考えらえるし」
「んー? でもさぁ、海の方でも見張りはあるんだよねぇ? あやしい連中らがいたら、即座に囲まれるんじゃない? だったら、国内で拠点を築いていた方が効率いいよ。もしくは、軍の中に裏切り者でもいるかだねぇ」
その疑いをかけられているのはお前だ、とキリは言いたい気持ちを抑えつけていた。
しかし、マッド自体を作ったのは皇国軍とつながりのあるディースではあるし、どちらに転がり込んだとしても十分に可能性としてはありえる話だ。
「もし、拠点がこっちだったら、危険だねぇ。デベッガ君は戦ったって言っていたけど、非常時装備品じゃ傷一つもつけられっこないし」
「前にマッドを倒したときと同じように、あの歯車と似たやつを持ってるよ」
受け取った過去の歯車をポケットから取り出した。それをアイリに渡す。
「何これ」
「前夜祭に出たマッドと対峙したときに受け取った」
「……マッドから?」
「いや、ライアンが『お兄さん』っていう人から。んで、多分それ本物の過去の歯車」
その言葉にアイリは感嘆を上げると、まじまじと見ていた。自分がキリに渡した物よりも錆びは全くなく、上から降り注ぐ光に照らされてキラキラと輝いていた。
「へぇ、これはまた。ん? お兄さんって誰よ? メアリーって兄弟いないでしょ」
「俺もよくわからないよ。ただ、式典のときと同じように、俺を助けてくれた人」
「ふぅん」
納得したのか、納得していないのか。アイリは手に持っていた過去の歯車をキリに返した。受け取った彼はポケットへと仕舞い込む。
「じゃあ、その『お兄さん』はきみに何か言っていたの?」
「……カムラに愛されているって言われた」
そう言うキリはアイリの方を見た。彼女はどこか反応が薄い。
「へぇ。デベッガ君、キイとカムラのどちらの味方でもないって言っていたのにねぇ」
「うん、だから不思議だって思って。なあ、ハルマチってさ、カムラの従者か何か? じゃなきゃ、あれを俺に渡さないだろ」
「……別に従者じゃないけど。それがどうしたの?」
従者ではないならば、アイリは一体何者なのだろうか。おそらく、この本物という言い方としては断言できない。であるが、過去の歯車がカムラの力であるならば、彼女からもらった歯車の力の説明はどうなるのだろうか。
そもそも、アイリはなぜにこのような物を持っているのか。それを訊ねたとしても、きっと素直には答えてくれまい。「そんなの聞いているヒマがあれば、使いこなせ」とでも言い出してきそうだ。それならば――。
「じゃあ、別の質問として訊いていいか? ハルマチってさ、どこから来たんだ?」
アイリにそう言うと、彼女は片眉を上げて見てきた。そろそろ、エドワードたちの任務もきちんと遂行していかなければ、あやしまれてしまう。自分がアイリの方を持っているだなんて思われてしまえば、危険だ。自分自身としては中立的立場でいなければならないのだから。
「どこって王国の人間じゃないの」
「王国って言ったって、広いだろ。地域とか町の名前とかあるじゃないか」
「逆に訊くけど、訊いてどうするの」
こちらが質問をしているのに、逆に質問をされてしまった。その問いかけの答えをどう返そうか。
「い、いいだろ、別に訊いても。俺はハルマチのために動いているようなものだから」
「……うーん、それでも嘘つきはよくないよ」
その答えにキリはアイリにすべてを見透かされているのではないのだろうかと不安になった。それと同時にどこかはぐらかされている気がして――。
「教えてくれないのか」
「そうだねぇ、『嘘つき君』には教えてあげなぁい」
新たなあだ名をつけられた。嘘つき君と言われて腹が立ってしまうが、その気持ちを抑え込む。最初、セロは監視任務を見破られていたと言っていたが、自分はバレていないのかもしれない。なんて驕りを立てていたのかもしれない。だが、結局は自分もバレていた――否、遊ばれていたのかもしれない。
そう、自分とセロは遊ばれている。いいや、二人だけではない。ガズトロキルスもだ。自分たちが翻弄されるようなことを言い、考えることが苦手な彼を悩みに悩ませていたのもアイリだ。ここ最近、ぎこちない関係にさせたのも彼女だ。それについても問い質さなくては。
「ハルマチ、ガズに余計なことを吹き込んだろ」
「ははっ、気になって訊いたの?」
アイリは悪びれた様子もなく、キリの方を見て一笑した。
「ガズから言われたよ。ハルマチが近付くなって言っていたって」
「ふぅん、絶交でもした?」
「いいや、改めて友達になってくれって言われた」
キリがそう言うと、アイリは校舎の方を見た。彼女のその横顔は納得した様子ではある。
「いい友達だねぇ」
「ああ、ガズはいいやつさ。ハルマチと違ってな。だから、これだけは答えろ。どうしてあいつに変なことを言うんだ? それまでなかなか話せなかったし、ボールドウィンにも心配をかけていたみたいなんだぞ」
「うん? 友達思いってやつ? 青春だねぇ」
なぜか笑うアイリに苛立った様子で舌打ちをする。鋭い双眸が彼女を捉えていた。視線から何かを訴えているキリに対して、アイリも不機嫌そうな表情を見せた。一瞬にしてその場の空気が重たくなってしまう。
「デベッガ君はさぁ、あたしが気付いていないとでも思ってた?」
「は?」
「ザイツ君の記憶の改変。きみでしょ? したの」
アイリの指摘に心拍音は大きく響いた。いつの間にバレていたんだろうか。
「…………」
「言ったよね? 前に」
【きみは払うべきではない代償を払っている】
忘れていたのではない。やるべきではないと理解はしていた。ただ、怖くて――恐ろしくて――。
何も言えないキリにアイリは眉根を寄せた。
「誰にも覚えてもらいたくないわけ? 誰のことも覚えたくないわけ?」
「…………」
「あたしでも誰でもだけどさぁ、黙って済むとでも思ったの? ザイツ君の記憶から自分を消したんだよね? 元に戻るとでも思ってやったの?」
「……戻らないことくらい、知っているさ」
キリはアイリから視線を逸らしてそう言った。
「きみはそれでいいと思っているの?」
「……あいつが怖かったから消したんだよ。知らなかったふりをされたから怖かったんだ。それなら、最初からヴィンの記憶に俺がいない方がいいと思ったんだよ」
キリのその発言にアイリはベンチから立ち上がった。
「理解してんの? 誰かの記憶を失くして。今度はザイツ君の記憶からデベッガ君の存在を消して悲しいと思わないの?」
「悲しい、けど俺には選択肢なんてなかったんだよ」
アイリはキリの胸倉を掴み上げた。これに彼はたじろぎを隠せない。
「作れよ、バカヤロー! その場凌ぎでもいいから一度逃げて、考えればいいだけの話でしょ!? 妥協すんなっ!」
その叱責が癪に触ったのか、キリも立ち上がった。お互いの視線がぶつかり合う。
「お前に俺の気持ちなんてわかるもんかっ!」
「知らない、そんなの。だから、選択肢を作れって言っているでしょ。二度も言わせんなっ!」
「……ンなモン、作れって。切羽詰まった状況でどうしろっていうんだよっ!」
歯噛みするキリは悔しそうな表情を見せていた。そんな顔を見て、アイリは手を離した。そのまま彼はベンチに落ちるようにして座り込むと、頭を抱え出した。
「キンバーさんの記憶はあいつらに食われるわ、ヴィンからは所有権捨てて死ねって言われるわ……これがお前の立場だったらどうするんだよっ!」
「だから、知らない。そんなの」
見放されたようなその物言いに、目を丸くしてアイリを見た。
「それはデベッガ君が体験したことでしょ? それにあたしはあたし自身の気持ちしかわからないし、きみはきみ自身の気持ちしかわからない。人ってそうでしょ? 本心なんて、誰も知ったこっちゃない。知らない。誰も完璧に知らないんだからさぁ」
「…………」
「あのねぇ、あたしが怒っているのはデベッガ君自身が後先考えずに代償を払っているからなのっ。それだから、ガズ君が二の舞にならないようにしようとしただけ。いつか、きみが代償を払いかねない人だと思ったから」
アイリは屈んで、目線をキリに合わせた。
「デベッガ君がガズ君にどこまで話しているかは知らないけど、きみのすべてを受け入れてくれるならそれに越したことはないよ」
キリは小さく頷いた。あまり腑に落ちなさそうな表情であるが、少しばかりは納得しているようである。その顔色を見てアイリは安心すると、ベンチに座り直した。
「でも、一番の問題はハイネ先輩。聞いた? 前夜祭のこと……」
「ガズから。ガズもヴェフェハル先輩から聞いたって」
「マッドは消滅した、はずなんだよねぇ? 南地域じゃあ、あたしは単独行動をしていたし……」
「した。でも、雰囲気は何か違ってたし、あんな腕とか生えていなかった」
「他にいつもと違っていたことは?」
「ディースがいなかった。この前の脱獄した反軍のやつじゃなくて、別の誰かだった」
その言葉に反応したのか、アイリは詰め寄ってきた。
「そ、そいつ、どんなやつだった!?」
「えっ? 全身黒姿に仮面を被った礼儀正しい男だったよ。あいつがマッドを従えてた」
――あの男じゃない……?
あごに手を当ててアイリは思い出すのだった。
◇
「ねえ、あの子でしょ? 過去の歯車を持っているのって」
アイリの目と黒髪の男の目が合う。視線を外したらば、負けな気がした。
「過去の歯車?」
「そうそう。事実を書き変えれて、それの所有者は不死者になれるっていう夢のような代物。知っているでしょ」
「……悪いけど、それはあたし、知らない」
その答えに苛立ったのか。それは甚だ疑問ではあるが、男は踏み潰したアイリの連絡通信機を踏みにじっていく。壊れた画面や中の部品がぐちゃぐちゃになって、もう使い物にならなくなっていた。
「本当に知らない?」
「それはもちろん」
「まあいいか。その内、わかるでしょ」
黒髪の男はそう言うと、空き教室を出ていってしまった。一人残されたアイリはその潰された連絡通信端末機を拾い上げると、小さくため息をつくのだった。
「キイ教、ねぇ」
◇
マッドは反政府軍団員のディースから作り上げられた異形生命体。その派閥の反政府軍団は黒の皇国軍とつながりを持っている。そして、黒の皇国には国教が存在しており、それが――『キイ教』。
「…………」
じっとこちらを見てきて、何も言わないアイリが気になるのか「何?」とキリが訊ねてくる。
「こっちばっかり見て」
「うん」
一度周りを見渡した。今のところ、あやしい気配はないようである。そう確信をしたアイリは改めてキリの方を見た。
「いい? これだけは注意しおいて。キイ教の連中には気をつけてよ」
「知ってる。これ、あいつらに狙われているって、知り合いの人が言ってた」
「知り合い?」
「オハラさんっていう風刺画家の人。ハルマチ、『未来のコンパス』って知っているだろ?」
その問いかけにアイリは首を横に振る。知らないらしい。
「それと、俺が持っているのはキイ教の過激派ってのが狙っているらしいんだ。あの人が所有しているのはバレていて、ずっと逃げ回っているんだってさ」
「もし、デベッガ君が前夜祭で会った男にそれを見せていないならば、狙いに来ないと思うけど。見せていないよね?」
「いや、見られている」
もしも、仮面の男と自分が遭遇したあの黒髪の男につながりがあるならば、危険である。間違いなく、キリの過去の歯車は狙われるだろう。
「厄介だなぁ」
これらの出来事が重なり続けているが、偶然なのだろうか。アイリ自身が出会ったあの男もキリが見たというマッドを従える男も危険人物であることには変わりない。
「ハルマチ?」
考え込むアイリが気になったのか、キリは声をかけた。先ほどからの彼女の様子的に見ると、いつもの楽観的な人物とは違ってどこか思考的に見えるようだ。
「何?」
何かを考えてはいるが、返事はしてくれた。
「深く考えているみたいだけど?」
「あぁ、うん。いやね、誰もがそうだろうと思うけど。あの事件とか色々キイ教絡みであったんだし、気をつけなきゃなって思って」
「だよな。俺とオハラさんのやつって、下手すれば世界を取れそうな代物だもんな」
――だからなのか、それともただ単なる偶然なのか。
キリは雲一つない空を見上げた。中庭に流れ込んでくる風が不気味に冷たい。
――どうして、あいつは皇妃を殺したんだろう?
「デベッガ君?」
今度はキリ自身が思慮深くなってしまう。アイリが声をかけると「うん?」そうこちらを向いて応えてくれた。
「いや、今度はデベッガ君が考え込んじゃったみたいだから」
「ああ。なんでか、皇妃が可哀想だなって思ったから」
「なるほどね。そりゃ、息子に殺されたらね。皇帝もそうなるのかな?」
アイリのその発言にキリは耳を疑った。王国中で皇妃の死についてのニュースと同時に皇帝の病死についての記事もあったのだが――。彼女の発言からは「皇帝自身も皇子に殺された」と聞こえるのだ。
「どういうことだ?」
「皇子の話、聞いていなかった? あの人、自分が両親を殺しましたよって言っていたよ」
言ったのか? いや、そのようなことに聞き覚えがないぞ。
「まぁ、直接的ではないにしろ、それらしき物言いでは言っていたよ。覚えていないのも無理はないかもしれないけど」
「どうして、殺したんだろう?」
不思議とやるせない気持ちに陥る。この発散させるべき気持ちはどこへぶつければいいのだろうか。
「邪魔だったんでしょ。皇帝と皇妃の考えは本来のキイ教を国の教えとして、法律として考えていたんじゃないの? ただ、皇子が反政府軍団の連中らの思想に共感したか、それとも――」
不意に黙り込むアイリ。再び何かを考えているようだが、先ほどの雰囲気とは大幅に違っている気がした。今の彼女は話しかけるなというオーラが漂っているようである。
ややあって、アイリは「ないな」と独り言を呟く。
「ないって何が?」
逆に気になって仕方がないキリはそのこと訊いた。
「……あぁ、ごめん。もしかして、皇子が世界統一的野望を果たしたいのかな、って思ったけど。ありえそうでありえないよねぇ? だって、こっちにけんか売っている言い方していたし」
「可能性としてはありえなくもないと思うけど。いや、十分にありえるよ。だって、皇子自身が狙っているかは知らないけど、キイ教の過激派は俺とオハラさんの所有物を狙っているし」
それに、とキリは思う。現時点で彼自身が知っている腕なしがしていたあの仮面を装着していたのは、腕なし本人にハイン、そして今回の騒動を引き起こしたマッドの三人である。
「ハルマチ。腕なしは『キイ教側』の人間か?」
その質問にアイリは渋った表情を見せる。それはその通りでもあり、そうではないのどっちつかずと言ったところだろうか。
「た、多分は。あの怪物、だろうし。でも、反軍でもありえるかもしれない」
「わからないのか?」
「わからないというよりも、あたしってそこまで組織軍の根っこを見たことないもん。ただ、あたしが言えるのは、腕なしというやつはデベッガ君が地下闘技場で見たやつで間違いないから」
言葉に迷いがあるような気がした。アイリの言う確実な発言は本物の腕なしのことだ。
キリは二つの過去の歯車を手に取った。アイリのお願い。キイ教過激派の野望。いずれにせよ、どちらからも逃れられない。これから自分はどう行動すればよいのか。これから、彼女の言う通りに行動してもよいのか。とても不安になっていた。
その悩ましげな表情を見せていたキリを見て、アイリはそっと手を添えた。それに動揺する。
「えっ?」
「ずっと、そうみたいだけど、あまり深く考えちゃダメだよ」
「深く考えるなって、言われても……」
このような事態に陥っているのに、深く考えるなという方がどうかしているように思えた。
「そんなんだから、きみは代償を払う選択肢しかならないんだよ」
そう言うと、アイリは手を離した。どこか寂しい気がする。彼女は悩まずにすべてを受け入れろというのだろう。だが、キリはそのようにして現実的にありえないようなことを受け入れるのは難しい。彼は何もかも気にする人間なのである。
「じゃあ、俺が知りたいことを教えてくれよ」
「言ったじゃん、それを使いこなせるまでって」
「いつも、それだな」
「うん、そうだねぇ」
「……なあ、俺ってどこまで使いこなせていると思う?」
いつになっても教えてくれない。ならば、自分はどこまでアイリに認められているのだろうか。
「どこまで、ねぇ」
「うん」
答えが少しばかり怖い。全くと言われたならば、どうすればいいのだろう。
「……一割、二割くらいかな。ほとんどって言っていいほど」
「どうしたら、いいんだよ」
その言葉にアイリは錆びた方の過去の歯車を手に取って、それを剣へと変えた。改めてその剣を見てキリは美しいと思う。剣を帯びる淡い光は彼女を、そして自分を包み込もうとしていた。
アイリはその剣をキリに渡す。
「そういうの、気にしない方がいいんじゃないかな?」
「深く考えるなって?」
受け取った歯車の剣を見てアイリを見る。
「だから、言っているじゃん」
一瞬で剣は元の大きさの歯車に戻り、光も消え失せた。
「きみはあたしだけを信じていればいい。あたしのために腕なしを殺してくれたらばいい。ただ、それだけの話」
「あ、ああ」
キリに優しく微笑む。アイリを信じる、今の彼にはその選択肢しかないのであった。
◆
空と海の境目がわかりそうで、わからないくらいの場所。ふと反対方向を見れば欝蒼とした茂みがあり、その隙間からは無機質な建物が見えた。そう、キリが今いる場所は青の王国の南下に位置する孤島。この島に設置された施設は王国軍の物。彼がこの場所にいるのはヴァーチャル内でサバイバル・シミュレーションをしに行くため。それ専用の機器は島の中にある施設に設置されていた。
「……綺麗なところだな」
この青色の美しい景色を見つめていれば、すべてをなかったことにできそうなくらい感服するのだった。
白い砂の上を歩く。
ああ、嫌なことを忘れられそうだ。
波の音が心地良い。少し遠くから木々がざわついている。風もささやいて――「いぇええええいぃぃい!!」
一人感傷に浸っていたところをハイテンションなガズトロキルスとアイリに背中を押されて、海の方へとキリは顔面を突っ込むのだった。
◆
砂利浜にある巨大な岩に座るのはハイチとセロだ。彼らは遠くに浮かんでいる商船をぼんやりと眺めていた。
「平和だなぁ」
欠伸をするハイチ。それを見てセロは小さく笑った。それに釈然としないのか、彼は口を尖らせる。
「なんで笑ってんだよ」
「いや、ハイチだから」
「それはどう考えてもおかしいだろ! 俺、何かおかしなことしましたぁ!?」
こんなくだらないやり取りをしていて、セロはまた吹き出す。ああ、もしここにハイネもいたらみんなで大爆笑をしていただろうな、と。今、彼女はどんな調子だろうか。ここ数日はろくに話していない。明日からゲームが始まるのに。最後に会ったのはこの島に来る前の船内か。そのときは無理したような笑顔を見せていた。前夜祭のことはもう気にしていないと言っていたが――。
「なあ、ハイチ。ここ最近、ハイネには会ったか?」
「空元気は見せてくれてはいるがな。やっぱりショックだったんだろ。もちろん、俺もショックだ。次、野郎を見たときはただじゃおかねぇ」
その意見に反対するのではないのだが、ハイチの方から憤りさを感じるオーラが尋常なく大きく、セロは仰け反ってまった。
「あ、ああ、それは俺もだよ」
同じような意志を見せつつ、胸ポケットから一枚の紙を取り出してそれを広げた。そこに書かれていたのはお世辞にも巧いとは言いがたい似顔絵が描かれていたのである。
「で、これがデベッガに似た異形生命体と一緒にいた男だって?」
描かれた似顔絵の顔の中はさながら小さな子どもが描くような笑顔である。特徴性のない、それを見てセロは苦笑いをせざるを得ない。
「おうよ、見つけ次第連絡くれ。俺が捕まえる。もしくはお前が捕まえておくことだ」
「いや、協力するけどよ」
果たして、この似顔絵だけで判別できるだろうか。
――これ、ハイチが描いたんだろうな。
「俺、ハイネには幸せになってもらいたいんだよ」
「…………」
「だから許せねぇんだよ」
似顔絵の紙を折りたたんで胸ポケットに仕舞い込むと、海の方を見た。すでに商船はいなくなっている。セロはハイチの方を瞥見した。彼は膝を立てて虚空を見つめていた。服と手袋の隙間から見えるのは赤い手――火傷のあと。
「ハイチ、お前さ――」
セロがハイチに何かを言おうとしたときだった。彼の背中へと仰向けになって倒れてくるキリ。その後ろにはガズトロキルスとアイリが。彼らはそのまま、石浜の上へと叫び声を上げながら転がり落ちていった。
「ハイチ!?」
「何すんだ、お前ら!!」
こめかみに青筋を立てるハイチは背中の上に圧しかかっている三人に怒鳴り込んだ。キリだけは慌てて起き上がろうとするが、上の二人が乗っており、起き上がれない。しかし、そんなことなどお構いなしに三人を退けた。彼らは雪崩込むようにして地面に落ちていく。
「痛いですっ!」
「痛いのは俺の方だよ! 早く退いてくれっ!」
こちらとも青筋を立てるキリ。何やら大変だな、とセロは苦笑いしながらその場に座って彼らを傍観する。
「でも、実際にぃ? 痛いのは、今だけぇ? みたいな」
「だから、今痛いから退けってのにっ!」
キリもまた強引に上の二人を退かした。その場で座り込んでため息をつく。それにつられてハイチもため息をついた。
「つーか、お前らなにしていたんだよ。妙にシリアスな雰囲気を壊しやがって。いや、別に壊してもよかったけどよ」
「いえ、このばかどもに海へと投げ飛ばされそうになったから、逃げていたんですけど」
「いやいや、キリよ。海だぞ海。これは飛び込みせざるを得ないだろ」
「そう! 海と言ったら水、水と言ったら――飛び込みせざるを得ないでしょ」
「いや、ガズのもそうだけど、ハルマチが一番理解しがたい理由だから。もはや、それはこじつけだろ」
アイリに対してそんなツッコミを入れると、立ち上がってハイチとセロに頭を下げた。
「突然すみませんでした」
その直後、ハイチの返事すら聞かせずして、ガズトロキルスはキリを小脇に抱え出し――。
「よっしゃぁあ! あっちの方に波止場があっただろ、波止場!」
悲鳴を上げるキリ。それに構わず波止場の方へと直行。その後に続いてアイリもどこか楽しげにそちらの方へと行ってしまった。嵐が来て、去って行ってしまった状況に地面に座っていたハイチがようやく立ち上がる。
これまで黙っていたセロが口を開いた。
「楽しそうだな」
「に、見えるお前がおかしいと俺は思うわ」
◆
ほとんど身動きが取れないキリは手足をバタバタさせて逃れようとしているのだが、これまた逃げられる隙がない。そして、波止場の方へとやって来た三人はそのまま勢いよく海へとダイヴした。その姿を通りかかっていたメアリーとマティルダは目を丸くして唖然とする。
あまりにもびっくりしたのか、彼女たちが駆けつける。三人は水面へと浮上してきた。キリは咳き込みながらガズトロキルスを睨みつける。
「スッキリしただろ?」
「するかっ! 心臓に悪いわ!」
「そんな気にしなぁい、気にしなぁい。あっ、メアリーたちだ。おーい!」
アイリが二人に手を振る。キリとガズトロキルスもそちらの方を見た。
「ガズ様!」
マティルダがガズトロキルスに向かって、はにかみながら小さく手を振った。それに応えるように彼も返すかと思いきや、返事はせずして軽い反応だけを見せていた。そこにどこが疑問を感じ取るキリは彼女たちの方をもう一度見る。メアリーが小さく手を振っていた。
「みんな、大丈夫?」
「なんとかな」
「あちらの方から上がられるといいですわ」
マティルダが指差す先には坂になっている岸が見えた。三人はそちらまで泳いでいき、濡れた訓練用制服を絞って水気を落とす。二人はそちらへと駆け寄ってくる。
「お風邪を引きますし、宿泊所の方へ……」
「ん、ああ。そうだな」
「ご、ごめんね。タオル持っていなくて」
「仕方なぁい、仕方なぁい。だから、もう一回入っとく?」
そうアイリは笑いながら言った。それにガズトロキルスも賛同するが、キリだけは否定する。何を言うか。
「行くならお前らだけ行け。俺はもう戻る」
一足先に宿泊施設の方へと行こうとするが、ガズトロキルスがキリを海の方へと放り込んだ。
「デベッガ君!?」
唐突さにメアリーは瞠目していた。
「はっはっはっ。せっかく授業も任務もないんだ。遊ぼうぜ」
「だからって、こんな仕打ちあるかっ!」
勢いよく怒鳴るキリ。どうやら浅瀬だったようで、足が底に着いているようだった。歩きづらそうに彼らのもとへと上がってくると、びしょ濡れの二人にお返しのつもりらしい。肩に手をかけて海の中へと道連れにした。
「ゲボッ! 鼻に入ったっ!」
「俺も入っているし、いいだろ」
「あたしも。ねぇ、メアリーたちも入りなよ。意外と楽しいよぉ」
浅瀬の場所に座り込んでアイリは遠目で困惑した様子の二人にも誘いをかける。彼女たちは顔を見合わせた。
「い、行ってみる……?」
メアリーは行きたそうにしている。だが、マティルダはそれを許さない。なぜって、彼女は王族だから。学徒隊員しかいない島であろうとも、それは――。
「流石にダメです」
駄目だとはっきり言われてしまったメアリーは三人を羨ましそうな表情で見ているものだから、マティルダはどことなく申し訳なさそうにしていた。
しかしながら、そんな少しばかりの暗い表情を一変させる出来事が起きた。それはアイリが二人に対して海水をかけてきたからだ。メアリーにはあまりかからなかったものの、マティルダには頭から大量の水を被ってしまったのだ。
「なっ、何をするんですの!?」
またアイリが余計なことをした、とキリは頭を抱え出す。彼女にとっては冗談のつもりでしたのかもしれないが、マティルダにとっては嫌がらせのなにものでもないのに。
二人の意地の張り合いが呆れるほど長く続くのだろう。なんて呆れそうになるも、アイリは笑っていた。
「せっかく自由時間なんだからさぁ、遊ぼうよぅ。今はゲームも何もしていないんだし」
「ま、マティ」
メアリーは海の中に入りたそうにしている。そのような状況でキリはガズトロキルスの方を見た。おそらく、彼が誘えばマティルダも入るかもしれない。そう思っていた。だが、ガズトロキルスはどこか浮かない表情でその場に座り込んでいた。何を考えているのだろうか?
「ガズ?」
「んぉ? ああ、そうだよな。二人も遊ぼうぜ」
キリの声で我に戻ったようにしてガズトロキルスは彼女たちを誘った。メアリーはそわそわとマティルダを見る。
「し、仕方ありませんわね!」
やはり、ガズトロキルスが声をかければ、マティルダは考えを切り替えてしまうようだ。
「ですが、ここでは危ないのであちらの方に浜辺がありましたのでそちらに行きましょう」
マティルダのその言葉に三人は上へと上がってきて、砂浜へと向かうことに。
服や靴のまま海に入ったからすごく気持ち悪いな。そうキリは歩きながら靴に入った水を落としていた。そんな彼のもとへとメアリーが寄ってくる。
「びしょ濡れだね」
「ああ。一応干しておくけど、半日で乾くかな?」
どうも普通に話してきている時点で、前夜祭のことを気にしていないようである。いや、そこで終わりというのもどうかしている。少なくともメアリーにとっては恐怖心の塊でしかないのだ。外見が似ている自分にデジャヴを感じているはず。
キリが神妙な面持ちをしていると、見かねたアイリが指で彼の背中を押してきた。
「深く考えない」
アイリの方を見た。彼女はじっとこちらを見てくる。
「デベッガ君はデベッガ君。あいつはあいつでしょ? また見たら動けばいい。守ってあげればいい」
二人の会話にメアリーも察しいたのか「大丈夫だよ」と言う。
「確かにあの人は怖いよ。デベッガ君に似ているからね。だけれども、二人とは離れたくない。だから、一緒にいたいよ」
「ライアン……」
「そういうことだね」
メアリーの本音を聞いてアイリも安心したのか、キリにいたずらを仕掛けてくる。彼の脱いだ靴を奪い取った。
「ということで、遊ぼうか」
「うーん、俺の靴を取って何をするつもりだろうか」
「知ってた? 浜辺の砂って吸収力が強いんだってこと」
「初耳だし、させるかっ!」
何をしたいのか、言動でわかった。理解したとき、すでにアイリはキリの靴を手にして砂浜の方へと下りていっている。慌てて追いかける彼に、その後を楽しそうに着いていくメアリー。だが、彼女は後ろの方を振り返った。後から着いてくる二人の距離はどこかぎこちなさがあったものの、先に行っている彼らに呼ばれてメアリーは行くのだった。
◆
ここ最近、ガズトロキルスが自分を嫌っているのではないかと思うくらい距離を置かれている気がする。前は彼の名前を呼ぶ度に嬉しそうな表情を見せていたし、こちらへ呼び返してくれた。何があったのだろうか。
「何か、ありましたか?」
気になるからずっと訊いている質問。好きな人だから思う。ずっと一緒にいたい気持ちから心配の表れ。どんなに訊いても「何でもない」と答えてくれてはいるが――。
――頼って欲しいものですわ。
単純に恋に落ちたことに、ケイからからかわれたりもしたが、それでもガズトロキルスが好きなのだ。彼はずっと見てきた異性とはどこか違う気がして。直感的にああ、この人だって――。
貴族が一般市民へ恋に落ちるなんておかしいとは知っている。それでも、特に気にしなかったが――。
【マティルダ、お前はボールドウィン家の将来を考えて行動しろ】
休校時、家に帰ったときに父親に言われた言葉。
「マティ? 海に行くんじゃないのか?」
ふと、ガズトロキルスにそう言われたマティルダ。いつの間にか浜辺を通り過ぎようとしていた。
「行きますわ!」
マティルダが砂浜へ下りようとしたとき、すっと手を差し伸べてくれた。それが嬉しくて、思わず頬が緩んでしまう。
「なあ、マティ」
「はい、ガズ様」
「……あいつらのところに混ざってこようぜ」
「ええ!」
波打ち際にいる三人のもとへと向かう二人を遠くからケイとヴィンが眺めていた。
「いやぁ、青春ですなぁ」
カメラにばっちりと写真を収めるヴィンを見て、ケイはポケットから過去の歯車を取り出した。これはキリから預かっていた物だ。持ち主を知らないか、と。知っているから受け取った物。それを横目で彼は見た。
「デベッガ君、だっけ? 彼も似たような物持っているよね」
「なんで知っている?」
「そりゃね、私の記憶を書き変えた本人だからだろう?」
「書き変え……?」
ヴィンが胸ポケットから取り出した物、それは一枚の絵だった。その絵に描かれている人物はヴィンに似ている。その絵の裏には何やらメモ書きがあった。
「昔知り合いからもらった絵さ。この絵の謎を解読するためにあちこちから情報を集めたものだ」
「だから、情報収集が得意だったのか。でも、それとお前の言う記憶の書き変えって?」
「私の言う通りさ。彼が持つ過去の歯車で、私の記憶を書き変えた。いや、そうせざる状況だったんだろう。どうしてそうなったのかは私自身もよくわからない」
ヴィンはカメラに目線を落とした。
「悪い。ザイツの言っている意味がわからないし、何を言っているんだ? 記憶を書き変えるって、おかしな話だろうが」
「そうかい?」
ヴィンはケイに一枚の写真と、持っていた絵を渡した。その写真の裏にもメモ書きがある。
「ある人から私の記憶が改ざんされるって、言われたことがあるんだ。内容はまで言わなかったけど、そのときにその絵をもらったのがヒントだって思っている」
絵の裏には『キリ・デベッガに記憶を変えられる』とつたない文章があった。
「この写真に写っているのが、絵に対する答えか」
「みたいだね。詳しく載っているんじゃないかな? ついでに記憶の改ざんを取り消す方法も」
写真には一冊の古い本が。あまりにも古過ぎて、表紙が破けそうである。そしてその裏側には『第六章 二十三節にて』と書かれている。
「だけど、その本は王国立図書館にしかないらしくて。おまけにこの前処分したって言われたんだよね。探しに行ったときに」
「これ、キイ教の教典じゃないのか? 教典なら学校の図書館でも腐るほど――」
「いいや、それはカムラ教の教典だね。だから、ないのも同然。カムラ教徒も隠れ教だから、見つからないし、仮に見つけたとしても見せてくれないと思う」
「じゃあ、ザイツはこのまま記憶を改ざんされたままってことか?」
「そうなるね」
結構な問題なのにヴィンは笑っていた。
「でもね、その教典のコピーは取っていたんだ。その部分だけ。でも、どこへ置いたのかすらわからないんだ」
そう言うヴィンにケイはしかめっ面を見せた。あまりいい顔をしていない様子である。
「呑気だな」
「そうかい? これでも焦っているんだよね。何を、どんな記憶を改ざんしたのかさえわからないし。これは直感だけど、本人には訊かない方がいいと思ってね。また変えられたらとんでもない」
まさか、とは思った。だが、ありえなくはない話。地下博奕闘技場での出来事。建国記念式典の際における異形生命体の討伐。
キリは噂ながら周りの貴族たちからはあやしまれている事実もある。どのような手を使って異形生命体に打ち勝ったのか。だが、それは彼だけに限った話だけではないのだ。もう一人のあのバケモノの討伐功績者――ハイチだ。
異形生命体に一人の人間だけが太刀打ちできるほどの存在ではない。それは誰もが知っている話。
「どうかしたのかい? 団長」
「ああ、いや。スタンリーだったか、いきなり知らない人から盗られていたのは」
「だね、確か。そう言えば、あの人、フォスレター団長君に似ていたね」
二人は宿泊施設にいるであろうターネラのもとへと向かうため、歩き出す。
「俺は姫様に似ているとは思ったが、言われてみればそれもそうだな」
「ははっ、三銃士軍団の団長三人と姫様は幼馴染なんだろう? いいな、羨ましい」
「えっ……」
ヴィンの発言に、ケイは立ち止まった。それにどこか神妙な面持ちである彼の顔写真を一枚撮る。勝手に撮っただけでいつもは怒られるはずなのに、怒られなかった。
「団長? 顔色悪い気がするけど、大丈夫かい?」
「ざ、ザイツには、幼馴染はいるのか?」
「いや、いないな。小さい頃遊んだ友達とかはいたが、住人の出入りの激しい村だったし、小さい頃からの友人はいないよ」
キリとの関係は? ケイはそのことを口にしたかったが、言えやしない。このもどかしさは一体なんなのか。
【あいつの落とし穴に対するヴァリエーション舐めんな!】
昔から二人は互いを知っていると思っていた。幼馴染だと思っていた。じゃなきゃ、キリはあんなことを言ったりしない。
と、ここで可能性でもなんでもない、確実的な一つの結論がケイの頭の中に辿り着いた。
ヴィンの記憶が改ざんされたその記憶の正体は――キリ自身の記憶。それがただ、書き変えただけか、それともまるごと自分の存在を消したのか。
これは言うべきか。ヴィンに何かを言おうとするケイであるが、口を噤む。言ったところで、彼はどう行動を取るのだろうと不安になったのだ。いや、キリに対して恐怖心でもある気がした。
そうこう歩いている内に、ケイにとっての答えが出ないまま、宿泊施設へと戻ってきた。そこから、ターネラを呼び出す。
「お、遅れてすみません!」
慌ててきたのか、汗だくなターネラ。早速ケイは彼女に過去の歯車を見せた。
「これ、デベッガが拾ったって。スタンリーのだよな? この前、知らない男から取られていただろう?」
「あっ! ありがとうございます! でも、なんであの男の人、私の実家から取ってきたんだろう?」
ターネラのその言葉に二人は顔を見合わせる。どういうことだ?
「す、スタンリーが持っていた物じゃないのか?」
「いえ。これ、家に代々伝わる家宝みたいな物です」
ますます、謎が増えた。ヴィンの記憶改ざんに、人の家宝を強奪するワイアットにもメアリーにも似た男。
一体、自分たちの身に何が起きているんだろうか。
◆
嘘をついてしまった自分が嫌いだ、とハイネは島の中にある舗装された道を歩いていた。僅かながら遠くから楽しそうな声が聞こえてくる。その楽しそうな声に自分も交ざりたいと思っていた。だが、行く気はない。
【大嫌いだ】
ずっと、キリの姿に扮した異形生命体の声が頭をぐるぐる混ざり回る。あれが本物の彼ではないとわかっているのに。あれがキリの本音ではないとわかっているのに。
すごく悔しい、すごく悲しい。
【大嫌いだ】
あの日以来からキリは自分のもとへと来てくれない。いや、こちらの物言いが悪いんだ。あんな言い方じゃ、嫌われて当然。そう思ってくると、自然と目に涙が溜まってくる。
「大丈夫ですか?」
いつの間にか、目の前には心配そうな顔付きでハイネにハンカチを差し出すワイアットがいた。彼の優しさがそれ以上に自分の心を刺激してくるものだから、余計に涙があふれ出てくる。
「ありがとう」
「僕でよかったら、お話を聞きますよ」
「嬉しい、ありがとう。でも、話したら、話したでまた泣いちゃうから……」
「そうですか」
どこか寂しそうなワイアットにハイネは心が痛んだ気がした。これでよかったのだろうか、と。いや、これでいいのだ。これは自分自身の問題。彼には全く無関係の話。
「……でも、少しだけ一緒に歩かない?」
ワイアットが嫌いではない。むしろ、好感ある少年だ。ハイネの誘いに彼は嬉しそうに返事をした。二人はそのまま道なりに歩いていく。このまま歩いていけば、浜辺に出る道だ。
「い、いやぁ。明日から始まりますね!」
何か話題を、と模索し始めるワイアット。黙っているだけだと自分たちの沈黙の空気が重たいと感じているからである。
「そうだね。ワイアット君はハイチと同じチームだったよね」
「ええ、まあ。作戦とか考えるの大変でしたけどね」
あの後、彼ら――ハイチのチームはもう一度集まったのだ。そして、おふざけ一切なしの状態で作戦を立てていた。もっともとして、ケイが怖かったからということもあるのだが。
そのことをハイネに言うと、彼女は面白かったらしい。笑ってくれた。笑顔を見せてくれたのだ。
「ハイチだもん。ごめんね、基本的に頭使って考えるの苦手だから」
「いえ、僕は面白かったですよ。ケイさんのあの怒りようは勘弁ですが」
空笑いをするワイアットに、ハイネは声に出して笑った。これは作り笑いではない、本物の笑顔だ。それを見るだけでとても嬉しく思う。
「何それ、私も見たかったなぁ」
「ははっ、その場にハイネさんがいたら、ケイさんと同様に怒っていたのかもしれませんね」
「ふふっ、かもね」
道を歩いていると、欝蒼としたジャングルから海辺が開けた。透明な薄青色の海を見て、急激にキリを――マッドを思い出す。
【大嫌いだよ】
本意ではないとは理解しているはずだった。ハイチやセロ、ワイアットが憂う自分を元気付けてくれていることも知っていた。だから、早く忘れなければ、と。
あの目、あの言葉。あまりにも恐ろしく、悔しく――彼女はその場に座り込んでしまった。足が震えて、腰が抜けてしまっている。
「ハイネさん!?」
ワイアットに声をかけてもらっているのに、声が出ない。海を見るのが怖い。どうしてだろう。船の上で見たときは平気だったのに。どうして?
「も、戻りましょう!」
ハイネを抱きかかえようとしたとき、ハイチとセロに遭遇した。状況を見て、察したのか彼女を抱きかかえると、何も言わずして宿泊施設へと戻ろうとする。
「お、お義兄さん」
ハイチをワイアットは呼び止める。その場に立ち止まった。こちらには振り返らない。
「ハイネが迷惑をかけたな」
それだけを言うと、その場を立ち去ってしまった。セロはワイアットを一瞥しただけで、ハイチの後を追う。その場に残されたワイアットは海辺の方を見るのだった。
浜辺の方では裸足で駆けるキリとアイリ、ガズトロキルスの姿があった。




