動転
寮のラウンジにいるキリがぼんやりと眺めるのは連絡通信端末機である。画面上にはハイネの記憶回収率を表示しているアプリだ。現在の回収状況は十二パーセント。なかなか集まらないそんな状況。昨日のハイチの言葉が胸に刺さる。
【もうハイネに関わらないでくれ】
身近な人の記憶が、幼馴染の自分に対する記憶が失っていく。それを望んだのも自分に責任があるとは自覚しているのだが――。
「嫌になる」
ぼそっと独り言を言うキリのもとへメアリーはやって来た。
「で、デベッガ君! 遅れてごめん!」
先に来ていると思っていなかったらしい。メアリーは急ぎ足で息を切らしていた。彼女が駆け寄ってくると、キリは立ち上がって「待っていないよ」と落ち着かせる。
「それに今日は時間がいっぱいあるし。行くところは隣の町でいいかな?」
「楽しい場所?」
「うーん。というか、俺とガズがよくお昼とかを食べに行ったりするところかな。要は多少の贅沢ってところ」
メアリーに「行こうか」と促すと、ラウンジを後にした。校内にある公共ターミナルへと向かう二人と入れ違うようにして、連絡通信端末機を弄るガズトロキルスが現れる。彼はどこか困り果てた様子でソファに腰かけた。
「みんな予定あるのかぁ」
落ち込みを見せるガズトロキルスの前に、これまた彼同様に連絡通信端末機を弄りながらアイリが現れた。彼の暗い表情に気付く。
「あれぇ? どうしたの。珍しい」
アイリのその声に顔を上げた。そして、すぐさま彼女のもとへと行き、両手を握ってきた。えっ? 何? なんなの?
「ハルマチ! 半日だけでいいから俺の恋人になってくれっ!」
「はぁ!?」
◆
隣の町行きの便が来るまでキリとメアリーは時刻表のところにいた。
「そう言えば、気になることが一つだけあるんだけど」
ベンチに座り込むメアリーに言った。彼女は地面に足が着かない高さのベンチを利用して、足をプラプラとさせている。髪を結わえている青いリボンが気になるのか、先を弄っていた。
「ライアンとハルマチって、どこからどのようにして仲良くなったんだ?」
よくよく考えてみれば、とキリは思う。二人の身分は歴然としているのだ。メアリーは王族、アイリは一般庶民。そんな彼女たちが友人に、そして寮部屋の同室に至るまでになったのか。気にかかるのだった。
「あっ、えっとね、最初は二日間だけ同室の予定だったの。私の部屋のシャワー室が壊れちゃって。そこで管理の人に、二人部屋を一人で使っているからその人の部屋を使わせてもらってって。それがアイリの部屋だったの」
「最初はどっちも一人だったのか?」
「うん、最初は。ちょっと怖い感じの人だったけど、話してみるといい人だなって思って」
どうやらアイリの第一印象を怖い人と見ていたらしい。だが、メアリーのその言い分はわからなくもない。どこも掴み処がなく、とんでもない現行を図る人物だからである。実際にキリ自身も反政府軍団員制圧作戦時に彼女と対面して、そう感じたのは記憶にあった。
「ああ、わかる気がする。もしかして、変な冗談でも言ったりしたのか?」
「うーん、言ってたかも。でも、そっちより、私が王族だと知っていても特別扱いしなかったことかな。大抵のみんな、私には改まった言い方ばかりするから。だから、私はアイリやデベッガ君たちと一緒にいると、気楽でいられるから好きだよ。もちろん、マティたちも好きだけど」
「俺も。ライアンが俺のことを他のみんなが思っているようなことを言わなかったから。すごく嬉しかった」
それこそ最近では滅多に『戦力外』だなんて呼ばれることもなくなりつつある。だが、まだキリの功績を認めたくない者たち――特に三銃士軍団以外の貴族たちは皮肉を込めて言うことはあったりするのだ。
「そう言えば、デベッガ君はオブリクス君と同室なんだよね?」
「いいや? 俺もガズも最初は一人部屋だったよ。男子寮棟は部屋が余りまくっていたからな。どこぞの貴族はそれを利用して、部屋と部屋の壁に穴を空けて一つの部屋に改造していたみたいだけど」
「それはケイ君かな?」
「じゃ……ない。うん、あいつは最上階に一人部屋じゃなかったか? 確か」
ヴィンが言っていた気がするが、もう口に出さない。彼から聞いた情報が多過ぎて、誰から聞いたのかと訊かれても、一番困る話であるからだ。
「あっ、じゃあ別の誰かなんだね」
「うん、穴開けたやつは金富財褒章の家のやつだったと思うけど。大抵の貴族の人って金持ちだよな。当たり前だけど」
「……ごめんね、みんなからもらった税金は無駄にしないようにするつもりだから」
その発言はタヴーだったのか、メアリーは足をプラプラすることを止めて、どこか遠い目をしてそう言った。下手なことを言うべきではなかった、とキリは後悔する。そして、なぜか思い出す動物園での母親たちの台詞。
「違法博奕のことがあってから、デモ運動が起きたりすることもあるみたいだし」
「あっ、いや……元はと言えばさ、あんな危なっかしいところを作った企業が悪いんだし!」
段々と暗い方向へと行ってしまいそうなメアリーを引き留めるように、フォローに入る。これから彼女に楽しんでもらおうとするはずが、このようにして暗い気持ちで行かせたくなかったのだ。
「そ、それに、王様も貴族政治家たちも国民のために色々と政策も考えてくれているじゃん! 聞けば、公務時間が長いらしいじゃん! 俺、王様のこと尊敬しているよ!」
「ありがとう……」
なんとか悪い方向へと進まなくてよかったのか。ひとまず、メアリーの表情は少しだけ明るくなった。これにキリが一安心していると、隣の町行きの便が到着する。ようやくと言っていいほどだ。彼は心の奥底で「遅い」と業を煮やしていた。
◆
「あぁ、そういうことかぁ」
アイリとガズトロキルスは隣の町行き便に乗り込んで揺れられていた。車内には運転手以外は誰もいない。ある意味で貸切状態だ。
「流石は食い意地の張ったガズ君だね。まさか、カップル限定の物を食べるためだけにあたしをデートに誘うとは」
「マティは家の用事だって言うし、ハイネさんは任務中だし。って、俺女子の知り合い少ない! いや、つーか、ハルマチたちとの連絡交換をしていなかったことが原因だよ! 実況用では知っているけど、全然関係ないし」
「じゃあ、ついでにメアリーの分の連絡先も登録しておく?」
「おう、そうだな」
ガズトロキルスはそう肯定的になり、連絡通信端末機を取り出そうとするが、止めた。急に止めたことが気になるアイリは「どうしたの?」と声をかける。それに彼は首を横に振った。
「やっぱりいい。いくらライアンだとしても、なんか恐れ多い気がするから」
「あぁ、王族に躊躇してしまうみたいな?」
「そうそう。いや、一緒にいるのとかはいいんだけど、流石に一介の市民が王女の連絡先を知るっていうのもなぁって思って」
「ふぅん。そう言えば、一緒で思い出したけど。ガズ君ってデベッガ君と一緒にいるイメージが強いけど、ザイツ君みたいに昔から仲良かったの?」
アイリ自身も連絡通信端末機をポケットに仕舞い込んでガズトロキルスにそう訊いてみた。しかし、彼は首を横に振る。これにびっくりしたような表情を見せた。
「仲って悪かったの?」
「うん」
「えぇ!? 意外……」
「えっと、本当はな。キリとハルマチがけんかしたときな。あれって俺が言える立場じゃなかったんだよな。正直怖かったよ。キリに何か言われるんじゃないかって。結局何も言ってこなかったけどさ」
あれは痛かった、とアイリは今でも痛みは忘れていないようで、自身の額をなでた。
「想像がつかないんだけど」
「そうか。じゃあ、教えてやる。シルヴェスターがキリに対して色々言っていたの、知っているか? 学校辞めろとか」
「あぁ、うん」
あれはキリが歯車を手にし始めた頃だ。一緒にいる自分にも気にすることはなく、散々と彼を罵っていた。今となってはそういう傾向は見られないが。
「あいつは本当に口だけだったんだ。手出しは全くしていない」
だから、言い返すことができたのか。しかし、ケイはただの貴族ではない。王族に仕える上流貴族のご子息だ。父親は海軍部統括長。母親は陸軍部統括副長。完全な軍人貴族。それをアイリはメアリーから聞き覚えがあった。冷静に考えると、キリはとんでもない人物にけんかを吹っ掛けていたことになる。いくら軍人はみな対等だとしても――。
――あんまり考えたくないなぁ。
「……ガズ君はデベッガ君に構って欲しかったの?」
話題を変えるようにして、アイリはそう訊ねた。
「いいや? 本当、なんでこんなに仲良くなったんだろうな?」
アイリは『キリの過去』のことなんて全く知らないが、ここまでそうだったとは思ってもいなかった。彼女から見れば、周りから期待されない人物というイメージだったのだが――今では大違い。
「でも、キリはもう気にしていないらしいんだよな」
「そうなんだ」
「おっ、ハルマチ。これ、見てみろよ。カップル限定メニュー」
ガズトロキルスはあまり昔のことを話したがらないのか、連絡通信端末機を取り出してお目当の画像を見せてくる。アイリはその画像を覗き込むと、苦笑いをした。
「何これぇ。赤いし、ピンクばっかり!」
「カップル限定メニューだからな」
「美味しいのかなぁ?」
「知らないけど、チャレンジしてみたいな」
◆
『カップル限定・大食いチャレンジ!』
町中を歩いていたメアリーの目に留まったのは、そう書かれたポスターであった。そのポスターにはイメージ写真として赤とピンクの色の食材を使用した料理である。ここから見える店内にはチャレンジをしようとする者は見当たらない。
「どうしたか、ライアン」
じっと店を見ているメアリーにキリも例のポスターの存在に目が止まった。
「……すごいな」
「オブリクス君がチャレンジしたがりそう」
「そうだな。ボールドウィンでも誘っていきそうだ。これ、必ずしも二人がチャレンジじゃなさそうだしな」
「だね。行こうか」
そう促され、二人は大通りの方へと向かった。行く先は前にディースとケーキを食べたところとはまた違うケーキ屋だ。メアリーがケーキを食べたいと言っていたからである。
「ライアンってケーキ、好きなんだな。俺も好きだけどさ」
「うん、好きって言うか。作ってみたいなって思って。それの参考にするために食べたいって感じかな」
その発言にキリは硬直した。またあのとんでも料理を食べなければならない日が近付いてくるだなんて。冷や汗を垂らしながも「作るの?」と訊ねてみた。すると、メアリーから恐ろしい答えが返ってきた。
「デベッガ君もみんなもケーキ好きだもんね。もちろん! 楽しみに待っていてね!」
メアリーに料理製作有無を訊くのが間違いだったらしい。ケーキ作り事項決定の瞬間であった。現実を突きつけられて彼女にはわからないようにため息をつく。そんなキリの絶望感あふれる様子に気付かないメアリー。その代わりと言ってはなんだが、彼女の鼻に香ばしい香りが漂ってきた。この美味しそうなにおいはどこから来ているのだろうか。
そうして周りを見渡すメアリーにキリは気付いた。
「どうしたの?」
「うん、いいにおいがするから」
「におい? ああ、こっちだよ」
キリの鼻にも漂ってくる美味しそうなにおい。メアリーをその香ばしい香りの元の場所へと連れて行った。
大通りから少し外れた広場には屋台が立ち並び、中央には空席のテーブルがいくつかあった。いかにもお腹が空いてきそうな香りが充満している。不思議と本当にお腹が空いてきてしまい、メアリーのお腹が鳴る。彼女は恥ずかしそうにお腹を押さえた。ちらりとキリを見た。彼に笑われてしまった。その恥ずかしさで更に顔を赤く染める。
「ちょうどいい時間帯だしな。ここで食べてもいいのかな?」
メアリーは王女である。お腹が空いていると言っても屋台の物を勧めてもよいのだろうか。キリは自身が持つ残高を確認した。
キリが三銃士軍団に入団しようが、紅武闘勲章を得ようが、任務に対する報酬は一般の学徒隊員と大差ない。いや、少ない方か。金欠とまではいかないが、ワイアットのようにレストランでぽんぽんと簡単に注文と会計ができない。つまりは、この町で王族を満足させるようなレストランに行くのは構わないが、お金が足りるかどうか不安なのだ。
――ここでお昼ご飯を食べたとあいつらが聞いたら怒られるよな?
問題は特に三銃士軍団の団長たち。まだ大衆食堂で食べるのには問題ないのかもしれない。
――流石に、ここじゃあな……。
「ライアン、あっちの食堂でも食べようぜ」
そうキリがメアリーに移動を促そうとするが――彼女は近くの屋台の前に立って店主と会話をしていた。余程お腹が空いていたのだろう。こちらの呼びかけに振り返り「美味しそうだよね」と同意を求めてくる。
「待ちきれない?」
「えっ? 何が?」
再びお腹から大きな音が聞こえてくる。屋台の方からの調理の音で掻き消そうとでもしているのか。残念ながら、その音よりもはっきりと聞こえた。こればかりは仕方ない、とキリはメアリーがいる屋台のところへ行き、適当に注文をした。注文した品はすぐに渡される。
「あっちの方で食べようか」
「うん」
受け取った商品の一つをメアリーに渡し、目についた席へと着いた。彼女も向かいの席に座り、揚げ物に期待の眼差しを向ける。これが口に合うかはわからない。そもそも、校内にある食堂や売店では貴族専用のメニューが存在しているから。それをメアリーたちは食べている。現にガズトロキルスは羨ましそうに見ていたことがあったな。それにキリだって、そんなメニューを食べたことがないし、食べさせてもらったこともない。
メアリーは早速、揚げ物を一口頬張った。表情から見るに買った物は好評のようである。それに安心したキリも食べ始める。
「これ美味しい!」
なんて評価をし、二口目にそれを運ぶが――。
「……でも、これ、油がキツイね」
美味しく思えたのは一口だけだったらしい。無理もない。初めて購入したここの屋台の揚げ物は油ギトギトの物。喉が渇いてくる。
「悪い」
思わず、キリは謝った。これを自分が作ったわけもなく、勧めたわけでもないのだが、ひとまず謝罪をした。
「デベッガ君は悪くないよ。元はと言えば、お腹が限界の私がいけないんだし」
「うん、いや。ライアンは悪くないよ。俺とガズが利用しているところの方に行けばよかったんだ。さっきの食堂のところ、俺たちの行きつけなんだ」
「二人とも仲良いよね。私、教室違うからそういうイメージが強いよ」
「初めはそうじゃなかったさ。ガズは俺のことを嫌っていたし、俺もガズのことを嫌っていたし」
キリの口からのその事実にメアリーは目を丸くして驚いた。まさか、互いを嫌っていただなんて。
「えっ、でもなんで仲良くなったの?」
「なんで――なんでだっけ? よく覚えていないや」
その答えにメアリーは覚えていると見抜いた。どこか困り顔の様子であるが、同時に動揺している様子でもあったからだ。あまりこのことについて語りたくないのだろうか。彼女は「そうなんだね」と反応しておくことだけに留めた。
「それよりも、俺さ、何か飲み物でも買ってくるよ」
キリは席を立ち上がって、行ってしまった。一人その場に座っているメアリーは一人悶えていた。すごく気になる二人の仲。なぜ、互いを嫌っていたのに。仲良くなったきっかけを覚えていないのに、そこまで仲がいいのか。
「訊くに訊けないよぉ」
「男の友情は女の子にとって難しいんじゃないのかな?」
メアリーの独り言に反応するようにして、キリが座っていた席にあの青年――『お兄ちゃん』がいた。勝手に人の物を一口食べてあまり美味しくなさそうな表情をする。
「よくこんな物を作るやつがいるものだ」
「お、お兄さん!? って、声!」
メアリーはこの商品を売っている屋台の店主の方を見た。幸い、自分たちの声には気付いていないようで、他の客の相手をしている。それに安堵した。
「い、いつの間にいたんですか?」
「いや、いつの間にって。俺は青の王国の人間だよ。王国内のどこにいても何らおかしくはない」
その言葉に怪訝そうな表情を見せた。今まで学校、王都、この町で『お兄ちゃん』を見ているが、予想もつかずに現れてはいつの間にかいなくなっているのだ。まさに幽霊のようにして。メアリー自身は何も知らないのに、『お兄ちゃん』はこちらを知っている。どこかで会ったことがあるだろうか。幾度も思い返そうとするが、何も思い出せないし、記憶もなかった。しかし、今日という今日は訊かなければ。誰なのかをはっきりさせたい。
「あ、あの、お兄さん!」
「うん?」
『お兄ちゃん』はメアリーの呼びかけに答えながら、キリの物を食べる。美味しくないと言わんばかりの評価をしていた割には食べるのか、と逆に少しばかりたじろいだ。
「お兄さんって、誰なんですか?」
「俺が、誰ね。それは別に知る必要はないと思うぜ。それよりも、俺がここに来たのはメアリーに忠告しに来たんだ」
「え?」
「悪いことは言わない。キイ教の連中には気をつけろ、絶対にだ」
その忠告にメアリーは困惑した。確かに最近は黒の皇国と一悶着があり、各地で追放運動などが行われたりもしているが――それは、本来のキイ教の教えを信じている者たちとは違う革命過激派という者たちのことなのか。
「どういうことですか?」
「そういうことだからだ。いいな?」
「そうでしょうけど、そんな勝手に言われても!」
メアリーが席を立ち、声を張り上げた。一瞬だけ我に戻り、周りを見る。いつの間にかキリが戻ってきており、両手にはジュースが握られている。彼は眉根をひそめて、こちらを見ていた。
「誰と話しているんだ?」
「えっ、誰って――えっ!?」
もう一度、『お兄ちゃん』に顔を向けた。もういなくなっていた。これにメアリーは周りを見渡す。騒ぐ彼女を見る者たちの視線が痛かった。
「とりあえず、これ。喉、乾いているだろ?」
どこかよそよそしさを感じるキリにメアリーは大人しく席に座った。すごく恥ずかしいし、彼に嫌われていないか不安である。変な子だと思われていないだろうか。
「……あれ? 俺の減ってるや。やっぱり、ここのが美味しかった?」
「わ、私じゃないよ。お兄さんが――」
「うん? ハイチさんが来ていたのか?」
「そ、そうじゃなくて……」
『お兄ちゃん』のことを上手く説明できない。話したところで、信じてくれるとは思わない。だから、メアリーは「やっぱりなんでもない」と首を横に振った。
それでも、人の忠告は無下にはできない。あの言葉を頭の端の方に置いておくことにした。受け取ったジュースをチビチビと飲む。そんなメアリーをキリはじっと薄青色の目で見るのだった。
◆
テーブルの上には赤とピンクのコントラストを描いたような料理が大量に運ばれてくる。そこから漂ってくるにおいは悪くない。見た目がどギツイだけで味はさして変わりないのかもしれない、とアイリは思った。これがカップル限定・大食いチャレンジである。
「どうよ、ガズ君。量的に」
「楽勝だな。これっておかわりはありなのかな?」
どうやら、ガズトロキルスは目の前にあるテーブルに並べられた大量の暖色メニューだけでは物足りないらしい。これにはアイリも店員も苦笑い。
「申し訳ありません。これらを一時間以内での完食になりますので」
「じゃあ、余裕じゃん」
もっともであるとアイリは思う。
店員の合図と共にガズトロキルスは手前にあった皿を手に取って掃除機のごとく、料理を平らげ始めた。それを見てアイリは苦笑いしながら手近にある皿から手をつける。食べてみると、悪くない味付けだった。やはり、見た目だけの変化だったようである。
「割と美味しいな、これ」
「うん、見た目だけの判断はダメだねぇ」
そう感想を言うと、一瞬だけガズトロキルスの手が止まった。だが、すぐに一皿一皿と平らげていく。その一瞬の戸惑いをアイリは見逃さなかった。先ほどの顔色を見れば、口いっぱいに頬張り過ぎてしまったわけではないし。喉に詰まりそうになったわけでもなさそうだ。それならば、何のためらいが? 彼女は気になりながらも、真っ赤なスープを口につけるが――。
「辛っ!?」
思わず、口に含んだ物を吐き出しそうになる。これらの料理はただの着色料でしただけじゃなかったのか! 騙されたとひりひりする舌を出す。
「ハルマチ、辛いのダメなら俺にくれよ」
見かねたガズトロキルスが飲んでいたスープの皿を取り、素早く飲み干した。これに唖然とするアイリ。もしかして、辛さを感じないのであれば、メアリーの作った激物料理も本当は平然と食べられるのではないかという可能性が頭を過る。
「ガズ君さぁ、メアリーの手料理を今度食べてみてよ。すごかったよ、全部真っ黒だから」
「知った上で殺す気かよ。ていうか、ハルマチもとんでもない物作っていたじゃねぇか」
「し、失礼なっ! あたしはメアリーよりかマシな物を作れますぅ! 前回は、あれよ。あれ。緊張していたの!」
そうには見えなかったのだが。そう言いたいガズトロキルスだが、黙っていた。
「まあ、誰がライアンにあんなとんでもない料理を教えたかによるんだけどな。ご馳走様」
気がつけば、アイリが現在食べている物以外の料理をすべて平らげてしまっていたガズトロキルス。どこか物足りない様子で、店員に追加注文をし始めていた。早いなと妙な関心を抱きつつ、彼女も急いで手前にある料理を食べて――チャレンジ終了。
「おっ、制限時間の四分の三も余ってしまったな」
けらけらと笑いながらガズトロキルスは時計を見ていた。
「ガズ君が早いんだよ。ところでさぁ、なんでさっき一瞬だけ止まったの?」
急に表情が一変し、グラスに入った水を飲む。アイリと視線を合わせようとせず、別方向を向いていた。それが更にあやしいと思う彼女はもう少しばかり突いてみることに。
「あたしが言った言葉で何か後ろめたいことでもあるんじゃないの?」
「……別に何でもねぇよ。別に」
「別に何でもないんだったら、別に妄想でもしてもいいんだよねぇ?」
「好きにすれば」
ここで追加注文をした料理が運ばれてきた。それにあまり気乗りしない様子で手をつけ始める。
「うーん、そうだねぇ。デベッガ君と最初仲がよくなかったのって、ガズ君が見た目だけで判断していたからでしょ」
「…………」
何も答えない。それはまるで図星だとでも言うような面持ちである。反応を示さないガズトロキルスにアイリは少しばかりしつこく「合っているでしょ」と訊いてくる。
「ああ、そうだよ。その通りだ。でも、ハルマチには何にも関係ない。はい、この話終わり」
強引に話を終わらせ、ガズトロキルスは黙々と食べ続ける。それだからと言って、何事もなかったかのようにアイリは終わらせようとはしなかった。彼らの友情云々に関して総じて興味津々ではないが、気になることを仄めかすだけ仄めかしておいて、何も語らないのは釈然としないのだ。だからこそ――。
「勝手には終わらせないよ。好きに想像してもいいんでしょ? 好きに妄想してもいいんでしょ?」
「さっきしたじゃねぇか。もういいだろ。止めてくれ」
「あははっ。止めてくれって……。肯定、否定をせずに黙ってあたしの話を聞いておけばよかったのにぃ。余計に気になるじゃん」
「ハルマチが聞いたって、仕方ない話だよ」
「それはどうかなぁ? きみって、表的な人間とは裏腹に嘘つきな人だよね?」
にやりと不敵に笑うアイリを見るガズトロキルス。料理に手を伸ばす手が止まった。
「……悪い、言っている意味がわからない」
「ごめぇん、あたしもガズ君の考えが理解できない」
二人の間に緊迫感漂う沈黙が訪れる。心なしか、周りの客もこの重たい空気が耐えがたいとでも思っているのか、様子を窺っていた。
「どうなの? 前から格下と見ていた相手が、いきなり名誉あるをもらったときの感想は。やっぱり悔しい?」
「悔しくなんかねぇよ。むしろ、すごいと思っているし」
「じゃあさぁ、なんであのお嬢様のこと好きでもなんでもないのに近付こうとしていたの?」
「はあ? マティのことは好きだよ。俺のために昼ご飯とか作ってきてくれるし」
「そりゃねぇ、まさか自分が貴族の娘に気に入られるとは思っていなかったからだからじゃない?」
「……で、お前は俺に何が言いたいんだよ」
まどろっこしいのは嫌いだと言わんばかりに、ガズトロキルスはどこか不機嫌そうな表情を見せていた。アイリは席を立ち上がる。
「デベッガ君と一緒にいることはオススメしないってこと」
「は? なんでまた……」
「理由知りたければ、お友達として一緒にいれば? この先でガズ君が幸せだって思えるならね」
言うだけ言うと、店を出て行ってしまった。テーブル前にある皿を眺めてガズトロキルスは頭を抱える。
「俺の幸せ、だ?」
◆
アイリは背伸びをしながら、町を出た。時間はたっぷりとある。のんびり長時間の散歩がてら学校に帰ろうと歩き始めた。
「思ったより厄介になってきたなぁ」
手に持っているのは連絡通信端末機とキリが写った写真。一通のメールが届いており、差出人はヴィンからだった。彼とは今朝、学校の敷地内で会っている。そのことを思い返す。
◇
珍しくも朝早くに目覚めたアイリは暇潰しにと敷地内の散歩をしていた。早朝ということもあってか、周りは鳥たちの鳴き声だけが聞こえてくる。騒音ではない、割と心地よい音である。
「今日は一時間だけ、ラッキぃー」
授業時間数に嬉しさを感じているのか、鼻歌混じりながら敷地内の広場の方へとやって来た。そこに誰かがベンチに腰かけて何かを見ているようである。その誰かは――ヴィンである。何をしているのだろうか、と気になったアイリは声をかけた。
「おはよ、ザイツ君」
声をかけられたヴィンはアイリの方を見るが、どこか様子がおかしかった。こちらを見て困り果てた雰囲気であるのだ。これには彼女も首を傾ける。
「ねぇ、何してんの?」
「写真の整理をしているんだ」
確かにヴィンの膝元にはたくさんの写真の束があった。アイリは横から写真の一枚を覗き込む。それにはキリと小動物のツーショット写真だった。彼はいい笑顔で写っていた。
「ふぅん、こんなところで整理ねぇ」
ヴィンはじっとアイリの方を見て、口を開いた。
「ごめん、きみは誰? 同じ教室の子じゃないよね?」
ヴィンのその発言にほんの一瞬だけ硬直した。すぐに視線を彼の方へと向ける。その目は嘘をついていなかった。まさかの事実にアイリは戸惑いを隠せない。
「し、知らない?」
「うん。昨日も知らない子に声をかけられちゃってね。まあ、別に同じ学徒隊員だから変な話とかじゃないんだけど」
――知らない子?
妙な胸騒ぎがしたアイリはヴィンに『知らない子』のことについて訊ねてみた。すると、予想だにしなかった答えが返ってくる。
「えっと、デベッガ君って子だよ。私と同じ三銃士軍団だってさ。びっくりしたよ」
「そ、その写真は……?」
「うん、なぜか私が持っていたみたいなんだ。彼に渡しても気味悪がられそうだし、捨てようと思っていたところなんだよね。彼が気になるなら、一枚あげようか?」
◇
『ちょっとデベッガ君のことを調べてびっくりしたよ。あの人、私と同じ村出身だったんだよ! 小さい村なのに全く会ったことがないって変な話だけど、ある意味ホラーだね』
ヴィンから届いたメールの内容を確認したアイリは渋った表情をする。
「またぁ、どうするの」
また険悪な雰囲気になるから注意ができそうにない。キリは一度学んだはずである。記憶がないという恐怖に。それをそのまま、今回は他人にしているから余計に分が悪い。
「デベッガ君の記憶は探せばあるんだろうけどさぁ……」
アイリはガンから届いたメールを開く。それは随分と前の物だった。
『キリも知らないらしいから、捨てておくね』
あの見知らぬデータはキリの記憶のデータらしい。一度捨てた物を見つけるまで探し出す。骨の折れそうな話である。アイリには黙っていてと言われていたらしいが――ガンから心配なのか、自分自身に彼がデータの世界で失くした記憶を探していると教えてくれた。しかし、ヴィンにあるキリの記憶は一切、どこにもない状態だ。どこにも捨てたりしていない。完全な記憶消去。思い出したくても思い出すことなんてありえない。
「所有権を失くすことはできるけど、あたしがなぁ」
悩むアイリは一人学校の方角へと歩いて行くのだった。
◆
選り取り見どりのケーキがショーケースに入っており、そこから覗き込むようにして商品を選ぶメアリー。彼女の大きな青い目にはそのショーケースにあるたくさんのケーキが映り込んでいた。
「決まった?」
「う、うーん。どれも美味しそうで」
先ほど購入した揚げ物を食べたせいか、目の前にある物を全部食べたい気分であった。だが、あまりにも迷ってキリを待たせるのも悪いと思っているのか、逆に決めるに決められそうになかった。
「これなんか、いいんじゃないか?」
そうキリが指差すのはフルーツタルトだった。旬のフルーツが乗っており、美味しそうである。キリはそれに決めたのか、タルトを注文した。急がなきゃとメアリーも彼同様と同じフルーツタルトを選ぶことにした。
購入したケーキは店内で食べることにして、二人は席に座って食べ始めた。彼らは一口頬張り、頬を緩ませる。
「ここの美味しいね!」
「そうだな。パイ生地も美味しいし。でも、信者の町の方が美味しかったかな?」
「食べたことあるの?」
「うん。前に」
頬張りながら思い出す。あのときは半分までしか食べられなかったが、それでもまた食べたいと思える代物だった。是非ともまたの機会に行ってみたいが、メアリーは行けないだろうな、とキリは思う。
「へぇ、行ってみたいな」
なんて言うメアリーであるが、現在の信者の町は式典での事件があった後に治安が前以上に悪くなったと聞いている。そんな悪劣な場所に彼女を連れて行けるはずもない。行こうと知れば、誰もが止めるだろうし、連れて行こうとする自分も何かしらの処罰の対象となるだろう。もし、行くとするならば、情勢が安定したときが一番よいだろう。そのときにみんなで行きたい。
「うん。今度、みんなで行こうな」
その答えにメアリーは残念そうな顔を見せるが、キリは気付かずタルトを食べていた。
美味しそうに食べるキリをよそに、メアリーは自身の髪に結わえている青いリボンを弄る。これをあのときからずっと着けているのだが、彼は全く気付いていないのだろうか。
◇
どこかで小さな子どもたちの声がする。そうメアリーは声がする方を向いた。右手にはしっかりとレナータの手が握られていた。
ここは周りに山で囲まれた小さな山間の村。国王エブラハムとともに公務で訪問に来たのだ。理由は数年前に閉鎖となった工場及び、現在の村の状況の視察である。村中を歩いてみれば、畑仕事ばかりをする人々しか見当たらない。泥塗れで、古い農業機械で作物の世話をしている。
「のどかなところですね、メアリー様」
つまらないと言わんばかりの雰囲気を察したのか、レナータは髪に結わえた青いリボンを弄るメアリーに話しかけた。
「ほかのところ、いきたい」
かれこれ一時間近くも同じ場所に留まっているのだ。幼いメアリーにとってはつまらないのも仕方ないのかもしれない。そう考えたレナータはエブラハムの側近の方に行き、彼女の意思を伝えた。その側近は彼にも同様のことを説明し、それに答えている隙にメアリーはこっそりと人の目につかない場所へと隠れ込んでみた。
まだ彼らは自分がここにいることに気付いていない。それをいいことにメアリーは同年代の子どもたちの声がする方へと行ってしまった。
声がする方はそう遠くない。そう思っていたのだが、すぐに山の入り口に辿り着いてしまった。奥の方から声は聞こえるが、これ以上行く気にはならなくて――メアリーは元来た道を戻ろうと振り返るが、どこから来たのかわからなくなってしまった。
自分はどこから来たのだろうか。微かに農業機械の音は聞こえるが、どちらから聞こえるのだろうか。わからない。周りに人すらもいない。とても怖い。
「ふぇ……」
目には涙が溜まってくる。今にも目先にある山が襲いかかってきそうで。山がバケモノに見えるようで。
――どぉしよ……。
すると、山の方からこちらへと声が段々と近付いてきた。バタバタと駆け下りてくる同年代の子どもたちはメアリーのことを気に留めずして走り去ってしまう。彼女は彼らの後を慌てて追いかけ始めた。
彼らの後に着いていけば、みんなに会えるかもしれない。そう思って。
「こっち、こっち!」
「まってよ!」
男の子たちが声を荒げながら走っていく。そんな彼らよりも体力が比較的少ないメアリーはすぐに置いていかれてしまい、途方に暮れてしまう。更に全くわからない場所へと来てしまった。
涙がにじみ出てくる。涙が頬に伝う。
「ぱぱぁ、ままぁ」
呼んでも誰も来ない。いつも一緒のレナータさえも来ない。あの男の子たちも戻ってこないだろう。その場にしゃがみ込み、泣くことしかできなかった。
「おうち、かえりたいよぉ……」
「どぉしたの?」
声をかけられて、メアリーはぐしゃぐしゃの顔を上げた。そこには先ほど自分を置いていったばかりの男の子たちである。小首を傾げて彼女を珍しそうに見ていた。
「どこかいたいの?」
そう言うのは茶髪の男の子だった。手には小動物が抱きしめられおり、それを差し出す。
「あのね、こいつをなでたら、いたいのなおるよ」
試しになでてみた。小動物は嬉しそうな顔を見せるが、隙をついて山の方へと逃げて行ってしまった。男の子たちは残念そうに「あーあ」という。
「どぉする?」
「にげたのはしかたないよ」
「そぉじゃなくて、このこだよ。おうちかえりたい、いってたじゃん」
「……でも、おれ、このこしらない」
「おれだってしらない」
メアリーの扱いに困っているのか、押し問答ばかりする子どもたちに彼女は我慢の限界がきた。再び泣き出してしまった。これに混乱する男の子たちはその場から逃げるように立ち去ってしまった。またしても一人ぼっちになってしまったメアリーは彼らが逃げて行った先を追うようにして歩き始める。
「ままぁ! ぱぱぁ!」
大声で叫ぶメアリーであったが――そんな彼女の前に山の斜面の方から何かが滑り落ちてきた。それに反応するかのように肩を強張らせてしまう。
滑り落ちてきたのは、小柄な男の子だった。体中スリ傷や泥だらけで見ただけでも痛々しい。彼は泣かずして立ち上がった。小柄な男の子が落ちてきた場所の上には先ほどと同種の小動物がこちらを見下すように見ていた。もしかしたならば、捕まえようとしたのかもしれない。
滑り落ちてきた男の子はじっとメアリーを見てきた。彼女もまたじっと彼を見る。その薄い青色の目が綺麗だと思った。まるで、自分の母親が持っているイヤリングと同じぐらいだ。ややあって、男の子が口を開いた。
「あそびにきたの?」
その問いかけに頷く。
「まよったの?」
メアリーは頷く。
「そんちょーのいえだったら、こっちだよ」
そう教える男の子はメアリーの手を握ると、彼が知っているであろう道を歩き出した。大人しく、彼の後を着いていく。それだけで安心した。
男の子は歩きながらメアリーの方を向く。
「おれ、キリっていうんだ。きみは?」
「あっ」
自分の名前を言おうとしたとき、急に男の子――キリが消えた。どこへ行ったのだろうか、と一人の恐怖が怖くて不安になっていたが、彼は落とし穴に落ちていた。
「だ、だいじょーぶ?」
「……うん」
そう答えてはいるものの、大丈夫そうには見えない。上へと上れそうにないのか、穴のふちに捕まって周りを見渡していた。
「……どぉしよ」
それはメアリーも言いたい台詞であった。彼女があたふたとしていると、遠くから誰かを呼ぶ声が聞こえてくる。声からして近い。
「メアリー!」
「姫様!」
周りの木々の色とは裏腹にピンク色のドレスを着ていたことが幸いしてか、メアリーはすぐに見つかった。すぐさま探していたエブラハムや側近たちは彼女のもとへと向かう。
「こんなところにいたのか! 心配させてから!」
エブラハムは駆け寄ると、メアリーを抱きしめた。その温かさは彼女にもきちんと伝わっている。その姿を見てよかった、と胸をなで下ろしいていた側近はキリが落とし穴に落ちていることに気付いて引き上げた。
「き、きみ、大丈夫かい!?」
「……おじさん、ありがとう。ばいばい」
メアリーが会いたかった人に会えたとわかったのか、キリは側近にお礼を言うと、手を振ってその場を走り去ってしまった。彼女も小さく手を振る。
――また、あえるかな?
◇
じっとキリを見るメアリー。おそらく、彼は何も覚えていないのだろう。一人でいた自分を助けしてくれたあの子。昔と今は顔立ちは少し違うこそ、面影は残っていた。印象深い薄青色の目が教えてくれている気がしてたまらなかった。
「どうしたんだ? さっきから」
手が止まっているメアリーを気にしてか、キリは声をかけてきた。ふと、我に戻った彼女は首を横に振る。
「ううん、大丈夫だよ」
「そっか、ならよかった。あと、一時間したらメアリーにお迎えが来るみたいだったからさ」
「お迎え?」
何のことだろうかと思っていると、キリが連絡通信端末機を取り出した。
「うん、フォスレターから連絡があって、総長がこっちに来るってさ」
「そっか」
◆
それから小一時間後、町中を歩いていた二人の前に一台の真っ白な車が停車した。運転席にいるのは王国軍の者のようで、後部座席からラトウィッジが出てくる。
「姫様、国王様がお呼びです」
「は、はい」
ちらりとキリの方を見た。彼と別れるのは心惜しい気がしてたまらなかった。メアリーは小さく手を振ると車内へと乗り込む。キリもまた小さく手を振ってくれた。
「ばいばい」
ほどなくして、車が走り去った後にガズトロキルスの姿を見つけたキリは彼のもとへと駆け寄った。
「ガズ」
声をかけられたガズトロキルスは肩を強張らせてこちらの方を見てくる。何か様子がおかしい気がした。
「どうしたんだ?」
「い、いや、別に……」
「そっか。俺、今から学校の方に戻るけど、ガズはどうする?」
「俺はもう少し、ここにいるよ」
キリはまだ食べ足りないのだろうかという推測をした。大食いの彼であるならば、可能性はなくはないだろうから。
「そうか。じゃあ、先に帰っているな」
キリが立ち去ると、眉根を寄せた。自分は別に彼のことは嫌いではない。嫌いだったのは昔の話である。今はよき友人としているつもりだし、これからもそうでありたいと願っている。だが、アイリの言葉がどうしても引っかかって仕方がない。
「本当、わからねぇ」
足りない頭をフル回転させてもアイリの真意が掴めないガズトロキルスは近くにある街灯にもたれかかりながら、道行く人々や車を眺めるのだった。
◆
珍しく神妙に真剣な表情のハイチは、テーブルの上に置かれている正方形のボードを見ていた。その上には自分と相手の駒が戦略的に置かれている。彼がしているのはストラテージである。
腕を組み、悩む。頭を抱え、悩む。
――ああ、もうダメだ!
「ちくしょぉお! また、俺の負けかよ!」
ボードをひっくり返す勢いで、ハイチはそう声を上げた。そして、自分のゲームの相手であるセロに向かって言う。
「もう一回勝負だ! もう一回!」
ボードの上の駒を片付けるセロは「これで何回目だよ」とため息混じりに言う。その隣に座って彼らのやり取りを見学していたハイネは笑った。
「ハイチ、連続三十六敗だもんね」
「うるせぇな! 今度こそ、今度こそ勝つんだよ!」
それも何度目の台詞だろうか、とセロは苦笑いした。
「しょうがねぇな。『条件』つきならば、もう一度勝負してやるよ」
条件ありきに、ハイチは急に大人しくなった。というよりも、勝負を降りたそうにしている。
「……やっぱ、俺の負けでいいや。条件も見据えているしよ」
「おいおい、いつもの条件じゃねぇよ。今回は別のものだ」
そう言うセロは駒を並べ替え始めた。勝負をする気満々のようで、逃がすつもりはないらしい。その物言いにハイチは片眉を上げて彼を見た。
「今回の条件は、今度のイベント『サバイバル・シミュレーション』の参加有無だ。お前、毎年面倒だって逃げていただろ? 今年こそは出てもらうからな」
「なぁんか、裏がありそうな気がするけど?」
「もちろん、わかっているじゃないか。そうだ、そのサバイバル・シミュレーションでいつもの条件で賭けないか? ただし、ハイチが勝てば、二度とその条件のことを口にも出さない。どうだ?」
セロのその誘いにハイチは――駒を手に取った。




