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世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う  作者: 池田ヒロ
第一章 巡り出会う者たち
21/96

代償

 キリは不思議な気持ちでエブラハムの前に立っていた。ここは以前にハイチと共に三銃士軍団の入団式の際に訪れた彼の書斎である。未だ謁見の間は立て直しが終わっていない。


「キリ・デベッガ、貴殿に紅武闘勲章(こうぶとうくんしょう)を授ける」


 その言葉通りに、キリはラトウィッジより深紅に光る石がはめ込まれた勲章を受け取った。それと同時にその場で授与式に参加していた三銃士軍団含め、貴族たちが拍手を送る。だが、その拍手の中には気に食わないと言っているような、雑な音だと捉えることもできた。妙に不快である。


「おめでとう」


 その言動とは裏腹に違う雰囲気が漂う。ああ、そうか。この式に参加しているほとんどの者は自分が気に食わないと思っているんだ。


 あまり好ましくないような不穏な空気は、同席しているハイチもメアリーも感じ取っていた。


 キリは頭を深く下げる。名誉あることは嬉しい限りであるが、素直に喜べない自分がいた。それはこの空気のせいか。それとも、消化しきれていない自分の身に降りかかっている問題を解決できていないからか。


 歯車の霊剣から始まり――腕なし、ディース、ハイネの記憶、アイリが持つ分厚い本の中身、黒の皇国。そして、マッド。


――嫌な感じ……。


     ◆


 授与式を終えて、キリはすぐさまエブラハムの書斎から出た。廊下へと出ると、不穏な空気から逃れることができた気がする。ハイチもあの雰囲気が合わないらしい。顔も合わせることもなく、早々に去って行ってしまった。


「はぁ」


 ハイチの後ろ姿を見て、ため息をつく。この三銃士軍団用制服の胸元に着けられた『紅武闘勲章』と『三銃士軍団の証』は本物かと疑いたい。この現実が信じられないからだ。


「やったね、デベッガ君」


 キリの後を追いかけてくるかのように、メアリーがやって来た。彼女の学校での服装とは違い、王族に相応する煌びやかなドレスを着飾っている。ただ、いつもの青いリボンは健在であった。


「あ、ありがとう……ございます」


 目の前にいる人物は気楽に話せるはずであるが、ここは王城である。人の目もある。キリは普段のように接することができなかった。それはメアリーもわかってくれているようで、少しばかり残念そうにしていた。


「あの人を倒してくれたんだよね?」


「はい。これで安心できますよ」


「……この場所と格好じゃ、普段通りに話せないよね? ごめんね、続きは学校で話そうよ。戻るでしょ?」


「はい」


 ふと、今更なことを思い出す。メアリーには色々とお世話になっているし、ずっと前にケーキを奢ると言いつつも、できていない。それにここ最近の彼女は異形生命体のせいなのか、どこか暗い表情をしているようだった。キリは元気付けてあげたいと思い、一度周りを見渡す。


――よし、誰もいない。


「ライアン」


「へっ!?」


 突然、いつもの呼び方をされてメアリーは目を丸くする。


「今日じゃなくてさ。確か、明日の授業は取っていなかったよな? 寮のラウンジで待ってるから」


「う、うん!」


 嬉しそうに頷くメアリーだったが、レナータが彼女を呼んだ。残念そうに「またね」と小さく手を振る。キリも小さく手を振ると、背後から「お誘いか」とケイの声が聞こえた。あまりにもびっくりしたのか、口から心臓が飛び出そうなほど、変な声を上げた。


「み、見ていたのか」


「まあな。デベッガって、ある意味すごいやつだなって」


 そう言うケイはキリが装着している紅武闘勲章を見た。


「それにいつもデベッガには、ひやひやさせられている」


「そうなのか?」


「ああ。ほら、デベッガはいつも死と隣り合わせでいるだろ? だから、ある意味不死者みたいだなって」


 その言葉にキリは視線を別の方向へと向けた。


「え、えっと……」


「その言い方はないと思いますよ、ケイさん」


 ワイアットが苦笑いしつつ、こちらへとやって来る。気がつけば、エブラハムの書斎から次々と式に参加していた貴族たちが出てきていた。こちらの方をじろじろと見ている。とても視線が気になって仕方がない。


「へえ、俺はそうとは思わないがな?」


 もしかして、ケイは自身が持っている歯車の何かを知っているのか。ヴィンがこのことを知っているならば、彼が知っていたとしてもおかしくはないだろう。


「どういう意味だよ、それ」


 それよりも、なんだかそれが悪いように捉えることだってできるのだ。少しばかり不快に思う。


「いや、別に死なないから悪いとか、怖いとかそういうことじゃない。こいつのおじさんみたいにすごいなっていう敬意があるだけだよ」


 そう言うケイはワイアットを見て言った。つまり、自分はラトウィッジみたいだとでもいうのか。


「総長って、そんな感じなの?」


「昔はそうだったみたいだぞ。今は総指揮だよな。当然、もう現場には行かないだろ」


――つまりは超人か。


 そう考えると、ラトウィッジもそうだが、とある人物が思い浮かんだ。彼もまた似たような人物だと言えよう。


「そんな人なら、俺的にクランツ教官だと思うな。あの人、普通に俺とヴィン、ハルマチを三人同時に抱えていたし。両足骨折したはずなのに、気合で予定よりも早く治したって」


「僕の叔父さんはそこまではないですね」


「いや、クランツ教官だからだろ? そのことを軍が知ったら教官じゃなくて、本職の方をさせそうだよな。前線に行けって」


 なんて言いつつ、笑うケイ。つられられて、キリとワイアットも笑った。


「まあ、デベッガもそんな人たちの仲間入りしたってことかな」


「それって嬉しいのか、嬉しくないのかわからないな」


「喜べよ。伝説として語られそうじゃないか」


 果たしてこれは喜んでもいいものか、と本当に不安になる。自分は実力でここまで来たとは思っていない。服の下に隠された歯車の力と偶然が重なり合ってできた栄光であると考えていた。しかし、以前より願っていたことが叶ったのは喜ばしい。評価を、名誉を手に入れたい願望はあったのだ。だからこそ、喜ぶべきなのだが――。


「おこがましいかもしれないけどさ。俺って戦力外だからとか、ばかにしてきたけど……改めてデベッガは、本当はそんなやつじゃないって目が覚めたよ。ああ、次席が言っていた『すごいやつ』ってこういうことなんだなって、今更気付いた。本当におめでとう」


 ケイは手を差し伸べてきた。彼の表情を見る。今まで、自分には見せたことのない優しい表情だった。違う、初めて見る穏やかさ。彼はここまで柔らかい笑みをするんだな、と思った。ようやく、ケイと対等になれた気がする。


「……シルヴェスター」


 キリが手の返事を交わすと、眩しいフラッシュが飛んできた。何が起きたのかすぐに理解する。ヴィンだ。彼がこちらにフラッシュを叩いたのだ。


「いやあ、すばらしい。すばらしい」


 急激なフラッシュに慣れていないケイは目をやられたのか、両目を手で覆っていた。ワイアットは心配そうにする。


「またか」


「ああ、まただ! それに、これは来週の新聞に載せるから」


「そう。それだけか?」


「いや? どちらかと言うならば、お前に用がある」


「じゃあ、城から出ようか。ここで立ち話もなんだし」


 そうキリがヴィンを城から連れ出そうとする前に、二人の方を見た。


「フォスレター、シルヴェスターを頼む。シルヴェスター、あんまりカメラ目線をしない方がいいからな。こいつは昼夜問わずフラッシュを叩いてくるから」


「お、おう……」


     ◆


「で、用は?」


 キリたち二人は城の外に出ると、城門前の広場にあるベンチに座り込んだ。ここもまだ、修復作業を終えていないのか、工事現場の人の姿が見えた。


「落とし穴か? とりあえず、引っかかればいいのか?」


「……いいや。用と言うか、会わせたい人がいるんだ」


 ヴィンのその言葉に彼は片眉を上げる。自分に会わせたい人?


「ヴィンの姉さんがここに来ているとか?」


「違うよ。村の人じゃない。来て」


 言われるがまま、ヴィンの後を着いていった。


 そう言えば、とキリは周りを見渡した。初めて建国記念式典や三銃士軍団に入団したときもそうだが、きちんと王都内を見て回ったことがないのだ。あちこちで異形生命体による破壊された建物を修復しているところが見える。今まで色んな町へと行ったことはあるが、そんな町よりもこの町の方が行き交っている人々が多かった。流石は王国の首都とでも言うべきか。


「たくさんだな、人」


「町が壊れていなければ、もっと多いさ。前へ進むのにも一苦労したりするときだってある」


「それはお祭りか何かのときだろ? 結局、式典後のお祭りは中止になったみたいだけど」


「いやいや。普段の町のことを私は言っているんだよ」


「ふうん」


 ヴィンの後を着いていきながら歩いていると、すれ違った男の子が走って転んだ。大泣きするその子どもにキリは手を差し伸べる。


「大丈夫?」


「いたい……」


「あれだけ走っていればね。そりゃ痛いだろうね」


 ヴィンも気付いたのか、戻ってきて起き上がった男の子に頭をなでた。


「怪我は擦り傷があるな」


 男の子の傷の状況を把握すると、キリはポケットに入れていたハンカチを取り出して、近くにある水道水を借りて手当てをした。


「はい、これで大丈夫だよ」


「ありがとう、おにいちゃん」


 涙目ながらもその子どもはお礼を言うと、手を振って去って行った。その様子を眺めていたヴィンは急に笑い出す。


「懐かしいな」


「ヴィンの姉さんや村の人たちに会いたいなら、一回くらいは帰ってこいよ。みんな歓迎してくれるよ」


「……そうだな。行こうか、あの人が待っているから」


 どこか物寂しげなヴィンは歩き始める。キリは慌てて追いかけた。


     ◆


 ヴィンは後を着いてくるキリを気にすることもなく、どんどんと先を進んでいく。すでに王都の中心街から大きく外れた場所へとやって来た。進むにつれて、周りの景色も変わる。人の行き来が少なくなったのだ。外で遊んでいる子どもたちなど、見かける人々はあやしげにこちらの方を窺っていた。心なしか周りの建物が建設されて時間が経ったようなほどの古さを見せている。


「ヴィン、まだ行くか?」


「うん。まだまだ先」


 そう答えつつ、路地の方へと入った。キリもそちらの方へと入り込むと、奥へと進む。だが、道の途中でヴィンは立ち止まり、上着を脱ぐように指示をする。キリはそれに素直に従った。


「なるべくはその記章は見せないようにしておけよ。ポケットに仕舞っていても、盗られないようにな」


「え」


「ここ、王都内でも治安が悪いところだよ。スリだっている。前にも私、カメラを盗られそうになったよ。カメラだけに」


「いや、冗談言っている場合じゃねぇよ。俺に用がある人、どんな人だよ。怖いわ」


 三銃士軍団用制服の上を脱ぎ、記章を取ってポケットに仕舞い込んだ。そして、上の服を腰に巻きつける。


「普通の人だよ。私の知り合いだし」


「そうか」


「さあ、行くぞ」


 キリに促すヴィンは路地から元の通りを出ると、歩を進めた。ここで脱ぐのは好ましくなかったのだろうかと思いつつも、追いかけた。


 しばらく歩いていてわかったこと。ここの町の人たちの視線が気になくならなくなったことだろうか。こちらに目を向ける人々はいない。まるで自分たちが彼らにとってのいつもの風景に溶け込んだような気分である。


「王都にこんなところがあるとは知らなかっただろ?」


「うん。全部さっきのようなところばっかりだって思ってた」


「私も師匠に教えてもらうまではこのようなところは知らなかったからな」


 そう言えば、とキリは思う。


――こいつ、カメラマンの人のところに弟子入りしたんだっけか……。


「俺に会いたいって人、ヴィンはの師匠さんなの?」


「そうじゃないさ。師匠は王都に住んでいないぞ」


 ますます誰なのか想像がつかなくなってくる。それでもヴィンの背中を追った。


     ◆


 それからしばらく道を進めていると、ヴィンは一軒のアパートの前に止まった。キリも足を止める。赤茶色の壁をしたこのアパートにいる人物が自分に会いたいと言っているらしい。


「ここ。大丈夫だよ、怖い人じゃない」


「お、おう」


 建物内へと入り、階段を上っていく。目的地は二階の一室であった。ヴィンはその部屋のドアをノックしようと、手をかざした瞬間に開かれた。ドアを開けたのは眼鏡をかけた女性だ。


 これにキリはびっくりして肩を強張らせた。


「来たね。待っていたよ」


「いやいや、キャリー姉さんには毎度ながら驚くよ」


「驚くって、わかっているくせに」


 キャリーと呼ばれた女性に二人は部屋の中へと入れてもらった。中へ入った瞬間、微量ながらも薬品臭に気付く。


 奥へと案内されると、部屋中には絵が吊り巡らされていた。薬品臭は目立つようになる。それで気付いたが、あのにおいは吊り下げられた絵からだった。絵をよくよく見れば、人とバケモノが握手しているものが描かれている。それを見ながら小首を傾げているとヴィンが「風刺画だよ」と教えてくれた。


「キャリー姉さんは風刺画家なんだ。多分、その絵は皇国と異形生命体が手を取り合っているものじゃないの?」


 風刺画家と聞いて、キッチンの方でお茶の用意をしているキャリーを見た。彼女が自分に話がある人。風刺画家の人と自分に何の接点があるのか。改めて絵を眺めていると、キャリーはお茶の入ったカップを手にしてきた。


「はい、二人とも。デベッガ君は甘くても大丈夫なんだよね」


「えっ……あっ、は、はい」


 どうして、自分の好みを知っているのだろうか。キリは怪訝そうな表情を見せる。


「適当に座りなよ。デベッガ君が知りたいことも教えてあげるし」


「は?」


「おう、こっちに座ろうぜ」


 ヴィンが部屋にあるソファに座るように促した。戸惑いながらもキリはそこに座り込み、一口お茶を啜る。それを見据えて、キャリーは椅子に座った。


「……改めて初めまして、デベッガ君。あたしはキャリー・オハラ。王都内東地区新聞会社と契約を結んでいる風刺画家です」


「は、初めまして」


「キリ。キャリー姉さんは私の兄弟子なんだよ」


「あ、ああ。だから、俺のことを――」


 ヴィンはおしゃべり屋である。ならば、自分のことを誰かに話していてもおかしくはないと思っていると、キャリーは笑った。


「違う、違う。姉さんがキリに会いたいって言ってきたんだよ」


「え?」


「ははっ。これなら話が早く進みそうだね。それに、隠している物があるでしょ?」


 キャリーはキリの首元を指差した。彼は口につけようとしていたコップから離すと彼女を見る。横目でヴィンを一瞥した。本当は、思い出したことを黙っていたのか?


「それと、俺のことを知っているのに何が関係あるんですか?」


「これが何かわかる?」


 キャリーは自身の服の下から何かを取り出した。それは少し古びたコンパスだった。


 見たことがあるか、と言われても。それが何の意味を示すのか理解不能であった。もしも、という可能性であたるならば、そのコンパスは自身が持つ歯車と同等の力を持つ何かのはず。アイリのことも知っているのだろうか。


「……ああ、ごめん。実物は見たことがないのかな?」


――実物?


「んー、知らないみたいだね」


 勝手に話が進んでいく。それに戸惑いを隠せない。


「あの、話が見えないんですけど」


「ああ、ごめんね。あたしも単刀直入でお話したいけど、特にデベッガ君の未来だけは上手く視れないから」


 言っている意味がわからなく、眉根を寄せた。


――俺の未来が見える?


「え、未来が視えるって……? 副業で占いをしているんですか?」


「残念、あたしは占い師じゃないよ。これのおかげですべての未来がわかるの。誰かに聞いたことはない? 『未来のコンパス』って」


 どこかで聞いたことはあるかもしれないが、記憶があやふやであった。


「た、多分」


「ヴィンからは聞いていないかな?」


「い、いえ」


 ちらりとヴィンの方を見ると、彼はお茶を飲んでいた。妙に大人し過ぎるのは気のせいか。


「じゃあ、その『過去の歯車』からもらった人から何も?」


 その言葉にキリは固まった。


「あぁ、なんか……回りくどくなってきたね。ごめん、やっぱり訊きたいことだけを言うね。デベッガ君がその過去の歯車をもらった人はハルマチという人で間違いない?」


「…………」


「その沈黙は肯定の意味で捉えていいのかな?」


「……ヴィンさ、本当はあのときのこと覚えているのか?」


 キャリーの質問には答えず、ヴィンに訊ねた。彼は小さく頷く。


「私の記憶に関する事実の書き変えをしていなかったからな」


「しても、この世界が許さないからなかったことになるんだって。ヴィンが何も言ってこないからてっきり――」


 キリがそう答え返すと、ヴィンは目を丸くしてこちらを見てきた。その驚きは一体何を意味するのか。その表情に対する反応に困っていると、キャリーが「ありえないからね」と言ってきた。


「過去の歯車は事実の書き変えができるのは当然だけど、書き変えがなかったことになるってありえないよ」


 その事実にキリは思わずソファから立ち上がった。


「――ど、どういう意味ですか!?」


「そのまんまの意味。過去の歯車は本来、不死者でありながら、事実の書き変えができる物。そして、この未来のコンパスは世界のすべての未来が視える。でも、いくら未来がわかるからって言っても、デベッガ君の所々の未来が視えなかったし、何人かの未来も虫食い状態で視えないところがある」


「…………」


「そして、重要なことにハルマチっていう人の未来は全くわからない。つまりは、その人物と会った人の未来も視えないってことになるんだと思う」


 その場で立ち尽くしても仕方ないと判断したのか、キリはソファに再び座った。気がつけば、立ったときの衝撃でコップの中身が服の上に少しだけこぼれている。


「それって、ありえるんですか?」


「世界のすべての未来が視える、だからね。ありえないんじゃないのかな?」


「……もしもなんですけど、死んだ人が生き返ったりとかしたら。その人の未来ってわかるんですか?」


「さぁ? その人に会ったことないからわからない。まさか、あの人がそうなの?」


「ほ、本人は死人だって言っていました」


 キャリーは頷きながらお茶を一口含んだ。ヴィンは大人しく飲んでいる。


「……死人、死人ねぇ。ヴィン、その子ってどういう人物像か教えて」


「こういう感じだよ」


 すぐに懐から写真を一枚取り出すと、それをキャリーに渡した。受け取って、写真を眺めると、また一口お茶を飲む。


「この子、見たことあるけど……あれ? 何か違う」


 キャリーはディースと間違えているのだろうか。


「あ、あの、そいつに似たやつならいますよ。反軍のやつですよね?」


「そうそう。あぁ、やっぱり視えないな。二人とも、もっとこの子について教えて」


「えっと。取材とか写真が嫌いな人、こいつと同じくらいの身長、ボールドウィンさんとは犬猿の仲、料理が下手くそ、私たちより体重が――」


 そこまで言うヴィンにキリは口を塞いだ。


「それハルマチにバレたら怒るぞ」


「はっはっ。バレなきゃいいんだよ」


「んー……ダメ。何もわからない。ていうか、死んだ人は視えやしないんだけどねぇ。デベッガ君が知っている彼女のことを教えてよ」


――俺が知っているハルマチ……?


 キャリーに訊ねられ、なぜか顔を赤くするキリ。


「……おいおい、デベッガ君よ。あたしは色恋沙汰の話を訊きたいわけではないのだよ。あたしが訊きたいのは感情じゃなくて彼女の情報だよ」


「あっ、はい」


 そう言われると、ほとんどがヴィンに言われてしまっているようなものだ。自分が知っているアイリとなると、このことを話してもいいのか戸惑ってしまうものだ。


「えっと……。あっ、そうそう。大切に持っている本があります」


「本?」


「はい。ピンク色をしてて、分厚い。何かの手書きだそうですけど」


 キリからそのことを聞くと、キャリーは写真とコップを漫画の絵が積み重ね上げられた机の上に置いた。そして、腕を組む。彼女は悩ましそうに口を尖らせていた。


「ああ、何も視えてこないわね。名前聞いても、その子のことも聞いても。誰か知り合いに、死んで生き返った人とかいないよねぇ?」


 とうとう壊れてきたか。キャリーは二人に詰め寄ってくる。だが、そのようなことを訊かれても知らないし、聞いたこともない話だ。そもそも、死んで生き返った者などいるものだろうか。


――流石にあのときはまだ俺、死んでいないし……。


「ちょっとキャリー姉さん、落ち着きなよ。第一に本題から脱線しかけているし」


「そうだった。ごめんなさい。それで、デベッガ君は過去の歯車をハルマチっていう人からもらった。ここで本来の本題に入るんだけど、その子はどこで手に入れたとか言っていた?」


「いいえ」


 首を横に振るキリに「言っておくけど、ありえないからね」と返すキャリー。


「それは本物の過去の歯車じゃない。本物はこの国にいるターネラ・スタンリーが持っている。デベッガ君一人で会う未来はないみたいだけど……きっと、彼女と一緒にいるときに会うんじゃないかな。いや、それ以外でも会う、かも?」


 断言できない、とキャリーは言う。


「お、オハラさん、その人はどこに?」


「その子は学徒隊員。けれども、デベッガ君がその子を探しに行ったとしても会えないだけかもしれない。未来がそう言っている」


「ヴィン、スタンリーって子知っているか?」


「……んー、知っているけど、教えない。いいんじゃない? いつかは会えるさ、多分」


「それもそうね。今、あたしたちが考えなくてはいけないのがハルマチっていう子の存在と本物ではない過去の歯車の存在意義よ」


「は、はい」


 話を戻すと、キャリーはコップに入ったお茶をすべて飲み干し、写真をヴィンに返した。


「でも、デベッガ君は途中から賢くなったわね。それを服の下に仕舞うなんて。前までしていなかったみたいだけど、よく誰にもそれが過去の歯車だなんて訊かれなかったとか。相当運がいいよ。あたしなんかはよく狙われるんだよね、キイ教の連中に」


「キイ教徒が狙っているんですか?」


 関係は薄くないことをキリもなんとなく理解していた。マッド討伐の際に出現した歯車の剣と同様のあの剣、全く似ていたのだから。


「そう。キイ教の過激派はこれらを欲しがっている。んー、あっ。一度だけ会っているんだっけ? そのときは服の下に隠していたみたいだけど、きみも大変だね、ハルマチに似ている子。恐ろしいよ」


 一度だけではない、何度か遭遇しているが――。


――そっか、会うタイミングでハルマチがいるときが多いんだ。


「いえ、ハルマチと一緒にいるときに遭遇することがあります。何度かこれを見せたことあるんですけど……」


「ふむ。ならば、本物ではないと見たのか。それとも……。あたし自身も本物を見たことないから言いにくいけど」


「あの、キイ教って――」


「追放の洞をただ単に壊すことが目的じゃないよ。あいつらはこれらを所有して世界を手に入れる気だ」


「なんで――」


 ここでキャリーはキリの口を封じた。二人が持っていたコップを奪い取り、ここから去ることを促した。これに彼らは顔を見合わせる。どういうことだろうか。


「あたしの話はこれまで。ヴィン、無理に予定を作らせて悪かったね。デベッガ君、いきなりで悪かったね」


 キャリーは二人の背中を押し、強引に部屋の窓から追い出した。強制的に追い出され、彼らは入ってきた階段とは別の場所からキリを下敷きに着地する。


「ふぎっ!?」


「おっと、平気かい?」


「……どうしたんだ、いきなり」


 ゆっくりとキリは起き上がった。


「わからないけど、姉さんは私たちに早く学校に帰れと警告を促しているんではないのかい?」


「強引過ぎるけど、何か気になるな」


 キリは連絡通信端末機を取り出そうとするが、ヴィンに止められた。


「止めておけ。スられるぞ」


「じゃあ、あの人に」


 もう一度彼女の部屋へと行こうとするキリは回って、アパート前に行こうとするが止められた。


「あれ」


 指差す先は窓から飛び降りようとするキャリーの姿。手には大きめのバッグがあった。そしてそのままキリの上へと着地する。


「ごめん! 訳は走りながら行こう! ほら立って!」


 強引に起こされ、三人は王都の中央街の方へと走り始めた。


「何ですか、いきなり!?」


「いや、実はね。あたしってほら、風刺画家でしょ? それとあれ持ちだからよくキイ教の過激派とかに狙われるのね。今日は多分ヴィンたちを着けてきたやつでもいたんでしょ。今頃、あたしの部屋はめちゃくちゃ……はぁ、担当に引越ししたことを伝えないと」


「ず、ずいぶんと気楽ですね」


「これ持ちだと来客のタイミングもわかるよ。で、逃げるならターミナルの方へ行きなさい。あたしとはここでお別れよ」


 そう言うと、キャリーはその場に立ち止まった。キリたちも立ち止まる。そんな彼らを見て彼女は神妙な顔付きを見せた。



「一瞬だけど、きみが力に飲み込まれる姿を視た。気をつけてね」



 キャリーは手を上げると、路地の方へと逃げていってしまった。唐突にそのようなことを言われ、呆然と立ち尽くすキリであったが、ヴィンが彼の服を引っ張りながら走るように指示をした。よくよく走ってきた方を見れば、黒い服装をした複数の者たちがこちらへと走ってくるのが見えるではないか。危険である。


「急げ!」


「わかっているよ!」


 二人は信者に捕まらないように、指示された公共機関のターミナルへと急いだ。


 幸いにも施設に辿り着いたときには、ちょうどいいタイミングで学校行きの便が出発しそうだった。それに乗り込んで事なきを得る。彼らは息を整えつつも窓から様子を窺う。もう信者たちは追いかけてくる気配がないのか、姿は見えなかった。


「せ、セーフのようだね」


「でも、俺たち顔を見られているよな? きっと」


 これから町に出るのが怖いな、とキリは思っていた。それと同時にキャリーの安全有無が不安である。


「オハラさん、大丈夫なのかな?」


「わからないけど、先が視えるなら平気なんじゃないのかい?」


「それならいいけど」


「一番私が気になるのはキャリー姉さんよりもお前のことだ。学校に着いたら訓練場の裏に来い」


「…………」


     ◆


 学校内にあるターミナルへと便が到着すると、一足先にヴィンは降りた。早く来いという示唆なのだろう。彼の後を着いていきながら、三銃士軍団用の制服の上を羽織った。


 訓練場の方へと向かう二人にマックスが気付く。キリを大声で呼んだ。彼らはそちらの方へと見ると、ヴィンが「用事済ませてからでいい」と言い残して行ってしまった。その場で立ち止まり、彼の背中を見ていると、マックスは駆け寄ってくる。


「あまりにも遅いから心配したぞ。ほら、隊長たちに報告してこい」


「は、はい!」


 そうだった。授与式が終わり次第、エドワードとブレンダンに報告しなければいけないことをすっかり忘れていた。キリは慌てて校舎内へと走り入り、エドワードの部屋へと急いだ。部屋のドアのノックをし、返事に答えるようにして入室する。


「遅れて、申し訳ありません……」


 息を切らして入室してきたキリにブレンダンは「大丈夫かね」と心配そうに声をかけてきた。


「相当急いでいたようだね。式が終わって急な用事ができたのか?」


「い、いえ。寄り道していました……」


「それで大急ぎでこちらに来たんだね。肝心の勲章は見当たらないようだけど?」


 もらった勲章と記章をポケットに入れたままだったことを思い出し、キリは焦りつつもポケットの中を探る。いの一番に取り出したのが連絡通信端末機で急いで仕舞う。反対側のポケットの方に入れていたことを忘れていた。彼はようやく紅武闘勲章と三銃士軍団の証を制服に装着した。


「授業や任務中は邪魔になるから外しても構わないけど、こういうときや式典のときは必ず着けておいてね」


「はい」


「それじゃあ、改めて。デベッガ君、おめでとう。校内初というか、史上初で異形生命体を単身で倒したキンバー君もすごいけど、きみは回復力が桁外れたとんでもないやつの相手をして、剣? みたいなので倒したらしいじゃないか。その剣って今持っているのかい?」


 エドワードの言う剣はおそらくカムラの剣だ。キリはマッド戦のときに歯車の剣を使用していない。しかし、あの剣――実は手元にないのだ。歯車の剣であるならば、そのキャリーが言っていた過去の歯車として普通の歯車の大きさに戻るのだが、あの剣は土屑になってしまったのである。そのため、キリは消えたと返答した。


「うん、私たちも一応は映像を見せてもらっていたけど。あれ、やっぱり消えちゃったんだ。残念だなぁ。あるなら研究機関とかに調査依頼してもらって、今後の対策にしたかったんだけど」


「俺もよくわかんないんです。いきなり石像が現れて、丸腰で俺と同じ顔したやつのところまで飛ばされて」


「精鋭隊員たちが見たっていう石像だね。そちらも報告は聞いているよ。でもね、そちらも気になるけど、私としてはハルマチさんの行動が気になるな。定時報告まで待てないから、知っている範囲で教えてくれる?」


 そう言うエドワードにキリは頷いた。


「えっと、任務に積極的ではない様子でした。なんだろう、いきなりグリーングループの武器開発部門に電話して、武器の軽量化しろと言っていましたね」


「……あの子、任務中に何してんの?」


――それは俺も知りたいです。


「なるほど、ハルマチさんは武器の新たな開発を急かしていた、ということか」


「うーん、というよりも、重いから軽いのが出たらいいよね。みたいな感覚だと思います」


「……他に、何かおかしなところは?」


「そうですね……」


 キリは追憶の洞に入ったことは黙っておくことにした。元々、あの洞穴内には立ち入るのは禁止というルールが以前の任務のときにあったからだ。


「後は反軍と遭遇したときに、自分は一人っ子だって言っていましたね」


「一人っ子、ね」


 ブレンダンはアイリの個人情報の書類を見た。その書面に記載されている家族構成には『父』のみが記入されている。他の家族はいない様子である。


「デベッガ君はハルマチさんのご家族と会ったことは?」


「ないですね。家の話は聞いたことないですし」


「今度、さりげなくでいいから家族についても訊いてみてくれるかい? できたら出身地も」


「はい。あの、入隊前に記入する書類には何も書かれていないんですか?」


 そう訊ねると、エドワードはその目で確かめろと言わんばかりに、アイリの個人情報の書類を見せてきた。これは一介の学徒隊員の自分が見てもいいのだろうか、といささか不安ながらも閲覧する。


 アイリの個人情報の書類には名前と途中まで記入された住所、家族構成の三項目しか記載されていなかった。いや、一項目は中途で終えているから二項目であろう。


「それ以前になんで反軍に会って一人っ子宣言をしていたの?」


「あ、それが……任務地で会った反軍の仲間にハルマチと似ている人物がいるんです。今回逮捕されたそいつがハルマチに向かって、仲間の名前を言い出したんです」


「……うん、前に彼女に似た反政府軍団員がいたという報告があったね」


「はい、俺も何度か報告書に記入しています。正直言うと、俺も本人と見分けがつかないくらいのそっくりだから」


「見分けられる方法とかないのかね?」


「……ハイチさん曰く、ハルマチが変人で反軍の方が変態だそうです。でも、俺はそれで見分けられませんでした」


「変人、か」


 エドワードは渋った表情をする。


「キンバー君にも前にハルマチさんの人物像について訊いたことあるけど、そういう感想じゃなかったなぁ。なんだっけ……そうそう、キイ教の教典に出てくる悪神のように人を唆すような悪いやつだ、っていう感じで言っていたけど。正直なところ、宗教関係の話をしてこられても困るんだよね」


「はぁ」


「そもそも、ハルマチさんの人物像について接点のある学徒隊員や姫様にも聞いたけど、みんなが口を揃えて言うのは堅いことを嫌うような人物みたいだけど……人物像ってだけで彼女がどういう存在か知ることはできそうにないなぁ」


 これまでのキリとセロの定期報告の人物像、聞き込み調査による人物像、本人の報告書や授業中の態度から窺える人物像。全く掴み処のない人間であることがわかっている。そして、アイリは警戒心が強いのか、仲のよいメアリーやキリにも絶対に口を割らない秘密があるはずだとエドワードは睨んでいた。


 だからこそ、逆に考えてアイリに関する情報はキリで止まっているのではないかと思うようになってきた。


「……とりあえず、今度の報告までに家族や出身地のこととか、お願いね」


「はい。それでは、失礼しました」


 キリは二人に頭を下げ、退室した。ドアの閉まる音が聞こえ、しばらくすると、ブレンダンはアイリの個人情報の書類を眺める。


「……保護区の異形生命体の討伐戦での待機するはずだった彼女の行動が気にかかりますね。肝心の監視係である二人が討伐部隊としていなかったということが一番痛い話でしょうが」


「落し物を探しに行っていたというのは不自然な行動だからな。それにこの監視任務も知っている者は我々を含めて四人。本人も気付いている。あまり監視者を増やしても……」


 エドワードは眉間にしわを寄せてため息をつくばかりであった。


     ◆


 ため息をつきつつ、キリは服に装着していた勲章を外していた。別に三銃士軍団の証だけを着けるのには何ら問題はない。だが、今日授与された勲章もとなると、相当の重量になることがわかった。名誉ある物を受け取るのは嬉しい限りだが、やはりどこか気が重い気がする。


 それに今からヴィンに呼び出しを食らっているのだ。絶対、歯車のことについてとやかく言ってくるに違いない。あれこれ質疑されても答えられないのに。どうしようかと訓練場の方へと向かっていると、ハイネに声をかけられた。


「キリ君」


「ああ、どうも」


 そう言えば、周りに生徒がちらほらと行き交っている。今は休み時間だろう。


「紅武闘勲章だっけ? おめでとう」


 柔らかい笑顔でそう祝福をしてくれた。キリはぎこちなさもありながらもお礼を言う。


「ははっ、ありがとうございます」


「…………」


「…………」


 会話が続かない。二人は自然と視線が逸れていく。


「……キリ君って、変わったよね」


 ハイネの方を見た。彼女はキリと目線を合わせずに廊下の窓の外を見ていた。


「そうですかね?」


「うん、前のキリ君とは大違い」


――なんだろう……。


 その物言いはキリにとって引っかかった。祝ってくれてはいるものの、それを素直に祝福してくれている様子ではない。むしろ、今の自分を快く思っていない気がしていた。


「…………」


 逆に何も言えない。どう反応したらいいのか。キリが困惑していると、ハイネがもの寂しそうな表情をしてこちらを見てきた。彼女のその顔を見てキリは動揺する。


「やっぱり私のこと、嫌いになった?」


「えっ、いや。別に『キンバーさん』のこと、嫌いじゃありませんよ」


「……そっか。うん、嬉しい。けど、素直には喜べないや」


 ハイネは泣いていた。大粒の涙が頬に伝っている。彼女自身、どうして自分が泣いているのかわからなかった。どうしてか、悲しい。心が切羽詰まって、苦しい。キリを見るのもつらかった。


「き、キンバーさん。大丈夫ですか?」


「ごめん」


 あふれ出てくる涙を止めることができず、ハイネはその場を走り去ってしまった。その場に立ち尽くすキリは自分自身も胸が苦しくなってくる。彼女に何もしていないのに。


――なんで?


「何、ハイネを泣かせていやがるんだ、この野郎」


 困惑していると、真後ろからハイチが頭を軽く小突いてきた。まさか、彼が聞いていたとは思わず、肩を強張らせて背後を振り返った。


「は、ハイチさん……。すみません。でも、俺はキンバーさんの何を傷付けたのか……」


「…………」


 その発言にハイチは眉根を寄せた。彼がいつも見せる眉間のしわはより深く刻まれる。


――こいつ、今なんて言いやがった?


【よ、よろしくお願いします! キンバーさん? とえっと……き、キンバーさん……?】


【ふふっ、私もハイチも下の名前でいいよ。よろしくね、キリ君】


【はい! よろしくです、ハイネさん!】



【どうかな、味……】


【うん、すごく美味しいですよ。ハイネさん、お料理上手なんですね】



【ハイネさんから離れろ!】



【ハイネさんもご無理なさらないでくださいね】



【ありがとうございます、ハイネさん!】


――あんまり、ハイネとは話さなくなったなとは思っていたけど……。


 思い返せば、ここ最近のキリはハイネに対してどこかよそよそしさがある気がした。だが、それは違和感だと思うほどではなかったため、ハイチ自身はあまり気にしていなかったが――。


「冗談じゃねぇぞ」


 ハイチは小さく呟く。ハイネはいつも通りに接しているのに。以前のキリは彼女に同等の接し方をしていたのに。いつの間に距離を置こうとしているんだろうか。


「……デベッガはハイネのこと、本当に嫌いじゃないんだよな?」


「えっ、はい。も、もちろんです」


「じゃあ、どうしてあいつのことを名前で呼んでやらない?」


 ハイチのその言葉にキリは目を丸くした。その反応をじっと見てくる目が恐い。


「え、え?」


「いや、え、じゃなくて。お前それ、本気で言っているの?」


 戸惑いを隠せないキリを怪訝そうにする。彼自身、物覚えが悪いわけでもない。だからと言って、ハイネと険悪になった様子でもない。


「な、名前って……え、ファーストネームですよね?」


「じゃなきゃ、どうだって言うんだよ。ハイネが前に言っていたこと忘れたか? ンなわけねぇよな? デベッガは暗記が得意というか、記憶力だけはいいんだろ?」


 忘れたと言えるような雰囲気ではない状況にキリは視線を泳がせた。何か言い訳を模索するが、通用できそうになかった。もう本当のことを言うしかないとハイチを見る。


「……あ、あの、キンバーさんの言ったことを忘れたわけじゃないんです」


「じゃあどうして――」


「キンバーさんの記憶が失くなってしまったんです」


「言っている意味がわからない」


 それもそうだ、とキリは項垂れた。本当のことを話したとしても、人一人だけの記憶がごっそりとなくなってしまう話なんてありえないようなものなのだから。


「なんだよ、そのハイネの記憶が失くなってしまったって。おかしなこと言うな」


「嘘じゃありませんっ」


 今日、初めてきちんとハイチと目を合わせた。彼の疑いの眼差しが怖く感じる。


 しばらくの間視線をぶつけ合っていた二人だが「いつからだ?」と訊いてきた。半信半疑の様子でこちらを見ている。


「仮に、だ。記憶はいつからない?」


「……バグ・スパイダーの事件のときからです」


「取り戻せないのか?」


「い、いえ。データ世界に行って探したり、ガンにも手伝ってもらったりしてます。今は失った記憶の十パーセントくらいは回収しているんです」


 キリはずっと視線を合わせているのが気まずいのか、一瞬だけ窓の外を眺めた。風が吹いているようで、草木が揺れている。


「ふうん……それでも呼び名はそのまんまか?」


「見つけた記憶は今ここに保存しています」


 キリはそう言うと、ポケットから連絡通信端末機を取り出して、記憶の回収状況のアプリをハイチに見せた。画面上にはピンク色をした円形があり、その真ん中には『12』という数字が表示されていた。


「なんでまたこれに……」


「完全じゃない状態でキンバーさんの記憶を持ちたくないんです」


「…………」


「知ったかぶりは嫌なんです。キンバーさんとの共有の思い出が虫食い状態で、語り合いたくないんです。だったら、それならば。まだ白紙のままの方がいい。きちんと取り戻した上で彼女とお話をしたいんです」


「……ハルマチはこのことを知っているのか?」


「いいえ。俺が何かしらの記憶を失ったということくらいを知っているだけです」


 そうキリは苦笑いしていた。なぜ、こいつは記憶を失くしてもそのような態度でいられるのだろうか。誰にも相談せずに、自分で解決をしようとすることにハイチ自身の腹の底から苛立ちが沸き上がってきているような気がした。


 そんなキリに思わず舌打ちをした。


「……ああ、そうかい」


――こいつはまたハイネを泣かせやがった。それもなんとも思っていねぇ。


「本当、冗談じゃねぇ」


 頭を無雑作に掻きむしるハイチ。眉間のしわはまだ深い。


「は、ハイチさん?」


「それなら、もうハイネと関わらないでくれ」


「え……」


「いや、だから、え、じゃねぇって。記憶、相当前からないんだろ? それから今までにハイネとの接点、あるよな? その記憶はあるよな? ハイネをさっき泣かせたよな? そんな状態で、記憶を取り戻してお前は話せるの?」


「…………」


 凄みのあるその物言いにキリは口を噤む。視線すらも合わせるのが怖かった。


「そんなやつともう一度仲良くなるハイネが可哀想過ぎる」


「……そう、ですか」


「ああ。だから、もうハイネの記憶は捨てろ。あいつのことは、一生キンバーさんとでも言っていろ」


 キリに対して嗤笑すると、踵を返して立ち去ってしまった。その場に立ち尽くす彼は手に持つ連絡通信端末機の画面を眺める。


 すると、一件のメールが届いた。差出人はガンからである。


『データ・スクラップ・エリアで欠片を見つけたよ。アプリの中に入れておくね』


 果たして、ハイチの言うこのハイネの記憶は捨てるべきなのだろうか。


「どうすればいいんだよ」


 ガンに返信することなく、ポケットに仕舞い込む。そのまま、訓練場の方へと向かうのだった。


     ◆


 ヴィンに指定された訓練場の裏へとキリはやって来た。建物の壁を背もたれにしてカメラの整備をしているようだった。


「ヴィン」


「おお、遅かったな」


 近寄りたいが、ヴィンの周りに落とし穴でもあるのではないかという警戒心があるおかげで近寄れなかった。


「安心しろよ。そんなことする余地がないから」


 キリが行かない代わりにヴィンが近付いてきた。数歩の距離のところで止まると、服の下に隠しているであろう歯車を指差す。これにキリは一歩だけ下がった。


「なあ、お前が持っているそれの所有権を放棄してくれないか?」


 予感だけはしていた。眉間にしわを寄せる。


「ほ、放棄したら、知っているだろ?」


「知った上で言っているし、お前は人の道を外れているんだ。私がお前を人間に戻してあげるって言っているんだ」


「……嫌だ」


「ああ。痛いのは誰も嫌がるのは当たり前だ。だから、所有権を放棄した直後に殺す」


 ヴィンは大切にしているカメラを地面に置くと、ナイフを取り出した。刃先は真っ直ぐとキリの方に向けられる。これにキリはまた後ろへと下がった。


 いつものお調子者のヴィンではない気がした。


「……俺を殺して、どうするんだよ。ヴィンが所有権を持つのか?」


「ははっ、誰が持つかよ。誰も知らないようなところに捨てるだけだよ」


「…………」


 キリは歯車を渡したくないのか、服の上から歯車を掴んだ。


「嫌だ!」


 それでも断るキリにヴィンはナイフを下に下ろした。彼に対する視線は悲しそうである。


「……なあ、私はお前のためを思って言っているんだよ?」


――『知っている』さ……。


 この歯車はキリが願った事実が形に表れた物だ。今までの彼自身が築き上げてきたものを世界は気に食わないと言っているらしい。


 そうなるであれば、最初からすべてを知っていれば不死者として生きることはなかっただろう。目の前にいる幼馴染を悲しませることはなかっただろう。それにあの兄妹の関係に亀裂が入ることはなかったはず。だが、待って欲しい。この歯車の所有を持たなければ今の自分はなかっただろうし、雪山演習で一人くたばっていただろう。何をどう足掻いても、ここまでの自分の未来はなかったように見えた。だからこそキリは心中に一つの思いがある。


――手放したくなんかないっ!


 キリは一つの願望を心の中で爆発させた。


 自分が歯車を持っている事実をヴィンの記憶から消し去りたいと願った。別に彼との友情なんて捨てても構わない、ヴィンが自分に歯車のことをとやかく言ってこないのであれば――。


――ヴィンの記憶から俺の存在が消えてもいいや。


 その直後、訓練場の裏に一瞬だけまばゆい光が走った。光の元は過去の歯車である。


 すぐに光は消え去ってしまった。目の前には呆然と立ち尽くしているヴィンの姿が。


「あり? なんで私……えっ? ね、ねえ、私たちこんなところで何していたかわかる?」


「う、ううん。俺が来たときは、その状態でいたから。大丈夫?」


「いや、大丈夫ではないようだ。頭がおかしくなったのかな?」


 ヴィンは頭を悩ませると、地面に置いていたカメラを拾い上げた。どこか異常はないかの確認をすると、キリの服に着けられている三銃士軍団の証と服装に目が止まる。


「きみって、三銃士軍団にいたっけ?」


「うん、そうだよ。俺のこと――『忘れた』?」


「……忘れた?」


――記憶がない?


「ご、ごめん。ここ最近バタバタしていたから。最近、だよね? 入団したの」


――ないな。うん。


「いいよ、仕方ないしね。俺、デベッガって言うんだ。ザイツだよな? シルヴェスターたちから聞いているよ」


「そっか、よろしくな」


――そう、これでいいんだ。『これ』で。


 キリとヴィンは握手を交わした。このとき、ハイネの記憶からも自分の存在を消したとするならば、どうなるのだろうかという考えが過るのだった。


     ◆


「遅いよ。どこでどうしていたの?」


 薄暗い研究室にて、ディースがこの部屋にやって来た人物にそう訊ねた。その人物は青の王国軍が捕らえていたはずのガヴァンであった。彼は泥だらけながらも答える。


「軍から逃げていた」


「あぁ、そう。で、キリ君は?」


 この場所に来たのはガヴァンだけ。ディースが気になるのはマッドの所在である。


「マッドなら倒されちまったみたいだな。経緯はよく知らん」


「はぁ!? 冗談でしょ!? ありえない!」


「ありえないと大騒ぎしても、事実が事実なんだからしょうがないだろ? 俺だって、逃げるのに必死だったのに」


 そう言うガヴァンは適当に場所を見つけて腰をかけた。


「だって、おかしいよ! キリ君、どんな傷をつけられてもすぐに癒えるんだよ!?」


「あれだろ? もう一人の方、あいつが強過ぎたんだよ。きっと」


「ならば、もっと強くなるための強化をすればいいかと」


 研究室内でガヴァンにとって聞き覚えのない声が聞こえてきた。声の方を振り返ると、そこには全身黒ずくめに不気味あやしい笑みを浮かべた仮面を被った男性が立っていた。


「誰だ?」


「あんたとキリ君が追放の洞をぶっ壊しに行っている間に皇子から紹介された人」


「お初にお目にかかります。私はそうですね、バグ・スパイダーの開発者とでも言っておきましょうか」


 あやしい笑顔の仮面をかぶった男は二人に深々と頭を下げた。


「青の方々を懲らしめたいのであれば、物理ではなく、ネットワークが一番効果的だと思いますよ。この時代であるならばね」


 笑う男は手に一枚の資料を持っていた。

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