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世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う  作者: 池田ヒロ
第一章 巡り出会う者たち
20/96

相対

「俺がお前になるんだ。お前はいなくなって、俺が俺として新しいお前になる」


 目の前に全裸の自分が立っていた。こちらを見てにたにたと笑っている。気がつけば、自身も全裸だった。もう一人の自分はゆっくりとこちらにやって来る。


 怖くて逃げ出した。


「逃げるなよ」


 もう一人の自分は笑いながらゆっくりとした足取りで追いかけてくる。


「お前は俺でもあるんだからよ」


     ◆


 キリは目を開けた。カーテンの間から差す光が部屋の中に入り込んでいる。のっそりとベッドから起き上がる。汗を掻いていたようで、ベタベタして気持ちが悪かった。


「マッド……」


 夢で出てきたもう一人の自分。ずっと毎日のようにして現れている気がするし、毎日同じ夢ばかりを見ているような気がする。


「暑い」


 隣のベッドで呑気に眠るガズトロキルスを見て、閉めていたカーテンを開けた。外の光は当然眩しい。


     ◆


「隊長、すみません。遅れました」


 エドワードの部屋にやって来て、キリは一枚の報告書を渡した。それはアイリの言行を監視する定期報告の書類だった。


「ご苦労様。先日は色々と大変だったみたいだね」


 どうやら、集団食中毒で病院に入院した噂を聞いたらしい。キリに労いの言葉をかけてきた。


「ハルマチとライっ……姫様の料理で……」


「そ、そう。これ見ていると、特にあやしい動きはないみたいだね」


「ええ。なかなか……」


 受け取った報告書をデスクの上に置き、エドワードは別の書類を手に取った。その手には報告書の束である。それをキリに見せた。


「これ、式典の際の報告書。王国軍の人たちのだけどもね、何人かが同じような報告を上げているんだ。きみが皇国の人間ではないか、って」


 エドワードの言葉にキリは不快感あふれる顔を見せた。まるで心外だとでも言っているようである。


「……別に私はきみを疑っているわけではない。けれども、ありえない話ではあるよね」


「どういうことですか?」


「私はデベッガ君がハルマチさんと仲がいいし、監視に疑われないようだから監視者として抜擢しているけど……。本当はその情報を彼女に回しているのではないかい?」


「していませんよっ! 本人もそのことに気付いている様子はありませんし」


「まあ、どちらに転がるにせよ、王国の裏切り者は全員死罪のようなものだ。今の皇国との国交を見ればね」


「…………」


「それと、これ――」


 エドワードは報告書の束とは違う書類を一枚渡す。それは任務指示書であった。





<南地域においての土地調査>


セロ・ヴェフェハル

ハイチ・キンバー

ハイネ・キンバー

キリ・デベッガ


 上記の四名は後述の任務を遂行せよ。


 以前、異形生命体が出没した南山地地域一帯において、再度土地調査をすること。なお、この案件においては前回同様に異形生命体が出現したときに備えて王国軍の精鋭隊百名と共に行動を徹底すること。環境保護対象となるエリアにて不審者を見つけ次第、捕縛すること。また、対象エリアで戦闘になりそうな場合は対象外エリアにて交戦を図るべし。





「今回、四人に任務指示を与えるつもりだったけど、ハルマチさんを入れる。聞けば、前回の同様の任務で彼女は単身行動を取っていたそうじゃないか」


 初耳だった。アイリが単身行動? 彼女は確か、セロとはぐれて自分たちと合流したと言っていたが。どういう意味だろうか。はぐれた理由が単身行動を取っていたことだろうか。


「彼女の行動を先読みできないのは否定しないが、次の定期報告に期待しているよ」


「……はい」


 キリはどこか納得しないまま、エドワードの部屋から出た。そして、この任務の地で腕なしが現れないことを切実に願う。


     ◆


 どんよりとした曇り空の下、南山地への入り口前には最新の重機関砲類が搭載された装甲車が十二台駐車されていた。その周りにはこれまた最新の銃火器類を担ぐ王国軍人が大勢いる。その中に紛れ込むようにして、キリは不安そうに保護区の方を見ていた。


「しけた面しているな」


 ぼんやりと眺めていると、ハイチが声をかけてきた。


「ああ、ハイチさん」


「ここに怪物が出るらしいが、あんな重装備なら勝てないって言う方がおかしいよな」


 そう装甲車や作戦を立てている王国軍の精鋭隊の者たちに視線を送った。キリもそちらを見る。


「そうですよね。それに本来の任務は土地調査ですから」


「出ないことを祈っているぜ、俺は。なんせ、今回はら――面倒くさそうではない任務だしな」


『楽』という言葉を出しそうになって、ハイチは焦りかける。無理もない話だ。そのような言葉を精鋭隊たちの耳に入れば、睨まれかねないからである。そういうことを話せるのはまだ学徒隊員だけしかいないときか、軽い冗談が言えるような教官たちの前くらいだろう。いや、誰が聞いているかわからないから誰の前だろうと、本来言うべきではない。


「と、忘れるところだった。これ、一人一機ずつ持っておけだと」


 ハイチは手に持っていた二機の突撃銃の内、一機をキリに渡した。


「これ、最新型だよ。威力、スピード、距離。どれも学校の備品よりもいいモンだよ」


「知っているんですか?」


「前にな。試し撃ちをやらせてもらったことあるから。デベッガも三銃士軍団だし、そろそろ、そういう話もあるんじゃないか?」


 能天気に話していると、二人のもとに精鋭部隊隊長が書類を片手にやって来た。


「きみたち、いいかな? 今から総員に指示を仰ぎたいんだけれども」


「はい、行きます」


 隊長の言葉に二人は整列するのだった。


     ◆


 今回の任務においての部隊は以下の通りである。まずは調査班と待機班に分かれ、調査班はさらに二つに分かれて東西で調査をする。それぞれ精鋭隊員が約四十名、学徒隊員が二名ずつ。それぞれで調査項目を基に調査していく。そして、待機班は言わば警備班としてもかねる。ここ、保護区前の入り口を本部とし、周りを巡回して不審者や民間人が近付いてきていないかの見回りをする。待機班及び、警備班は精鋭隊員二十名と学徒隊員を一名。また、本部に指示役として部隊隊長を含む五名が待機することを予定としている。


 五人の学徒隊員たちは精鋭部隊たちに紛れて、傾聴していた。もちろん、おふざけで聞く気がなさそうなアイリでさえも、頷いている。周りが緊張感を放っているせいだろうか。


 物珍しそうにキリがアイリの方を見ていると、彼女の様子はどこかおかしいと思える気がし始めてきた。何がおかしいか。話を聞いて何度も頷いているようだが――。


「あっ」


――大人しいと思ったら、転寝だった!


 今ここで転寝するのかよ。キリは声を出しそうになるが、押し黙る。指示を聴収している隊員たちの呼吸が聞こえるか聞こえないかぐらいの静けさに、隊長以外の者が口を開けるはずもない。というか、よそ見もするべきではない。


 横目でアイリを見るキリはすべての指示を聞き終えるまで、ずっとひやひやしていた。そのおかげで指示内容が頭に入ってこない。だが、幸いにも指示内容と基本的に同じ指示書を所持していたことが唯一の安心点であった。


     ◆


 学徒隊員であるキリたちは調査隊東区域にキリとアイリ、調査隊西区域にはハイチとハイネ。そして、警備隊としてセロに分かれた。


 また東区域か、とキリは愁眉を隠せない。腕なしを見たのもここだったから。しかし、今回は完全武装な上、頼りになる大人たちも百人いるのだ。安心して調査はできるだろう。


「ふぁあ……」


 大きな欠伸をするアイリに「お前さぁ」そう、耳打ちをすした。


「緊張感持てよ。寝ていただろ」


「眠くなる声だから仕方ない。仕方ない」


 そういう問題ではないのに。何を言っているんだろうか。


「何が仕方ないだよ」


 キリはため息をつきながら、渡された調査書を小脇に抱えた。スコップで土を少しばかりすくうと、透明な袋へと入れる。その袋の口を強く縛った。縛ったところにタグをつけて、邪魔にならない場所においた。その間、アイリはただ傍観するばかり。また欠伸し出したぞ、こいつ。


「……ほら、ぼんやりしているなら調査書にでも記入してくれ」


「あいあいさぁ」


 調査表を受け取り、アイリは束となっている書類をパラパラと捲った。


「ねぇ、どこ?」


 記入欄がわからないのか、キリに訊いてくる。彼はスコップ片手にアイリのもとへと寄った。そして、記入場所を教える。


「ここだ、ここ。3のエリアな。俺らは東区域の土壌調査だよ」


「ふぅん。前より本格的ぃ」


「ライアンがいたからな。ここまで泥臭いことやらせないだろ」


「過保護だなぁ。メアリーも学徒隊員なのに」


 調査書に記入しながらアイリは文句を垂れ始めた。


「危ないから当たり前っちゃ、当たり前だけど、この銃も重いし。今度、開発にあたって、軽量化してもらえないですかねぇ?」


「俺に言うなよ。グリーングループの武器開発部門の人に言ってくれ」


 軽くあしらわれ、アイリは自身が持っていた銃火器類を手にしてそれに印されている製作会社のマークを確認した。


「電話番号教えてよ。言ってあげるから」


「後で自分で調べてくれ。今は任務中だ」


「わかってる」


 とは言っているものの、ポケットから連絡通信端末機を取り出して弄り出し始めた。頼むから真面目にしてくれよ。


「おっ、あった。あった」


 キリの静止する注意すらも無視をするアイリは調べた番号でそのグリーングループに電話をかけ始めるのだった。


「あっ、すいません。武器開発部門につないでいただけます? えぇ、いやぁ、そうでなくて。いや、その――。はい……あっ、はい。そうですね、最新兵器の軽量化お願いしまぁす。……えぇ、それだけですが、何か? ……あっ」


 通話していたアイリは急に画面を眺め出す。キリの方を見てきた。


「なんか向こう、ずっとどちら様ですか、どちら様ですかって訊いてくるんだけど。挙句に伝言承りますって言うけど、勝手に切られたし」


「不審者だって思ったんじゃね?」


「えぇ、普通武器を扱う人限られてくるのに」


「最近の情勢を考えろ。ほら、行くぞ」


 そうキリが促すと、アイリは端末機を弄りながら、着いてくる。止めろと言っているに。急に通話を切られたことに腹が立っているのか、止めようとしない。


「おーい、止めろぉ。足下危ないぞ」


 キリの言う通り、ここら一帯の地面は荒地なのだ。木の根で盛り上がっていたり、大きな石があったりして注意して歩かなければ転びかねない。おまけに今歩いているところの左側は急な斜面となっている。足を踏み外せば下まで転がり落ちてしまうのが目に見えるようだ。それなのにも関わらず、アイリは気にしない。というよりも、見て危なっかしいように見えるのは絶対に気のせいじゃない。


「見えている、見えている。大丈夫」


――いや、言っている傍から躓い……。


 心配そうに見ていたキリの目の前で、アイリは本当に転んでしまった。勢いよくこけてしまい、手に持っていた連絡通信端末機はそのまま斜面を転げ、下へと落ちてしまった。


「ああぁ!!」


「ほら、言わんこっちゃない」


「うわぁ、最悪。ちょっと、取ってくるよ」


 服が泥塗れになりながらも立ち上がると、調査書をキリに渡して斜面を下りようとした。それを彼は慌てて止めようとする。


「待て待て! 危ないからっ!」


「大丈夫、大丈夫。今度は下見ていくから」


 二度目のそういう問題ではないのに。この急斜面、気軽に下りられそうなものではない。静止を聞かずして、アイリは斜面に生えた木の幹に捕まりながら、ゆっくりと下りて行く。キリも彼女を追いかけ始めた。


「来なくても大丈夫だって」


「ンなわけあるかっ!」


 持っていたスコップを地面に刺しながら下りてアイリに追いつくと、手を掴んだ。


「俺が怪我してもすぐに治るからいいけどよ。ハルマチはそうじゃないだろ」


「ははっ、デベッガ君は心配性だなぁ」


 心配されたことが嬉しいのか、アイリは木の幹に寄りかかる。そして、喜色満面を浮かべた。


「でも、嬉しい」


 その笑みに、小恥ずかしそうに顔を赤らめた。だが、スコップが地面に刺し具合が甘かったのか、キリの重心が下へと傾き始める。


 直感的に落ちると確信を持ったキリはアイリの手を離した。落ちるのは自分だけでなければ――。


 そう思っていたのだが、アイリが手を掴んできた。空いたもう片方の手で木の幹を掴んでいたが――手を滑らせて、二人ともそのまま下の方へと落ちて行ってしまう。


 このままでは危険だ、とキリはスコップを捨てた。アイリを守るため、と自分が盾となる。彼女が傷付かないように、怪我しないように――抱きしめた。


 転がり落ちる時間はそう長くはなかったはずだ。キリの背中が下にある地面に着地する。鈍い音が一帯に響いた。体中にも響く。


 音を聞きながら、キリは仰向けの状態で見上げた。自分たちが先ほどまでいた場所は高いところにあるではないか。とても自分たちだけで上がることを拒まれるような気分である。斜面ではなく、それは崖のように見えた。


「あ、いったぁ……」


 アイリは軽く体を打ちつけただけのようで、外傷はない様子。それにキリは安堵した。


「大丈夫か?」


「うん」


 先にアイリがゆっくりと起き上がり、キリも起き上がった。すぐさま彼女は「ごめん」と頭を下げる。


「今更ながらって思うけど」


「いや、いいさ。ハルマチが無事なら。あっ、あったぞ」


 どうやら連絡通信端末機はキリの手元に転がっていたようで、それを渡した。


「ありがと。どうやって、上がる?」


「……ひとまず報告だな」


 キリは無線機を手に取り、同じ調査班の班長へと連絡を取った。


《――どうしたか? どうぞ》


「すみません、俺たち足を踏み外して斜面から落ちちゃって。上に上がるの難しそうなんです。どうぞ」


《怪我はないか? どの辺から落ちた? どうぞ》


「はい、目立った外傷なし。3のエリアから落ちました。どうぞ」


 確か土のサンプルを採取していた場所がそこだ。


《ならば、北西の方角へ向かうんだ。行くと、緩やかな獣道の坂があるはずだ。そこから11のエリアに出るはずだ。足下に気をつけて。以上》


「了解」


 位置特定と進むべき方角を確認し、今から向かうことを伝えた。精鋭隊員は問題ないと確信したのか無線を切ってしまう。


「ハルマチ、行こうか」


 無線で連絡を取り合っている間、アイリはどこか一点を見つめていた。彼女に声をかけても反応はない。


「ハルマチ?」


 反応なしのアイリの視線を追う。彼女の視線の先には欝蒼とした木々に囲まれた洞穴の入り口であった。


「追放の洞?」


「……なの?」


     ◆


 西区域で調査をするハイチとハイネ。生えている木々の種類が何であるか、専門書で照らし合わせつつ、調査書へと記していた。


「ここ、ほとんど同じような木ばかりだな」


 そうハイチは汚い字で記入していく。言わば、殴り書き状態。それは同じ種類の樹木ばかりで飽きたからきている心理状態なのか。専門書を手にしているハイネが彼の手元を覗き込んだ。


「だとしても、もう少し丁寧な字で書きなよ。読みにくい」


「うるせぇな。ほれ、そっちの木は?」


「これも同じ」


 また同じだと聞いて、ハイチはどこかうんざりそうに記入する。


「いつになったら別の植物に巡り合えるかね?」


「別のエリアに行かないとないんじゃないの?」


 そうハイネが専門書から顔を上げると、その場所から離れた場所に見慣れた後ろ姿を見つけた。少し長めの茶髪に青い実技用制服――。


 これは幻覚なのだろうかと困惑するハイネ。ハイチが「次行くぞ」と声をかける。だが、彼女は何の反応もしない。


「ハイネ?」


 片眉を上げて視線の先を追った。そこにいたのは――。


「なんでキリ君がこっちに?」


 気になるのか、ハイネが小首を傾げてそのキリの方へと行こうとするも、止められた。ハイチの視線の先も後ろ姿の彼。だが、見る目は自分と全く違う。


「ここにいろ」


 そう言うと、近くにいた精鋭部隊員にハイネを頼んだ。彼女に調査書を投げ渡す。そして、突撃銃を手にし、銃口を下に向けて指だけ構える。いつでも発砲できる状態でキリに近付いた。


 ハイチのただならぬ雰囲気に気付いた精鋭部隊員たち。周りにいた彼らも作業中の手を止めて発砲の準備をし出した。


「ま、待ってよ、ハイチ!」


 なぜにそのようなことをするのか。理解できない。ハイチは何も答えずに、後ろ姿のキリへと口を開いた。


「おい、何していやがる」


「…………」


 ハイチの声が十分に届く距離なのに。何も言わないし、反応もしなかった。それが不気味だと感じる。まるで本人ではないような奇妙な雰囲気。


「デベッガ?」


 名前を呼んでキリはようやくハイチの方を振り向いた。その瞬間、ハイチは一歩だけ下がる。嫌な予感とでも言うべきか、その直感は無視ができない。なぜか。目元は血で汚れていたし、服自体も血の染みができていたからだ。怪我でもしたのかと考えるが、患部はどこなのかすらも検討がつかない。


 キリは一切口を開かず、じっとハイチの目を見つめていた。


「お、お前、何していたんだ?」


 よくよく見れば見るほど、血で汚れているのが確認できるのだが、その血の付着に違和感があった。目元、服、手、靴――。


 質問にキリはようやく口を開いた。


「灰色」


「……は?」


 血で汚れた指で差しながら、もう一度口を開く。


「目、灰色……」


「だからなんだよ。別に変じゃないだろ」


「変?」


 途端、キリは血塗れの手で自身の目を抉り始めた。思わず耳元に鳥肌が立つような耳障りな音が入ってくる。ハイチは突撃銃を強く握りしめた。


――イカれたのか!?


「嫌だ、嫌だ」


 抉り取った目玉をその手で握り潰す。その飛沫がこちらへと飛んできそうになった。両目が抉られたその目には空洞が。しかし、瞬きをした瞬間には元の薄い青色の目玉が収まっていた。


「よくそんな目玉を持って平気な面をしていられるな」


 また両目を抉り出しては握り潰す。


《――キンバー隊員? 状況説明をしてくれ。どうぞ》


 遠巻きで状況がよくわからないのか、精鋭部隊員の一人が無線機でハイチに声をかけてきた。だが、彼は答えられない。目の前の現状があまりにも突発し過ぎているせいで、声が出なかったからだ。


「俺はこんな薄気味悪い目玉を忌み嫌って取り出しているのに。ああ、嫌だ。なあ、本当はお前もその目玉が嫌なんだろ? 嫌だろ? 俺が取ってあげるよ」


 爪の中まで目玉の残骸と血が詰まった手がこちらに迫ってきていた。あまりにも気味が悪過ぎて、あまりにも不気味過ぎて。今まで見てきた者たちの誰よりも狂っている。それが恐ろしい、動きたくても動けないでいると――。


《キンバー隊員、応答しろっ!》


 無線機からの呼びかけにようやく体が動くようになる。爪先と自身の目玉が触れる直前でハイチは威嚇の発砲をした。すぐに距離を取る。危なかった。無線機からの呼びかけがなければ、自身の両目玉は損失していた可能性だってあるのだから。


 肩で息をしていて、汗が額からにじみ出てくる。硬直状態のキリは手を伸ばしたまま、じっとハイチを見ていた。


「お前、デベッガじゃねぇな?」


 このような人物をキリだとは思いたくもない。そう、こいつは――。


「いいや、俺は『キリ・デベッガ』だ。きっと、お前は誰かと混在しているんだろうよ」


《キンバー隊員? 先ほどの発砲は? どうぞ》


 そうだった、周りには精鋭部隊員とハイネもいる。特に彼女をこの場から逃がさなければ。こんなこいつの姿を見れば正気を取り戻すなんて言って、自身の命の危険を顧みずに近付くに決まっている。


――それならば……。


「――他の隊員に化けた異形生命体を発見。すみませんが、ハイネを安全なところへお願いします。以上」


《了解、援護をしよう。本部に連絡も入れ、きみの妹を本部の方へ送る》


 その返しの直後に、ハイチの背後からは数名の殺意が押し寄せてきた。近くにいた隊員たちだろう。すぐさま援護に入る体勢を整えてくれた。


「そこのお前、もう一度問う。『お前』は誰だ?」


 目の前にいる者がキリではないと確信しているし、目の前にいる者が人間ではないと確信した。こいつは噂で聞き覚えがある。彼に似たあやしいやつが建国式典に現れた、と。


「何度も言っているだろう? 俺は『キリ・デベッガ』だ」


 答えるキリ――否、マッド。その表情は口角を上へと吊り上げ、不気味な笑みを浮かべていた。


     ◆


 洞らしき入り口は木の根が押し退けられた跡があった。つまりは誰かが入った痕跡とも言えよう。


「ねぇ」


 入り口から視線を外さないアイリはキリに声をかけた。


「うん」


「行ってみようよ」


「いや、ダメだろ。隊員の人は上がってこいと言っていたし。早く戻るぞ」


 キリは恐れていた。もし、余計なことに足を突っ込んだとして、自分たちの目の前に腕なしが現れたら? と。自分は死なないにしても、問題はアイリだ。彼女が死んで、自分自身だけが生き残ったら? そう考えるだけで気分悪く思う。ここはすぐにでも他の調査隊の人と合流すべきである。しかし、アイリは彼の言葉を無視するように洞の入り口の方へと近寄った。


「中、暗いなぁ」


「おいっ、ハルマチ!」


 連絡通信端末機のライトを頼りに中へと入って行く。キリはアイリを追いかけた。


「ていうか、ハルマチって、暗いところダメだろ!?」


「大丈夫。外の明かりが見えるところまでしか行かないから。要は逃げ口さえあれば、走って逃げられるから平気よぅ」


「ゆうれ――」


 そう言いかけたとき、アイリが口を塞いできた。


「いないもんね! 絶対に!」


――という割には足が震えているように見えるんだけど?


 言動と行動が矛盾しているアイリであるが、どうしても行けるところまで行きたいというらしい。何が彼女をここまで惹きつけるのか、それが不思議でたまらない。キリはため息をついた。


「わかった。行くことには目を瞑ろう。だが、奥へ進む理由を教えろ。なんでそうしてまで行こうとする?」


 話すことにためらいでもあるのか。視線を泳がせるが、堪忍したのか「仕方ない」と言葉を続ける。


「あたしの勘が言っているだけ。行ってみろって。でも、その勘がなんであるかはわかんない」


「ハルマチは自分の勘頼りで行動をするのか?」


「もちろん、可能性だって考えて行動くらいはするよ。だけれども、その勘が捨てきれないものだともあたしは思う」


 これはアイリの言うことを信用して行くべきか。なんとも曖昧な答えに、渋った表情を見せた。そんなキリの顔を見て、彼女は眉根を寄せる。


「……そんなに行きたくないなら、デベッガ君一人で先に戻ればいいじゃん。戻る道も無線で聞こえてたしさぁ」


 そのようなことを言われ、心が少しばかり絞めつけられたような気がした。すごく寂しいと思う。


「じゃ、また後でね」


 一人奥へと行こうとするアイリの手を掴んだ。すぐに立ち止まってしまう。


「どうしたの?」


「お、俺も行くよ。暗いところ、苦手だろ?」


「……全く、デベッガ君は素直じゃないなぁ」


 鼻で笑われてしまった。上手くアイリを見ることができない。暗いから自分の表情がよくわからないだろうに。それでも、見透かされている気がした。


「行こう」


「う、うん」


 二人は外の光を背向けて、何も見えない暗闇の奥へと足を進めていくのだった。


     ◆


 そこまで長いこと歩いた気はしない。だが、背に当たっていたはずの光はとうに消え失せていた。傍にいるアイリは連絡通信端末機の明かりだけでは心細かったようで、不安そうにキリの服の裾を掴んでいた。


「戻ろうか?」


「う、うぅん」


 何度もそうして声をかけただろうか。戻ろうという提案を出しても、頑なに首を縦に振ろうとしない。


「もう少しだけ、もう少しだけ……行く」


 二人がしばらく足を進めていると、先の方が段々と明るくなってきた気がした。その明かりは別にアイリが持つそれの光でもなく、外の光でもなかった。その光は見覚えのある淡い光だった。あの歯車と同等の光を放つ岩肌。まさに幻想的。まさに暗闇の中の光。圧倒的な美しさに二人の目にはその光が映り込んでいた。


「これが、ハルマチの勘ってやつか? これと同じだ」


 そう言うと、キリは歯車を服の下から取り出した。ただ、それは淡くてあやしげないつもの光は放っていない。すぐに服の下に仕舞った。


 ゆっくりと真上や地面を眺めながら見ていく。ここで行き止まりのようだが、誰もいなかった。それでも、あの入り口にある木の根を掻き分けたのはつい最近だろう。


「もしかして、教典通りなら、カムラはずっとここにいたことになるのかな?」


「どうだろう? でも、なんだろう。本当ならあたしはすごく悲しいや」


 光る岩肌の一点を見つめるアイリの目はとてもうら悲しそうだった。それはまるでカムラの心情を知ったかのような佇まい。


――カムラって……。


「ハルマチ、あのさ……」


 自分自身が思ったことを口に出そうと、アイリに声をかけたときだった。入り口の方から足音が聞こえてきた。すぐに暗闇の方へと顔を向ける。もちろん、アイリもである。二人は急いで突撃銃を構える準備をし始める。


「こっち。こっちの方に隠れよう」


 小声でキリを呼び込んだ。彼は入り口から来る相手に感付かれないよう、岩陰へと隠れ込む。


――誰だ?


 足音は時間が経つに連れて大きくなってくる。相手がこちらへと近付いてきている証拠だった。大人しく、静かに待て。誰なのか見極めろ。


 キリはそっと岩陰から顔を覗かせようとした。すると、足音がピタリと止んだ。それと同時に彼もまた様子を窺おうとすることを止める。緊迫感が一気に押し寄せてくる。アイリも神妙な顔付きで、落ち着こうとしていた。


「誰かいるな?」


 相手にばれてしまった。二人は焦った表情で顔を見合わせる。


「誰か当ててやる。青の王国軍だな? うん、そうに違いない。だって、ここら辺にいるのは俺たち以外にお前らしかいないからな」


――俺たち?


 その発言を察するに、自分は王国軍の人間ではないと言っているようなものである。ということは、自分たち軍以外で挙げられるのは――。


「腕なしか?」


 そうとしか考えられなかった。キリは相手に向かってそう訊ねる。相手は鼻で笑ってきた。


「冗談止せよ。あんなカムラの傀儡となったやつと一緒にしないでくれ」


「じゃあ、誰だ?」


「それはこっちの台詞だってのに。大体、出てきたらどうだ? それとも姑息な手を使って俺を捕まえる気か?」


 こちらこそ冗談キツイ。話している相手がどのような人物かすらもわかっていないのに。何の策略もなしに行動ができるわけない。


 キリは焦っている心を落ち着かせるようにして、小さく深呼吸をした。


「……確かに、俺たちは王国軍だ。ここは王国軍以外は立ち入り禁止のはずだぞ」


「そりゃ、まあ。ここが保護区だってことも知っているよ。それだからこそ、ここに来た。世界のためにもこの場所を壊しに来た」


――黒の連中!


 その言葉にキリは勢いよく岩陰から飛び出し、銃口を相手に向けて構えた。唐突な行動にアイリは驚きを隠せない。彼女はその場で目を丸くするしかできなかった。


「大人しく投降しやがれっ!」


 怒鳴るキリは暗闇に向かって睨みつけた。誰かがそこにいることくらいわかっている。だが、姿は見えない。


「軍の連中って――」


 闇に紛れ込んだ者が笑いながらその姿を現した。にやにやと薄暗い場所で笑う者――。二人はその人物に見覚えがあった。


「お前はっ!?」


 姿を現した人物は、信者の町や王都で反政府軍団員としてディースと共にテロリズムを行っていた男だった。


「マッドの坊ちゃん、しばらく振りだな」


     ◆


《本部に告ぐ! 本部に告ぐ! 西区域にて異形生命体と遭遇! 現在、隊員数名とハイチ・キンバー隊員が25のエリアにて交戦中!》


 本部にて待機と警備を行っていた精鋭部隊隊長を含む隊員及び、セロがその連絡を耳にする。一斉に彼らは対象区の方へと顔を向けた。


「隊長!」


「……東班! 東班。応答せよ。現在、西区域にて異形生命体の出没確認! そちらにも別の異形生命体が出没する可能性、ありっ! 応答せよ!」


 隊長は事実を東区域にいる調査班に知らせるために情報を伝えた。その呼びかけにすぐに返し答えてくれる。


《――隊長、こちら学徒隊員二名が3のエリアより斜面より転落し、まだ合流できておりません。すぐに11のエリアにて合流致します。どうぞ》


 キリとアイリのことか。これにセロは冷や汗が流れる。彼らが無事なのか、と。


「学徒隊員たちの安否は? どうぞ」


《二人とも無事のようです。以上》


 その答えに一同は一安心した。


 精鋭部隊隊長はすぐに地形図を確認した。あの怪物がいるのは25のエリアであり、転落してしまった二人の位置はおそらく3のエリアの隣にある8のエリアだ。そこは25のエリアから8、9、10、11の四つのエリアからは遠い場所となる。


「……11エリアか」


 西区域では交戦中だと言っていた。だが、今回の任務は調査対象となるエリアでの戦闘を好ましくないとされている。


――入り口まで追い込ませてもな……。


 不可能ではないかもしれないが、相手をしている隊員たちの突撃銃の残弾に加え、こちらに誘導するまでの余裕はないはずだ。


「西班! 西班、応答せよ。交戦中の彼らはどちらの方角へと向かっている? 応答せよ」


《――こちら、北の方角へと向かっております! どうぞ!》


 地形図に目線を落とす。交戦中の隊員たちが向かっている先は入り口から遠ざかっていた。今更、こちらへと誘導は厳しい話だ。それならば、と隊長はとある場所に着目する。そこは調査エリアの対象外であり、なおかつ保護区外である場所だ。そこはハイチたちが向かっている先にあり、民家も何もないただ広い高原である。そこで迎え撃つ以外に方法などないに等しかった。


 精鋭部隊隊長はすぐさま全調査隊員に連絡を入れた。


「総員に告ぐ! 総員に告ぐ、西区域にて異形生命体出没。交戦中の隊員はそのまま北の方角へ誘導せよ! それ以外の隊員は38のエリアの北側に位置する高原の方へ直ちに向かえ! そこで迎え撃つ! 以上!」


 総員にその旨を伝えると、待機に加え警備隊員にも指示を出した。


「十台の車両を高原の方へ移動開始! 急げ!」


「はっ!」


 セロたちは入り口に駐車していた十二台の装甲車の内十台へとエンジンをかけ、指示通りの高原の方へと走らせた。


     ◆


「誰がマッドだ!」


 自身のことをもう一人の自分と見られたことに腹が立ったのか、キリは洞内で怒鳴った。彼の声がよく響く。


「マッドじゃなければ、誰だと言うんだ? まさか、自分の名前を言ったりはしないだろうなぁ?」


「はあ!? 自分の名前だから、自分の名前を言って何が悪い!?」


 それが正論であることはキリ自身理解しているが、男が何を言っているのか理解できなかった。そもそも、マッドってなんなのか。あのもう一人の自分自身のことであるのはわかる。彼がわざと『マッド』と呼んでいたから。


――それが、あいつの呼称じゃないのか?


「とにかく、今度こそお前を捕まえてやるっ!」


 キリはそう言うと、もう一度突撃銃を構え直した。しかし、男は銃口を向けられているのにも関わらず、のんびりと周りを見上げていた。なぜにこんな余裕があるのだろうか、と不思議に思う。


「ははっ、マッド。ここでそんな物ぶっ放してもいいと思ってんのか? ここ、保護区だろ? あーあ、怒られるぞぉ」


 そう言われた。ならば、とキリが服の下にある歯車に触れようとした瞬間――アイリが動いた。持っていた突撃銃の引き金を引かず、銃身で叩きつけるように立ち向かう。男は腰に下げていた二丁の銃砲を取り出して、一丁で防ぐ。残りの一丁の銃口を彼女に向けた。そこでようやくキリは動く。


 男が引き金を引く一歩手前で、キリが突撃銃で叩きつけようとした。その打撃は空いていた銃砲で止められてしまう。


「……それは、ダメっ!」


 二人がかりで力を押しているのに、男は眉一つ変えずにいた。むしろ、自分たちが力押しをされていて、負けそうな気がしてたまらない。


「ふぅーん、マッドの坊ちゃんはあいつと比べて力が弱いな。本当に軍人になるためのカリキュラムを受けてんのか?」


「だっ、黙れっ!」


「ははっ、それじゃあ、絶対に勝ち目はない、ない」


 力押しばかり気にかけていたせいか、キリは男に不意打ちとして足払いをされてしまった。その場で地面に手をついてしまう。


 すぐさま男はようやく空いた銃砲をアイリに向けて発砲しようとするが、今度はキリが銃身で脛を思いっきり叩いてきた。その打撃音は聞いているだけでも足がむず痒くなりそうなほど。それもそのはず。男の目には僅かながらも涙が溜まっていたのだから。


「ふざけるなぁ!」


 キリに向けて発砲する。彼は地面を転がって回避し、すぐに起き上がった。狙うはあご!


 男のあごに向けて叩きつけようとするも、すかさず銃砲の引き金を引いていく。銃弾は一発だけ。それがキリの頬を掠る。かろうじて、銃口から出てくる銃弾を避けることができている。


 ずっと銃身で力押しをしていたアイリは隙があると判断したのか、注意をこちらに向けようと、男の腹を蹴った。一瞬の緩みで彼女は競り合っていた銃砲を払い、彼の手を叩いた。その衝撃で男は銃から手を離してしまう。


 まだこれだけで終わりではない。アイリ自身も男のあご狙いであり、突撃銃で叩こうという狙いがあった。


――クソガキどもがっ!


 二人の狙いは見えている、と男はアイリが手にする銃を素手で捕えた。


「いっ!?」


――やることは見えてんだよっ!


 力任せにアイリを引き寄せて、彼女をキリの方へと盾にするように持ってくる。殴りかかろうと、銃を振りかざしかけていた彼は当てないようにして回避に努めた。次の行動が定まらない。アイリが危険だ。


「舐めんなよ」


 男がキリに向かって引き金を引いた。銃弾は真っ直ぐと彼へと向かう。


――うわっ。


 アイリが歯車を使うな、というのは何かしら意味があるんだろう。そのようなことが今になって頭を過る。


 目の前に迫りくる弾丸は――。


 キリに当たらなかった。


「なっ!?」


 キリと弾の間には壁から伸びた光る岩。それが守っていた。その衝撃的事実に男は目を疑う。よくよく周りを見渡してみれば、天井や地面や壁から光る岩が伸び出てきているではないか。まるで、男に対して威嚇しているように見える。だが、それに驚いているのは男自身だけではない。二人とも目を丸くしていた。


「えっ、何これっ!」


「か、カムラ!? う、うわっ! 最悪だ、悪神が!? 本当に!?」


 ここは善神であるキイに追放された悪神カムラが封印されたとされる追放の洞だ。これは自分たちに対する怒りを表しているとでも捉えていいものか。


 呆然と伸び出てくる光る岩を見ていた二人。しかし、男だけはあまりの恐怖心に駆られているのか、その場から逃げ出した。それに彼らも追いかけるように外に出ていく。


「あいつ、あいつ!! マッドぉ!! カムラが出た、助けてくれぇええ!!」


 男が向かう先は11のエリアへとつながる方角。二人も見失わないように追いかけた。


 外に出ても周りを傷付けることができないため――二人はただ、突撃銃を手にして走る。そんな後を着いてくるキリたちを煩わしいと思ったのか。男は一丁だけになった銃を発砲してくる。弾丸と彼らの間にまたしても地面から光る岩が飛び出してきた。それが銃弾を弾く。その岩は走ってくる二人の邪魔にならないように防ぐと、すぐに地面に埋もれていった。


「ンだとっ!?」


 このままだと、自分が行動できるのはひたすら走って逃げるだけ。そんな選択肢しか残っていない男は焦っていた。いつ光る岩が飛び出てくるか、恐れていた。早いところ、マッドと合流しなければ。


「く、クソっ!」


――マッドはどこだ!? なぜ、肝心なときにいない!?


「た、助けてくれぇええ!!」


 男が大声を上げたとき、前方からキリとアイリを心配してやって来た精鋭部隊員たちの姿が見えた。急にその場に立ち止まる彼は後ろにいる二人を見ると、下唇を噛み――隊員たちのところへと悲願しに行く。


「あ、あんたたちっ! 助けてくれ!」


「なんだ、お前は!? ここは一般立入禁止だぞ!」


 精鋭部隊員たちは助けを求めに来た男に戸惑いを隠せない。彼は走ってくる二人を指差しながら泣きつくのだった。


「班長! そいつはっ!」


「こいつら、人間じゃねぇ!!」


 その発言に全員は固まる。キリたちは足を止めた。


「何を言っている?」


 当然、理解不能だと答えた。それでも男はあること、ないことを口走る。


「あのガキ、異形生命体だ! 隣の女はそれを操っている魔女だ!」


――なっ……!?


「デタラメだっ!」


「そうだ、そうだっ! 冗談もいい加減にしろ、反軍のくせにっ!!」


「ひいっ!? 助けて、軍人さん! 俺、こいつらに殺されそうになったんです! ほら、足の痣を見てください!」


 男はズボンの裾を捲り上げ、赤く腫れ上がった痣を隊員たちに見せつけた。そこはキリが叩きつけた箇所である。


「俺、ここに迷い込んでいたところを殺すって! 必死に逃げてきたんですよ!?」


 迫真ある男であったが、一人の隊員――班長がキリたちの顔を見て、それぞれの隊員たちの方へと顔を向けた。彼らは一同に頷く。


「貴様、脱獄した反軍だな?」


「じょっ……冗談じゃねぇよ! 俺は道に迷った民間人だぞ!?」


 どうにか信じてもらおうと、必死に叫ぶ。だが、隊員は男が持つ銃砲を指差した。


「ならば、その銃はなんだ? 正規の物ではないように見えるが、製造登録番号を見せてみろ」


 強引に銃砲を奪い取る。取られてしまい、苦渋の表情を見せた。


「班長、製造登録番号がグリーングループの物ではないことが判明致しました!」


「密輸か。エーワン……いや、ガヴァン・ブルース。貴様を脱獄及び、不法銃刀所持の疑いで逮捕する」


 その言葉に反政府軍団員である男――ガヴァンは手を後ろに縛り上げられ、強引に立たされた。そして、連行されていくときに班長と呼ばれた隊員の無線機に連絡が入った。


《――東班! 東班、応答せよ。現在西区域の25のエリアにて交戦中の隊員二名が死亡! もうすぐ38のエリアへと入る。直ちに北部の草原へ向かえ! 以上っ!》


「了解。たった今、先月より脱獄していたブルースを捕えました。どうやら遭難中の学徒隊員らが交戦していた模様。本部へ五人とブルースを送ります。残りは38のエリアへ向かいます。以上」


《了解》


 班長が無線を切ると、キリは愁眉を見せた。


「交戦って、出たんですか?」


「ああ。デベッガ隊員の姿に化けた怪物だそうだ。明らかに人の様子とは思えない行動を取っていたからすぐにわかったらしい」


「お、俺の?」


 その話を聞いていたガヴァンは横目でキリを見ると不敵な笑みを浮かべる。


「反軍にいた俺だから言える話をしてやろう。そのバケモノを作ったのはそこの女だよ。なあ、ディース?」


「ンなっ!? 誰があの女だ!!」


「なんだ、それとも双子の妹のアイリちゃんか?」


「それであたしを貶めるつもりかっ! 言っておくけど、あたしに双子なんていないし――って、兄弟もいないっ! ずっと、一人っ子だっての!」


 自身のことをディースと嘯かれ、頭にきたのかアイリはこめかみに青筋を立てながら怒鳴った。今にも殴りそうな雰囲気ではある。


 そんなアイリを止めたのは班長だった。


「落ち着きなさい、ハルマチ隊員。一刻も争う状況だ。潔白を証明したいならば、ここではなく本部で語りなさい。ブルースの連行に着いて行きなさい」


「わかりました」


 班長の言葉に素直に従うアイリ。ここは大人しく引き下がるべきだと判断したのだろう。彼女はガヴァンを連行する隊員五人と共に本部へと向かった。残った隊員たちは彼らを見送らず、キリに大方の状況だけを説明して北部にある草原へと向かうのだった。


     ◆


《――東班、学徒隊員二名と合流。そちらの戦状況はどうだ。どうぞ》


 電源を入れていた無線機に同時期の報告が流れてきた。どうやら遭難していたキリとアイリは調査隊員たちと合流できたらしい。


――ということは……。


 ハイチは迫りくる血塗れのキリの姿を見て確信した。


「現在も誘導中……いくら急所に向けて発砲しても倒れる気配すらありません。以上」


 そう報告するハイチはもう一度キリ――マッドに向けて発砲した。その弾丸は肩に掠る程度で、命中せず。否、厳しい話だ。立ち止まって撃つことなど。マッドから逃げるようにして攻撃を仕向けないと。


「ご……」


 立ち止まって狙いを定めようとしていた隊員がまた一人殺された。死んでしまった隊員の両目を抉り出して握り潰す。この行為、必ずマッドがする行動のようだった。


――やつの立ち止まる機会はここしかない!


 ハイチはその場に立ち止まり、標準を定める。


「……ちっ!」


 手が震えているのか、上手く狙いが定まらない。これがチャンスだと言うのに。手は言うことを聞いてくれない。ああ、もうダメだ。動き始めた。


 急いで足を動かした。逃げ出した瞬間に、先ほどまでいた場所にはすでにマッドがいた。


「なぜ、逃げる」


 次の標的をハイチと定めたのか、追いかけてくる。彼は背を見せず、後ろ走りで逃げていく。指示された場所である草原へと向かった。


「……っつ!?」


 逃げても、逃げても次々と押し寄せてくるマッドの拳。それを避けては、地面や木の幹を素手で殴る。当然、血も出たりするが、すぐに傷は癒えていく。まさに人外、まさに人でなし。彼の手持ちに武器がなくて幸いのようなものであった。マッドは武器を使わずして戦うのか。


――ない方がいいけどよ……。


「隊長! もうすぐ、高原です! 指示を願います!」


《――各部隊、準備は整っている! いつでも構わない! 以上!》


「了解!」


――バケモノみたいな回復力のあるやつに攻撃加えても、意味ってあるのか?


     ◆


 本部では精鋭部隊隊長を含めた三名と全員の帰りを待つハイネがいた。もうすぐ、ここに反政府軍団の脱走犯とアイリが来るらしい。


「…………」


 あのとき、キリを見た。ハイチは彼に化けた異形生命体だと言った。なぜ、キリに化ける必要があったのか。一体、自分たちの身の回りで何が起きているのか。


「隊長、連れて参りました」


 ようやく、脱走犯――ガヴァンを連行してきた隊員とアイリが入り口の本部の方へと戻ってきた。ハイネはその人物を見て眉根にしわを寄せた。


――あのときの。


 逃げることができないガヴァンはハイネの姿を見てにやりと笑う。ああ、何かこいつは企んでいるぞ。それとも、自分に何かを言いたげである。


「へえ、お嬢ちゃんもここにいたんだ」


「あ、あなただったんですねっ!」


 ハイネは負けじと強気の姿勢でガヴァンを迎える。


「知り合いか?」


 隊長が怪訝そうに訊いてくる。


「知り合いではありません。以前の任務で捕えた反軍です」


「なるほど。貴様、ここで何をしていた。言え」


 ガヴァンはじっと睨みつけるように見てくる隊長の視線に全く怯まなかった。むしろ、余裕を見せているようだ。その悠長面にアイリは口を尖らせていた。


「言わなくてもわかるだろう、隊長さん。俺は反軍の人間だよ」


「追放の洞でも破壊しようとしていたんでしょ。あのバケモノを使って」


 そう言うアイリの声に顔を向けた。二人の視線は激しく火花を放っているようである。


「バケモノ……。なんだ、ディースはさっきまでいたやつのことをそう言うのか。まあ、当然だな」


 笑うガヴァンは装甲車内へと連れて行かれる。アイリはその言葉に大きく反論をした。


「だから、あたしはディースじゃないし! デベッガ君もバケモノなんかじゃないっ!」


「いいや、バケモノさ。今日であいつがあの坊ちゃんとして生きるんだからな」


「な、何を――!?」


 意味のわからないことを。そう言いかけたとき、ガヴァンが言っている意味を理解する。マッドはキリに成り替わるつもりだと。『元々のキリ・デベッガ』という存在を消し、『新たなキリ・デベッガ』として存在を知れ渡らせるつもりなのだ、と。


――でも、できるの?


 第一に考えてキリは死なない。それはあの歯車の所有者だからこその話だ。だが、そのマッドが彼と同等の不死者だとしたら? 存在するもう一人の人物にも同じ効果があるのか? いいや、そのような話を聞いたことすらもない。可能性はある?


――マッドも所有者? いや、それはありえないし、あれはあの女が作ったって……。


 仮説ではあるが、一つだけ考えらえること。それは――マッドは死なない異形生命体だということ。それも、歯車の所有者ではなく、作られた不死のバケモノ。所有者としての不死者と元からの不死者がぶつかったらどうなるのか。それはアイリもわからない話。周りが死んでもあの二人だけ生き残るに決まっている。きっと、キリにとっては酷な話だろう。彼は自分自身の存在を恐れているのだから。


 何より、アイリにとって一番恐れていることはキリが歯車の所有権を放棄したときである。


――それだけは避けたい。


 キリに死なれては困るから。


「あ、アイリちゃん?」


 ずっと黙り込み、保護区の方を見つめていたアイリにハイネは声をかけた。


「大丈夫? 安心して、私はあなたがきちんとアイリちゃんだってわかっているから!」


「は、ハイネ先輩……」


 その言葉だけでも嬉しかった。ハイネは自分のことを信頼してくれている。


――胸が熱い、や。


 アイリは自身の胸に手を当てて、ハイネを見た。


「気持ち、嬉しいです。ありがとうございます」


 いつものアイリらしい表情を取り戻したことに、ハイネは安堵した。よかった。どうやら彼女はガヴァンにディースと間違われたことにムカついていただけか。そう思っていた矢先――。


「ちょっと、行ってきますっ!」


 と、アイリは保護区内へと行こうとする。それを慌てて止めるハイネと隊員たち。


「ま、待って!? どこに!? そっちは異形生命体がいるから!」


「平気ですっ! おっさん!」


 意気揚々と答えるアイリはガヴァンが乗車している装甲車に向かって大声を張り上げた。


「あんたらが描く未来、あたしたちが書き変えてあげるんだからね!」


 アイリは周りの静止を聞かずして、保護区内へと走って行ってしまった。車内にいるガヴァンはというと、彼女の宣言を聞き鼻で一笑する。


「できるものならな」


 ガヴァンのその呟きは誰の耳にも届かない。


     ◆


 後ろをあまり見ていられないが、背後から日の光が呼び寄せているのがわかる。これでも最小限の被害で抑えてきたはずだ。


「ははっ、逃げる。逃げる」


 相も変わらずマッドは笑いながらこちらを追いかけていた。三人目の被害者が出てからずっとハイチを標的としている。彼は絶対に死ぬものか、と体力と精神を削りつつも高原の方へと誘致していた。もうすぐで、もうすぐで指示された場所に出られる。そこで待ち構えていた隊員たちに一斉集中攻撃を浴びて――。


――こいつ、死ぬの?


 嫌な予感が胸を過った。マッドに対して大きな怪我や致命傷を与えてはいないものの、傷は塞がるわ、痛覚を感じていないわで――不安ばかりが積もり積もってきて仕方がないのだ。そんな気持ちを抱きながら、ハイチたち誘導隊は高原へと抜き出てきた。周りが明るくなったと同時に表情も明るくなるが、彼らは目を疑う。


――待ち構えていたんじゃねぇのか!?


 そう指定された場所――高原へと誘導してきたのだが、肝心の待機組の存在が見えない。場所を間違えたのか。いや、それはない。逃げ方が正確ではなかったにしろ、他の誘導隊たちが方角を支持してくれていたから。


――それならば、どうして誰もいない?


 これには一同が焦りを見せる。マッドにとっては走って逃げていた獲物が諦めたようにゆっくり後退し始めたことに嬉々とする。今までは木々を使ったフェイントで逃げ回っていたようだが、こんなただ広い場所で逃げきれるのも時間の問題だ。


 彼らには疲れも見え始めている。マッドにとっては疲れなど無意味なものだ。キツイともつらいとも思っていないのである。


――万事休すか?


 ハイチがそう覚ったときだ。マッドの後ろから数名の気配がした。相手はすぐさま後ろを振り向く。誰もいない。あまりの恐怖心から来る幻覚かとも思ったが、彼も反応したのだ。誰かがそこにいるのは確実。


 また人の気配がした。マッドが後ろを振り向くと、ハイチの手は勝手に動き出す。そのまま一発発砲した。その弾丸は背中を貫通するも、傷口は塞がる。


 マッドはこちらを無表情で見てくる。彼の後ろ――木々の茂みの方からあやしい光が見えた。それはマッドの腿へと貫通する。心なしか茂みから感じる気配はこちらへと近付いてきているようだった。


「……なるほどな」


 ハイチの独り言はマッドの耳に入る。こちらを見てきていた。すると、後ろから数発の銃弾が彼の体を痙攣させる。その隙に後退していく。


 傷口が治るまでは上手いことに体を動かせないらしい。マッドの足取りはおぼつかない。徐々に距離を開いていく。この最新式の突撃銃が届くギリギリの範囲まで距離を広げて行けば、ド派手な集中砲火ができるだろう。


「いける、ぞ……!」


 確信を持ったハイチはどんどん後退していく。今の距離は後ろ姿を見かけたときよりも離れている。


 マッドの動きが鈍り、とうとう足を動かすことを止めた途端――ハイチたち誘導隊の立ち位置より少しばかり離れたところから大砲弾がお見えになった。音のする方へと振り返ると、そこは崖となっていた。あと数歩ばかり後ろへ下がっていたならば、落下していたかもしれない。音の合図に感謝した。


「ハイチさん!」


「ハイチ!」


 崖の下の方からキリとセロの声が聞こえてきた。よくよく足元を見れば、下の方へと下りることができるようにロープが張られているではないか。ハイチはそれを伝い、崖の下に下りた。


「デベッガ……」


 重機関銃や大砲の大きな音が鳴り響く最中、ハイチは本物のキリの姿を確認すると長くて大きなため息をついた。安心しきったのか、突撃銃を地面に落として座り込んだ。


「ああ、もうダメかと思った」


「亡くなった方はお気の毒ですけど、今、その人たちを本部まで運んでいるそうです」


「そうか。このばかうるせぇのいつまで続くかな?」


 そこから真上を眺める。空には大きな砲丸が飛び交っていた。


「モニターで確認ができるぞ。こっち来い」


 セロにそう言われ、ハイチは立ち上がると彼の後に着いていった。その後をキリが追う。一台の装甲車へと乗り込み、草原に仕掛けられたカメラやレーダーを見た。現在、マッドは集中攻撃の的となっており、姿が見えない状況である。


「あいつ異形生命体だから、ここに持って来ている分の四分の三を使うそうだ」


「……初めてのタイプだったぞ。デベッガに化けているわで、王都のやつらとは違うから全く想定できない。動きもやたらと機敏だったし、自分が怪我してもなんとも思っちゃいねぇ」


「そうですか……」


「相手、偽者だけどな。噂じゃ式典に現れたとか。デベッガはやつを見たことがあるか?」


「そのときに見ました。結局、逃げられてしまいましたけど、今回なら――」


 ちょうど、マッドに対する攻撃が止み始めた。まだ煙は晴れていない上、あの怪物でもあるため、油断はできない。三人は目先にある画面を食いつくようにして見つめる。


《……っ!? う、動く影を確認!》


 無線での連絡が彼らの耳に入ってきた。よく目を凝らしてモニターを見た。


 土煙が完全に晴れていない中、確かに動く影はあった。これに誰もが絶句する。


「う、嘘だろ?」


 こんなとき、どのような顔をすればいいのやら。キリは画面に視線を落としたまま硬直していた。


《――と、止めだ! 止めとして残りの残弾を使えっ!》


 本部の方でも精鋭部隊隊長が確認していたのか、彼の指示が下りた。その直後に砲弾が、残弾がなくなるまで撃ち始める。何かの冗談であって欲しい。誰しもが祈るばかりだった。


     ◆


 もう一度、とアイリは東区域の方を走っていた。入り口からそう遠いところではなかったはず。


 ああ。どうせならば、行き道くらい覚えておけばよかった、と彼女は今さらながら後悔していた。どちらが3のエリアだったか。地図もないからわからない。頼りになるのは急な斜面が左側にあることだけ。


「どこだっけ?」


 一度、立ち止まって周りを見渡す。目先には崖のような斜面があるが、これのことか? いや、少し違う気がしてたまらない。


「ああ、もうっ」


 何か見覚えのある物は。見渡しながら思い返そうとしていると、地面に白い物が見えた。それは紙の束のように見える。


「あっ!」


 アイリは急いでその白い物に近寄った。これは調査書だ。ペラペラと捲ってみた。間違いない、自分の字で書かれているのがある。彼女は斜面の方へと顔を覗かせた。袋に入れられた土が見えた。あれも自分とキリがしていた物である。


「……ここから」


 11のエリアの方から行くのは時間がかかり過ぎる。それならばとショートカットを考えたアイリはこの急な斜面を慎重に下り始めた。下りる勢いは斜面の地面から生えている木の幹に体当たりをしてその勢いを弱める無茶なやり方。


「うっ!」


 勢いが強過ぎると、体を強く打ちつけて木の枝で傷がついてしまう。だが、痛いからと言って、この場に留まっているわけにもいかない。下へと急いで下りなければならないほど、一刻も争う事態なのだ。


「対等には戦えやしないし……」


 アイリは次の木の幹の方へと駆け下りていく。急ごうとすればするほど、スピードは上がっていく。


――あっ!!


 幹が折れそうなこの木に、体当たりするのは危険だと駆け下りながら気付いた。しかし、足は止められない。代わりになりそうな頑丈な木は見当たらない。そのまま、折れかけている木に勢いよくぶつかった。


――ヤバッ……。


 ぶつかった瞬間、折れるような嫌な音がアイリの耳に入った。急いで下の方を見る。どこか、別のところに逃げないと折れてしまう!


「え、えっと……!」


 探している合間も幹は傾こうとする。しかも、嫌な音を立てているのは足下、地面に近いところである。


「うぅ……あっ!」


 あった、とアイリが下の方にある木の場所へと行こうとするが――。


 ここら一帯に地響きが鳴った。その衝撃で、寄りかかっていた木から嫌な音が聞こえた。


「うっわ! ちょ、ちょっ!」


 このまま折れてしまっては自分が真っ逆さまに転げ落ちてしまう、と恐れたアイリはとっさにその木から離れた。また地響きが鳴る。そのせいで立ち位置のバランスが不安定となって、三度目の地響きで彼女は下の方へと転げ落ちてしまった。


「……痛ぁ……もぉ」


 幸いにもアイリは擦り傷だけで済んだようで、普通に起き上がれた。遠くから爆音が聞こえてくる。作戦が開始されてしまったのだ。早いところ、弾切れになる前に!


 軽く土や落葉などを払い除けると、追放の洞へと入っていく。入ってすぐに連絡通信端末機を取り出そうとポケットを探るが、ない。どこへ行ったのか、服のすべてのポケットに触れてもなかった。どこかで落としてきてしまったらしい。


「ああ、もぉ!」


 半ばやけくそ気味ではあるが、明かりに頼らずして前へと進むことを決意する。奥へ向かおうとするが、暗闇が怖くて足が竦んでしまう。


――早く……。


 アイリは自身を落ち着かせようと、一度深呼吸をした。


「大丈夫、大丈夫」


――怖くない。


 決意したアイリは膝を笑わせながらも前へと進んだ。早足で淡い光を放つ岩肌へとやって来て、周りを見る。あちこちで光るだけで彼女をどう感じ取っているかは定かでない。もっとも、アイリにとってそのようなことはどうでもいい話。どうでもいいからこそ、大きく息を吸い込んだ。


「いるんでしょお、カムラぁ!!」


 誰もいない洞穴の最奥でアイリは叫ぶ。彼女の声が洞穴内で響くだけ。それでも叫び続ける。


「あのときのおっさんに助けてもらったのがあんたじゃないなら、誰だって言うの!?」


 やはり、何の反応すらもない。


「どうせ、聞こえているんでしょ!? あたしたちのこと知っているんでしょ!? 何か返事くらいしなさいよ! この――」


 その先は言わせない。ガヴァンのときと同様に壁から、地面から、天井から光る岩が突き出てくる。大きく地面が揺れ始めた。


「う、うわっ!?」


 突き出てきた光る岩は互いにぶつかり合い、互いを削り合い、それが人の形へと変形していく。アイリはそれをただ見つめるだけ。


――ああ、これがカムラ……?


 目の前にいる、光る者。しばらくの間、二人は見つめ合っていたが、その光る者――カムラは地中へと潜ってしまった。途端に岩肌は光ることを止め、その場には真っ暗闇がアイリを包み込む。


     ◆


 最後の一撃がマッドへと命中し、とうとう討伐部隊の武器はゼロという形になってしまった。あれが幻であって欲しい切実な願いに、一同はモニターを食い入るように見つめていた。


「…………」


 マッドを囲う土煙は徐々に晴れていく。あれだけの最新の爆撃を受けていたんだ。流石に動くなんて――。


「クソが」


 否、まだ生きていた。キリに似せるために着せていた服はボロボロになって服としての機能が果たされていないのに。本人の体は至って健康。傷一つすら見当らない。強いて言うならば、血や土の汚れくらいか。


 死なない事実に全員が絶望に満ちた顔を見せていた。画面を見つめるキリも眉根を寄せて服の下にある歯車を握る。


【俺がお前】


――ああ、そうか。


 自分がするべきことはわかった。歯車を手に取ると、装甲車の外へと出た。周りは騒然としている。こちらへマッドが向かっているという情報が飛び交っていた。


「デベッガ、どこへ?」


 不穏な空気を感じ取ったのだろう。ハイチがキリを呼び止めた。彼はその場に立ち止まる。


「あいつは、俺です。俺が――」


――あいつが死ぬためには俺が所有権を捨てて、殺せばいい。


 相撃ち覚悟。キリがマッドのもとへと向かおうと、向き直ったとき――。


「…………」


 目の前に人の形をした光る岩があった。ある意味シュールな光景に一同は固まる。


「えっ」


 声を上げた束の間、突然地面から木の根が出てきてキリを掴むと、マッドがいる高原の方へと投げられてしまった。突然に頭の処理がようやく追いついたハイチは「デベッガぁ!?」と大声を上げる。


「えっ、デベッガ!? 飛んだ!? お、お前か!?」


 見慣れない光る岩の仕業か。いや、そもそも、これ何?


 困惑するハイチに向かって光る岩は表情が柔らかくなった気がした。その面持ちからして「大丈夫だ」と言っているように見えたと思えば、それは地中へと潜ってしまう。


「じゃなくて、デベッガの安否!」


 悠長に見ている場合ではなかった、とハイチは崖に吊るされた縄を手にかけて登り始めた。周りの隊員たちは彼を止めに入ろうとするが、素早くて追いつかないところまで登ってしまうのだった。


     ◆


 理由も聞かされず、崖の上まで飛ばされたキリは地面に転がり込んだ。


――マッド。


 そうだ、ここはマッドがいる場所。キリは急いで起き上がった。少し離れたところにいた。無表情の目でじっとこちらを見ている。急いで、歯車を――と剣にしようとした瞬間、高原の地面からあの光る岩肌と同様の同じ材質をした剣が出現した。形がまさに歯車の剣と同じ物である。


「これを?」


 剣が自分を使えと言っている気がした。迷っている暇はない。なぜなら、マッドの視線がキリを捕えているからだ。


 キリは目の前の歯車の剣――『カムラの剣』を手に取った。



「あああああああああああ!!」



 こちらへとやって来る相手をキリは迎える。相手が丸腰だろうと関係ない。彼は自分がどんな手を使ってでも倒さなければならない相手だから。


 ようやく崖の上を縄で登ったハイチの目に映る光景は、美しい光を帯びたカムラの剣でマッドの胴体を斬るキリの姿だった。それを見て背筋が凍る。


――カムラだ……。


 血を吹き出しながら倒れるマッドを悲しげに見つめるキリの背後に、半透明の髪の長い全裸の男性のような――女性のような人の姿が見えた。瞬き後、彼の姿はいなくなる。


――え?


 今のはなんだったのだろうか、とハイチは目を擦った。もう一度キリの方を見ても、同じ顔をした二人しかいない。幻だったのか?


 もう一度、瞬きをすれば、キリが握っていた剣は消え失せていた。彼の手元には何も残っていない。


「は?」


 この現象はありえる話だろうか。呆然と立ち尽くすハイチにキリは声をかけた。


「ハイチさん」


「い、今の……」


「わかりません」


 どこか扱い慣れた様子だったのにわからない? 小首を傾げると、ハイチは動かないマッドを見た。彼についた傷は全く癒えておらず、緑色の草に真っ赤な血が広がっているではないか。


「これが、お前なのか?」


「信じたくは、ありませんね」


 気味が悪い。そんな恐怖に駆られていたキリであったが――突然、マッドの体が溶け始めた。これに驚く二人は一定の距離を取る。周りの雑草を溶かしながら、それは土へと還っていってしまった。


「な、なんだ、これは!?」


 ハイチの後を追うように精鋭部隊隊員たちがやって来て、マッドの現状に目を疑った。結果、その場にはマッドの血すらも残らず、代わりにその場にいたという草が溶けた跡――人の形の跡だけが残っているだけだった。


     ◆


 入り口の本部へと戻ってきた討伐部隊は精鋭部隊隊長とハイネたちに歓迎された。特にキリの活躍は隊長たちも映像を通して見守っていたらしい。


「キリ君!」


 キリ自身が無事でよかったとハイネが抱きついてきた。それと同時に殺気が後ろから漂う。ハイチだ。その恐ろしい気を放つ彼にセロが宥める。


「無事でよかったよ!」


 実際に抱きついてみると、恥ずかしくなったのか、ハイネは顔を赤らめて離れた。心なしかキリ自身の顔が熱い気がする。この感覚、気持ち――どこかで感じたことがある気がした。でも、どこだかわからない。彼女にはなんて言葉を返そうか。


「あ、ありがとうございます……あっ」


 そう言えば、と周りを見渡した。誰か足りない気がしたから。そんなキリにハイネは首を傾ける。


「どうしたの?」


「ハルマチがいない」


「ここにいるよ」


 アイリ独自の現れ方、背後からの出没にキリは肩を強張らせる。いや、何も彼だけではない。大半の者がびっくりしていた。


「アイリちゃん! どこに行っていたの!?」


「いえいえ。これを探しておりましてね」


 そう言うアイリの手には連絡通信端末機があった。


「いくら立ち入り禁止のこの場所でも反軍とかありますからねぇ。データを盗まれたくなかったので」


「でも単独行動は危ないからね?」


「へへっ、心配してくれてありがとうございます」


 照れたようにアイリは頭を掻いた。そして、思い出したように何かを探し始める。


「あれ? あのおじさんが乗った車は?」


「行っている間に護送されたよ」


「ええぇ、『書き変えてやったぞ、ばーか』って言ってやりたかった」


 不貞腐れるアイリ。そんな彼女を怪訝そうに見る二人がいた。一人はキリ。もう一人はハイチである。そして、彼らの不審そうな表情に気付いたのがセロである。


「……ハルマチ。ちょっと来い」


 ハイチはアイリに手招きをする。彼女は一瞬だけ片眉を上げると、後を着いていく。その場に残った三人は顔を見合わせた。


     ◆


 人気のないところに呼び出されたアイリは照れ笑いすらもせずに無表情でハイチを見ていた。


「何ですか、急に」


 後ろから気配を感じるな、と後ろを振り向いた。茂みに隠れていたキリとセロ、ハイネは息を殺して二人の様子を窺う。


「いきなり、呼び出しておいてなんなの? ハイチは」


「さあな。だが、俺は気になるからこうする」


「俺もなんか気になりますね」


 それは妹である自分だってそうである。まさか、兄の色恋沙汰に遭遇するとは思いもよらなかったから。


――ハイチって、アイリちゃんみたいな子が意外にタイプだったりするのかな?


「悪いな。どうしても、ハルマチに訊きたかったことがあるから」


「へぇ、手短にお願いしますよ」


 アイリはやはり後ろの三人組が気になるのか、横目で人の気配がする茂みを一瞥する。それにセロとハイネは存在がバレてしまったことに残念がる。だが、キリだけは気付いていない。


「……単刀直入に言うけどよ、ハルマチって本当は人間じゃねぇよな?」


 ハイチのその発言に三人は顔を見合わせた。特に二人がキリの方を見てくる。彼ならば、アイリのことが詳しそうだと思っているからなのだろうか。


「あはは、いきなりなんですかぁ。失礼ですねぇ」


 笑うアイリ。一方でキリは彼女が自称『しにん』を思い出す。


「あたしは普通に生まれて、生き続けている人間ですよ?」


「カムラを見た」


 その言葉にアイリの表情は一変する。眉間にしわを寄せ、あまりいい顔をしない様子だ。それは不可解だと思っているのか、それとも図星だと思っているのか。


「デベッガがあのバケモノを倒したとき、一瞬だけお前に似たやつを見た。あれ、ハルマチじゃないかって……」


「冗談キツイですねぇ。あたし、自分のことしか考えずにこれを取りに行ってただけなのに。それとも何ですか? あたしがカムラだと言いたいんですか?」


「ああ。いつも持っている分厚い本な。あれ、カムラ教か何かの教典だろ?」


 ついにアイリは何も言わなくなってしまった。その行為はもう認めたと言わざるを得ないに等しい。ハイチに至っては黙っている彼女を見て確信を得ていた。これは間違いない、と。


「……やっぱりな。おう、このことは上とかに黙っておいてやるから、前に言っていた豪華賞品をくれよ」


 そう言うと、ハイチは手を伸ばした。豪華賞品を寄越せと言うらしい。それに、じっとアイリは彼を見ると、口元を歪めた。


「じゃあ、あたしもーつ。クラッシャー先輩、この前図書館員のお姉さんと花に水やりをしようとしたらしいですねぇ」


「はぁ!? な、何を言い出すんだよ……」


「聞きましたよぉ。水やりをしようとしたところ、自分もするってぇ」


 二人の話を聞いていたキリは一つだけ矛盾点を覚える。


「あれ? ハイチさん、頼まれたからって……」


「いや、あれ嘘だろ。ほら、ハイチの顔を見て見ろよ。真っ赤にしていやがる」


 セロも話のネタになると言わんばかりに、鼻で笑っていた。


――ごめん、ハイチ。アイリちゃんに言ったの私だ。


 ハイネもそのことを知っていた。そして、心の中でこっそり謝る。こんな緊張感ある状況にも関わらず、このような事態を招いてしまったのも自分の責任だ、と彼女は苦笑いした。


「まあ、このネタをザイツ君に垂れ流してもいいんですけどねぇ」


「や、やめろ! あいつはっ!」


「ははっ、冗談ですよぅ。冗談。それに先輩の予想は大きく外れていますよ。あたしはカムラじゃないし、あの本は教典でもない。さぁ、頑張ってクイズの解答を探してください」


 アイリは本部の方へと戻ろうとするが、急に立ち止まる。ハイチの方を見て、にやりと笑った。


「せっかくなんで、大ヒントあげましょう。あの本――」


 なぜかキリは最後の方が聞こえなかった。ハイチの反応を見ると、片眉を上げているではないか。それは疑わしいと言わんばかりの表情にも見えた。一体、アイリはどんなヒントを与えたのか。


「これ、デベッガ君には言っていないヒントなので」


 そう手を振り、三人が隠れている茂みを瞥見すると本部の方へと行ってしまった。


 ハイチはアイリが言った言葉を信じられなく思っていた。


【あの本、この世の物ではありません】


――あいつが言うと、本当にそうじゃないかって思ってしまうんだけど……。

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