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世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う  作者: 池田ヒロ
第一章 巡り出会う者たち
18/96

変態

 校内の渡り廊下にて。慌ただしそうにハイネとセロは合流した。


「いた?」


「いや、いない」


 互いに報告し合う彼らの表情は息を切らして青ざめるほどである。何かを必死で探しているように見えていた。


「急がないと、あいつは危険だ」


     ◆


 休み時間に、キリとアイリがエントランスにあるカフェテリアで昼食を採っていた。周りには学徒隊員たちも同様に昼ご飯を食べている。


「すごいよねぇ、デベッガ君って。三銃士軍団ってそんじょそこらの兵士よりも名誉ある肩書きでしょ?」


「うん。言ってもヴィンと同じ下っ端だし。言うほど学徒隊のすることとは変わりないよ」


「ていうか、三銃士軍団ってさぁ、どんな形式の軍隊なの?」


「えっと、リーダーみたいな感じで三銃士っていう団長がシルヴェスター、ボールドウィン、フォスレターの三人がいて、その三人のそれぞれ下に下っ端がつくみたいな。シルヴェスターにはヴィンと他に二人が。フォスレターにはハイチさんが。俺はボールドウィンの下についているんだ」


 キリが指で数を数えながら答えると、アイリは鼻で笑い出した。


「大変だねぇ。あのお嬢様の下につくとは」


「だな。まだ、シルヴェスターの下についていた方がマシだ」


 アイリの同情にキリもまた空笑いをする。彼が三銃士軍団に入団して数日が経つが、マティルダとのやり取りはガズトロキルスのことばかりの質疑応答であった。どのようなことをするのか訊きたいのだが、すぐに話を変えられてしまうため、訊くのは他の者にしか訊きようがない。


「あのお嬢様で思い出したけどさぁ、ガズ君をどこかに連れていくところを見たんだけど」


「ああ、いつものことだよ。ここ最近、午前中の授業が終わった途端にあいつを連れて出すんだ。多分、お昼に誘っているんだろうな」


 キリは一口頬張ると、周りを見渡した。


「ところで、ライアンは一緒じゃないのか?」


「王様が体調優れないんだって。心配だから家にいるみたい」


 ああ、そうだった、とキリは食べる手を止めた。自分が王城の謁見の間へと向かったのは腕なしを見たから。マッドの印象が強過ぎて、ある存在を忘れていた。


「あ、あのさ、ハルマチ。式典のときに俺……」


「彼は腕なしじゃないよ。黒の皇国の皇子みたい」


 アイリの顔を見た。彼女は口を動かしながら、小さく頷く。


「なんであの仮面を被っていたかはわからないけれども、あいつは間違いない。腕なしじゃない。よかったじゃん、広場の方に行かなくて」


「そっちにいたんだ」


「いいよ、そんなに焦らなくても。まだデベッガ君は上手く使いこなせていないんだし。何より三銃士軍団に入っている。この前のザイツ君みたいに横からわーわー言われたくないでしょ?」


「いいんだ」


「うん。デベッガ君がきちんとやつを――」


 何かの視線を感じ取ったアイリはその視線の方を見た。つられてキリもその視線の先を追う。そこにはテーブルから顔を覗かせている子どもがいた。見た感じ十歳くらいの男の子だろうか。その子どもはこちらの方をじっと見つめていた。よくよく見れば、彼が着ている服がぶかぶかで裸足。なぜ、ここに子どもがいるのだろうか。この子どもからわかる雰囲気や面影を見る限りはハイチやハイネに似ているようだが、あの二人の弟でもあるのだろうか。それならば、近くに彼らが座っているとでも?


 もう一度キリは周りを見た。だが、彼らの姿は見当たらない。誰か大人と一緒に来ているのか。そうとも捉えて席を立ってまで周りを見渡すが、誰一人として該当しそうな人物はいなかった。


「ねえ、きみ――」


 誰と来たのかと訊ねようとしたとき、男の子は突然アイリを指して嗤笑し始めた。


「ひんにゅーブス」


 男の子は肩を震わせて、アイリをばかにした。悪口を言われた彼女はというと、無表情で視線を送っていたのだが、段々と腹が立ってきたのだろう。怒りを表すオーラを放っていた。その鋭いオーラはびしびしとキリにまで当たってくるのは絶対に気のせいじゃない。


「ひんにゅーブス」


 男の子はもう一度嘲る。途端にアイリが手にしていた木製のスプーンが折れた。


「なんだと、このクソガキ!!」


 キレたアイリは勢いよく席を立つと、子どもの首根っこを掴もうとするが――避けられる。もう一度捕まえようとするが、軽々と避けられた。男の子は彼女に対してあかんべえをすると、笑いながら逃げ始めた。


「は、ハルマチ……」


 キリが宥めようとするも、アイリは理性が効かなくなったように顔に青筋を浮かばせて、走り出す。ものすごく速いスピードで追いかけ始めるのだった。


「……一応、ハイチさんに連絡でもしておくかな?」


 その場に残されたキリは、どうせその内戻ってくるだろうと軽い気持ちで昼食を再開するのであった。


     ◆


 キリが座っているテーブルの上には、アイリの食べかけの物がまだ放置されていた。あれから十数分が経つが、彼女は未だとして戻ってこない。すでに彼は昼食を食べ終えている。どこまで追いかけて行ったのだろうか、とアイリに連絡でも取ろうと、連絡通信端末機を取り出すと――。


「き、キリ君!」


 ハイネとセロが走ってやって来た。二人は息を切らして、つらそうにしている。


「どうかされたんですか?」


 もしかして、あの男の子のことだろうかと思っていると、ある程度息を整えたハイネが深刻そうな面持ちで言う。


「あ、あのね、ここで子どもを見なかった? ばかに似たの」


 ばかとはハイチのことに値するのだろうか。


「えっと、これくらいの身長で、ハイチさんに似た子ですか?」


「それっ!! どこへ行った!?」


 見たと言うと、セロが剣幕を立てた表情で詰め寄ってきた。相当焦っている様子が窺える。あの子どもが心配で捜し回っているのだろう。


「ハルマチが今、追いかけていますけど。俺もよかったら捜すの手伝いましょうか?」


 キリはエントランスを突き抜けた先にある一階のフロアを指差す。それに彼らは互いに顔を見合わせた。二人とも苦虫を潰した様子である。


「これってお願いしても、いいの?」


「いや――う、うーん。でも背に腹は替えられんか?」


 散々迷ったのか、セロは「手伝ってくれるか?」と、お願いを申し立てた。そうしている表情はあまり好ましいとは言えないようであるが。


「もちろんですよ」


「ただな、見つけるだけだぞ? 絶対、見つけるだけだぞ? やつを見つけたら、絶対に近付くな。目を逸らすな。声を絶対かけるな。見つけ次第、俺たちに連絡を取れ。そして、距離は絶対に保っておけよ。いいな?」


――いや、捜しているのは人の子ですよね?


 念を押すような条件に戸惑いを隠せない。どれだけあの子どもに対する警戒心があるのか。どれだけあの子どもは危険なのか。セロのその物言いが引っかかるが「わかりました」としか言いようがなかった。


 一度、二手に分かれて、単独であの子どもを捜し始めるキリ。ひとまずアイリと合流しようと彼女を探し出すことに。逃げていった一階のフロアの方に赴くと、入り口付近で見慣れた人物が床に座り込んでいた。その人物――アイリは肩で息をしている。相当な息切れを越しているようだ。先ほどの真っ赤な顔とは裏腹に真っ青であるが、大丈夫なのだろうか。


「おーい。ハルマチ、大丈夫か?」


 声をかけるが、アイリには返事をすることができずに振り返るしかできなかった。こちらを見る疲れきった彼女は手で待って、とジェスチャーをする。キリはしばし、アイリが落ち着くまで待ってあげた。


 しばらく息を整えていると、アイリは大きく深呼吸をした後にため息混じりながら口を開く。


「逃げられた」


「いや、二人とも足が速かったじゃん。ていうか、ハルマチ、足速いじゃん」


「あのねぇ、あたしは短距離走だったら得意なの。短距離走は。……わかる?」


 要は体力配分を考えずに走り、体力切れを起こしたという結果らしい。そんなアイリを見れば理解できるが、どうやらあの男の子は彼女よりも体力は十分にあり、逃げきったのか。


「それはそうと、さっきヴェフェハルさんたちに会ったんだ。ハルマチが追いかけていた子を追っているってさ」


「じゃあ、クラッシャー先輩も捜しているの? 親戚か何か?」


「そうだと思う。ハイチさんに似ているって断言していたし。あと、ヴェフェハルさん曰く、その子を見つけたら近付かず、目を逸らさず、声をかけるなって。見つけ次第、連絡くれって。そして、距離は絶対に保っておけってさ」


「どこの動物園にいるド派手怪鳥よ」


 そんな思いの丈のツッコミを入れると、アイリはため息を漏らしつつもゆっくりと立ち上がった。


「ていうか、もう遅い」


 アイリの言うことはもっとものよう。彼女は自身の連絡通信端末機を取り出すと、どこかへと連絡をし始めた。だが、すぐに通話を切ってしまう。


「クラッシャー先輩、通話中みたい。まあ、いいや。あたし、あのガキ絶対に捕まえて、人に対しての暴言はいけないことだって知らしめてあげる義理があるから」


 それをポケットに仕舞い込む。


「あたしもあのクソガキもいい勉強になると思わない?」


 それは絶対にあの男の子がトラウマ必至な発言に聞こえるのは絶対に気のせいではない。キリは何の言葉も出なかった。もし、あの子どもがアイリを前にして危険になるようであれば、助けてあげなければ。なんて妙な使命感を胸に抱き始めるのだった。


     ◆


 二人は一階のフロアで子どもを捜し回っていると、キリはある物を見つけた。黒の手袋である。


「これ、ハイチさんがいつも着けているやつ」


 拾い上げると、辺りを見渡した。近くにハイチの姿はない。おそらく、親類関係者であるあの男の子に奪われてしまったのだろうか。


「そう言えば、あの人いつもその手袋しているけど」


「昔、火傷負ったから、それを隠したいからだって言っていたよ」


「見たことあるんだ」


「うん、そ――」


 キリがアイリの方を向くと、そろりそろりとあの子どもが。彼女の背後から近付いてきていた。彼が声を出せず、その男の子はスカートを捲り上げる。アイリのスカートをである。


「つまらねぇ!」


 アイリが急いで後ろを振り返る。子どもは「ブス」と嘲笑すると、また逃げ始めた。


「は、ハルマチ?」


 ようやく声を出すことが出できたキリは表情を引きつらせていた。一応は、アイリがスカートの下にスパッツを履いているのは知っている。だが、いざ目の当たりになると、目を逸らさなければという思いに駆られてしまう。だが、セロの言う「目を逸らすな」という助言が邪魔をして視線を逸らせずにいた。という言い訳をしてもいいですか。見たかったからとか、そのような邪はないのだ。断じてないのである。


「……本当、動物園のときから思っていたけどさぁ」


 アイリの顔は男の子が逃げて行った方向を向いていて、キリにはどのような表情をしているか判別できなかったが――。


「ガキってろくでもないわね」


 容易に想像ができるのが恐ろしい。


「行くよ」


「お、おう……」


 彼らは二階の方へと逃げ込んだ子どもを追う。キリはアイリの一歩後ろを走っていた。なぜか彼女の雰囲気が怖いからである。


     ◆


 二階のフロアをバタバタと走っていると、前方に白衣を身にまとった男性が現れた。その彼の手にはタッパーが握られており、キリはそれを見て一瞬だけメアリーの存在を思い出す。


「元気なのはいいけど、廊下を走ってはダメだよ」


 走る彼らに和らげに注意する男――ヴェルディ。彼は学校の生物学担当教官でもある。


「あっ、え、エイケン教官。す、すみません」


 注意を受けてキリとアイリは足を止めた。申し訳なさそうにする彼をよそに、彼女はヴェルディが持っているタッパーが気になるようで、容器に熱烈な視線を向ける。ヴェルディはその視線に微苦笑を浮かべた。


「これが気になるの?」


「美味しそうなにおいがする」


 涎を垂らしてまで、そう発言する。美味しそうなにおい? 試しにキリもその場のにおいを嗅いでみるが、何もわからなかった。タッパーの方からのにおいすらもわからないのに、アイリの鼻は相当利くらしい。素直にすごいと思う。


「それ、中身は何ですか?」


 生物学の研究もしているんだ、と。もしかして、香水とか芳香剤でも作ったのだろうか。そう思っていると、ヴェルディはタッパーの中身を開けた。その中にはメアリーが作った焼き菓子とは正反対な物が詰められていた。開けて、ようやくほのかに甘い香りがキリのもとへと辿り着く。


――ハルマチ、すげぇ。


 再度、キリはアイリを褒め称える。


「教官が作られたんですか?」


「まあね。でも、これ失敗作だし」


 そうには見えなかった。どこからどう見ても、美味しそうなのに。これをどうするつもりなのだろうか。気になったから訊いてみると、廃棄処分するらしい。


「えぇ、もったいないなぁ」


 おもむろにアイリが「ください」と言い出した。


「本当、捨てるだなんてもったいない。ください」


 アイリの方から小さくお腹が鳴る。これに無理はないだっろう。なんせ、彼女は昼食を中断してまで子どもとマラソンタイムだったのだから。焼き菓子のにおいで我慢ができなかったのだろう。


「あっ。いや、これは……」


 ヴェルディの返答も聞かずして、とうとう勝手に一つ摘んで食べ始めた。行儀の悪いやつだ、とキリが呆れつつもお詫びを入れる。


「すみませんでした」


 アイリにも頭を下げさせなければ、と彼女の方を見た。その場に立ち尽くす。全く動こうとしない。ヴェルディの方を見れば、顔を青ざめている。何か様子がおかしい。そう思っていると、急にアイリの体から煙が出始めた。この珍事にキリの口から変な声が出た。ヴェルディは頭を抱える。


「ハルマチ!?」


「……どうしてきみも人の話を聞かないんだい?」


 煙が晴れてきた。突然と人の体から煙が上がる時点で色々と疑問が飛び交うだろうが、アイリは無事だろうか。煙が晴れた後の彼女を見たキリは瞠目した。我が目を疑うとはまさしくこのこと。


「キンバー君もそうだし」


 ヴェルディお手製の焼き菓子を食べてしまったアイリの姿は、六歳くらいの小さな女の子へと変わってしまった。


「何がっ!? どうしたらっ!? こんなことになるんですかっ!?」


 上手く頭の処理が回らない。アイリとヴェルディを交互に見る。


「このお菓子は十歳若返る代物なんだよ」


「いや、言っている場合――って、どうして教官たちはとんでもない物ばっかり作っているんですか!?」


 ヤグラ然り、今回のヴェルディ然り、そうである。いや、今回の場合は現実的にありえない気がする。それでも、歯車の存在があるから何も言えないけど。


「十歳若返るって言っても、これには欠点があってね。体だけでなく、脳自体も若返るから結局十年前の分の記憶しか残っていない、知らないっていうことだね。言わば、彼女とキンバー君はこの十年分の記憶が欠落してしまったってこと」


 焦ることもなく、ヴェルディは淡々と説明をする。キリは未だとして焦っている。


「た、対処法は? ハルマチとハイチさん、も? 元に戻りますよね?」


「どうだろう? 対処法が今のところないから、どうしようもないね」


 軽いその物言いにキリは眉根を寄せた。これって、結構な大問題だよな? と。


 小さくなったアイリを見た。元の姿とあまり変わりない面影。服のサイズが体に合っていないようで、スカートが脱げていた。彼女が履いていたローファーのサイズも合わないようでぶかぶかのガッポガッポ。カッターシャツがワンピース代わりを成しているようだ。唯一不便性があるとすれば、袖が長過ぎるぐらいか。少しばかり邪魔そうにしていた。


 見かねたキリは袖を捲し上げた。そんな彼をアイリはじっと見つめてくる。


「教官、どうすればいいんですか? これ」


「うーん、他の教官たちに見つかったら面倒だなぁ。デベッガ君って次授業あるでしょ? 僕が話をつけておくから、その子の相手をしてもらいたいなぁ。後は脱走したキンバー君も」


 ヴェルディのその言葉にキリは一瞬だけ硬直した。ちょっと待てよ?


【やつを見つけたら、絶対に近付くな。目を逸らすな。声を絶対かけるな。見つけ次第、俺たちに連絡を取れ。そして、距離は絶対に保っておけよ。いいな?】


 ハイチが元の姿に戻るまで、あの小さな悪が権化した子どもの相手をしろと?


 今のところ、アイリに対してのいたずらばかりしていたが、自分には何をされるかわかったものじゃない。たまったものではない。ここは、絶対にハイネかセロの応援が必要だ。


 一人考え事をしていると、小さなアイリが服の裾を引っ張ってきた。何か言いたげ。


「……どうしたの?」


「ねぇ、『ちーくん』。あそぼぉ」


「俺?」


 どうやらキリのことを昔の知り合いか、誰かと勘違いしているようだった。いや、別にそれはいい。自分のことを知らない記憶でしかないのだから。それにこの子どもアイリはあのハイチと比べて比較的大人しそうである。


 キリを前にして少しばかりもじもじと微笑ましい恥じらいを見せていた。


「いいよ、何して遊ぼうか?」


 アイリの目線を合わせるように、屈み込む。


「あのねぇ、あのねぇ……」


 いつものアイリであるならば、強気な姿勢である。しかし、子ども時代はこのような感じだったのか、と一人微笑ましく思っていると――。


「『ちーくん』、ひとぢちやくねぇ」


「そっかぁ。俺、人質役かぁ……って人質ぃ!?」


 耳を疑う発言にキリは我に戻る。アイリを見ると、彼女の手には弾なしの携帯小型銃が握られていた。銃口はこちらに向けられている。いくら弾なしだとわかっていようが、実際に銃口を向けられると、ビビってしまうではないか。


「いのちがほしけりゃあ、かねよこしなぁ」


 これが小さな子どもの言葉であるものか。似合わない発言をする小さなアイリの表情は明らかに裏の人間のようである。先ほどまでの可愛らしい、穏やかな雰囲気はどこへ行ったのやら。


「ちょっ!? ちょっと待って!? ハルマチ、それはっ!?」


 キリが銃を抑えると、普通の小さな女の子らしい表情に戻る。いけないことだと理解したのか、口を尖らせながらどこか残念そうな顔であるが――。


「『ちーくん』のおくさんもひとぢちだよぉ。あたしがみがらをあずかってるのぉ」


 なんてキリもヴェルディも目が飛び出そうなほどの爆弾発言をかまし出す。いや、奥さんって誰だよ。


「てめぇの女のいのちがたいせつだと思うなら、ゲームしよぉや。ばしょはみなとそぉこだ。てめぇがにちぼちゅまでにこなかったら、かわいぃ、いとしぃ、女のいのちはほしょおしかねぇぞ」


 このような言葉を幼少期のどこで覚えたのだろうか。アイリの十年後の将来がああであるならば、彼女は人生をどのように歩んできたのだろうか、とキリは逆にアイリの今後の将来が心配で仕方がなかった。


「あ、あのね、ハルマ――アイリ、ちゃん? いくらなんでも、そんな言葉は――」


 アイリに諭そうとするが、いつの間にか彼女はその場にスカートとローファーだけを残していなくなってしまった。そのまま硬直する。しばらく固まっていると、近くを通る学徒隊員たちの会話が二人の耳に入った。


「さっき男の子が壁に落書きしていたの見た?」


「嘘? 私は女の子だったけど。誰の知り合いの子か知らないけど、クランツ教官は絶対怒り狂うだろうね。関係者に」


「……デベッガ君、一応彼ハルマチさんとキンバー君を僕の研究室に連れてきてくれないかい? 僕はとんでもない加害者を生み出してしまったようだ」


 その通りではあるが――今、キリはその加害者である一人を見逃してしまっているのである。


「か、加害者……」


 平たく言うと、現在の校舎内には小さな悪の塊をした悪童たちが走り回っている。あのハイチも危険ではあるが、アイリ自身も危険分子と断言しても過言ではないだろう。というか、あの証言であるならば、断言である。


「は、ハルマチぃいい!?」


 急いで床に落ちたアイリのスカートを手に取り、その場から奔走した。


「どこに!?」


【ばしょはみなとそぉこだ】


――ってここ、学校だし! 港倉庫って!


 アイリは捨て台詞を吐いていったが、肝心の場所指定を特定することは不可能だった。なぜなら、学校の敷地内には海は存在しない。というか見えないし。いや、十年分の記憶が飛んでいるならば、学校内のことを知らなくても無理はないか。


 辺りを見渡しながら走っていると、出会い頭に同じ教室の男子学徒隊員と出くわした。


「うおっ、で、デベッガか」


「わ、悪いっ! な、なあ、ハルマチ見なかった……じゃない。社会科教室の編入生に似た女の子見なかった? もしくはハイチさん……次席の人に似た男の子!」


「いや、見ていないけど。なんで、女子のスカート持ってんの?」


 男子学徒隊員にそう言われ、キリは手に握るスカートを見た。とっさにそれを後ろに隠す。


「い、いやっ! これは……そ、そう! その子が落としたみたいでさぁ!」


「ふーん……?」


 疑いの視線が痛い。言い訳する言葉を言い間違えた気がする。なんて後悔してしまうも、時すでに遅し。


「じゃ。俺、追いかけないと!」


 逃げ出したキリ。心なしか、あの学徒隊員から感じ取れた視線は自分を変態だと見るような目な気がした。もう誰かに訊かずして自分で探すしかないと極端的な考えに至っていると、すれ違う学徒隊員たちがことらを怪訝そうな目で見てくる。視点はすべてアイリのスカートである。


「おい、戦力外のやつ。女子のスカートを持っているぞ」


「俺、スカート履いていない女の子見たけど」


「誰かが言っていたけど、脱がせたらしいね」


「うわっ、よくそんなので三銃士軍団に入れたよな」


「変態のくせにな」


 聞けば聞くほど、自分の評価は右肩下がりである。自分は変態ではないのに、脱がせたというのも誤解だ。すべてはアイリが逃げ出さなければ、あのような性格をしていなければ――。


「ハルマチのバカヤロぉおお!!」


 キリの今にも泣きそうで悲痛な叫び声は、辺り一帯にこだましていた。


     ◆


 小さなアイリは左手に弾なし銃一丁と右手にはペンを手に装備していた。そのペンで壁に線を引きながら校舎内を歩き回る。すると、自分よりも少し年齢が大きい男の子――ハイチと出くわした。彼らは互いに警戒をしており、持っていた銃の引き金を同時に引く。


 アイリは当然弾が装填されていないため、空かすが――ハイチが持つのはどうやら弾入りだったようである。銃口から回転するように弾丸が飛び出して、彼女の横を通り過ぎ、壁へと撃ち貫いた。これに目を丸くするアイリは彼に尊敬の眼差しを向ける。


「すごいねぇ!」


「へへっ、すごいだろぉ? おまえ、おれの子分になるか?」


「なるなるぅ!」


 十年後の二人だと険悪の中なのに、彼らは小さくなれば意気投合するらしい。そして、このタッグは何を意味するのかというと――これこそ、『大』がいくつあっても足りない大問題へと発展しかねないことになる事実を頭に入れてもらいたい。


「ねぇ、なにするのぉ?」


 アイリはハイチの後を追うように、着いていく。彼はハーフパンツの履き口に銃を押し込んで見渡す。何か面白いものはないか。見回していると、中庭に人の姿が見えた。窓から顔を覗かせると、そこにはガズトロキルスとマティルダが楽しそうに昼食を採っているようだった。


「んー。あいつらをおもしろくするには……」


 どういたずらをしようか迷っていると、アイリが彼ら二人の近くに水道水があることに気付いた。彼女はハイチに声をかける。


「あれあれぇ!」


「おっ、さすがはおれの子分! 行くぞぉ!」


「おぉ!」


 この悪童どもは何を思いついたのか。楽しそうに一階の方へと下りる。そして、中庭の方へと向かうのだった。


     ◆


 ガズトロキルスはマティルダが作ってきてくれた昼食を頬張っていた。貴族の彼女にしては珍しく、家庭的な味付けである。不満はない。むしろ、彼にとって好きだと言える味だった。マティルダが自分のために作ってきてくれたことに感謝を噛みしめる。


「どうです、ガズ様。もし、お好みの味付けがあれば、そのリクエストにお応えして作ってきますわ」


「えっ、本当? 嬉しいなぁ。ていうかさ、いつも俺のためにありがとうな。何かお礼したいけど、何がいいかなぁ?」


 金銭面から考えると、苦しいかもしれない。だがここ毎日作ってきてくれているのだ。何か一つくらいお礼はしたいものである。


――マティってどんな食べ物が好きかな?


 ガズトロキルスなりのお礼は基本的に食べ物だということ。それに気付かないマティルダは婚約指輪が欲しいだのと密かに思う。そして、あわよくば、その指輪を手にプロポーズして欲しい、だなんて妄想を頭の中で捗らせた。


「ふふっ、うふふっ! やだぁ、ガズ様ったら。私はあなぶっ!?」


 一人妄想劇に恥じらいを見せていたマティルダの顔面に、茶色い物体が勢いよく当たった。これにガズトロキルスは弁当の中を守るため、彼女から離れる。


「ま、マティ……大丈夫かぁ?」


 どこから飛んでくるかわからない謎の物体から弁当に蓋をした。その直後にガズトロキルスの顔面にも茶色い何かが当たる。幸い、弁当は無事であるが、これは――泥?


「なんだよ、これ」


 誰が投げているのか、とガズトロキルスは周りを見た。すると、水道水のところに見覚えのあるような、ないような子ども二人が泥塗れになって泥玉を作って遊んでいた。彼らの足下には大量の泥玉がある。


「よし、たくさんできたか!?」


「あいあいさぁ! たいちょお!」


 勢いのいい返事をするアイリを筆頭に、すでに泥塗れの彼らに大量の泥玉を投げつけてくる、投げつけてくる。まさに加減という言葉を知らない悪い顔をしたクソガ――失礼。子どもである。


「ふははっ! 二人なかよくどろにまみれてなぁ!」


「まみれてなぁ!」


 これ以上、弁当箱が泥塗れにならないようにガズトロキルスは守った。


「おいっ、お前ら止めろ!」


 二人に対して注意をする一方で、マティルダは何も反応を見せていない。――否、静かな怒りのオーラをかもし出していた。


 このにじみ出る怒りのオーラに察したガズトロキルスは怯む。だが、小さなハイチとアイリは何も感じない。危機感を一切持たない子どもだから。ていうか、大抵の子どもは危機管理能力がないよね。


「こんの、クソガキどもがっ!!」


 泥塗れのマティルダは怒りを爆発させ、怒鳴り散らした。今にも悪童たちを捕まえんと、走る。子どもたちは泥玉を投げつけて対処を図るが、意味がないようだ。


「きけんだ、どろたーいん! たいきゃく!」


「あいあいさぁ! たいちょお!」


 怯えているのか、遊んでいるのか。ハイチとアイリは激怒しているマティルダから逃げるために泥玉をいくつか持ちだして逃げ始めた。それでも、と彼女は追いかける。


「待ちなさいっ!」


 追ってくるマティルダに逃げきれるほど、自分たちの足は速くないと自覚しているのか、持ち出した泥玉を彼女に投げてきた。もちろん、腕力も子どもであるため、飛距離は足りずに大半は地面に落ちてしまうが――。


「ぎゃんっ!?」


 高いヒールを履いていたマティルダは泥で足を滑らせて、派手に転んでしまった。


「ま、マティ!」


 心配したガズトロキルスがそちらへと駆け寄るが、マティルダ勢いよく起き上がった。


「何なの、あのクソガキどもはぁ!?」


「そ、それよりも、泥を落とさないか?」


 ムカつく気持ちはわかるが、とマティルダに促す。そんな彼らの前にハイネとセロが青ざめた様子でやって来た。


「う、うわわ! ガズ君とマティちゃん! もしかして、ハイチに……似た子どもにやられた?」


 申し訳なさそうにハイネは二人に持っていたハンカチを渡した。


「あっ、汚れちゃうし。いいっスよ」


「あの二人組はキンバーさんたちの知り合いか何かっ!?」


「……二人?」


 マティルダの言葉にハイネとセロは顔を合わせた。自分たちが追いかけているのは小さくなったハイチ、ただ一人の身のはずだが――。


「ハイチに似たやつ以外の他にもいたのか?」


「えっと、女の子っス。そう言えば、ハルマチに似た――」


「ありがとう、ちょっと捕まえてくるわ」


 加害者が増えてしまったと頭を抱えるセロを引いて、ハイネはその場を後にした。すぐに連絡通信端末機を取り出してキリに連絡を入れようとするが、彼は出てくれなかった。


「ハルマチが小さくなったって――!」


「きっと、キリ君はアイリちゃんを捜すのに必死なんだと思う!」


「エイケン教官が早く元に戻す物を作ってくれたなら……ああ、もうっ!」


 二人は校舎内へと入って行くのだった。


     ◆


 校舎内の渡り廊下の長椅子にはワイアットが悩ましい表情で考え事をしていた。それはハイネをいかにして次のデートに誘い込むかである。それも今度は二人きりのイベント。だが、彼女には番犬のような兄が存在する。自身の妹に近付く者はたとえ、ワイアットであろうとも誰だろうが、噛みついてくるのだ。そんなハイチをどう突破して誘うか、である。こっそり誘いに行ったとしても、なぜかバレてしまっているし、メールを送ったとしてもバレている。というか、彼は自分を監視しているのではないのかとまで思ってしまう。


「どうしようか」


 足と腕を組んでいると、こちらをじっと見ている小さな子ども二人に気付く。なぜに、このようなところに子どもがいるのか。気になったワイアットは彼らに近付いた。


「きみたち、お父さんとお母さんは?」


 よくよく見れば、この子どもたちは裸足であり、泥塗れではないか。


「服、汚れちゃっているけど」


 心なしかハイチは子どものくせにして眉間に深いしわを寄せて、ワイアットを睨みつけているではないか。そのふてぶてしい風貌にこの男の子がハイチに似ているなと感じる。というか、隣の女の子も雰囲気はなんとなく似ている気がする。キンバー兄妹の親類か何かだろうか。


「ちょっと待っていてね、ハイネさんを呼ぶから」


 ワイアットは自身の連絡通信端末機を取り出してハイネと連絡を取ろうとする。すかさず、ハイチは隙をついて彼の端末機を奪い取った。


「あっ! こらっ!」


 そして、壁に叩きつけた。バキッと嫌な音に壊されてしまう。その残骸に唖然とするワイアットをよそに、ここぞとばかりに嗤う小悪党の化身たちは顔を見合わせてにやにやとしているではないか。


「壊しちゃダメじゃ――っつう!?」


 叱咤するワイアットにハイチは脛を蹴り上げた。あまりの痛みに一人悶絶する。それでも、と涙目ながらも怒る。


「きみたち、ハイチさんとハイネさんに言いつけるよっ!」


「なんでおれの名前知ってんだ!!」


 何かが癪に触ったのか。ワイアットに向かって飛び蹴りをしようとしたとき、体が軽くなった。服を掴まされ、自分たちを見ているのはマックスである。


「フォスレター、この子どもたちは?」


「おそらく、ハイチさんたちの親戚の子かと」


「なるほどなぁ、このふてぶてしい顔立ちはどこからどう見てもキンバーそっくりだ。でも、こっちはハルマチにも似ているな」


 二人が悪さをしないようにマックスが彼らの首根っこを取り、持ち上げた。持ち上げられたことが不愉快であるハイチとアイリは「おろせ」と叫ぶ。


「おろせよぉ! おろせぇ!」


「はいはい。あいつら、この悪たれを放置して何しているんだ?」


 とにかく保護者を捜さなければ。そうマックスが連行しようとしたとき、小さなハイチはハーフパンツに捻じ込んだ銃を取り出して、誰もいないところへと発砲した。その音にびっくりし、二人の子どもから手を離してしまう。この隙に悪童たちは上の階層へと逃げ出してしまったのだった。


     ◆


 キリが所属する教室では、ケイとヴィンが最近流行りのゲームである『ストラテージ』で遊んでいた。このゲームは平たく言うと、戦略ゲームのようなもので――言わば、ボードゲームなのだ。


 二人は無言状態で真剣にゲームを嗜んでいると、突如として教室中に発砲音が聞こえてきた。双方ともに肩を強張らせる。静寂する最中、学徒隊員たちの注目を浴びるのは銃口から煙を吐かせている小さな男の子である。


「子ども?」


 不審そうに小さな女の子と男の子を見た。彼らは楽しそうににやにやしている。


「おい、危ないからそれをこちらに渡せ」


 幸い、今の発砲では誰も怪我がなかった。誰かが危険にさらされる前に、とケイが二人の子どもの方へと近寄ろうとすると、女の子――アイリも引き金を引いた。その反動で、彼女は尻餅をつく。撃ち放った銃弾は真っ直ぐ、一直線にケイとヴィンが遊んでいたストラテージのボートへと直撃する。それは大破してしまい、机の上が黒焦げとなってしまった。


「てめぇの大切なもん、ころされたくなきゃあ、かねだせぇ」


 悪人面のアイリは床に座った状態で、彼らに向かってそう言い放つ。


「ストラテージのボードは大破されちゃったけどねぇ」


 緊迫感があるのに。ヴィンは笑っている。この状況は笑い事ではない。


「笑っている場合か! 早く、このガキどもを捕まえないと、怪我人が出るぞ!」


「いやいや、これは。怪我人ではなく、怪我ボードだよね?」


 ヴィンは使い物にならなくなったボードを手に取って見せた。それにケイは苛立ちを隠せない。


「それはもういいって言っているだろうが! いいから――」


「はやくしろぉ!」


 ハイチが大声を張り上げた。ざわついていた教室は静まり返る。


「おれたちの気がかわらねぇうちにきめろ!」


「ま、待てっ! 引き金引くな! それを床に下ろせ! 本当、『怪我人も』出るから!」


 そう言うケイにヴィンはまた笑った。


「あっ、『ボードは怪我している』と思っているんだね」


「お前は黙っていろっ!!」


 別にそれを狙っていない。ヴィンを睨みつけて子どもたちの方へと視線を戻すが、いなくなっていた。どこへ行ったのかと焦りながら廊下の方へと出ると、息を切らしたキリが走ってやって来た。


「し、シルヴェスター! 今、教室で銃声が鳴らなかったか!?」


「ああ、二人組のガキだろ? したよ、二発。どこか行ってしまったみたいだけど」


「いっ!? 怪我した人とか、いないよな!?」


 発砲した事実に更に焦りを隠せない。ケイは「いない」と答えると、キリは安心しきった表情を浮かべる。


「あっ、よかった」


「でも、被害者はいるよ」


 二人の前にヴィンが割って入ってくる。彼の手にはストラテージのボードが握られている。


「えっ、被害者って!?」


「そいつの言うことは無視しろ。被害者って、それのことだから」


 半ば騙されたことに、疲れと苛立ち爆発のせいだろう。キリはヴィンに対して拳を振り上げた。


「きゃあ、止めて。暴力はいけないんだぞ」


「こちらとら、困り果てているんだよっ!」


「あれだろ? 幼女の服を脱がせようとしているって噂。お前、相当の変態だよな」


「ちがーう!!」


 必死に否定をするキリをよそにケイはドン引きしていた。視線の先はキリが持つ女子のスカート。学徒隊員の物であるのには間違いない。黒いタイトスカートであるが、ヴィンが言うのは幼女である。


「で、デベッガ。お前って……」


「ちょっ!? 何か変なことを勘違いしていないか!? 俺はそんなシルヴェスターが考えているようなことしようとしてないから!」


「じゃあ、なんでスカートを?」


「ああっ、もうっ! さっきの子ども二人の内、一人はハルマチだよ! これはハルマチのだから!」


「えっ、なんだよ。幼女をハルマチさんとして見立てて――」


 言葉を続けようとするヴィンの口をキリは塞ぐ。教室にいる学徒隊員たちは不審な目をキリに向けていた。


「お前はしゃべるなっ! 話がややこしくなるから!」


「いやいや。いくらなんでも、私たちと同年代ぐらいのハルマチさんが幼女になるわけって。えっ、なるの?」


「……ああ」


 黙っておくべきか迷った。だが、何も言わずしたら、自分が誤解されたままになりそうだったため、キリは正直に頷いた。それでもケイとヴィンは疑心暗鬼のようである。


「ほ、本当だって! ハルマチがエイケン教官が作った焼き菓子食って、ああなったんだって!」


「仮にそうだとするならば、もう一人の子どもは誰だ?」


「ハイチさんだよ」


 本当のことを言っても、信じてくれない彼らのもとにハイネとセロがやって来た。


「き、キリ君! 今、この教室で銃声があったって!」


「あっ、ふ、二人が現れたそうです! また逃げたみたいですけど」


「あいつら、どこへ!?」


 セロたちの焦りように行き先を指差した。情報を得た三人はお礼を言うと、その方角へと走り去ってしまう。残された二人は顔を見合わせた。と、ここでヴィンは敬礼をする。


「団長殿、怪我ボードはいかが致しましょう?」


「それ、しつこい」


     ◆


 各地で被害が相次ぐ中、悪童二人は生物学実験室の隣にある準備室に侵入してきていた。こっそりと侵入するその姿はさながら小さな泥棒である。この部屋にはヴェルディが二人を元に戻すために集中して作業を行っていた。それを見ていた小悪党ハイチがこっそりとアイリに耳打ちをする。


「知っているか、こういうとこでのマナーを」


「まなぁ?」


「あれ、なにかわかるか?」


 指さす方に視線を向ける。テーブルの上には黄色い液体が瓶の中に入って、泡立っていた。


「ジュースかなぁ」


「そう、おとなは子どもが見ていないとこで、じぶんたちがすきなものを食べたりするんだ。ずるいだろ?」


「うん」


 アイリはあまり言葉を理解していないのか定かではないが、大きく頷いた。


「でも、おれたちがすきなものを食べたりすると、なんでか怒っちゃう」


「おこっちゃうねぇ」


 アイリは何度も頷く。


「だから、あれをうばって、のむぞ!」


「おぉ!」


 二人はヴェルディに見つからないように、こっそりこそこそと黄色い液体のもとへと向かう。大人に見つからないようにというゲーム感覚が楽しいのか、見つかりそうになれば、楽しそうに顔で笑っていた。


 やがて、ヴェルディの目を見計らって――瓶に入った液体を盗むことに成功する。


「おいしそぉだな」


「ねぇ、ねぇ、あたしがさきがいい」


「おぉ、のめのめ」


 ハイチはアイリに譲ると、彼女は嬉しそうに黄色くてあやしい液体を一口飲んだ。


「おいしーか?」


 一口飲んだアイリであるが、急に大人しくなり、手に持つ瓶を茫然と眺めていた。何の反応も見せない彼女に不思議がる。


「どうしたか?」


 いくら声をかけても反応なし。少しばかりムッとしていると、突如としてアイリの体から煙が出始めた。それにびっくりしたハイチは変な声が出る。


「えっ!? えっ!?」


 声と煙にようやく気付いたヴェルディはそちらへと駆け寄った。


「き、きみたち!?」


「お、おれじゃないもん!」


 とりあえず、ハイチを捕まえてアイリの様子を窺った。焼き菓子を食べたとき同様の症状ではあるが――。


 煙が晴れた頃に二人の前に現れたのは幼女アイリではなく、元の姿に戻った彼女だった。


「う、うぅん……?」


 自身の身に何が起きたのか理解しきれず、周りを見渡す。大きな薬棚、ヴェルディと小さな子ども。何があって、ここにいたんだっけ?


 ふと、気付く自分の格好。制服は着ているものの、その制服はなぜか泥だらけだし、手も泥で汚れていた。極めつけはスカートを履いていない事実。一応、スパッツこそ履いてパンツをさらすことはないが、二人の目の前では気恥ずかしさに顔を真っ赤にする。


「ひんにゅーブスになった!」


 ハイチの発言に、アイリは片眉を少しだけ動かした。


――今、なんて言った?


 徐々に思い出す悪童ハイチの言行の数々。思い出すだけで、表情が引きつってくる。


「は、ハルマチさん?」


「……は、ははっ」


「わらってんじゃねぇぞ、ブス」


「ふざけるな! この変態クソガキがっ!!」


 ぶちキレたアイリはハイチを捕まえようとするが、ヴェルディの手から逃げるようにひらりとかわされた。


「なんだぁ!? ブスがキレたぞ! つかまってたまるかぁ!」


 準備室及び、ヴェルディの研究室から飛び出すハイチにアイリは己の体力配分なんぞ無視して『捕まえる』ことを絶対条件として走り始めた。


「スカート返せぇ!!」


     ◆


 さまざまなフロアを走り回っていたキリたち三人の目の前にこの場に相応しくない子どもが前方からやって来るのが見えた。


「いた! こらぁ! お前たち!!」


 キリが、ハイネが、セロがハイチを捕まえようとするが、こちらもひらりとかわされ――キリだけアイリに頭を踏まれて、床にダイヴする。


「待たんかいっ! エロガキがぁ!」


「あ、アイリちゃん待って!?」


 ハイネが慌てて呼び止めようとするも、アイリは聞く耳持たずしてハイチを追いかけて行ってしまった。


「スカート、行っちゃった……」


「デベッガ、大丈夫か?」


 二人は床に伏せているキリを起こし、この現状を整理し始めた。


「アイリちゃんだけ、戻っていたみたいだけど」


「元に戻る薬品でもできたんですかね?」


 痛む頭を擦りながら、キリはため息をついた。


「ていうか、それ以前にアイリちゃんもなんで子どもに? エイケン教官から話とか聞かなかったの?」


「ええ、聞かずして。ハイチさんもそうだっておっしゃっていましたけど」


 そうセロの方を見た。その言葉に彼は「その通り」と頷く。


「あのばかもそうだ。教官の話を聞かずして食べ出したから。まあ、俺も人のことは言えないんだが」


「食べようとはしたんですね」


「教官が待て、というからな。本当に待っていたら、ハイチだけ食べた。美味しそうな焼き菓子だったなだけに少しだけあいつが羨ましい」


「言っている場合じゃないから」


 なんてハイネがセロにツッコミを入れていると、ヴェルディが慌てた様子で、三人のもとへとやって来た。手には黄色い液体の入った瓶が握られている。


「教官!」


「みんな、ハルマチさんたちを見かけなかった?」


「さっき、ハイチを追いかけて行きましたけど。それが、元に戻る薬品ですか?」


「う、うん。こんなあやしさ満点の物なんて飲みたがらないと思ってね。それでお菓子を作っていたら、ハルマチさんが飲んじゃって……」


「元に戻ったってことですね! じゃあ、早速ハイチを捕まえないと!」


 三人は急いで二人が走り去って行った方向へと行こうとするが、ヴェルディが止めた。


「あのすばしっこいのを追いかけていても、逃げられるんじゃないのかい?」


 その指摘に彼らは黙る。全く以てその通りである。現に見つけたとしても、逃げられてしまうばかりで触れることすらもできずにいたのだから。


「もう授業も始まっているだろうし、あまりバタバタとしていてもきみたちが怒られるだけだよ。何か作戦でも立てないと」


「怒られるところじゃない場所って言ったら?」


 どこがあるだろうかと考えるキリにハイネは一つの考えを思いついた。


「これだっ!」


     ◆


 ハイネの作戦の指示通りにキリはエントランスの銅像の上で待ち伏せしていた。元々、銅像自体が大きいから背の低い子どもハイチは自分がいる場所が見えないだろう。そこへハイネとセロが追い込んで連れてこさせるから、ここで挟み撃ちという作戦だ。これはもう失敗しようが、しまいが最終手段とも言えるもの。


 しかし、彼にとって作戦成功の有無よりも、自身がいる場所が誰かにバレないかの心配があった。この銅像に上ることは禁じられているからである。特にマックスなんぞに見つかったあかつきには、わざとでなくとも五ミリ反省文が容赦なく待ち構えているはずだ。だからこそキリは誰にも見つからないように祈りながら、ハイチが来るのを待つばかり。


 そっと気配を消してやって来るのを待っていると、ハイネから一件の着信が入った。


《キリ君!? 今、ばかがそっちへ向かっているから!》


「わかりました」


《ただ、アイリちゃんを見失っちゃったから――》


「はい!」


 休み時間最初のことを思い出せば、アイリは体力の限界により、どこかでくたびれているのだろう。などと推測しつつも、一階のフロアの入り口の方を見た。向こうから二人に追いかけられいる小さなハイチの姿が見えた。


――来たっ!


 こちらへとやって来ているハイチは怒られてもなお、楽しそうにしている。悪の化身と化した悪童特有の表情をしているのが実に腹立たしい。キリはのタイミングを見計らって、銅像から飛び降りた。


「覚悟しやがれクソ悪ガキがっ!!」


――え?


 飛び降りるキリの真上から怒声が聞こえてきた。聞き覚えのある声。空中で見上げると、真上にはアイリがエントランスの吹き抜けとなっている二階から飛び降りてきていたのだ。


「あっ」


「げっ」


 両者が空中で互いの存在に気付いたときはもう遅かった。彼らは空中でぶつかってしまい、その勢い余ってハイチの上へと落下してしまう。これはある意味捕まえたことに成功していると言えるだろう。


「いたたっ……」


「ふ、二人とも大丈夫!?」


 エントランスの方へと、ハイネたちが心配そうにやって来た。


「は、はい。なんとかハイチさんを――」


「何これ、暗い?」


 アイリの声に彼女の方を見た。アイリの頭にはキリが手に持っていたスカートが被さっていたのだ。今更ながら、彼はずっと彼女のスカートを持っていたことになる。


「邪魔」


 ようやくアイリはスカートを払い除けると、それがなんで、誰のであるか一発で理解する。彼女はキリを見た。彼は急いでスカートから手を離す。


「これって、あたしのスカートだよね? デベッガが持ってたの?」


「ご、誤解だ!」


 すべての経緯を話そうとするが、アイリは聞く耳を持たない。


「そっかぁ、今までデベッガ君が持っていたんだぁ。そうなんだぁ。ふぅーん……」


 心なしかアイリの声は震えている。顔も紅潮させている。耳まで真っ赤だ。これは屈辱的だと言わんばかりに、段々と涙目になってきていた。


「本当はこのクソガキじゃなくて、デベッガ君なんだぁ」


「は、ハルマチ! お、お、落ち着いてくれよ! これにはわけが――」


「こんなの、落ち着いていられるかぁ!!」


 アイリはキリに対してビンタを食らわせようとするが、避けられてしまった。


 二人が動いたことにより、ハイネとセロはハイチの回収をする。二人は彼らのやり取りに関しては遠巻きで傍観するしかなかった。


 キリは銅像を背にしてアイリに追い詰められる。なんとか彼女から誤解を解かないと、大変なことになってしまう! もっと学校中に自身の変な噂が広まってしまう!


「あ、あのなぁ、俺じゃねぇって! ハルマチが――」


「違うもん! あたしはそんなことしないもん!」


 頭の中がパニックになっているのか、アイリは右手を大きく振りかぶった。


「このっ、変態がっ!!」


 耳を塞ぎたくなるような乾いた音がエントランス中に響いた。キリはアイリから強烈なビンタを左頬に食らってしまったのだ。おかげでピンク色の手形の完成である。


――事実を言うことすらも許されない世の中って……理不尽だ。


     ◆


「デベッガ。聞いていいか?」


「……すみません、黙って作業をしてくださいよ」


 ハイチは状況が解せぬまま、キリは不快そうにして壁の落書きの掃除をしていた。何も彼らのするべきことは壁の落書き消しだけではない。ハイチにとって身に覚えのない破壊された校舎内、機械類、電子機器具類の修復に加えて、校内発砲の始末書までも待っている。一体自分が何をしたのだ、と不満は隠せないようだった。


 唯一、何か事情を知っていそうなキリに経緯を訊ねたいのであるが、珍しくも怒った様子である。不貞腐れた表情を見せる彼に声をかけることもままならない。壁を雑巾で擦っていると、遠巻きでこちらを見る学徒隊員たちに気付いた。


「なあ、戦力外ってさ、ロリコンらしいぜ」


「変態じゃねぇか」


「ていうか、ここだけの話。女子制服を幼女に着せては脱がせていたと……」


 その噂話はハイチの耳にも届いており、彼は引きつった顔でキリを見た。


「な、なあ、デベッガ――」


 声をかけるハイチを睨む。そういう風にして、こちらにそんな視線を向けてくるキリが普通に怖いと思う。


「言っておきますけど、俺は正常ですからねっ! 全部、デタラメですから!」


「お、おうっ。ところで、なんで俺らがこんなことを?」


「はぁ!? ハイチさんがハルマチのスカートを捲ったことが原因でしょうが!!」


「なんだとぉ!?」


 またしても、身に覚えのない事実にハイチは驚きを隠せない。


「なんだと、じゃないでしょう!? 全部、それが原因なんですからね! 俺がハルマチから理不尽にビンタ食らったのも、ペナルティが課せられてしまったことも!」


「何それっ!?」


 数日前に名誉とも言える三銃士軍団に入団した二人。実は変態だったという噂が流れ始めて、誰かにそのことを訊かれては必死に否定を繰り返していたという。

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