恋心
人は誰しも羞恥心を持ち合わせていると訴えるのはキリである。彼はしつこく質問してくるガズトロキルスにうんざりしていた。
「なあ、なあ。教えてくれよぉ」
教えろというのは、昨日の夕方を噂で聞いたのだろう。キリの思い人が気になって昨日の夜からしつこく訊いてきているのである。
「だから、恥ずかしいから嫌だって言っているだろうが!」
「いやいや。ここはだな、俺としては親友の枠組みで知るべきなんだよ」
「言っている意味がわからないから」
渋面を見せ、ガズトロキルスをその場に置いて行こうとする。だが、後ろから「お願いです!」と聞こえてきた。もちろん、どんなに頼もうが、口が裂けても言えないため、後ろを振り返って言おうとするが――彼は自分の方を向いておらず、その後ろの方を見ていた。そこには困惑した表情を見せるハイネに花束を差し出す一人の少年。少年は彼女を見上げていた。
「お願いです! ハイネさん!」
少年がもう一度、ハイネに悲願する。
「こ、困るよ」
一方でハイネは目の前にある花束に焦っていた。しかも、キリがこちらを見ているせいで、さらに焦り出しているようだ。遠巻きにいる彼らは二人を見ていた。
「モテるなぁ」
「誰にでも優しいからなぁ。それより、あの子って下級生だろ」
言われてみれば、とキリは思った。その少年は年齢的に自分より幼さのある顔立ちだ。
「お願いです、ハイネ・キンバーさん! 僕と結婚してください!」
――いや、飛び過ぎぃ!?
少年のその発言に、二人と通りすがりの学徒隊員たちまでもが目を点にして彼に注目するのだった。
◆
「あぁ? ハイネに結婚の申し込みだって?」
片眉を上げて、売店で購入した惣菜を頬張りながらハイチはキリとガズトロキルスを見た。彼の傍らにはセロも惣菜を口にしながら静かに聞いている。
「花束を添えて。なあ、キリ」
「おう。あんなこと言って、耳を疑いましたもん」
「……ふうん。で、相手は?」
興味があるのか、ないのか。連絡通信端末機を取り出して弄りながらも訊いた。
「下級生だよな?」
「多分は。佇まいからして、貴族だと思う。でも、シルヴェスターみたいな高慢さはない感じでした」
「へぇ。セロ、見当つくか?」
「知らないな。俺はあんまり下級生と交流がないから」
「俺もだ。ということで、お前らそいつを調べて、連れてこい」
無茶を言うな、とキリたちは苦笑いした。名前も知らない、交流がない下級生なのだ。今日、たまたま見た光景の中の一人の生徒を探し当てろだなんて至難の業である。
ハイチの無茶振りには困ったものだ。二人は場所を変えてカフェテリアで腕を組んで考えた。ガズトロキルスの傍らにはいつの間にかマティルダが居座っていた。彼女の存在も気になっていたが――実際に対策を考えているのはキリだけ。ガズトロキルスは何も考えずにお菓子を食べていた。
「いや、ガズも考えろよ」
「悪いな、糖分採らないと頭が働かない」
「食いながら働かせろ」
「無理だ。ああ、糖分が追いつかない!」
「そうよ、ガズ様に無茶を言わないでくださる!?」
マティルダが口出しをしてきた。
「いや、きみはいつからいた!?」
「あなたには関係ないことよ!」
「ああ、そう」
ガズトロキルスに思考を期待するのは無駄か。キリはため息をつく。次の休み時間にでも下級生の教室があるフロアにでも見に行ってみようかな。そう思っていると――通りすがりの下級生らしき二人の男子生徒による神妙な面持ちの会話が耳に入ってきた。
「さっきの人って次席の人だよね?」
「だと、思うよ。見たことあるもん。なんで、こっちのフロアにいたんだろ?」
「わからないよ。ていうか、めちゃくちゃ顔が怖いし、誰も声なんてかけないと思うよ」
その下級生二人はカフェテリアを後にする。彼らの会話を聞いていた彼らは顔を見合わせた。
「自分では動かないと思っていたけど」
「気にはなっているんだな」
ガズトロキルスはお菓子を一口放り込み「ていうかさ」と言葉を続ける。
「ハイネさんに直接訊けばいい話じゃね?」
「教えてあげてくれるのか?」
キリは昨日の怒りの言葉を思い出す。確か、ハイネは兄であるハイチよりも授業が大事にしている人物だったはず。ということは、彼がいくら訊ねても結婚申込み相手の名前を教えてくれるか難しいだろう。
「言っておくけど、俺たちがハイネさんに訊くんだぞ」
「え」
驚きを隠せないキリにガズトロキルスは眉根を寄せる。
「いや、大体わかるだろ。ハイチさんにその下級生の子の名前が知られたら、海に沈められそうじゃね?」
「それはあんまりだろ」
キリが苦笑を浮かべていると、今度は下級生らしき女子生徒の会話が聞こえてきた。
「さっきの、なんか怖かったね」
「うん、あの人って五回生だったっけ? なんで男子たちにドライブを誘っていたんだろ?」
「ねっ、港町にドライブしないかって。いきなりなんなんだろ?」
下級生たちの会話を聞いて、再び二人は顔を見合わせた。互いに真顔ではなく、完全に表情を引きつらせているのがわかある。つまりはガズトロキルスの予想が的中しそうだということである。
「俺、冗談で言ったつもりだったんだけど」
「危なくないか? その下級生」
「しかも、好きな人の兄貴だろ? そりゃ、着いていくかもなぁ」
「ところで、ガズ様たちは誰をお探しで? そのようなお話が見えてくるようですが」
どうやらマティルダは話がよく見えていなかったようで、彼らの会話を聞いていく内に話の趣旨を掴んだようである。
「おっ、ちょうどいいや。キリにはあの子が貴族に見えたんだっけ?」
「うん」
「なあ、マティ。マティの知り合いに貴族の下級生で男子生徒っている?」
ナイスアイディアだとガズトロキルスを心の中で褒めた。マティルダならば、王族に仕える貴族でもあるから、貴族たちの内情を知っている可能性がある。事実、彼の考えは冴えていたようで――彼女は「ええ、そうですね」と思い出そうとしてくれていた。流石は糖分! 座学の成績が下位のガズトロキルスの頭を働かせてくれるなんて!
「ああ、一人いますわ。彼は確か二回生で礼儀正しい方ですわ」
そして、本当にいるらしい。
「そいつの名前、教えてくれる?」
「はい。彼の名前は――」
◆
休み時間にキリとガズトロキルスは自分たちの一つ下の下級生のフロアにやって来ていた。そのフロアにいる下級生らは彼らを物珍しそうに見ている。
「あの教室だったっけ?」
「そうそう」
彼らはマティルダが教えてくれた教室の方へと向かう。このとき、絶対にハイチに見つからないように、細心の注意を払った。そして二人はハイネに求婚を迫った男子生徒を見つけた。彼のもとへと向かうと、あちらも気付いてくれた。
「フォスレター君だよね?」
「はい、僕がワイアット・エヴァン・フォスレターですが。僕に何か用ですか?」
マティルダの言う通り、男子生徒――ワイアットは礼儀正しかった。大抵の貴族は年上であろうが、身分が自分より低ければ高慢的な態度を取る者が多い。だが、彼はそのような態度は取ろうとはしなかった。ワイアットが目的の人物であることを確認すると、二人はもう一度周りを見渡した。うむ、ハイチはいない。それを確認すると、彼らはワイアットを自分たちの学年のフロアへと連れ出した。
「あの、僕に何か用ですか?」
「急にごめんね。ガズ、一応向こうの方を見ていてくれよ」
「合点承知」
ワイアットは状況を理解していないようである。キリは一度深呼吸をすると、彼を見た。
「えっと、フォスレター君」
「フォスレターでいいですよ、デベッガさん」
どうやらワイアットは自分のことを知っていたようである。それならば、こちらの自己紹介せずとも、本題にいけそうだ。
「フォスレターさ、今日キンバーさんに、その……なんだ、告白でもしたよね?」
ただ、質問をするだけなのに。『告白』という言葉が気恥ずかしい。発言する自分に気恥ずかしさを感じていたが、ワイアットは平然とした様子で「もちろんです」と頷いた。
「はっ! まさか、デベッガさんもキンバーさんを!?」
「ち、違う! 俺はそんなんじゃない!」
「それでは、僕に一体何の話を?」
「まずは俺ら、謝りに来たんだ。その、きみの告白を兄であるハイチさんに話してしまったんだ。本当、ごめん」
頭を下げるが、ワイアットは首を傾げた。どうして謝罪をするのだろうかとでも言いたげである。
「頭を上げてください。どうして、謝るんですか? 逆に手間が省けていいじゃないですか。キンバーさんから紹介してもらわなくても。事前情報は大事ですし」
「そ、そうじゃないんだっ! 俺たちはフォスレターが港町に連れて行かれないように――!」
「お義兄さんと港町にお出かけですか、いいですねぇ」
「お出かけじゃないから!」
なんて言うにも、ワイアットは聞く耳を持たずして、ハイチとのお出かけに思いを馳せ始めた。彼の想像では楽しんでいるのだろう。嬉しそうな顔をしていた。
「ははっ、お義兄さん。もちろんですとも、ハイネさんを幸せにします!」
「ちょっと。フォスレター君、現実に戻ってきて。お義兄さん、思っているほど優しくないから。むしろ、許さない派だから」
「問題ないですよ!」
自分の世界から戻ってきて意気揚々とキリにそう言った。なかなか自分の思う通りにならない彼は頭を抱え出す。これにはどうしたものか。
「要は僕がお義兄さんを説得すればいいということですね!?」
――そういうことじゃない!
「待って、本当。あの人、思っているほど簡単な人じゃないから。いや、簡単な人だけど、妹さんのことになると危ないから」
「大丈夫ですよ! お義兄さんの気持ちもわかりますので。妹さんがお嫁に行くのも寂しいですもんね」
何もわかっちゃいない。キリは更に頭を抱えた。ワイアットの場合は友達や恋人をすっ飛ばしてハイネを嫁にもらおうとしているのだ。寂しい云々ではないと思う。それだからこそ、ハイチが憤り感じてあのような行動を取るのも無理はないのだから。
「ほお? 俺の気持ちがわかるのか、そこのお前は」
「ごめん、キリ」
ハイチとガズトロキルスの声を後ろから聞いて、もうダメだと嘆きそうになった。
キリは勢いよく振り返った。後ろには首根っこを掴まされ、惣菜を頬張るガズトロキルスとこめかみに青筋を立てて鬼のような形相をするハイチがそこにいた。
「お前っ、買収されたのか!?」
「いや、だってよ。これすごいんだぜ? 隣の町で先週から期間限定、数量限定で発売されていて、店の開店同時に売りきれるやつなんだぜ? ほら見て、すごくね?」
「知らねぇよ。すごさなんて」
ガズトロキルスを見張りに立てるべきではなかったか、と後悔した。これにより、キリはワイアットを売ったということになる。ちらりとハイチの方を見る。彼は表情を全く変えずして、ワイアットの方を見ていた。無言の状態で見ているのが一番怖い。
「もしかして、ハイネさんのお義兄さんですか?」
しかし、ワイアットは恐れることはなく、そう訊ねた。『お義兄さん』という言葉に反応したのか、ハイチはこめかみの青筋を増やした。眉の端をピクリと動かした。明らかに最悪な展開になりそうである。
「初めまして、僕はワイアット・エヴァン・フォスレターです」
「ふうん……」
ハイチは意味深にポケットから車のキーを取り出して「ちょっと港町までドライブしに行かねぇか?」と言い出した。
「ドライブですか? いいですねぇ。公共機関よりものんびりできるから僕は大好きです!」
――ドライブじゃないよ、それ。
言いたくても口を噤んでしまう。逆に言えば、ワイアットを庇うと自分自身も連れて行かれそうだから。
「じゃあ、決定だな。今すぐにでも行くか」
始末しにかかる気だ! 慌てふためくキリ、惣菜を食べ終えて、嬉しそうなガズトロキルス。にやにやとあやしい笑みを浮かべるハイチ。だがしかし、ワイアットは行くことを拒んだ。
「今日ではなく、二日後にしませんか? 今日はもう遅いですし。僕、夜は勉強をしたいので」
――ナイスだっ!
「そうか、そうか。別に構わねぇが、どうしても明後日じゃなければダメか?」
ハイチはどうしても今すぐにでもワイアットを港町へと連れて行きたいらしい。
「そうですね。それに、ふふっ。時間もあれば、準備はたくさんできますよ。ほら、ハイネさんを誘って鼎談もできますし」
「ほう! 鼎談……して、話の中身は?」
「決まっているじゃないですか! 婚儀についてですよ。僕的にはハイネさんは純白のドレスが絶対にお似合いだと思います」
「……やっぱり、今すぐに行かねぇか? 俺は行く準備が万全だ」
――始末の準備がでしょう?
「なあ、キリ。俺たちは今度、朝早くに隣の町に行こうぜ。これめちゃくちゃ美味かった」
「言っている場合か!」
今までのことはなかったかのように、ガズトロキルスがそのようなことを言い出す。彼の頭を軽く叩いた。
「は、ハイチさん! フォスレターも準備がいるって言ってしますし、明後日はどうですか!?」
このままではダメだ、とキリは話の中に割って入ってくる。この行動には勇気がいるし、現在の背中は汗がびっしょりであった。だが、この行動が逆に厄介な展開へと変貌し出す。
そうフォローをするキリにワイアットは嬉しそうな表情をすると、彼の手を握ってきた。
「デベッガさん、ありがとうございます! ああ、なんてあなたは優しい方なんでしょうか。実は、僕はあなたを一時期下に見ていたことがあって……それが一番恥ずかしい! 謝らなければならないのは僕の方なのにっ!」
「お、おう……」
これには先ほどの自分の行動を後悔した。なぜかというと、キリの後ろからびしびしと伝わるハイチの鋭い視線。これでは、自分はワイアットの味方につくようなものである。
「あの、デベッガさん。もしよろしければ、婚儀の仲人役をやっていただけませんか!?」
一段と痛い視線が後ろから突き刺さってきた。冷や汗が尋常ではないほど、あふれ出てきている。
「い、いや、俺は遠慮しておくよ」
「なぜです? 僕はあなたが仲人役に相応しいと思っているんですよ?」
「て、ていうかさ、俺たちはまだ結婚できない年齢じゃんか? 話が飛躍し過ぎって言うか、なんて言うか――」
ワイアットに視線を逸らしたときだった。柱の陰にこちらを覗いている人物が一人いた。その人物は面白いものを見つけたというような顔をしている。最悪だ。アイリに見つかってしまった。これにはハイチも気付いたようで、形相の顔から一変して渋面を見せているではないか。
「うわっ、最悪」
「これまた厄介なときに」
アイリはバレては仕方がないと言わんばかりに、柱の陰から出てきて、こちらの方へと登場する。
「やぁ、やぁ。話は聞きましたよぉ」
できれば、聞かなかったことにして欲しいものだ。キリとハイチの思いは一つになる。アイリは面白いおもちゃでも見つけたかのように、にやにやしていた。
「ふふっ。ここは今時の女子にお任せなさい!」
「おおっ! あなたは僕の救世主ですか!?」
――いいえ。新しくて、面白いおもちゃを見つけた悪女です。
「お前の助けなんざ、要らねぇ。気にすんな」
アイリに構って欲しくないのか、ハイチが追い払うようにするも――ワイアットに咎められた。
「ダメですよ、お義兄さん。ハイネさんだって年頃の女子。すなわち、同世代の女子生徒の意見も取り入れるべきでしょう!」
「おっ、きみはいいこと言うねぇ!」
「お前に『お義兄さん』と言われたかねぇよ! つーか、こいつの場合は特殊過ぎてヤベーから。帰れ、カムラ女」
絶対に関わって欲しくない。アイリを追い払おうとする。しかし、彼女はキリやワイアットに泣きついてくる。それはもちろん、嘘泣きであるからであって――キリには見抜かれていた。泣きつかれた彼は困った表情をしている。
「えぇん、この人が苛めるよぅ」
「おまっ、嘘つくな!」
再びハイチのこめかみに青筋が浮き出てくるも、ワイアットがアイリを庇う。
「それは違いますよ、お義兄さん」
「誰がお義兄さんだっ!」
「男子たるもの、女子には優しく紳士的に、ですよ」
「お前はそいつの恐ろしさがわかってねぇから言えるんだよっ! いいか、そいつはカムラみたいな女だ! その内、体を乗っ取られて、廃人なるぞっ!」
「それはいくらなんでも失礼だろうがぁ!」
言われ放題だったアイリは流石に堪忍袋の緒が切れたのか、目を吊り上げて怒鳴った。
「てか、あたし幽霊じゃないし!」
「そうですよ、お義兄さん!」
アイリを庇うワイアットは彼女に同調する。
「だから、そのお義兄さんってのを止めろ。腹立つから」
「まぁ、とにかく話は聞こえていましたんで、後はあたしに任せてくださいよ。ハイネ先輩をそこの下級生に惚れさせて、結婚まで持ち込ませりゃいいんでしょ」
「結婚!? ふざけるな! ハイネに結婚なんて! いや、彼氏なんざ三十五年早いわ!!」
ハイチの大々的な発言により、顔を真っ赤にしたハイネが分厚いテキストの角で頭を叩いてきた。彼は変な声を上げて後ろを見る。
「――ハイチのせいで他のフロアでも丸聞こえじゃないの、ばかっ! 本当ばかっ! 恥ずかしいったらありゃしない!」
そして、ハイネは周りにいる一同にも怒りを見せていた。珍しい表情ではある。
「みんなもばかの相手なんてしないでよ! だから、友達に『妹思いのお兄さんだね、よかったね』って、変な同情を受けたじゃないの!」
「あっ。す、すみませんでした」
「ハイネさん!」
キリたちが頭を下げた瞬間に、ワイアットがハイネの前に出てきて跪いた。
「二時間ほど前にも申し上げましたが、あの言葉は二日後にもう一度言わせてください。お義兄さんからの提案なんです。僕に港町へ誘ってくださって。もしよろしければ、お義兄さんの前で!」
それはワイアットが死ぬことになる。怒りのオーラを表しているハイチを見て一同は思う。それ以前にプロポーズを目の前にやられてしまったならば、卒倒しそうではある。
「……そうだな、死への旅路のチケットは絶賛販売中だぜぇ?」
「しえの? ああ、シエノ港町ですか! そうだ、そこの海鮮料理が美味しいって評判のレストランがあるんですよ。ハイネさんも行きましょう」
海鮮料理と聞いて、食べ物に関して敏感なガズトロキルスが呼吸のように反応を見せた。
「海鮮料理? 俺も行きたい! ハイチさん、シエノ旅路のチケットを俺にも売ってください!」
「だったら、あたしも欲しい」
わらわらとシエノ港町へ行きたがる者が続出する。これには流石のハイチは困惑した。そしてキリを見て、この二人をなんとかしろ、と視線で訴える。彼は「無理です」の一文句の視線を返した。だって、食べ物絡みだと、ガズトロキルスは見境なくなってしまうんだもの。
「いいですねぇ。みなさんも一緒に。もちろん、デベッガさんも行きますよね? なんせ、僕の味方ですし」
「いや、色々と勝手なこと言わないでくれる? ハイチさん、めちゃくちゃこっちを見ているから」
ハイチは血の涙を流す勢いでキリを睨んでいた。それが素直に怖い。なんたるホラー。
「ねっ、ハイネさん。行きましょうよ」
ワイアットがもう一度ハイネを誘うと、彼女は「そうだね」と頷いた。
「みんなも行くなら、楽しそうだしね」
ハイネは二日後にこの場にいる全員でシエノ港町へと行くことになるのだった。
◆
『緊急会議:クソ貴族野郎と裏切り者をどう処罰に陥れるか』
翌日の空き教室にて。黒板には殴り書きでそう書かれていた。この教室に集められたのは会議主催者であるハイチを始めとするアイリとガズトロキルス、セロだった。
そして、黒板の傍らには縄で椅子に縛られた状態のキリがいた。強引に連れてこられてたのか、消衰しきった様子で座っているようだ。
「さて、会議を始めよう。まさか、ハルマチが俺側につくとは予想していなかったがな」
「前金分はきっちり働きますよぉ!」
そう言うアイリは金券を手にして、にやりと不敵な笑みを浮かべる。
「俺も、またあの隣の町のやつが食べられるならば!」
「よくぞ言った、オブリクス」
ハイチは満足そうに頷く。だが、セロはあまり気乗りしない様子で、彼から前金として受け取った金券を眺めていた。
「どうしたか、セロ。やはり、あの貴族野郎とこの裏切り者が気に食わんか」
「違うって。本当にこれでよかったのかって思ってさぁ」
「当たり前だ! だからこそ、こうしてあの二人を処刑するために作られたグループだろうが!」
「あの、それならば、俺がここにいる理由がわかりませんが……」
「黙れ、裏切り者!」
ハイチはキリの方へと歩み寄り、睨みつけてきた。その睨みっぷりが素直に怖い。
「おうおう。元はと言えば、お前がウチの妹に色目を使ったのが原因じゃねぇのか?」
「いや、使ってないのに!?」
「そう言えば、ハイネ先輩と一緒にいるときはピンク色の雰囲気を出していたねぇ」
「ハルマチまで!?」
いや、ピンク色の雰囲気のって何? と、ここで、アイリの発言で、キリはあることに気付く。ガンが見つけたあの知らないデータ。もしかしすると、あれが自身が持っていた『ハイネの記憶データ』ではないのだろうか、と。自分はバグ・スパイダーに噛まれ、何かを奪われた気がしたから、その可能性は高いだろうが――。
もう言えやしない。今さらハイネの記憶がないなんて。彼女の記憶はガンが捨てておくと言っていた。キリは今すぐにでも彼と連絡を取りたかった。空白の記憶を埋めたかった。
自分はハイネのことが好きだった? それじゃあ、アイリの気持ちは? 今自分が思う人の気持ちは?
「まあ、どうせこいつは動けねぇだろうから話を進めるぞ」
そうハイチは言うと、キリのもとから離れて席に着いた。
「単純に嫌がらせが一番効きそうだよな。その案を出していけ」
「はいっ!」
早速思いついたのか、ガズトロキルスが勢いよく手を上げる。
「フォスレターは海鮮料理が美味しいレストランがあるって言っていたんで、俺に全財産がなくなるほど奢らせる」
「よし、却下!」
流れるようにハイチはそう言い放った。自分の案が却下されるとは思わなかったガズトロキルスは驚きを隠せないのかびっくりした表情を見せる。どうしてなのかと問い詰めてきた。
「これ、いい案でしょ!?」
「お前だけが得してどうするんだよ」
「いや、フォスレターの金銭面的に打撃を与えられるかなぁと」
「それはないだろ」
セロが苦笑いをした。
「あいつは王族に近い貴族だ。金なら腐るほどあるだろうし。なんなら、店ごと買い占める財力ぐらいはあるだろ?」
それを聞いてありえないと言わんばかりに、部屋の一点を驚いた表情で見つめていた。そんなガズトロキルスを見ていたアイリが手を上げる。新たな提案か。
「おう、なんだ」
「クラッシャー先輩がハイネ先輩の格好をしてデートする」
「お前は俺の女装を見たいのか?」
「世界中に拡散してあげますよ」
「不吉なこと言うな。却下」
絶対にアイリの案を通すものか、とハイチが却下をする。そして、セロに向き直って何かいい案はないかと訊ねた。セロは「いや」と肩で笑っていた。
「さっきのハルマチの案はいいなって、俺は思うけど」
「セロまでそんなこと言うの止めてくれる!? いいか、これは俺が羞恥心をさらすのではなく、フォスレターとデベッガなんだよっ!」
「ていうか、昨日からすでに羞恥心を周りに発信していましたよね?」
そう指摘されるのだが、昨日の出来事は最初からなかったぞ。なんて話を逸らす。他に案はないものか、とキリの方を瞥見した。
「とにかく、俺は女装なんて……あ?」
キリがいるはずの場所を二度見した。そのハイチの様子に三人もそちらを見るが、姿がどこにもなかった。そこには椅子と解けた縄が落ちているだけ。
「どこへ行きやがった? あいつ」
◆
四人に見つからないようにキリは縄を解き、空き教室からなるべく離れた場所へと逃げ出していた。どこか誰にも見つからないところがいいだろう。そうこうしていく内に校舎外へと出て、敷地内にある噴水広場へとやって来た。周りに人は誰もいない。彼は個人の連絡通信端末機を取り出して、ガンに一通のメールを送った。
『前に知らないデータがあったって言っていたよね? あれ、もう捨てた?』
ガンからの返信はすぐにきた。
『もう捨てたよ。もしかして、必要なデータだった?』
メールの文章を見て、大きく落胆してしまった。あまりのショックに噴水のふちに身を投げ出すようにして座り込む。
「どうすればいいんだよ……」
捨てたということはハイネの記憶は、もう元に戻らないのも同然である。嫌な気分だった。話では自分はハイネが好きだということになっているらしい。きっとアイリを好きになったのは、突然の告白から空白の記憶へと勝手に塗り替えたからに違いなかった。
――最悪だ。
ぼんやりと連絡通信端末機の画面を眺めていると、ガンからもう一通のメールが届いた。
『私が捨てた場所はデータ・スクラップ・エリアという場所だ。探し出せば見つかることはなくはない』
ガンはキリに一筋の希望を与えてくる。彼はそれにすがる思いで、返信をした。
『わかった、ルーデンドルフ教官にマシンを借りてそっちに行くよ』
『来てくれるのかい? アイリもかな?』
どうやらガンはアイリにも会いたがっているようであるが、今件は自分の問題である。彼女に知られたくもないし、巻き込むわけにもいかない。だからこそ、今回のシステムエリアに入るのは自分自身だけ。
『いや、今回は俺だけ』
『そうかい。少し残念だけど、待っているよ』
早速キリは急いでヤグラのもとへと向かった。今の時間は電子学の授業はどこの教室もなかったはずである。エントランスへと向かおうとすると、偶然にもヤグラと会った。
「あっ、教官!」
「ああ、デベッガ君かい。こんにちは」
「こんにちは。って、あの、どこか行かれるんですか?」
視線の先、ヤグラの手には鞄が携えられていた。服装に至っても、どこかカッチリとした様子である。明らかにどこかへ出張するかのように見えた。
「本軍からの呼び出しだよ。教官って肩書きだけど、一応は軍人だからね」
「そうですか」
残念そうな顔を見せるキリ。何かを察知したのか、ヤグラは「どうしたの?」と訊ねてくる。
「僕に何か用でも?」
「………ちょっと、ガンに会いに行こうかと思っていたので」
「ガン、ガン……ああ、彼ね。ハルマチさんともメールのやり取りをしてくれているんだっけ? ごめんね。僕、大至急の用事なんだ。流石に準備室の鍵を渡すのもあれだし」
「いえ、いいんです。また明日にでも」
「本当に申し訳ない。こっちの戻りは明後日の夕方なんだ」
本格的に詰んだ。頭を抱えながらも、ヤグラを見送った。キリはため息をつきながら校舎内へと入る。授業があっている時間帯のため、エントランスはそこまでも賑わっているわけではなかったが、多少の学徒隊員たちが行き交っていた。そこへ入ってきて、一番に目に入ってきた銅像を見上げると、もう一度ため息をつく。
「何かあったんですか?」
悲観に捉われているキリが気になったのか、ワイアットが愁色を見せながらも顔を窺わせていた。
「ううん、大丈夫だよ」
流石にデータ世界内に行く手段を探している、だなんて言えるわけがない。ワイアットは知らないのだ。――そうだった。ガンにそちらへ来れないことを連絡しなければ。
急いでキリは連絡通信端末機を取り出すと、ガンにそちらへ来られないことを伝えた。彼が険しい表情をしているからだろう。ワイアットは「友人関係とかでお悩みですか?」と訊いてくる。どうも、人の心配をしてくれているらしい。その思いにキリは少しだけ良心が痛む。
「いや、違うよ。友達と約束していたんだけれども、俺が行けなくなったからそれの連絡だよ」
「それはダメですよ」
ワイアットはキリの考えに対して首を横に振った。
「もしかして、明日ですか? それならば、会って日が経たない僕の約束なんかより、長い付き合いのご友人を大事にしてください」
そのようなことを言うワイアットにキリは驚かされてしまうも「明日のことじゃないよ」と否定した。チクチクと心が苦しい。
「……その友達はちょっと遠いところにいて、俺がもし行けるならば、って時刻表でも見に行っていたんだ。でも、今日は無理だったから」
「そういうことですか?」
「そうそう。だから、フォスレターが気にすることじゃないよ」
「わかりました。それでは、また明日」
頭を下げて立ち去ったと同時に、ガンとガズトロキルスからメールが届いていた。先にガンから確認することに。
『そればかりは仕方ないことだ。ならば、私が見に行ってみよう。一応データの形は覚えているから』
『ありがとう』
もし、ガンが自分の記憶を見つけたならば、ヤグラが戻ってきてからデータ世界へ行こう。そう決めると、ガズトロキルスからのメールを確認した。
『ハイチさんが明日は楽しいドライブを満喫しようぜ、だってさ』
「えっ、俺ヤバい?」
送られてきた文章にはガズトロキルスのものではない別の悪意が込められていた気がした。そして妙な気に見張られながらも、キリは夜を過ごすのである。
◆
キリは記憶のことや奇妙な気配でほとんど眠れず、ガズトロキルスと集合場所へとやって来た。そこにはすでにハイチの所有する自動車だろうか。それがあり、彼は車内で雑誌を見ていた。
「ハイチさん」
ハイチに声をかけると、彼は車から降りてきて――すばやくキリを縄で括った。これには誰もがびっくりとした顔を見せる。
「よお、昨日は逃げてくれたな?」
「いやいや。いや、え? これは一体?」
「いいだろぉ? これ、グリーングループが現在開発中の『刃物では絶対に切れないロープ君』をもらったんだよ。次席辺りになると、開発商品のサンプルをもらったりすることもあるんだぜぇ」
「そ、そこまでして俺に何の恨みが――!」
「朝から元気だねぇ」
アイリが二人を見て笑いながらやって来た。少しばかり情けない自分を見られたキリは恥ずかしそうにする。
「おう、来たな? じゃあ、準備していろ」
ハイチはアイリにお金をいくらか渡すと、彼女は公共機関ターミナルの方へと行ってしまった。なぜ、アイリだけなのか。
「えっ? ハルマチは一緒に行くんですよね?」
「お前には教えてあげなぁい」
ハイチは意地悪そうに言うと、キリを後部座席の方へと放り込んだ。まだ来ない者たちを待つ。ガズトロキルスは助手席の方へと乗り込む。
ややあって、ワイアットがやって来た。
「おはようございま……って、デベッガさん!?」
事情を知らないため、当然のようにして、後部座席に乗せられたキリの姿に唖然としていた。その隙をつき、ハイチはワイアットをも『刃物では絶対に切れないロープ君』でぐるぐる巻きにするのだった。
「お、お義兄さん!? これは一体!?」
「さあ、さあ! お前たち、楽しい旅になりそうだなぁ? おい」
黒い笑みを浮かべ、ハイチはアクセルを吹かし出す。ハイネがまだ来ていないのに急発進。一応公道を走行しているのだが、山道のように曲がりくねった道のようにして蛇行運転をし始めた。
「ハイチさん!? 危ない、危ない!?」
「ふははぁ! 楽しいかぁ! 楽しいだろぉ! お前らこういうの大好きだろうがぁ!」
――好きなわけねぇだろがっ!
運転技術において、後部座席に一番影響が出ると聞き覚えのあるキリはあまりの荒い運転に気持ち悪くなってきていた。寝不足もあってか、吐き気を催してくる。だが、それは彼に限ったことではない。ワイアット自身も顔面蒼白だったのだから。
この問題ありに見える彼らを瞥見するガズトロキルスは「大丈夫かぁ?」と揺られながら聞いてくる。なんとも能天気な質問だ。それに、まともに答えられると思うなよな。できると思ったら大間違いだからな。
「……吐きそう」
「ぼ、僕もです」
「俺の車で吐いてみろや。港町に着いたらその状態で海に吐き落としてやる」
冗談すらも聞こえない、低い声に二人は戦慄した。なるべく吐かないように、我慢を堪え――できなかった者が一人。ガズトロキルスである。どうも運転技術での影響は後部座席だけではなく、助手席にも影響が出たらしい。彼の場合は窓を開けて汚物を吐き出していた。
「うわっ!? オブリクス!?」
「は、ハイチさん、明らかにこれは――」
なるべく遠くを見るようにして、ガズトロキルスが景色を眺めていると、サイレンが聞こえてきた。何の音であるかは一瞬わからなかったが、青ざめながらもワイアットが言い放つ。
「見回りの軍ですね」
「やべぇな。逃げるぞ」
「それ、やっていいことではないのでは?」
「うるせぇな。二人の存在がバレたら、道路交通法云々じゃなくなってくるだろうが」
もっともな話。傍から見ると、もはや事件にしか見えないのだから。
こうして、三人は更に荒らさが増したハイチの運転に揺られながらシエノ港町へと急ぐのだった。
◆
シエノ港町へと到着した頃にはハイチですらも車酔いしていた。全員が全員顔を青ざめており、苦しそうな表情である。そんな彼らを待っていたのは公共機関ターミナルの方へ行ってしまったアイリと、まだ来ていないはずのハイネにセロがいた。どうやら、彼女たちとはこちらで合流するつもりだったようで――。
「なんでクラッシャー先輩たちまでもが気分悪そうにしているんですか」
アイリのその疑問にキリは、嫌がらせ一発目は車酔いということが判明した。これが他にどれほど続くものだろうか。
「う、うるせぇ。逃げてきたんだよ」
「やり過ぎはお前が捕まるんだぞ」
呆れ返ったように諭すのはセロである。
「みんな、大丈夫?」
ハイネは心配そうにハイチ以外の三人の心配をする。そんな彼女の声を聞いて、ワイアットは青い顔を元の血色のよい顔へと変えた。
「もちろんですとも! 軍人になる男子たるとも、常に元気でなくては!」
と、言っている割にはワイアット自身も相当無理をしているようで、膝が震えていた。
「フォスレター、無茶するなよ」
自分のこともであるが、一番無茶をしているように見えるワイアットを気にする。それでも、と彼は我慢していた。
「はっはっ。デベッガさん、僕は無茶なんてしていませんよ」
先ほどよりも膝の震えが早くなってきていた。それに見かねたハイネは首を横に振る。
「ううん、フォスレター君。無茶したらダメよ」
「……はい、そうですね。揺れに揺られて、トイレ行ってきます……」
ワイアットはふらつきながらも、公衆トイレの方へと向かって行ってしまった。心配の色を見せるハイネに我慢の限界でもきたのだろう。血色は悪い方向へと元通り。
「……ハイチぃ」
ハイネはすべての原因がハイチにあると確信し、彼の方を見るが――肝心のハイチはその場で嘔吐しており、セロに背中を擦ってもらっていた。
「失礼ですけど、ばかですねぇ」
なんてアイリが笑っているが、それはキリもハイネ思っていることであった。
「何しているんだか」
◆
男子四人の気分はだいぶ落ち着いた頃、ちょうど昼時なのでワイアットが紹介するレストランへとやって来た。ここでの彼は常連客のようで、顔パスで席にありつくことができた。
客はそれほどまで多いということはなく、落ち着いた雰囲気のある店であるが――気になるのは客層である。どこからどう見ても、貴族のように気品ある佇まいの客が多かった。入店してきた自分たちが浮いている気がしている。
そのため、キリとハイネは心配があった。それは――。
「おっ、これ全部美味しそう。頼もうかな!」
ガズトロキルスの大食いである。彼の大食い関連も嫌がらせに値するのであろうかと不安になってくる。一方でハイネはというと、食べ過ぎで店側から出禁を食らうのではと心配していた。彼女はこっそり、隣に座っているワイアットに耳打ちをする。
「ねえ、ここのお店って、落ち着いた雰囲気のあるお店みたいだけど……」
「ええ、ここはどちらかというならば、貴族たちが集うお店と言うべきですかね。大衆食堂ではないので。まあ、お義兄さんたちも区別がつく年頃の方でしょうし、そうそう追い出されるようなことは――」
「すいません、ここからここまで一品ずつください」
ガズトロキルスの大食いリミッター解除。それにワイアットのあごが外れそうなくらい大きく開けられた。
「え?」
何かの聞き間違いなのか。ワイアットと店員の声が被った。
「こ、こちらの品からこちらの品まででよろしいんですか?」
「はい。なんだったら、このお店にある料理全品でも――」
「すいません、彼には魚のムニエルとフィッシュフライをお願いします」
大量注文にはキリが遮って、阻止した。これにはワイアットも一安心。ハイネもだ。だが、ガズトロキルスは不満げたっぷりに眉間にしわを寄せ、じっと見てくる。それをなるべく視線を合わせない形でそっぽを向いた。明らかな視線がとてつもなく痛いが、流石にこんな物静かなお店を前にして普段の食べっぷりを見せるわけにはいかないのだ。ワイアットとハイネは心よりキリに感謝をした。そして、このガズトロキルスのことを知っている彼女だけキリに謝罪の一言を申していた。
――ごめん。
しかし、安心できたのは束の間だったようで――。
「じゃあ、俺がこっちからこっちまでのをください」
今度セロが言い放つ。それにはハイネがしまったと言わんばかりの表情をした。彼女渋面にワイアットは怪訝そうにする。
「えっ、彼もですか?」
「ガズ君ですっかり忘れていたけど、セロも大食いよ。普段はセーブしているから気にしていなかったけど。リミッターでも外したいのかなぁ?」
「お金は平気ですけど、周りの視線が……」
「本当、ごめんなさい。こういうところだって私が知っていたなら、連れてくるならキリ君とアイリちゃんだけなんだけど」
「そ、そんな、ハイネさんが謝る必要なんて……」
そのときだった。キリから一件のメールが届く。そう言えば、初めて会ったあの日に一応連絡交換していたことを思い出した。
『ハイチさんは本気でフォスレターの面子を潰しにきている。ごめん、ヴェフェハルさんの行動だけ読めなかった。助けて』
キリの方を見た。彼はガズトロキルスの穴が開くような視線から背いており、ある種で助けを求めているようであった。このメールを見て、ワイアットは改めてキリが自分の味方であることを再確認した。それが素直に嬉しかったのである。
『敵は、残りはあのハルマチという方ですか?』
これまで大人しくして、まるで彼らを他人事のようにして扱いながらもテーブルの席に座っているアイリを見る。それを踏まえた上でキリに返信を送った。返信はすぐに届く。
『うん、ハイチさんとハルマチ。特にハルマチは何を考えているか、どんな風に来るか予想が全くつかない。気をつけて。あと、助けて』
『ご忠告、ありがとうございます』
「あの」
キリとメールのやり取りをしていると急にアイリに声をかけられた。ワイアットは肩を強張らせながら彼女の方を見る。
「な、なんですか?」
「あれ、一緒の席にいたくないから、こっちの席に座ってもいいですか?」
アイリが指差す方は好き放題にするハイチとセロ、ガズトロキルスがいた。その中にキリが強引に捻じ込まれており、顔色悪そうにしているではないか。
「デベッガ君救出は明らかに無理があると判断したんで」
それもそうである。いくら自分の味方になってくれた人がいたとしても、その人が関わりたくない、厄介者の塊に詰め込まれた状態でいるところを助けるのは困難であろう。事実、ワイアットは助けに行くことをためらっていたのだから。
「いいよ」
事情を知らないハイネはアイリに同情をすると、承諾した。彼女の言葉に甘えて、ワイアットの向かい側の席に座る。
――さあ、どんな仕掛けをしてくるか。僕が絶対に対処してやる!
ワイアットはアイリからの嫌がらせに対処すべく、気張って待った。料理が運ばれてきても、気を緩めることはなかった。むしろ、するべきではない、と心の中で自分を励ましていた。あまりにも気を張り過ぎて、いつもは美味しいと絶賛できる料理が今日ばかりは味すらわからないくらいだ。
アイリは普通に、楽しそうにハイネとおしゃべりをしながら料理を楽しんでいた。たまに、ことらへと話を振ってくる。それにトラップでも仕込まれているのかと思えば、ただの振りだったりした。それがただの振りかと思えば、ちょっとしたからかいだったり――といった類である。まさか、これが彼女の持ち玉だとは思えない。キリに確認をしたいが、無理だ。助けを求める視線をこちらに向けているが、ワイアット自身、あの混沌とした大海に飛び込む勇気は全くないのだから。
「あっ」
急にアイリが声を上げて時計を見た。すると、おもむろに立ち上がって「ごめんなさい」と言う。
「あたし、急用があって、ここでおさらばです!」
そう詫びると、店を出て行ってしまった。お金を払わずに。きっちり海鮮料理だけを堪能して。これがアイリの持ち玉だろうか。貴族であり、お金は一応持ってきているワイアットにとって、彼女の攻撃はなんてことなかった。
――デベッガさんのメールの真意って?
◆
ワイアットは海鮮料理店の従業員に平謝りをし、店を出てきた。やはり、ハイチたちの素行が原因のようである。
「ごめんなさい、ばかたちのせいで」
ハイネに至っては自分のことではないのに頭を下げてくる。なんて優しい人なんだろうかと優しい気持ちになれた。しかし、流石のハイチたちも彼に悪びれた様子で謝ってくるはずだろう。これでも彼らはいい年しているのだから、と思っていたら大間違いだった。
「悪かったな、フォスレター」
ヘラヘラと笑うハイチは反省の色を全く見せていないようであった。これにはワイアット含め、ハイネは堪える。怒鳴り散らすにしても体力がいる。このようなところで憤怒するほどの気力はないのだ。
とにかく、このうるさい者どもと離れたかったようだ。ハイネは「二人にして」と言うと、キリを置いてワイアットと彼らから離れた。
本当はキリも助けたかったのだが――未だとしてガズトロキルスが眉一つ動かさず、眉間にしわを寄せて彼を見ているため、そのままという形になってしまう。ごめん、と二人は内心で謝罪すると、逃げるようにその場から去って行く。だが、これも作戦の内なのか、二人の背中を見送るハイチはほくそ笑むのだった。
「まだまだ終わってねぇよ」
◆
「ここまで来れば、うるさいのはいないはずだよ」
ハイネは周りにあの四人がいないかどうかの確認をすると、ほっと安堵する。それはワイアットも同様で、長いため息が出た。
「デベッガさんには申し訳ないことをしたみたいで」
「ううん、キリ君はある種のヒーローよ。ただ、セロのことは私も完全に忘れていたから。ごめんね。お店の人、怒っていたよね?」
「ははっ、大丈夫ですよ。それよりも、料理はいかがでしたか? とても美味しかったでしょう?」
完全に周りの警戒を解き始めた二人は町中を歩き始めた。ほのかに香る海の香りが優しく彼らを包み込む。
「うん、とても美味しかったよ。ありがとうね」
表情を柔らかくし、笑顔を見せるハイネにワイアットは心を打たれた。ああ、なんて笑顔の素敵な女性なのだろうかと思わず顔を赤くする。
「そうだっ! ハイネさん、この町にはファッションストリートなんて呼ばれている通りがあるんですよ。それで僕がオススメするお店に行ってみませんか? きっと、ハイネさんにお似合いの服がいっぱいありますよ」
「ありがとう。でも、私はそんなにお金を持ってきていないから」
そう残念そうに言うが、ワイアットは「安心してください!」と意気込みを見せてきた。
「お金は僕が払います。今日のお金はハイネさんのために持ってきたようなものなので」
「そんな、悪いよ」
「いいえ、そのようなことは全くありません。僕はハイネさんが好きなので、持ってきたお金が全部なくなろうが、問題ありませんよ。さあ、行きましょう!」
半ば強引であったが、ワイアットの手に引かれてファッションストリートの方へと赴く。そんな中、彼らの近くにある建物の陰に隠れていた者が四名いた。内、二名はサングラスをし様子を窺っているではないか。
「ふははっ。お前たちがファッションストリートへ行くのは目に見えていたぜ」
「はははっ。そうですね、片腹痛いわ!」
腕を組みつつ、同意するガズトロキルス。そんな彼にキリは頭上に手刀を落とす。もちろん、ハイチの方にはセロが。二人のサングラスはその衝撃で地面に落ちてしまい、彼らは慌てて拾い上げて装着をするのだった。
「何すんだよ。意外とサングラスって高いんだぞ」
「それ、わざわざこれのためだけに買ったと言うならば、今ここで叩き割ってやるから二人とも寄越せ」
セロが手を差し出してくるが、それを二人は断固拒否をした。
「嫌だっ! 割ったら、俺のアイデンティティが失われる気がするんだ!」
「安心しろ、お前のアイデンティティはそのサングラスじゃねぇから」
強引にサングラスを取ろうとするセロにハイチとガズトロキルスは嫌がる、嫌がる。まるで小さな子どもがおもちゃを没収されのを嫌がるように。
「やーめーろーよぉ! 止めろっ! セロだって、あのレストランで邪魔したじゃねぇか!」
「邪魔したぁ? それはオブリクスに訊いてみやがれ! こいつ、ほとんど俺の物を横から盗んで食いやがったんだぞ!? あいつらこっちに目を逸らしていたから気付いていないみたいだったけど!」
「それを言うならば、全部キリの仕業ですよ! キリが俺にあんな仕打ちをしなければ、すべて丸く収まったんだからな!」
「俺に責任転嫁すんなっ! つーか、丸くも何も収まるかっ! あんなことしてたら大赤っ恥だろ!」
「恥だって!? 食べる欲のどこが恥だと言うんだ! むしろ、当たり前!」
それはお前だけだ、とキリは拳を握りながら心の中で訴えた。もう口には出さなかった。これ以上、喚き騒げば周りの目もある上、埒が明かない――というよりもくだらない。それはもちろんセロも同様で怒鳴ることはなく、嘆息を吐いた。
「ていうかよ、ハイチはそれでいいのかよ」
「何が?」
「元々、俺たちから離れていたくせに、こういうときだけ追いかけてくるのかよ」
「……俺がハイネやセロをどう思うかなんて勝手だろ」
ハイチの声は低くなるが、サングラスをしているため、表情を窺うことは難しかった。彼らの間にある緊張感は張り詰め過ぎて、今すぐにでも引き千切れそうである。
「そんなことよりも、俺は友達や恋人をすっ飛ばして結婚話を持ち込んでくるあの野郎が気に食わねぇ。いや、付き合うことも許しません!」
ハイチのテンションはすぐに戻るも、その物言いはキリとセロを困惑させるばかりである。いくら妹ばかだとしても、ここまでのシスターコンプレックスには閉口をせざるを得なかったのだから。
「さあ、次のトラップはあのハルマチだ! ふははっ、あいつにかかれば、クソ貴族野郎は爆破するだろう!」
それは物理的なのか。それとも精神的なものなのか。どっちなのだろうか、とキリは冷や汗を垂らすのだった。
◆
ワイアットが勧める服屋へとやって来た。店内は値段が高そうな雰囲気に加えて、お洒落過ぎてハイネは自分自身が浮いていないかと不安にで仕方がなかった。
「初めてハイネさんの私服を見ましたけど、そちらもステキですが、こういった物もお似合いですよ!」
適当に洋服を引っ張り出して、ハイネに宛がってみたりする。一着、一着を宛がう度に「お似合いです」や「ステキです」というワイアットと店員の賞賛を浴びる。彼女は一着、一着の服の値段の数字を見て段々と表情を引きつらせていた。
「フォスレター君、ここって……」
「ああ、以前にマティルダさんから聞いたお店なんですよ。彼女、ここでショッピングしたりして、あのレストランではないですけど、別のところでお昼を食べているそうです」
納得がいった。マティルダご用達しの店ならば、レースを多くあしらった服が多いのは当然だろう。だが、ハイネは彼女が好むような服装はあまり好きではない。今、彼女がしている服装は白と黒のシンプルなエプロンワンピースである。これは小さい頃から似たような物ばかり買っては着ていた。それほどまでに、この服装を気に入っている証拠である。
「そちらのお召しになっているワンピースもお似合いですけど……やっぱり、こういった物の方が美しいハイネさんと合いますよ」
「うーん、うん」
ハイネの様子を見て、ワイアットは自分が選ぶ物の値段を見て、表情をしかめた。あまり気に入らない様子だということは――なるほど。彼は一人納得した面持ちで服の整理をしている店員に声をかけた。
「すまない、ちょっといいか?」
「はぁい」
そそくさと二人の目の前に現れた人物に彼らは目を見開いた。それは何も彼らだけではなく、店の外から様子を窺っていたキリとセロもである。
「あ、アイリちゃん?」
ややあって、ハイネが口を開いた。その呼びかけに店員――アイリは「はい、あたしです」と応答する。
「な、なぜにあなたが!?」
「いやいや。お金持ちの坊っちゃんにはわからないでしょうが、あたしはとっても貧乏なんです。学校での任務報酬だけでは生活するのにも困難なのです。入学費、学費、雑費。ああ、お金が足りない!! ――ということで、何かご用でしょうかぁ」
意外にも演技派であるのか。その語りにワイアットは同情した。お金のない学徒隊員は普段の生活が大変なんだな。軽く理解したところで、アイリにこの店の中で一番高価な服を持ってくるよう指示を出した。
「なかなかお気に召さないみたいでね。店の奥とかに仕舞っていそうな物ならば、きっとハイネさんも気に入るかもしれないんだ」
「かしこまりましたぁ」
肯んずるアイリは一度店の奥へ引っ込むと、とある一着を手にしてすぐに戻ってきた。その様子を店のショーウィンドウから見ていたキリとセロは勢いよく鼻水を吹き出す。持ってきた服を見て、ワイアットは開いた口が塞がらない。ハイネはどう反応するべきか、必死に模索をしているようである。
「はっはっはっはっはぁ!!」
店のショーウィンドウを見て大笑いするハイチとガズトロキルスは、行き交う人々に不審の目で見られていた。だが、それはキリとセロも同様である。二人はこの場に、彼らといることがとても恥ずかしく思う。
「て、店員よ。そ、それは……?」
「もちろん、坊っちゃんのご要望通りのこの店で一番高値ある商品でございますぅ」
アイリが持ってきた服は露出高めのもので、布地がある箇所はほぼ際どい。だが、布地の上には宝石が散りばめられており――それは、それは、まさに高価な服であることが窺えた。
「わ、私は……いい、かな?」
ハイネは絶対に欲しくないと言わんばかりに、その服装から目を逸らした。
まさかのここでの嫌がらせだとは思わなかったワイアットは「なぜそれを持ってきたんだ」と抗議を申し立てた。
「そんな、露出高めの服をハイネさんに着てもらうなんていいわ……いいのか?」
「よくないよ! 恥ずかしいし、要らないよ!?」
ワイアットの一瞬の気の迷いをハイネが追い払った。彼女は絶対に要らないと言い放つ。
「ていうか、もう服はいい。要らないから!」
このような恥ずかしい思いをするならば、要らない。ハイネの思いを受け取ったワイアットはアイリに断りを入れる。
「悪いが、それはいい。また来るよ」
店を出ようとする二人にアイリは呼び止めた。
「じゃあ、坊っちゃんがお召しになりますか? せっかくですし」
「いや、着ないよ!? 僕が着たらおかしいから!」
「ですよねぇ。ありがとうございましたぁ」
わかっているならば、どうしてあのようなことを言ってくるのか。末恐ろしい、アイリ・ハルマチ。流石は自分を潰しにかかってくる本格的な刺客である。冷や汗を垂らしつつも店を出たハイネにもう一つ提案を挙げた。
「そうだ、ハイネさん。隣にアクセサリーショップがあるんです。そこに行きませんか?」
「あ、アクセサリー? そこも高いんじゃ……」
「大丈夫です。今度は貴族だけでなく、一般の方々も来店するところですので」
ハイネは値段を気にしているようなので――ワイアットはお金を気にしない、意外にもリーズナブルな店を紹介するために隣の店へと足を踏み入れた。
「いらっしゃいませぇ」
来店した瞬間、はたきを手にしてあいさつをするアイリが視界に入った。
「なんでぇ!!?」
店の外では大笑いするハイチとガズトロキルスの笑い声を掻き消すほど、ワイアットとキリは大声のツッコミを炸裂させた。二人分のダブルパンチとでも言うべきか。それもそのはず。先ほどまでは隣の店で働いていたというのに、このアクセサリーショップに自分たちよりも先回りしている時点で大声のツッコミをせざるを得ない状況なのだから。
「さっきまで服屋の店員だったのに!? えっ!? 僕たちよりも速いんだけど!?」
「まぁまぁ。坊っちゃん。あたしはですね、ただの貧乏学生じゃないんです。めちゃくちゃな貧乏の学生なんです。だから、こうして授業や任務の合間を縫って、アルバイトのかけ持ちをしないと収入がない状況なのですよぉ」
アイリはまたワイアットに同情を売る。もちろん、彼は可哀想だと同情し、納得した。
「そうなのか?」
「ままっ、あたしのことは置いといて、何をお探しでしょうか?」
「この店であまり目立たないような、あまり派手ではないようなアクセサリーが欲しいんだ。いいか、さっきのような物は止めてくれよ」
「はい、かしこまりぃ」
流石のアクセサリーショップには先ほどのような下着に近い物のような際どいものはないだろう。そうワイアットは考えていた。いや、そう思っていたかった、という方が正しいか。
「お待たせ致しましたぁ。こちらの商品――」
「嫌がらせは止めろっ!!」
アイリが二人のもとへと持ってきた装飾品。それは男性器を隠す『あれ』であった。それを見てハイネは顔を真っ赤にして、両手で覆っている。外にいる男四人も予想以上の物に何も言えずに鼻白んでいた。
「は、ハイチ、お前……」
「……俺はあそこまで指示を出してねぇから」
すべての責任をアイリに擦りつけるがごとく、ハイチ見て見ぬふりをしようとした。
「えぇ? 坊っちゃん。嫌がらせではないですよ? 目立たないアクセサリーが欲しいと仰っていたじゃないですかぁ。これ、目立たなくするやつですよ」
「そっちの意味!? ていうか、大体わからないか!? 男女一組がアクセサリーショップに来るだなんて、普通は男が女性にアクセサリーをプレゼントする相場が!」
「何でも当たり前だというものの価値観は捨てるべきですよぉ」
アイリも構わずとして、その商品を手に持って反論をした。
「だとしても、それがアクセサリーショップにある物だと誰も思わないだろうがっ!」
どちらかというならば、服屋に売っているイメージではあるが――そもそもこんな町中でそれが売られていることに驚きである。
「じゃあ、そちらのお姉さんが装着しないならば――」
ワイアットの方を見ると、彼は即座に「誰が着けるか!」と怒り心頭。顔を真っ赤にしてハイネの手を取った。
「ていうか、ハイネさんに着けさせようとするんじゃない!」
そして、店の外へと出て行ってしまった。その様子を見ていたハイチは「そろそろだな」と言い出す。
「おい、デベッガ。お前も来い」
キリは彼に言われるがまま、ハイチとともに二人の後を追うことにした。
◆
アイリがいる店から逃げてきた二人は海が見渡せる町外れの丘へと訪れた。キリとハイチは彼らが気付かない場所へと移動して様子を窺う。
「ハイネさん、恥ずかしい思いをさせてしまって申し訳ありませんでした」
ハイネには不快な思いをさせてしまった、と彼女に詫びを入れた。だが、ハイネはそれくらいで怒鳴り散らしたり、怒ったりすることはないようである。
「顔を上げて」
優しい声に顔を上げた。ハイネの表情はにっこりと裏表のない、真っ新な笑顔でいる。その表情を見てワイアットは恥ずかしく思い、頬を染めて視線を背けた。
「確かに恥ずかしかったけど、一所懸命な『ワイアット君』が頼もしいと思ったよ」
「う、嬉しいで――す」
ワイアットはハイネを二度見する。今、自分のことを名前で呼んでくれた。先ほどまでは姓だったのに――。
ぼんやりとするワイアットに、ハイネは「どうしたの?」と小首を傾げた。
「どこか痛いの?」
【きみ、大丈夫……って、血が出ているじゃない! 手当てしないと!】
思い出すはあのとき。他の誰かとは違う、本気で自分を心配してくれる他人がいた。その優しさに心打たれて、彼女を探し回った。ようやく、彼女を見つけたと思えば、彼――キリと相思相愛のような雰囲気に包まれていたことは記憶に新しい。
【僕と結婚してください!】
負けたくない思いで、ついキリの前で、ハイネに求婚を申し込んでしまった。彼女が好きなことには変わりないが、結婚という気の早い交際申し込みは失敗してしまった、とワイアットは罪悪感があった。
「は、ハイネさん」
「うん、何?」
「ぼ、僕――」
「のぅわっ!?」
ワイアットの心内をハイネに伝えようとしたとき、二人の前にキリが飛び出てくるようにして現れた。彼の後からは邪魔をしに来た、と言わんばかりのハイチが登場する。
「おう、なんか邪魔したみたいだけどよぉ。どうぞ、俺らのことはお構いなく」
そう言うが、こんな状況でハイネに言おうとしていた本音を言えない。何より言ってしまえば、彼女は自分の方を見向きすらしないだろう。キリの方ばかりを見てしまうだろう。それが一番悲しい。焦り過ぎて結婚はする気を失ってしまったが、ハイネのことが好き。妙な感情がぐるぐると心の中で渦巻いていた。
「は、ハイチさん。やっぱり俺たちは下で待っていましょうよ」
キリはおずおずとハイチにそう言う。その言葉に彼は普段から眉間にしわを寄せている分、更に濃くした。
「面倒くせぇ」
絶対にここから動く気はないらしい。それにワイアットは歯噛みした。
「もぉ……」
ハイネも困った様子でいる。
言いたいことが言えずに悔しい思いをしていると――「ハイチさん」またキリがハイチに声をかけた。
「ハルマチからハイチさんの財布を借りるね、とメールが来ました」
「は?」
急いでハイチは自身の尻ポケットに手を当てて確認した。ポケットには膨らみはなかった。一気に顔を青ざめて「あいつ、どこにいる?」と低い声でそう言った。その声の中には焦りも見えている様子。
「今、服屋にいるそうです」
「金を使うな、と念押ししておけ」
そう指示をすると、ハイチは急いで丘から駆け下りて行ってしまった。背中姿を見送ったキリは「邪魔はよくないですからね」と財布を手にして笑っていた。
「俺、ハイチさんを追いかけて返してきます。じゃあ、ごゆっくり」
キリは頭を下げると丘を下りて行った。ハイネは後ろ姿をどこか寂しそうに追っている。ああ、そうか。そういうことか。
ハイネがキリを思う理由。それはきっと自分と同じ理由からきているんだ。だったら、諦めようとするべきではない。
「ハイネさん」
「あっ……う、うん?」
「ハイネさんはお忘れでしょうが、僕は以前にあなたに助けてもらったことがあります。それであなたの他人に対する思いに魅かれたんです。別にそれらのことを思い出さなくてもいいんです。僕が覚えているから。だから、僕は……デベッガさんに負けないように、ハイネさんを振り向かせてみせます」
「え?」
自分がキリを思っていることがバレてしまった。ハイネは顔を真っ赤にさせた。
「言っておきますが、僕はしつこいんで覚悟していてくださいね!」
「えっ? え?」
ハイネに対して、ワイアットは早速跪いた。
「さあ、ハイネさん! 僕と結婚してください! いや、しましょう!」
「えっ、ちょっと?」
「式はいつがよろしいでしょうか? 僕としてはハイネさん、純白のドレスがお似合いだと思うんですよ」
「いやいや、待って!? いきなり!? ちょっ、困るんだけど!?」
勝手に話を進めていくワイアットにハイネは困惑し出した。
「そうですね、この場所では式も挙げられませんしね。時間もありますし、会場巡りはどうでしょうか?」
このとき、ハイネはキリが発言した「邪魔はよくない」というもの――。邪魔は別にあってもよかったのにと一人悩むことになる。
「それよりも、みんなのところに行こうよ」
「ああ、そうですね。式に呼ぶ人も決めないとですね」
ワイアットは人の話を聞いちゃいない。それに頭を抱えると――。
「キリ君のばかぁ!!」
そう大声を上げる。ハイネのシャウトは丘中に響いていた。




