真実
人はなぜに探しものをするのだろうか、と一度だけ自身に問い質したことがある。そんなことを思い返すキリは部屋の本棚やベッドの下、引き出しの中をを探し回っているガズトロキルスを眺めながら課題をやっていた。
「そっちよりも、俺の機械学問題集を探してくれ!」
ガズトロキルスは涙目でそう訴えてくる。だが、キリにとっては知ったことではない話。彼が紛失してしまったのが悪いのである。
「終わったら手伝ってやるよ」
そう淡々と出された課題のプリントに手をつけていたが――それはガズトロキルスに取られてしまい、破かれてしまった。怒りの矛先をどこへ向けていいのかわからなかったのだろうか、彼は「手伝え!」と強引に捜索活動へと巻き込む。
渋々と捜索に付き合うことになったキリは、適当に部屋中を物色しながら「教室にはなかったのか?」と訊ねた。その質問にガサガサと物音を引っ張り出していたガズトロキルスは硬直する。それに彼は何かを思い出しているようには見えているが、嫌な予感しかない。安易に想像できるのだ。
ややあって、ガズトロキルスは思い出す。
「それだ!」
キリは一瞬だけ、笑顔を見せるが――すぐに目を吊り上げた。
「それは早く思い出せよ!」
ぷりぷりと怒りながら、キリが自身のテキスト類をまとめ上げていたら――一冊だけ自分のではない軍事学問題集を見つけた。
『ヴィン・ザイツ』
「なんで?」
どこで紛れたのだろうか。まあ、この問題集の持ち主には明日学校に行ったときに渡せばいいか――なんて考えていたが、なぜかキリ自身の問題集もなかった。鞄の中を探しても、ガズトロキルスが散らかした本の山を漁っても見当たらない。
「…………」
「俺、ちょっと教室に行ってくるわ」
部屋を出ようとするガズトロキルスにキリは呼び止めた彼の手には一冊の軍事学問題集が。
「いや、俺も行く」
その手には『ヴィン・ザイツ』という生徒の問題集が握られていた。
◆
「面倒だぁ、面倒だぁ。宿題が面倒だぁ」
同時刻、アイリとメアリーの部屋では二人が課題をしていた。その部屋でアイリは妙な音程で歌っている。それにメアリーは苦笑いしながら「その歌は何?」と訊く。妙なテンポのせいで頭にこびりつきそうだ。
「自作歌。あーあ、この世から宿題が消えてしまえばいいのになぁ」
「どうなんだろうね」
返答に困っているようでメアリーは困り顔を見せていた。
「今日に限って二つも出るとかないわぁ」
アイリはテーブルの上に伏せて嘆くが、メアリーは首を傾げた。
「あれ? 課題は三つだよね?」
その言葉にアイリは思いっきり顔を上げた。それは知らないとでも言うような表情である。
「待って。歴史学でしょ? 電子学でしょ? 他、何があった?」
「軍事学でしょ? プリントの。明日の朝提出だって」
「あれって、授業中じゃないの?」
隠し課題かよ。もう一つの課題のテキストを取り出そうと鞄の中を物色する。たしか、あのプリントはテキストに挟んでいたはず。だが見当たらなかった。一方でメアリーは授業の時間割を確認しながら「明日は授業がないからね」と伝える。
「アイリ? どうしたの?」
アイリの行動にメアリーは首を傾げた。何かを探しているようである。なかなか見つからないのか、どこか焦っているようだった。
「いや、うーん。教室に忘れてきたかも」
鞄の中にお目当てのテキストが見つからず、頭を軽く掻いた。確かに今日の授業では使っていたはず。それが行われていた教室は自分たちの教室で間違いないし、プリントも授業終わりに挟んだ。ただ、何枚かは忘れてしまったが。
「ねえ、どれくらいだっけ?」
「えっとね、五枚くらいの問題を……アイリ!?」
そう聞いたアイリはテーブルに頭を押しつけて項垂れた。思っていたよりも多かったらしい。彼女は顔を上げると、眉間にしわを寄せた。
「そんなにあるなら、朝行って、やったとしても時間足りないじゃん」
「教官に事情を説明する?」
メアリーが提案をしてくるが、アイリは首を横に振った。それでは無理な話らしい。
「あたしがメアリーだったらいいんだけどねぇ。あたしはあたしだし。そんな言い訳は通用できないかも」
表情を引きつらせ、空笑いをする。なんせ、あと数回ほどその軍事学の授業を休んでしまえば、休み返上の補習が待っているのだ。最近の実技授業や朝の訓練で一日、一日が疲れているのに、学校が休みの日まで登校はしたくなかったからようやくきちんと授業に参加をし始めたのに。
「仕方ないのかなぁ」
真っ暗な外を眺めては、ため息をつく。そんなアイリを見ていたメアリーは諦めのだろうか、と思っていた。だが、アイリは急に立ち上がった。
「メアリーはあとどれくらいで終わる?」
「えっ? 一枚だけど……?」
「悪いけどさぁ、教室に取りに行くの手伝ってくれない?」
その言葉に窓の外を二度見する。時計も確認した。
「い、今行ってもいいの? 閉まっているんじゃないの?」
「行ってみなきゃわからないっていうよりも、付き合ってください」
アイリは頭を下げた。これにメアリーが慌て出す。
「あ、アイリ!?」
困惑するメアリーの服の裾にアイリはしがみついた。半泣き状態である。
「お願い! あたし夜の学校とか本気でダメなの! 幽霊とか、絶対潜んでいるでしょ!」
そう必死に言われても。逆に行く気力がなくなってしまうではないか。実はメアリー自身も幽霊は苦手部類に入る。未だに夜の自分の家の廊下は暗いため、極力自分の部屋を一人で出たくないのだ。
「う、うーん」
しかし、貴族ではない一般市民の友達からのお願いだ。ここまで願いを乞うとは。
「本気の本気で、お願いします!」
友人には頭を下げさせることに抵抗があったようだ。メアリーは若干渋りながらも「わかったよ」と承諾する。それに対してアイリは心強い味方が一人増えたのか、喜色満面で顔を上げた。メアリーは彼女のその表情が嬉しかった。
「よし、行こう!」
◆
アイリたちよりも一足先に校舎の方へとやって来たキリとガズトロキルスは四階建ての建物を見上げていた。周りに明かりすらもない、無論エントランスの扉には錠前で施錠されている。
「どこから入るんだろう? 宿舎の方に行って開けてもらうか?」
遠くに明かりが見える宿舎の方へと顔を向ける。だが、それをガズトロキルスは許さない。
「ダメ。今日の当番は鬼教官なんだよ。開けてもらえるかよ」
「訊いてみなきゃわからないだろ」
宿舎の方へと行くキリだったが、ガズトロキルスは首根っこを掴んでまで止めようとする。ちょっと、首絞まるから。
「ダメっ! 今日、鬼教官に怒られたんだよ!」
「怒られた? 何したんだよ」
どうせ、くだらないことだろうなと思っていると――。
「ハルマチと戦場の中心でバカヤローと叫ぶの感想を言い合っていたらだよ。なんでだろ?」
確かになんでだろうかと思う。消灯時間関係はあまりうるさい方ではなかったはず。朝起きられない学徒隊員には早く寝ないからいけないんだ、と諭す程度なのだ。それならば――と考えていると、一つの答えに辿り着いた。
「……まさかとは言うけどさ、ハルマチが俺らの部屋に来ていたことがバレた?」
「それだよ! なんで、それくらいで怒るんだろうな?」
「そりゃ、怒るわ! ていうか、俺は前にも言ったよな? 最近スルーしていたけど。男子寮に女子が、女子寮に男子が立ち入ることは禁止だって!」
「まあ、そう怒鳴るなよ。一応、同居人であるキリも気にしていませんって言っておいたから」
「そういう問題じゃねぇ。寝ているから当たり前……というか、俺を巻き込んでんじゃねぇよ!」
彼らが注意をされていたのはいつのなのか。どんな言い訳をしたのかは定かではない。それに翌日に呼び出されて、問い質されたらどうしよう――否、ここで宿舎に行って訊かれて、自身が知っていたとなると、普段の訓練よりもつらいようなペナルティが課せられそうである。
「……ガズ、開きそうなところから入ろうか」
「そうだな」
宿舎にいる教官を通して校舎内へと入ることを諦めた。これでは不法侵入になってしまうが、仕方あるまい。自分自身は悪くないが、悪いのはガズトロキルスとアイリなのだ。そう、自分はとばっちりを受けただけ。だが、事情は知っていることに関しては事実なのである。
「でもさ、どこも鍵はかかっていて入れっこないだろ?」
入り口からは入れないと覚った二人は外舎の建物を見て回った。エントランスにある小さな明かりが窓を通して見える。
「俺知っているぜ。絶対に鍵がかかっていないところ」
そう言うガズトロキルスはキリを誘導した。
「それはないんじゃないの?」
まさかとは思った。ここまで厳重にして校舎内の侵入を阻んでいるのだから。
「いや、あそこの窓は鍵が壊れたままなんだ」
「ふうん……いつからだろうな」
「多分、俺たちが入隊する前から。あの鍵が壊れていなければ、俺はお前とこうしていられなかったと思う」
「……そっか」
二人は見回りに来る教官に見つかる前に、急いで忘れ物を取りに行くのだった。
◆
キリたちが鍵が壊れた窓の方へと向かう最中、遅れてアイリたちがやって来た。案の定、錠前で施錠された扉を見てメアリーは「鍵がかかっているよ?」と不安そうに見てくる。
「どうする? 教官に言って開けてもらう?」
「ううん。そんなことするよりも、こっちが手っ取り早いわ」
その案を首で横に振るアイリがショートパンツのポケットから取り出したのは――ぐにゃぐにゃになった金属の針である。一体、これで何をするのだろうか? なんて思っていると、彼女はそれを錠前の鍵穴に差し込み、それで開けようと奮闘し始めた。
「それ、開くの?」
「ここは初めてだけど、こういうのを開けたことはあるくらいだし。弄っていればその内開くんじゃない?」
それは不法侵入に値するのでは? とメアリーが苦笑いしていると――ふと、彼女の真後ろを誰かが横切った気がして後ろを振り向いた。そこには誰もおらず、学校の入り口と寮棟へと続く暗い道が見えるだけである。道に沿って生えている街路樹はあやしくささやいていた。
確かに、人の気配がしたはずなのに。メアリーが訝しげに道路を見ていると、エントランスの方から音が聞こえてきた。そちらの方では一仕事を終えたと言わんばかりのアイリが輝かしい表情をしていた。
「開いたよ!」
親指を立てるアイリ。もしかしたら彼女はピッキングの才能があるのかもしれないとしか言いようがなかった。
そうして二人は建物の中へと侵入するのである。
「こ、こんばんはぁ」
誰もいないはずなのにあいさつをするアイリ。続け様にメアリーもあいさつをした。当たり前ではあるが、返事はない。
入ってすぐの場所――エントランス。ここは朝から夕方まで学徒隊員たちと教官たちに加え、ごくまれに来校する軍の関係者たちの出入りのある場所である。中央には男性の大きな銅像が建てられており、現在は僅かにつけられた明かりに照らされて、不気味さが際立っていた。それを見たアイリは眉根を寄せ、表情を引きつらせている。
「ここの銅像、不気味ね」
「夜での姿はそうだよね」
これにはメアリーも同意して銅像を見上げているが、アイリは違うと言う。それだけではないらしい。
「昼も結構不気味よ。今が一番不気味だけどさぁ」
「でも、この人、青の王国を創った人だよ?」
「えっと、メアリーの先祖になるのかな?」
「一応はね」
もう一度、メアリーは銅像を見上げた。父親から幾度も聞かされたことがある昔話形式の英雄伝説。父親は青の王国民にとっての英雄であると褒め称えていた。そんな誉れ高き人物の子孫だと言われる度に誇らしく思う。
二人が銅像を見ていると、何を思ったのか、アイリが「なんか、動き出したら、あたし一目散に逃げ出しそう」と今にも逃げ出しそう。えっ、逃げないでよ? 置いていかないでよ?
「いや、銅像だし。流石にそれは――」
「動いたならば、ステキだと思わないか!?」
聞き慣れない声が聞こえ、彼女たちは瞬時に互いの顔を見合わせた。どちらかが妙な発言をしたとは思わなかったからだ。二人の声質からして、明らかに違う声であるからだ。
アイリはそれが怖かったのか、若干涙目でメアリーに寄り添う。もちろん、彼女だって例外ではない。緊張と焦り、恐怖心が混じり合って心拍音が大きく聞こえてきていた。
「だ、誰?」
勇気を振り絞り、メアリーは聞き知らぬ声の持ち主に声をかけた。本当に幽霊だったならば、どうしようと思うしかない。アイリはあまりの恐怖心からなのか、彼女の服の裾を握り、しゃがみ込んでいた。
しん、と静まり返るエントランス。そこの銅像の頭部付近に一瞬だけ光が放たれた。その光を見たメアリーは人の影を確認した。
「ひっ!?」
思わず小さな悲鳴が漏れた。
――本当に幽霊!?
足が震えているのがわかったとき、再び銅像の頭部付近から光が放たれる。無論、人影もばっちり目視できた。だが、今度は連続して光っている。その光で見えた人物は――学徒隊員の制服を身にまとっているようにも見えた。
「ありえない話」
光でしか見えない学徒隊員は口を開いているようである。その人物をきちんと見ていないアイリは耳を塞いで聞こえないふりを実行していた。
「おかしな話、噂話、幽霊話、おとぎ話と言ったものはなんでもござれ」
彼は頭部から二人のもとへと飛び降りてきた。大きな着地音がエントランスにこだまする。アイリはまだ怖いのか耳を塞いで怯えていた。
「噂というものは嘘であると聞くが、それは同時に真実だと思いませんか?」
「え、えっと?」
メアリーの目に映る学徒隊員はベレー帽に眼鏡をかけた人物だった。手にはカメラがある。彼は目の前にいる人物が一国の王女だと気付くと、深々とお辞儀をした。
「おっと、怖がらせてしまって申し訳ありません、姫様」
「ここの生徒さん、ですよね?」
「もちろん。私、あなた様と同じ三回生のヴィン・ザイツと申します」
彼――ヴィンが自己紹介をしたところで、小さくなって怯えているアイリに気がついた。
「彼女はいかが致しました?」
「ざ、ザイツ君に驚いて……」
「ははっ、姫様に従事しているくせに怖がり屋なんですね!」
ヴィンはわざとらしくそう言った。アイリはちらりと彼を見る。目だけの表情でわかるように、明らかに怒っていた。
「あんたが幽霊みたいにして急に出てくるのが悪いんでしょ」
「何を言うかっ!」
否定をするがごとく、アイリに向けて写真を一枚撮った。光が眩しくて、彼女は眉間にしわを寄せる。
「急にやって来たのはきみと姫様ではないか。私はこうして放課後からずっとここにいたのに、心外だっ!」
「いや、こんな時間まで何してんのよ」
「決まっているさ。この銅像は夜になると動くらしい。それの決定的証拠写真を収めたくて、張り込んでいたのだよ」
物好きなやつだ。視線を合わせたくないのか、ヴィンとは目を合わせようとはしなかった。
「今、物好きだと思わなかったか?」
「……別に」
なぜ、心中がわかったのか。こいつは読心術でも可能なのか。アイリはあまりいい表情をせずにヴィンへと目を向けた。彼は力説をする。
「言っておくが、私はこの世の不純をすべて潔白に証明したいのだよ。わかるか、この気持ちを。ていうか、わかって欲しいんだ」
「要は、幽霊は存在するからそれを全員に信じさせるために証拠の写真を撮るってこと? ヒマだね。つーか、幽霊なんていないもん。存在しないもん」
「大丈夫。『幽霊がいる』だなんて言えるぐらいの証拠は腐るほどあるし、なんならそれを見せてあげようか? それとも、要る?」
「要らないし! ていうか、もう行こう! こいつの相手していたら、見回りの教官に怒られるよ!」
アイリは立ち上がると、メアリーの手を引いて自分たちの教室へと向かおうとする。だが、ヴィンに呼び止められた。
「姫様と一緒にいる腰抜け従者は誰だろうって思っていたら……きみはハルマチさんではないか」
「……そうだけど? 腰抜けで悪かったね」
あまり話したくないようで、アイリはしかめっ面をヴィンに見せていた。だが、彼はその写真を一枚撮る。
「止めて」
薄暗いところにいるせいで、急な光には堪える様子。撮影されることを拒否するようにして、ヴィンから逃げ出すも――彼はアイリから話を聞きたいのか、追いかけてきた。靴の音が周囲に響く。
「はっはっはっ。ハルマチさんと言えば、ここ数ヵ月前に異例の編入隊してきた人だね。有名だし、話も聞いたことがあるよ」
「だから? 着いてこないでよ。あんたはエントランスで銅像が動くところをじっと待っていればいいじゃん」
「それより、とても価値がありそうだから、ハルマチさんに着いてきているんだよ」
嫌な予感しかしない。そう思ったアイリは手を握っていたメアリーに「一人でも平気?」と訊いた。
質問の意図が理解できていないのか。小首を傾げながら「多分」と答える。アイリはその答えを待っていたと言わんばかりに手を離した。
「ごめん、教室からあたしのテキスト持ってきて!」
それだけを言い残し、アイリはヴィンから逃げるために全力疾走し始めた。そこで見逃してくれるか――と思いきや、彼は追いかけてくるではないか。
「待ってよぉ、ハルマチさぁん!」
「最悪!」
まさかとは思うが、セロの監視関連の刺客だろうか。とある生徒の噂を聞いていた。同じ学年には密偵や情報収集に特化した凄腕の学徒隊員が在籍していると。そんな頼りがいのある生徒と首席であるセロならば、知り合いだとしてもおかしくはないだろう。
後ろを瞥見した。同じ速さでヴィンは追ってきている。
「……疲れてきた」
いつもの朝の訓練時のマラソンでは、彼女は最後尾にいる。面倒くさいとかそういう類のものではない。アイリは短距離走に関しては速く、誰よりも負けないとは自負しているが――長距離になると本格的に体力が削ぎ落とされ、嫌な汗を掻いてしまうほど苦手な部類なのである。そして、この追いかけっこ。ヴィンはアイリの速さに着いてきている。もしも、彼が自分より長距離走に長けている人間であるならば、絶対に捕まる。捕まって何をされることか。それならばと、すでに残り僅かとなってしまった体力と気力だけでヴィンから逃げるしかなかった。
◆
壊れた鍵のついた窓から侵入してきたキリとガズトロキルス。真っ暗な廊下を連絡通信端末機のライトを頼りに自分たちの教室へと向かっていた。薄気味悪いが、恐ろしいとは感じない。もっとも、キリにとって恐ろしいと今感じているのは、いつ教官からアイリが男子寮へと忍び込んできた件を訊ねられるかである。
「なあ、なあ」
人の気も知らず、能天気に声をかけてくるガズトロキルスに「なんだよ」と答えた。この呑気者め。
「ここの不思議話だけどさ、エントランスにある銅像あるじゃん。それの何が不思議か知ってる?」
「ああ、人知れず動くだっけか」
淡々と答えたキリにガズトロキルスは瞠目した。彼のその驚きっぷりにキリは眉をひそめる。
「え、何?」
「いいや。キリがそんなこと知っているとは思わなかったから」
「どういう意味だよ」
なんだか、失礼なことを言われた気がした。
「ほら、キリって噂とかそういったの、知らなさそうなイメージが強くてさぁ」
「まあ、俺自身がそういうに疎いのは事実だよ。こういう類の話はよくあいつから聞かされるんだ」
「……ああ、お前、ハルマチと仲がいいもんな」
ガズトロキルスが一人納得した様子でそう言うが、キリは「何言っているんだ?」と片眉を上げた。
「確かにハルマチは妙な話を知っていることが多いけどな。というか、あいつって実は幽霊話がダメだぞ」
首を絞められ、死にかけたことを思い出した。あれはひどいものだった。もし、アイリのあの行動が嘘ではないとするならば――こうやって、夜の学校には来ないだろうな。メアリー自身も苦手そうで――。
夜の学校にやって来て、右往左往と怯える二人を想像するキリは小さく笑った。
「お前さ、何をにやにやしてんの? 怖いよ」
「う、うるさいな」
「でもさ、まさかハルマチが幽霊話がダメなのには驚いたな。ああいうの手で軽く追い払いそうな感じなのに。それじゃあよ、誰から聞いたんだ?」
「こいつから」
キリは持ってきていたヴィンの問題集を見せびらかした。そこに書かれている名前を見てガズトロキルスは暗くて見づらいのか、連絡通信端末機のライトを当てて見る。
「誰、こいつ」
「俺たちと同じ三回生」
「いたっけ? 見覚えがないっつーか、任務で一緒になったことないなぁ」
「いつもは隠密活動と――」
そう言いかけたときだった。自分たちの後ろからバタバタと音が聞こえてきた。何事だろうか、と後ろを振り返ると――。
「どけどけどけどけどけぇえええええ!」
キリは猛突進してきたアイリに踏まれた。
「待て待て待て待て待てぇえええええ!」
続け様に後追いしていたヴィンに踏みつけられてしまった。そんな状況を見たガズトロキルスはしゃがみ込み「大丈夫か?」と訊ねてくる。彼の背中に見えるのは二人分の足跡である。
「……ガズ、さっきのやつ。あいつがヴィン」
足跡だらけになってしまったキリは、顔だけを上げてそう教えた。ガズトロキルスは小さな姿しか見えない彼らを目で追っていた。
「どっかで見たことがあるような?」
ガズトロキルスのその呟きに、キリは片眉を上げながら起き上がった。
「知っているのか?」
「うーん。忘れたよ」
「そっか。じゃあ、早いところ教室に行かないか? あいつらが騒いでいるせいで教官が来てしまうよ」
「そうだな」
キリの声かけにガズトロキルスは立ち上がると、二人して自分たちの教室へと向かうのだった。
「つーか、幽霊話がダメなハルマチが通らなかった?」
「通っていたってか、ヴィンに追いかけられていたな。何やってんだ、こんな夜中に」
――考えたくないけど……あいつは気になる情報は必ず嗅ぎつけてくるからなぁ。
あの歯車の件に関してだろうか。キリが思うに、ヴィンがあのような行動を取ることに考えつくのはそれぐらいしかなかった。
◆
――しつこい、しつこい、しつこぉい!!
どんなに速く走っても、どんな場所へ逃げてもアイリはヴィンから逃れられなかった。必ずあとを追ってきて、必ず見つけてくるのである。
「諦めてよ!」
汗だくながらも怒鳴る。その怒った顔をヴィンは聞く耳を持たず、激写してくる。この態度に苛立ちが増える。イライラばかりしているから、そのせいで体力が削がれていく。体力を回復できるのは、どこかへ逃げ込んで見つかるまでである。
「ねえ、ねえ、なんで逃げるの!? 逃げるってことは、何かやましい真実でもあるのかな!?」
「ないわっ! しつこいんだよっ! しつこい男はモテないからっ!」
「はっはっはっ。それは困るなぁ」
なんて言う割には、追いかけるのを止めようとしてくれない。
ドタバタと足音が鳴る中、真っ暗な廊下の突き当たりまで追い詰められてしまった。アイリは後ろの方を見る。ヴィンはカメラを両手に持ち、こちらへと近付いてきた。
「うっ……」
「いやぁ、これでゆっくり聞けるよ。私、こう見えて戦場カメラマンの弟子であり、校内の新聞部なんだよね」
「……それとこれ、どう関係しているって言うの?」
「要はスクープを見逃さないってこと」
にこにこと笑顔を絶やさないその笑顔を見てアイリは眉根を寄せた。
「それで? あたしには何かあるって思っているの? 誰に言われたの?」
絶対にセロやエドワードたち以外はありえなさそうだと感じ取っているようで、アイリは足をにじり寄り始めていた。隙を見て逃げ出す作戦である。
そう言われたヴィンは肩を竦める。
「あらら、バレてたのかな?」
「この前の任務からバレバレ。何? 首席の人? それとも隊長たちの差し金?」
「え?」
ヴィンは片眉を上げた。どういうことだという反応である。アイリ自身もなんだか話が合わなくて「え?」という反応を見せてくる。
「あんた、軍の方からあたしに差し向けてきた刺客でしょ?」
「軍? うーん、うん。確かに軍と言えば軍だけど。ん? なんでそこで首席とか隊長たちが出てくるんだい?」
「誰の命令よ」
ヴィンは困惑した表情で「命令?」と反問してくる。
「キンバー兄?」
「うん? 私は彼との接点は全くないよ?」
もったいぶるヴィン。アイリは体力が回復したのか、床に足を踏み込んで彼の横を通り抜けた。不意をつかれてしまったヴィンは彼女の後ろ姿をすぐに追いかけ始める。
「ちょっとぉ、待ってよ。ハルマチさぁん!」
もう、こうなれば誰の刺客なんて関係ない話だ。逃げることを優先しなければ。アイリは闇夜の廊下を駆け巡るのだった。
◆
闇夜の廊下をそろりと小さな足音を立てて歩くのはメアリーである。彼女は連絡通信端末機のライトを頼りに前へと進む。オバケが出ませんように、見回りの教官に出会いませんように。周りに怯えながら彼女は自分の教室を目指した。小さな明かりが頼りなだけに暗闇が怖かったが、しばらく廊下を進めていると、教室へと辿り着いた。
「こ、こんばんは」
誰もいないということは知っているが、ついあいさつをしながら入室した。夜の学校に来るのも初めてだし、入室の際に「こんばんは」なんてあいさつをしたのも初めてで、とても新鮮だった。
「って、誰もいないよね」
「はい、こんばんは」
突然、真後ろから誰かにあいさつを返されてしまい、メアリーはびっくりしたのか、肩を強張らせた。まさか、教官!? と背後を見ると、そこにいたのは見知らぬ青年だった。暗くてよく見えないが、高身長の人物であることと、彼はマントを羽織っていた。
「きょ、教官?」
とは思えなかった。このような不思議な雰囲気のある教官を見たことがなかったからだ。よくよく見れば、腰には王国軍の軍刀を提げているではないか。青年はどちらかというならば、軍人と言えるだろう。
「いやいや、俺は教官じゃないよ」
その物言いや風貌から教官ではないことがわかる。
「えっと、あなたは?」
メアリーの質問にその青年は答えず、教室へと入ると勝手に明かりをつけた。それにより、彼の顔が露わとなる。くせのある金髪に碧眼。青年の姿を見ても、誰なのか思い出せない。それ以前に彼の格好は現代の王国において、どこか合っていない格好だった。わかるのは昔の王国の民族衣装だ。昔の服装が好きな人なのだろうか。
「ほら、友達の忘れ物を取りに来たんだろう?」
「えっ。あ、はい。」
青年に急かされて、アイリの席から軍事学のテキストを取り出した。ちらりと見えたが、彼女の机の中はテキスト類よりもお菓子の箱の数の方が多かった気がする。
「もういいか?」
「は、はい。ありがとうございます。えっと、その……」
名前のわからない青年。あたふたとするメアリーに彼は「俺のことか?」そう感付く。
「俺のことはお兄ちゃんと呼びなさい」
何を言っているのだろうか。その疑問しか思い浮かばなかった。なぜに見ず知らずの者に対して「お兄ちゃん」などと言わなくてはならないのか。それとも、自分の名前は言いたくないとでも?
「え、えっと、お、お兄ちゃん……」
実際に言ってみれば、急に恥ずかしくなってしまい、どうして今に青年のことを「お兄ちゃん」だなんて呼んでしまったのか。メアリーはあまりの恥ずかしさに顔を俯かせた。
「なんだ? メアリー」
『お兄ちゃん』はメアリーの名前を呼んだ。呼ばれた彼女は顔を上げるも、彼はいなくなっていた。消えてしまった。足音も気配も立てずに。
「あ、あれ? お、お兄ちゃ、お兄さん!?」
教室中を見渡すがいない。視界に映るのは真っ暗な外が見える窓の無人の教室である。そんな教室に明かりにキリとガズトロキルスがやって来た。
「ライアン? こんなところで。ライアンも忘れ物か?」
「で、デベッガ君! あ、あのね、お兄さんを見なかった!?」
「えっ、ライアンの?」
二人は顔を見合わせた。メアリーに兄がいるとは初耳である。
「ライアンのお兄さんは見たことないから、わからないけど――」
「ううん、私に兄はいないわ! え、えっと、キンバーお兄さんと同じくらいの身長で、金色の髪に青色の目をした人なの。ついさっき、いなくなって……」
「いや? そんな人は見なかったけど。つーか、ハルマチと来たでしょ?」
「あ、うん。ザイツ君とどっか行った……って、見ていないの!? 二人とも、ついさっき来たんだよね!?」
あまりにも切羽詰まっているメアリーに彼らは落ち着くように促すが、落ち着く見込みはないようである。
「落ち着けよ、ライアン。確かに、俺たちはついさっき来たけど、校内で見たのはハルマチとザイツだけだよ。他に誰もいなかった」
ガズトロキルスがゆっくりと状況を説明してくれた。学校内にいたのはこの二人とアイリとヴィンだけ? だが、その説明がいけなかったのか、メアリーは顔を真っ青にした。青の王国の昔の時代の民族衣装を着て、腰には少しばかり古ぼけた軍刀――。まさかだとは思いたくもない。
「ら、ライアン?」
心配してか、キリは顔を覗かせた。そうして、メアリーはその場に座り込んでしまう。
「お、おい! 大丈夫か!?」
「――ぅ、う……」
自分が見たものが幽霊だとは思わなかった。そのことに涙をこぼし始める。そんなメアリーに二人は焦る。どうして彼女は泣いているのだろうか。
――もしかして、ハルマチに置いて行かれて一人でいたから?
「泣くなよ。もし、あれなら一緒に寮へ戻ろうか?」
キリはメアリーに手を差し伸べた。腰が抜けて立てないのだろうか、ぽろぽろと大粒の涙が頬を伝っていた。
「あぁ、これは。おう、キリの問題集持ってやるからライアンをおぶってやれよ」
「そうだな」
ガズトロキルスに促され、メアリーを背中におぶってあげた。涙がキリの背中にかかる。おかげで湿った服の感覚が肌に伝わってきていた。
「つーか、ハルマチのやつはどこにいるんだ? ヴィンもヴィンだよ」
ため息をつくキリの背後にまたしても大きな足音が聞こえた。二人分の足音。間違いない、アイリとヴィンのものだ。彼は後ろの方を振り返り、叱責をしようと「お前ら!」そう、怒鳴った。
「だから、邪魔っ!」
「逃げちゃダメだよぉ!」
注意することもなく、追いかけっこをする二人は、またしてもキリを踏みながら走って行ってしまった。背中に背負われていたメアリーは彼の背中の上に乗りつつも、泣いているようである。
「いやぁ、見たことのある光景」
床に伏せているキリを見て、ガズトロキルスは突いた。もちろん、息も意識もあることは百も承知である。
突然とキリは勢いよく起き上がった。そのときの表情は明らかに怒りに満ちているようで、ガズトロキルスは触らぬが祟りなしだな、と少しばかり一線を置き始めた。
「あの、ばかどもっ!」
我を忘れてしまったのか、キリはメアリーとガズトロキルスをその場に残して二人を追いかけ始めた。凄まじい勢いで廊下を奔走する。ガズトロキルスは立てずに泣いている彼女をキリの代わりに背負い、校舎から出ることに。
「ご、ごめんなさいぃ」
「あーあ、泣かなくていいよ。悪いのは全部キリだ。あいつに今回の詫びとしてデートなりなんなり、連れ出せばいいよ」
「う、うう……。もう、夜の学校は嫌ぁ」
余程一人でいることが怖かったのだろうな。そう思っていたガズトロキルスはメアリーに優しく言葉をかけつつも、一足先に寮の方へと戻った。
◆
宿舎の方で明日の授業に関しての確認をしていた鬼教官と恐れられる者――マックスはふと、学校の方を見た。一ヵ所の教室だけ明かりがついているのが見える。まさかとは言うが、夜の学校に遊びに来ているわけではあるまい?
「ばかが」
マックスのこめかみには若干青筋が浮き立っていた。急ぎ足で宿舎から出ると、偶然にもメアリーを背負うガズトロキルスがエントランスから出るところを見つけた。マックスは目を三角にして彼らに近付く。
「こらぁ! お前!」
怒声が静かな暗闇に響く中、ようやく落ち着いて泣き止み始めていたメアリーが再び肩を強張らせ、泣き出してしまった。
「あ、ああ。教官……」
今のはマックスが悪いというような目付きで見てくる。彼はその視線とメアリーの怯えようにたじろいだ。
「ひ、姫様、申し訳ありませんでした」
「わかればよろしい」
ガズトロキルスはふんぞり返るような態度を取ると、メアリーを連れて寮へと向かう。だが、そこは許されなかったようで止められた。
「そんなことよりも、なぜにお前が姫様を連れて出歩いている? この時間帯の外出は特例や任務以外は禁止のはずだが?」
「特例っス。彼女を今から寮へ送るんで」
逃げるようにしての言い訳。「嘘をつくな」と逃しはしない。
「まだ主謀者がいるだろ。そいつらはどこだ?」
「中っス」
「ほう、中とな」
エントランスの方を見ると、錠前で施錠していたはずなのに外されて扉は開けっ放しになっているではないか。
「外から鍵をかけていたはずだか?」
「そう言えば、そうっスね。でも、俺はそこからじゃなくて、別の場所から入ったんで」
「そういうっ――」
再び大声を張り上げようとしたが、目の前には泣いている自国の姫君がいる。これ以上は大声で叱咤ができなかった。そこでマックスは出したい大声を抑え込み、大きく息を吐く。
「今のところは姫様を部屋に返してあげろ」
「ラジャー!」
ガズトロキルスはラッキーだと言わんばかりにメアリーを背負いながら寮の方へと戻った。
マックスは開けられたエントランスの扉を見た。この場で怒鳴りたい気持ちを抑え込んで、夜の校舎内へと踏み込むのだった。
◆
「もう、あたしのことは放っておいてよぉ!」
「えぇ、そんなのもったいなぁい!」
「お前ら、待てぇ!!」
一人、別に追いかけてきている者がいることに二人は足を止め、その人物を見た。彼――キリは肩で息をして、怒りを表している。
「あれあれ? 誰かと思えば、優等生君がこんな夜の学校に遊びに来ているとは」
「お前、知ったふりしてわざとだろっ!」
ヴィンは更にキリの怒りを煽り立ててくる。
「わざと? それを言うならば、ハルマチさんだって踏みつけていたじゃないか」
「事実だけどさ、あたしを巻き添えにするの止めてくれる?」
「ていうか、ハルマチもハルマチだよ! ライアン一人放っておくなんてさ! あの子一人で寂しかったのか、泣いていたぞ!」
アイリにも責任はあると言わんばかりの怒りをぶつけてきた。それに彼女は自分は悪くない、と不機嫌そうにしかめっ面をする。
「何さぁ! 元々の原因はこの人じゃん! いきなり人の写真を勝手に撮ってぇ!」
「……お前、そんなことまだしていたの?」
「人聞き悪いなぁ。私は新聞を作るために、最高の記事を作り上げるために彼女を撮っただけさ」
「うっそだぁ! あたしのこと嘘でっち上げを書くつもりなんでしょ!」
「でっち上げだなんて、心外だ! 私はただ事実とは少しだけ違う脚色を加えるだけなのに!」
「いや、それ一緒だろ」
キリは仕返しのつもりなのか、ヴィンのカメラを奪い取ろうとするも――避けられてしまった。逃げられてしまう。ひょいひょいと回避されて苛立ち状態である。
「甘いなぁ」
してやったりの顔をするヴィン。その苛立つ顔にキリの怒りは最高潮に達した。顔が怖い。
「その顔、本当に腹立つな?」
「そうかい? でも、気になるだろう? なぜ、ハルマチさんが編入隊できたか」
そう言われ、キリはアイリの方を見た。
【嘘泣きして、同情買ってもらって、入れてもらった】
アイリの言葉を思い出す。もし、そのことで校内の追いかけっこをしていたならば、どうして彼女は本当のことを話さずに逃げ回っていたのだろうか。
「あのとき……」
「あたしは彼が誰からの命令でそうしているのか、その口で言わない限りは避けるし、言わない。デベッガ君も言わないで」
「むむ? 二人は知り合いかい? まあ、ハルマチさんから訊かなくても、こいつから訊くもんね。私はこいつの幼馴染だ。口の割り方は一や十も知っているぞ」
ヴィンはキリの肩を組んできた。彼はにこにこ笑顔をアイリに向けている。
「……言ってもいいんじゃないのか……?」
「やぁよう。きみも知っているでしょ、どんな些細な情報でも武器になり得ると」
「そう、だからお前のあんなことやこんなこと、そんなことに至るまでハルマチさんの前でバラしてあげようか」
とてつもなく嫌な予感しかしなかった。キリは眉を寄せてアイリを見る。だが、白状する気などないらしい。そっぽを向いていた。その態度のせいで泣きそうになる。
「は、ハルマチぃ……」
ヴィンが「一つ」と彼の秘密事をバラそうとしたときだった。キリの首元で光る何かを見つけたのだ。歯車のアクセサリー? 彼がなぜこのような物を?
「……それは?」
「あっ、え?」
「なんで、お前がこれ持ってんの?」
急激に真顔になるヴィン。そんな顔を見て、キリは動揺する。彼はこの歯車のことを知っているのか? それならば、どうして知っているのか。アイリを見る。その視線をヴィンは逃さなかった。
「……二人が知り合いなのって、これつながり?」
「さぁ、どうでしょ」
「答えろ。こいつに何を唆した?」
「じゃあ、そっちが先に答えてよ」
「いや、こっちが先に訊く権利がある。これがどういう存在なのか知っていて、渡したんじゃないのか?」
「デベッガ君が理解した上で、渡した」
ヴィンは驚いた表情でいた。だが、キリは自分のことなのに。自分が知らないことを目の前で話されていて、置いてけぼり感があった。理解なんてほとんどしていないし、この歯車自体もどのような存在なのかすらもよく知らない。彼の表情を見て、ヴィンはアイリを睨みつけた。どうやらキリの状況についてはお見通しのようである。
「本当に説明をしたのか?」
「簡潔には」
「あやしいな。おい、お前。それについて訊くぞ。それはどういうものだ?」
言うべきか? 誰かを巻き込みたくないと思っていてもヴィンはこの歯車の存在を知っている。アイリは別にこれについて話してもいいと言っていた。
――じゃあ、言ってもいいんだな?
腐れ縁でありながらも、それでも大切な人としての枠組みに入っているヴィンを巻き込みたくはなかったが、キリは口を開いた。
「事実を書き変えるもの」
そう答えると、ヴィンはアイリに対して、怒りに満ちた表情を向けた。
「おい、肝心のことをこいつに話していないんじゃないのか?」
どういう意味だ? キリは驚いたように二人を交互に見た。
「言ったよ。それの所有権を失ったときとか」
「違う。あんたは絶対に、こいつに言っていないことがある」
「……よくわからないけど、教えてあげたいならば、教えてあげれば? それでどうするかはデベッガ君次第だし」
「よくも――」
「待てよ」
キリは不安そうな表情を見せながら、ヴィンの言葉を遮った。
「あいつを責める前にヴィンが知っていることを俺に教えてくれよ」
閉口するヴィンであったが、これは言うべきだとキリの目を見た。だが、すぐに逸らしてしまう。それでも、彼はそれの重要なことを知っておくべきであると思ったのか、目を合わせた。
「それの所有権があるとき、その所有者は何がどうなろうと絶対に死なない」
「え?」
今まで死ななかったのは、自分が事実を書き変えたからではないのか? 意味は一緒ではないと?
頭の整理がつかない中、ヴィンは懐からナイフを取り出すと、キリの首に傷をつけた。一瞬だけ意識が飛んでしまうが、自分にナイフの刃先を突きつけられて、キリは一歩だけ退った。どうして、自分にそれを向けているのか。
「……危ないな」
「今、私がやったことがわかるか? どうなったかわかるか?」
「何を言っているんだよ?」
余計に理解ができない。
「今、お前の首にこれを当てて殺したんだよ」
ヴィンにそのようなことを言われ、キリの血の気は一気に引いていった。今、なんと言った?
――俺を『殺した』?
「お前は殺されたけど、それが死なせないために生かした」
【きみを死なせないためでしょ? デベッガ君が死にたくないから、あたしにすがったんでしょ?】
アイリは嘘をついていない。ただ、キリが理解しようとしていなかっただけのこと。そう、すべては彼の強欲さから生まれた事実。
「……お前はあの女に騙されているんだ」
「別にあたしは騙していない」
アイリの言葉には敏感なのか、ヴィンは睨みつけてきた。
「嘘だ! あんたが騙さず、本当のことを教えてあげれば、こいつはこんな物なんか手に取らなかった! どう責任取るつもりなんだよ!」
「人聞きの悪い……」
アイリは話すのが嫌になったのか、頭を掻くとその場を離れようとする。ヴィンはそれを許さなかった。
「待てよっ!」
険悪な二人にキリはか細い声で「違う」と割って入ってきた。彼らはその声の方に注目する。
「……ハルマチは騙していないよ」
「何言っているんだ!? お前!」
不安そうな表情を見せながら、ヴィンはキリの肩に手を置いた。だが、その手を振り払うと――歯車を剣の姿に変え、幼馴染みを斬り裂いた。暗闇でもわかる、温かな血。手が震えていた。
「俺が自ら死なないことを望んだんだ」
今にも泣きそうなその表情。キリは願った。
――もう嫌だ。
「……デベッガ君」
「ハルマチは、本当は……俺に色々と伝えていたんだよな? それを俺が理解しようとしていなかっただけで」
アイリはうんともすんとも反応せずにいた。せめてでも何か言って欲しかったキリは、下唇を噛むと走ってどこかへと行ってしまった。
「で、デベッガ君!」
アイリはキリのあとを追った。
◆
どこのばかが校内へと侵入したのだ? とマックスは口をへの字にしながらライトを片手に廊下を歩いていた。すでに明かりをつけられたままの教室は電気を消してきている。ある場所へと差しかかったとき、彼の目には床に不審な物が映った。マックスは万が一を考えて、そっとそのあやしい物へと近付く。それをライトに当てると、床に寝転がっているヴィンがいた。怪我などしていないようだが、彼はどうしてこのような場所で寝ているのか。
「ザイツ、起きろ」
少しばかりの愁眉の色を見せながら、ヴィンを起こした。彼は気がつくと、ぼんやりとした様子で目を覚ますが、ライトを当てられているため、眩しくて目を塞ぐ。
「なっ!?」
「ザイツ、俺だ。こんなところで何をしている?」
「おっ? ……おお、教官殿でしたか。これはこれは失敬。見回りご苦労様です」
このような場所で、このような時間帯で鬼教官と呼ばれるマックスに見つかってしまったのは厄介だ。そうヴィンは表情を若干引きつらせながら、その場から逃れようとするが、首根っこを掴まれてしまった。もう逃げられられやしない。
「待て。俺はお前に、何をしているのかと尋問をしているのだ。答えろ」
「いや、最近暑いから自室よりもひんやりする床をベッドに寝ていたのでしょう」
「そんな言い訳が通用するとでも思ったか?」
「はい」
真顔で真面目にはっきりと答えるも、マックスの拳骨を食らってしまう。予想を遥かに超えるほどの痛みにヴィンはその場で悶絶した。
「で、本当は?」
「あれです、ずっとここで寝ていたんです」
「もう一度もらうか?」
なかなか白状しないヴィン。そんな彼にマックスは骨張った拳骨を見せてきた。
「はい、エントランスに出没する幽霊の調査をしていました!」
「扉の施錠をピッキングしたのはお前かっ!」
白状したはずなのにヴィンはもう一度拳骨をもらってしまう。しかも、先ほど食らった場所に、的確に当ててくるものだからあまりの痛みに涙目状態である。
「ちょっ!? ピッキングですって!? 私はそのようなことしませんよ! ていうか、そこまでの技術持っていません!」
「どうだかな? ザイツは隠密機動に長け過ぎた功績もあって三銃士軍団に仕えているのだろう?」
どうやらヴィンが錠前をピッキングして侵入したと思っているらしい。実際は違うのだが、そう言っても聞き入れてもらえなかった。なぜなら、校内にいたのは自分だけなのだから。
「いや、だから私はそんなことできませんって! そもそも私は情報収集に特化しただけですから! 三銃士軍団に入ったのもそれを買われてですよ!?」
必死に否定をするも、疑いの眼差しを向けられる。
「んー? おまけに姫様まで連れ出して、泣いていらしたぞ」
「だーかーら、私は……は? 姫様が? 私は誰とも会っていませんが?」
「じゃあ、どうして姫様は、オブリクスと出てきたんだ!?」
「お、オブリクス? 誰ですか?」
三度拳骨でも食らわせようかと考えていたが、どうも話が噛み合わない気がした。本当に彼は誰とも会わずにこの場所で寝ていたというのか?
「本当に姫様に会っていないのか?」
「会っていませんよ。というか、お話したこともないんですから」
「え、三銃士軍団員なのに?」
「私、ただの下っ端ですよ。そんな高貴な方と気軽に話せませんって」
「下手な話は首が飛ぶからな。ザイツはそれがちょうどいいだろうな」
マックスは頭を抱えると、ヴィンに宿舎の方へと来るように促すも――一瞬の目を離した隙に逃げられてしまった。一人残されてしまった彼はこめかみに青筋を立てる。
◆
「デベッガ君! 待ってよ!」
ようやく追い着いたアイリ。キリは校舎の屋上まで来ていた。ひんやりとした気味の悪い風が二人に体当たりしてくる。雲に隠れていた月が姿を現す。その月明かりに照らされて、キリの後ろ姿がはっきりと見えた。彼は怯えているのか、震えていた。
「……なあ、俺って異常か?」
「え?」
アイリの方を振り返った。手には歯車が握られており、キリのその表情は恐ろしいものでも見たかのように怯えていた。そのような顔を見て彼女は不安が胸に詰まっていく気がする。
「死にたくないみたいなんだよ」
「それは……それはみんなそうだよ」
「そうかな?」
「そうだよ。死にたいって言う人、あたしよりもよっぽど正常だよ!」
キリをフォローするが、彼は歯車をその場に置き、屋上の端へと歩み始めた。行く先は足場のないところ。
「俺さ、今すぐに死にたい」
キリは歯車を指差した。
「それ、所有権を捨てたら、死ぬまで痛覚が襲ってくるんだろ? それなら――」
「や、やめてよ!」
止めに来ようとするアイリを「来るな!」の一言で止めた。彼女の方を見ず、屋上の下の地面を眺める。あまりの高さに頭がくらくらしそうだった。
「……は、ははっ。ここから落ちれば、体がぐちゃぐちゃだな。死んだも同然だ」
乾いた笑い声を上げているが、声は震えている。今まで吹いていた風はピタリと止んだ。
「じゃあ、新しい所有者でも――」
再びアイリの方を見たとき、彼女はすぐそこまで迫っており、キリの服の裾を引っ張ってこちらの方へと引き寄せた。その衝撃で、彼女の上に乗ってしまった。
「邪魔しないでくれよ」
すぐにでもキリは立ち上がろうとするが、アイリは彼の服の裾を離さなかった。
「悲しいこと、言わないでよ!」
二人の視線が合う。アイリの目には涙が溜まっていた。
「そんな、悲しいことなんて……」
「悲しいこと? ハルマチは死にたいんだろ? 俺だって死にたいさ。全然悲しくなんかない」
「違う!」
アイリの目から涙があふれ出てくる。
「きみは言ってくれた、あたしに死ぬなって。……だったら、きみも死なないでよ!」
「あいつはおしゃべりだ。どうせ、ヴィンの記憶をなかったことにしたとしても、記憶を戻すさ。気味の悪い、不死者だって更にみんなに嫌われるがオチだよ」
「それでも……あたしは、デベッガ君を嫌ったりしないっ! たとえ、あたし一人になろうが、きみを見放したりはしない!」
アイリは泣いているせいか、上手く言葉が出てこなかった。それでも、自分が言いたいこと、キリに伝えたいことをすべてさらけ出そうとした。
「あたしはきみが必要なんだ! 好きなんだ!」
キリの虚ろな目はその言葉を聞いて、元に戻った。この高揚感ある気持ちは一体なんだろう。嬉しさと共に恥じらいが一気に襲いかかってくる。言葉が上手く出なくて、口ごもってしまう。
「……え、あ? え?」
当然、自分の心の内を暴露したアイリ自身も月明かりだけでもわかるくらい頬を真っ赤にさせていた。それでもとキリの目を見てくる。
「ごめん、起きる」
アイリは起きた。今度は視線を合わせようとしない。もちろんキリもである。二人はあまりの恥ずかしさから顔を合わせなかった。彼女が口を開く。
「だから、死んじゃダメ」
キリは小さく頷いた。互いに顔を見合わせていないが、互いが何が言いたいのかは理解できた。
「ハルマチ、ありがとう……」
「う、うん」
月が出ている夜空は優しく二人を見守っていたが、見守っていたのはもう一人いた。屋上の入り口に、彼らに見えないようにして座って話を聞いていたのはヴィンである。ドアの隙間から差し込む月明りに照らされて、何も言えないような表情をしていた。この案件を知っているのはおそらく自分だけだ。これは――報告ないし、記憶が消えてなくなったことにしておくべきなのか。それとも――。
ヴィンは悩んだ末にそっと立ち上がった。隙間から見える二人を見てどこか心配そうな表情をする。
「まだ、今だからいいんだよな……」
これらの不安は拭えないが、幼馴染が今感じている思いは尊重しておこう。ゆっくり階段を下りて行っていると、暗闇の中で影ができた。冷や汗がどっとあふれ出てくる。その影は何か。そう、マックスの姿である。真っ暗でもわかる彼の怒り。
「ど、どうも教官。奇遇で」
そそくさと逃げるようにして、その場を立ち去ろうとするヴィンであるが、それを許すとでも? 絶対に逃さないように首根っこを掴み、持ち上げた。目測五十キロはありそうな少年を軽々しく持ち上げるマックスという人物、侮れない。
「わ、わぁ。宙に浮いてるぅ」
誤魔化し、話を逸らそうとするが「これでもお前たちよりかトレーニングをしているんだ」と言い放った。
「特に、ザイツはトレーニングや訓練をのらりくらりとかわすことが多かったようだからな。俺がここまでできるやつだとは思わなかっただろ?」
「……高い、高いできます?」
「しない。して逃げられたならば、元も子もないからな。さあ、答えろ。屋上の方へ行って、何をするつもりだったかな?」
言い回しや誤魔化しはもう効かないようである。ヴィンは諦めたように、マックスに自身のカメラを差し出した。これに彼は片眉を上げる。
「要らない、と?」
「違います。そのフィルムにはピッキングした犯人が映っています!」
そう発言したヴィンの後ろの扉の奥にいたアイリは殴り込みに行こうかとするが、キリに落ち着くように咎められていた。彼らは二人に聞かれない音量で会話をし出す。
( 放してよ! あいつ人を売りやがった! 結果的には同罪だし! つーか、銅像の上って乗るの禁止じゃなかった!? )
( 落ち着け! ハルマチの言いたい、怒鳴りたい、気持ちは痛いほどわかるから! 今出たら教官に俺たちがいたことがバレる! )
( いや、それ以前にカメラ没収された時点でもうバレてる! )
「いいや、確認する前にお前たちがいることは、すでに認知済みだ」
言い合う二人の目の前のドアが勢いよく開かれた。そこには片手にヴィンを抱えたマックスが仁王立ちしているではないか。月明かりに照らされ、顔の影はより濃く、まさに鬼の形相。まさに鬼教官。
「ひえっ、出た!」
「ハルマチ! またお前はっ!」
「よお、奇遇だな」
「呑気だな、おい」
「呑気なのはデベッガ、お前だろっ! ちょうどいい、こいつが男子寮に侵入した話を詳しく聞かせろ!」
三人はまとめてマックスに持ち上げられた。妙に高い目線で気持ちが悪い。それ以前に安定感があまりなくて怖い。
「ちょっ!? 教官!? どんだけ力持ち!?」
抱えられたアイリは手足をバタバタとさせて、逃げる隙を作ろうとするが――マックスはびくともしなかった。
「あと一人くらいは持ち上げられるが、ハルマチもトレーニングはサボりがちだったな。三人の中で一番重いぞ。搾れ。」
「はぁ!? それ、普通言います!? 最悪!」
アイリは二人よりも自身が一番重いという事実と、それを彼らに聞かれたことに恥じらいを覚え、顔を真っ赤にしていた。彼女が訴える目付きは、今聞いたことはすべて忘れろと言っているようであった。
◆
三人仲良く宿舎に連れてこられ、そこで正座をしながら小一時間留守番をしていると、マックスがガズトロキルスを抱えて戻ってくる。彼らの目にはまるで大物の魚を一本釣りで釣り上げた人のように見えた。
「ちょっ、教官! 怖い! 下ろして!」
手足をバタつかせていた彼が三人の現状に気付くと、急に大人しくなった。もう逃げられる見込みはないと判断をしたのであろう。ようやく大人しくなったので、ガズトロキルスを床へと下ろし、マックスは四人にそれぞれ一枚ずつの用紙を渡した。真っ白で何も書かれていなかったが、キリは嫌な予感しかしない。
「今から、お前たちに一文字が縦横ともに五ミリの反省文を隙間なく埋めてもらう」
その言葉に四人は引きつった顔、嫌そうな顔、不服そうな顔、不満げでやる気のない顔をマックスに見せつけた。
「五ミリとか。どうせ、全部目を通さないのに」
アイリの呟きをマックスは聞き逃さなかった。腕を組み、怒っているようで笑っている顔を見せながらも「もちろん全文字見るぞ」と断言。
「きちんと定規で大きさを測って、添削もするつもりだ。一文字でも隙間が空いていたならば、もう一枚追加だから誤魔化しのないように!」
「あんた、どんだけ超人!?」
思わずツッコミを入れてしまったアイリにはもれなく半ページ追加となってしまったという。




